カテゴリ:鉄道(時事関係)( 21 )

受勲の季節に思い出す踏切のことなど

 タイトルにあるとおり、本記事は先日春の叙勲が報じられたことに触発されて書いているものですが、実は本来、昨年の叙勲にあわせて書こうと思っていた記事でした。それが諸事情でお蔵入りになっていたのですが、ふたたび受勲の季節が巡ってきたことでもありますので、一応書いておこうと思います。
f0030574_0171371.jpg
JR横浜線・中山駅付近の川和踏切
左手の掘立小屋?みたいなのの裏側に献花台があった
(2013年10月下旬撮影)


(続きは以下に)
[PR]

by bokukoui | 2014-05-07 23:59 | 鉄道(時事関係)

追悼 星晃さん

 このところ、寒さで縮こまってばかりいますが、そんな冷えた心へ更に寒風を吹き込むようなニュースが飛び込んで参りました。

 元国鉄副技師長の星晃さん死去 0系新幹線設計に携わる
 星晃氏が死去 元川崎重工業常務

 8日に亡くなられていたそうで、93歳の大往生でした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 星晃さんは、旧国鉄の黄金時代の車両設計に携わった技術者で、多くの業績を残されたほか、鉄道趣味界へも多くの写真や資料を提供され(昭和30年代の国鉄の写真で、よく鉄道雑誌に載っているものの中には、星さん提供のがかなりあります)、幅広くその名を知られていた方と思います。
 小生も星さんの書かれた記事などはいくつも読み、さらには生前に、何度かお会いする機会もありました。その際に見聞した話については、当ブログでも何度か書いたことがあります。

 ・鉄道の話題
 ・鉄道と衛生の話・補足
 ・大塚英志・杉浦守『オクタゴニアン』

 星さんの業績は、毎度お馴染み Wikipedia ですと、国鉄の軽量車体の導入が主に挙げられています。まずはもっともな評価と思いますが、上掲「鉄道の話題」でも触れたように、小生がお会いした際に星さんがもっとも熱を入れてご自身の業績について語られたのは、車輌への水洗トイレの導入でした。
 その昔は列車のトイレと言えば垂れ流しだったのですが、これは不衛生であるというので、国鉄に新性能電車が登場した頃、タンク式にすることが提案されました。といって、単にタンクに流すだけではあっという間に汚水が溜まってしまうので、水を循環式にすという工夫がされました。今では当たり前となってしまっていて、何しろ目立ちにくい所でもあって、話題にはなりにくいですが、これがなければ新幹線も実現できなかった(東京~大阪ならタンクで溜めるだけでも何とかごまかせたかも知れませんが、それ以上の遠距離となるとパンク必至でしょう)かもしれない、大事な技術なのです。
 さらには、これは輸送機関としての面に注目されがちな鉄道技術史上に於いて、生活水準の向上や習慣の変化などの文化との密接な関係を示すのみならず、タンク式トイレ導入に際して汚水処理をする車両基地を設ける際の地元との調整が大変だったという地域との関係でもまた、いろいろ考える材料を提供してくれ、視野の広い話につながります。
 ちなみにトイレに関しては、以前当ブログでも前田裕子『水洗トイレの産業史 20世紀日本の見えざるイノベーション』(名古屋大学出版会)という本を紹介しましたが、これは非常に面白い本で、つくづくトイレ話の奥の深さを感じさせられます。

 偉大な業績を残された方を追悼するにはやや下世話に過ぎた感を抱かれる方もおられるかも知れませんが、しかし光の当たるデザイン面だけでなく、こういったところまで行き届いた配慮をしたからこそ、星さんは偉大な技術者だったのだと思います。
 改めて追悼の意を表します。
[PR]

by bokukoui | 2012-12-21 23:59 | 鉄道(時事関係)

「東武スカイツリーライン」、東急田園都市線をも侵略す

f0030574_23483195.jpg
東武伊勢崎線と直通運転する東急田園都市線の駅に掲示された停車駅案内の一部

 本日、世界一の高さを誇るという東京スカイツリーが開業したそうで、まあ何はともあれ世界一は景気のいい話です。それはいいのですが、これを建設した東武が些か暴走して、最寄り駅の業平橋を改称するのは分かるとして、何でも浅草~東武動物公園間の伊勢崎線に「東武スカイツリーライン」などと愛称を付すと聞いた時は、さすがに正気を疑いました。ややこしいばかりでほとんど意味はないし、最寄駅はともかく沿線全部がスカイツリーと関係あるわけでなし、何が何やら。一般に地味な会社とされる東武だけに、世界一にはじけてしまったのでしょうか。このような、如何にも「田舎者」的発想を含めて「東武らしい」というのなら、それは何となく納得できるような気もするのですが・・・。

 で、今日、その東武からの直通電車が走っている東急田園都市線の駅の、停車駅や所要時間を示す掲示が、上掲写真のように変わっていることに気がつきました。正確にいつ変わったのかは分かりませんが、東武伊勢崎線だった区間の大部分が「東武スカイツリーライン」に・・・。東武を乗り越えて、直通相手の東急にまで影響を及ぼしております。
 しかしこれだと、「東武スカイツリーライン」が「伊勢崎線」「日光線」と同列に書かれているので、愛称と区別が付きません。路線名が改称されてしまったような誤解を招く・・・って、東武の扱いはどうなっているのかな?
 そしてもう一つ気になったのが、この看板の書き換え費用って、東武は負担したのかな? ということで(苦笑)
[PR]

by bokukoui | 2012-05-22 23:58 | 鉄道(時事関係)

