2006年 08月 25日 ( 1 )

続々々地歴教育雑感

 ようやっとこの話題の続きです。

 書いた当人も忘れかかっているのでこれまで書いたことをまとめなおすと、
1.カマヤン氏は、受験生は近現代史を学んではいるが断片的であるため、理解できていない、と指摘。
2.しかしながら、それは近現代史に限らず歴史教育全般の問題と思われる。
3.その背景には、結局受験対策で教えていることがあるのではないか。
 こんなことを書いていたらしいです。

 いきなり話は横道に逸れますが、本日小生は某予備校(※らくたさんとは関係ないところです)の研修に行く羽目になりました。就業前研修のはずがとっくの昔に仕事は終わっているのに(また引き受けるかもしれないが)、なぜか事後的に研修。
 で、その某予備校のシステムを説明されたのですが(どこか分かっても差し支えるのでわざと曖昧に書きますが)、要するにそのシステムとは、細かく段階を区切ることで、一つづつ段階をクリアするという「成功経験」を積み重ねることで自信にと繋げ、そして自信を得ることで努力を自らするように仕向け、かくてステップを踏むことで合格に達する、となっていました。そして、教務担当者が始終面談して、合格に至るステップの踏み具合を適切に指導してくれるそうです。
 こういうシステムは最近流行りなのでしょうか。電車の中で「教師と教務と先生が二人ついて、55段階制で細かに指導」なんて塾の宣伝を見たこともあるし、また小生がもう一つ主にバイトしている塾のシステムも、様々な段階の教材を作成し生徒の進捗状況に合わせて柔軟かつ多様に対応できる、という点では類似した発想のように思われます。

 今日行った予備校は、そのシステムで合格実績などの面で成果を挙げているようです。確かに、個別の生徒のレベルに合わせて柔軟な対応が出来るというのはよさそうなことです。また、細かなステップに区切って一つ一つ達成させることで自信をつけ、そのステップを積み重ねることで目標に到達する(途中で問題があったらそのステップを反復する)というのもよさげな感じがします。
 ですが、ここで敢えて疑問を呈するならば、そうやって学ぶべき対象の科目をバラバラに細切れにしてしまい、その断片を煉瓦のように積み重ねていけば完成する、という発想自体が、これまで二回の記事で書いてきたような知識の断片化をより促進しているようにも思われるのです。
 さらに言えば、このようなステップをどのように踏んでいくか、つまり断片をいかように集積していくかという過程自体は、このシステムではもっぱら予備校側がお膳立てしているため、生徒が自分で学ぶべき対象全体の構造を把握する機会が損なわれているのではないか、そのようにも感じるのです。

 その予備校の研修では、成功体験を身につけることで(それには細分化したステップを一つ一つクリアすることで成功の喜びが身に付くと言いたいらしい)、「努力」をするようになることが、受験勉強の意味であると主張していました。然るに、どうもどのように「努力」するのかということは慮外に置かれているようです。もう少し丁寧に言えば、自分の持っている資源と状況と、自分の持っている目標とを照合して、もっとも適切な自らの行動を決める、そのような判断のプロセスは、ここでは塾側が受け持ってしまっているようです。
 しかし、受験勉強の意義として、ただ「努力」して成功しましたバンザーイ、なんてのだけではなくて、より高度なマネジメント的なものもまたその成果に含まれるのではないか、むしろその方が大きいのではないか、そのように思います。
 なお、この受験勉強の意義=マネジメント能力養成説は、当ブログコメンテーター・緒方氏のご提唱の説をまんま引き写したものであることを書き添えておきます(笑)

 さらに、教える側からしてもこのようなステップ方式にはある種の問題があるように思われます。それは、結局対象となる学問を細分化してしまっているため、その科目の総合的な体系――歴史教育の場合なら、大雑把な流れや見取り図を示すことが含まれるかと思いますが――を教える機会が少なくなってしまうということです。それは学校の担当だ、受験産業である予備校は断片化した受験知識の蓄積を教えればそれでいいんだ、という開き直りはあるでしょうが、実は大局的な視野なくして断片ばかり学ぶことの効率の悪さは、受験の成功という短期目標に照らしての不合理さすらあるのではないかと小生は疑っています。ついでに、この予備校は、事業の目的は「自立した人材を育成すること」とかなんとか謳っていたようですが、やはり精神的自立にはある程度の一貫性を持った価値観を涵養することも必要なように思われます。
 小生が世界史や地理を教えている塾も、ある程度そのような問題はなくもないでしょうが、幸い? というのか地歴は講師の裁量が大きいので、まあそれなりに好きなようにやらせてもらっています。もっともその分負担は給料の割りに重いですが(苦笑)

