カテゴリ:歴史雑談( 132 )

『斜陽』「かず子」太田静子・「和田の叔父さま」大和田悌二の日記読み比べ 続き

 本記事は、

桜桃忌によせて 『斜陽日記』の太田静子と「和田の叔父さま」のモデル・大和田悌二

の続篇ですので、そちらを読んでから本記事をお読みください。長くなりすぎて桜桃忌のうちに書き終わらないどころか、ブログの仕様上ひとつの記事にも収まりきらなくなってしまいましたので、本記事を続篇として立てました。

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by bokukoui | 2013-06-22 23:59 | 歴史雑談 | Comments(0)

「皇国史観」平泉澄 晩年のインタビューのエピソード オーラルヒストリーは大変という話

※記事に追記しました(2013.6.19.)

 つい昨日ですが、ツイッター上で長谷川晴生(@hhasegawa)氏の以下のコメントに接しました。

 ここで紹介されているのは、『「皇国史観」という問題 十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策』『地図から消えた島々 幻の日本領と南洋探検家たち』を著された(小生もどちらも読みたいとかねてから思っているのですが、いまだに果たせていないのは残念でなりません)長谷川亮一氏のブログ「日夜困惑日記@望夢楼」の、以下の記事です。

・平泉澄と仁科芳雄と石井四郎

 こちらの記事では、『東京大学史紀要』第17号の「東京大学旧職員インタビュー(3) 平泉 澄氏インタビュー(6)」の内容を紹介、論評されています。

 これらの記事の主役・平泉澄(1895~1984)といえば、当ブログの読者には説明不要でしょうけれど、戦前・戦中に「皇国史観」(本人がそう称したわけではないですが)のイデオローグとして活躍し、政治家や軍人などにも少なからぬ影響力を振るったといわれる歴史学者です。そのため戦後は一転、激しい批判の対象となりましたが、同時に今でも一定の支持者を持ち続けています。その特異な行動のために評価は今なお難しい人物ですが、最近ミネルヴァ書房のミネルヴァ日本評伝選から、若井敏明氏による評伝が出ています。
 平泉についてのエピソードは以前から様々に語り伝えられてきておりますが、おそらくもっとも有名なのは、門下の学生だった中村吉治が平泉に「百姓の歴史をやりたい」と言ったら、「百姓に歴史がありますか。豚に歴史がありますか」と言われた、というものでしょう。

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by bokukoui | 2013-06-07 23:35 | 歴史雑談 | Comments(9)

菊と鷲 日露の軍艦名の疑問

 5月27日はかつての海軍記念日で、とは1905年に日本海海戦が戦われた日(当時ロシアはユリウス暦でしたから、ロシア側では違います)なのですが、それに関連したようなそうでもないようなことで、ちょっと気になっていることがありまして一筆。

 日本海海戦は5月27日だけで終わったのではなく、その夜に水雷艇などによる夜襲が行われ、翌日に追撃戦が行われて、そこで敗残のロシア艦が日本海軍に降伏したりして、海戦は終わります。
 で、そんな次第で5月28日に降伏したロシアの戦艦に、オリョール Oryol Орёл という艦がありました。同艦は当時のロシアの主力戦艦・ボロジノ級の1隻で、同級は全部で5隻も建造されましたが、4隻が日本海海戦に参加して3隻沈没1隻降伏と、散々な目にあった級でもあります。
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(C)GENERAL SUPPORT
ロシア戦艦「オリョール」の艦容略図(ジェネラル・サポート「日露戦争」より拝借)
※このゲームの攻略法についてはこちらの記事を参照


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by bokukoui | 2013-05-28 23:59 | 歴史雑談 | Comments(0)

大原社研『電産中国関係資料』紹介

 今日はメーデーですし、また戦時中の電力国家管理体制が解体されて戦後の九電力体制が発足した日でもありますので、それに関係したような話題を。
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法政大学大原社会問題研究所 ワーキング・ペーパー No.49
『電産中国関係資料』

 先日、ちょっとご縁がありまして、法政大学大原社会問題研究所の方から、上掲の資料目録(A4版50ページ)を頂戴しました。せっかくなので、簡単に内容をご紹介したいと思います。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2013-05-01 23:47 | 歴史雑談 | Comments(6)

1930年代日本の経営者に関する思いつきのまとめなど

 暖かくなって、少しは何事も前向きになっていると思いたいものです。最近、全般的な稼働率は向上していると思いますが、かといって物事が順調に進んでいるというわけでもなくて。
 それはともかく、そんなわけで多少興の乗った先日、ぐだぐだ最近考えていることをツイッターで垂れ流していたところ、憑かれた大学隠棲氏がありがたいことにそれをまとめて下さったので、当ブログでもご紹介させていただきます。

