「浦嶋嶺至 画業20周年トークイベント」レポ続き

 急に冷え込んだせいか、先週来調子が思わしくなく、そういう時に限っていろいろ用事が積み重なり、仕舞に寝てるんだか起きてるんだか分からんような状況になっておりましたが(多分風邪を引いていたんだろうと今に思う)、何とか回復してきたので、いい加減放って置きすぎた「『浦嶋嶺至(礼仁) 画業20周年トークイベント』に三峯徹画伯を拝む」の続きを書きたいと思います。
 前回の記事では、浦嶋氏のイベント「全身エロ漫画家宣言!!」の前半部分、エロマンガ雑誌への投稿者として一部筋で著名な三峯(みつみね)徹画伯が登場して、トークを行ったところまで書きました。この記事ではその続きとして、マンガ家のゲストである田中圭一氏・ふくしま政美氏が登場して語られた内容を、かいつまんで述べたいと思います。メモがそれほどきちんとしていないので、トークのレポというより「名言録」みたいな感じになると思いますが・・・。
 なお、諸般の事情により、記事の日付が実際の更新日とずれております。ご諒承下さい。

f0030574_5334676.jpg というわけで、第2部?の三峯氏のコーナーが終わって、今度は第3部?か、田中圭一氏が登場します。浦嶋氏は、田中氏の劇画村塾以来のファンだそうで、一時期は田中氏のアシスタントをしていたこともあったとか。
 全くどうでもいい話ですが、小生は『月刊COMICリュウ』を愛読し、またとり・みき/唐沢なをき『とりから往復書簡』単行本買って読むほどだったもので、田中圭一氏と聞くと同誌2007年11月号(単行本1巻)で唐沢なをき氏が描かれていた田中氏の肖像(←)が浮かんだのですが・・・登場した田中氏は、スーツに身を包んだ、にこやかな感じの方でした。そうそう、永山薫さんを見送って楽屋を覗いた昼間たかし氏が、「楽屋の面子があまりにも濃く、田中さんだけスーツを着ていて一番普通に見えた」なんてことを仰ってましたっけ。でも「普通」なのは見た目だけということがすぐに分かります。

 白夜書房の『トラウママガジン』の内幕話などから始まったトーク、浦嶋氏が「田中さんはまともにサラリーマンやってるのに、描く漫画はいつもひどい」などと振ったあたりからヒートアップしてきます。
田中氏「mixiの日記が最近滞っているが、日記を書いていると、ネタの水準を上げなければと思って書く間隔が開く。もっと下品に!

田中氏「オナニー楽しいじゃないですか」
浦嶋氏「だから嫁と別れた」
田中氏「嫁は飽きるけどオナニーは飽きない。
 でも広井王子は毎日ストーリープレイか」
浦嶋氏「この人、毎日どうカッコいいオナニーするかしか考えてないんじゃないの」
田中氏「オナニーはやめちゃいかん。前立腺もちんちんも萎縮するので、毎日毎日毎日・・・」
 広井王子ネタは別の人だったかも知れません。

「オススメのオカズは」と聞かれたところ、
田中氏「過去の良かったセックスを思い出して、相手を2分おきくらいに変えて。同じ人だと飽きるんで」
ナベ氏「高度な技術ですね」

 そのへんからオナニー話が延々と。あまりに下品に付き(笑)こと細かには記しませんが、
「最高齢でオナニー記録を狙えば」
「いつでも前のめりに、自涜死」←旧漢字がゴシック体で出ないのが残念
「棺桶の中に入る時はナニを握った状態で」
「棺桶の開口部は上下逆で」

 いや、色々ありました。「馬の交尾を見て興奮した男女がことに及ぶ」筈のAVが、馬の交尾の方が遥かに迫力があって、人間のそれがつまらなく見えた話(ビデオ自体、馬の方が時間が長くなってたとか)だとかも。
浦嶋氏「田中さんと家近いので、『呑もうか』とよく話はするが、機会がなくて」
田中氏社交辞令ですから
 とまれかくあれ、田中氏の下品なヒドい話に場が大いに盛り上がり、ここで休憩に。

 そして第4部?の、ふくしま政美先生の登場です。これが今日のメインなのか、浦嶋氏は「ふくしま先生を呼べたことで満足」みたいなことを仰っていたかと。浦嶋氏は一時ふくしま先生の下でアシスタントをしていた由。
 ゲストも入れ替わり、竹熊健太郎氏と宇田川岳夫氏が登場します。小生が生で竹熊氏を見たのは今日が最初でした。宇田川氏については全く知りませんでしたが、サブカル研究家にしてふくしま先生の熱心なファンだそうで、詳しくはウィキペディアはてなキーワード(両方でカバーしている情報が違っているので、両方見ることを推奨)をご参照下さい。
 さて、小生は、ふくしま政美先生についてはそれこそ「お名前はかねがね」という感じで、作品についてはよく知りません。このような徒輩がレポを書くというのもおこがましいことですが、なるべくメモに忠実に書き起こして、ふくしま先生の言葉を皆さんにお伝えできればと思います。知識不足で間違った書き方をしている箇所がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。

