ロフト「秋葉原通り魔事件 絶望する社会に希望はあるか」レポ(2)

 新宿ロフトプラスワンで行われたパネルディスカッション「秋葉原通り魔事件 絶望する社会に希望はあるか」のレポの続きです。(1)はこちら。



(承前)

東:宮台氏の言っていることは、民主主義が不要ということ。そのことを宮台氏は分かっているはず。民主主義的な言論の戦いとは自分の信者を安心させるだけで、実際はロビイングで決まる。

宮:(メモ不整)自分はラディカル・デモクラシーは大事と考えている。意思決定は皆の合意の上にやってはいけない。意思決定はパターナリズム、つまりお節介が行う。しかしこれは異議申し立てに対し開かれていなくてはならない。

東:それは分かる。大きな問題が今はなくなって、シングルイシューしかない。大きな問題が「ない」ということで連帯しようという議論もあったが、それは失敗した。
 宮台氏は政治的なアリーナとは必要と思っているのか。宮台氏の言葉をそのままなぞれば、民主主義も論壇も言論も要らなくなる。そうは思いたくない。

宮:明治の思想を見ると道具主義。日本人が幸せになる道具としてアジア主義などもある。自分も道具主義を取る。皆が幸せになるなら民主主義を使う。是々非々でやるしかない。

東:そんなことは本質じゃない。民主主義を道具主義的に使える一部のエリートで決めればよいということになる。それは今の世界の何かに抵触する。

宮:そうですね。

東:現実には一部の人間だけで決められないことがある。ネットが良い例。

宮:多くの人は忙しく、与えられたプラットホームの最適化しかできない。それでプラットホーム自体を変えようとすると、合成の誤謬に陥る。プラットホームを変えるのはそれではできない。

東:エリート主義は必要と思う。しかしエリート像が違う(以下メモ不整)

切:でも加藤から言えば、偉い人や評論の人(?)みたいなのに包摂されない。

宮:だから自分が考えるのはパターナリズム。そして教育。

東:「負け組」でも楽しい、しかないと思う。運動すれば良くなる、というのはかえって絶望。

切:だから二正面でやるしかない。

東:人類の歴史上、格差というものはいつもあった。自然現象のようなものである。

 議論が白熱し、当初21時頃で第1部終了、宮台氏帰り・雨宮氏登場の予定がずれ込んで、この時点で21時半になっていました。そこで雨宮氏がこのまま登場し、宮台氏と直接話す機会を設けることになりました。

雨:貧乏でも楽しく生きる、という話が先程から出ているが、結構なこと。
 今回の事件と自分たちの運動については、格差が問題じゃない、とか、派遣問題で加藤事件を利用している、といった批判がある。

宮:利用し尽くすべきだ。何が悪い。

雨:プレカリアートは文化運動であり、社会を変えるくらいのつもり。(単なる経済闘争ではない)

宮:それでいいですね。

東:ロスジェネ論壇を支える赤木論文は、結局嫉妬の気持ち。しかし差が出ること自体は仕方ない。嫉妬が権力者や大金持ちではなく、身近な正社員に向いている。それについてはどうか。

雨:みみっちい発想に解釈してしまっている人もいる。自分はそうは思わない。

宮:赤木氏は論文や本で有名になって、彼個人は幸せになってガス抜けした。秋葉原事件についての、彼のピンぼけしたつまらないコメントは、彼が幸せになったことを意味する。
 社会運動で社会は変わらないが、場を作ることは大事。

