ポトラッチとしての人権

 こんなソフトがあったとは知りませんでした。

 宗教法人管理システム 擔雪II

 「実務を知った住職自ら開発に携わった、業界標準ソフト!」とありますが、それでも仏教以外にも対応して「あらゆる宗派の宗教法人に対応」してるそうです。ラーゲリ氏もお求めになられては如何。

 ところで表題についてですが、小生は民族学などをきちんとやったことがないので「ポトラッチ」の正確な定義を示せといわれると実は怪しいのですが、ここでは気前の良さを発揮する(ことを通じて社会での自分の地位を向上させる)ために過剰の浪費を行うこと、という位のつもりです。
 で、「人権派」という言葉がすっかり揶揄の言葉になってしまい、挙句には「人権メタボリック症候群」などと抜かす大臣が出る有様で(ウェブ魚拓とってくれてた人がいたのでありがたく利用させてもらいました)、しかし素直に考えればやはり人権はやはりないよりあったほうが断然いいのではないかと思うわけです。
 で、人権を規定した日本国憲法の12条にはこう書いてあります。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
 「不断の努力」がいるわけですが、まあ普段の努力(駄洒落)というのは言うは易く行なうは難きものであります。つうか「人権は大事」というお題目は教えられても、それをどう普段の不断の努力で維持するかということは、ほとんど教わらなかった気も致します。
 幸いにしてというのかどうなのか、現在の日本では、多くの人(含小生)にとって日常人権の重要さを身に沁みて感じることはありません。そんな日常では、人権のための普段の不断の努力(もういいって)が実感されることはないわけで、しかし「人権は大事」というお題目だけは流れてくるわけで。
 で、小生が思ったのは、ここで「人権」がいわば「ポトラッチ」(上で書いた定義の)として扱われるようになったのではないか、ということです。世間の人々が重要であると認めていることになっている価値観であるところの「人権」を「敢えて問い直す」というような姿勢を取ることで、乱暴な言い方をすれば「人権」を気前良く放り投げるポーズをとることで、自分の「偉大さ」を周囲に知らしめようという心理的機構が働いているのではないかと。実際、日常生活において人権を身近に感じる機会は乏しいのですから、こういうポーズをとっても実際の損失はないわけで、それがこのようなポーズをとる人を生む理由ともなっているのではないか、それで心理的に何がしかのプラス(これも実際の利益ではないわけですが)を得る効果があるのではないか。一部の「公共心」を矢鱈と持ち上げる言論など見ていてそう思うことがあります。
 これは人権教育の欠陥であったといえばそれまでですが、しかしだからといってそのような態度が容認されるわけではありません。自分の人権は、大事にした方がいいと思います。それが実は、ひいては世のため人のため、であるかもしれないのです。

 そんなことをやくたいもなく思う憲法記念日なのでした。
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by bokukoui | 2007-05-03 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(2)

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Commented by 労働収容所組合 at 2007-05-07 00:06 x
たかが憲法ごときが私に不断の努力を要求するとは思い上がりも甚だしい。
Commented by bokukoui at 2007-05-08 05:40
ラーゲリ氏が無問責なのは斯界の常識です。
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