カテゴリ:鉄道(現況実見)( 28 )

ドブネズミみたいに美しくなりたい

 図書館閉館までねばっての帰途、半蔵門線大手町駅でふと線路を見下ろしたら、でかいネズミがコンクリート枕木のあたりをうろうろしておりました。
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 携帯電話のカメラで撮影したので分かりにくいですね。
 知識として地下街などにネズミが生息していることは知っていましたが、いつも使う地下鉄の、しかも線路で見たのは初めてだと思います。小生、およそ動物には疎いのですが、枕木やレールの大きさから見て十数センチの体長のネズミ、となればやはりドブネズミでいいのでしょうか。こやつらがケーブルを齧って運行停止、なんてことにならなければいいのですが。
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by bokukoui | 2008-10-17 22:38 | 鉄道(現況実見) | Comments(6)

鉄道混乱

 急に寒くなり、小生はどうも気分が悪くてぼうっとしておりますが、今日は鉄道も調子が悪かったようで。

 本日は新幹線の上野~大宮間が止まって大騒ぎの上(Excite エキサイト : 社会ニュース)、中央線でもその後事故があった由ですが、更に小生の利用している東急田園都市線も車輌故障で、ちょうど小生の住んでいる付近の区間だけ止まるという事態が発生しました。
 しかも折悪しく、止まっている時間帯に小生はアルバイト先の都合で町田に行かねばならず、何も知らないで家を出て、駅に着いたら人でごった返していてびっくりした次第。PASMOの払い戻しなどで改札内に人がたまり、改札外にはタクシー待ちの行列が。
 青葉台までバスか歩いて神奈中バスで町田入り、という案も考えましたが、本数が少ないし町田街道近辺の混雑が読めないので断念し、親の救援を仰いで長津田まで送って貰い事なきを得ました。
 すると、普段はそれほど混まない、国道246号下り線の下長津田交差点の右折レーンが、車列が右折レーンをはみ出すほどの列になっておりました。この辺本線は混むんですが、右折レーンがこんなに繋がったのを見た覚えがありません。
 で、それらの自動車は、ほぼすべて長津田駅前に向かったのでした。

 いやはや。
 やはり、大手私鉄幹線クラスの鉄道の輸送力を、ほんの一部といえど乗用車で置き換えると、こういうことになるようです。日曜の中途半端な時間帯の、かなり郊外の方でしたから、まだ影響はこの程度で済んだわけですが。
 このところ、こういった鉄道の支障が伝えられることが多いように思われますが(或いは情報システムの発達によって各地の小さな事故情報もあまねく伝達されるようになったためにそう感じている面が全くない訳でもないのかもしれませんが)、なにがしかインフラが次第に疲労して故障が多くなる時代になってきたということがあるのかもしれません。高齢化するのは人ばかりではないわけで。
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不通・折り返し運転に伴う乗換などでごった返す東急長津田駅改札
(携帯電話のカメラなのでお見苦しい点はご容赦下さい)

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by bokukoui | 2008-09-28 23:57 | 鉄道(現況実見) | Comments(3)

東急田園都市線高津駅上り線仮ホーム・仮改札口 切替前の情景

 今月は秋葉原で通り魔に出くわす知人が地震で亡くなるはと、個人的には碌でもない月でしたが、鉄道趣味者としては、地下鉄副都心線が開業したり東急目黒線が日吉に延伸したり、それなりに話題の豊富な月の筈でした。月も替わろうとする今日、それに関連したような話題を一つ。

 現在、東急田園都市線の二子玉川~溝の口間では複々線化工事が進められておりますが、それに伴ってこれまで仮ホームと仮改札口を設けていた高津駅は、本日仮ホームと仮改札口を閉鎖して新たな上りホームが供用開始されました。
 そこで、少し前に通学中寄り道して撮っておいた、切替前の駅の写真を何点かお目にかけます。
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切替直前の仮ホームと新上りホームの情景

 この写真はクリックすると拡大表示します。

(写真が多いので続きはこちらへ)
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by bokukoui | 2008-06-29 23:28 | 鉄道(現況実見) | Comments(2)

都電(路面電車の日)と日暮里・舎人ライナー

 一応ゼミ報告も昨日一つ終わったことで、今日は久々に少し鉄道趣味的外出。
 今年は新線開通がいくつもあるのですが、その一つに行ってきた次第。ちなみに他の新線はどれも行っておりません・・・自宅近くの横浜市営地下鉄のグリーンラインも。

 というわけで、人に会うついでに、日暮里から出ている新交通システムの日暮里・舎人ライナーに行ってきました。
 ・・・のですが、出かけてからたまたま、都電が「路面電車の日」というイベントをやっていることを知り、急遽寄り道。イベントのせいか満員の電車に揺られて、荒川車庫前に行ってきました。
 行ってみると大変な盛況。最近の「鉄道ブーム」の影響もあるのかもしれませんが、まあ普通に家族連れが多いようです。『ゲゲゲの鬼太郎』関係のイベントのせいか。もちろん鉄道趣味者、鉄道マニア、鉄ヲタなども大勢おりました。頭が薄くでっぷり太った中年男性が、『プリキュア』のキャラクターをプリントしたTシャツを着込んでいる、そんな情景を目にして、今時こんなステロタイプがいるなんて、と驚きました。
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人出いっぱいの荒川車庫

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車庫から電車を出すサービス(上の写真の時から黄色の電車が登場)

 というわけで、出てきた7000形電車を撮影します。
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スノープロウをつけた電車

 この装備は今まで見たことが無かったので、竹箒のささらの方が風情はあるかもしれませんが、これはこれでなかなか面白いものでした。尖った先端部分が中心線から向かって左にずれているのは、都電が複線だからでしょうが、といって線路上の雪を全部左側にどけるようになっているわけでもないところが、不思議なところです。

 ついでに他の展示物・保存車両も駆け足で。
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「和製PCCカー」5501号

 日本唯一のPCCカー(アメリカ発祥の高い加減速度を誇る高性能路面電車)である5501号を見ます。車内はギャラリーになっていて、まあ『always 三丁目の夕日』のポスターとか張ってあるのはちょっと、という気もしましたけど(一枚目の写真右手の似非「レトロ」な電車とかも、どうかなあと思わずにはいられません)。PCCカーは以前アメリカの博物館で実物を見ましたが、日本のは本家と比べると流線型がおとなしいのが日本的というか。日本では結局、事実上これ1輌しか造られませんでしたが。
 そういえばアメリカなどのPCCカーは終点がループ線になっているので、運転台は片方にしかついていませんが、日本のはそうじゃないですね。PCCカーは加減速の高性能が特徴で、片運転台で一方に向いたシート(バスみたいに)にすることで、乗客がひっくり返らないようにしたのだと聞いた覚えがあります。しかし明治以来「東京名物満員電車」の日本では、全員着席前提のそういう運用はできず、高加減速を最大限発揮するのは難しかった・・・とか、そんな話だったかな。
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5501号の運転台

 PCCカーの運転台は、ペダルで操作するのでハンドルの類が無いのが特徴です。これも日本では多分この電車だけ。

 他にもいろいろありましたが、時間の都合もあるので匆々に引き上げざるを得ませんでした。
 というわけで日暮里・舎人線へ。

 日暮里・舎人ライナーは去る3月末に開通した新交通システム(モノレールとは厳密には違う)の路線で、日暮里からまっすぐ北へ、これまで鉄道不毛地帯だった東京北部に延びている路線です。
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日暮里・舎人ライナー 先頭部から対向車を撮る

 この路線は無人運転で、先頭は前を向いた展望の良い席が設けられています。もっともこの席は人気で大体いつも埋まっており、なかなか座る機会はありませんでした(笑)。まあ、それだけ休日でも乗客が多いなら大変結構なことであります。乗客は子供と老人が多かったような印象がありました。
 路線はもちろん全線高架で、沿線に何か目を惹く名所があるわけではありませんが、眺めはよく、ビルの間を通ったり(沿線にはマンションの開発が多く見られた)、既存の鉄道や高速道路と複雑怪奇に立体交差したりと、それなりに楽しめました。
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高速道路を跨いで河を渡る うねる高架橋