「安全・安心」とは? 秋田内陸縦貫鉄道殺人事件

 JR東日本が復興支援の一環として「JR東日本パス」なる切符を発売しているそうです。一日一万円で新幹線も含め乗り放題というのはなかなか太っ腹な価格設定ではありますが、ただ使用期限が結構厳しいので、使いどころが多少難しそうです。
 さて、「復興支援」とは銘打っていますが、観光旅行には使いづらい時期でもあることですし、おそらくこの切符のユーザーは、新青森まで延伸した東北新幹線の初乗りを図る鉄道マニアが多いのではないでしょうか。「はやぶさ」本格運転開始まで待とうと思っているうちに震災で乗れなくなってしまった、そこで今回この切符で、なんて鉄道趣味者は小生の周囲だけでも複数おります。

 で、それはまず時宜に適った用途だとは思うのですが、折角の乗り放題切符ですし、行きも帰りも同じ経路というのも芸がありません。そこで小生がお勧めしたいコース案が、行きか帰りに秋田内陸縦貫鉄道を経由してみる、というものです。時刻表調べてないけど(苦笑)、「はやぶさ」と「こまち」を組み合わせれば一日で廻ってこられるはず。
 地方鉄道の現況に多少関心のある方でしたら、現在経営が振るわず廃止される恐れのある鉄道として、秋田内陸縦貫鉄道がそのランキング上位候補に挙がっていることはご存じでしょう(「とれいん工房の汽車旅12ヵ月」さんのこちらこちらなどご参照下さい)。秋田内陸縦貫鉄道は、旧国鉄の阿仁合線と角館線を第3セクター化し、中間の工事中だった区間を完成させて1989年に全通させたものですが、距離が長い一方沿線が深い山で元々人口が乏しく、観光地としても沿線の森吉山は、どうも一般の知名度が低く、経営は振るいませんでした。

 で、長い枕でしたがこれから本題。
 今世紀に入ってから、沿線の人口減はますます進み、経営不振は深刻な問題となって、しばしば存廃が議論されるようになります(前秋田県知事はどうも廃止の意向が強かったらしい)。2002年から「頑張る3年間」と銘打って沿線自治体との連繋の元、イベント列車運行や各種企画切符、サポーター制度の導入などの施策を打ちますが、効果は限定的でした。正直、開業後十数年もイベント列車の運行がなかったというのも驚きですが・・・やや引っ込み思案な経営姿勢だったのでしょうか。
 そんなわけで2002~04年度の3年間の経営改善が限定的だったことから、またぞろ存廃問題が起こりますが、2004年度末(つまり2005年3月)に一応存続は決定します。ただし、毎年沿線自治体の補助金を削減し、最終的に半額とすることとされました。
 かくてしばらくは持つかと思われたのも束の間、2006年には県議会で知事が補修費用を理由として、またも存廃検討を口に出します。そこで沿線自治体も、なお一層の利用の促進を図ることとし、観光の掘り起こしとともに通学利用の増加も検討されます。ローカル線事情に多少なりとも通じておられる方でしたら、高校生の通学がローカル線にとって重要な顧客ということはご存じと思います。前にも当ブログの記事で紹介しましたが、地域交通の専門家曰く「観光客百人の運賃収入は、沿線の高校生一人が自転車通学に切り替えることで吹き飛んでしまう」のです。

 ところが。
 そんな秋田内陸線にとって重要な2007年度、沿線の小中学校が通学を全面的にスクールバスに切替え、ざっと定期客100人が減少してしまいます。この経緯について、秋田内陸線のサポーターとして長年活躍されている方のサイト「クマさんの鉄道と環境の民俗学」を引用させていただきます。「秋田内陸線Photo Album 2007」の2007年3月8日付け記事からです。
北秋田市教委の信じられない対応!

(前略)
 さてさて、ショッキングなニュース。北秋田市教育委員会が、すでにスクールバスに転換を決めている森吉中、合川の小学校の通学に加えて、阿仁地区の小中学校の通学も、内陸線からスクールバスに替えるというのです。もう、何を考えているのでしょうか。「スクールバスにしたら部活ができない」という保護者の声も。
 今年度、小中学生は合わせて98人が内陸線を利用していました。これは、輸送人員に表すと、年間7万人に当たります。50万人のうちの7万人、ですよ! 
 割引率が高く、区間が短いために、収入の減少は600万円程度だそうですが、来年は「43万人」という輸送人員が保証されてしまったようなものです。これが与える影響は、単なる減収にとどまりません。去年の今頃は、森吉中のスクールバス通学の生徒を内陸線に替えようとしていた同じ市教委なんです。しかも北秋田市の市長は内陸線の社長!
 開いた口がふさがらないとはこのことですが、黙っているわけにはいきません。インタビューでは「地元の通勤・通学定期の利用者を増やしてほしい」とさりげなく話しただけですが、出るところに出て、言わせてもらうつもりです。
 
 観光客は、私の「意見文書」にも書きましたが、大幅に増えています。旅行会社のツアー客は3年間で5倍増なのです。観光シーズンの休日は、車両と人員を総動員して輸送している状況。でも、ベースになる定期客が増えなければ、足腰が弱まります。

