妄想の対象としての「メイド」について思うことなど(3)

 えー、前回の記事で色々とご迷惑をおかけしてしまって申し訳ない次第でありましたが、それにも懲りず続きを書こうというわけでして。まあ、最後まで読んでいただければ、書かねばならない理由もお分かりいただけようかと思うのですが。なるべく軽く書きますので、読まれる方も肩の力を抜いてお気楽に。

 で、件の鏡塵さまのご執筆の記事の末尾、小生が読んで色々とやくたいもないことを考えるに至った箇所を、申し訳ないのですが引用させていただきたく。
第二のパターンとして想定される、「読者」が「創作」を敢えて「歴史叙述」として受け止める、という選択について検討する必要がある。つまり、言語を媒介する以上は叙述とはなべて「解釈」であり、歴史叙述と文学は理論上区別できないのだから、自らにとって価値のある叙述を「歴史」であると主張する場合である(『エマ』の「英國」こそがわが「英国」なのだ、と是認するような場合)。この「選択」については、自分が身を置く時間/空間と「断絶」した対象については、その言説はさほどの問題を惹起しないように思われる・・・このことが、「創作のメイドさんが妄想に陥ってしまう」ことの一つの理由なのではないだろうか。「創作のメイドさん」は「妄想に陥っている」のではなく、「妄想であることを(敢えて)選んでいる」ように思われるし、その「選択」が楽しめる「読者」であれば、「テクストの快楽」に意識的に身をゆだねる(溺れるのではなく)ことは一向に差し支えないのではないか、とさえ思えるのである。
 この文章の前半に関しましては、鏡塵さまがこの記事に補足として書かれた記事の中で懇切な説明をしておられますので、そちらをご参照下さい。

 で、ここを読んで小生が触発されたのは、「断絶」と「連続」ということばです。
 これが、「メイド」というのが少なからぬ人の「妄想」の受け皿として機能している、ひいては末期ヴィクトリア朝が「オタク」文化の中で一定の地位を占めるに至っている理由の一つではないかな、なんて思ったわけであります。

 一般的には、「メイド」に興味関心を持つような人は、「断絶」の側面に力点を置いているのではないかと思います。しかし、では歴史上にそのような素材を求めるのならば、別に末期ヴィクトリア朝である必然性はありません。なぜアンシャン・レジームのフランスでもなく、ビーダーマイヤーのドイツでもなく、ギルデッド・エイジのアメリカでもなく、ヴィクトリア朝末期のイギリスなのでしょうか。
 ここで小生が勝手に思うには、末期ヴィクトリア朝には「断絶」の側面だけじゃなくて、「連続」の面もあるからではないかなと、そのように思うのです。大英帝国を中心とする世界秩序など、今日のそれとは全く異なった要因もありますが、一方では消費社会の形成や中産階級の台頭のように、いま現在の日本の社会像のモデルの一つをこの時代の英国に求めることもある程度可能なのではないかと。なので、全く「断絶」している数多くの歴史的世界と違って、断絶しつつも「連続」の面があるため、その二面性が多くの人の妄想を受け入れやすくしている要因なんじゃないか、そう思うわけです。
 以前、「メイド」を巡るあり方を二分してみた愚論をものしましたが、二分というのはやはりあまりに大雑把で、様々な妄想の託され方のパターンを、もっと細分化して具体的に論じた方が良いとは思います。そして、おそらくは「連続」「断絶」の分け方と、上掲愚説での「フレンチ系」「クラシック系」とは、ある程度ずれているのだろうと思います。

 さてさて、小生は「メイド」について考える手がかりとして「近代家族」という概念を始終振り回していますが、要するに家族を公的な世間と離れた私的な安楽の場と捉える中で、「メイド」の存在意義が薄れていったのではないか、みたいなことを考えております。
 で、その「近代家族」の理想的居住地として形成されたのが、郊外住宅地です。日本では郊外住宅地開発に当たって、関西の阪急・関東の東急に代表されるような私鉄の影響が大きかったことは、夙に知られています。こちらの記事でも以前に書いたりしました。
 よく知られているように、日本の郊外住宅地の代表選手・田園調布のモデルは、イギリスのガーデン・シティであるといわれています。ハワードが著作でガーデン・シティ構想を説いたのがまさにヴィクトリア朝最末期の1898年、レッチワースの建設開始はヴィクトリア女王が没してエドワード朝になって間もない1903年。ヴィクトリア朝の終焉は、お屋敷から郊外住宅地へ、ブルジョワジーのあるべき住宅像が移り変わる時代なのであります。
 というわけで、小生は「新春メイドさん放談2007」の第一部末尾にて、「鉄道の話もメイドさんの話も近代史としては同じ」と放言するに至ったわけであります。
 その時点ではただ単に自分の二つの興味が繋がった、ということしか考えていなかったのですが、これを「断絶」と「連続」というように考えてみると、実は「メイド」が多くの人の妄想を受け入れられる理由にもなるのかな、とも思った次第なのでした。

