カテゴリ:思い付き( 145 )

雪の特異日

 大学入試センター試験の日というのは、どうしてまたこう雪が降るのでしょう。小生の受験の時もそうだったような記憶があります。
 さて、塾の教え子たちは無事に試験をくぐりぬけてくれたでしょうか。天然ボケめがねっこの彼女は、世界史を受験したはずなのに「地理」を受験科目にマークしたりしてないか心配です。インフルエンザという不穏な情報のあったギャル系(?)彼女は、本調子まで回復できたでしょうか。彼女のお蔭で小生は、世の毒男のように街を行く女子高生に勝手な敵意をぶつけて自分が道徳的に高い地位にいるという自己満足に浸る弊からいくらか免れることができました。その引き換えに小生は一体何を教えられたのだろうかと思うと胸が痛みます。

 昨日のくだくだしい書き込みにいろいろ反応してくださってありがとうございます。
 適当に纏めてみると、
・「オタク産業」は何も新しい特質があるわけではない。目新しさでもてはやされている。
・一般化して浮動層を取り込んでいる状況であり、中核層はあまり関係がない。
 ということでしょうか。おおむね同意します。

 日付が変わりそうなのでとりあえずここまで書き込み。
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by bokukoui | 2006-01-21 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(3)

極私的オタク論その2

 そろそろ表題の件「その1」の続きを書こうと思うのですが、当初自分が考えていたことよりも、スペード16氏のコメントが面白いので、そこから辿って書いて見ることにします。
 さておき、経済出身の割には経済を理解せず、そのわりにこの野村総研のコメントには発表当時から疑問を抱かざるを得ないものでして。
言ってしまえば、オタク市場は確かに高額かもしれないが作り手と買い手が近く、狭い市場で循環している点、また、オタクは「他のことに使う金を趣味に回している」という点。この2点を総合すれば「広く浅く循環するべきものを狭く深く循環させている」オタクは経済にとってマイナス以外の何者でもないんじゃいないかと思われるのですがどうでしょう。
 この問いに、経済理論をまるで解さぬ自称経済史学徒が挑もうというのですから無謀もいいところですが、きっと数学に強い緒方氏がフォローしてくれることを期待して一筆。

 結局経済を活性化するには、経済活動のパイ全体を大きくして、お金の循環を良くすることが基本原則なのでしょうが、この点ではオタク的消費は不適切なものといって間違いないと思います。購入されたオタク的財は極めて限られた換金性しか持たず、一見実用品を装っていてもそれが実用されることによって使用価値を生み出すという事態もあまり考えられません。要するに大部分は箪笥の肥やしとして塩漬けにされてしまうわけです。
 だから、オタク産業が経済を引っ張れるかというと、疑問といわざるを得ません。設備投資みたいに、消費が消費を呼ぶような循環にならない、むしろ社会全体で見れば循環にブレーキをかけてしまう可能性の方が高い、のではないでしょうか。他の娯楽への消費と比べても、塩漬け不良資産(ガラクタ)化してしまう可能性が高い、つまり消費を誘う効果に乏しいといえるのではないか、そういうことです。

 オタク産業がなにやら云々されるのは、上手く成功すれば比較的高利潤が相対的に安定して得られるというところにあるのだろうと思います。が、それは経済の牽引車として他の業種にも影響を及ぼすという公算は低く、むしろ他の業種とは(比較的)縁が薄いまま、自分の業界だけ消費者を囲い込んでそこから安定的に売上を獲得する、いわばブロック経済みたいな形のように思われます。 
 一旦ある層を囲い込むのに成功してしまえば、あとは忠誠心と執着心の強いオタク層は安定して消費をしてくれます。他の業界のようにすぐ飽きられて去られてしまう、ということが起きにくいわけです。
 ですが、そのような「ブロック経済」の成立は、必ずしも提供されるコンテンツの質の向上に繋がるとはいえません。良し悪しを判断する以前にまず消費してしまうので、むしろ粗製濫造や焼き直しの多発を招く可能性すらあるように思われます。しかも「囲い込み」の世界ができてしまっていると、その世界にいるものは「この世界はこんなもんなんだ」と観念して、向上心を失ってしまうのではないかと。かくて「らいむいろ」にも懲りず「たくろあ」も出てくる訳でさあ(笑)
 もちろん、ある日夢が覚めてその業界が弾けて消える、そんなことも間々あったりしますが。

 ネコ・パブリッシングはそういった「囲い込み」に長けている企業といえるのではないかと、個人的に思います。勿論ネコP社が提供するコンテンツ自体がよくないとか、魅力的でないというつもりは全然ありません(いわゆるアキハバラ系オタク業界のそれと比べたら極めて高度にして良心的である、と言い切ってしまうくらいには筆者もアキハバラ的なそれへ偏見を持っています)が、少なくともかの企業をして「オタクに鍛えられた」と称するのは、些か腑に落ちません。

