中島らも『アマニタ・パンセリナ』そして自衛隊の『悪い習慣』


 昨日の記事で、飲酒・喫煙・薬物・賭博・性的非行・罵りを扱った、翻訳が頗る読みにくいのが難点のJ.C.バーナム『悪い習慣』について述べましたが、今日は大学院の帰りに古本屋で故中島らも氏の著作『アマニタ・パンセリナ』を見つけて買い込み、読み終えました。
 内容は睡眠薬や咳止めシロップ、怪しいキノコにサボテン、シャブ・大麻から仕舞には抗鬱剤まで、そして最後にアルコールと、人間に怪しい作用を引き起こすドラッグ列伝。ドラッグとの中島らも氏(と氏をとりまく人々)の付き合いぶりがおかしくも恐ろしく、何よりそんな自分とその周辺を描き出すらも氏の筆に魅せられます。で、らも氏は「薬」で一括りにされがちなこれら諸々を、体験と美学に基づいて「ドラッグには貴賤がある(p.45)」と、細やかに描き分けていきます。実際、ドラッグ別になっている章ごとに叙述スタイルが変わっているように思うのです(筒井康隆の不条理小説みたいになっている「ハシシュ」の項なんかが、特徴が分かりやすい)。いわばドラッグ各種でラリリ感が違う、ということを、医学的ではなく散文的な方法(ジャンキーなロッカーが歌で伝えるのとはまた違った)で伝えてくれているというところでしょうか。更に、コカインで捕まったことを苦にして自殺してしまったプロレスラー(実は事故で足を痛め、リングに上がるためにコカインをやっていた)の話からステロイド剤にまで話が及ぶその広い視野は読んでいてうーんとうなりました。

 様々なクスリに加えアルコールについても書かれ、まあタバコやバクチの話は出てきませんが(エロはちょい)、扱っているテーマとしては昨日の『悪い習慣』にも通じるように思われます。
 しかし叙述形式が全く違うわけで、それが『悪い習慣』でいまいち隔靴掻痒だったところに微妙にかすって行ったような読後感を覚えました。
 なぜ人はかくもドラッグにひかれるのか。社会学者や心理学者の大部の研究を無視して僕はこう答える。
「それが気持ちいいからだ」
 と。まことに阿呆な答えだが、そうとしか言いようがない(学者はこんなアホな答えはできない)。
 (中略)
 すべてのドラッグは「自失」へのい希求ではないかと僕は考えている。
 公園で、三つか四つくらいの子供たちが、くるくるくるくると廻っている。回り終わって倒れそうになるくらいのあのめまい、血の逆行が「気持ちいい」からだ。
 あれはドラッグの根源だ、と僕は見る。
 人はそうして「自失したい」のである。
 (中略)
 では、人はなぜかくも「自失」を望むのか。
 心理学的にはたくさんの分析ができるだろうが、僕の答えはまた元に戻る。
「それが気持ちいいからだ」
 と。
 人間が快楽原則にのっとって生きている以上、聖者もジャンキーも同じ舟に乗っているといえる。禁を犯さず何十年と修行すること、それははなはだドラッグ的だ。
(pp.211-213)
 左様、しかし時にはアホな答えをアホと切り捨てずに突っつきまわしてみることも必要なんだろうと思います。

 なんてことを思いつつ、電車の中で読了して帰宅後テレビのニュースを見ていたら、こんなニュースが。

 陸自隊員が覚せい剤所持=隊舎に吸引器、陸士を逮捕-習志野駐屯地

 をいをいをい、去年も大規模な麻薬事件が発覚してたじゃないか! おまけに習志野空挺団といえば陸自きっての精鋭の筈。それが、何が悲しゅうて旧軍が戦時中に労働者に長時間作業をさせたり特攻隊などの景気付けに使ったといわれるヒロポンをやるとは・・・。旧軍以来の伝統、ですかね。

 バーナム『悪い習慣』では、飲酒・喫煙・性的非行などの普及には、20世紀前半の2度の戦争でアメリカ人が大勢徴兵され、彼らが軍隊で下層階級的な文化を受け入れてきたからだ(麻薬はヴェトナムの時とか)、と述べていたように思われますが、自衛隊もラリパッパな風習の伝播に貢献しているのでしょうか。
 で、実は中島らも『アマニタ・パンセリナ』にも麻薬と軍隊の話が出てきますのでちょこっとご紹介。
 これは柘植久慶センセイが『月刊imago』なる雑誌の1990年7月号に書いていた「麻薬と政治学」という文章の一節についてらも氏が述べたもの。柘植氏は第4次中東戦争やイライラ戦争で、ハシシュで戦意を高揚させて死ぬまで戦わせたり地雷原に進撃させたりしたのだ、と自説を述べるのですが、それに対しらも氏はこう疑問を呈します。「はて、ハシシュやアヘンを吸ってとろとろに溶けた人間が戦争なんぞできるものだろうか(p.132)」と。
 ハシシュはダウナー系なので、吸うと「とろりとして、実に平和な気分になる」のだとか。柘植氏は文中で、中東はハシシュの本場であり、かつてこれを使った暗殺団があった(イスマイール派のニザリ教団)としています。しかし、その教団によるドラッグの使い方は、若者を山中に作った花咲き乱れる美しい城に拉致し、そこでうまいもん食わせて綺麗なねーちゃんはべらせて、そしてハシシュを吸わせて「地上の楽園」もとい天国を体感させます。しかる後に若者をそこから追っ払い、戻ってきたければ誰それを暗殺せよ、と命じるのです。たとえ失敗して死んでも魂は天国に戻ってこられるのだと説くのです。だから単純に、ハシシュで狂戦士となるわけじゃないんだと。
 そしてもっと重要な指摘は(ここまでの話は別な本で読んだこともあったので)、単純な薬効の問題ではなく文化的背景をらも氏が指摘していることだろうと思います。
・・・死ぬためには本物の天国がいる。もはやニザリ教団の時代ではない。
 あきらかに、ドラッグ抜きの抽象が、宗教による高次元へのまなざしがここに介在している。でなければ、いくら羽化登仙していても人間は地雷原を歩けるものではない。
(p.133)
 なるほど、なるほど。
 ところでこれに関連して、マルタン・モネスティエ『【図説】児童虐待全書』にあった話だと思いますが、イラン・イラク戦争のイランでは、少年兵を麻薬でラリらせて「宗教的体験」のような幻覚を与え、しかるのち地雷原に突っ込ませていたという話があったように記憶しています(確かめていません)。柘植氏のハシシュ観に誤りがあったにせよ、「伝統的」な使われ方はされていたのかもしれませんね。
[PR]

by bokukoui | 2007-06-25 23:59 | 書物