雨:タダで居られる場を作ることが大事と考えている。飲み会も公園呑み。今は中学生が団地の前の公園でたむろしていただけで通報されてしまったりする。

宮:雨宮氏のような活動が現れるとは思わなかったので感動している。

東:宮台氏のそのような発言には騙されない。宮台氏は雨宮氏が運動すること自体は評価しても、その内容を評価しているわけではない。
 しかし、イデオロギー・ポリティクス崩壊後は、アイデンティティ・ポリティクスしかない。だがアイデンティティ・ポリティクスで始めたことはサステナブル(持続的)ではない。例を挙げれば、ゲイ・レズビアン運動がある。当初は性の多様性を認めよという運動だった。それが運動が一定のところに達したら、同性のカップルにも血痕を認めよなどと、国家の性管理に与するようになった。自分は昔、アメリカの著名なゲイの運動家が「ゲイしかいない街を作るのが夢」と言ったのを聞いて切れたことがある(今はその発言もある程度は理解するが)。
 つまり、最初は多様性を唱えても、成功するとコンサバティブになる。ロスジェネ論壇にはそういう隘路がある。

雨:プレカリアート運動の前線は、若者の労働以外の運動へと発展している。奥が深い。

 ここで月乃氏が発言し、そろそろ22時近くなので一旦休憩を入れて第2部へと続くことになります。
 月乃光司氏とタダフジカ氏による朗読パフォーマンスを幕間にはさんで、第2部が始まります。

藤:アイデンティティ・ポリティクスの話の続きはどうか。

東:さっき答えてもらったと思う。

切:赤木氏について、本を一冊書いたからといって、あと人生は何十年もある。それによる承認だけで今後ずっと生きてはいけない。承認はその次の段階に行ってるのではないか。

藤:次?

切:食えなきゃどうにもならない。

東:ベーシックインカムで月8万とか配ればいい、と最近思うようになった。上野千鶴子は子供が親と関係なく自立できるよう12歳まで(?)カネを出せということを言ってるが、それは余計大変な社会になる。

切:承認の問題と金の問題は結びついている。正社員と派遣も同じ仕事で給料が違うという問題ではないか。労働に価値があると社会に認められることが大事。

東:今の社会はそうではない。労働と関係なくITバブルで設けたりする。自分はある程度、金と承認の問題は切り離せるようにするべきだと思う。絡み合ってはいるが、切り離せるような環境を作りだす。

雨:ベーシックインカムについては、みんながなりたい職業は給料が高く、なりたくない仕事は給料が低い、という関係が是正されるのではないかと興味を持っている。

(月乃氏の要請によりベーシックインカムについてしばし説明)

月:アキバ事件について、加藤を知って、自分も同じではないかと思った。このイベントはこの事件についてではないか。身近に彼がいたら事件は止められたか。

藤:加藤が身近にいたとしても、止めることが出来なかったのではないか。一方コピーキャット犯罪はある。あれを止めることについては、社会の責任があるのではないか。

月:流行っていることに繋がる、ということは健康な欲求ではないか。人間は群れるもので繋がっていたいもの。自分も殺人願望があったが、ギリギリのところにいる人に繋がることで、ギリギリであっても殺さず死なない人も、生きていく為の連鎖を作れるのではないか。
 これは分かりやすい言葉でないと。第1部は分かりにくくて面白くなかった。

東:救うというのは一人一人違う。難しい言葉で救われる人もいる。
 もっとも第1部は難しい言葉の方に偏っていたので、第2部は事件に即した話を。

切:もっと共感の話をしたい。彼の言葉に感じるところがあった。

東:ここ十年、どんどん社会の状況が厳しくなってきて、犯罪者を社会に位置づける必要を感じない社会になった。ただ「共感する」というだけでは、はじかれてしまって終わり。位置づけるにはもっと難しい方法がいる。インテリは共感しない。

