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王の蹉跌~レックスグループMBO雑考続き

 昨日の記事の続きです。

 さて、レックスグループの総帥・西山知義氏が、常々「感動創造」なるスローガンを呼号しているにもかかわらず、今回の件で株主に対してそれと逆な振舞をした理由ですが、小生が思うにまずそもそも株主について考える度合いがあまり高くなかったのではないかと思われます。なんとなれば昨日の記事で散々ネタにした件の小冊子の中で、株主について触れた箇所が実は案外少ないということから思いついたのですが。「株主重視の経営」なんてフレーズは、ここ十年で耳にタコが出来るほど普及したように思いますが、どうも西山氏の経営理念の中では、顧客に対するそれと比べ株主に対する配慮は低いように思われます。
 ではそれは何故か、ということを更に考えれば、結局レックスグループとは西山氏がオーナー経営である会社だから、というところに帰着するのではないかと思います。株主≒西山氏でしたら、株主利益云々を言わずとも、従業員に西山氏の経営理念なるものを注入すれば、それで事足りることになるでしょう。

 何やかんや言っても、これだけ大きなチェーンを築き上げたのですから、西山氏のこれまでの経営手法が全く間違っていたわけではないでしょう。しかし、一軒だけとか数店舗程度のお店と、千を越える店舗や種々の業態を抱えた企業の経営とでは、おのずと異なる点が出てくるはずです。
 小生思うに、本件の示したことは、レックスグループというのは結局「西山商店」であり、そのグループ規模に相応しいだけの経営体制に進化できなかった、ということなのであろうと見ています。予算の修正を何度も繰り返したこともその表れでしょうし、この記事中で西山氏自身が認めている「懸案となっている経営課題としては◆社員の負担感の増大から来る組織風土の悪化◆経営管理体制構築の遅れ◆既存業態の継続的にブラッシュアップする仕組みとブランディング化の遅れ──など」といった問題もそれと関連していると考えられます。
 件の小冊子で株主のことよりも遥かに多く述べられていることは、顧客に対する「感動創造」でした。成る程外食産業という性格からすればそれは重要なことでしょうし、これまでの同グループの成長からすれば一定の成果はあったのでしょう。しかし、「こだわりの職人が作る菓子店」「頑固おやじのラーメン屋」と、従業員数千人店舗展開千店の企業グループとでは、同じ様な調子で経営できるものでもないでしょう。

 今回の件についてネットで調べたところ、株主優待廃止を怒る声が多かったということを昨日触れましたが、上場して株主優待をやって個人投資家をひきつければ、「顧客=株主」という図式が出来上がることになります。これはうまく行けば、会社のファンに株を持ってもらうということで、安定した株主になる可能性があります。しかしそこで蹉跌をきたすと、両方を失う結果になってしまいます。そのことが将来的に同グループにどのような影響をもたらすかは、興味深いところです。
 まあ、そんなことを考えたのも、小生が電鉄業史なぞやっていて、「沿線の定期客全員に株主になってもらって、電車は無料で動かせば良い」と言っていた小林一三の言葉なぞが念頭にあったせいなのでしょうが。 (※鉄道業はどんなに小規模でも、個人事業ではない公共性の高い株式会社であり、外食産業のような企業の成長の結果としての企業統治形態の変化への対応、といった課題が生じることは少ないと思われます)

 では最後に、将来予測なんてあたるはずがないということを承知の上で、今後のレックスホールディングスの向かうであろう方向を考えてみましょう。
 MBOによって非上場にするというのは、いわば企業の形態がより「個人商店」的なものに近づくという風に解釈できるのではないかと思います。そして、「個人商店」的状況下で西山氏は業績を挙げてきたという過去の実績があります。したがって、上場を廃止して西山氏がより得意とした経営形態の時代に戻そうと図ったことは、氏からすれば高い合理性があるように思われたのではないかと思います。
 しかし、既にレックスホールディングスがこれだけの規模の会社になってしまっている以上、グループを解体して縮小するのでない限りは、結局大企業に相応しい経営形態を構築しなければ問題の解決にはなりません。そして、そのような問題を解決するには、むしろ市場の判断に身を委ねた方が合理的であるようにも考えられます。MBOがそれに相応しい解決手法となるかといえば、「個人商店」的なものからの脱却が必要なのに、むしろそれを強化するようなことをしてしまうようでは、本末転倒と申せましょう、投資ファンドが果たして経営改革にどこまで乗り出してくるのでしょうか? 資産切り売りで食い逃げされたり(成城石井ならきっと高く売れそう)するオチに終わったりしないか、将来が懸念されます。
 要するに、急拡大はかえって危険な場合もある、ということでした。

 ちなみに、昨日の小冊子の一番最後のページには、以下のようなことが書かれています。改行も原文のまま引用します。
もしも、あなたの周りに
このマニュアルに書かれていることと反する
行動をとる人がいた場合には
速やかに正してあげてください。
それでも直らない時には、どうぞ私に知らせて
ください。

私達の活動の全ては、
「感動創造」という理念に基づいたもので
なければならないのです。
西山 知義
 というわけで、株主の「感動」を踏みにじった西山氏のことをご自身に知らせて差し上げようと思ったのですが、生憎と連絡先を存じ上げないので、ネット上という公共の場に公示することでそれに代えたまでです(なんだか役所の送達の告示みたいですな)。

