「6・30アキハバラ解放デモ」関連雑感

 資料類の整理もだいぶ進んで、この分なら土曜日の「6・30アキハバラ解放デモ」は見に行けるかな、というか、どっちにせよ自分も秋葉原方面に用事があるので行ってこようかなという感じです。
 しかしまあ、ちょっとその前に思うところをチラシの裏的に若干。

・関連リンク
 「6・30アキハバラ解放デモ」公式サイト
 「6・30アキハバラ解放デモを企画した経緯」公式ブログ記事
 「アキハバラを占拠せよ!」オーマイニュース(古澤書記長のご尊顔が)
 「第二の『花オフ』となるのか、それとも」世界の中心で左右をヲチするノケモノ

 そもそも小生は民青系団体・反白色テロル大連帯元ヲチャ(笑)として、その精神を受け継いだ?「革命的非モテ同盟」の活動をそれなりに楽しく見学してきていたわけですが、「ホワイトデー爆砕デモ」を3ヶ月ばかり前に見に行ってレポートを書いたの後、この方面の話題をあんまり書いてきていませんでした。それは、「非モテ」というお題に関して、ネット上で議論が活発な方面と小生がそれについて関心を持った角度とのずれを感じたからです。敢えて言えば「非モテ」というお題の議論はその議論をすること自体に内容よりも意味があるのではないかという感を抱いたため、関心が低下したというところがあります。
 また、「ホワイトデー爆砕デモ」のレポートの末尾に「革非同」で起きた出来事について些か個人的に思うところを述べたところ、若干のゴタゴタが発生し、それ自体は結果的に大したことにはならなかったのですが、当ブログに苦情をつけてこられた方のその後のご様子を伺うに、非常に複雑な思いを抱かずにはいられなかったのです(情報があやふやで、また個人の微妙な問題に関るので、奥歯に物の挟まったような表現であることをご寛恕ください)。
 抱いた思いを簡単に述べれば、「オタク」「二次元」趣味では救われなかったんだなあということです。「オタク」的な生き方というのは、ある種の人々にとって気の世の中を生き易くするための方策であると考えられますが、この方策で「生き易く」なる状況を安定継続させるのにはそれはそれで方向は違えど努力は必要で、メリットも多々ありますがリスクや失われるものも当然あるわけです。万能の解決策じゃありません(というか、むしろかなり特異な方法です)。その辺の付き合い方が難しいのだろうと思います。
 で、以下に小生が思う「オタク」的生き方の安定継続に資する方向性を述べつつ、今回の「6・30アキハバラ解放デモ」について現時点で思うことを簡単に。

 まず最初に、公式サイトの惹句、
あらゆるアキバ系のオタク諸君!エロゲーマーもアニメファンも、鉄オタも軍事ヲタも、VIPPERも共産趣味者も、日本人も外国人も宇宙人もみんな集まれ!もはや時代は好きに生きるか、それとも縛られて生きるかを選択する時だ!
 を一読して、「鉄道趣味者や軍事マニアを安易に『アキバ系のオタク』と並べないで欲しい」と思わずにはいられなかったわけで、「オタク」という名のもとに「秋葉原的なもの」による帝国主義的言動を批判したいとまずは思います(笑)。
 でまあ、もうちょっと真面目に思うところを述べますと、阿呆なことを堂々とやって楽しむというパフォーマンスがこれまでの「革非同」の面白さだったと小生は思うのですが、どうもなんだか今までよりも「真面目」的な印象を文面から受けてしまいます。これは「ホワイトデー粉砕デモ」レポの末尾に敢えて書いたこととも共通するのですが、あくまで政治的要求を掲げること自体が遊びなわけで、あんまり真剣になられてもそれは返って逆効果になってしまうんではないかと。
 で、今までの「革非同」のイベントは、クリスマスとかヴァレンタインデートかホワイトデーとか、普通デモやって批判するなんてことをしないものを対象に敢えてデモをやるということで、パフォーマンスとして面白く芸になっているわけで、しかも可笑しがらせることで(うまく行けば)より多くの人に何がしかの印象を残すことが可能だったと思います。
 それが、今回のデモはその点パフォーマンスの芸としての焦点が(「クリスマス」みたいな具体的な目標がない分)ボケてしまっているというか、「内向き」度が高いというか、そういうところがちょっと心配です。「サウンドデモ」という形式にしても。

