カテゴリ:鉄道(歴史方面)( 67 )

江戸東京博物館「東京の交通100年博」 ササラ電車・甦った6000形

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元東京市電気局・現函館市電の除雪用「ササラ電車」

 今年は9月半ばになっても暑い日が続いたと思ったら、今週は一転涼しくなり、台風の襲来を迎えましたが、これで漸く秋になるのでしょう。
 で、個人的に今年の夏を振り返ってみると何をする気力も湧かず全く沈滞しておりましたが、先月半ば頃から少しは動けるようになり、低効率ながらも停頓はしないで済んでいましたが、今月に入ってまた暑さが戻ったりまた涼しくなる天候に再度消耗している感じです。概して目前のことをこなすのが精一杯で、マンガ一冊読む気力すら失われていたていたらくでしたから、夏休みらしくどこかへ出かけるなんてことにもほとんど縁はなかったのですが、ただ夏休みのはじめの頃にお誘いがあって一つ、そして最近もう一つ、鉄道関係の展示に出かけていまして、まあ折角なので撮った写真でも挙げておこうと思います。

(写真が多いので続きは以下に)
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by bokukoui | 2011-09-21 23:04 | 鉄道(歴史方面) | Trackback(1) | Comments(0)

アメリカ軍のディーゼル機関車に関する覚書

 先日、ツイッター上で伺ったお話が、図らずも当ブログの以前の記事と関わっていたことが判明したため、以下に備忘として記録しておきます。

 まず発端のツイートを。
@Kojimamo 名鉄へ行ったアメリカ軍のディーゼル電気機関車の詳細が載っているHPがありました。 US ARMY 8500の来た頃 http://bit.ly/moRc9m 伊勢湾台風の復旧列車を引く8589の画像とかよく残っていたなぁ・・・。すごい。(5月24日)
 ここで紹介されているリンク先の記事は

 ・白井昭「US ARMY 8500の来た頃」

 です。占領期にアメリカ軍が持ち込み、その後国鉄や名鉄に払い下げられた電気式ディーゼル機関車についての記事です。国鉄ではDD12形、名鉄では8500形として活躍した、GE製の機関車でした。筆者の白井氏は、鉄道好きなら周知の、大井川鉄道の蒸機復活などで活躍された方で、名鉄に長く勤められた方ですので、その昔話は大変興味深いものがあります。
 特に一読して小生が唸ったのは、本形式に対する白井氏の高い評価です。
■8500形の評価

 実際に8500形を使ってみた結果は、大いなる成功であった。故障だらけの国産DLに対して丈夫、キャタピラエンジンなどのパーツも完備。荒い使い方でラジエータの半壊やギアケースの欠油ミスなども続発したが、よく使用に耐えた。また、GEの低圧トラクションモーター(重ね巻き)は優秀で、とにかく丈夫なことに感心した。
 軸重が小さいことも線路状態のよくない外地や臨港線などの使用に向いており、軸重が大きいことから入線できる線区が制限された国鉄DD13形に比べ、万能型の設計であった。
 補修の面でも、大井川鐵道井川線の国産35tDLなどとは対極にあった。設計面ではエンジン、発電機、トラクションモーターと3重装備にも関わらず、限られたスペースと重量内にコンパクトに納めているが、国産では今の技術でも困難だと思う。その原点は、キャタピラエンジンをはじめ、パーツの優秀さにあった。
 8500形は、日本のDL技術史上で一紀元を画したが、結局日本でGM、GEの技術が普及することはなく、現在まで高価で国際性の低いDLで終わってしまった。
 小生は内燃機関系の鉄道車輌には正直とんと疎いのですが、以前坂上茂樹『鉄道車輌工業と自動車工業』(日本経済評論社)を読み、「国鉄一家」方式という一元的な開発体制が、結果的には日本のディーゼル機関鉄道車輌の技術的停滞をもたらした、という厳しい評価を読んで蒙を啓かれたこともあり(考えてみれば、JR化した途端にカミンズのエンジンがあれほど買われたのは・・・)、それに相通じる所を感じ、ついつい国産化の達成ということで高く評価してしまいがちな日本の技術史(勿論それ自体は大きな成果ではありますが)についてより冷静な国際的比較を踏まえた評価が必要なことを痛感しました。蒸気機関車についても同様のことが言えるわけですが。