 戦前の財界人の思慮深さと切り売りされる私鉄系有料道路の憂鬱

 なお、このまとめ中で出てくる「ユニクロ会長の昨今の発言」については、これも氏のブログに手短にまとめられておりますので、ご関心のある方はご参照下さい。

 ここで小生が述べましたことに少しく補足をしておきますと、どちらかといえば「思慮深さ」というよりはもっと切羽詰まった、危機への対応策の検討であったと思われます。それも、国際競争に負けるとかそういう話ではなく、経済体制そのものが企業中心か軍や官僚による国家管理かという、大きな岐路に立っていると思われた時期です。なお、結果としては(一時的にせよ)国家による強力な統制が戦争を背景に行われますが、1930年後半(日中戦争泥沼化)までの統制というのは、目前の戦争に対応するというよりは、世界恐慌で明らかになった資本主義の問題点を克服し、近く来るかも知れない戦争に対応することが目的で、単純な戦争目的(長期的にはそれを含むにしても)には限らないことに留意して下さい。

 そして、まとめられた一連のツイートで言い落としてしまったことを一つ補足しておきますが、1930年代の財界人の苦悩というのは、資本主義体制が問題視され各方面から圧迫される中でどのように自分たちのイニシアチブを守り通すかという問題ですが、これは彼らにしてみれば既得権擁護という狭い話ではなく(そりゃまあ、そういう思いがなかったわけではないでしょうが)、軍人や役人には経済が分からない、自分たちがやらなければならない、という自負と使命感がそこにはあったと小生は考えます。
 しかしながら、1920年代の慢性的不況状態に加えて世界恐慌というのは、既存の体制への修正が必要ということも示していると受け止められたといっていいでしょう。自由競争の弊害というものも確かにあり、それには経済人自身がまず悩んでいたのです。なので何らかの統制や調整は必要である、しかしそれが政府の全面的介入によるものではなく、業界の安定のルールを定めつつ経済人の能力を生かす、そんな方法が財界でも模索されていたと、おおむね考えられます。
 ただ、その方法については、財界でまとまった発想が必ずしもあったわけでもありませんし、業界ごとに、あるいは人ごとに、異なった見解に基づいて異なった行動を取ったといえます。そこに戦争やら何やら、軍や役所の動きが絡まり、ある財界人は戦時中に統制経済の中でも重要ポストに就き、あるものは逆に一線を退きます。ここでの動きを単純に、「戦争協力か否か」だけで二分してしまっては、ことを単純化しすぎ、ひいてはこの時代の様相も分からなくなってしまうであろうと思われます。

 具体的な例としては、当ブログで昨年批判した佐高信『電力と国家』が、自由競争=戦争反対=善、統制経済=戦争支持=悪、という二分法に陥ってしまった悪例といえるでしょう。戦前における電力業界の競争による弊害その対策としての規制については、これまた以前当ブログで紹介した通りですが、佐高氏が自由経済の絶対的信奉者のように描く松永安左エ門にしても、1920年代後半からは様々な電力業界自主統制案を打ち出しています。
 もちろん松永の場合は、統制といってもあくまでも業界の自主的なものとする前提で、政府による経済管理を是認したわけではありません。この時代に松永の打ち出した自主統制案こそ、民有民営を前提に地域独占を認めた戦後の九電力体制の原形なのだ、と電力業史の大家である橘川武郎先生は主張しておられます。
 ですが、それ以外にも様々な統制案が出され、財界人の中でもどうあるべきかの意見は割れていました(これが軍や政府に対抗できなかった一因ともされます)。結果的に「政府にすり寄った」「戦時体制に協力した」ように見える財界人の行動にしても、当時の(しかもけっこう急に変転する)情勢の中で、資本主義と経営の自由をなるべく守ろうとしてのことか、諦めて投げ出したのか、強い者にすり寄ったのかは、丹念に検討して判断されなければなりません。ある型だけを取り上げてそれを正義とすればいいわけではないのです。
 佐高氏がここで大きな誤りを犯していることは先の記事で述べた通りですが、小生の考えでは、橘川説にしてもやや松永寄りに過ぎる面があるのではないか、小林一三の行動を比較してみることでそれを相対化できるのではないか、と現在考えております。

 話が長くなりましたが、細かい話をしているときりがありませんので、とりあえずこんなところで。

(蛇足)
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by bokukoui | 2013-04-27 23:59 | 歴史雑談 | Comments(2)

長崎事件記念日 松永安左エ門「官吏は人間のクズ」発言と内務官僚・丸亀秀雄

 当ブログで日曜日深夜に一部をアップしていた記事が、途中心身および機器の不調によって書きかけのまま停頓しておりましたのが、漸く完成しましたので、ご一読いただければ幸いです。

 平山昇『鉄道が変えた社寺参詣 初詣は鉄道とともに生まれ育った』感想

 まことに面白い本の書評を試みた記事ですが、同書の内容のみならず、平山昇さんが他の機会に報告された内容にも触れ、かついろいろと議論の発展を試みました。その分長文になってしまいましたが、まあそれなりの内容ではないかと自負しております。