 以下余談。
 小生は来週の学会報告に備え、今は亡き百貨店「白木屋」(→東急百貨店日本橋店)について先行研究を調査せんと考え、論文検索のデータベースに「白木屋」と入力してみました。すると小生が探していたような論文は1本しか見つからず、最も多かったのが居酒屋チェーンの方の「白木屋」に関するものでした。
 では雑誌記事・掲載論文は居酒屋白木屋の何を取り上げていたのでしょうか? そう、それは残業代を踏み倒されたという事件にまつわるものだったのです。週刊新潮の「酷使・ピンハネする白木屋」(正確な表題は失念)といった記事に始まり、そして訴訟を起して勝利した従業員たちが闘いを綴った手記であるとか、法廷闘争に関して法律家が解説した記事とか・・・。この事件の場合は勝利したようなので何よりでしたが、最近は残業代を払わなくて済むように労基法を変えちゃえという話もあるご時世なので、油断は出来ません。
 ともあれ、外食産業に関して言えば、結局はいずこも同じ秋の夕暮れ、ということのようで。

※追記:この話の続きはこちら
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by bokukoui | 2006-11-15 23:58 | 時事漫言 | Comments(0)

「感動」はどこへ行ったのか~レックスグループMBO雑考

 昨日書こうと思って寝てしまったので(笑)今日書きます。鮮度が落ちてしまった感もあるのですが。

 数日前にちょいと示唆した話題ですが、焼肉チェーン「牛角」などの外食事業や、コンビニ「ampm」、高級スーパー「成城石井」などを経営するレックス・ホールディングスがMBO(経営陣による株式買収)を宣言しました。以下のニュース参照。

「牛角」親会社が経営再建へ
レックスHDがMBO、株式非公開化で経営立て直し

 この件に関しては、同社の株が一時期60万近くまで行っていただけに、23万という値段でのMBOを宣言された個人投資家から怨嗟の声が上がっているようです。特に株主優待が廃止されるため、株があんまり値上がりしなくても焼肉食えれば・・・なんて感じで買ってしまった個人投資家は、今後牛角に足を運ぶことはないでしょう。以下の記事参照。

レックスHDのMBO、個人投資家につけが?

 また、本件に関しこちらのブログは各方面へのリンクが充実しておられます。

「牛角」REX HDのMBOと株主優待の行方。

 さて、本件に関し小生が一体今更何を付け加えるのかと申しますと、どういうわけだか「社外秘」のはずのREXの資料が流出して現在小生の手元に転がっているので、これを手がかりに経営者・西山知義氏の姿勢に一筆啓上申し上げよう、という次第であります。
f0030574_0585817.jpg その資料とは、残念ながら社内極秘資料の如きものではなく、左のような小冊子です。B5版の幅を少し削ったくらいの大きさで、120ページほどのものです。奥付によると編集は「レックスグループ スピリッツマニュアルプロジェクト」、発行は「株式会社レックスホールディングス社長室」、2006年4月第1刷発行となっていますが、小生が保有しているのは同年5月発行の第2刷です。一応社外秘だそうで、正社員にしか配布されず、アルバイト(レックスグループでは「パートナー」とかいうらしい)や契約社員には配布されていないらしいです。
 この小冊子の大部分は、レックスグループの――というか創業した経営者の西山知義氏の経営に関する理念を述べた章からなっています。先日ワタミ経営者に関していささかの批評を行いましたが、西山氏に関しても多少同様の感を抱かないでもありませんが、氏の経営理念について云々するのは今回の本稿の狙いではありませんから詳説は避けます。要するに、「感動創造」ということが西山氏の経営理念の基本概念であり、そのために社員は努力すべきである、ということらしく(この冊子は社員向け教育用らしいので)、それさえ分かっていればとりあえず大丈夫だと思います。お客を感動させることで従業員(レックスグループでは「主業員」というらしい。「従う」だけではないからだとか。変な日本語を作らないで欲しい)も成長するのである、そんなことが書かれています。
 社外秘なのはこの辺の理念が経営の秘訣だからなのでしょうか。もっとも一読した範囲ではほとんど心構え、精神論なので、むしろ宣伝した方がいいような気もしますが。牛角などの経営の現場で試行錯誤しながら摑んだ具体的ノウハウ、とかなら同業他社に教えてやるもんか~となるのは分かりますけど。