 で、これが当ブログの過去の記事とどう関係するのかといいますと、小生が先年アメリカに行って、オレンジエンパイア鉄道博物館で何の気なしに撮影した機関車が、実はこの8500形の仲間だということに、この白井氏の記事を読んで初めて気がついたという体たらくでして。
 これは当ブログの「お気楽アメリカ紀行(3)~オレンジエンパイア鉄道博物館・その2」中の、アメリカ空軍の機関車です。写真を以下に再掲しておきます。この写真はクリックすると拡大表示します。
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 で、小生が憮然とせざるを得なかったのは、折角アメリカまで見に行ったくせに、見たものの意味をちっとも理解していなかったと云うことで、これは馬鹿馬鹿しい限りと反省しました。電車にもっぱらかまけていて、内燃ものにまで事前にも後でも調べなかったので・・・。いやはや。
 日本に持ち込まれた類似の機関車は、アメリカ陸軍の所有だったようですが、オレンジエンパイア鉄道博物館で保存されているのは、ペイントを見る限りアメリカ空軍の保有機だったようです。陸軍以外にも軍用で使われていたものと見えますが、もっとも日本が戦争に負けた時点では、アメリカに「空軍」はまだ無いはずですので、もと陸軍機が空軍独立に伴って所属を替えたのかも知れません(アメリカ空軍は陸軍航空隊が前身だったはず)。いろいろ追及することはありそうですね。

 それはさておき、その他本件に関する @Kojimamo さんのツイートを以下にご紹介させていただきます。
@Kojimamo @akatsuki3rd @bokukoui @harima1330057 国鉄DD12形スキーの皆さんなら高確率で釣られる画像集ウィキメディア・コモンズにあるゼネラル社の44トンDLの画像集です http://bit.ly/iYZKfB みんなDD12形の兄弟です。(5月25日)
@Kojimamo 国鉄DD12形スキーに捧ぐHP http://bit.ly/lvtbyn 大陸で産まれた軍育ちの機関車がフィリピン経由で極東の島国へやって来た。やがて国鉄色を纏い、東海道線の保土ヶ谷駅での入換に精を出し、一日の仕事が終わるとやれやれと一人で茅ヶ崎の機関庫へ帰って行くのである。(5月25日)
@Kojimamo 大陸で産まれた軍育ちの機関車が戸塚付近でEF60?とすれ違う画  これ何気にすごい画像ですよw分かる人向けw http://bit.ly/lt0CTB(5月25日)
@Kojimamo 国鉄DD12形に燃える男なら神棚に飾るべき本レイルNo.70 ■DD12ものがたり http://bit.ly/knZ7RD これがあればあなたの凸形DLへの愛が深まる事間違いなし!(5月25日)
 なお、DD12形で検索してみたところ、「国鉄DD12形はGE44tonnerではない!」(☆ワン・トエンティー☆1/120ワールドへ☆さん)という記事が見つかり、DD12形は44トン機でなく類型の47トン機なのだということです。『レイル』本誌の記事を一読したいですね。神保町で探してみるか。
 また、GE製である8500形への白井氏の高い評価についてはこのようなご指摘を、同じくツイッター上で磯部祥行さんからいただきました。
@tenereisobe 面白い指摘だけれど、8500を作ったGEは、当時、GM-EMDのような大型機関車を作ることはできなかったんだよね。1930~1940年代の最先端はGM-EMD。アルコもがんばった。(5月26日)
@tenereisobe 個人的には対向ピストンエンジンのフェアバンクス・モースが興味深い。意外なところでマイクロエースが随分前に模型化している。(5月26日)
@tenereisobe GEはUボートでようやく陽の目を見たけれど、結局はそのコンセプトをパクったEMDに凌駕されてる。GEは1990年代になってようやくEMDに追いつきはじめ、追い越せたのはつい最近のこと。(5月26日)
 なるほど、確かにアメリカのディーゼル機はEMDの方がメジャーですね。アメリカの鉄道マニアの中には、EMDを愛するあまりGMの自動車しか乗らないという人がいる、という話を昔どこぞで読んだ覚えが。もっとも電車マニアの間では、GMが電車買収→廃業→バス化でアメリカの電車を滅ぼしたんじゃないかという陰謀論があったりします(こちらなどご参照下さい)。

 とまあ、目で見ていても頭で分かっていないと意味がない、という教訓でした。まあ、あとで気がついただけ良かったということで、内燃ものの方も今後はもうちょっと目配りしていきたいと思います。ご教示いただいた皆様に感謝します。
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by bokukoui | 2011-05-26 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback(1) | Comments(0)