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地下車庫への分岐

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なぜか傾いているような枠 看板の設置途中か撤去中か

 終点の見沼代親水公園で降りてみました(上の写真は行きと帰りと両方で撮った写真が混在しています)。親水公園といっても川沿いのささやかなもののようです。
 日暮里・舎人ライナーは目論見があるのか、終点は延長可能な構造になっています。もっともその終端部を下から見上げると・・・。
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妙に不安定そうな印象を受ける終端部

 なんだか柱の上から桁が左右に分かれて落っこちそうな気がしてしまいます。反対側から見ると、左右の桁が繋がれているのがはっきりとわかるので、それほど変な感じはしないのですが。
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日暮里・舎人ライナーの終端部を北から見る

 ちなみにこの終点、本当に東京都の端っこに位置しており、ちょっと北に移動すると埼玉県草加市になります。埼玉まで足を伸ばして、都県境の表示看板を見るとこんな感じ。
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埼玉県から望む見沼代親水公園駅

 というわけで、短いながらそれなりに楽しんできました。距離からすると結構スピーディーな印象でした。ゴムタイヤのおかげで走行音も静かで快適でしたが、ただ何度か、床下からごつんと突き上げるような音と衝撃のする箇所があったのが気になりました。

 久々に目新しいところに出かけて良い気分転換になりましたが、どうも午前中から出かけて活動すると夕方にはすっかり草臥れてしまうようで、早めに引き上げざるを得ませんでした。もうちょっと回復しないといかんと感じます。一日活動して一日寝ている、くらいが現状でしょうか。一頃よりはだいぶマシになりましたが。

 最後におまけ画像。日暮里駅附近にて。
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 この店名センスはなかなか。
 これを見て小生、人民服&人民帽のウェイトレスがサービスする中華料理店を作って、店名を「共匪」にしよう、とか考え・・・脳味噌もまだだいぶ疲れているようです。
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by bokukoui | 2008-06-07 23:50 | 鉄道(現況実見) | Comments(3)

田園都市線・半蔵門線渋谷駅の変化

 つい最近まで知らなかったのですが、昨日から、これまで東京メトロが管理していた田園都市線と半蔵門線の接続地点であった渋谷駅が、東急の管理に移ったとのこと。来る副都心線開通による東横線地下化により、地下にある駅の管理を東急に一元化することになったので、先に半蔵門線の渋谷駅を東急に移管したのだとか。それにしては随分前倒しな気もしますが、この渋谷駅は、たった一本のホームに一日二十数万人(多分)がひしめく混雑駅だけに、地下鉄側が東急にさっさと押し付けたというところなのかもしれません。混雑の原因はひとえに東急にあるわけですし。

 というわけで、それまで駅名表示や案内板のデザインが地下鉄仕様だったのが、東急仕様に短時日の内に改められていました。これまで下り列車の時刻表や案内表示は地下鉄仕様のものであったため、田園都市線内での急行の各駅停車への接続の有無や退避駅が載っておらず、小生は駅員向けに張ってあった業務用のを見ていたのですが、それがこの移管で改善されたので、個人的には少し便利になったといえます。まだ暫くは、駅の雰囲気に違和感を感じるでしょうが・・・。
 というわけで駅の情景を一枚。
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 たまたま少し前の、地下鉄仕様時代の列車案内表示を撮っておりましたので、それと比べると変化がわかるかもしれません。
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by bokukoui | 2007-12-03 23:26 | 鉄道(現況実見) | Comments(4)

「明日という字は明るい日と書くのね的希望」

 表題は小林信彦『神野推理氏の華麗な冒険』かその続篇の『超人探偵』の台詞から取りました。どっちだったのか、出典の詳細を確かめている余裕がありません。

 実際のところは、何の希望もなく寝床の中でのたうったまま、まるで二ヶ月を無駄に過ごしてきました。月が改まった今日からは・・・と思いますが、今も耳管の奥が痛くて頭が上げられません。といって流石にもう時節柄寝てばかりも要られないのであります。ブログを二月休んで分かったことは、どんなつまらぬ文章といえど拵えるには気力体力をそれなりに要するということでした。

 病状報告ばかりも何なので、お蔵出し写真をひとつ。
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 中央本線辰野駅にて2005年3月撮影。意味の分からない方は地図を見て、またこちらなどご参照下さい。
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by bokukoui | 2007-10-01 16:46 | 鉄道(現況実見) | Comments(2)

パスモ大人気

 まだ暫くゴタゴタしているので、今日も簡単に。

 大学帰りの駅の改札に、普段は事故や遅延などの情報を書き出す看板が立ててあり、どこぞで事故でもあったのかと思って読んでみたら様子が違うようです。
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 下の張り紙部分を拡大するとこちら。クリックすると少し大きくなります。
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 既にマスコミでも報道されている通り、パスモが大好評につき品薄になって、発売制限に至ったということでした。朝にはこんな看板なかったんですけどね。
 小生の定期券も今週いっぱいで切れるので買い換えねばならないのですが、正直なところこのようなカードを使うことに何がしかの抵抗感があるので、やはり今までのままの定期券にするような気がします。

 ところで、新学期の大学院の演習に出たところ、研究室の後輩からブログを持っているのではないかと尋ねられて返答に窮しました。いやなに、今更小生がエロマンガなぞに関し熱弁を振るっているからといって評判がどうこうということもないだろうし、「萌え萌え731部隊」のようなネタを笑い受け流すゆとりのない人もいないだろうとは思いますが、本業と関係ないことの文章ばかりせっせと書いているというのが・・・。
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by bokukoui | 2007-04-11 23:58 | 鉄道(現況実見) | Comments(2)

鹿島鉄道・栗原電鉄を惜しむ駆け足紀行 終篇 附:日経のコラム

 三日前昨日の続きです。
 若柳駅までという中途半端なところで切りましたが、記事が長すぎて制限を越えてしまっていたためです。今日の部分はなるべく手短に。

 さて、小生は若柳駅の見物を一通り終えたので、次の石越行きに乗って戻ろうと思いました。しかしまだその列車まではだいぶ時間があります。そこでふと気付いたのは、次の石越行きはさっき小生が沢辺駅ですれ違った列車が細倉マインパーク前まで行って戻ってくる列車であり、その列車もまた沢辺で細倉行きとすれ違うのだということです。ならば石越行きまで待つよりも、細倉方面行きに乗って石越行きを迎えに行こう、と思い立ちました。といって沢辺の駅で折り返すのは時間的に危なそうなので、一つ手前の大岡駅まで行こうと決め、出札口で切符を求めました。これも今となっては珍しい厚紙の、硬券の切符でした。
 ところがそこで、駅の手伝いの案内の人(くりはら田園鉄道の存続運動をしていた団体の方だと思われます)が言うには、このところ廃止前に乗っておこうという人々が押し寄せてダイヤが混乱しており、相当に遅延したり途中駅から乗れない場合もある、という話が。これは困った(って自分もその混乱を発生させている一人ですが)。ただ今日は、天気が天気なのであまり人出は多くないようなので、そんなことにはならないかもしれない、とのことでした。確かに駅舎には、急遽パソコンで打ち出したと思しきこんな張り紙がありました(この張り紙自体は細倉マインパーク前で撮ったものですが、同じのが若柳にもありました)。クリックすると拡大表示しますので、是非ご一読下さい。
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 「『お祭り』というより『災害』」という言い回しが印象に残りました。「それそうなりの覚悟」というのもなんだかかえって哀愁を感じさせます。
 とはいえ40分も遅れると確かに乗り継ぎに支障をきたします。JRの石越駅にもこんな張り紙がありました。
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 まあこれだけでしたら、栗原の最後を彩るエピソードというだけのことですが、遺憾ながらこのような事態も生じているのだ、ということを、各駅に張ってあった新聞記事のコピーの写真を載せることで記憶にとどめ、将来への戒めとしたいと思います。この写真もクリックすると拡大します。
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 やがて石越駅から連絡があって、幸い列車はあまり遅れることなくやってくるようだとのことでした。乗車を効率よくするために、列を作ってホームに並ぶよう要請されます。それは一向に構わないのですが、なにしろ大雨の上に暴風で、ホームの屋根も用をなしません。
 寒い思いをして待つことしばし、定刻から数分遅れて、2両編成のディーゼルカーがやってきたのでした。列車は小生が先ほど乗ったときよりは混んでいましたが、そう列車の運行に支障をきたしそうなほど酷くはありませんでした。積み残しなんてことは全くなく、列車は走り出します。