月:自分は加藤に共感するところがあった。しかし一方、被害者のことを考えると、許せないという点でも共感できる。

藤:無差別というが、弱いところに突っ込んできているのではないか。

東:一難弱いところとはいえない。イオンみたいなショッピングモールの法が、今の世の家庭的な幸せの象徴。アキバはかなり適当に選ばれた。

藤:どこに共感したのよ。

月:偉い人を狙わなかったところ。彼は風俗で楽しめる人は羨ましい、と書いている。しかし普通、風俗で楽しめている人がすごいかといえばそんなことはない。

東:それは議論として無理。被害者に共感して「すぐ奴を殺せ!」というのと同レベル。
 ちなみに僕は「キターーーーーーーー!」と思った。何で思ったかというと、アキバは変な事件が起きるようになっていた。引きこもり系オタクの街だったのは昔の話で、変なコスプレイヤーが集まるような、普通にエネルギーが余った若い人の来る、アツい街になっていた。
 後出しじゃんけんといわれるが、自分はこの分では事件が起こって歩行者天国が廃止されるかも、と考え、アキバblogなどもチェックして、取材に行こうかと思っていた矢先だった。ローアングルから皆携帯で写真撮ってたとか。コスプレイヤーでなくても、子供だったら撮る奴がいたというので、娘をコスプレさせて行こうかと思ったが妻に反対された(笑)

藤:だから歩行者天国が復活しないのか。

東:万世橋署は厳しいところで、詳細は明かせないがある警察官僚との関係もある。警察とサブカルの争いになっていた。
 アキバの劇場性は特別。ネットですぐ中継され、虚実が入り乱れる。事件が起きる磁場があった。加藤は自分の犯行を中継されることを望んだのではないか。

月:殺したい、と思った人は「殺したい」と言った方がいい。言ったらしないから。自分の気持ちを人前で言う機会があれば。

東:奴バリバリ言ってそうですけど、冗談めかして周りの人に。

雨:自分は月乃さんの言葉に救われたが、東さんのように難しい言葉に救われるタイプの人も知っている。どっちも同じ生き辛さを抱えているのに、言葉が通じていない。

切:端的に、加藤はどっちに分類されるのか。

雨:それは難しい。

東:加藤個人の話をここでしても推測になる。裁判を待たないと言えない。

切:では、加藤的な生き辛さについて。

雨:メーリングリストで事件の情報が流れ、加藤が日建総業と知って「ああ」と思った。日建から派遣でトヨタに行って、ホームレスになった人を知っていたので。

月:私ももっと雇用条件の悪いことはあったが、幸せになれることを探していた。自分は労働条件より彼の歩みに関心がある。今も、加藤のような人が自分のやってるイベントに来ることで、今日は事件を起こさないで済む、救われると信じてやっている。
 繋がりを求めて幸せを探している。正社員になれば幸せになれるのか。

雨:そんなことはない。プレカリアート運動はそれが目的ではない。

藤:「生き辛さ」という言葉が出た。正直自分はこの言葉が90年代後半に出て来た時、すごく反発を感じた。生き辛いという言葉がムカつく。生き辛いに決まってるじゃないか。「希望は戦争」という。ロスジェネ世代は大変。しかし、戦争に行った世代は一番辛いじゃないか。そういうことを考えた。

切:みんな大変、ってこと?

藤:そうではない、若者批判は大嫌いだ。

東:「生き辛さ」に反発を覚えたりするのは世代論ではない。
 この言葉がマスコミにフレームアップされるのは、ようやく出てきた政治的課題だったから。

切:そうか、自分は聞いたときこれだ、と感じた。

東:生き辛いといっても、一生のうち実際に救える人数はそう多くない。自分の本を読んでいる非モテ系男子は、年数が重なると就職もなくなり彼女も出来ない。これを課題にして政治運動をすることはできない。そういう議論を立てると、結局一人一人救うしかない。

切:(反論を展開するもメモ不整)

月:「生き辛い」という言葉は便利。こういう共通項があることで繋がることが出来る。

切:生き辛いという繋がりだけでは解決しないか。そういう普遍的な問題として考えることで腑に落ちた。

東:反発も買う。自分の心ばかり気にして馬鹿かと。議論の脇が甘くなる。雨宮氏の意見に賛成するところもあるが。

藤:キャバクラの取材を面白いのでやっている。キャバ嬢にロスジェネの話をすると、皆それは甘えだという。しかしその当人が、「自分たちは病む」と言う。そこが面白い。

 ここまで来て時間がいよいよ押し詰まり、質問タイムとなります。

質問者1:内田樹が、秋葉原事件自体が過去の通り魔事件のコピーに過ぎない、と言っている。リアルがない、そんな世の中を打ち壊したい、ということかと思った。それなのに、今日のイベントで身の回りの議論になるのはつまらない。