半世紀前の新築駅舎の平面図~『秋田鉄道管理局史』より

 前回の記事「半世紀前の国鉄官舎(宿舎)の間取図~『秋田鉄道管理局史』より」に入れるはずだったのが、分量が多くなりすぎる等の事情で先送りにしたものの補足です。1959年7月に建てられた新庄駅と、同年9月に建てられた大曲駅の駅舎の図面です。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2011-05-10 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback(1) | Comments(0)

半世紀前の国鉄官舎(宿舎)の間取図~『秋田鉄道管理局史』より

 連休とはあまり関係なく、所用に追われたりして更新が滞っておりますが、天候が今ひとつの今年の連休、皆様如何お過ごしでしょうか。
 さて、小生は元々地図を見るのが好きで、それと関係あるのかどうか、間取図を見るのも結構好きです。同様の趣味の方は結構おられるようですし、また資料としても間取図から歴史的・社会的・地理的な諸状況を読み取るということは結構有効な手法だろうと思います。で、当ブログでは以前にも「戦前の夢のマイホーム? 平尾善保『最新 住宅読本』(1938)を見る」と題しまして、昔の住宅解説本を紹介しましたが、それに類似した企画をば。
 今日のお題は、先日所用で図書館から借りだした『秋田鉄道管理局史』(1961)に収められていた、半世紀前の国鉄の官舎(厳密には国鉄は「官」でないということか、管理局史では「宿舎」となっています)の間取図です。時代柄、戦前に建てられたとおぼしき木造平屋の家があれば、当時最新鋭の公団住宅のような鉄筋コンクリートのアパート形式のもあり、まさに日本の建築が大きく移り変わる時代だったのだなあと思わされます。団地は最近注目されることが多く、「団地マニア」な方々が相当調べまくっておられるようで、もしかすると国鉄の団地仕様宿舎についても何か先行研究があるのかも知れません。そういうところで紹介されていたネタだったらあれですが、まあお気軽に眺めて楽しんでみましょう。

(引用画像が多いので続きは以下に)
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by bokukoui | 2011-05-07 23:35 | 鉄道(歴史方面) | Trackback(1) | Comments(6)

『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』瞥見

f0030574_035173.jpg 当ブログでは昨年、「近鉄創業百周年記念雑文 近鉄が日本最大の私鉄になれたのは?」という一文を物しましたが、そんなわけで近鉄は昨年度、創業百周年を迎えていました。この「百周年」とは、近鉄を形成する中心となった会社・大阪電気軌道が設立された年を指しまして、その開業は1914年のことで、また現在の近鉄線の中でも、南大阪線の母体となった会社は更に古い開業です。ですが、近鉄としては1910年を創業年と位置づけ、それに合わせて社史を編纂しておりました。
 で、ちょっと遅くなりましたが、百周年の年度末には社史も完成しまして、憑かれた大学隠棲氏経由でそのことを知った小生、早速注文した次第。一般頒布限定1000部のことでしたが、幸い入手することが出来、先日近鉄百貨店から我が家に送られて参りました。
 で、当ブログでは過去に阪神の百年史西鉄の百年史を手に入れて紹介しておりましたので、今回も一筆。といっても、いろいろ忙しかったりくたびれていたりして、ろくすっぽ読めておりませんが・・・まあ瞥見ということで。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2011-04-18 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(0)

渡道顛末記拾遺の補遺(川部駅と黒石駅の古レール)及び近況など

 今月前半の空元気はやはり空元気だったようで、早くも沈滞しつつあります。寒さのために順調に風邪を引き、発熱して何事も思うに任せず。すぐ気力が萎えるところ、ボイラー容量の小さな蒸気機関みたいですね。むしろ無火機関車というべきかもしれません。で、年々蒸気の漏れが酷くなっている、と。

 ところで、前回の記事「渡道顛末記拾遺 川部駅の跨線橋は19世紀生まれの古レール」は存外反響があったようで、ここ一週間ブログを放置しているにもかかわらず来訪者がさほど減っていないのはそれも一因のようです。アクセス解析を見直したところ、速水螺旋人先生のツイッターに捕捉されていたようで、ありがたい限りです。古レールは対戦車障害物にも使えそうですし。

