お気楽アメリカ紀行(11)~デス・ヴァレー国立公園

 長期連載企画のアメリカ旅行記も佳境にさしかかりました。旅行記の他の記事は以下を参照。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2
 (4)パームスプリングスのロープウェイ
 (5)パットン将軍記念博物館
 (6)フェニックスからセドナを経て
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
 (11)デス・ヴァレー国立公園(この記事です)
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 旅行も4日目です。今日はラスヴェガスを出てデス・ヴァレーを観光し、ロサンゼルスに戻るという予定です。今日の行程についてはこちらの地図をご参照下さい。

 昨晩の就寝は決して早くはありませんでしたが、今日の行程も長いので朝食も摂らず早めに出発します。昨夜のフランス料理ビュッフェのお蔭で一夜明けてもまだ満腹だったもので(笑)。やっぱりあのこってりぶりは、フランス料理と銘打っていても結局はアメリカだったということなのでしょうか?
 K氏の運転で国道95号線を北西へとひた走ります。遠くに山並みが見えますが、あたりは一面の乾燥した草原で、勾配もカーヴもあまりなく走りやすい道が続きます。とはいえデス・ヴァレーの入口であるビーティ Beatty の街までは200キロぐらいあり、それなりに時間を要しました。途中、小腹が空いたので軽く朝食。といっても街など碌にないところでどうしたのかといえば、昨日ウォルマート(キングマン店)でH氏が購入したもののお蔵入りになっていたサンドイッチを3人で分けて食したのでした。やはり1人前というのは無理があるぞあのサイズ。
 飲み物については、これまた昨日ウォルマートで買い込んだ2ガロン半入りポリタンクを持参していますが、うち一つ(ブランド?なのか他のより少し高かった)を昨夜泊まったホテルの立派な冷蔵庫の冷凍室に放り込んでおいたところ、一夜明けたら芯まで凍り付いていて、お蔭でこの日はほとんど一日中冷たい水が飲めました。それにしても恐るべきはアメリカの家電のパワー。ちなみにこの凍結ポリタンク、車内に持ち込んでも気候が乾燥しているせいかほとんど結露しませんでした。
f0030574_23303322.jpg
ネヴァダ州の草原の道端で小休止

 さらに国道を進みます。途中、沿道に「刑務所あり ヒッチハイカー乗せるべからず」という看板が立っていて、なるほど道路からだいぶ隔たったところに柵で囲まれて監視塔らしきものを備えた施設が見えます。こんな場所、仮に刑務所から脱走できても、車に乗れなかったら渇きで死んでしまいそうです。
 途中のごく小さな集落で給油します。1ガロン3.2ドル。1リットル百円ちょっと、とは昔と比べると日本との較差はだいぶ縮まったという感があります。
 この小集落、ガソリンスタンドの他碌に建物も見当たらなかったのですが、ただこんな気になる看板がスタンドと一緒の敷地に建っている建物についていました。
f0030574_23402187.jpg
 で、この矢印の先の建物がまたけばけばしいピンク色で、「アダルト」だけにある種の妄想を書き立てられずにはおられなかったのですが(笑)、実際のところは24時間営業の酒も出す飲食店にスロットマシーンが設置してある、という以上のものではないようです。

 閑話休題、右手にネヴァダの軍の施設があるはずで、軍の施設に行く道が分岐して若干の建物もありましたが、特に何か目を惹くものはありませんでした。山の陰には何かあるのかもしれませんが(核実験のクレーターとか?)。
 そんなこんなでビーティの街に着きます。ここで左に曲がり、州道374号線に入って、いよいよデス・ヴァレー国立公園に向かいます。それなりに山道ですが、大陸だけあって峠を一つ超えたら道が一直線。しかも地平線の果てまで他の車が一台も見えないという風景になりました。些か感興を催した我々は車を停めて記念撮影。
f0030574_2348547.jpg
 この絵だけならポスターにでもなりそうで、「道は未来へと果てしなく続く」などとかっこよさげなキャッチコピーでも入れると宣伝に使えそうです。
 まあ実際には、この道が通じているのは「死の谷」なんですけど。