 さて、この小冊子の末尾にはレックスグループの歩みが簡単に記されており、一応経営史のようなことをやっている身としては社史っぽいものにはつい反応してしまいます。そこに株式上場の際の経緯が記されているので、ちと引用してみます。
『株式上場』
上場とは、資本はなくとも素晴らしいビジネスモデル、アイデア、ノウハウ、人財(引用注:原文ママ。レックスグループでは人材は経営の重要な財産ということでこんな字を使うらしい。変な日本語を作ら・・・以下略)のある企業に対し、株主様が投資をすることによって、市場全体で企業を応援し育てるものです。
「株式上場は経済を活性化し、多くの方々の社会生活を豊かにする。レインズインターナショナル(引用注:レックスホールディングスの旧名。現在は牛角など外食部門を統括する子会社の社名)を上場させることで、私達には今以上に感動を創造するチャンスが生まれるはずだ」
西山は、株式上場を常に意識し、活動していました。それはやがてレインズインターナショナル全体の大きな目標に変わっていきます。「レインズにできるはずがない」と口にする関係者や「こんなに忙しい中で上場なんて無理だ」と考える社員もいましたが、高い目標に向かって活動していく中で皆の意識は一つになり、株式上場はいつしか社員全員の日付のついた目標となっていきました。
2000年12月18日、JASDAQ上場。
目標にしていた日付よりも早くその目標は現実のものとなりました。その日、証券取引所の掲示板に200万という初値がついた時、西山はそれまでの苦労を思い返し、大内(現・レインズインターナショナル代表取締役社長/当時・同社常務取締役 引用注:現在は社長ではないようです)と共に涙を流しました。役員も社員も一同が喜びを分かち合えた日でした。(pp.104-105)
 なるほど株式上場も「感動創造」の一環に位置づけられていたんですね。
 ところで、上場した当時の社名はレインズインターナショナルでしたが、その後 ampm や成城石井の経営権を握ったりしたので昨年五月に持株会社のレックスホールディングスに社名を変え、レインズの名は外食部門の子会社名になりました。ので、この時上場した株が今回MBOで上場廃止になるわけですね。上場しても「感動創造」のチャンスは増えなかったんでしょうか。
 なお、MBO価格は一株23万だそうですが、「ええっ? 初値200万の株が23万でMBO!」と勘違いされた方のために注釈を付しますと、同社は四度に渡り株式分割を行って、累計すると32倍になっておりますので、上場当初から見れば充分元は取れているはずです。同社のサイトをご参照下さい。株式分割で同社は市場の注目を集め、資金を調達することが出来たそうです。
 ・・・って、これはホリエモンがやりまくって顰蹙を買った手法ではないか・・・まあ2倍と4倍の分割しかしてないけど・・・。

 とまあ「感動創造」を旗印に拡張を続け、上場にまで漕ぎ着けたレックスでしたが、同社は今回大きな方針転換を余儀なくされたようです。最近は決算の修正を繰り返すなどどうも経営体質自体に問題があるようで、BSE云々は原因としては副次的なものに過ぎないでしょうね。この結果、今回株主に逆の意味の「感動」を与えてしまったわけですが。
 しかし株式会社なら、お客と従業員以外もステイクホルダーとして株主は重視されるべき存在のはずです。西山氏流に言えば株主の「感動創造」はどうなっているのでしょうか。一応件の小冊子に記載はあります。お客の「感動」を得ることで、理念に基づいた営利である「理益」(レックスでは理念に基づいたものだからと利益をこう表記するらしい。変な日本語・・・以下略)を拡大する、それが次の「感動創造」につながる、そのようなことを説明した箇所から引用してみましょう。
・業務量・ビジネスチャンスの増加
  ⇒取引先様に感動を提供できる。
・出店・ビジネスチャンスの増加
  ⇒加盟店に感動を提供できる。
・高い成長力に対する期待、株価の上昇
  ⇒株主様に感動を提供できる。
・様々な資金調達や労働環境の改善、給与アップ、夢実現
  ⇒主業員(引用注:原文ママ)に感動を提供できる。
・感動のステージの増加(店舗の拡大・改善)
  ⇒もっともっと多くのお客様に感動を提供できる。(p.17)
 成る程、一応入ってはいますね。しかし、今回のMBOが株主に「感動を提供」したとは全く思えません。怒りと恨みはだいぶ提供したようですが。

 以下推測を交えつつですが、何故こんなことが起こったかを書きたいと思います。しかし充分長くなったので、続きはまた明日
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by bokukoui | 2006-11-14 23:58 | 時事漫言 | Comments(0)

トルコのバス事故

 トルコのバス事故で邦人観光客が亡くなったとの由。
 奇禍に遭われた方には哀悼の意を表しますが、しかし「トルコで日本人観光客交通事故死」というニュースにどうも何度も聞き覚えがあるので、トルコの交通事情って余程危険なのかと思ってしまいます。今回の事故はコンヤ・・・ああ、Konya ね、あそこは山岳地方で攻めにくいけど、多くのエリアに接しているから攻めざるを得ないんだよな・・・と、"Europa Universalis 2"のことをつい思い出してしまう自分に情けなし。まあ山岳だけあって事故も起きやすそうですが。
 とまれ、ちょっと調べたら2001年にもトルコの交通事故で日本人観光客が亡くなっており、それ以前にも事故があったようです。ローマで事故った地下鉄に日本人が乗っていても驚きませんが、トルコの日本人観光客はそこまで多いとも思えません。トルコの観光地の多くが、カッパドキアの遺跡のように古代ローマ帝国やキリスト教関連の遺跡であることを考えると、ヨーロッパのキリスト教徒の観光客は日本人よりもっとずっといるはずで、トルコの交通事情は大丈夫なのでしょうか。