 これに負けてはいられないので、春の活動を考えています。
 確かに、これは奇妙な対応です。沿線で色々利用促進団体を作って運動中なのに(もっとも、ちょっと調べてみるとあっちこっちで同じような団体があるようで、横の連繋とか全体像がちょっと分かりにくいのですが)、そして観光客についてはなかなか効果もあったようなのに、真逆のことをやっています。これって社長=市長の背任行為? かはともかく、ローカル線に与える通学生の重要性がよく分かる数字ではあります。
 で、このバス切替が経営に具体的にはどんな影響を与えたか、秋田県庁のサイトに県の関与した第3セクターの経営の概要についてまとめたページがありますので、そこにある各年次の報告書を元に近年の利用客数の推移を見てみると、こんな感じです。
 ・2005年度: 512,507人
 ・2006年度: 500,194人
 ・2007年度: 443,170人
 ・2008年度: 470,541人
 ・2009年度: 482,068人
 というわけで、2007年度はサポーターの方の予想にもあったように、7万人近い急激な減少を見せました。上に挙げた経営概要の平成19年度のを見ますと、
・・・定期外利用は・・・前年比107%と伸びましたが、定期利用は通学定期において小・中学生のスクールバス転換による大幅な減少により71.8%となり減少に歯止めがかからなかった。・・・
と、何と3割も定期客が減っています。もとより秋田内陸線は少子化や沿線の過疎化で定期客は毎年1割近いペースで減っていましたが、それにしたって3割減はとんでもない話です。翌年度以降は、どうも児童に利用が多少戻った節があり、また北秋田市役所が市役所職員に通勤利用をさせるようにした(12名→84名に増加したとか)こともあってそこそこ回復基調にあるのは幸いですが。

 さて、では一体、何で秋田内陸線にとどめを刺しかねない、小中学生のスクールバスへの転換という事態が2007年度に起きたのでしょうか。
 これは『鉄道ジャーナル』誌の2008年8月号の、鈴木文彦氏執筆の記事にさらりと書いてあったのですが、2006年の4月から5月にかけて秋田県藤里町で発生した、小学生連続殺人事件によって、PTAが強くバス通学を望んだ、そのためなのだそうです。
 あの事件は当時、様々な角度から広く話題にされましたが、何とこんな所まで影響を及ぼしていたのでした。

 率直に小生の印象を言えば、そもそもあの事件は家庭内およびその近辺で起こったものであり、通学手段と何らかの関係があるとは思われません。どう考えても、同種の事件の発生を防ぐためにスクールバスを導入する意味があるようには考えにくいところです。まして事件の実態が不明な直後ならばともかく、一通りは捜査が行われた翌年になってわざわざ切り替える意味は、ますます見いだせそうにありません。
 反面、藤里町は秋田内陸線の沿線ではありませんが北秋田市の隣接自治体ではあり、それだけ周辺に与えた精神的動揺が大きかったのであろうとは推察されますが、それへの対処としても正直、合理性はあるのでしょうか。屁理屈を捏ねれば、家庭→スクールバス→学校という空間の中を行き来するだけより、社会的に開かれた鉄道を経由した方が、まだ家庭内のトラブルで子供が孤立している状況を周囲に知られる機会が増えるんじゃないか、とすら思われます。
 これはまあ強引とは書いた当人も思いますが、しかしある問題に対し合理性をいささか懸念される手段を採ることを求められてしまうような、このような例は枚挙に暇がないわけで、それだけ「安全・安心」というものの難しさを感じます。特にこのように、1年近く経ってなおこのような手段が採られるということには、考え込まされるところがあります。リテラシー云々しても多分、解決の手段にはならないのでしょう。
 別な角度からこれを考えてみますと、一般に鉄道という交通機関は、他の交通手段と比べ、「安全」であるという通念は、日本で概ね共有されているものと思います。子供の「安全」を気遣う保護者に、鉄道が「安全」というメッセージを送れなかったとすれば、これは秋田内陸線の存続についても、懸念される材料といえそうです。もっとも、そのような「安全」と、なにがしかの事件が起きた際の周辺の「安心」とは、別なものではあるのでしょうが・・・

 と、まさに「風評被害」を被ってしまった秋田内陸縦貫鉄道でしたが、近年は沿線で韓国の人気ドラマの撮影が行われたとかで、韓国はじめ台湾などからの海外観光客も結構増えていたそうです。考えようによっては、東京駅から乗換一回で乗れる路線なのですから、売り込む余地はまだありそうです。ただ、森吉山の知名度が、白神山地や岩手山に比べ悲しい程低いのですが。
 ですが、「風評被害」といえば、今次の震災と原発事故により、秋田内陸縦貫鉄道で近年増えていた海外観光客は、今年度は望めそうにありません。西日本ならまだしも、東北地方ですし。そんなわけで、来月か再来月に一日をJR東日本パスに費やそうと考えておられる同好の士の方々におかれましては、一つこの巡り合わせの悪いこと夥しい秋田内陸線の乗車をご検討いただけましたら幸いです。
[PR]

by bokukoui | 2011-05-20 23:06 | 鉄道(時事関係)

駅弁大会で思い出す鉄道とメディアの話~わたらせ渓谷鐵道とか

 起きたい時には眠く、寝たい時には眠れない上に、全身あっちこっちが痛い感じですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 繰り言ばかりでもしょうがないので、時には珍しく時事的なお話でも一つ。

 先週から、京王百貨店で有名な駅弁大会が開かれており、メディアにもいろいろと取り上げられているようです。駅弁には余り関心のない小生ですが(切符代に有り金注ぎ込んで旅行中は粗食に耐える鉄道趣味者なんてのは良くいます。小生がそうだというわけでもないですが)、ふと思い出したことがあったので思い出すままに書いてみます。
 で、駅弁なんですから、基本的には各駅付近に店を構える業者さんが駅弁を携えて乗り込んできているのですが、小生が知る限り一つだけ、鉄道会社直営(子会社じゃなくて)の駅弁なるものが存在しているのです。
 それは北関東の第3セクター、わたらせ渓谷鐵道(旧足尾線)と、その駅弁・やまと豚弁当です。リンク先のように、駅弁大会公式サイトでも取り上げられており、それなりに話題になっているようです。ちなみに今買うと、わ鐵オリジナルデザインの手ぬぐいと、片道の切符がおまけについているそうです。
f0030574_0145036.jpg
わたらせ渓谷鐵道「やまと豚弁当」の
包み紙(裏が観光案内になっている)とおまけの手ぬぐい