 デス・ヴァレー国立公園に入る前に、廃墟マニアだというK氏のご発案で、ライオライト Rhyolite というゴーストタウンになった街の跡に立ち寄ります。かつては鉱山があって鉄道も敷設されていたそうですが、廃坑となるとともにゴーストタウンに化してしまったのでした。もっとも今はその廃墟が観光地になって、多少は人が来るようになったのが皮肉といえば皮肉ですが。
 この旅行初の未舗装路に車が突入し、少し山道を登るとライオライトの街の跡です。下の写真はクリックすると拡大します。以下も基本的に同じ。
f0030574_013732.jpg
ライオライトの廃村

f0030574_0141148.jpg
旧ライオライト駅の駅舎

 一渡り見て元の道に戻り、また一つ峠を越えて、デス・ヴァレー国立公園の区域内に入ります。公園の入口に当たるところに東屋とトイレを備えた休憩所があり、そこに国立公園入場料の自動支払機があります。グランドキャニオンでは入口に有人料金所がありましたが、デス・ヴァレーは自販機で払って領収証を車に掲示しておく方式です(おそらくはグランドキャニオンの方が特異なのでしょうが)。
 トイレは、便器の蓋を開けると中が深い穴になっていて、土がむき出しになっています。まあ水洗トイレをこんなところに作るはずも無いでしょうが、かといって汲み取り式でもなさそうな。デス・ヴァレーのトイレは大体みなこの方式でしたが、どのような構造なのかはよく分かりません。

 峠を越えて、どんどんと道は下っていきます。デス・ヴァレーは皆様ご存知の通り、アメリカ大陸で一番標高の低い地域で、最も低いところでは海面下86メートルに達します。また極めて乾燥した土地で気温も高く、最高気温56.7℃を記録しています。そのような特異な地形と気候の土地だけに、他の地では見られないような珍しい景物に接することが出来ます。
 まず我々が向かったのは、「砂丘 Sand Dunes」と呼ばれる白い丘陵が連なる地域。ここは観光名所らしく、時間帯のせいなのかどうなのか、同じ様な観光客に随分と出くわしました。
f0030574_032397.jpg
「砂丘」の展望台からの風景 人も生物の姿も無い「死の谷」という感じだが・・・

f0030574_0335059.jpg
「砂丘」の展望台自体の風景 結構人は多かった(この写真は拡大表示しません)

 砂丘から元来た道を少し戻り、多少道に迷いつつも次なるポイントに向かいます。「死の谷」にも水の出る場所もあるようで、多少木の生えているところもあります。そんなところにデス・ヴァレー国立公園の中心というべき事務所(ファーニス・クリーク・ビジターセンター)があり、立ち寄ります。中は案内所兼展示室兼お土産コーナーとなっています。パンフレット(簡単なものながら日本語版あり)を貰ったり、土産物を求めたりします。例によってH氏は書物を漁り、K氏もゴーストタウンに関する文献を見つけたので早速購入されていました。小生は、「デス・ヴァレーの天然塩」が売っていたら是非買いたいと思いましたが、そんなものはありませんでした(笑)。考えてみれば国立公園の動植物や鉱物を商売のために採集していいはずがありませんね。
 この時ちょうど昼頃で、観光バスでやってきていた団体観光客もおりました。ロサンゼルスまで先は長いので、我々は先を急ぎます。ここで小生が運転を代わり、次なるポイントに向かいます。

 ビジターセンターから南下すると、道路沿いに塩湖が見えてきました。死海で泳いだ(?)こともあるらしいK氏などとは異なり、小生にとってははじめて見る存在です。塩湖が完全に干上がって、結晶した塩の塊がぼこぼこと連なっている場所に差し掛かります。その地形から「悪魔のゴルフコース」と呼ばれている場所です。その干上がった塩湖跡の中に、見学のため道がつけられています。早速そのダートの道に入り込んでみました。塩を均した道だったら車が錆びたりしないかなどとちょっと思いましたが、これはちゃんとどこからか土を持ってきて作った道のようです。塩湖の真ん中の駐車スペースに車を止め、周囲を見学。
f0030574_115744.jpg
「悪魔のゴルフコース」 手前の白っぽい場所は塩

