続「アキバ解放デモ」極私的総括 或いは「やらないか(ベルギーを)」

 昨日の記事の続きです。まさかこんなに長くなるとは・・・。
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 それでは、前回の続きを。

〇古澤書記長の思想的基盤
 デモが終わってから「革非同」古澤書記長と一部有志(山本夜羽音先生も駆けつけました)が、某所で打ち上げといいますか貧乏くさく(笑)呑みつつ、諸般の話題について議論が出ました。その中で、小生は漸く古澤書記長の思想的バックボーン、もっと言えば書記長が何オタクなのかということについてある程度認識をすることが出来、さらにその思想的背景が齎すこの「運動」の、とりあえず現時点における限界と問題点もある程度明らかになったと思います。
 では順を追って、まずデモの総括に関して如何なる議論があったかから書いていくのが分かりやすいでしょう。

 デモの総括は、とにもかくにも人数が多かった、ということに尽きます。この整理は相当に大変なことで、幸いにも関係者の奔走と参加者の協力により無事に終わりました。人が集まったことは成功ですが、それに対応し切れていたかは確かに問題でした。そこまでは特に異論の無いところです。
 ではそれに対し、今後の活動をどうするのか、という時、書記長と他の有志との間でかなりはっきり意見の相違が見られました。以下議論を適当に要約しますが、大概皆酒が入っていた(含小生)のでその点は一応ご理解の程。あと「他の有志」の発言は複数人の発言を小生が記憶に頼って適当にまとめたものです。分かりやすくするためにちょいと戯画(ゲーム会社ではない)的に。

古澤書記長:
今回のデモでは統制が取れてなかった。この反省に鑑み、今後は組織を確立してしっかり統制が取れるようにしたい。
他の有志:それは違う。統制が無くて人が集まったことこそ今回の意義。行列の統制と主張の統制は全く別の話である。行列の統制なら組織作りなんかしなくていいし、それこそいっそガードマンを雇ったっていい。それだけのこと。
古澤書記長:しかし何事かの行動を起すのに、マックス・ヴェーバーも説くが如く、ビューロクラティックな組織というものはやはり作らざるを得ないのではないか。
他の有志:そんなことはない。"他の手段"をこそ検討すべき。今は19世紀ではなく21世紀である。
古澤書記長:そうなのかもしれないが、自分はそれ以外の手段を知らないのである。
他の有志:いや、他の手段が存在するはずである。

 以下、酔い潰れるまで無限ループ。

 ちょっとふざけすぎた纏めですが、しかしおおむねこのようなやり取りが数回繰り返された記憶があります。
 で、読者諸兄諸姉におかれましては、これを読んで「やはりフルカツは権力欲にまみれたオルグであったか! 中核派のスリーパーであったのかっ!!」とか早とちりをしないようにお願いします。オルグとは何らかの政治的目的のために組織を作ろうとする人。そうではありません。

 結局古澤書記長とは何者なのか。彼はクラウゼヴィッツとプロイセン軍事思想をこよなく愛する元自衛官で、現在は軍事思想研究を大学でしておられます。あんまり共産主義的じゃないですね。プロイセン軍事思想をよく研究されている、というかそれに惚れこんでいる(萌えている?)古澤書記長は、だから19世紀的発想にどうしても捉われてしまっているのであります。
 やや話が逸れますが、この夜小生が古澤書記長と話していて最も興味深かった経験を以下に述べさせていただきます。それは話題が鉄道に及び、書記長は自衛隊の兵站輸送において鉄道の意義をもっと重視すべきであると主張されたのですが、ただ自分は鉄道については知識が無いので鉄道趣味者である小生にこの自説についてどう思うか、と尋ねられたのでした。で、その説自体は現在の日本の鉄道の状況を考えれば無理すぎようと思われるものではあるのですが、同時にそれが1888年に当時の日本陸軍が軍事輸送のための鉄道改革案として提出した『鉄道論』(日本経済評論社明治期鉄道史資料第II期第21巻に復刻収録。興味のある人は読んでね)の内容と結構似ているなあ、ということに気がついて感心したのです。つまり、日本の鉄道の歴史のことをぜんぜん知らないという古澤書記長がプロイセン軍事思想を熱心に研究した結果、やはりプロイセンに学んだ旧陸軍参謀本部と同じ様な結論に自力で辿りついていたわけで、ああこの人のプロイセン軍愛はホンモノだと面白く思ったのでありました。