 小生が降りようと思っていた大岡までは、それほど時間はかかりませんでした。列車が東北新幹線の高架橋をくぐると、もうすぐに大岡駅でした。この駅から乗った人は(確か)なく、下りた人は4人いました。先ほど書いた、薬局に行ったおばあさんと、それを取材していたNHKのリポーターとカメラマン、そして小生です。
 おばあさんが列車から降りるところを撮影したNHK一行は、携帯電話で別働隊を呼び出して車で迎えに来てもらっていました。それまでは待合室で待機の様子です。一方小生も降りてはみたものの、この駅は周囲に店の類もなく(街道からちょっと外れたところにある模様)、一面の田圃とそばの製材所くらいが目に付くだけです。風は一層激しく、田圃を渡って吹き募ってくるので、小生もたまらず待合室に逃げ込みました。この待合室も小さいながら昔のままらしき木造で、ちょっと趣がありました。
 待合室でNHKの人と話をしつつ列車を待ちます。NHKでは最終日まで色々と取材をして、4月3日に放送する予定だということですが、残念ながら宮城県ローカルだとの由。カメラマンはもちろん大きなカメラを担いでいて、防水のカバーはしてあるのですが、こういう雨で寒い日は部屋に入ったりすると温度変化で結露したりして大変とのことで、まったく運の悪いことです。NHKの人曰く、地元の人も最終日は混むだろうからと避けて今日までに乗っている人が結構いるという話でした。

 そんな話をしているうちに、列車がやってきました。予備車になっていた名鉄から来たレールバスが、2両編成でやってきます。この車輌が取り持った縁なのでしょう、栗原電鉄の駅の飾りつけなどに「名鉄友の会」の名前の入ったものが幾つか見られました。風雨の中、ずぶぬれになりつつ撮影しましたが、出来はいまいち。
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 背景に写っている高架橋は東北自動車道です。つまりこの大岡駅は、新幹線と高速道路という新たな交通機関に挟まれた谷間のような場所にあるのです。そんな新たな交通機関の時代についてくことができなくなって、栗原電鉄改めくりはら田園鉄道は消え去ったのでした。

※追記
廃止後のくりでんの状況やくりでんの遺産を生かす試みについては、以下の記事をご参照下さい。
くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 前篇 / 中篇 / 後篇


 さて、小生はこの後は基本的に帰るだけなのですが、折角だから幾つか寄り道して行こうと思い立ち、まず最近線路が付け替えられて一駅延長した、仙石線の仙台口に乗ろうと思いました。仙石線は東北線と松島や塩釜周辺で線路が近接していますが、連絡駅はありません。まあ現地に行けば分かるだろうと楽観的に考えていました。時刻表を調べると、東北線松島駅に下りてから二十数分後に仙石線松島海岸駅を仙台方面行きの快速列車が出ます。これに乗れれば至極都合が良い。幸い雨も止んできたことだし、と小生は松島駅に降り立ちました。
 後で地図を調べて分かったのですが、駅名からすると近そうな松島海岸駅より、一駅隣の高城町の方が松島駅に近かったようで、また乗り換えるのなら塩釜→西塩釜が近かったようです。そんなことも知らぬ小生は、早足で山を越え(なにせリアス式海岸ですから、海岸近くも起伏が激しい地形です)、15分ばかり歩いて松島を望む海岸道路に出て、あと5分余りだけどもう着くかと、やれやれと思ったら、土産物屋の看板に「松島海岸駅 徒歩10分」とあってぎょっとした(もっとも隣に「松島駅 徒歩20分」とあってちょっと安心しました)りしましたが、まあ何とか乗れました。結果的には、トンネルに次ぐトンネルの合間から海が見える車窓を楽しむことが出来て結構でした。
 あおば通駅まで延長されるずっと前に仙石線は乗っていたはずなのですが、全く記憶がありません。初めて乗るような感覚であおば通りまで乗り通し、仙台駅で腹ごしらえをして、東北線の福島行きで一路南下します。
 ああそうそう、仙台駅の地下街で見つけたロワイヤル・テラッセという洋菓子屋さんの制服はなかなかのものでした。スカートがちょっと短くてタイトな感はありますが、エプロンがなかなか可愛くて良し。後で調べてみて、このお店が仙台銘菓「萩の月」を作っている会社と同じだと知ってちょっと驚きました。急いでいたし帰宅まで時間があるので、買えなかったのが残念です。

 話を戻して。
 福島行きは運悪くロングシートの車輌に当たってしまいましたが、空いていたので快適といえば快適でした。しかもくりはら田園鉄道でのみぞれや暴風雨が嘘のように空は晴れ渡ってきました。一部に不気味な雲を残してはいましたが。
 県境を越える頃には列車はますます空き、小生の乗っていた車輌には3人しか乗っておらず、しかも車内改札時に様子を見ると小生を含む2名は青春18切符使用者でした。小生は空いているのをいいことに、栗原でずぶぬれになって手にぶら下げていた折畳傘を車内で広げて干していました(笑)。福島が近づいて他のお客が乗って来るまでにちゃんと乾きました。

 というわけで福島に着きます。ここで今まで乗ったことがなかった、飯坂温泉へ延びている福島交通線に乗ることとします。阿武隈急行と共用のホームに向かい、東急かの中古車を譲り受けて中間車に運転台をくっつけた車輌に乗り込みます。
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 この東急から来た車輌によって追い出された車輌が、先ほど栗原電鉄の沢柳駅に転がっていた(そして土産物屋になっていた)車輌でした。妙な縁をちょっと感じます。
 福島交通はそこそこ乗客も乗っており、路線は大体道路沿いをずっと走って飯坂温泉に着きます。30分弱、車窓は特に目立つものはありません。線路は見ていると大体コンクリート枕木になっているようで、乗り心地も平穏です。しかしこれをつまらないと評するのは趣味者の戯言であり、交通機関としてはきちんと機能していることを正当に評価すべきなのでしょう。

 さて、小生は飯坂温泉では乗ってきた電車ですぐ折り返すつもりでした。というのも、この後の東北線の乗り継ぎが大変よく、とはつまり夕刻の福島から夜更けの渋谷まで、食事を摂る時間が碌にないということです。飯坂温泉ですぐ折り返せば福島で約30分の余裕があり、何か買物をする暇もあるでしょう。
 というわけで飯坂温泉に着いた小生は、さっさと改札を抜けて帰りの切符を買い、さて折り返しの電車は何分に出るのかと振り返ると・・・あれ、もう電車は動き出しています。えらく折り返し時間の短いダイヤだったのでした。これで福島駅の乗り換え時間は10分に満たないものとなってしまいました。予定の電車に乗り遅れないだけマシというべきなのかもしれませんが。
 仕方ないので、次の電車まで駅周辺をぶらぶらします。芭蕉の銅像の由来記を読み、駅前に架かっている十綱橋という大正時代製のアーチ橋を眺め、駅の壁に掲げられていた病院廃止反対の看板を写真に収めました。
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 しかし、確か福島県って、警察が強引に医者を医療ミスとして告発したせいで、抗議運動が起こっている有名な土地ではありませんでしたっけ。