 というわけで、駅弁大会に行く筈もない(仮に時間とお金と気力体力があっても行かないでしょう)小生が、どういうわけかそんなグッズを持っているのですが、それは昨年都内某所で「観光と鉄道」なるお題の学会がありまして、そこで手に入れたものです。特別講演で、わ鐵の社長さんが講演をされ、折角だからとその学会の昼食の弁当が「やまと豚弁当」で、おまけに手ぬぐいまでついていたというわけ。ところが、学会の申し込みハガキに「弁当要りますか?」という項目があったのですが、それが駅弁なんて一言も書いてなかったので、小生はどうせ普通の仕出し屋の弁当だろう、と思ってスルーしていたところ、当日臍を噛む羽目になりました。・・・が、世の中よくしたもので、撤収時に余分があったのを頂戴してきた次第でした。

 さて、本題ですが、その社長さんの特別講演が大変面白かったので、いつか当ブログでまとめを掲載しようと考えていたものの、昨今の不調から思うに任せず、そうこうしているうちにメモが行方不明になってしまいました。然しこのまま何も書かないのも何ですし、駅弁大会を報じるテレビのニュースを見て思い出したことを、つらつら書いてみたいと思います。記憶に頼っているのであやふやなところだらけですが。

(続きは以下に)
[PR]

by bokukoui | 2011-01-18 23:59 | 鉄道(時事関係)

茨城の鉄道の話題~「メイドトレイン」にローカル鉄道観光化を思う

 ここ数日、気候は少しづつ暖かくなっているようですが、小生は相変わらずだるさと眠気が抜けず、いくら早寝をしようとも午前中は身動きが取れません。ついでに機器も歩調を合わせるのか、ネットへも繋がりが悪く、所用のため書いたメールが送信したと同時に消え失せて、ますます気力を削がれています。そうやって用事が片付かないうちに次の締切が・・・

 そんなわけで、何事も思うに任せませんが、前回の記事に引き続き備忘的・・・でもないようなネタに出くわしたので、埋め草に。

 茨城県にあったローカル私鉄は近年日立電鉄・鹿島鉄道が相次いで姿を消しましたが、それに続くかと思われた茨城交通は地方自治体の出資を得て、ひたちなか海浜鉄道として再生しました。で、同社と、以前からの茨城の第3セクター鉄道である鹿島臨海鉄道とで、来月以下の如きイベントを行うようです。


 うーん。
 どういう層を狙ったイベントなんだろう。一般客も当て込んでいるようでもあり、「社長を囲む会」なんてのもあるところを見ると相当濃いめのようでもあり。
 「列車を使ったメイド喫茶」とページタイトルにありますが、イベントの細目を見ると、貸し切り列車の運行や、「メイドさん」の車内販売とか、そういったもののようです。

 どこともご多分に漏れず3セクは経営状況が厳しいでしょうから、外部から持ち込みのイベントで多少なりとも収入があれば、ということとは思いますが、この組み合わせはどうなのかしらん。休業中とはいえメイド方面にも手を出していた者としては、多少微妙な感なきにしもあらず。自称「正統派」としては、メイドさんと組み合わせるなら蒸気機関車でないと、などとは思います。そういえば、昔作った同人誌に載せた19世紀英国のマンガで、婦人子供向けサービスを展開していたミッドランド鉄道を諷して、女性の車掌兼保母さんもそのうち登場するだろう、というのがありましたが、その絵はメイドさんが車掌の帽子を被った出で立ちでした。

 閑話休題、サイトを見ると、BS VISUAL という、鉄道関係の映像作品を制作している会社の、来月限定の企画のようです。本業とどう結びついているのかはよく分かりませんが。ローカル私鉄支援としては、単発ものの企画より、ある程度継続してリピーターを招かないと、手間の割には収入が少ないのが通例ではないかと懸念します。

 こういう鉄道イベント自体、地域振興に繋がるかは正直よく分かりません。鉄道趣味者に一大勢力を占める写真撮影派は、自動車で撮影地に乗り付け撮ったら帰ってしまうことが多いので、鉄道どころか地元に一文も落とさないケースも珍しくないと思われます。そこで対策として、海外ではフォト・ラン・バイといって撮影者を先ず列車に乗せ、沿線の撮影好適地で停車して撮影者を降ろし、然る後に列車はバックして撮影用にもう一度走る(蒸気機関車の場合はここぞとばかりに煙を上げる)というのがよくありますが、日本では難しそうですね。保安上の理由が一つ、それから日本の地形上好適撮影地は必ずしも線路沿いではなく、線路から谷を隔てた山の上だったりするので。
 乗りに来る連中はもうちょっとマシですが、それにしたって切符代捻出のために食費切り詰めは通例の連中ですので(笑)、地域振興には限りがあるかなあと。理想的には、鉄道自体の維持にグッズを買いあさるマニアを集め、同時に一般観光客も集めて地域の観光振興に繋がればいいのですが。

 全く適当な思いつきをついでに書いておくと、鉄道の官公吏用、もとい観光利用(我ながらすごい誤変換だ・・・)を介して地域にお金を効率よく落とさせるには、酒を呑ませるのが良いのではないかと小生は思ったりしています。客単価を簡単に上げる方法だし、何より自家用車利用者に対し鉄道が優位に立つ方法だし(笑)。車内で酒を呑まれるのが嫌さにJR東日本は701系を投入した過去の実例からすると、困難も伴いそうですが。
 こんなことを思ったのは、別に「鉄道むすめ」の久慈ありすの好物がホヤだったから、というわけではなくて、内田百閒と宮脇俊三の作品を併読すれば、両者の共通点は車内で呑んでいることだから、です。

