お気楽アメリカ紀行(3)~オレンジエンパイア鉄道博物館・その2

 昨日に引き続きオレンジエンパイア鉄道博物館の話をしようと思ったのですが、なんと近代海事史上屈指の遺産であったカティ・サークが炎上とのこと。保存体制が整っていたからといって安心することは出来ません。
 修理中だったそうなので、船内の品物は陸上げられていたらしく、何とか復旧されることを祈るばかりです。
 それにしても、こういったものを後世に伝えることの難しさを改めて感じさせられる事件でした。

 話を戻して、「お気楽アメリカ紀行」のその3です。他の記事はこちら。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2(この記事です)
 (4)パームスプリングスのロープウェイ
 (5)パットン将軍記念博物館
 (6)フェニックスからセドナを経て
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
 (11)デス・ヴァレー国立公園
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 博物館でその他目に付いたものを簡単にご紹介します(写真は特記なき場合クリックすると拡大表示します)。といっても車庫の中は見ていないわけですが。
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サクラメントノーザン鉄道の機関車
機関車の後ろはサザンパシフィックの客車

 サクラメントノーザン鉄道もインターアーバン(都市間連絡電車)の一つで、サンフランシスコ対岸のオークランドからカリフォルニア州州都のサクラメントを経て、その北方のチコまで走っていました。オークランド発チコ行きの列車が運行されており、その走行距離は177マイル(285キロ)に達し、全米の電鉄中最長距離の運転だったそうです。
 ちなみにこの距離は、東海道本線に当てはめると、東京から豊橋のちょっと手前になります。日本で1950年に国鉄による東京~沼津間長距離電車の運転、所謂「湘南電車」の開始時に、占領軍がそんな長距離の電車の運行に難色を示したので、当初は適当に横須賀線同様の郊外電車です、と誤魔化しておいて、うやむやのうちに沼津まで伸ばしたという話を古い鉄道雑誌で読んだことがあります。しかしアメリカ本国でこんな長距離電車が走っていたのだとすれば、この話はちょっと怪しいなと思います。もっとも、高速道路が出来たせいでサクラメントノーザンは1940年に旅客営業をやめて貨物専業になっていたらしいので、占領軍当局も長距離電車の時代じゃないと思った・・・ってこともないだろうなあ、当時の日本の道は「国道は酷道、県道は険道」という状態だったことは占領軍だって充分分かってたでしょうから。
 更に余談ですが、湘南電車のことを「日本最初の長距離電車」と書いていることが良くありますが、戦前に開通していた飯田線の方が距離は長かったんじゃないかとか思うのであります。あとやはり戦前で言えば大阪電気軌道+参宮急行電鉄、のち関西急行鉄道を経て現近畿日本鉄道の上本町~宇治山田間も、東京~沼津よりちょこっと長かったはず。しかも飯田線や参急は勾配にも厳しい条件がついていたので、技術的にはこっちの方が難しそうな・・・。

 話をアメリカに戻します。
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プルマンの重厚な客車たち

 寝台車で有名なプルマンの、二重屋根で金属製車体という見るからに重厚な客車です。履いている台車もごっつい3軸ボギー台車。プルマンについては、WUREさまのサイトこちらの記事をご参照下さい。客車は他にもいろいろあり、あるプルマン車のデッキに上ってみたところ、その車輌を最初に鉄道会社から取得した人がこの博物館に車輌を寄付した旨を記したプレートがありました。こういうところにアメリカの鉄道趣味の深みを感じさせられます。まあ土地が広いということも大きいと思いますけど。
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モハヴェノーザン鉄道の機関車と貨車いろいろ

 蒸気機関車もあります。これはモハヴェノーザン鉄道 Mojave Northern Railroad の機関車で、水タンクがボイラーの上に乗っかった(サドルタンク)タイプ。
 機関車のすぐ後ろの、妙に腰が高い無蓋貨車は銅山で使われていたものらしく、銅鉱石を積むのであろう無蓋の荷台の下に、空気圧で荷台を横倒しにする機構が備えられています。エアーシリンダーや配管など色々ついていて壮観でした。