切:宮崎駿と同じことを言ってるね。酒鬼薔薇事件の時、ハヤオは今の世の中直接体験がないから人を刺すところからはじめた、と言っていた。

東:彼(質問者)が言ってるのは、このシンポつまらんということですよ。
 シンプルに答えます。自分の人生をグッドエンドにすることだけを考えるべき。これをあらゆる人がやればいい。
 加藤は人生をリセットしようとした。これは加藤に限らない、「自分探し」というのも同じ。しかしリセットなんて出来ない。自分の人生を引き受けてグッドエンドに導くしかない。それが出来なくなっている。なぜなら、自分のことは自分で決定しているということに、今の世の中なっているから。
 しかし、自分の過去こそ自分が変えることは出来ない。自分がコントロールできないことを引き受ける。
 抽象的ですがこれしか考えられない。まじめに答えるとこうなる。

 この後もしばらく質疑応答がありましたが、うまくメモできませんでしたので省略。なぜできなかったかといえば、自分も質問したいことがモヤモヤとあったもののうまく形を成さず、まとめる手がかりにしようと自分のメモを読み返していたからです。どうも宮台ファンやアズマニア(意味が違う)が犇いているらしい会場で、宮台氏の言説が載っている本といえば、『バックラッシュ!』買うまでこともあろうにカマヤン先生の成年コミックしか持っていなかったような人間が手を上げていいのかと気後れしてしまいまして。
 もういっそ開き直って最終手段に訴えようかと思いました。つまり「自分は秋葉原で加藤に追っかけられましたが、その経験からすると今日の話は全く詰まらん!」とかね。

 ですが、それをいっちゃあおしまいよ、という以前に、つまらないどころではない、大変面白く参考になる話ばかりでした。特に第1部、宮台氏に対し話の脱線を戻しつつ挑みかかる東氏と、「包摂」を軸にしたやり取りは色々考える手がかりになりそうです(東氏は第2部、頬杖ばっか突いてた印象がありますが・・・)。
 ただ、ふと思うに、勿論出不精の小生は自分が事件に遭遇していなければここに来なかったでしょうが、仮にそんな経験がなかったとして、このパネルディスカッションの記録を読んだとしたら、やはり同じように「なるほど、面白い」と思ったことでしょう。経験の与える影響なんてそんなもんで、過大視してはいけませんね。
 もっともそれは逆から言えば、このディスカッションの内容はとても面白いけれど、秋葉原の事件がなかったとしても、このパネラーの皆さんを集めて話をしてもらえば、ある程度は同じような話になったのではないでしょうか。その意味では、どうにもグダグダだった阿佐ヶ谷ロフトでのイベントの方が、秋葉原通り魔事件ゆえのどうしようもなさを表していたのかもしれません。

 で、このディスカッションを元に、阿佐ヶ谷ロフトの話とも比較しつつ、また先日のウェルダン穂積氏の秋葉原デモとやまざき氏来訪、更にやまざき氏と革命的非モテ同盟・古澤書記長との懇談の話とも適当にくっつけつつ、思ったことを書くのは、この記事はもう十分長いので次回とします。

※追記:レポ(1)を書いたところで、やけにアクセス数が多いので解析を見たところ、荻上チキ氏の「トラカレ!」からリンクされていたことが分かりました。そちらでは、このイベントの別なレポのテキストデータをダウンロードできます。一読した感じでは、そのレポを書かれた方は、宮台氏や東氏のような方が書かれた評論を読み慣れた方のように思われ、簡潔にテンポ良くまとめています。小生はこういったものに疎いので、どうもゴタゴタしたまとめになっているのは否めません。またそちらでは、最後の質疑応答も完全に収録されています。
 また、関連記事が増えたので、「秋葉原通り魔事件」関係のタグを設けました。

※更に追記:このディスカッションを踏まえて纏め記事を書きました。こちら。

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by bokukoui | 2008-08-01 23:59 | 出来事