 で、速水螺旋人先生といえば今月発売の『月刊COMICリュウ』で漫画「靴ずれ戦線 魔女ワーシェンカの戦争」の連載が始まるそうで(「螺子の囁き」は発展的解消)、あまつさえ表紙に速水先生がT34/76を描いているという始末で、元々どっか「特異」な戦記漫画を複数掲載している雑誌でしたが、まさに魔女の大釜状態です。しかし気力が萎えていると漫画すら読む気力が起こらず、表紙だけ見て未だ読んでいないのは情けない限り。ちなみに、速水先生が表紙について「鎌とハンマーはロゴで隠れちゃってるぞ」と仰ってますが、アマゾンの画像でも分かるように、ロゴが半透明になっていて、一応鎌トンカチが分かるように配慮はされています。もっとも過去の号を調べると、表紙イラストがロゴと干渉する場合、ロゴを枠だけにした例(今年7月号など)もあり、また半透明にした場合はもっと透過率が高い(昨年3月号など)事例が多いようで、この中途半端な鎌トンカチの隠蔽ぶりに『リュウ』編集部の反動的日和見主義が露呈しているなどと、批判キャンペーンをする気力はもとよりあろう筈もありません。
 冗談の分からない人がいると困るので念のために書いておきますが、以上の文章は速水螺旋人新連載万歳記事を書こうとしたものの、心身の不調により挫折しただけで、もとより赤旗でも振って喜ぶべき事態であります。

 閑話休題、「川部駅の跨線橋」記事について、あとで写真を見返していて補足すべきことがあることに気がつきましたので、以下に補遺を書いておきます。
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再掲・川部駅の跨線橋
(この写真はクリックすると拡大表示します)


(続きは以下に)
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by bokukoui | 2010-10-30 20:54 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(0)

渡道顛末記拾遺 川部駅の跨線橋は19世紀生まれの古レール

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明治時代の古レール製と見られる奥羽本線川部駅の跨線橋

 先日書いた「渡道顛末記」の続篇といいますか、帰途に偶然出会った産業遺産についての記事です。今ざっと検索してみた限りでは刻印についてネット上に報告もないようですし、記事にしておく価値はあろうかと。

(写真が多いので続きは以下に)
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by bokukoui | 2010-10-22 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback(1) | Comments(1)

近鉄創業百周年記念雑文 近鉄が日本最大の私鉄になれたのは?

 今年は関西の大手私鉄で「百周年」になる会社が多い年で、阪急が今年3月に開業百周年、京阪も4月に創業百周年を迎えています。また、近鉄は開業は1914年ですが、同社は昔から会社の歴史を開業からではなく会社設立から数える習慣があり、近鉄の前身の大阪電気軌道(大軌)が創立されたのは1910年9月16日のことでした。ですので近鉄としては、やはり今年が百周年になるようです。同社は開業までに生駒トンネルを掘っていたら崩落事故が起こるわ資金が足りなくなるわ、開業に漕ぎ着けるまででも大変だったからでしょうか(阪急や京阪も楽だったわけじゃないですが)。
 で、当ブログでは昨年「京成電鉄創立百周年記念企画」なんてのを4回続きで書きましたが、今年は関西私鉄で一つ、と思いつつも阪急と京阪では機を逸してしまいました。両者の開業頃に諸事に追われてたということもありますが、手頃にまとまった話題が手元になかったからでもあります。近鉄についてもそれほど格好の話柄があるわけでもないですが、折角なので思いつきを一つ。
 ・・・と、先月の16日に書こうと前々から思っていたものの、心身とも低調のどん底で書くことあたわず、そこで去る15日に書こうと思ったのですが――近鉄路線網の中核となった大軌は、設立当初は「奈良軌道」という社名で、1910年10月15日に「大阪電気軌道」と改称しました――これまた三峯徹画伯タモリ倶楽部出演という時事ネタで機会を逸しました。のでちょいと時期外れですが、近鉄史上としては「旧河南鉄道(現・道明寺線・南大阪線の一部・長野線)のガンツ式蒸気動車導入102周年」ということで、本日書くことにします。

(纏まらぬ思いつきの雑彙なのでお暇な方だけどうぞ)
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by bokukoui | 2010-10-17 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(2)

三木理史『都市交通の成立』紹介

 ここしばらく諸事に追われて研究が進んでいないのですが(ずっとそればっか)、それはいかんとせめて本でも読もうと、最近出された表題の書物を入手し、読了しました。新年度最初の書物紹介として相応しい一冊と思います。

三木理史『都市交通の成立』(日本経済評論社)