 まず壇上に竹熊氏と宇田川氏が登場し、竹熊氏が大塚英志や昔話などします。あの、「おたく」という言葉を生み出した『漫画ブリッコ』の中森明夫のコラム(後で大塚編集長と揉めて打ち切り)の後を継いだのが竹熊氏でしたが、氏はそこで大塚氏のロリコン中心路線に対抗してふくしま作品を紹介し、それが縁で宇田川氏と縁が出来たんだとか。当時はオタクもサブカルもシームレスだった、と振り返ります。
 で、この日来ていた観衆の多くもふくしま先生目当てだったのでしょうか。いよいよふくしま先生の登場という場面で、宇田川氏が音頭を取って「人間、自由!!」のコール。ちなみに昼間氏も、わざわざ物販のふくしま政美Tシャツを買ってその場で着込み、絶叫しておりました。
 かくて野球帽をかぶったふくしま政美先生が登場。
 この状況の写真が、阿佐ヶ谷ロフトイベント写真館の2008年11月の所に載ってます。cgiのため上手く直接リンクを張れないのが残念。写真をここに引用したらさすがに問題な気もしますし・・・こっそり写真に直リンしておきますが、この写真では壇上左から夜羽音先生・浦嶋氏・竹熊氏・ふくしま先生・宇田川氏・ナベ氏の順に並んでいます。

竹熊氏「まさかふくしま先生が復活するとは思わなかった。クイックジャパンの大泉実成『消えたマンガ家』(ふくしま政美も登場)が当たった。その当時はふくしま先生の連絡先が分からなかった。その後、ふくしま先生が復活。
 それは、ロフトの夜羽音のイベントで、浦嶋氏が『ふくしま先生が行方不明』という話をしていたら、会場内から『ここにいるぞバカヤロー!!』とふくしま先生が登場し、夜羽音が泣いた」
宇田川氏先生が復活したのではない。先生は常に輝いていて、我々の目が見えなかっただけ
竹熊氏「オタク歴は自分も長いが、宇田川氏ほど趣味の幅が広く濃い人はいない。ふくしま先生復活の直接のきっかけは大泉氏だが、下地を作ったのが宇田川氏」
浦嶋氏「そのお陰でえらい目にあった。パンドラの箱を開けてしまった」
竹熊氏「原作を安請け合いして後悔した。ふくしま先生のパワーにはじかれてしまう(註:竹熊氏のブログ記事参照。面白いので是非ご一読を)」

宇田川氏「雑誌『漫画エロトピア』は、創刊当初にふくしま先生の「女犯坊」を載せ、復活後の作品「暴乳拳」も載せて、連載終了直後休刊した。『エロトピア』は政美に始まり政美に終わった。
 ふくしま先生の無意識は時代の先端のところを突いている。現在『漫画サンデー』での「女犯坊」の連載は一年以上続いていて、奇跡。いつ終わるか終わるかとスリルがあった」
ふくしま先生「まあ最後の挑戦だね、週刊は」
宇田川氏「その辺のベテランで、自分で描いてる人、いるんでしょうか」
夜羽音先生「絶対この人は(自分で描いてる)、という人でも下絵しか描いてないことは多い。やはり週刊のクオリティを維持するのには、一人では無理」
宇田川氏「昔、ふくしま先生はランニングをしていて、『漫画は足腰で描くものだ』と言っていた」
ふくしま先生「おっぱいや尻はきれいな線でないと、抱きたいと感じられなくなる。一本の線で勝負しなきゃいけない(途中で止まったりしてはダメ)」

竹熊氏「ふくしま先生から見て浦嶋氏は?」
浦嶋氏「聞かないで下さいよ」
ふくしま先生「これは大変だ、と思った」
浦嶋氏「まずペンの持ち方から違うと言われた。
 自分は誰の弟子にもなったことがなかったので、誰かにつきたかった。(復活したふくしま先生にアシスタントに行ってから)10年経って、根無し草にならなくて良かったと思う」
ふくしま先生「まあ結局、直らなかったな。でもよく20年やってきた」
浦嶋氏「自分らの世代は、師匠を持たずにプロになったので、自分らの世代は漫画の大きな歴史に属したいという気持ちがあった。それを感じるのがデビューして10年後か20年後か、自分は10年でできて幸運だった。自分はショックが大きすぎ、ふくしま先生の所に行ってからしばらく漫画が描けなかった」