 このことは以前にも書いた覚えがあるのですが、「革非同」のデモが終わったあと打ち上げで飲みに行くと、いつもいつもこのような話でばかり盛り上がって、「非モテ」の話なんか碌にした覚えが無い、のであります。「萌え」的な話も碌にした覚えがありませんで、もっぱら軍事はじめ人文・社会科学系の話題が多く、まあだから小生もいつもいつも取材と称してついて行くわけですが(笑)、そういう点では興味関心の力点が所謂狭義の「アキバ系」な「オタク」の方々とずれているのかもしれません。もしかするとこのズレは、「社会運動」と「洒落」の差よりも意味を持っているのかもしれない、とすら思うのです。
 今までの「革非同」の活動という「芸」では、このような古澤書記長のパーソナリティーというのは見るものに良く分からなくなっていたと思います。例えば書記長がヴェーバーをパロディ化して「非モテ」を語ったことにしても、大事なことは「非モテ」について語ったことではなく、なぜそこでヴェーバーだったのか、ということなわけです。でもそれは多分ほとんどの人には見えてこなかったでしょう。そういったところに、何がしかの齟齬をきたす要因があったのかもしれないと思います。

〇爾後の戦略方針とは~比公はいずこ、比公は居ずや
 古澤書記長の思想的背景を解き明かしたところで、現在の問題と限界とに話題を移します。
 問題とはつまり、450人も人が集まってしまった(既存の労組などの組織の協力なくしてこれだけの人数を集めるデモが行われる、ということは最近では大変珍しいことです)結果に対し今後どうするのかということでした。賛助団体に名を連ねていた「我々団」主催・外山恒一氏の都知事選政見放送の文言を拝借すれば、デモに500人も集まったら「奴らはビビる! 私もビビる」という状態なわけで。
 それに対し、プロイセン軍事思想大好き古澤書記長が組織化を唱え、他の人々から批判されていたのは前節で述べたとおりです。書記長は侠気もお持ちなもので、「これだけの人に集まってもらったんだったら何かやらねばならぬのではないか」と思われたのではないかと察します。で、「何かやる」という時に、その思想的バックボーンから「組織化」という答えが出てきているわけですね。
 そも小生が以前何度か批判した(これとかこれとか)ように、「オタク」に政治的主張があるとすれば「余計な統制は御免蒙る」ということになるのに、統制をやめさせるために統制するというのも革命的な矛盾であります。組織化して何がしかの「政治勢力」となるよりも、書記長自らが鳥肌実的芸の境地に達するなり外山恒一的前衛を目指すなりして世間の人々の耳目を驚かせるような、ゲリラ的手法でもいいわけで(プロイセン的軍事思想はゲリラ戦に弱いんじゃないかと思います。確か)。

 で、前章で述べた無限ループに陥った古澤書記長に些かの疑念を覚えたインタビュアーの小生は、「組織化って何をするんですか」「組織化して何をするんですか」「組織化してどういう戦略があるんですか」と執拗に問い詰めました。まあこっちも呑んでたんで。
 そして結局古澤書記長は「自分に戦略はない」と口走ったのでありました。
 小生はこれでむしろすっきり納得しました。古澤書記長の「革非同」がネット上で結構話題になったり、今回のデモが空前というべき人を集めて空前の"カオスな祝祭"を作り出せたのも、むしろ戦略がないという党派的オルグと対極的なスタンスが齎したものだといえるからです。
 そして何より、戦力をどう活用し決勝点にいかに突っ込むかという作戦や戦術に熱心でも、戦略的にどう使うのかということにまるで無頓着なところが、まさにプロイセン軍事思想的であると思われます(笑)。第1次大戦に突っ込んで行くドイツ参謀本部さながらですね。そうそう、この夜の酒席で、古澤書記長は「シュリーフェンプランは美しいんです!!」と力説しておられました。

 ここである種危なさを覚えられた方もおられるやも知れません。
 戦略なきところにつけこんで、それこそ中核派なんかが手を伸ばしたらどうするんだよと。共産趣味を一時期嗜んでいた小生のイメージからすると、「オタク」「新左翼」といえば中核派より革マル派なので(かつて『新世紀エヴァンゲリオン』が一世を風靡していた頃、革マル派は機関誌の誌名を『新世紀』と改題し、「エヴァヲタかよ!」と全国の共産趣味者がひっくり返ったということがあります)、そっちからお誘いがあるかも?
 でもここで小生は断言するのでありまして、古澤書記長がそんなものに絡め取られるようなことは決してありえません。