 他の観光客が立ち去って我々だけがこの場所に取り残されると、強烈な日光の下で静けさがひとしお身に沁みます。あまりにも静か過ぎて耳がかえって痛くなってくるような、不思議な気分です。人気の少ない場所は他にも行きましたが、こんな奇妙な感覚にとらわれたのはデス・ヴァレーだけでした。まさに「死の谷」たる所以のようにも思われました。
 あたりのぼこぼこはすべて塩。多分ここに来た人間の大部分はやっているでしょうが、ひとつまみ舐めてみると確かに塩味です。
 塩味で思い出しましたが、この日の車内で運転していない時、小生は昨日ウォルマートで買い込んだポテトチップスを食していました。普通の塩味のものを買いましたが、日本のそれより塩がきついように思われました。一口食べるとパンチが効いて旨い気がしますが、大量に食べるのはつらいです。しかし量がまた洒落にならんくらいあるわけで・・・。

 ロサンゼルスに至る高速道路の方向へ、段々と南下しながらスポットを廻ってきた我々ですが、次はこのデス・ヴァレーの中でも最低標高地点に近い、バッドウォーターなどと呼ばれる(確か)塩湖のほとりに車を停めます。ここには桟橋のような設備があって、塩湖を間近に眺めることができます。
f0030574_128267.jpg
塩湖の風景

 塩湖といっても干上がって塩の平原になっている箇所も広く、水の部分も食塩の飽和水溶液状態だろうと思われます。しかし上の写真に写っている通り水辺には草が生えており、目を凝らして塩湖の水を見るとなにやら小さな虫が数種類、蠢いているのが観察されます。こんなところでも生きていける生物がおり、決して「死の谷」では無いということがわかります。
 塩湖に突き出した桟橋状の設備の側から湖と反対側を見上げると、湖の側まで迫った崖がそびえています。その中腹に、海面の位置を示す看板が立っていました。
f0030574_1395438.jpg
塩湖から見上げる海抜0mの高さを示す看板

 デス・ヴァレー国立公園は、アラスカ以外ではアメリカで最も広い国立公園だそうで、見て廻るポイントはまだまだ幾らでもあります。しかし先の行程を考えるとそう長居は出来ません。我々は観光をこの辺にして、ロサンゼルスに向かいます。州道178号線でデス・ヴァレーの谷を東へ向いて抜け、Shoshone という街から州道127号をひたすら南下して、州際高速道路15号に出るというルートです。
 このルートは小生が運転しましたが、峠越えあり平原あり、沙漠あり草原ありと風景も良く、なによりほとんど他の車を見ることがない(パトカーも)という交通量の少なさもあって、実に快適なドライブを楽しむことが出来ました。アメリカで運転して楽しかったなとつくづく思い出される区間でした。

 その少ない他のクルマで、印象に残っているのが2台あります。
 それはまだデス・ヴァレーを抜ける前のことだったかと思いますが、カーヴの続く塩湖の湖畔を快適に運転していた時のこと、ふとバックミラーを見るとアメ車スポーツカーの代表選手・ムスタングが後ろにくっついています。スポーツカーだから飛ばしたいのかな、どこかで道を譲ろうかなと小生が考えているうちに、ムスタングは強引に我々の車を抜き去っていきました。
 ムスタングの後ろをしばらくくっついて走りますが、見ていると直線区間では思いっきり加速するくせにカーヴの手前になると急ブレーキをかけて減速するという、はっきりいってヘタな運転。君、エコドライブって言葉知ってる? 小生はちゃんと前方のコースを見て速度を加減し、急な加減速をしない運転を心がけていました。ガイドブックに「デス・ヴァレーで怖いのはオーバーヒート。アクセルを踏みすぎたり車に負担をかける運転は禁物」と書いてあったのにねえ・・・。
 そのうちムスタングは一旦視界から消えましたが、すると今度はバックミラーにカローラの姿が。このカローラも飛ばします。こともあろうに我らがリンカーンを追い抜いていきました。むむむ。しかしここは慣れない異国の地。無理は禁物と安全運転を心がけてカローラを追跡することは控えます。
 しかし間もなく、道が峠越えの区間に差し掛かると、件のムスタングとカローラが前後に並んで走っているのに追いつきました。やはり運転がヘタだったらしいムスタング、カーヴの続く峠越え区間ではスピードが出せずカローラに追いつかれてしまったようです。ぴったりとムスタングの後ろをつけて走るカローラ。遂に振り切ることが不可能と悟ったのか、ムスタングはカローラに道を譲ってしまいます。なんと情けなやムスタング。まさに「トヨタに抜かれるGM」を象徴する光景に、後続の我々は大笑いしたのでした。
 H氏の見立てでは、このムスタングはレンタカーだったのではないか、だから運転がヘタだったのではということです。ムスタングは人気があり、レンタカーでは数が多いけれど、かといって実際に個人で買う人はそこまで多くはないのだとか。