 当ブログでも前にご著書を紹介したことのある、三木理史先生の新刊で、2月に出たそうです。本書の目次の概要を以下に掲げます。詳細な目次は上掲リンク先にありますので、ご関心のある向きはそちらを。
序 章 「都市交通」の概念的成立 
 
第一部 都市交通と領域性
 第1章 都市交通の萌芽と領域性  
 第2章 戦間期の都市膨脹と交通調整
 第3章 交通調整の戦前・戦後と都市交通審議会 

第二部 旅客輸送の大量化
 第4章 「通い」の成立 
  補 論 「通い」の再生産構造
 第5章 「都市鉄道」の成立 
 第6章 旅客輸送の高密度化と「都市鉄道」 
 第7章 戦時体制期と「都市鉄道」の展開 
 
第三部 都市交通における物流
 第8章 都市交通と社会資本の利用分担  
 第9章 戦前期の石炭消費と都市内輸送 
 第10章 生鮮食料品輸送と中央卸売市場の成立
 
終 章 「都市交通」の成立
 小生は先日本書を入手し一読しましたが、何分にも300頁を超えるボリュームでもあり、今のところ何か書評出来るほど読めてはいません。とりあえずその内容を雑駁に紹介するのみでご勘弁のほど。

 本書は大阪をフィールドに、「都市交通」というものが如何に形成されたかを様々な角度から検討しています。「都市交通」とは、「都市内交通」と同義ではなくもっと広い概念で、都市内および都市と周辺地域との交通を総称した概念です。ですので、都市と農村とが截然と分かれていた時代には、「都市内交通」はあっても「都市交通」は未成立であって、郊外とか、都市圏というものの成立に伴って、都市交通が形成される、ということなのだと思います。
 で、その都市交通を、本書では

 (1)都市と郊外をめぐる領域性
 (2)その大量性をめぐる問題
 (3)都市における旅客と貨物の関係性

 の3つの論点から分析しています(p.2)。この3つの論点が、目次の第1部・第2部・第3部にそれぞれ対応しています。
 一読した感想を織り交ぜつつ各部を簡単に振り返ると、まず第1部は、「領域性」という言葉に馴染みがなくてちょっと戸惑いますが、本論で主に問題になっているのは、大阪市当局の領域認識ということのようです。大阪市が交通に関して、「市営モンロー主義」などと呼ばれる、市内の交通(昔なら市電、今なら地下鉄・バスなど)を市が独占的に運営すべきという発想を抱いていたことは割合知られているかと思いますが、その市営主義を運営する上で、大阪市がどのような空間認識を有していたか、とまとめられるでしょうか。大阪は数度に亘って周辺町村を合併し市域拡張を行いますが、そのため当初の領域性に基づいて組み立てられた市営主義の交通体系が、市域拡張によるその変化に伴って動揺し、やがて崩壊する過程を描いています。
 これは小生の理解ですが、大阪それ自体の成長や交通機関の発展に伴って大阪の郊外も発展し、当初は新市域としてそれを大阪市の内部に取り込めたのが、郊外が拡大しすぎて市の範囲を遙かに超えてしまい、それに伴って都市交通も大阪の市営主義では不合理になってしまったということでしょう。第3章では都市交通審議会の役割を取り上げていますが、そこで述べられている、かつての都市交通は内務省(→建設省)による都市計画の一部(大阪市のような地方自治体は内務省が監督)と捉えられてきたのが、戦後になって全国的な交通網の一つとして都市交通を捉える運輸省(←鉄道省)の見方が中心になってきたという変化もまた、都市交通が市のレベルで手に負えるものではなくなったことを反映しているわけでしょう。

 第2部は、都市交通を特徴付ける旅客輸送の大量化を扱いますが、まず第4章と補論では、旅客輸送大量化の前提となる、交通機関による通勤通学という習慣の発生を検討し、第5章では都市交通に相応しい鉄道の技術的発展を分析します。技術的発展とは即ち、当初明確に分かれていた鉄道と軌道の相違が、都市交通の発展(による大量・高速輸送の必要性)によって次第に平準化し、更に国鉄も都市部で客貨分離を行うなどして、私鉄の電鉄との間が平準化したことです。章末で三木先生は、このような平準化は戦後の新幹線にも及び、幹線の旅客輸送も大量輸送への対応から、都市交通の電鉄に近づいたことを示唆しておられますが、大変重要な指摘と小生も考えます。
 第6章では、都市交通を担う鉄道の特徴である高密度輸送(ラッシュ)の形成を軸に戦時下の電鉄を検討し、軍需工場への動員などで通勤者が激増したことは、旅客輸送の大量化という観点からすれば、戦前から戦後の高度成長期まで続くトレンドと位置づけます(本章は扱う論点が多岐に亘る分、やや纏めづらい印象があります)。第7章では、第5章の都市交通の技術的平準化と第6章の戦時期のラッシュ対策とを、技術的観点から纏め、戦時期の大量高密度輸送対策は技術の平準化を更に推し進め、戦後の高度成長への対応へつながったとしています。