 敷地を横切って北側へ移動。途中でグッズを扱うお店に寄ります。ここは幸い平日でもやっていました。中には鉄道関連の書物やDVD、記念品の類やTシャツ、帽子などが並んでいます。小生がここで書籍漁りをはじめたのは勿論ですが、こと書物を買うことに関しては実家の庭に書庫が建っているH氏の勢いには敵いません。なんだかんだで二人ともドルで三桁の書物を買い込んだ(でも小生はH氏の半分くらい。買った本についてはまたの機会に)のですが、異国から来て貿易赤字解消に協力した我々を多としたのか、いや単に荷物が多かったからだと思いますが、レジのおばちゃんは本来売っているグッズの一つであるバッグをおまけにくれました。色を選べというので、小生は迷わず"Red!"といいました。で、「やっぱレッドカーの色ですよね」と言ったけど通じなかった・・・(泣)
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おまけでもらった博物館ロゴ入りバッグ(この写真は拡大表示しません)

 店を出て、博物館北西部の、貨物線からの引込み線附近に置かれている車輌群を見に行きます。
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機関車・貨車がいろいろ
真ん中の線路は3フィート(914ミリ)のナローゲージ

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放置?されているモーター付き輪軸
後ろに見えるのはユニオンパシフィックのミカド形蒸気機関車

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アメリカ陸軍の給食(?)車

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アメリカ海軍の貨車

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アメリカ空軍の機関車

 流石アメリカ軍。補給体制に抜かりなし、三軍の車輌が揃い踏みです。あと海兵隊があれば完璧だなあ、なんて思ったら、なんと数日後に思わぬ出来事が・・・。

 その他、立入禁止とされた広い区域に、まだまだ未整備の車輌が多数転がっており、コレクションはえらい数でした。
 電車も、昨日紹介したもの以外にも更にいろいろとあります。今日は見られませんでしたが、京都市電もある由。
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PEの荷物電車・電車、その他カブース(車掌車)もたくさん

 手前の丸窓三つの正面の電車はPEの荷電で、荷電の後ろに見えているのは「ブリンプ」の車体(台車はなくて自動車のトレーラーみたいな足回りの上に仮置きされている)ですが、この辺は流石に傷みが激しいようです。カブースは他の場所にも何両も置かれており、かなりの数がコレクションされているようです。貰って来やすかったのでしょうか。またこの陰にはかなりボロボロながら路面電車もありました。
 この手前の荷物電車の台車は、日本でもお馴染みのボールドウィンのものでした。
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荷物電車の台車(この写真は拡大表示しません)

 さて、昨年小生が北陸を巡った際、えちぜん鉄道で戦前ごろ製と見られる古い台車を履いた電車を見た話を書きましたが、その台車はこんなでした(車内から撮影したのでややボケている点はご容赦を)。
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えちぜん鉄道の電車の台車(元南海)(この写真は拡大表示しません)

 同系列の台車であることがお分かりいただけようかと思います。アメリカの電鉄技術が日本に移植されていたことを示す、分かり易い例ですね。

 更にこの博物館は、鉄道のみならずバスまで保有していました。
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トロリーバスたち

 屋根の上にポールがあることから、これらはトロリーバスのようです。トロリーバスのことを日本語で「無軌条電車」というくらいですので、電車の兄弟分としてここに置かれているのでしょう。

 以上、かなり長くなってしまいましたが、車庫が閉ざされていてさえここまで挙げた車輌以外にもまだまだ数多くの車輌を見ることが出来ましたし、また信号の類も保存展示されていました。2、3時間程充実した見学を楽しみましたが、やはり週末に再訪したいと思った次第です。この日の見学も結構駈足でしたので。
 あと土産物についても、その後訪ねた所ではそれほど心惹かれるものが多くなく、最初のここで買物は全部してしまった方が良かったのではないかというのが、今となっては正直な感想です。率直に言うと、土産を配るという風習は嫌ですね。実質のない儀礼であることが多いし、実質あるものを買おうとすると選択に苦しむし、そもそも荷物が増えるし。
 それはともかく、オレンジエンパイア鉄道博物館の見学を終え、次なる目的地(今日の宿泊地)に向かいます。ということで続きは次回
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by bokukoui | 2007-05-22 23:59 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(2)

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Commented by mn at 2007-05-23 19:39 x
ソース示せなくて申し訳ないのですが、占領軍の鉄道担当が、自分の了見だけで物事を判断する人間だったとかいう話を読んだ記憶があります。湘南電車の件
Commented by bokukoui at 2007-05-26 21:12
情報ありがとうございます。やはり例のシャグノンのせいでしょうか。
鉄道担当者といっても、インターアーバンとは別系統の人だったのかもしれませんね。
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