 外務省のサイトを見ると、
交通事情
 道路交通事情、交通マナーとも良くはありません。警察の発表によると2005年の交通事故総件数は約57万件で、死亡者は約2,500人、負傷者は70,000人となっています。
 交通マナーは良いとは言えず、信号無視、一方通行の逆走、猛スピードで乱暴な運転をする車両が多数見受けられます(特にタクシー、ドルムシュと呼ばれるミニバス)。事故に巻き込まれないための自己防衛に細心の注意を払う必要があります。
 市街地でも信号機と横断歩道の位置関係がわかりにくい上、明らかに車両が歩行者より優先しており、道路を横断しようとしている歩行者がいても停止する車はほとんどいないので、徒歩による移動の際も十分な注意が必要です。また歩行者自身のマナーも決して良いとは言えず、車両の間を縫うようにして道路を横断することから、運転の際は注意が必要です。
と、当局のお墨付きでした。
 またトルコの事情に詳しいこちらのサイトバスの案内もあって便利。観光客はもとより、バスマニアも満足の内容)によりますと、
死亡者数は年間約5000人で、人口あたりでは日本とさほど変わらない数字。しかし交通量が少ないことを加味すると、事故に遭うリスクは高いと言わざるを得ない。
と、外務省の倍の数値が挙げられています。どっちが正しいんでしょう。
 ただ、トルコの一人当たり国民総所得は日本の十数分の一であるにもかかわらず、ガソリン税は日本より高く、自動車にも高い関税が課せられているようです。そんな交通事情の国でこの死傷者数となると、やはり「事故に遭うリスクは高い」ということは確かなようで・・・。

 もっとも、暴論を承知で言えば、世界の「標準的な」交通事情とはおおむねこの程度であって、日本は異常なくらい諸々の交通機関が安全な国、というべきなのかもしれません。もちろんだからといって、現場の従業員に事故原因を負わせて事故調査の結論にしたり飲酒運転をしていいというわけじゃないですけど。
 さらにここから、リスクを減少し安全を達成してしまったが故に、リスクに過敏になっているという状況が日本にあるのではないかと話を広げることも出来そうな気もしたのですが、相変わらず終わるはずの業務が一向に終わらず、書く予定のネタも先延ばしになる一方という状況なもので、これ以上話は広げずにおしまい。
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by bokukoui | 2006-10-18 23:40 | 時事漫言 | Comments(0)

パンドラの箱を底まで浚うような話

 小生が教育関連の事業でお世話になった方が、ミクシー上で色々とお悩みを吐露しておられるのを一読し、些か教育について思うところもあるので軽く一筆。

 安倍総理が「教育再生会議」を編成したことは皆様ご存知かと思います。その面子を見ていて色々と思ったことを当てもなく書いていきたいと思うわけなのですが。
●「教育再生会議」有識者メンバー

浅利慶太(劇団四季代表)
池田守男(資生堂相談役)=座長代理
海老名香葉子(エッセイスト)
小野元之(日本学術振興会理事長)
陰山英男(立命館小副校長)
葛西敬之(JR東海会長)
門川大作(京都市教育長)
川勝平太(国際日本文化研究センター教授)
小谷実可子(日本オリンピック委員会理事)
小宮山宏(東大総長)
品川裕香(教育ジャーナリスト)
白石真澄(東洋大教授)
張富士夫(トヨタ自動車会長)
中嶋嶺雄(国際教養大学長)
野依良治(理化学研究所理事長)=座長
義家弘介(横浜市教育委員)
渡辺美樹(ワタミ社長)
(50音順、敬称略)
 川勝平太はこの手のところによく出てくるなあ、という感慨はさておき。
 そういえば東大総長の小宮山宏氏のご子息は中学で同級生で、ひとつ前の席だったなあということを思い出してもみたり。彼は優秀な人でした。東大に進み、今はスタンフォード大学にいるそうです。イケメンな野球部員でした。tubeと『キン肉マン』を周囲に広めていました。あ、そういや小生も借りて読んだな。でもあまり影響は受けなかった。小生が厨房の頃最も影響を受けた漫画、それは小生のHNの最初の二文字を見れば分かる話。

 いやますますそんなことはどうでもよくて。
 今日のお題は、本日付日本経済新聞二面に「教育再生を聞く」と題して掲載されていた、渡辺美樹ワタミ社長のご意見に関し少々思うところを一筆、という次第です。
 以下記事引用。
――安倍政権の教育再生会議では何を訴えていきたいか。
「教職員の意識改革を問いたい。教師は三百六十五日、二十四時間、教師であることを意識してほしい。子供が望むなら夜遅くまで補習や部活動に付き合う。学校五日制で教師に週休二日とらせるのは反対。そこまでしたくない人は辞めてもらったり、評価を低くすればよい」
――安倍晋三首相も免許更新制の導入などで問題を抱える教師に退場を迫る方針のようだ。
「研修を受ければ済むような更新制はだめ。問題教師をクビにするぐらいでないと。私が経営する学校では教師に成果主義に基づく賃金体系を導入し、生徒や保護者、教師同士が評価する仕組みにしている。評価の高い教師の給料を増やすなど、教育現場にも競争原理を働かせるべきだ。教師も失業と向かい合う必要がある」
(以下略)
 小生の友人で小学校の先生をしている人がいますが、既に充分忙しそうです。この上「三百六十五日、二十四時間」も奉公せよとは無理無体ではありますまいか。そこまでする義務が必要なのでしょうか。
 ワタミ社長のこのインタビューに日経新聞は「だめな学校つぶれていい」と題しています。ワタミ社長の発言の、教育に関する経済的自由主義の側面を捉えて(日経新聞ですから)この表題をつけたのでしょう。教育に経済的原理を導入することは否定されるべきことではないと小生も考えます。何となれば、教育をあまりに神聖で重要なこととご大層に見做し、「教師=聖職」などという看板を掲げることが、教育をかえって堅苦しく融通の利かないものにしている面もあると思うからです。教育もまたサーヴィス業的側面を持つ(無論全部それってのも行き過ぎですが)、ということを認識して政策立案することは、それなりに意味のあることだと思います。
 しかし、このような文脈でワタミ社長のこのご意見を一定程度認めた場合、「教師は三百六十五日、二十四時間、教師であること」「教師に週休二日とらせるのは反対」ということは矛盾します。サーヴィス業の従業員にこのような労働条件を押し付けることは不当ではないでしょうか。要するに、教育に関して経済的側面と経済外的側面とを恣意的にくっつけ、勝手な要求をしているだけではないか、そう思います。