 しばし話が脱線し、アシ話に。山本直樹のアシスタントについて、
浦嶋氏「俺は君(夜羽音先生)がアシに入ったから、(山本直樹が)アシを使うの嫌になったと聞いてるぞ」
夜羽音先生「それは本当。今はマック1台で描いてる。十年前のソフトのまま」
竹熊氏「山本氏は、古いコンピュータで描いて、ドットが出ているようでないと嫌らしい」
宇田川氏「ふくしま先生退屈してます(笑)。先生はアナログにこだわるそうで」
ふくしま先生「ペンはさくら、あと開明墨汁。墨汁の匂いがたまらない。蓋を開けた瞬間、今日もやるぞ、と思う。原稿用紙はすべて画用紙」

 ここでふくしま先生が影響を受けたという劇画家や、弟子筋の方々の話が出たのですが、小生がこの方面に疎いせいであまり上手くメモが出来ていないのですが・・・ふくしま先生は真崎守のアシスタントをされたことがあり、「コマ割りを教えてもらった。死ぬ人は横長のコマ、生きる人は縦長にコマ割する」のだそうです。
 また、ここでいっしょにアシスタントしていた(?)のが宮西計三で、その弟子が松文館の貴志元則だとか、そんな話もあったかと思います。

浦嶋氏「先生はいつから紙とペンをインクで描いたんですか」
ふくしま先生「マイナスゼロだよ。前世から」(台詞のママ)
 実際には2~3歳からだと思う、とのことでした。
 その後虫プロの『COM』に応募して佳作1位に2回なったのに入選しない。変だと思って理由を聞いたところ、手塚は劇画が嫌い、入選者は出来レースだという。後年手塚に会ったのでこの時のことを聞いたところ「そんなこと言ってない」
 また、横山まさみちにも下手と言われたことがあり、これも後年パーティで会ったら「そんなこと言ってない」
宇田川氏「他のマンガ家に警戒される、ふくしま先生はそんなマンガ家だった」
ふくしま先生絵で人を驚かせたい、絵しかない」
 更に続く話では、ふくしま先生は酒と女が好きで、昔は原稿料を貰ったらトルコ(国名に非ず)に行ったとか何とか・・・

夜羽音先生「手塚の話だが、あの人は人間ちっちゃいんでは。何にでも嫉妬した」
竹熊氏「人間ちっちゃかったけど、政治的に新人を潰そうとはしなかった。作品で勝負しようとした。子供っぽい。口癖が『ぼくもこれくらいは描ける』」
ふくしま先生「手塚の1ページ大の絵は耐えられないが、同じような丸っこい絵でも、ちば先生は上手い。
 でも今見れば手塚先生が一番だな」
(壇上の一同、ずっこける)
宇田川氏「考えてみれば、手塚もよく中断していた。(ふくしま先生と手塚は)同じじゃないですか」

ふくしま先生「時代には合わせなきゃいけない」
竹熊氏「そこも手塚と似てますね」
宇田川氏「「女犯坊」、今描いていてどうですか」
ふくしま先生楽しいね。今の編集部なくして「女犯坊」はなかった。このタイトル自体、大手じゃダメ。
 だけどいつまでも「女犯坊」じゃないだろう、連載は今年で終わり。来年は新しいキャラクターで。原点に帰ろうかと。劇画の原点に」

 こうして、ふくしま政美先生のトークは終わりました。
 更にその後、格闘に詳しい方が登場して、オフレコで濃い格闘話を展開したり(○○○の□□□□□が×××に△△△△してるとか)、映像方面のギー藤田・岩崎友彦両氏が登場したりとまだまだイベントは続くのですが、もう小生がフォローできる範囲を超えてますし、実際時間の都合でまもなく帰ってしまいましたので、小生のレポはこの辺で終了させていただきます。
 浦嶋氏が「20年やってればこれだけの人と会えるということを示したかった」と仰っていたかと思いますが、全くその通りで、それぞれのゲスト一人づつでもイベント出来そうな面々でした。それだけ密度が濃いというか、もったいないような気も・・・しかし、これほどコストパフォーマンスの良いロフトのイベントも、そうはなさそうですね。お目当ての三峯画伯以外のゲストの話も面白く、自分の幅も広がった感じでした。
 いやもう、満腹、満腹。
[PR]

by bokukoui | 2008-12-09 23:59 | 漫画 | Trackback | Comments(0)

トラックバックURL : http://bokukoui.exblog.jp/tb/9875485
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前
URL
削除用パスワード