 例によって話が逸れまくってますが、来月の該当時期までに諸事の目処が付けば、比較的近隣だし、鹿島臨海鉄道の新鉾田以南は乗ってないし、小生も廃線直前に乗った鹿島鉄道の痕跡も最近探訪した知人のブログによれば案外残っているようで、茨城方面に出かけてみようかとも思いますが、大体こう思っても実現した試しはあまりないのが遺憾ながら近年の状況ではあります。
[PR]

by bokukoui | 2010-02-23 23:59 | 鉄道(時事関係)

東名の築堤は崩れても新幹線が崩れないのは 償却の意義と歴史

 なんだか今一つ夏らしい盛り上がりを欠いたまま気候が微妙に秋っぽくなっている今日この頃で、まあ暑すぎないのは夏場になるとひっくり返る小生の例年のパターンからすれば喜ばしいともいえますが、睡眠の具合が相変わらずおかしいままで、万事思うに任せずじみじみと過ごす日々ではありますが、しかし、どんなに小さくても、自分の名前が書店で一般に売られている書物の奥付に載っているのは、何となく嬉しいものです。

 さて、さる11日の地震では静岡県内で東名高速道路の築堤が一部崩れ、高速道路会社はお盆の帰省ラッシュ前の13日まで突貫復旧を掲げたものの、結局16日午前0時までかかってしまいました。一方、並行する東海道新幹線は、安全点検を行ったため当日のダイヤこそ乱れましたが、基本的には大事なかったようで、翌日は通常通りになっていたようです(東名に較べろくすっぽ報道がなかったのですが、まあ「便りの無いのは良い便り」だったのでしょう)。
 で、ニュースを聞いていて不思議だったのが、なぜ東海道新幹線の築堤はほぼ問題がなかったのに、東名高速の築堤は崩れたのかということでした。突貫工事というなら、オリンピックという明確な期限のあった東海道新幹線の方が突貫だったのではないかと思われます。ピンポイントな地盤や地質の問題だったのかと素人考えを巡らしていましたが、これについて大変興味深い説明をされているブログを見つけましたので、以下にご紹介させていただきます。

・鉄路的部落「地震で盛土崩落の東名高速、意外と脆かった物流インフラ」
驚いたのは高速道路の盛土の脆弱さです。(中略)それと比べると東名高速より古い東海道新幹線では盛土の崩落はなく、マニュアルどおりに復旧できたことが際立ちます。この差はどこから来たのでしょうか。

結論から言えば、減価償却がされていたか、いなかったかの差ということができます。鉄道事業は営利事業である前提で、事業用固定資産の保全による事業の継続性が求められ、東海道新幹線が開業した1964年から国鉄でも、民間並みに資産の減価償却が行われるようになりました。(中略)

その辺を踏まえれば、地震の被害が経営に重大な影響を及ぼすことが容易に理解される新幹線では、路盤の補強やP波を検知して本震前にき電を停止するユレダスの設置などの対策が取られたことは当然のことといえます。そのように仕向ける仕組みができていたわけです。

一方の高速道路ですが、道路公団の事業として民間の会計基準によらない特殊な基準で対応されておりました。特に通行料は諸経費を控除後に整備費用の債務償還に回さなければならないわけですから、見かけ上の利益を圧迫する減価償却の仕組みを取り入れることは強い抵抗があったわけです。(後略)
 なるほど、と一読膝を打ちました。事業者に投資するインセンティヴが働いていたかどうかなんですね。そしてこの「鉄路的部落」さんの記事の続きでは、このような相違をもたらしてしまった道路公団とその改革の、国鉄改革に較べた問題点が指摘されており、また来る選挙の争点の一つとなっている、民主党の高速道路無料化政策へと論が及んでいます。大変興味深い議論ですので、交通政策にご関心のある方は是非リンク先をご覧下さい。
 民主党の高速道路政策については、畏友・東雲氏のブログ「東雲の独語」でも以前に論じられており、こちらもご関心のある方は是非どうぞ。共に「無料化」という言葉への脊髄反射的反応を戒め、民主党の政策の実現性を検討しており、勉強になります。なにせネットでは、例えば東名崩壊のニュースにこんな馬鹿げたコメントが付いたり(「これまでの」政策が誤っていたから崩壊したのであり、予知以前に既に問題を起こした過去の政権を不問にしているのは何で?)、東雲氏のブログのコメント欄にも頓珍漢なコメントをした人物がいて東雲氏に一蹴されているなど、げんなりすることが多いだけに。

 さて、人様のご意見ばかり紹介するのも芸がありませんが、かといって現今の道路政策に関しては小生は全く疎いので、以下におまけ的鉄道昔話を一つ。新幹線の開業した頃から国鉄は減価償却を行っていたのに対し、高速道路は全然そんなことはしていなかったわけですが、民営の鉄道についてはどうだったか、というお題です。

 戦前の日本の会社では、減価償却は義務ではありませんでしたので、明治時代に最初に会社が出来る企業勃興の頃は、株主の多くは目の前の高配当を追い求め、減価償却だ将来への投資だということに関心のない場合が多かったようです。投資に積極的で配当に冷淡だった山陽鉄道の中上川彦次郎が、1891年その地位を去ることとなったのがその象徴でしょう。他業種もみんなそうだったようですが、同じ交通業でも、1887年大阪商船が政府の補助金を受けるに当たって船の4%以上の減価償却などの条件をつけているのに較べると、鉄道についてはそのような政策が強く取られることはなかったようです。ちなみに大阪商船株主には、「そんな償却させられると配当が減るから、補助金なんか要りまへんがな」という連中も多かったとか。
 とはいえ、会社に関する法制度が整備され、専門経営者も登場する明治終盤になってくると、紡績業や海運業の大企業では自主的に償却を行うようになります。大阪商船も補助金の条件以上に自主的に償却を積み増しています。が、鉄道ではあんまり一般的になりませんでした。
 日本の鉄道の会計はイギリスの流儀を引継ぎ、会計を「資本勘定」(会社が調達した資金をどのような資産にしているか)と「会計勘定」(事業の収支)とに分離して、施設の補修費はもっぱら会計勘定での経費で落とすようにしていたので、減価償却して資本勘定に計上されている鉄道施設の価格を直接減らすことは基本的にしていませんでした。