 さて、福島で食糧調達が出来るか不透明になったので、飯坂温泉で何か手に入らないかと思って駅周辺をうろうろしていたら(駅の隣にコンビニがありましたが、ここまできてコンビニというのもつまらないと思って)、「作りたてのお弁当 くりむら」というお店がありました。覗くと、弁当の他にお惣菜の単品が色々とあるようです。そして値段が、コロッケ52円メンチカツ73円と安かったので、店に入って誂えました。そこでえらいことに気がついたのですが、このお店は親切にも注文してからコロッケもメンチカツも揚げてくれたのです。それは良いのですが、またもや電車に乗り遅れるかと思いました(笑)。幸い間に合いましたが。
 福島駅に戻り、駅ビルでヴィ・ド・フランスを見つけたので、フランスパンを一本買いこみました。あとは黒磯行に乗り、黒磯で宇都宮行に、宇都宮で湘南新宿ラインに乗り継いで帰宅しました。車中でフランスパンを齧りつつ藤田省三を読んでいるうちに、渋谷へ列車は到着したのでした。

 旅行記はこれでお仕舞ですが、本日付の日本経済新聞の夕刊を読んでいたら、出久根達郎氏のコラム「レターの三枚目」に、「ディーゼル車の匂い」と題して、前篇で取り上げた鹿島鉄道が取り上げられています。参考までに、該当部分を引用しておきます。
 ・・・茨城県の鹿島鉄道が、八十三年の歴史を閉じた、とある。私の故郷の鉄道である。今は珍しいディーゼル車が、霞ケ浦の湖岸を走る。新聞には、「国内現役最古のディーゼル車」とある。
 私が生まれたのは鹿島鉄道沿線の町で、母は幼児の私を背負って父の実家によく出かけたらしい。ところが、必ずといってよいほど、私が車中でひきつけを起す。原因が分からない。医師は、ディーゼル車の匂いではないか、と言ったそうだが、私は単純に列車に興奮したのだと思う。
 私が四つか五つの頃、母は勧工場(かんこうば、デパートのようなもの)に勤めていて、私は母が上がるまで、その建物の横でおとなしく座ったまま、鹿島鉄道の列車を眺めていた。列車は一時間に一本しか走らない。来た、と思うと、すぐに過ぎる。バンザイを叫んだら、また長く待たなければならない。
 その時間を、幼い私は何を考えていたのだろう。それとも、ただ、ぼんやりと過ごしていたのだろうか。
 戦争が終わって三年か四年たった頃である。今気がついたが、当時もディーゼル車だったのだろうか?調べてみなければ。・・・
 小生の手元には、鹿島参宮鉄道の良い資料がとっさには見つかりません(筑波鉄道の昔の車輌の資料ならあったけど)。1963年まで蒸気機関車が走っていたことは間違いなさそうなので、蒸気機関車の公算は高そうですが、ディーゼルカーの初入線がいつかがよく分からないのです。
 それはそれとして、この出久根氏のコラムを読んで、戦後でも「勧工場」があって、しかも鹿島鉄道の沿線にあったのだということに、小生はもっとも驚きました。
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by bokukoui | 2007-04-04 23:56 | 鉄道(現況実見) | Comments(2)

鹿島鉄道・栗原電鉄を惜しむ駆け足紀行 後篇

 一昨日の記事の続きです。
 この日は廃止を翌日に控えたくりはら田園鉄道(旧栗原電鉄)に乗ることが主な目的です。

 早朝5時台に起き出して宿を出ます。と、道路のアスファルトが雨に濡れています。この段階では小降りでしたが、生憎の天気だなあと思いつつ6時発の東北線始発に乗って、栗原電鉄改めくりはら田園鉄道の始発駅である石越に向かいます。混雑を見越して早いうちに訪れ、ついでに帰途に福島交通でも乗ろうという算段で、思い切って早く出てきたのです。
 始発の下り東北線の車内はやはり空いていましたが、ちらほら見える乗客の中にはやはり同好の士と見受けられる方々が。

 一時間ほどで石越駅に到着。前篇にも書きましたが、小生は東北地方に来たのは中学生の時以来で、この区間の東北本線に乗ったのは中2の夏から十数年ぶりということになります。その時、車内から栗原電鉄(当時)の電車を見た覚えはありますが、残念ながら乗ってはいませんでした。まあその代り、というわけでもないですが、今は旅客輸送を廃止した小坂精錬の旅客列車にその時は乗ったのですが。
 というわけで石越の駅に初めて降り立ち、駅舎を出てすぐ目の前にあるくりはら田園鉄道の石越駅に向かいます。雨は一層激しくなってきました。下の写真はクリックすると拡大します。
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くりはら田園鉄道石越駅 右手の看板は今でも「栗原電鉄沿線観光案内図」
(この写真は帰途に撮影したものです)

 始発駅でも石越は駅員無配置になっており、駅舎内部の告知を見ると、近所の床屋が一部業務の委託を引き受けていたようでした。次の写真もクリックすると拡大表示します。
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 駅には既に列車が到着していました。ディーゼルカーです。
 元々この鉄道は軽便鉄道として作られ、細倉鉱山の功績搬出に活躍しましたが、敗戦直後の石炭不足の時期に電化され(当時日本の電力は大部分水力発電だったので、地域によっては石炭より動力が得やすかった)ました。ところが鉱山が閉山になって経営が悪化し、地元の自治体が出資する第3セクターに移管されて社名もくりはら田園鉄道に変わります。この時に経費削減のため、電化をやめてディーゼルカーを導入するという、日本では比較的珍しい(名鉄のローカル区間などに例があり、また最近は他にもあるが)改革を行いました。アメリカの鉄道では、蒸気機関車から20世紀初頭に電気にしたものの、二次大戦後安い軽油を使ったディーゼルに切替えた、なんて例は結構あるようですが。
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架線を撤去されて空しく立つ架線柱(クリックすると拡大表示)

 話を戻して、その単行のディーゼルカーに乗り込みます。以下の写真はクリックすると拡大します。
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 まだ時間が早いので、車内は座席が一通り埋まって立ち客も出ていますが、それほど大混雑と言うほどではない状況です。もっともその乗客の大部分は鉄道趣味者と見受けられましたが。
 上の写真をクリックして見ていただくと、車体側面に掲げられた惜別の横断幕に半ば隠れていますが、何やら児童画が張ってあるのが見えるかと思います。拡大した写真を以下に示します。クリックするとこれも大きく表示します。
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 列車は間もなく発車しましたが、車内放送を聴いているとこの絵の事情が大体分かりました。なんでも宮城県ローカルの「OH! バンデス」なる番組があり、その番組の企画でくりはら田園鉄道の応援をやっていたということのようです。ので、この車輌は「OH! バンデス」号と名乗って車内外に色々とイベント的な趣向を凝らしていたのでした。で、この「OH! バンデス」のメイン司会者が、『青葉城恋唄』で(のみ)有名なさとう宗幸氏だったのでありました。車内放送も氏の声でした(確か)。車内にはさとう宗幸氏が寄せたメッセージも。
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 走行中の撮影につき、揺れでぶれていることをご諒承下さい。
 それにしても、さとう宗幸氏って『青葉城恋唄』の一発屋だとばっかり思っていたら、実は宮城県では今でも充分有名人だったんですね。ご当地ソングのメリットはこんなところにも。ウィキペディアの「OH! バンデス」の項目を見ると、「宮城県のローカル番組ではかなりの人気番組であり、常に高視聴率をキープしつづけている」のだそうで、さとう氏に関する見識を改めました。

 話を戻します。
 先ほど揺れのため車内で撮った写真がぶれた旨を記しましたが、くりはら田園鉄道の線路の状態はあまり良くはありませんでした。今までに小生も幾つかローカル路線に乗り、相当に酷い揺れも経験してきましたが、その中で最悪ではないにせよかなり良くない方のように感じます。少なくとも昨日の鹿島鉄道よりはよく揺れました。
 列車は揺れながら進み、若柳駅に到着します。この駅は栗原電鉄の本社があった駅で(くりはら田園鉄道になっても同じと思いますが)、電化時代の電車がそのままに転がされています。この駅は駅員がいて、タブレット交換を行います。タブレットとはなんぞやの説明は面倒なので、ご存じない方はお手近の鉄道趣味者にお問い合わせ下さい。要するに列車が一区間に一本しか走らないようにする保安装置で、昔は広く使われていましたが、最近は自動化が進んでほとんど目にしなくなりました。この方式は人間が操作する必要があるため、列車交換をする駅では必ず駅員を配置しなければならない(切符売るだけなら委託でいいけど、信号やポイントの操作では許されない)のが、近年急速に消えていった理由です。小生も以前幾つかの鉄道で目にしてきましたが、久しぶりに見た風景でした。