 そんなこんなで平均時速60マイル程度(だったと思う)の快適なドライブを続け、時には沿道に幾つも立ち上る小さな竜巻に目を奪われたりしつつも、約200キロを一度も停車せず走ってインターステート15号線に入ります。高速道路のPAで運転を再びK氏に交代、流石に少々草臥れたので小生は後部座席でくつろぎつつ、インターステートと併走する貨物列車を観察したりしていました。コンテナを2段に積んだ列車が行き交います。前部座席ではK氏とH氏がどこで給油しようかと相談していますが、小生は線路ばかり見ていました。
 あ、また列車だ。貨車は長物車で、停まっているみたい。積荷は茶色の車輌が・・・どう見ても軍用車です。目が点になりました。ちょうど給油のために高速道路を降りる相談をしていた二人に、小生はあれが何か見に行くことを懇請。で、ガソリンの都合もあって結局高速道路を降りることとなりました。その場所の航空写真はこちら。Yermo という街でした。
 高速道路を降りたらすぐガソリンスタンドがありましたが、小生はちょこっと車から降ろしてもらって、フェンス越しに写真を撮りました。軍用車輌を積んだ貨車が、何編成も引込線に留置されています。別に見張りもいなかったので、道路から写真は撮り放題でした。小生は現用兵器には詳しくないので、現用米軍兵器マニア諸氏の教えを乞う次第です。写真は従前同様クリックすると拡大しますので。
f0030574_226584.jpg
引込線に軍用車を載せた貨車がいっぱい

f0030574_228479.jpg
装甲車? 自走砲から砲身を撤去したような車輌

f0030574_2301736.jpg
工兵用車輌?

f0030574_2341599.jpg
トラック、装輪装甲車などなど

f0030574_2342661.jpg
これは間違いなくM1エイブラムス戦車

f0030574_2353872.jpg
戦車が見えるだけで1ダース

 この施設の看板を見たりするに、ここは海兵隊の補給基地(正確にはバーストー海兵隊補給廠ヤーモ分廠 Barstow Marine Corps Logistics Base Yermo Annex)なのでした。
 オレンジエンパイア鉄道博物館で陸海空三軍の鉄道車両を見た話を書いたとき、海兵隊について思わせぶりなことを書きましたが、つまりこうして現用の海兵隊の貨車と戦車・装甲車の類を見ることが出来たというわけです。
 ところで、M1戦車はいくつかヴァリエーションがあるとはいえ、現用のなら重量60トンは下らないはずです。で、写真を見ると貨車に戦車を2両づつ積んでいます。貨車が履いている台車は、どう見ても2軸ボギー台車のようです。60トンの戦車2両を積む貨車はそれなりの強度が必要なはずで、少なくとも自重20トンくらいはあるのではないかと思います。となると、戦車×2+貨車で計140トンはあろうかという重量を、たった4軸で支えていることになります。1軸あたり35トン。うーんアメリカ、軌道の負担力が大きいなあ。
注:JRでは1軸あたりの重量=軸重は最大16.8トン。機関車牽引の列車の場合、牽引力は機関車の動輪にかかる軸重の合計によって規定される。つまり1軸あたりにかかる重量の許容度が大きいほど、長大な貨物列車を運転するのに有利な強力で重い機関車を使用できる。日本はかつて「建主改従」政策を採り、幹線の改良よりローカル線建設に重点を置いたため、軌道の負担できる重量が低いままにとどまって大型強力な機関車が発達せず、そこで1軸あたりの重量が少なくても高速運転容易な電車やディーゼルカーが発達した、という指摘がある。つまり日本の鉄道のゲージがアメリカなどの国際標準軌より狭かったことよりも、軌道負担力の弱さがむしろ問題だったのではないか、という説である。
f0030574_329337.jpg
Yermo 補給分廠の様子 この写真だけでも百近い数の車輌が写っていると思われる

 そうそう、本来の目的である給油もしました。最後の写真はガソリンスタンドから撮ったものです。
 で、このガソリンスタンドは給油機にクレジットカードの読取機がなく、店まで払いに行くタイプだったのですが、この店の店員(経営者?)はインド人あたりと思しき様子の人々でした。こんなカリフォルニアの奥にもインド系がいるとは、と印象に残っています。