 ただここで留意すべきことは、郊外住宅地の起源は明らかにイギリスであり、その起源は18世紀末にまで遡りうるのもであるとしても、日本に移入される以前にアメリカに渡ってある程度の発展を遂げており、日本に来た「ガーデン・シティ」も実はアメリカナイズされたものなのではないか(ハワードの構想の与えた影響は、直接的にはあまり大きくないのでは)という疑問を小生は抱いております。
 そう思ったのは、以前もちょっと触れましたが、『ブルジョワ・ユートピア 郊外住宅地の盛衰』という本を読んでの疑問なのですが、日本において郊外開発にもっとも大きな貢献をした電鉄業の経営や技術を見るとその疑いは更に濃くなります。大体電車の制御器だの台車だのという重要パーツの輸入先は、大部分アメリカなので(除デッカーの制御器)。

 『ブルジョワ・ユートピア』では、アメリカ最大級の郊外の例として、ロサンゼルス近郊が出てきます。この地ははじめ大規模な電鉄網によって開発され、その後自動車の普及によって、郊外は中心のない新たな形へと変化を遂げ、そのため電鉄網は全廃されたという歴史をもっています。その電鉄がパシフィック・エレクトリックといいますが、同社は最盛期には1700キロの路線網を有し、アメリカでも最大級の電鉄会社でした・・・が、その電鉄は1961年にすべて消滅します。詳細はこちらのサイト参照。
 ちなみに、猪瀬直樹『土地の神話』を読むと、田園都市会社の渋沢秀雄は、イギリスのレッチワースより先に、ロサンゼルスからパシフィック・エレクトリックで結ばれたパサディナを見に行っていることが分かります。
 アメリカに最盛期2万キロ以上あったという電鉄網は、ほとんど廃止されてしまいました。ここが日本と鮮やかなコントラストをなしており、ここから日本近代の特質もうかがえるのではないかと考え、博士論文のネタにしようと目論んだりしています。
 というわけで、日本の郊外と電鉄業にあり方を考える上では、アメリカについて知る必要があり、その中でも代表的なロサンゼルスを含む南カリフォルニアには、アメリカの電車を含む鉄道の一大博物館があるので一度行きたいとかねがね思っておりましたが、こんなマニアックなスポットにツアーなどあろう筈はなく、また個人旅行で行くにしても公共交通機関もないらしく、夢のまた夢と思っておりました。英語力もアレだし。

 が。
 当ブログにも折々コメントを下さる、海外旅行上級者の東雲氏が、この博物館に一緒に行かないか、と先日急遽お誘いくださいました。ゴールデンウィーク明けで格安航空券もあるとかの由。
 というわけで、明日から日曜まで渡米します。このブログもその間お休みさせていただきますので、何卒ご諒承下さい。

※追記:アメリカ旅行の顛末はこちら。パシフィック・エレクトリックの車輌も登場。
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by bokukoui | 2007-05-07 23:58 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(9)

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Commented by spade16 at 2007-05-08 01:26 x
よくわからないけど、メイドだのヴィクトリアだの(失礼)もいつか話した(書いた?)「自分は高尚なものを好んでいるんだ」っていうオタクの自己弁護理論のひとつだよなー。アニメに「軍事・政治」などをからめてみたりしてね。
何が言いたいかというと、りりかるなのはSSをうっかり見てしまったが、あれのどこが(以下略。
Commented at 2007-05-08 02:00 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by bokukoui at 2007-05-08 05:59
全くご指摘の通りで、以前「軍事」に関してご指摘下さった通りのことが、「メイド」でもある程度似たような状況になっていると思います。そして、そのような状況をメタ視点から分析したつもりになっているこのブログの主が、もっとも悪辣な自己弁護者であることもまた、自明な結論でしょう。

『なのはSS』は1話半で挫折し、視聴後『児童虐待全書』の「子ども兵士」の項目を読んで心を癒す必要がありました。

あと、ご注文の品の意味が日本語で既に分かりません(イメージ検索したんだけど)。すみません。
Commented by 久我真樹 at 2007-05-13 13:20 x
お久しぶりです。

「妄想の対象としての「メイド」について思うことなど」の部分的な参加者でもありつつ、一連の流れから外れておりましたが、機会があったので、自身の立場を書かせていただきました。

あまり深い内容ではないですが、テキストが長すぎたので、自分のブログに書きました。以前問いかけていただいた矛盾に対する答えなど、何かしら論考におけるご参考になれば、幸いです。

http://d.hatena.ne.jp/spqr/20070513#p1

トラックバックは一つ前のエントリにしてしまいました……
Commented by 鏡塵 at 2007-05-14 02:50 x
ご丁寧に有難うございました。

「近代」という問題意識においては、末期ヴィクトリア朝と現代日本社会(の「メイドさん」状況)とが「連続」している、というのはまさしくその通りだと思います・・・と言いますか、この墨東公安委員会さまの反論が聞きたいがために、わざわざ「断絶/連続」などという、いまさら講座派・労農派でもなかろうに、という言葉遣いをした、というところが多分にあるわけなのですが(笑