 若柳の駅では結構な乗車がありました。鉄道趣味者ではない利用者、つまり高校生らしき姿も見えます。春休み中でなければ学生が大勢乗ってきたのかもしれません。
 この列車にはNHKのクルーが乗り込んでいて、取材に当たっていました。取材陣もやはり取材をするなら元々の利用者の声を拾いたいのでしょう、早速高校生にインタビューをしていました。
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通学する高校生に取材するNHKクルー

 ちなみに同じ車内に、やはり高校生か、或いは中学生かもしれないと思うのですが、女の子も乗っていました。NHKクルーはそちらは取材していなかったようですが、どうしてだったんでしょうね。やはり彼女がジャージ姿だったから? でもこの日の天候を考えれば、それは賢明な選択だったと思います。

 列車は田畑が広がるのどかな風景の中を通り過ぎ、大岡駅の手前で新幹線の高架橋をくぐり、沢辺駅で上り列車と交換します。更に列車は栗駒駅を経て、山の中へと曲がりながら登っていく感じです。トンネルもありましたが、中は素掘りだったのをあとでコンクリートの柱を入れて補強したような感じでした。地元の方や鉄道マニアが途中でそれなりに乗り降りしますが、やはり小生含め多くの人は終点の細倉マインパーク前まで乗り通したようです。
 ディーゼルカーは、かつての細倉駅構内跡を通り過ぎて、新しく作られた細倉マインパーク前駅に到着します。一時間弱ほどの行程でした。天気は一層悪くなり、雨は標高が上がったせいなのかみぞれ交じりの雪に変わっています。
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 上の写真はクリックすると拡大表示します。
 折り返しの時間は余りありませんでしたが、できるだけ周囲を見て回ります。
 細倉マインパーク前駅は、元々鉛や亜鉛の鉱山だった細倉鉱山が閉山した跡地に作られた観光施設である細倉マインパークに連絡するためにできた駅です。鉱山があった頃は、旅客輸送は細倉駅までで、そこから鉱山まで貨物線が延びていました。その細倉駅の跡地を写真に撮ります。この写真もクリックすると拡大。
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 複線の線路やホーム、駅舎が残されていることが分かりますが、それ以上に雪の降る状況もお分かりいただけるかと思います。
 同じ地点から反対を向いて、細倉マインパーク前駅の方を一枚。これもクリックすると大きくなります。
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 旧細倉駅と細倉マインパーク前駅の位置関係が大体了承されようかと思いますが、それ以上に寒さの伝わる一枚になりました。
 駅の反対側は、当然終点なので車止めで線路が途切れているのですが、そこに電気機関車と貨車、そして腕木式信号機が保存されています。この写真もクリックすると拡大します。
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 腕木式信号機とは、これまた昔はよく使われていた信号機でしたが、タブレット閉塞同様人間の作業によって操作するものであるため、保安上の理由及び人件費節減、そしてこの栗原のようにそんなものを後生大事に使っていた鉄道自体が消滅し、現役で残っているものは日本ではもはやほとんどありません。旅客鉄道で残っているのは津軽鉄道とここくりはら田園鉄道だけでしたが、くりはらの廃止によってとうとう津軽のみになりました。

 慌しく駅周辺を観察して、折り返しの列車に乗ります。前篇の鹿島の時同様、今度も前方の見晴らしの良い場所に陣取ることができました。もっとも、雪の降る寒さに窓は曇ってしまい、外の様子はあまりよく見えませんでしたが。ワイパーの付いていない貫通扉の窓は、雪がくっついて前方がほとんど見えなくなっていました。
 同じ様な場所で前方を見ていた一人のおばあさんがおりました。こういった路線では、高校生とご老人以外は鉄道趣味者と相場が決まっており、また昨日の鹿島鉄道同様別れを惜しむ地元の爺さん婆さんが乗りにきている場合が多いのですが、このおばあさんは小生が仙台から石越まで乗ってきた東北線の車中でも隣の席でした。NHKのクルーもてっきり地元の人だと思って往路で取材を試みたりしていたのですが、つまり、このおばあさんは地元の人ではないのに、くりはら田園鉄道に乗りに来ていたのです。
 で、この時にちょっとそのおばあさんと話をしたのですが、はるばる東京からやってきたとのこと(人のこといえませんが)。もしかして、酒井順子氏のような鉄道好き女性は高齢者層に潜在的な人口があったのかと内心驚きました。ご当人曰くは「古いものがなくなりそうだと聞くと見に行く」ということで、これだけ聞くと鉄道とは必ずしも限らないようですが、最初にそういったなくなるものを追いかけたのは? と伺うと、1997年に廃止になった信越本線の碓氷峠との由。廃線以外では何か? と尋ねますと、旧国鉄本社ビル(現在は再開発されて丸の内オアゾ)が解体前に一般公開した時に行ったとの由。うーむ、やっぱ鉄道ネタだ。
 栗原に来たのはしかし、ほんの数日前に旦那さんがラジオを聞いていて、「くりはら田園鉄道とやらが今月いっぱいでなくなるらしいから、行ったらどうだ」と教えてくれたからだそうです。つまり鉄道趣味的情報に通暁しておられるというわけではないようですね。それはそれとして、しかし小生が思ったのは、このおばあさんの旦那さんは、良い方だなあということでした。こういうところが夫婦長続きの秘訣か!?
 とまれ、酒井順子氏のような人がこれから増えるかどうかは分かりませんけど、なくなりそうなものを通じてでも近代の歴史に関心を持つ人が増えるとすれば、まあ結構なことだと思います。少なくとも、「モノ」と結びついた歴史への関心は、思弁的なものから入る関心よりも、不毛な妄想に至る危険性が少なくて済みそうに思われるからです。

 おばあさんは栗駒の駅で降りていきました。この駅周辺は見るところも食べるところもありそうだから、とのこと。小生も折角なので、それほど時間に余裕はありませんが、どこか途中の駅で降りようと考え、有人駅で昔の電車の廃車がそのまま残っている若柳で下りようと考えました。
 この線の有人駅は若柳・沢辺・栗駒の三駅で、真ん中の沢辺駅で上下の列車が交換するというダイヤに大体なっています。その沢辺駅で、先ほど触れたタブレットや腕木式信号機が現役で稼動する様を見ることができました。
 曇ったガラス越しに撮ったので非常に分かりにくい画像ですが、以下に示します。沢辺駅手前の信号(多分駅構内に列車が入って良いかを表示する場内信号機)の動作です。
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「停止」を表示している(腕木が上がっている)信号機

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対向列車が沢辺駅に到着し、「進行」を表示した(腕木が下がった)信号機

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沢辺駅でのタブレット交換

 今となっては貴重な光景を見届けることができました。

 電化をやめて、栗原電鉄からくりはら田園鉄道に衣替えしたこの路線(略称は「くりでん」のようですが、これは以前の「栗電」と、改称後の「くり田」と、どっちでも通じるようにしてあるのでしょうか。最初「田園鉄道」というセンスに正直疑問を覚えたのですが、こういう理由だったとすればなかなか面白いことと思います)ですが、上の写真に示したように架線を剥がしても架線柱はそのままで、電化の時代の雰囲気をとどめていました。しかも段々と細倉へ近づくにつれ、架線のうちトロリー線は剥がしてあってもカテナリー線は残されていて、ますます電化路線ぽくなり、終点の細倉附近では架線は全くそのままのようで、電気さえ流したら今でも電車が走れそうな様子でした。(注:トロリー線とはパンタグラフと接触して電気を供給する線、カテナリー線はトロリー線を吊り下げている線。ちなみに「架線」は、正しくは電車線路という)
 で、そのような中途半端な撤去跡が、他にもあったのです。これも車内から撮ったものであまり綺麗ではありませんが、ご参考までに。
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 ポイントが撤去されているようなのですが、ポイント全部ではなく一部分(トングレールとリードレール)だけ取り除かれているようです。これは何箇所か目にしました。貨物もやめてポイントを使わなくなると、通過時に乗り心地も悪いし保線も面倒だし、あとうろ覚えなのですがポイントには固定資産税がかかる(?)だかなんだかで、使わないポイントは撤去することが、特に近年は多い(JR化後はそれが推し進められ、ために事故の際に一部区間の折返し運転に支障をきたしているとか)ようで、栗原もそうしようとしたけれど、費用の都合か何かで中途半端に済ませた、のでしょうか。