 鉄道国有化を経て私鉄の中心は電鉄に移りますが、斯界でも「償却不要論」が大部を占めておりました。そして償却を無視して全力で配当。これが基本。ノーマーク爆配当。
 今より貧しい、つまり資本の少ない当時の日本で大規模な資本を集めるには、具体的制度で言えば分割払込の株金を徴収するには、高配当は欠かせないものではありました。しかし、他業種と較べても償却不要がまかり通っていたのは、鉄道の土木設備が一度作ったら半永久的に使えるものという観念があったのでしょうか。このへんはもうちょっと調べないと。
 ところが、このような経営を長年続けていきますと、傷んできた設備がいつまでも簿価で残る一方、併用軌道の専用化だとか複線化だとかで追加工事をした金額が年々積み重なり、固定資本が際限なく膨張していきます。それでいて補修費は増える道理。そこへ世界恐慌とバスの台頭がやってきて、昭和初期の電鉄業者は苦しいやりくりを強いられます。まあ、小田急の利光鶴松のように、「蛸配は経営の基本」と豪語して、ちっとも売れない中央林間界隈の土地なんぞの評価益をでっち上げて配当していた経営者もおりましたが。
 ちなみに公営の東京市電も赤字と経営難がこの頃問題になっていましたが、震災の被害復旧やバスの台頭や高めの人件費などの要因に加え、震災復興の際に電気局が復旧費約1億円(今なら数千億)を一般会計から背負い込まされていたこともやりくりの苦しさの一因でした。「儲かる公共的事業の上がりを社会に還元する」というのは合理的なようでいて、必ずしもそうではないかもしれません。国鉄債務のJR追加負担にも一脈通じそうな話です。

 さて。
 このように、償却軽視の付けが廻ってきていた電鉄界でしたが、小生は戦後まではちゃんと調査していませんけど、結局過重な固定資本と償却不足の問題はうやむやのうちにハイパーインフレでやり過ごしてしまったということになりそうです。
 戦争は交通統制で電鉄事業者の自由な経営を妨げたように言われますし、戦争や戦後の混乱による傷手は大きいものでしたが、帳簿の上ではそんな見方も出来るのではないか、と最近思うのでした。
 そしてこれは、世界の他国に類例をあまり見ない、日本の民営電鉄の存在感の大きさを説明する、一つの歴史的要因になるのかも、とも思っていますが、この辺は今後の研究課題ということで。
[PR]

by bokukoui | 2009-08-18 17:21 | 鉄道(時事関係)

ダイヤ改正当日 最後の「富士・はやぶさ」到着を迎える

 先日「各人自分の思い出のシーンを心に抱えていてばいいのであって、それを打ち消しかねないような景色は反って見ない方が良かったのではないか」などと書いていたくせに、結局見に行ってしまいました、という話。
 まず、例によってマスコミ報道を幾つかご紹介。

 半世紀の運行に幕 ブルトレ「富士・はやぶさ」
 東京ラスト「富士・はやぶさ」 強風で遅れ、ご苦労様
 「はやぶさ・富士」最終列車が終着、東京駅で最後の熱写

 このところいろいろ追いまくられていて、ブログのコメント返信も思うに任せず申し訳ないのですが、前回の記事を書いてから、14日に用事で出かける途中東京駅に寄り道できそうなことに気がつきました。しかもこの悪天候なので、きっと「富士」「はやぶさ」は遅延しているに違いなく、それもいろいろ好都合でした。
 というわけで、今さらですが写真を幾つかご紹介。といっても、「普通」の写真は、マスコミや鉄道趣味誌などの専門のカメラマンがちゃんとしたものを撮っていることでしょうから、小生が適当に撮ったニッチ的なものを幾つかご紹介したいと思います。
f0030574_1504169.jpg
8番線から9/10番線ホーム(「富士・はやぶさ」は10番線着)の新橋寄りを望む
混乱防止のため緑のロープが張られている

f0030574_203345.jpg
既に最終「富士・はやぶさ」が発車したため、テープで「大分・熊本」が隠されている

f0030574_254097.jpg
10番線で列車を待つ人垣
更に後方、東北・上越・長野新幹線のホーム(20番線)から
ブルトレを見下ろそうとする人の群れ

f0030574_2123097.jpg
本来「はやぶさ 東京」となるはずが何故か「熊本」になっている
おまけにずっと前に廃止された「みずほ」が半分見えている

f0030574_2152620.jpg
「富士・はやぶさ」到着後 9/10番線ホームを埋め尽くす人

f0030574_2173694.jpg
回送される客車最後尾 テールマークは「はやぶさ」
マナーを守ってフラッシュを焚かなかったらボけました

 折からの悪天候で、予想以上の90分も遅れておりましたが、文句を言う乗客はいなかったことでしょう。
 人出は多く、それを整理するため駅員のみならず警官まで来ていましたが、さほどの混乱はなかったようで勿怪の幸いでした。個別にはアレな人も目に付きましたが、詳述は避けます。
 なお上掲リンクに挙げた共同通信ニュースで、「列車が、ゆっくり止まると「ありがとう」と声が上がった」というのは厳密には間違いではないかという気がします。小生が聞いた範囲では、「声が上がった」のは、乗客を降ろして車庫へと引き上げていく時のことだったように思います。「声が上がる」ということについても多少思うことはありますが、これも詳述を避けます。

