ジュール・ヴェルヌ関連の話 慶応の展示・『文明の帝国』雑感など

 先日のゼミで伺った、大変興味深いお話に関連して、つらつらと思いつくまま。

 今年は慶応大学が創設150周年だとかで、いろいろとイベントをしているらしいですが、その一つにこのようなものがあるそうです。

  異国見聞『八十日間世界一周』
   1872・グローバリゼーション元年、ヴェルヌの見た横濱

 ジュール・ヴェルヌの代表作の一つ『八十日間世界一周』は、1872年に新聞連載され、まさにその同時代が舞台になっています。連載中から大評判で、その後演劇化されそれも好評で、各地でロングランしたそうです。ちなみにヴェルヌの全作品中でも一番の売れ行きだったとか。
 そして作品中、世界一周の途上で主人公・フォッグ氏一行は日本の横浜にも立ち寄ります。もっともヴェルヌは、取材で世界一周をしたわけではない(むしろ家の中にこもって小説を書いていたらしい)ので、ヴェルヌが横浜を「見た」訳ではありません。
 物語の設定上、1872年11月13日にフォッグ氏の従僕・パスパルトゥーが横浜に上陸したと書いてあります(彼とはぐれた主人・フォッグ氏一行の来日は翌日ぐらい)が、そこで描かれる日本は江戸時代です。「江戸」という地名は出てきても、「東京」は出てきませんし、将軍が江戸にいることになっており、ミカドが「ミヤコ」にいることになっています。新橋~横浜間の鉄道開通はこの年10月14日だから、実際にこの日に横浜に上陸すれば、ちゃんと汽車が出迎えてくれた筈なんですが。

 それはともかく、『八十日間世界一周』は日本に紹介されたフランス文学の中でも最も早いものなのだそうです。そしてその版元が慶応大学だったことが、このような企画に繋がったもののようです。
 『八十日間世界一周』は日本でも川上音二郎が劇化し上演したそうですが、それ以後長らく舞台から縁が遠かったそうです。それを先年、久方ぶりに舞台に載せたのがおのまさし氏たちだったそうで、それを一日だけとはいえ無料で再演するというのは、ずいぶん大盤振る舞いなイベントです。汽車や汽船に興味のある身として『八十日間世界一周』は好きな作品なので、見に行ってみようかな。
 「グローバリゼーション元年」として『八十日間世界一周』を捉えるのは、確かに納得できる面があります。何しろフォッグ氏は2万ポンド(現在の数億円程度か)の金力にものをいわせて、80日間で世界を駆けめぐるわけで、その辺がああ資本主義の時代だなあと思わされます。道中フォッグ氏が使った金額で最大のものは船をアメリカ人から買うところですが、ここはアメリカ人から買うのでドル単位で出てきます。しかし他はイギリス人の旅行なので、ポンドで計算されています。中学生頃本書を読んだ小生は、これを差引勘定し、当時は1ポンド=5ドル位なのだと見当を付けましたが、これは結構いい線を行っていました。

 さて、ゼミで伺った話とは、日本で『八十日間世界一周』を最初に訳出した川島忠之助(1853~1938)という人物についてでした。フランス語に通じていたそうですが、実は文学者ではなく(文学者になりたい意図もあったようにも伺えるらしいのですが・・・)、横須賀製鉄所(造船所のこと)や富岡製糸場に勤め、後に横浜正金銀行(戦後の東京銀行)の重役にまでなったそうです。しかし、日本の重工業と軽工業の、それぞれの発祥の地に勤めたにも関わらず(どちらもフランスから技術導入しているのでフランス語は出来たのでしょう)、その事蹟は殆ど知られていない、同時代の資料でも目立たない、そんな人物であったようです。
 で、この川島は、1876年から翌年にかけて、自分もフォッグ氏と類似したルートで世界一周しています。これは蚕の卵を、当時蚕の病気が流行して養蚕業が打撃を受けていたヨーロッパに売り込もうという事業の通訳としてで、事業は渋沢栄一なんかが深く関与し、実際に派遣された中の中心人物は、のちに軽便鉄道を日本各地に展開したことで有名な、雨宮敬次郎だったのでありました。
 そこから更に、養蚕業の話やヴェルヌ翻訳の経緯など、興味深い話は色々とありましたが、人様のご研究を勝手に個人のブログで公開するのも何なので、その一端は上掲展示会でも示されるようですし、やはりここはそれを見に行くのが宜しいかと思います。