 そんなこんなで沢辺を過ぎ、若柳駅に列車は着きました。小生はここで下車し、駅構内に放置されている車輌を見て回ります。くりはら田園鉄道は、沿線風景や駅の施設は長閑さ満点ですが、車輌の方は近年電化をやめてディーゼルにした関係であまり見るものはありません。そこで折角なので、古い電車が保存(というより放置というべきか)されているのを見ておこうと思ったのです。小生、ディーゼルカーより電車の方が好きなものですし。もっとも栗原電鉄自体、戦前は軽便鉄道だったのを戦後国鉄と直通できるように改軌しているため、そうえらく古い車輌があるわけではないのですが。
 拙いものですが何枚か。
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栗原電鉄生え抜きのM153 後ろに顔を覗かせているのは西武から来たM181

 M153とかいうとなんだか米軍の兵器の名前みたいですが、Mというのはモーター付の車輌を意味し、15とか18というのは車体の長さを示すそうです。最後の数字が製造番号で、随分大雑把な番号の付け方ですが、まあ車輌の少ない地方私鉄ならそれで充分だったのでしょう。
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福島交通から来たM183 その後方はM181・M153

 駅の反対側から撮った写真です。今日帰途に寄る予定の福島交通から来た電車が見えますが、この電車は同形がもう一両あって、その車輌がなんと最後のお勤め(?)に駆り出されているのです。その模様を写したのが以下の写真、これはクリックすると拡大します。
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 一部分だけですが塗り直され、ドアが開いていますね。これは、車内を臨時のくりはら田園鉄道関連グッズ販売所とし、同時に写真やパネルでちょっとした展示を行っていたのです。降りしきる雨を逃れて車内で展示を見、ついでにグッズ――といっても一般的なお土産品のようなものに小生は全く関心が湧かないので、栗原電鉄に関する書物と、M15形電車が導入された時の仕様書を復刻したものを購入しました。
 仕様書の話が出たついでに書いておきますが、この鉄道の廃止に伴って会社に保存されていた書類の散逸を防ごうという事業が既に行われており、近代史の研究者が何人かちょくちょく本社まで調査や整理に来ているそうです。(※追記:その関係で、この遺産を地域活用に生かそうという事業のために栗駒市を訪れて、奇禍に遭われたのが岸由一郎さんでした
 その本社も若柳の駅のそばにありました。
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 写真をクリックして拡大していただければ、建物には未だ改称前の「栗原電鉄」の文字が残っていることがお分かりいただけようかと思います。

 雨のみならず風も結構強くなって春の嵐の様相となり、大変寒く感じられたので、駅舎の中に逃げ込みます。待合室ではストーブが焚かれています。この駅舎は創業当時とあまり変わっていない由で、確かに壁に作りつけられた木のベンチや、木製のままの窓枠など、なかなか良い雰囲気です。沢辺などの駅舎も全く同じ設計図で作られていたのだとか。
 駅舎の中は多くの人で賑わっていました。鉄道趣味者が多いのは勿論ですが、家族で乗りに来た地元の方も多いようです。孫を連れたご老人の姿も見受けられ、この状況は鹿島鉄道と似ていました。中には本当に用事で(薬局に行くのだとか)乗ってきたお婆さんもいて、NHK取材班(彼らは自動車を併用して沿線を回っている模様)がこれまた取材を申し込んでいました。
 そんな駅舎の様子を。クリックすると拡大します。
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若柳駅の様子 「出札口」の札が良い雰囲気

 この写真でも、「ありがとうくりでん」と地元の子どもたちによると思われる飾り付けがありますが、駅舎の中になかなか興味深い、子どもの手による作品がありましたのでちょっとご紹介。
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 これは地元ではなくて、仙台の小学生が作った展示のようでした。事情はちょっと分かりませんが、多分夏休みの自由研究とか文化行事の展示のような目的で作ったものなのでしょう。小生も昔中学の鉄研で似たような展示を拵えていたこともあり、またこの展示は「タブレット閉塞」や「腕木式信号機」なんかもちゃんと説明を書いていたので、将来が楽しみな少年(笑)と思った次第です。
 子どもついでに、若柳駅にあった「くりでん文庫」という、乗客などが持ち寄ったのであろう本のコーナーがあったのでこれも撮影。この写真はクリックすると拡大します。
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 以前立ち寄った猪谷駅のそれよりは充実したラインナップかと思います。

 さて、ここら辺で記事が長すぎて一回に投稿できる長さを超えてしまったので、若柳駅を出発してからの話と、鹿島鉄道関連のおまけの話は終篇に廻します。
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by bokukoui | 2007-04-03 23:58 | 鉄道(現況実見) | Comments(0)

鹿島鉄道・栗原電鉄を惜しむ駆け足紀行 前篇

 昨日で運行を終了し、本日付で全線廃止になった鉄道が2社ありました。
 茨城県の鹿島鉄道と、宮城県のくりはら田園鉄道(十年ほど前までは栗原電鉄)です。
 数日前の記事でちょっと触れましたが、ない時間を無理やり捻出して、この2路線を巡ってきました。以下にその顛末についてなるべく簡単に、写真を適宜織り交ぜつつ、述べてみたいと思います。

 3月29日の早朝に小生は自宅を出、上野から常磐線に乗って鹿島鉄道の出る石岡へと向かいます。鹿島鉄道に乗った後に常磐線で仙台に向かい(常磐線の北半は乗ったことがなかったので)、仙台で一泊して翌日の午前中に栗原を乗って戻ってこようという予定です。
 石岡の駅では少なからぬ同好の士が共に鹿島鉄道のホームへと向かいます。駅では土日限定だった一日フリー切符が、26日以降も廃止までずっと使用可能となっていたので購入します。なにしろ片道(石岡~鉾田)1080円のところ1100円で乗り放題というえらい価格設定でしたので(えちぜん鉄道も似たようなものでしたが)。
 鹿島鉄道は、上でリンクを張っておいたウィキペディアに概説されている通り、「鹿島鉄道を守る会」「かしてつ応援団」など様々な存続運動が盛り上がっていたのですが、やはり如何ともしがたく廃線になってしまいました。石岡駅のホームに存続を訴えた幟が色褪せて立っているのもうら寂しさをかきたてます。
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 この写真はクリックすると拡大表示します。

 鹿島鉄道は古い気動車が数多く現役で活躍していたのが特徴の一つで、小生も以前訪問した際に床が木張りのディーゼルカーに乗り、床板の隙間から線路が見えたことを覚えています。その時のことでもう一つ覚えているのは、我々(その際はたんび氏と一緒に乗りに行ったものですが)の向かいに坐っていた女子高生の、あまりにあまりなコギャル(死語)ぶりでありました。

 話が逸れますが、鹿島鉄道は関東鉄道のグループ企業で、関東鉄道は常総線という長い路線と、竜ヶ崎線という短い路線を有しています。たんび氏と以前鹿島鉄道に乗った際、ついでに竜ヶ崎線にも乗りました。その時の車内での衝撃的な経験は、小生は死ぬまで忘れられないでしょう。
 関東鉄道竜ヶ崎線に乗って竜ヶ崎まで行き(といってもたった二駅)、折り返し戻ってくる車中のことでした。車内に若いカップルがおりました。髪の毛が共に茶髪で、肌も焼けていたように記憶しています。風体も、まあそういった文化的ハビトゥスに相応しいものであったと思います。
 で、そのカップルはこれから渋谷に行くらしく、何やらそれにまつわる会話をしています。