 新幹線ホームから写真を撮ろうとしている人が予想以上に多いのには驚きました。新幹線は本数が多いから、ホームに始終列車が止まっていて、20番線から10番線を見下ろすのは難しいだろうと思ったのですが、あの時間帯の新幹線の編成よりも、寝台特急の編成の方が長いので、うまいこと見えるんですね。それにしても、昨日今日で新幹線入場券の売上げはどれほどになったのでしょう。
 小生も新幹線ホームに行ってみようかと思ったのですが、地下鉄で東京まで来てJRの切符を買って乗ったため、自動販売機で新幹線の入場券が買えないという事態に陥り、窓口が混んでいたので諦めざるを得ませんでした。こんなシステムだったかな? 東京の新幹線ホームへ入場券を買って入ったのは、随分前、山陽新幹線を最後にJR全線完乗を達成された(確かグランドひかりのグリーン車に博多から乗り通して来た)畏友たんび氏を、ホームで万歳三唱して迎えに行った時以来だったので、どうも思い出せません。
 新幹線ホームではないですが、隣の8番線から撮った写真が多いのは、やはり九州行き寝台特急は隣のホームから覗き見るのが伝統・・・あ、『点と線』の時はまだ雑多な客車寄せ集めで、ブルトレじゃなかったっけか。とまれ、これで定期の九州直通旅客列車はなくなったわけで、関門トンネル開通以来の(東海道・山陽本線を直通して全線走破する列車とすれば明治以来の)歴史に終止符が打たれたわけです。

 列車の廃止に至った要因については、東雲氏が分析を試みておられるのでそちらに譲ります。

f0030574_2552644.jpg
父親に肩車してもらって、進入する「富士・はやぶさ」最終列車を見つめる子供
彼はこのことを将来思い出すだろうか?

[PR]

by bokukoui | 2009-03-16 23:59 | 鉄道(時事関係)

ダイヤ改正前夜 「富士」「はやぶさ」廃止など夜行列車の思い出

 最近は諸事情によりめっきり旅行に出かけることもなく、ついでにここしばらくテレビも見てはいないのですが、明日のダイヤ改正で東京~九州間の寝台特急列車、俗に言うブルー・トレインが廃止されるというので、それなりに話題になっていたようです。ネットの記事を瞥見しただけでも以下の通り。

 <ブルートレイン>はやぶさ・富士にさよなら…最後の運行 
 <ブルートレイン>「扱った」誇り今も 廃止に万感の思い
 さらばブルトレ、拍手・涙で見送る人の波
 さよなら「富士・はやぶさ」 東京駅ホームに3千人
 ブルトレ、ラストラン 大分・熊本でも「ありがとう」
 「さよなら」ブルトレ 名古屋駅にも多くのファン

 ところで小生は、「引き籠もり系鉄道趣味者」だけあって、九州ブルトレには遂に乗る機会を逸しましたが、一度乗る直前までいったことがありました。中学生の頃、友人一同(=鉄研)と夏に九州に行って、帰りに当時走っていた「あさかぜ」で博多から帰ってこようとしたのですが、台風で運休となってしまい、やむなく「のぞみ」に振り替えて帰ってきた覚えがあります。すると、「あさかぜ」発車後の時間に博多を出る新幹線で、その日の内に東京まで着いてしまい、これはブルトレとは大違いだなと思ったら、数年を経ずして博多行き「あさかぜ」はなくなってしまいました。
 この時は台風でいろいろえらい目に遭い、これも今は亡き高千穂鉄道で高千穂に行って、高森までバスで抜けようとしたら、暫く走ったところで土砂崩れで道が通れず引き返しました。やむなく大分まで戻って豊肥本線で熊本まで行こうとしたら、その特急もまた台風や大雨の影響で大遅延しました。しかしそれでも着いただけマシで、我々の乗った特急を最後に、その後豊肥本線は数年間不通になりました。ズタズタになって一部区間は復旧というより作り直しに近かったのだとか。

 というわけで乗る機会を逸してしまったのですが、まあそれも巡り合わせでしょう。

 今回の改正では東海道本線の夜行電車「ムーンライトながら」が、不定期に格下げになるということで、こちらも鉄道夜行需要の減退を印象づけます。安いビジネスホテル(それこそアパみたいな)や安い高速バス(ツアーバス)の登場に対し、運賃が硬直的である鉄道は対応しきれなかったといえますし、またバスのように小回りが利かないこと、寝台車は昼間に使い道がなくて(国鉄末期に無理矢理使ってた例はありましたが)利益が上がらず、JR化後一部の例を除き新造されなかったことなどを考えれば、なるべくしてなったという感もあります。
 その「ムーンライトながら」がまだ座席指定でなくてただの375M電車だった頃、つまり上に書いた中高生の頃ですが、何度か乗って旅に出たものでした。そういえば当時はまだ421Mという中央本線の夜行電車もあって、それに乗った時の美談(珍談)があるのですが、それは今回割愛します。
 で、当時は指定ではないので、夜行で座ろうと思ったら早めにホームに来て並ぶ必要があったのですが、何せ阿呆盛りの中学生ですから、往々むやみやたらと早く来て待っていたのです。せいぜい1時間かそこらでいいのに、まだ日の出ている頃から。当時は東京駅の10番線(現在は新幹線ホームに改築されています)から夜行列車はすべて(ほとんど?)発車していましたので、その間「さくら」から「銀河」まで、全部のブルートレインを見送るという経験を何度もしました。それでおなかいっぱいになっていたのかもしれません(笑)。