 という連絡だけで終わるのも寂しいので、今日の日付に関係した、ちょっとした話題を。
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1937年1月28日付『東京朝日新聞』朝刊に掲載された松永安左エ門の「謝罪広告」
(この画像はクリックすると拡大表示します)


(続きは以下に)
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by bokukoui | 2013-01-23 23:59 | 歴史雑談 | Comments(4)

佐高信『電力と国家』を巡って考える 技術編

 本記事は、「佐高信『電力と国家』を巡って考える 綜合編」の続きです。
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左:今回のお題=佐高信『電力と国家』集英社(2011)
中:同書のネタ本=大谷健『興亡 電力をめぐる政治と経済』産業能率短期大学出版部(1978)
右:同じ著者だが同書「主要参考文献」にない『激動の昭和電力私史』電力新報社(1991)

 今回は、前回の記事で指摘した佐高信『電力と国家』の問題点、(1)松永安左エ門・木川田一隆を絶対視するための偏り、(2)「公の精神」の曖昧さ、(3)調査研究の不足の点について、それぞれ敷衍して述べていこうと思います。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2012-12-13 23:59 | 歴史雑談 | Comments(0)

旧軍砲台の隊長官舎@山口県・角島

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山口県の角島にあった沿岸砲台の、指揮官用と伝わる旧官舎
戦後は地元の公民館として活用されたが、2004年頃解体された(2004年2月撮影)

 今日は玉音放送の記念日ということなので、それらしい写真をハードディスクから引っ張り出してみました。

 これは山口県の角島という、日本海を望む島にあった、旧軍の遺物です。角島は対馬海峡の東出口にあたり、日本軍が海を行く敵艦(主に想定されていたのはソ連の潜水艦等だったようです)を防ぐために、太平洋戦争中砲台が設けられていました。この建物は、その砲兵部隊の隊長の官舎だったと伝わりますが、戦後改修されて公民館として長年活用されたものの、遂に老朽化で取り壊されたそうです。
 ここの砲台に装備されていた大砲はちょっと変わった大砲で、ドイツのラインメタル社製15センチ砲でした。同盟国から輸入した・・・のではありません。これは日中戦争の分捕品だったのです。ドイツから中国に売られ、それを日本軍が捕獲して日本の離島に据え付け、敗戦直前に本土決戦用としてさらに別の場所へ移されたそうですが、その途中で戦争は終わりました。
 角島ではその15センチ砲を4門、コンクリートの台座に砲塔のような形のカバーをつけて設置していました。ドイッチュラント級装甲艦の副砲と同じ大砲で、形も同じ、数もドイッチュラントの片舷と同じですね(設置の間隔はずっと広いですが)。砲座のうち一つは道路工事で潰され、残りも埋められましたが、工事の際の詳細な発掘報告書があります。

 角島は現在、すごく立派な橋で本土とつながれており、ドライブに行くには素晴らしい場所です。正直、立派すぎる橋のような気もしますが・・・。この官舎はなくなったと思いますが、砲台の遺跡は他にもありますし、さらに日露戦争中の海軍の望楼の遺跡もちょっとあったりします。ご関心のある方は観光がてら行かれればと思いますので、その詳細をご紹介・・・したいのは山々なのですが、このところ論文その他に追われて余裕がありません。続きはまた折を見て。
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官舎の姿・もう一枚(2004年2月撮影)

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by bokukoui | 2012-08-15 23:59 | 歴史雑談 | Comments(0)

マイナスネジとプラスネジ 岩本町「アジト」が「昭和遺産」になる日?

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岩本町の通称「アジト」の建具 プラスマイナスのそれぞれのネジで留められた新旧の金具

 またしばらく調子を落とし、特に午前中は頭痛だなんだで動けない日々が続いておりましたが、今日は天気が良かったせいか何とか回復基調にあります。ようやく本も読めるような感じで、遅れている諸事を取り戻さねばと思っておりますが、それだけに電力事情という社会的要因のみならず、個人的な健康事情からも今夏の気候が気になります。
 そんなわけでブログの更新も滞っておりましたが、あんまり間を開けるのも何なので、例によってお蔵出しの画像を張ってお茶を濁す次第です。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2012-06-14 23:59 | 歴史雑談 | Comments(4)

総括原価方式の誕生(3) 公益規制と私企業精神の両立

 本記事は、

 日本の電気料金の歴史 総括原価方式の誕生(1)
 総括原価方式の誕生(2) 逓信官僚・平沢要の電気行政構想

 の続きです。
 前回の記事が中途半端なところで終わってしまいましたが、(2)に引き続き、区域独占と総括原価方式の構想を立てたと考えられる逓信官僚・平沢要の電気事業観を検討し、現在諸悪の根源視される総括原価方式の意義を考え、現在にくみ取れる教訓を得たいと思います。特に今回は、平沢が電気事業者の利潤やインセンティヴについて、また監督行政のあるべき姿について、どう考えていたか、を中心に見ていきたいと思います。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2011-11-15 23:59 | 歴史雑談 | Comments(2)