「ねえ、代官山ってどんな山?」
「どんなだろうねぇ」


 彼らがネタでこの会話をしていたようには、到底見えませんでした。
 小生は(そしておそらくたんび氏も)、この瞬間に刷り込まれた「茨城」のイメージから、一生涯抜け出すことはできないでしょう。

 話を戻します。
 鹿島鉄道は古い気動車が名物なのですが、今回小生が乗ることになったのは新しい方の車輌でした。この写真もクリックすると拡大します。まあ構図としてはよくあるものですが。
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 この車輌の側面には、廃止を惜しむこのような横断幕が掲げられていました。これもクリックすると拡大します。
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 写真を撮ってから2輌編成(廃線ということで多くの人が来ているため増結している模様)のディーゼルカーに乗り込みます。車内は座席が全て埋まり、立ち客も結構います。勿論カメラを抱えた鉄道趣味者(ほぼ全員男)が大勢いるのですが、沿線の住民と見受けられる方々もそれ以上に大勢乗っておられました。やはり付き合いの長かったであろうご高齢の方(じいちゃんもばあちゃんも)が多いですが、子供連れも結構乗っていました。沿線から一定の支持は受けていたのでしょうか。

 かくて沿線住民とマニアを乗せて、ディーゼルカーは発進します。天気はまずまずとあって、沿線にも大勢の鉄道趣味者がカメラを担いで繰り出していますが、一つ印象に残っているのが、そのようなマニアに混じって、野球帽タイプの帽子を被ったいかにも農家、といった格好(横には乗ってきたと思しき軽トラが停められています)のご老人がカメラを列車に向けていたことです。
 鹿島鉄道は霞ヶ関の湖岸を暫く走り、やがて湖岸を離れると今度は丘陵地帯を切り通しで抜けながら走ります。そう長くはない路線ですが、湖岸と森や丘と、めりはりがあってそれなりに楽しめる車窓です。浜駅の周辺など、湖岸に沿った一面の草原で、なかなかに風情がありました。まあそれだけ人口が希薄だということで、廃線に至ってしまった理由でもあります。
 車窓では桜はまだでしたが、菜の花が畑の一角に咲いているところがあって、目を楽しませてくれます。もっともそのような場所には必ず、菜の花と列車を一枚の写真に収めようとする鉄道趣味者の姿も見出されるのですが。

 などと車窓に目をやり、また昔話を始めるご老人のお話に聞くともなく耳を傾けたりしているうちに、一時間弱で終点の鉾田に着きます。この写真もクリックすると拡大します。
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 折り返しの列車が出るまで30分ほど時間があります。昼近いので何か食料でも調達するかと思ったところに、上の写真でも分かりますが、「たい焼」の幟が掲げられ、駅舎にくっついて立喰そば屋まであります。こんなローカルな駅にしては感心なこと、と麺類愛好家の小生は早速ここで早めの昼食とします。店ではおば(あ)さん二人がそばを作ったり鯛焼きを焼いたり、忙しく働いています。
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 麺とてんぷらは、予想に違わぬジャンクな味がかえって風情にすら感じられます。だしはちょっと甘味があって、今まであまり食べた覚えのない味で面白く、なかなか好印象でした。上の写真でもちょこっと見えていますが、この店ではだしを湯煎して温めるのに、寸胴鍋の中に鍋ではなく壷のようなものを入れて温めていました。見た目がいかにも「秘伝」ぽくて、それが味を何割か増してくれたのかもしれません。

 そばを食してから、駅周辺をざっと見て回ります。まずこんな看板があって腰が砕けました。
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 気を取り直して、駅周辺をぶらつきます。駅舎の反対側まで歩いて、保線用の軌道自転車や27キロの岐路ポストなどを眺め、そして構内の様子を遠くから写真に撮りました。この写真はクリックすると拡大します。
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 手前のコンクリートの穴は、多分昔蒸気機関車が走っていた頃の、石炭の燃え殻を捨てるためのアシュピットではないかと思います。

 駅舎に戻ります。
 駅舎の前はバスのターミナル、というほどでもないですが、バス停となっていて、バスが何台か停まっていました。鉄道が廃止になっても、バスの停留所としてはここは残るのでしょうか。
 小生はバスには全く疎いので、様子を見ていても残念ながら何か情報を読み取るということはできませんが、ただ何となくバス停を眺めていて、面白い地名に気が付きました。この写真もクリックすると拡大します。
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「行先:繁昌経由 潮来車庫行」

 行き先は「繁昌」でも、残念ながら経営は「繁昌」とは行かないようで。

 駅舎と向かい合ったバス停には、何やら軽食屋が入っています。そこでふと今後の予定を思うに、この後は仙台までタイトに乗り継いでいく予定なので、途中で食事をとる時間があるか微妙な状況が予測されます。ならばもうちょっと腹に入れておこうと思い、そこでたこ焼きを誂えました。いや、「たこ焼」の看板を見て突発的に喰いたくなったというだけですが(笑)。
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 昔は結構よく食べたものですが、最近はよろずデフレの世の中だというのにたこ焼の価格は妙に上昇を続け(本場の大阪は庶民の食事として定着しているせいか決してそうではないようですが、おそらくはまだ「非日常」的に捉えられている関東では著しい傾向だと思います)、6個で400円だとかボッタクルようになってからすっかり足が遠のいていました。ところがここは8個で250円と結構リーズナブル。見ての通りシンプルで、味わいもひとしおでした。
 鉄道が廃線になったら、そば屋はなくなってしまうのかもしれません、しかしバスが来るのであればこっちのたこ焼は存続するかもしれません。もし続けてくれるのであれば、廃線跡探訪の方にはたこ焼をおすすめしておきます。

 そんなこんなのうちに発車時刻となりました。駅舎に戻り、列車に乗り込みます。
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 この写真(クリックすると拡大表示します)には、沿線の生徒が描いた鹿島鉄道存続を願う看板が写っています。他にも同様のものを何枚か記録にとどめましたのでご紹介。これらもクリックすると拡大表示します。
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これも鉾田駅のもの

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これは常陸小川駅のもの

 残念ながらこの運動は功を奏しませんでしたが、この経験が関った生徒たちの将来の糧となることを祈るばかりです。でもまあ、こういったプロパガンダ活動って結構楽しいんですよね(笑)。こないだビラ撒きを手伝った経験からしても。

 戻りの列車は、行きの列車と比べて少し乗客が減ったような気がしました。そのため、先頭の見晴らしの良い場所に陣取ることができました。そうなるとこんな景色が目に入るわけでして。
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 一体何人の鉄道趣味者が沿線に出かけてきていたのか、小生はどこであれ列車にカメラを向けた人数を数え続けました。その結果、167人まで数えられました。多少の数え間違いはあるかもしれませんが、春休みとはいえ平日に結構な人出でありました。
 途中駅で、旧式の気動車たちとすれ違います。車内はこの列車よりも混んでいるようでした。これから午後にかけて、きっともっと人出が増えたことでしょう。以下の写真はクリックすると拡大します。
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榎本駅ですれ違ったキハ600形 後ろはキハ714形

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玉造駅ですれ違ったキハ430形

 鹿島鉄道の駅名表示版は、ローマ字表記が音節ごとに分かち書きになっているところがちょっと面白く感じました。もっともかえって読みにくい気もしますが。住所が合併のせいか一部消されているのも時代を感じます。この写真は拡大しないのでご諒承下さい。
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 こうして鹿島鉄道を乗り終えました。今日はさほどではありませんでしたが、最終日は恐らく大変な人出となったことでしょう。そういえば車内にこんな掲示がありました。
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 恙無く有終の美を迎えられたことを祈るばかりです。

