エキサイトブログ当局表示修正 附:人名雑感

 昨日の記事で、「これだけ批判が続けば、エキサイトブログの仕様もそのうち元に戻るだろうと楽観しております」と書いたところ、本当に一日で直っていました(笑)。今度はユーザーから安心の声が続々と寄せられております。あまりにも対比が明確で可笑しいくらいです。
 まあ、根本的に解決したわけではないのですが・・・。

 色々と書きたいことはありますが、またお仕事がちょいと増えたりゴタゴタしているので、今日のところはこれにて失礼。早起きしたので眠いし(健康的だ!)

 というだけなのもつまらないのでちょこっと小ネタ。
 友人のmixiでDQNネームのサイトを知り、またニコニコ動画でこれの動画ヴァージョンを見つけたりして、なかなか面白おかしくはあるわけですが、しばし思うに日本人は苗字からしてそもそも矢鱈と変なのが一杯あり、明治時代に当代きっての教養人であった軍医総監殿が子供らにつけた名前を思い返したりするにつけ、案外「DQNネーム」は我が民族の"伝統"ではないかと思ったりもするわけです。
 その昔苗字について悲惨な話をどこかで読みました。南条範夫(?)の歴史小説の短編集だったかと思いますが正確には覚えていません。でも話の内容は良く覚えています。こんな話。
 時は16世紀末、秀吉は朝鮮征伐を命じ多くの武将が海を渡りました。加藤清正公もその一人として有名であります。某日、その清正公の配下の雑兵が、哀れ虎に攫われてしまいました。雑兵は食い殺されるものと覚悟しておりましたが、巣に雑兵を銜えて戻った虎はそのまま寝てしまいました。どうも保存食のつもりらしいです。勿怪の幸いと雑兵は脱出を図りますが、虎に気づかれて追いかけられたら一巻の終わり。そこで雑兵、そこに生えていた草だったか笹だったか木の枝だったか、それを眠っている虎の陰嚢の根元にそっと括りつけ、しかる後逃げ出します。
 気がついた虎は飛び上がって雑兵を追いかけようとしますが、その途端に陰嚢がぎゅっと締め上げられてショックで倒れ、逆に雑兵に討ち取られてしまいました。
 雑兵はその虎を持ち帰り、清正公に大いに褒められます。で、清正公はその雑兵に苗字を下賜してやったのでした。


 「金玉」氏と。

 そりゃまあ、虎の金玉を締め上げて倒したんですから。
 でもこんな苗字をもらうって、ほとんどイジメではないかと。清正公もまあ出身を考えればDQN・・・いえなんでもありません。でも同じ肥後の大名でも、細川幽斎公であれば絶対にこんな名前にはしなかったと思います、はい。
 で、この歴史小説のオチは、作家氏が「『金玉』さん、苗字変更の訴え認められる」という新聞記事を見つけて、「をを、金玉さんの子孫は今に続いていたのか!」というのだったと思います。DQN苗字に3世紀半付き合わされた一族の悲劇は、こうして幕を閉じましたとさ。

 実は小生自身、結構森鴎外の子供的名前なので、正直DQNネームサイトで「名前は平凡なのが一番」とか言われると何となく微妙な気持ちになります。まあ、正確に読まれないという経験はざらでしたが、しかし他に同姓同名が(多分)いない名前にもメリットが無いわけではありません。小生の大学学部時代の友人で、彼の卒業・就職後縁の切れてしまった人が居たのですが、彼があるとき気紛れで小生の名前を検索してみたところ、たまたま某所に小生が本名で出ているサイトを見つけ、そこから連絡が繋がって再会したということがありましたので。
 ま、程度問題ではありますけどね。
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by bokukoui | 2007-06-27 23:59 | 歴史雑談