雑感・現在の状況と予定など(コマツ元社長死去・コミケ)

 日曜日に終わった報告を論文に纏めるべく構想中。構想はしているのですが、形になるにはまだいろいろとかかりそうです。年内には論文完成させねばと思い、それ自体はさほど高いハードルでもないとは感じていますが、それまでドタバタしていると、数年来の課題である部屋の片付けはいつになるのかとも思います。こうやって新しい課題を口実に先延ばししてきたような気が・・・。

 その報告と微妙に関係するようなニュースに、今日接しました。
河合良一氏死去
  (コマツ元社長、元経団連〈現日本経団連〉副会長)

 河合 良一氏(かわい・りょういち=コマツ元社長、元経団連〈現日本経団連〉副会長)3日午前8時30分、心不全のため東京都調布市の介護施設で死去、91歳。東京都出身。葬儀は親族のみで済ませた。(中略)
 54年コマツ入社。64年から82年まで社長を務め、同社をグローバル企業に押し上げる礎を築いた。86年から11年間にわたり、日中経済協会会長として日中交流に尽力したほか、経団連副会長も88年から6年間務めた。
(時事ドットコム)
 共同通信のニュースでは、「89年6月の天安門事件後も中国との経済交流を続け、産業協力のパイプ役となった。」と評されています。
 というわけで、コマツの経営者だった方の訃報ですが、小生の報告と関係しているのはその父でやはりコマツの社長を務めた河合良成の方でした。リンク先のウィキペディアに略歴がありますが、官僚から郷誠之助の縁で実業界入りした人ですね。
 で、ウィキペディアの略歴には書かれていないことなのですが、弟の鉄二が川崎財閥(川崎重工や川崎製鉄を作った関西の川崎家ではなく、金融中心で戦後は第百生命を有していた関東の川崎家の方)と縁があったため、河合良成は国華生命保険を中心とした、川崎系生命保険各社の経営に当たっていました。かなりのやり手で、会社の合併などにも相当働いたのですが、やり過ぎて川崎財閥本家に疎まれ、追い出されてしまいました。更に帝人事件に巻き込まれたりとしばらく財界の表面から消えることを余儀なくされましたが、帝人事件はでっち上げで、やがて復活、東京市の助役を一時務め、戦時中は木造船建造の監督という役職にありました。
 戦後はコマツの経営再建に当たり、同社では「中興の祖」と呼ばれているそうです。経営再建とは、つまるところ労組対策で、当時の経済誌で河合が「共産党は追い出した」などと語っているのが、今回報告のために集めた資料の中に見つかりました。
 ちなみに小生の報告の本旨は、河合と共に川崎財閥で腕をふるった挙げ句、やっぱり追い出された電鉄経営者・後藤国彦の話で、その途中で名前を知った次第。ちなみに後藤の項目もウィキペディアにあるけれど、小生の研究の結果に鑑みて、間違いが見られるのでリンクしません(ネタ本は推測つきますが、それをウィキペディアに書き写す時に話が勝手に膨らんでいる)。

 で、何に少々感じるところがあったかというと、経営再建のため外部からコマツに乗り込んできた河合良成は、その地位を息子に受け継がすことができたんだなあ、ということにです。
 河合良成や後藤国彦を追い出した川崎財閥は、一族で経営の首脳を固めたものですが、戦時中の銀行統合で中核の川崎銀行を三菱に合併されて失います。戦後は第百生命を有していたようで、同社の七十年史を見たら、その当時の経営陣には川崎家らしき人名が見つかりました。しかし、その後同社は経営破綻し、今ではマニュライフ生命になって経営陣は横文字の人名ばかり・・・
 河合家と川崎家、有為変転を些か感じたのでありました。


 というわけで、しばらくはやはり締切に追われる日々ではありますが、いろいろ片付けないとどうにもならなくなっているのも事実で、今日は片付けを試みると同時に、コンピュータの中身も整理して、ついでに「よりぬき『筆不精者の雑彙』」も久しぶりに更新しておきました。ブログの項目分類ももうちょっと何とかしたいところですが、それはまたしばらく先。
 で、「よりぬき」を更新したついでに、MaIDERiA出版局のサイトも大変久しぶりに更新、冬コミに当籤したのでその情報を書いておきました。この調子ではどうなるか分かりませんが、論文が上がれば資料は幾つもあるのでなにがしか、という感じです。もっともいい加減、在庫を一掃して撤収した方がいいと言うべきなのでしょうが。
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by bokukoui | 2008-11-13 23:59 | 時事漫言 | Trackback | Comments(0)

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