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筆不精者の雑彙

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ドイツ革命90周年

 今日は、キール軍港の水兵叛乱をきっかけに、ドイツ革命が起こってからちょうど90周年になります。ドイツでは何か記念式典でもやっているのでしょうか。

 研究室の放出本だったか在庫の投げ売りセールだったか、木村靖二『兵士の革命 1918年ドイツ』などという本を手に入れて読み、ずいぶん以前のこととてあんまり内容を覚えていないのですが、ノスケはなかなか大した政治家だったんだなあなどと思ったりした覚えがあります(別の本かも知れない)。
 ところでドイツ革命の発端となった水兵叛乱というのは、戦局が絶望的になってきた第1次大戦末期のドイツ帝国で、少しでも講和条件を有利にしようとドイツ海軍主力の大海艦隊に自殺的な出撃を命じたので、水兵が叛乱したというものです。これによってドイツ第2帝国は崩壊してしまいました。
 ここで27年後のドイツ第3帝国の末期の状況を考えると、全般にはここまでの軍隊の崩壊は起こらなかったと考えられるので、政権による軍の把握という点では、第2帝国より第3帝国は進歩していたということなのかも知れません(同じように敗戦した日本もまた同様といえるかも知れません)。第2帝国は陸軍が政府を把握していたというべきなのかも知れませんが。
 しかし、その「進歩」の結果起こったことは、絶望的な戦闘の継続であって、大して良かったことでもなかったのかも知れない(勝った側から見ても)、ともまた思うのでありました。

 さて、『兵士の革命』を読んでいてあれっと思ったのが、キール軍港での叛乱当時の、キールの鎮守府司令長官が「ズーション Wilhelm Souchon」とあることでした。この人物は第1次大戦劈頭、地中海艦隊司令官であった提督です。ドイツ地中海艦隊といっても戦力は巡洋戦艦ゲーベンと軽巡洋艦ブレスラウしかなく、ドイツの力を地中海諸国に見せつけようと当時の最新鋭巡洋戦艦を送り込んでいたのでした。ところが突然第1次大戦が始まってしまいさあ大変。地中海の出口であるジブラルタル海峡とスエズ運河はイギリスが抑えています。
 しかしここで、ズーション提督は優勢なイギリス艦隊を振り切って、オスマン=トルコのイスタンブールへ逃げ込むことに成功します。そして艦隊ごとトルコに売却するという形で難局を逃れました(旗だけ替えて乗員はドイツ人のまま)。この結果、碌な海軍を持っていなかったトルコは突如、最新鋭の主力艦を手に入れて同盟側に参戦することになり、ロシアは黒海の制海権を失ってしまいます。
 黒海のオデッサは当時ロシア最大の貿易港だったそうなので、いきなりロシアは戦争継続に海外の支援を受けるのが困難になってしまい、このズーション提督の行動は世界史に少なからぬ影響を及ぼすことになるのでした(結果論としては、オスマン、ロマノフ、さらにはハプスブルクとホーエンツォレルンの王朝にとどめを刺してしまったのかも知れませんが・・・)。一隻の巡洋戦艦が世界の歴史を変えたとも言えます。

 このゲーベンの話については、サイト「三脚檣」「ゲーベンが開きし門」という記事がゲーベン乗員の手記を元にして大変詳しいので、興味のある方は是非どうぞ。ボリュームたっぷりです。
 ちなみにこちらのサイトでは、ズーション提督の名前の読み方を「スション」としています。フランス系だったらしいので、その方がいいのではとの由。
 更に余談ですが、ズーション提督は1946年まで存命だった由。自分も加わって変えた世界が、もう一回転する様までを見届けたことになります。

 とまあ、開戦時には大活躍したズーション(スション)提督でしたが、『兵士の革命』によると、戦争が終わる時にはうまく対応できなかったようです。叛乱した水兵たちに人質に取られたり、結局事態をおさめたノスケには「ズーションと彼の幕僚達は無力だった」とか言われてるし。
 革命は、海の上とは勝手が違ったようです。
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by bokukoui | 2008-11-03 19:00 | 歴史雑談 | Comments(0)