 第3部は、これまでの都市交通研究で等閑視されがちな傾向にあった、都市の貨物輸送を取り上げます。第8章では都市と都市外との結節点に着目し、水運と陸運が近代以降どのように役割分担を行ってきたか(近世では陸上は旅客、水上は貨物と分かれていた)を検討します。以下の章では石炭と生鮮食料品をそれぞれ取り上げて、都市での貨物輸送の具体的様相を解明します。なかなか史料が少なくて分かりにくい分野ですが、様々な史料を巧みに組み合わせてその様相に迫っています。

 以上、要旨を紹介するだけでもなかなか大変なほど、様々な角度から都市交通を検討し、その画期を戦間期に置きつつも、戦争を挟んだ戦後への連続性を論じている一冊といえるかと思います。フィールドを大阪に絞っていますが、しかし例えば第一部の、都市が発展した結果、市では都市交通に対応できなくなる、などという指摘は、普遍性の高いものと思います。また、戦時期をただ統制に縛られ戦災を被っただけの時代ではなく、戦前と戦後とを繋ぐ役割があることを指摘したことは、大変意欲的で読者として刺激を受けます(三木先生は今までも同様の指摘をある程度されていましたが、本書は幅も厚みも広がっていると思います)。大阪に限らず(もちろん大阪の地域史としても大いに活用できますが)、都市と交通について関心を持つ方はご一読されればと思います。
 小生も一読したのみなので、それ以上のことはなかなか言えませんが、思い付きの範疇を出ないことを断った上で一二指摘をするならば、まずこれは多面的に都市交通を捉えようとされたが故のことと思いますが、部章ごとに交通を見るレベルがかなり異なっているので、総合的な「都市交通」像を思い浮かべるのが難しく感じられるということです。第一部では大阪市の手に負えないほど広がった範囲の都市交通を扱う一方、第三部の貨物輸送は比較的狭い都市内の貨物輸送の話が中心です。また、交通を見る視点が、大阪市当局だったり、郊外の住民だったり、貨物の運送業者だったり、さまざま章ごとに異なっているため、それらが大阪という一つのフィールドでどのように関係し合っていたかがなかなか想像しづらいところがあります。これは今後、研究の進展によって解決されるものだと思いますが。
 あと、個人的には第二部の戦時下の鉄道事業者の経営分析は大変興味深くも、やや手法に疑問を感じるところもないではありませんが、それをいまここで詳細に述べるのは大変だし準備もないので、今後自分でいろいろ調べてみたいと考えています。もう一つ今後に繋がる論点として思いつくのは、第一部での都市の発展により大阪市の交通は大阪市営では運営しきれなくなっていく、という大変興味深い指摘は、他のインフラにも通じるのかそうでないのか、というところで、地方分権だの道州制だの、或いは大阪市と大阪府の一体化だの東京特別区の改組だの、現在政治的なテーマとして浮上しているようなことにも繋がっていくのではないかと思います。

 勝手な思い付きばかりですが、なにがしかピンと来るところのあった方は是非どうぞ。必ずどこかで参考になる本ですので。
 はなはだ雑駁な記事にもかかわらず、毎度ながら完成が遅れ、まことにすみません。
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by bokukoui | 2010-04-21 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(0)

京王資料館の一般公開などを見る

 既に一週間近く前のことですが、先月の取手に引き続き、鉄道関係の展示の見学に出掛けました。今週は憑かれた大学隠棲氏のお誘いで、府中の京王資料館を訪ねました。この資料館は、その名の通り京王電鉄の資料館ですが、本来は部内の研修用施設で一般には公開していないそうで、年に一度、地元のお祭りに合わせて一般公開しているのだそうです。

(写真が多いので続きは以下に)
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by bokukoui | 2010-04-10 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(3)