「公/私」の問題(家族と公共性の問題)として「メイドさん」を考える、というのは実に魅力的なテーマ設定ですね。私も少し考えてみたいと思います。
Commented by WURE at 2007-05-14 19:08 x
 ホームページ紹介ありがとうございます。

 「メイド」と「近代家族」を手がかりとした、アメリカの電鉄産業と郊外住宅地の展開についての話題展開、面白いです。私の関心は建物にあり、スラムに残る古典主義建築の廃墟を眺めながら存在していたかもしれないヨーロッパ的な町並みと賑わいを持つアメリカの都市というのを妄想するのです(ディズニーランド調になります)が、そこに人物を介在させて考えるというということはあまりしないので興味深く感じました。
 ただ、アメリカでこうした議論を展開するのはなかなか難しいのではないかなと思います。私のテリトリーの電鉄業だけで見ても複雑怪奇だし、アメリカの郊外発展とか家事産業とかには人種の問題も絡まってくるので・・・、そこが単なるオタクの会話を超えた理論展開の鍵になるのかもしれませんが・・・
Commented by bokukoui at 2007-05-16 18:28
>久我様
帝国メイド倶楽部をご欠席された由、お悔やみ申し上げます。
小生も数年前の帝国メイド倶楽部を、全く同様の事情で遅刻したことがありました。

今思えば勝手かつ一方的であった小生の放言に、懇切にお付き合い戴きまして、大変有難く嬉しく思っております。
記事を拝読し、小生としても色々と触発されるところがあり、しかしまた拠って立つ位置や眼差しの方向の相違もある程度見えたようにも思います。これだけ種々の立場を「メイド」というものが受け入れてきたということを、改めて面白く感じました。
お示し下さったご意見を元にまた何か書いてみたいとも思いますが、ただそれは、歴史の立場から「メイド」や創作の関係を考えるものになりそうで、久我様のご興味とはますます離れて行ってしまいそうにも思います。それだけの距離があるということそれ自体にも意味はありそうですが・・・。

出す出すといい続けている『メイドさんの時代の黄昏』の目処は全く立っておりません。こればかりは誠に申し訳ない次第です。

改めて、この度は本当にありがとうございました。この続きも可能であれば書きたいと思いますので、今後とも宜しくご鞭撻の程お願い申し上げる次第です。
Commented by bokukoui at 2007-05-16 18:56
>鏡塵さま

見事に術中にはめられてしまいました(笑)
「連続 / 断絶」といえば、日本近代史業界ではもっぱら戦争と戦後改革の前後を巡る議論で出てきますが、目下の流行は連続説であり、小生もまた交通統制でそんなことを読んでいただけに、ついつい「連続」寄りになってしまっていたようです。

ただ、「メイド」を巡る諸言説の多くは、末期ヴィクトリア朝中産階級と現代日本中流階層の「連続」を無視して、断絶の側面のみ目を向けているようなところがあり、そこらへんがまた興味をそそるところです。

>「公/私」の問題(家族と公共性の問題)として「メイドさん」を考える、
>というのは実に魅力的なテーマ設定ですね。
>私も少し考えてみたいと思います。

是非、お願いします。小生もこの点はまだまだ他にも発展できると思いますので、いろいろ考えて行きたいと思っております。
Commented by bokukoui at 2007-05-17 11:40
>WUREさま
今までサイトは長らく読ませていただいておりましたが、こちらにコメントをいただけるとは夢にも思っておりませんでした。大変嬉しく思っております。

小生は順当に、といいますか、日本の鉄道、特に電鉄の歴史に関心を持って色々見ていくうちに、日本の電鉄のことを知るためにはアメリカのことを知る必要があるのではないか、と思ってアメリカにも関心を持つようになった次第です。しかし、アメリカが日本に与えたであろう影響からすると不自然なほど、アメリカの鉄道に関する邦語の文献は少なく、そんな中で見つけたWUREさまのサイトは大変参考になりました。

というわけで、関心の方向がWARUさまとは少し異なっているのかとも思いますが、日本との比較や系譜の検討にしても、電鉄業のみならず、電力業や不動産業、できれば流通業などへの目配りも必要になってくるわけで、そのように色々考えて行くことはきっと「単なるオタクの会話を超えた理論展開」へと繋がるのではないかと思います。
今後とも何卒宜しくお願い致します。

なお近日中に、あまり対したものではありませんが、オレンジエンパイア鉄道博物館の探訪レポを掲載予定です。
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