※このようなワタミ社長の発言は、容易にワタミ従業員の過酷な労働状況を推測させますが、小生はそれについて語る情報を持っておりません。
 ただ、ワタミではないですが、最近急速に伸ばしてきたことで知られる某外食チェーンの、部内報類やアルバイトたちのコンテスト? のようなものを収めたDVDという資料を某氏から譲っていただいたことがあります。そこでは、経営者の唱える自己啓発セミナー的理念が繰り返し述べられ、店舗ごとに設定した目標の達成振りを熱く誇る従業員やアルバイトたちの、宗教的熱狂としか形容しようのない姿が延々と収められていました。
 外食産業一般にこれら事例を当てはめることは極めて危険であるということを百も承知で述べるならば、低価格競争が激しくコストダウンに迫られた外食産業が、新興宗教や自己啓発を連想させるような手法で心理的に従業員を追い込み、彼らの労働力を(おそらくは賃金水準以上に)搾り出している、そのような状況があるのではないかと思われます。
 無論それを全て経営者の責に帰すのはやりすぎというものであり、そうせざるを得ないような社会状況を再検討すべきであろうことは間違いありません。しかし、経営上の方便としてやむなく、ではなく、そのような労働力搾取手段を優れた経営手法であり従業員教育であると自ら信じ込んで、学校教育現場にもその方法論を引っ提げて乗り込むとすれば――それは合理的ではないと考えます。
 以上余談。


 が、まあこれはまだ枝葉末節の話。
 以前にちょっと書いたことがありましたが、高校生の時分国語の授業で長田弘の「敵という名の怪獣」を読まされたことがありました。その時はあまり意味が分からなかったけれど、その後時間が経ってから、その主張の意味するところが分かってきたような気がします。学校で授業を受けて、卒業して何年も経って、本を読んだ折などにふと昔の記憶が蘇ってきてはっとするような、その時になって初めて受けた教育の意味が分かるような、そんな経験が時としてあります。小生思うに、教育の成果というものは、短期的に表れる要素もありますが、このように長期的に表れる要素もまた重要であろうと思います。以前縷説したことがありましたが、教育の究極的な目的が故人主体性の確立になるのならば、このような長期的効果こそ、その目的に適うものといえるでしょう。
 短期的な教育の成果は、教師が教えたものをどれだけ受容できるかということです。学び=まねび、という段階ですね。しかしこれだけでは、教師のコピーの域を脱することには必ずしもなりません。教育されたものが一旦被教育者の中に沈潜し、何かの機会に再認識されることによって、コピー以上の自己の一部とすることが出来るのではないでしょうか。 
 これも以前に書いたことですが、どうもこのような「成功者」で、教育に一家言を有する方の場合、自分のコピーを作るような教育で良しとしてしまう傾向があるのではないかと考えます。そうすることは、自己の正当性を確認することにもつながるわけですね。

 しかし、教育の成果とはそのような短期的に確認できるものばかりではないわけです。少々極論を吐けば、人間の評価は棺桶の蓋が閉まってからでないと分からないとも言えます。ということは、教育者が被教育者に及ぼした成果を最後まで見届けることはかなり珍しいこと(あまり起こって欲しくないこと)ということが出来るでしょう。
 となれば、そもそも教師というのはなかなかに辛い職業で、その成果を確認することが難しい職業といえましょう。それは教育者自身のみならず、被教育者や周囲の人間にとっても同じことではあるわけですが。
 ですから、短期的な「成果主義」を全く無意味とまで言い切ることはしませんけれど、今時の企業の決算のように四半期ごとにころころ給料を上げ下げされるような状況は、決して好ましい状況ではないと思われるのです。別に馴れ合いを奨励するわけではありませんが、朝令暮改的に評価を上げ下げするよりも、ある程度大雑把な方が好ましい場合もあるのではないか――というか、その程度にしか評価し得ない(あまりにも目に余るのを外す位)のではないか、そのように考えます。どうせ半世紀経たないと決算締められないような事業なのですから。

 斯様な「教育」という行為が営々と続けられているのは、まさに「パンドラの箱」の神話みたいな状況なのだと思います。「パンドラの箱」を開けて中の災厄がことごとくこの世に解き放たれたけれど、一つだけ「未来を知る能力」という災厄が箱の中に残ったため、人間は将来に希望を持つことが出来る、という、あの神話です。教育のもたらすものは見ることが出来ない、だからこぞ教育をすることが出来る、そういう逆説的なことかもしれません。
 教育の結果、偉人賢人を世に送り出すことが出来るかもしれません。でも逆に宮崎勤や宅間守みたいのが生まれるかもしれません(こちらのジェフリー・ダーマーの父親の言葉は重いですね)。将来どうなるのか決定的なことは分からないし、だからといって何もしないというわけにも行かないだろうし。