 小生は前回の記事で述べた如く、中核派はそのオタクの構成員が勝手に古澤書記長と呑んでいるだけで、組織としての関係などないと述べました。一方、「革非同」に組織なんて無い、とも指摘してきました。
 では一体、これまで古澤書記長を支えてきたのは何だったのでしょうか。
 これまで観察してきた所からすれば、書記長を一番そばで、かつあまり表に出ずに陰ながら支えていたのは、自衛隊時代の戦友の方々であると考えます。そう、戦友愛というか、友情です。書記長は「非モテ」か何かかもしれませんけど、少なくとも友情に関しては大変に恵まれているように思います。やはりある種のカリスマ、という言葉は好きではないのですが、人徳があるのでしょう。
 もっとも「戦友」というのは時として自我をとろかした馴れ合いになってしまう危険性も帯びているわけですが、これまで半年に渡って小生が観察してきた限りでは(これが「戦友」としてどれほど一般的であるのかは全く分かりませんが)、そうではない、確乎とした個人の連帯となりえており、なかなか羨ましい関係だと思われます。そしてまたこの戦友諸氏が一騎当千のおもろい人々なのでありますが、とにかく、自我の境界をとろかしたイチャイチャを「恋愛」と勘違いしているようなこのご時世、結構なことであると思います。今更彼女が居ようと居まいとどうだっていいじゃんだからこれまでも言われてきたように、「古澤書記長がモテないなんてことはありえない」と周囲に言われるのであります。

 史上最悪のヌルオタ・ヴィルヘルム2世を戴いたドイツ帝国軍は、第1次大戦で戦術的に極めて優秀だったにもかかわらず敗北を喫しました。しかしまあ、古澤書記長の戦友はヌルいどころか充分にこゆいので、イデオロギー的な心配のようなことはしなくても大丈夫です。
 そうそう、で今後どうするのか、ですが・・・、そう、まあきっと何とかなるでしょう。

〇結語
 他にも面白い小ネタやヤバい写真もありますが(特に山本夜羽音先生のご発言色々)、書くことに疲れたので締めさせていただきます。
 今回のデモそのものについては、沿道で見ていた小生はデモ隊の群集に対し、ああはなりたくないしまた自分はなれないだろう(坂東α氏に「メットに何か書いて」と頼まれて、まず「反帝反スタ」と書こうとしていやフツーでツマランと思い、回りを見回して「ハルヒ厨粉砕」と書いたのは小生です)、なれないことを自分のオタクの憲法にしているのだから、そう感じました。
 かといって、ネット上での叩きを見ても何かその叩きぶりや叩き方に不快感しか覚えませんでした。それは小生が持っていた情報に基づくところもありますが、やはりこれまた群れて叩いているその有様が嫌だったのです。
 人と同じことを死んでも言いたがらないのがオタクの誇りじゃないのか。

 小生の前回の記事を引用してくださった「想像力はベッドルームと路上から」さんのデモ評論記事に、「「デモ」に関して語るとき、「デモを行う側」だけでなく、「それを眺める側」の政治的な態度も同時に問われているということを考えなければならない。」とあるのはまことにごもっともと思いますが、しかし多分政治的なだけじゃなく、「オタク」としての何かも問われているのではないかと思います。
 社会の同調圧力になじめないのが「オタク」なのに、群れてしまうその様相。群れることを全否定するわけではありませんが、せめてその中で自分の位置を見失わないようにしたいものです。群れたり叩いたり、社会の同調圧力からはみ出たように見えるオタクの行動もまた「社会」の一員なのであるということを可視化して見せた点で、今回のデモとそれに続く一連の騒動は意義付けられるのかな、と思います。

 では最後くらいは秋葉原らしい文化の書物から、このデモについて考えた時にふと小生の頭をよぎった言葉を引用して、やくたいもないこのレポと総括を終わらせていただきます。
 ナヲコ先生の作品「君の弱さ」(『DIFFERENT VIEW』コアマガジン 1999所収)から。


        海のまん中で
        星を見上げるような

        群衆の中の
        君の弱さよ

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by bokukoui | 2007-07-02 23:59 | 出来事