 中括を差し挟みます。
 近代史に限らず、そして歴史に限らず、受験の影響で勉強が断片の記憶になってしまっている傾向はあると思われます。特に、全体が大きな流れになっていて個別に切り出すのが難しいという点で、歴史、ことに複雑に諸要素が絡み合って現在の社会状況にまで関っている近現代史は、その弊害が強く現れているということは言えるのではないかと思います。
 そして、断片化した知識ばかり集積されているということは、それを文脈に当てはめて解釈することが出来ず、ただ一問一答形式で切り返すことにしか使えないということです。こういった思考パターンに陥ってしまった人の議論は、ネットでしばしば見られるように、この話題といえばアレ、というお約束のテンプレばかり貼り付けて事足れりとしてしまうものになる危険性があるのではないかと思います。

 そんなことを考えるに至ったのには、以下のような事情も預かっております。 
 そもそもこの話題を始めるきっかけとなったカマヤン氏のブログの記事は、「はてな」というシステムであるため「はてなブックマーク」という機能がついており、こちらのページに見られるように、7人の人がブックマークをつけています。このカマヤン氏の記事を面白いと思ってブックマークをつけた人が、同時にブックマークをつけた記事を芋づる式に手繰って見ていくと、いろいろと興味深い記事に突き当たっていきます。

 一つ、kechackさんという方のつけたブックマークを拝見してみましょう。すると靖国問題など、歴史認識に関する記事が幾つか集積されていてなかなか興味深いです。こういったブックマークを作成される方のヴァイタリティにはいつも感心させられます(小生はズボラなたちなので)。で、カマヤン氏へのブックマークのずっと下に、kechack氏が「おめでたいほど歴史修正史観に洗脳されている」とコメントされたブックマークが見つかります。
 このブックマーク先を辿ると、なるほどkechack氏がそのような感想を抱くのもむべなるかなというブログ記事にぶつかります。しかし小生は、この記事自体の歴史的事実把握の誤りを云々したいのではありません(一つだけ指摘しておくとすれば、「青ヘル」は解放派であって革マル派じゃないよ、という点でしょう)。このブログを書かれたkaede0220さんという方はどうも現役受験生、とは高校生でおられるようです。そして靖国に関し熱弁を振るわれた前後の日記を拝読すると、8月10日には「勉強やっても覚えられねぇ。英語は単語熟語が覚えられないし、数学は基本は出来ても応用になるとからっきしダメ。古典漢文も同じ。世界史なんてもっと酷い。」、8月23日には「世界史も教科書3週+問題集2週したけど、全く分からないよママン。・゚・(ノД`)・゚・。」と書かれております。

 靖国問題について一筆物するほどの気概があるのに世界史が出来ない、このようにkaede0220氏が書いていることに小生は最初疑問を感じました。靖国であれなんであれ、興味を抱くきっかけがあって取り付けば、あとは流れを辿っていくことで世界史や日本史の理解は自然と深まっていくはずで、そうすればもはや歴史の勉強は苦行でもなんでもなく、それこそアニメを見てキャラを覚えるように身につけられると思ったのです。小生自身そうでしたから。
 しかし、これまで考えてきたことを手がかりにすれば、おそらく解答は見えてくるように思います。断片的知識の蓄積=勉強という状況に慣れきってしまったがために、断片知識をただ集積するだけで、それを自分なりに咀嚼して体系化し直し把握する訓練を受けておらず、それが世界史の学習を困難にしているのであろうと。そして恐らくは他の科目も。
 冗語を承知で付記すれば、そのように断片的な知識の取得・活用状況が、kaede0220氏をして靖国問題に関し該当記事のような見解を書かしめたのだ、ということも想定できるでしょう。そしてそのような状況は、ネット上などで比較的広汎に見出されるものであろうと思います。

 あまりに長くなり、しかもあまり上品ではない引用の仕方を多々してしまいましたが、それでも一応何がしかの展望を提示しておきます。
 歴史教育に関する問題は(他の科目については経験・知識が乏しいので、歴史教育に話を限らせていただきますが)、自虐史観云々以前に、知識の断片化というもっと重要な問題があるということです。それではこれを解消するにはどうすればよいでしょうか。大局的視点を養うような優れた著作を読むというのも一案です。しかし受身だけでは自分で咀嚼し直すことは難しいようにも思われます。
 いっそ逆に、一点でいいから具体的な実際の歴史史料に触れ、それを介して歴史というものについて考えるという方法はどうかだろうかと思います。大学でやるような「史学」を、プリミティヴな形であれ体験することで、教科書を暗記するつまらない科目、という生徒の思い込みを打破することが出来るかもしれません。
 もっともそれは学校や、いっそ大学のオープンキャンパスででもするのに適したことで、予備校の講師が云々できる方法ではありませんが。
 やっぱ合宿して "History of the World" をやるのが、最善とはいえぬまでもかなり有効な方法ではないか、と思ってみたりもするのですが、しかしこんなゲームを喜ぶ人間なら最初から苦労はしないわな。
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by bokukoui | 2006-08-25 23:57 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(4)