 この「教育再生会議」の前身というのか、「教育改革国民会議」というのがありまして、そちらがよく現政権の教育に対する方針を反映しているようです(「教育再生会議」はこれでも「安倍色薄い人選」だそうです。まあ東大総長は安倍的でないでしょう。そう思いたいです)が、既に随所で話題になっているように、そこの委員の提言は「IT時代」がどうこうと謳っておきながら、現在の社会の状況とそれをもたらす状況に全く無頓着としか思われないものです。そしてこの内容から強く感じざるを得ないのが、子供を教育を通じて万全にコントロールしよう、提言中の言葉を借りれば「子どもを厳しく「飼い馴らす」必要」を最重要課題にしているのではないか、ということです。
 現在の教育改革をもっぱら主唱している人々の多くは、教育の持っている、効果が分からないという性格を「カイゼン」したいと思っているのでしょうか。上掲ワタミ社長(氏は「安倍色薄い」教育再生会議面子中、安倍首相に近い人物といわれています)の発言とも重ねると、どうもそんな気がしてきます。それは自己の成功体験を将来にわたってまで有効であると信じているだけのようにも思われます。教育という事業の成果を評価できる頃には、教育者は大概死に絶えているわけですが、己が死後まで自己の成功の確信を世に残し続けたいのでしょうか。
 そのような営為は、それこそ、パンドラの箱を底まで浚って、最後の希望までも支配下においてしまいたい、そんな欲求なのかもしれない、そう思います。

 なお、教育再生会議の安倍色濃い目のもう一人の大物・葛西大明神についても思うところなくもありませんがそれはまた後日。海陽学園についてはちょっとしたルートができて、情報が多少入ってきていることもあるし。

 最後に余談。
 こんな長々した文章を書くと途中で士気が萎えるため、Gyaoで『女子高生』を、Youtubeで『あずまんが大王』を見ながら書いていたのですっかり完成まで時間がかかりました。先生になるならゆかり先生みたいになりたいですね(運転以外)。あるいは糸色望先生とか。
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by bokukoui | 2006-10-13 23:58 | 時事漫言 | Comments(12)

飲酒運転略考

 昨日の記事の補足。

 富山で警察官が飲酒運転をして検挙されていたのに、当局がそれを公開しなかったというので批判された、という事件が最近ありました。
 こちらとかに経緯が書いてあります。

 数日前のNHKのニュースがこの件をかなり詳しく取り上げていて、問題の警察官が、勤務が終わってからどのように車で移動し、パチンコを打ち、酒を飲み、捕まったかを地図の上で説明していました。その地図がネット上に見つからないので記憶に頼って書きますが、その地図を見ている限り、その警官は完全に城端線に沿って移動していたんですね。
 ということは、城端線が富山ライトレールのように15分ヘッドで走っていれば、その警官は鉄道で移動して酒を飲みパチンコを打つことができたはずで、そうすれば何の問題も無かった・・・ということになったかも知れません。
 飲酒運転がこれだけ報じられてもする連中が絶えない背景には、このような公共交通機関の整備の程度の問題(地方はどうしても手薄)や、酒を飲むことと運転することが共に「男らしさ」として捉えられているジェンダー的な問題(「酒飲んだから運転しない」というとバカにするような空気がないとはいえない)、代行運転業への規制強化など、色々な要素が背後にあると思われます。まあ、実際のところは、そんなことをいちいち分析するよりも、魔女狩り的キャンペーンによってでも減ればそれでいいのかもしれませんが・・・。
 でもまあ、鉄道には追い風ではないかと。駅の売店で酒とおつまみの販売に力を入れましょう、酒を飲みやすいように転換クロスシートを増やしましょう(笑)。もう新大久保駅の事件を覚えている人も少ないだろうから。・・・てことは、この飲酒運転反対キャンペーンも、そのうち忘れられるということなのでしょうか。やはり原因を解きほぐす根気なくして、長期的な対策は立たないのかもしれません。

 最後に蛇足。
 富山県警の今回の事件を、「事件の公表が遅れたのは“隠蔽体質”で、馴れ合いだから」だと各方面で批判されております。しかし本当に馴れ合いだったら、検挙の時点で現場で揉み消した可能性が最も高いような気がします。現場はそこそこ真面目だったのに、中央が腐っていたんですね・・・そういう点はまことに「日本的」と言うものなのでしょうか、どうなのか。
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by bokukoui | 2006-10-05 23:58 | 時事漫言 | Comments(3)

引退記念

 一日にでも張ろうと思っていたところ、諸事情で先送りになってしまったけれど、このままだとお蔵入りになりそうな画像を。クリックすると拡大します。
f0030574_23541924.jpg
 新千歳空港で雪落としをするYS-11・・・の訳はないですね。
 これは鹿児島空港にて2004年2月に撮影した種子島便の機材。冬という季節とはいえ、珍しいほど(前日のバスの車中で高校生が騒いでいた)雪が降っていました。鹿児島空港は山中にあるので、尚のこと雪が激しかったようです。飛べるのかちょっと懸念しましたが、無事に飛んで、これに乗って種子島に行きました。YSに乗ったのはそれが最初で最後でした。もちろんそのためにわざわざ種子島に行った訳ですが。

 ここ数日長い記事ばかり書いて草臥れたので今日は一服。
 ともあれ、YSも先月一杯で隠退しましたが、お疲れ様でした。
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by bokukoui | 2006-10-03 23:57 | 時事漫言 | Comments(3)

実在しないという約束があったからこそ意味があったこと

 テレビでこのニュースを知ったので、せっせと検索してみましたが、どうもネットのニュースでは主要トピックとして取り上げているところがないようで、代わりにこんなのが見つかりました。

 「美少女ゲーム」はゲームじゃない!?