 このような点が、上の関連リンクに挙げた「世界の中心で左右をヲチするノケモノ」さんの記事「第二の『花オフ』となるのか、それとも」で、いろいろと政治的背景(中核派との繫がりなど)について勘繰られる原因ともなっているのだろうと思います。面白イベントと見做すにはちょっと、と引っ掛かる点を生んでしまっていると。
 小生の個人的見解では、これが過激派が関与していると見做すのは勘繰りすぎだろうと思います。関係者について中核派との関わりよりももっと重要なファクターがあるというのが今まで見てきた小生の印象です。ただ、小生は「革非同」はともかく他の2団体についてはよく存じませんし、三派聯合となったことで今までと違った傾向が生まれるのかもしれません。
 まあ、「6・30アキハバラ解放デモ」公式ブログの「6・30アキハバラ解放デモを企画した経緯」を読む限りでは、そういった心配は杞憂だろうと思いますが。ただ今までのこのデモの宣伝手法が、こういった印象を与えやすいのは否めません(この公式ブログは複数の筆者によって書かれており、その間で「遊び」なのか「政治活動」なのか、多少スタンスの違いがあるように見受けられます)。

 で、最後に勝手な感想を一つ述べさせていただきます。
 「オタク」が集まって何がしかのイベントを開催すること自体は一向に構わないと思いますが、「オタク」だの「マニア」だのは、まず何よりも個人的な活動ではないかと思います。人と交流することよりも何かを追求することを選んでいるわけで。人と話題を合わせるよりも、自分の世界を築き上げてこそ、と思います。
 例えば鉄道趣味者や軍事マニアのように、実態ある物についての情報集積がメインの場合は、比較的「オタク」相互の話はしやすかろうと思います。「アキバ系」でも、評論活動とかならばまだ話はしやすいでしょう。ですが、そういった情報や表現物に刺激されて自分の中に築き上げてきた妄想のセカイとなりますと、自分以外の人間にとって面白いかどうか、そもそも理解できるのかということさえ埒外になってくるのではないかと思います。自分にとってかけがえなく耽溺した妄想だからこそ、他人に話せるものでもなくなってくるというわけで。
 もちろん、そういった妄想を作品として結晶させて世に問うということもあろうかとは思いますが、その際には世に通じるように表現を推敲することが必要なのではないかと思うのです。
 つまり、「オタク」「マニア」は個人的な活動が根底にあるから、時には集まって盛り上がるのもいいけれど、まず何よりも日々の個人的活動があってこそ、しかもそれは人に話せるようなものでないのではないか、ということです。小生が「萌え」という表現をあまり好まぬのは、そういった他者に通じさせることが困難な自分の妄想を、「萌え」のテンプレートに当てはめることで簡単に他人と共有化したような気分になって盛り上がってしまうからです。共有化できないようなものだから自分にとって価値が大きいのではないかと。ある話題を共有して共感を得るというコミュニケーションがしたいのなら、それこそ「モテる」努力とかした方が合理的ではないかと思ってしまいます。
 そう思いますので、以前にも「団結」より「拡散と浸透」がいいんじゃないかと書いた次第でして。

 てなわけで、デモのついでにここに行ってみるのもいいのではないかと思います。ちょうど今やっているというのも何かの縁でしょう。

原美術館「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語―夢の楽園」

 ヘンリー・ダーガーについてはタマ兄ぃの『戦闘美少女の精神分析』でもお読み下さい(文庫化したそうで)。小生も今仕掛けている論文作業が終わったら見に行きたいと思います。
 展示期間は7月16日(海の日・月)まで。

追記:デモ後の関連記事は以下の通り。
今日の秋葉原界隈~「6・30アキハバラ解放デモ」見学記
「6・30アキハバラ解放デモ」極私的総括 或いは「井ノ原春陽の憂鬱」
続「アキバ解放デモ」極私的総括 或いは「やらないか(ベルギーを)」
「アキハバラ解放デモ」関連の現況雑感
[PR]

by bokukoui | 2007-06-28 23:59 | 思い付き