歴史教科書関連の話題

 「教育再生会議」が、床屋政談的な報告書をまたぞろ提出したという話、ではなくて(この話題については過去に論じた以上のことはないので)、昨日ネットで見てちょっと驚いた以下の記事についてです。

 <新しい歴史教科書>つくる会が扶桑社と決別 出版社公募

 何事ならんと「つくる会」のサイトを覗いてみたところ、会員向けにことの経緯を説明した資料がちゃんとありました。

2006.11.30.教科書の継続発行を扶桑社に文書で申し入れ
2007.3.1.『新しい歴史教科書』『新しい公民教科書』の継続発行について
2007.5.11.教科書発行に関する「つくる会」の見解を決議
        あくまでも、趣意書にもとづく『新しい歴史教科書』を守る
2007.5.25.扶桑社との交渉結果の報告
2007.5.31.新会長に藤岡信勝氏を選出 小林会長は解任 新副会長に杉原誠四郎氏

 以上の経緯を見ると、といっても「つくる会」側の資料ばっかりしか見てませんけど、毎日新聞の記事の見出しのように「つくる会が扶桑社と決別」というよりは、「扶桑社がつくる会と決別」という方が経緯としては適切そうですね。先に手切れを図ったのは扶桑社のようで。
 扶桑社が作るという教科書会社「育鵬社」は、検索してみましたがまだサイトがないようで詳細は分かりません。ただ、これで検索すると「作る会」関係者らしき人たちのサイトやブログ、掲示板などが引っ掛かります。例えば「自分がこの社名を決めた」と豪語される方もおられます(本気なのか良く分かりませんが。そもそもこの記事の文章――引用されている文章をも含む――は、思想以前に罵詈雑言ばかりで理性的な議論をしようという精神が見えないのです)。で、これらを幾つか読んでみましたが、どうもいろいろな派閥が抗争しているような状況のようですね。藤岡信勝・西尾幹二・八木秀次といった名のある人々に、それぞれ支持・不支持の立場か複雑怪奇(by平沼騏一郎)に入り乱れているようです。
 「つくる会」の資料を読むと(5.25.付け)、扶桑社はかなり露骨に以前のままでは算盤が立たない、という趣旨のことを言っています。内紛続きの「作る会」とは手を切って、もっと話のつけやすそうな保守文化人に声をかけて、商売をやり直そうということでしょうか。内紛の酷さは、「育鵬社」検索で引っ掛かった幾つかのサイトの内容からも察せられますが、お互いに「親中国的」「元共産党」「元社会党」「朝日に媚びた」などと罵倒しあっていて、まあこれでは確かに距離を置きたくもなりますな。

 このブログをある程度お読みいただいた方でしたらお分かりと思いますが、小生は「つくる会」のような、つまり「自虐史観」という言葉を振りかざすような立場に批判的です。ですから今回、「つくる会」が扶桑社に見放され、どうやら藤岡シンパしか残っていなさそうな状況になったことを「ざまあ」と思う心情があるのは確かであります。しかしだからといって、必ずしも「つくる会」の教科書に対し反対活動をされていた方々のやり方を正しいと思っているわけでもないことは、以前こちらに書いたとおりです。
 で、まあその繰り返しにある程度なってしまうのですが、やはり「ざまあ」と思うだけでは駄目なのでして、なんとなれば今回のような騒動に至った大きな理由は、それなりに大きな運動になったかに見えた「つくる会」の教科書が案外売れなかったことにあるわけで。そしてなぜ売れなかったとかという点に関しては、「教科書を最も真面目に読むのは受験生である」という実も蓋もない、しかし重要な点が抜け落ちていると思います――左右両方とも。この点への反省なしに扶桑社が事業を起しても成功は望めません(但し、学校以外に市販して儲けるという路線は多いにあります。むしろ採択合戦するより商売としては合理的かもしれません)。
 2001年に扶桑社の教科書を採用したのは、東京都と愛媛県の養護学校でした。実も蓋もないことを言ってしまえば、受験との距離が遠いところだから採用した、ということかもしれないと思います。

 とまれ、イデオロギー闘争に見えるようなことでも、経済的要因も重要なことがあるのだ、という風にまとめれば、昨日の話題にもいくらか通じるのかもしれません。「運動」の興隆と崩壊のケーススタディという点では、「つくる会」に学ぶべきところは相当にあると思います。
 そして小生は「育鵬社」の歴史教科書の座長が伊藤隆先生であるということを読んで胸中複雑な思いを抱かざるを得ず、更に「つくる会」関係の人々がこの決別・分裂騒動に関して藤岡、西尾、八木、小林、屋山、といった諸氏の名を取り沙汰する中で、伊藤先生について言及する人がほとんどいないということに、更にフクザツな感慨を抱くのでした。
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by bokukoui | 2007-06-01 23:58 | 歴史雑談