 あら東先生何を仰るのかと思いきや。
 コスティキャンのゲーム論を金科玉条と仰ぐシミュレーションゲーム厨の小生にとっては今更何を言わんかという感ですが、まあ妄想を煽るのに技術の進化は要らないというのはそれはそれで筋が通っていると思わなくもありません。
 そしてそのことは、本日小生が取り上げようと思っていたニュースと関連しているのかもしれません。

 「東京ローズ」のアイバさん死去=反逆者の汚名かぶり30年

 「東京ローズ」を知らぬ人はいないと思いますが、実際には複数人のアナウンサーが担当していたにもかかわらずアイバさんのみが裁判にかけられるに至ったのは、
一口に言うと、東京ローズ裁判は、日米戦争中の一スパイの戦犯裁判ではなく、戦後の冷戦下アメリカの世界政策・国内政策の見せしめとして利用されたのである。折から起こったマッカーシズムの赤狩りに効果的に世論をかき立てるために、もともと同一人物説の根拠薄弱なアイバ戸栗=東京ローズにものものしい「反逆罪」の汚名を着せ、その連想で左翼知識人の反逆性を戦犯・スパイ並みに危険視させる。これが華やかな女スパイ東京ローズの魔女的イメージと重って、赤狩りを背景にした魔女裁判の趣きを呈した。
                    (種村季弘『書物漫遊記』p.209)
 から、だそうです。ドウズ昌代『東京ローズ』を読んだことがないので、同書を取り上げた種村書から孫引き。
 東京ローズは現実にいないからこそ意味があったようなものなのに、それを実際の人間に当てはめたための馬鹿げた醜い事態だったのかもしれません。

 そういえば、確かナチの対英英語放送のアナウンサーは死刑になったような(今出典が見つからないのですが)。
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by bokukoui | 2006-09-27 23:59 | 時事漫言 | Comments(0)

徴兵・傭兵・義勇兵

 新しく決まった自民党総裁が、最優先課題と掲げているらしい教育政策がそれはそれはスンバラシイものであることは、産経新聞が以下のように報じたりしておりますので、皆様ご存知のことであろうかと思います。
 テーマは10くらいあるが、例えば、子供たちに、1人で生きているのではなく、社会みんなで助け合って生きているのだと実体験してもらうために、奉仕活動、ボランティア活動を必修化しようという案がある。
 高校卒業は3月だが、大学入学は9月にする。半年のブランクのうち3カ月間は、介護施設などで奉仕活動をしてもらい、その経験がなければ大学に入学させない。
 これ以下の、アベ先生の「教育」構想の頓珍漢ぶりについては、先に指摘している方も多いのでもう今更本記事では致しません。アベ先生が首相になることが決まってしまった以上、これから日々それにどう立ち向かうかが既に問題です。
 で、カマヤン氏のブログを拝読すると、早速次のように実践行動を行っておられました。
塾にて。「今日、安倍晋三が自民党総裁になりました。26日には総理大臣になります。ですから、君たちは高校を卒業したら、半年間、農業強制労働をすることになりました。安倍晋三の教育政策とはそういうものです。なお安倍晋三本人は生まれてこの方、受験勉強すらしたことはありませんし、もちろん農業労働なんてしたことはありません」
 さて、小生の今日の授業はアメリカ独立革命でした。
 小生の教育相手は、カマヤン氏のように小学生ではなく、また高校3年生が主体ですから、制度作りの時間上、来年矯正労働(多分こっちの方が字としてはいいと思う)させられるのは何とか免れそうに思われます。なので、小生は授業にラファイエットやコシューシコが登場したのをちょうどいい機会だと思い、以下のように述べました。

 「『義勇軍』のことを英語で volunteer といいます。『義勇軍』というのは、理念に共鳴して自ら戦場に身を投じた人々のことです。ですから「ボランティア」というのは個人の自由意志によって行われることです。しかしアベ新総裁は勉強が足りないのか、『奉仕活動』を義務化しようとしています。これは徴兵で集めた軍隊を『義勇軍』と称するようなものです」

 もっともその後に、「朝鮮戦争に介入した中国軍は、『義勇軍』と称していたという実例はありますが」と付け加えたのには、生徒は意味がよく分からなかったようですが。
 ・・・あ、スペイン内戦のコンドル部隊とかはどうなんだろう。あれは志願か? あの当時ドイツは徴兵制を復活させてたと思うけど。イタリア軍はどうだったんでしょう。スペインに従軍するかどうかはある程度自由意志でも、集められた当初は徴兵だったのかな。