 ヴェルヌ繋がりでもう一つおまけに。

f0030574_22565173.jpg杉本淑彦
  『文明の帝国
 ジュール・ヴェルヌと

 このような本をずいぶん前に古本で買い、一年以上前に読了しておりましたが、感想を書く機会を逸したまま時間が経ってしまいましたので、この機会にご紹介。といっても舞えすぎて、本の内容をあらたか忘れてしまっているのですが(苦笑)、本書の読書メモの断片が発掘されたのでそれに基づいてごく簡単に一筆。

 ヴェルヌが活躍した19世紀後半とは、とりもなおさず帝国主義の全盛期でした。その時代のフランス最大の流行作家だったヴェルヌの作品に見られる「帝国」の像、植民地支配や人種問題について、その描かれ方を検討した書物です。全部で400ページを超える浩瀚なものですが、うち100ページ以上はヴェルヌ作品のあらすじ紹介です。文章が敬体なのがちょっと変わっている気もします。
 ヴェルヌ自身は、例えばキプリングのような、植民地活動のイデオローグとして活動した人物ではなく、また『海底二万マイル』のネモ船長の造形からも伺えるようなヒューマニストでもありました。彼の読者もまた、第三共和政下での主流である穏健共和派が中心で、子供向けの本としても当時既に定番だったそうです。だから、当時のフランスの一般的な、「帝国」への見方・考え方というものが見えてくるのではないか、という課題設定でした。
 で、結論を先取りすれば、当時(19世紀後半)においては、ヴェルヌ作品から推し量る限り、国民の間に帝国主義的なイデオロギーは、それほど浸透していなかったそうです。興味深いことに、フランスで植民地の維持拡大を重視する意識が最も盛んになったのは、1930年代以降、ドイツに戦争で敗れて占領され、また解放された1940年代半ばのことというのが、最近の定説なのだとか。ドイツに負け、そのドイツを負かした英米ソに負けてなるものかという意識が、植民地に向かったのだそうです。なるほど、インドシナの事態の説明として大いに説得的ですね。
 また、ヨーロッパの民族自決(当時そういう言葉は広まってませんが)や奴隷解放を支持していたヴェルヌも、植民地独立には全く後ろ向きでした。この両者を矛盾なく繋ぐのは、「文明化」するということで植民地を正当化する考え方を、当時の多くの人と同様にヴェルヌも抱いていたということになります。ヴェルヌはイギリスなどの植民地支配を批判する一方で、フランスの支配をやはり文明化という点で支持していたようです。そして文明化してやる、ということは、主観的には充分人道的なことであったのです。
 そして、帝国主義の時代が終焉し、フランス植民地もあらたか独立した現在でもなお、この帝国意識は清算されることなく抱き続けられており、時としてそれが移民に対し噴出することもある、そういった形で今日にも繋がっているのと考えられます。

 という趣旨の本書で、なかなか興味深く読んだものですが、幾つか感じた疑問を以下に列挙し、感想に代えさせていただきます。
 まず、帝国意識の最盛期が第二次大戦頃であるならば、その時代にどうヴェルヌが読まれていたかを考えるべきではないか、ということです。本書はヴェルヌの作品が書かれている当時に即して読み解いていますので、その後どう読み継がれたかということは触れられていません。
 また、ヴェルヌの内容を社会の標準と見做すより、逆にヴェルヌの作品が社会に影響を与えたという側面はないのか、ということです。ちょっとしたエピソードが幾つか紹介されていますが、なかなか調べるのが難しい点だろうとは思います。しかし彼が流行作家で、作品は子どもに読ませるものでもあったとすると、その影響は広く長く及んだでしょう。翻訳もフランス文学史上もっともされたのですから、フランス内部にその影響はとどまるものではないでしょう。
 ついでに、流行作家であったヴェルヌの作品中に登場する、帝国的な何か(「野蛮人」たちやその住む土地、他の列強の政策など)の描かれ方に、その時々の「流行」を取り入れる商売っ気のようなものがないか、ということも気になります。どういうテーマを目ざとく取り込んだかも興味がありますが、またそのようなことによって起こる偏りも考察に入れるべきではないか、ということです。

 以上、まとまらぬ話ではありましたが、行ければ慶応の展示や企画は覗いてみたいところです。誰か行きたい人はいませんか?
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by bokukoui | 2008-11-20 22:54 | 歴史雑談