 夜行列車の客車は品川の車庫から回送してきます。しかし品川から来た列車はもう一度品川方向に向かって出発するので、機関車を付け替えなければなりません。当時は夜行列車が結構あったので、確か最初は機関車だけを回送してきて新橋寄りの引き上げ線に留め、次いで別の機関車が客車(1列車「さくら」)を回送してきてホームに客車を据えると、最初の機関車が客車に連結されて出発します。回送してきた機関車は、発車後9番線を通って引き上げ線に入り、今度は次の列車(3列車「富士」)の牽引機になるという仕組みでした。以後、「富士」の客車を回送してきた機関車は次の「はやぶさ」の牽引機になり、次の・・・えーとあの頃まだ「みずほ」はあったっけかな? を回送してきた機関車は「はやぶさ」を牽引し、以下この調子で最後の「銀河」まで続きました。「銀河」の後はないので、「銀河」を回送してきた機関車は手ぶらで品川に帰ります。
 で、印象深かったのは、その最後の回送用機関車に、お召し列車の牽引機として有名だったEF58 61号機が出てくることがあって、あの頃でも現役でEF58が動いているのには結構感動したものでした。今では博物館行きですが。

 例によってまとまらぬ話ですが、まあ各人自分の思い出のシーンを心に抱えていてばいいのであって、それを打ち消しかねないような景色は反って見ない方が良かったのではないか、と負け惜しみ的に締め括ることとします。

※追記:などと言いつつも結局こうなりました
[PR]

by bokukoui | 2009-03-13 23:59 | 鉄道(時事関係)

今日の日経紙面などから鉄道の話題

 小ネタなので下の記事と一本にして書こうと最初思ったのですが、さすがにあまりにも関連がなさ過ぎるので分けました。

 本日、日経新聞の夕刊を見たところ、一面トップが鉄道関連の記事で驚きました。
 ネット版にも同じような記事がありましたので、以下に紹介します。
鉄道投資、世界で加速 日本企業に商機 18兆円市場
 世界各国で鉄道建設に向けた動きが活発になっている。米国では景気対策をにらみ地方で整備計画が浮上。中国は今年の投資額を前年比で倍増させる。世界市場は年間18兆円規模に膨らむ公算が大きい。低迷する経済をテコ入れするため交通インフラ整備に投資するなか、地球温暖化対策にもつながる鉄道に重点を置く流れが鮮明になってきた。日立製作所が英国で大型受注へ前進するなど、技術力で優位な日本の関連企業に追い風が吹いてきた。

 米国ではオバマ大統領の提案を受けて議会の上下両院が7890億ドル(約72兆円)の景気対策法案で基本合意、歳出の一つとして鉄道など交通網の整備が盛り込まれる見通しだ。オハイオ州は景気対策の執行をにらみ州内3大都市を結ぶ旅客路線を40年ぶりに復活させる計画を立てた。
 夕刊の記事はもっと詳しく、各国の鉄道プロジェクトの概要の一覧表なども載っていましたが、趣旨はこのネット版の通りです。紙面では環境問題対策としてのモーダルシフトにも、もうちょっと詳しく触れていた感があります。
 個人的にはオハイオ州の構想も気になります。州内3大都市(コロンバス、シンシナティ、クリーヴランドでしょうか)を結ぶといいますが、かつてのオハイオ州は全米で一番インターアーバン(都市間連絡電車)が発達していた地域だけに、いわばその復活かと思うとわくわくします(実際には貨物鉄道の路線を借りてディーゼル列車でしょうか?)。インターアーバンについては、以前も紹介しましたが、日本語で一番詳しいこちらのサイトを参照して下さい(ここにオハイオの全盛期の電車路線図があります)。巨大な旅客鉄道網を、作って廃止してまた復活、というのもすごい話ですが、その"記憶"があったからこそオハイオ州はこんな構想を立てたのかも知れません。

 で、モーダルシフトなどに関心が向くこと自体は結構なことだろうと小生も思いますが、果たしてそれを「技術力で優位な日本の関連企業に追い風」なんて単純かつ楽観的に言い切っていいものなのか。このブログでも過去にいろいろ書いたことがありますが、鉄道について「技術的優位」を、車輌のみに切り出して議論することは、これは自動車や船舶や航空機と較べて特に、難しいのではないかと思います。

 そんなことを思ったのは、暫く前に

坂上茂樹
 『鉄道車輌工業と自動車工業

 を読んでいたから、ということもあろうかと思います。

 本書は、日本の鉄道車輌工業の発達を、自動車産業と関連・対比させつつ述べたもので、大変興味深い本でした。本書を読むと、鉄道用ディーゼル機関の発展を国鉄が如何に阻害したかが分かります(JR化後、カミンズ社のエンジンへの換装が流行ったものでした)。
 本来きちんと紹介記事を書くだけの書物なのですが、文系にとっては技術的になかなか難しい内容があって(いきなり説明なしに、エンジンについてSVだのOHVだのと言われても普通の人は分からないでしょう。鉄道マニアだって同様でしょう)、今すぐ書評めいた文章をものするには、自らの力不足を感じざるを得ません。あまつさえ、先週まで手許にあったことは確かなのに、今何故か部屋をひっくりかえしても見つからないので、ますます書くわけにはいきません。
 いつかきっと、とは思っていますが・・・

 話を戻しまして、そんな話題が一面を飾る新聞の社会面では、来月の14日のダイヤ改正で廃止される東京~九州間のブルートレインの最終日の指定券が発売になり、わずか10秒で売り切れたという記事がありました。技術だけでは解決できないであろう課題ですね。

 更についでですが、こんなニュースをネットで見つけました。

 違法取水で社長ら処分へ JR東、水利権取り消し

 信濃川水利権といえば、戦前に鉄道省が手をつけたものの、その後実現まで延々と揉め続けたそうですが、国鉄が滅び21世紀にもなってこんな落ちとは・・・。ただ少なくとも、上の記事に引きつけていえば、東京のJR網ほど膨大にして精緻な鉄道システムを運行するとは、こんな所まで影響を及ぼすことなのだ、ということになりましょうか。
[PR]

by bokukoui | 2009-02-13 23:59 | 鉄道(時事関係)