 閑話休題。
 そんなご時世に、このような判決が出されたのは、些か驚きましたが、しかし最近には少ない喜ばしいニュースでもありました。
国旗国歌:都教委の「強制は違憲」東京地裁が判決
 入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代斉唱を強制するのは憲法で保障された思想・良心の自由を侵害するとして、東京都立高の教職員ら約400人が都教育委員会を相手取り、起立や斉唱の義務が存在しないことの確認を求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は「強制は違法、違憲」と判断し、起立や斉唱の義務がないことを確認したうえ、一人当たり3万円の慰謝料の支払いを命じる判決を言い渡した。(中略)
 判決では、「国旗掲揚、国歌斉唱に反対する者も少なからずおり、このような主義主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り、憲法上保護に値する権利。起立や斉唱の義務を課すことは思想・良心の自由を侵害する」と判断。
 さらに、「通達や都教委の一連の指導は、教職員に対し、一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しく、教育基本法10条1項で定めた『不当な支配』に該当し違法」と指摘した。
 というわけで、アベ総理の「教育改革」船出に相応しいニュースかと思います。司法についてもこのところしていなかった期待が少し戻ってきたような。
 で、今日は新司法試験の最初の試験結果が発表になった日でしたね。合格率はなんだかんだで、有利な初回であるにもかかわらず半数を切ってしまったようですが、ともあれ、今後暫くは(また制度が変わるかもしれないけれど)この制度の下で法曹界に人材が送り込まれることでしょう。
 小生の個人的な知り合いに、このロースクールに通っている人が少なからずいるのですが、この新制度で育った人が将来斯界で活躍する時、どのような仕事をしてくれるのでしょうか。今回のような思い切った判断を下したり、或いはこのような訴訟にも関っていくような、そういった人材は出るのでしょうか。
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 期待はできますが、期待のしすぎは禁物、やはり裁判所頼みでなく自分で戦わなきゃ最後は駄目、ということですかね。
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by bokukoui | 2006-09-21 23:59 | 時事漫言 | Comments(7)

訃報と若干更新

 MaIDERiA出版局の「よりぬき『筆不精者の雑彙』」に8月分を追加しました。

 それはともかく、沼津で洋上ホテルとして使われていた北欧の客船・スカンジナビア号(本来の名前はステラ・ポラリス)が沈没したというニュースに驚き、かつ残念に思います。
 この船は1927年スウェーデン製の5056総トン・全長130.4mのクルーズ客船で、ヨーロッパ王侯貴族のロイヤルヨットの系譜を受け継ぐ、世界的にみても貴重な保存船であったそうです。その後日本で浮かぶホテルとなったものの、先年廃業してしまいました。この事態に保存運動が少なからず盛り上がりを見せました(こちら参照)。この運動には小生の知人の方も関っておられましたので、多少の関心も持っておりましたが、おそらく日本の状況では保存は難しいのではないかと思い、どこかよい引き取り先を見つけて解体されずに船が残れば、それでまず良しとせざるを得ないのでは、というように思いました。
 で、事態は大体そのように進んで、出身地であるスウェーデンが引き取るとのことになってまずまずの結果だと思っていたのですが・・・

 沈没の原因は、座礁したり衝突したわけではないようで、結局老朽化で浸水したようです。80年物の老朽船を移動させるのに、単に曳船で引っ張るというのがよかったのか、今となっては繰言ですが・・・。浮きドックに入れて運ぶとか、予算の都合で出来なかったのでしょうか。
 結局のところ、日本ではこういった船のような近代の遺産に関する関心が薄いという、文化的な状況に大元の原因があるのであろうと思います。残念ながら。
 歴史を大事にするというのでしたら、是非こういった「もの」の保存に資金を投入すべきです。

 そんな国が、世界で一二を争う造船国だったり、世界で一番早い電車を作ったり、世界で二番目に多く自動車を作ったりしているのが、不思議といえば不思議ですが。
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by bokukoui | 2006-09-02 23:57 | 時事漫言 | Comments(3)

地歴教育雑感

 昨日書こうと思って、眠たさに先送りにした話。

 昨日付け日経新聞の記事より。
 センター(試験)を悩ませる“難問”はまだある。
 「学生の歴史・地理の理解不足が指摘されている」。国立大学協会が同センターに地理歴史の二科目受験を可能にするよう要望したのは四年前。九七年度からそれまでの「社会」が「地理歴史」と「公民」に分割されたが、「日本史と地理」「世界史と地理」といった選択はできない。当時の国大協は今春の試験から「地歴二科目」の実現を求め、昨年も要望書を提出したが、センター側の動きは鈍い。

 センターの松ヶ迫和峰事業部長は「英語にリスニングを導入したこともあり二日間の試験日程はいっぱいいっぱい」と説明。「受験生や試験場を運営する大学の負担もあり、三日間に延ばすのは無理」という。
 そこで浮上しているのが、一コマ六十分ずつの地理歴史と公民の試験を一コマにまとめ、試験時間を百―百二十分にする案。受験生は必要に応じ一―二科目を受験する。
 「同じ試験時間内に二科目受ける人と一科目受ける人の間で不公平が生じる」との指摘がある。「二科目受験者と一科目受験者では二次試験を受ける大学が違うはず。そもそも競合がない」との意見もあり、センターの判断が注目されている。
 二科目受験できるようにするのは結構なことではないかと思います。実際のところ、数学や英語の長文読解と違って、社会科の選択式試験の場合は、時間を長くしても有利になることはほとんどないので、特段の問題はありますまい。ついでに言えば、センターの地歴(小生は地理選択)はそもそも制限時間の60分を皆もてあましていたような記憶があるので、まあ時間のやりくりの方は何とかなるのではないかと思います。

この話題、続きます
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by bokukoui | 2006-08-19 23:59 | 時事漫言 | Comments(0)