 こんなところに補給基地がある理由は、おそらくはヤーモ近隣のバーストー Barstow という街が鉄道の一大ジャンクションであることと密接な関係があるものと思われます。バーストーはソルトレークシティで大陸横断鉄道本線と分岐しラスヴェガスを経て南下してきたユニオンパシフィックの路線と、東からやってきたサンタフェ鉄道の本線とが合流する地点で、また線路は南下してサンバナディーノ方面へ至る路線と、西進してモハヴェ砂漠を横断しベーカーズフィールド方面へ至る路線とに分岐します。
 給油後インターステートに戻って走るとすぐにバーストーの街ですが、高速道路からも鉄道の様子は伺うことが出来、しかも高速道路はこの鉄道の本線の下をくぐり抜けています。その時見上げる鉄道の施設の屋根には、でっかく "Barstow" と記されており、この街が鉄道の要衝であることを知らしめているようでした。

 その後は州際高速道路15号線をロサンゼルスに向かいますが、金曜日の夕方という時間のせいか交通量がかなり多く渋滞するようになります。今日の宿はロングビーチなので、助手席でH氏が色々と地図をめくって、なるべく空いていそうな道路を選んでロングビーチへと向かいます。その車窓から一枚。
f0030574_3571847.jpg
ロサンゼルス郊外に林立する送電鉄塔いろいろ

 個人的にはやはり、アメリカで見たいと思ったり見て面白かったものは、人間が作り出した近代の巨大なシステムにありました。送電網もまたその一つといえましょう。・・・そこ、「カリフォルニアは近年大停電して世界の笑いものになったじゃん」とか正しいツッコミは今はしないでね。
 交通やダム・送電線などインフラ物に見ものが多く、広大な大陸にこれだけのものを作り上げた技術者の創意工夫や経営者・政策当事者の決断、営々たる労働の積み重ねには、やはりなんといってもまず敬服の念を抱かずにはいられないのです。小生は別に「親米」ではありませんけど、近代史に関心を持っている結果としてそういう念を抱くに至ったというわけです。
 ただ、それだけの創意工夫が、食卓にのぼる料理の味覚面での向上には少しも向けられて来なかったように見受けられるのは、決して小生の偏見ではないと信じるものです。

 日が傾いた頃、ロングビーチのヒルトンに着きました。部屋からは博物館になっている豪華客船クイーン・メリーがちょこっと見えます。あれも見学できれば陸海空すべてのスポットを制覇したことになりますが、行ったことのあるH氏曰く一日がかりだそうで、またの機会とせざるを得ません。
 夕食はH氏が「日本で見なくなったシズラーをロングビーチで見た」という話を繰り返すので、それじゃとそのシズラーに行きます。その途中でロサンゼルスの路面電車と遭遇。考えてみれば今回の旅行、自動車ばかりで軌道系公共交通機関はパームスプリングスのロープウェイくらいしか乗らなかったような・・・これもまたいつか、ということで。
 シズラーは日本とシステムが異なっていて戸惑いますが、まあ何とか。デニーズよりはましだったような記憶がありますが、大局的には同じ様なものです。そうそう、サラダバーのソフトクリーム製造器の調整がいい加減で、氷の粒がいっぱい出来てしまって食べるとざらざらしたことを覚えています。

 というわけで、旅行も最終日を残すのみとなりました。
 次回はいよいよ最終回、ヴェニス篇をお届けします。
[PR]

by bokukoui | 2007-06-18 23:57 | 出来事 | Comments(2)

Commented by n-dprj at 2007-06-19 08:53 x
>自走砲から砲身を撤去したような車輌
は M992 弾薬再補給車
http://www.fas.org/man/dod-101/sys/land/m992.htm
>工兵用車輌
はM9 装甲戦闘ブルドーザー
http://www.globalsecurity.org/military/systems/ground/m9-ace.htm
ではないかと思われます。
Commented by bokukoui at 2007-06-21 16:15
情報ありがとうございます。弾薬補給車だから自走砲と同じ様な車体を使っていたんでしょうね。
ブルドーザーといえばコマツのそれがイラ・イラ戦争かどっかで「活躍」したという噂もありますが・・・ま、戦闘工兵は有用な兵種ですよね。