 その後、小生は常磐線をひたすら北上しました。海側には電化時に放棄された煉瓦造りのトンネルなど昔の線路の遺構が時折見え、興味深く車窓を楽しめました。他には相馬駅で駅前に「かくまる薬局」という店を発見してその名前はどうかと思ったこと、亘理の駅前に資料館か何からしい巨大な城まがいの建物があって呆れたことなどくらいでしょうか。
 そこで話をさっさと飛ばして、さる3月18日に開業したばかりの仙台空港アクセス線について簡単に。
 この鉄道は東北本線の名取駅から分岐して、仙台空港のターミナルビルに横付けするところまで敷設された線路です。空港連絡に鉄道敷設というのはここ十年余りで急速に増えた感がありますが、その最新のもの(現時点で)です。
 名取駅に着いたのは18時ごろで、日は既に沈みつつありました。やや薄暗い中での初乗りとなりましたが、大体どんな線かは分かりましたので、良しとしましょう。折り返しの間、空港のターミナルビルを見て歩きます。仙台空港駅とターミナルビルが渡り廊下で連結されて便利ですが、動く歩道のような設備がないのが残念で、また動線がちょっと遠回りになっているような気がします。仙台空港には飛行機で来たことも小生はこれまでなく、全く初めてでした。展望デッキに地球儀をかたどった大きなオブジェがあり、ゆっくりと自転しています。地球儀には世界各国の名が記され、流石国際空港に相応しいオブジェだなと思ってよく見たら、重大な問題を発見しました。以下の画像はクリックすると無意味に拡大表示します。
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 西インド諸島の諸国がすっかり無視されています。この地球儀の他の地域を見ると、モルジブやマルタもちゃんと載っているのにこの扱い。アンティグア・バーブーダをこよなく愛する労働収容所組合氏がこのオブジェを見たら、破壊してしまったかもしれません。早速アンティグア・バーブーダ大使館に御注進を、ってアンティグア・バーブーダ大使館って日本にあるんですか?(注:トリニダード・トバゴ大使館が一緒にやってるそうです)

 仙台空港からはちょうど快速電車に乗ることができ、途中名取のみ停車で仙台に到着しました。小生は東北地方に来たのは中学生時代以来のことで、中2の時に当時の鉄研の旅行で夏休みに東北を一周し、中3の修学旅行でやはり東北を巡りました。あの頃は50系客車がごろごろいて、840列車(秋田発新津行の、当時最長距離を走行した客車鈍行)も全線乗ったりしたものでした(歳がばれる・・・)。
 そんなもので、だいぶ変わったらしい仙台駅は初めてで、仙台の街を歩いたのもほとんど初めてのようなものです。今回の旅は突発的に決めたので、宿だけネットで探しておいたものの、食事をどうするかは全く何も考えていませんでした。しかし鉾田以来何も食っていないので流石に腹が減った。どうしようかなと思って、宿の方向に向かって商店街のアーケードを歩きつつ、周囲を物色します。ああ、こんなことなら、mixiの日記を拝読すると始終仙台にお仕事で出張されている檸檬児さんにあらかじめお伺いしておけばよかったのではなどと思ったりもしましたが、後悔先に立たず。
 と、腹の減った小生の前にこんな幟が。
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 とんかつとラーメンと釜揚げうどん、なんだかよく分からない組み合わせですね。
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 この画像はクリックすると何の意味もなく拡大表示しますが、これとてメニューのまだ一部に過ぎません。一応とんかつ屋らしいのですが、なんかメニューが異常に多く、張り紙を見ると「とんかつとラーメン」ではなくて本当に「とんかつラーメン」らしいです。
 余談ですが、とんかつというか揚げた豚肉を麺の上に載せるのは排骨麺といって中華料理にあります。更に余談ですが、東大の赤門そばにある「瀬佐味亭」の「排骨担担麺」(担担麺に揚げた豚肉が載っている)は旨いです。詳細は日本一担々麺に詳しいであろうこちらのサイト記事をご参照下さい。
 それはともかく、このメニューの怪しさにつられて地下一階に下りてみました。店の前にはこれまた矢鱈といっぱいメニューが張ってあります。
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 ちとピンボケだったので小さな画像にしておきますが、奥の幟の「ざるうどん」「ラーメン」にはじまって、手前の「うなぎ」の幟まで全部この店です。一応メインは揚げ物らしいのですが、その揚げ物メニューにしてから、名古屋でもないのに「みそかつ定食」があり、更に「チョコかつ定食」「納豆かつ定食」など正体不明のものがあり、そして手書きの張り紙には「今日のランチ チキンかつ定食(一日中やってます)」と「ランチ」の概念を覆し、しまいには「おでんはじめました」・・・。
 ちと店の前で逡巡し、菅野・立花の著作のそこここが脳裏を去来しますが、まあここは何かネタになるかもなという精神が優って、小生は扉を押しました。

 店内は至極綺麗で安心しましたが、夕食時だというのに他にお客の姿がないのは不安の要因です(菅野・立花『あなたの町の生きてるか死んでるかわからない店探訪します』参照)。
 店内の壁は手書きのメニューが張り巡らされ、遂には張るスペースもなくなったのか、冷水木や冷蔵庫の扉、しまいには壁にかけられた温度計にまでメニューが張られています。何でこんなに多いのか、色々見ていくと原理が少し分かりました。
 基本的にとんかつ屋さんなので、とんかつ(ロースとヒレ)・チキンかつ・コロッケ・メンチカツ・エビフライなどの基本的な揚げ物があり、それを定食にするか丼にするかラーメンに載せるかカレーに入れるかうどん(ざると釜揚げ)に添えるかといったバリエーションがあり、揚げ物自体も各種組み合わせが可能で、さらにここにおでん・うなぎ・肉じゃが・ジンギスカン・ハヤシライス・オムライスなどのオプションが加わって、順列組み合わせ的要領で幾何級数的にメニューが増殖している模様です。故中島らも氏の言葉を借りれば、「メニューとメニューがセックスをして新しいメニューを増殖させていっているとしか思えない。イブ・タンギー的悪夢の世界である」・・・。

 それだけメニューが多いのに、お店はお婆さんがたった一人で切り盛りしていました(少なくともこの時刻は)。数多いメニューは実は皆結構安く(400円~1000円の範囲にほとんど納まる)、小生はしばし考えて、膨大なメニューから「チキンかつラーメン」(500円)を注文。排骨麺は食べたことがありますが、鶏とはこれいかに、と思った次第。あとまあ安かったし。
 するとおばあさんは「ラーメンは醤油? 味噌?」と。まだ選択肢があったのか!
 一瞬ドキッとしますがさあらぬ体を装い「醤油」と頼みます。そして更にさあらぬ態を装って、藤田省三の単行本を読みつつ(読んでいる振りをしつつ)、ラーメンの到来を待ちます。
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 慌てて撮ったのでこれまたピンボケで済みません。なぜ慌ててたかといえば、腹が減ってたのでチキンカツを撮影前に一切れ食べてしまったからです。実物はもう一切れ多いのでその旨ご承知下さい。
 というわけで、ごくまっとうな醤油ラーメンにごくまっとうにチキンカツが載っかっていました。最近流行の、魚の節を使ったりした妙に懲りすぎた(値段も高い)ラーメンに比し、かかるシンプルなもののよさを再認識しました。醤油ラーメン自体はごくあっさりですが、ここにカツを投入することによって衣の油が沁み出し、スープにほどよく風味を加えていました。一方揚げたてのカツの衣は、スープがしみこみつつも尚サクサク感を維持しており、実はこの組み合わせは結構良いんじゃないかという結論に達しました。しかもお値段500円だし(これはチャーシュー麺より手がかかると思う)。
 というわけで、散々怪しい怪しいと描いてきましたが、実はちゃんとしていたのでご安心下さい。「むらまつ」というお店です。興味のある人はどこにあるか自分で探してください。

 この後安宿に一泊、明日は始発で出かけるので早くやすみます。

 二日目、栗原電鉄改めくりはら田園鉄道篇につづく。
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by bokukoui | 2007-04-01 23:58 | 鉄道(現況実見) | Comments(2)