『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』感想

 「人の噂も七十五日」と申しまして、二月半も経てば一時世間を賑わした話題も忘れ去られるのが通例でありますが、今日はいわゆる「秋葉原通り魔事件」から七十五日に当たります(昔の言葉ですから、事件発生日を一日目として数えるはずなので、今日になると思います)。
 今日はその七十五日目に際し、事件後いち早く出された秋葉原通り魔事件に関する書物を読んでみたいと思います。

 目次は以下の通りです(アマゾンのページのデータ利用。上にリンクを張っておいた肝腎の洋泉社のサイトには目次が載っていませんが、大澤真幸氏の特別寄稿「世界の中心で神を呼ぶ 秋葉原事件を巡って」が掲載されています)。

・Introduction アキバ通り魔事件とは何だったのか!?
・資料1 加藤智大25年の半生・・・栄光の幼少期と苦難の青春期(小林拓矢)
・資料2 「アキバBlog」で読む、凶行前夜の秋葉原で起こっていたこと(geek)

・加藤容疑者を嘲笑う資格が私たちにあるのか!?(赤木智弘)
・あまりに普通の若者のグロテスクな置き土産(雨宮処凛)
・新自由主義時代を象徴する自己チュー殺人(吉田司)
・ひ弱な国のひ弱なK(勢古浩爾)
・教条化する「家庭」、徹底した敗者意識、実在感に満ちた「アキバ」(小浜逸郎)
・マルトリートメント(不適切な養育)が自尊感情の低い子どもを生む(佐久間真弓)
・破滅を目前にした子にシカトされる親とは何なの!?(佐藤幹夫)
・なぜ彼はあれほど顔にこだわったのか(三浦展)
・”思い込み”にさいなまれた若者の悲痛な叫び(斎藤環)
・秋葉原事件と「ゲーム的」現実感覚(東浩紀)
・美しくなんかなくて/優しくもできなくて/それでも呼吸が続くことは許されるだろうか
加藤さんの書き込みが文学的すぎる件(神認定)(鈴木ユーリ)
・【特別対談】事件を起こしたこと意外、ほとんど僕と一緒なんです(本田透×柳下毅一郎)
・突きつけられた「大きな現実」、あるいはポスト・モダン思想の死(吉岡忍)
・それでも言う、加藤の出現をもって格差社会批判をするのは正しい振る舞いか!?(蔵研也)
・社会的包摂の崩壊が「孤独な勘違い」を生む!!(宮台真司)
・犯罪学的に見れば、この事件は一級に凶悪とは言えない(河合幹雄)
・ホラーハウス社会の憂鬱(芹沢一也)
・物語の暴走を招くメディア/メディアの暴走をうながす物語(荻上チキ)
・相互監視・密告社会化するネット社会(小池壮彦)
・一連の報道にはなぜ「トヨタ」という言葉が聞かれなかったのか!?(小林拓矢)
・なぜ秋葉原が犯行の舞台に選ばれたのか(森川嘉一郎)
・犯罪テキスト批評の「様々なる意匠」(浅羽通明)
・直接的にか、間接的にか、あるいは何かを迂回して、「かれ」と出会う(平川克美)
・記号的な殺人と喪の儀礼について(内田樹)


 奥付には2008年8月29日発行とありますが、確か8月1日のロフトプラスワンのイベント「秋葉原通り魔事件──絶望する社会に希望はあるか」の時に、出演者にして執筆者のどなたかが現物を壇上で示された覚えがあります。小生は正直なところ、洋泉社という出版社に対して全く良い感情は抱いていない(鉄道史やってるもので)のですが、しかしことこの場合は読むべきであろうと考えて購入したのでした。

 さて、小生はこういった書籍の感想など書くとえらく長くなってしまって、読む方も書く方も草臥れてしまいます。ですからまずはじめに、短い言葉でまとめを先に書いておくことにします。
 それは、薄いということです。

 何しろ厚みの点ではA5版126ページ(奥付除く)しかなく、そこに26人の論者が犇めいているのですから、濃くなりようがありませんね。はじめに20ページばかり事件のまとめと事件前後の秋葉原の状況についての説明があるので、それを除くと実質100ページで25人が意見を開陳していることになり、一人当たりのページが原稿用紙数枚~十数枚程度になってしまっています。ですから、どうもあらすじかイントロのようになってしまっており、「続きは著書を読んでください」的な感じになってしまっています。それこそ読書ガイド?
 そんな断片が二十いくつも重なっていて、全体のまとまりというものはありません。論者によって見解は全く食い違っています。食い違わせることで何かを描き出そうとか、食い違っている様相に何か見通しを与えようという意図もあまりなさそうです。個々の文章について言えば、勿論小生の抱いた感想として、「これは興味深い」というものあれば「この論者は何が言いたいのだろうか」と首を捻るのもありました。ただ、それを以下に二十いくつも並べたところで面倒なだけなので、全体をまとめてこの本について好意的に考えれば、以前阿佐ヶ谷ロフトで行われた秋葉原の事件に関するトークイベントの感想と同じことが言えるかも知れません。つまり、この混沌ぶりが、秋葉原事件の性格そのものなのではないか、ということです。

 上にも書きましたが、個々の文章に関しては面白いとかそうではないとか、そのような感想はもちろんありますが、それをつらつら書いても長さの割りに面白くはなさそうです。
 小生が、この本の中でどなたの書かれたものが面白かったかを振り返った時、苦笑せざるを得なかったのは、要するに、自分がそれまでその論者の言説にある程度馴染んでいた方の論に対し、「面白い」と思う傾向があったということです(もちろん例外もあります。赤木氏とか)。これはひとつには、限られた紙数の中で述べられたものを読む場合、その論者の他の著作や発言などを知っていれば、それが補足材料となってよりよく読めるからでしょう。宮台真司氏の論に納得したのは(限られた紙数の中に内容を濃く詰め込む点で、氏の技量はもともと大変高水準だと思いますが)、やはり先日のロフトプラスワンのイベントで氏の論を聞いていたからに他ならないでしょう。
 しかし一番大きな要因は、これもまた先日のイベントの話と繋がるのですが、結局言論は人の意見を変えるよりも、人が抱いていた考えを強化する方向に働くものだ、ということになるでしょう。
 結局この本がどのような読者を狙っているのか、よくわからないのですが、いろいろ集めれば自分好みの意見が見つかる、自分好みの意見を読んで自分の物の見方の正統性を確認して安心する、そのような使われ方が多いのかもしれません。・・・ということに近いようなことを書いている論者の方もいたように思います。そして小生自身のこの記事もまた、同様なものなのかもしれません。

 自分でも感想を書いていてどんどん詰まらなくなってきて、筆も進みかねるので、いい加減やめることにします。何がどう詰まらないか分析するのはさらに面倒で、楽しくもありません。
 そこでこの記事はこの辺で打ち切って、せいぜいもう少し小生自身にとって意味のありそうなことを別に書くことにします。つまり起こってしまった事件は如何ともしがたく、世がそれで動揺して頓珍漢な(気休めのおまじないのような)政策や言説が飛び交う状況も直接すぐにはどうしようもなく、しかしそこで「自分は」どうするのかということです。まあ社会的包摂について思ったことを書こうということですが、とりあえずこの記事はここまで。

追記:一応続きとなる記事を書きました。こちら。
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by bokukoui | 2008-08-21 23:57 | 書物 | Trackback | Comments(0)

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