 最後に。別に筆者は経済的有用性を以ってオタク趣味を有害無益な存在であるとかいうつもりは毛頭ありません。むしろ社会全体が資本主義の論理に覆われることに抵抗する、文化的橋頭堡として高く評価したいくらいです。
 だからこそ、日経新聞のような財界御用メディアのこのような提灯記事に乗っかって、まるで自分たちが何か偉大でファッショナブルな存在であるかのように思い上がることの愚かさを戒めたい、それだけです。そうなってしまったら、そこにいるのは畸形的に資本主義に取り込まれた消費者がいるだけで、オタクの持っていた良さは、もうそこにはないでしょう。

 まだ雑駁ですが、とりあえず時間もないのでここでアップ。
 まだいろいろ考える予定。オタクから「カリスマ的リーダー」が登場して「一般消費者」を引っ張る、という辺りが突っ込みどころになりそうな。
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by bokukoui | 2006-01-20 23:55 | 思い付き | Trackback | Comments(5)

極私的オタク論その1・ネコはオタクに鍛えられたのか

 些か旧聞になってしまいますが、今月10日付日本経済新聞長官1面の「ニッポンの力(9)」なる記事が、「オタクが鍛える市場」と題して、以下のように記していました。
 「オタク」が鍛え上げた企業が今年夏にも株式を公開する。三十二の専門誌を出版するネコ・パブリッシング(東京・目黒)。自動車、鉄道関係を強みとし、愛車と楽しく過ごすためのガレージ作りに関する情報だけを載せる「ガレージライフ」なる雑誌も年間四回、発行している。
(中略)
 昨年初めに創刊した旧国鉄列車のファンに向けた「国鉄時代」も予想の二倍の売れ行きを記録した。最新号には政局で多忙なはずの民主党代表、前原誠司(43)も寸暇を惜しんで書いたエッセーを寄せている。
 社長の笹本健次(56)は言う。「本当に好きなものへの支出は簡単には減らさない。一億総オタク化が個人消費を底堅くする」
 野村総合研究所の試算では、好きな対象に可能な限りのお金や時間をつぎ込み、オタク特有の収集癖や自己顕示欲を持つ消費者はマンガ、アニメ、鉄道など十二分野で百七十二万人。そこまではいかない軽度の人も含めると、約六百五十万人、市場規模は一兆四千億円に達するという。物好きの道楽というには、無視できないほどの規模なのだ。
(中略・海洋堂や「オタバ」、ガンプラ組立屋、ブロッコリーなど登場)
 野村総合研究所主任コンサルタントの守岡太郎(56)は「オタク消費者の中からカリスマ的なリーダーが登場し、これに一般消費者が賛同するようになれば、消費者主導の市場ができるようになるかもしれない」と話す。
 そこにあるのは、供給者が商品を提供して市場を作り出すのとは違うメカニズムだ。「現代の目利き」が作って鍛える市場は、並外れたこだわりゆえに強じんになる。
 そうなんでしょうかね。うーん。野村総研の研究についてはこの本を読めばいいらしいのですが・・・
 他の業界の事は分かりませんが、こと鉄道に関していうと違和感がありまして。鉄道趣味の場合、趣味の対象とする鉄道は、輸送という社会的手段を果たすことを使命としています(私企業なら利潤ですが)。鉄道趣味者は、彼らの趣味対象である鉄道企業が想定している主たる顧客ではありません。さてその場合、趣味の「市場」とは一体なんなんでしょう?
 もっと分かりやすく言いますと。
 コミケ三日目の有明に戦術核を打ち込めば、美少女ゲームメーカーの過半は倒産するでしょう。ワンフェス開催時にバンカーバスターを叩き込めば、海洋堂も傾くかもしれません。しかし、鉄道マニアを鏖殺しても、鉄道会社の業績に特段の変動が出るとは思われません。軍艦マニアや軍用機オタク、戦車愛好家を大量虐殺しても、軍隊も戦争もなくなりゃしません。趣味の対象と趣味の「市場」が分離している世界と、分離度の低い業界とを同じように論じてしまうことに、違和感が残ってしまうのです。
 話をややこしくしているのは、前者のような趣味と後者のような趣味を兼業している人間が少なくなく、彼らの外見や行動パターンが類似していることなのだろうと思います。(例:当ブログの筆者)
 このことは、実は十年以上前の中学生時代からつらつらと考えていたことなので、折を見て書き続けていきたいと思いますが、どうも風邪を引いたらしく頭と喉が痛いので今宵はここまで。おやすみなさい。
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by bokukoui | 2006-01-15 23:12 | 思い付き | Trackback | Comments(3)

「萌え」の魔の手に気をつけろ

 今日は戦史研究会というマニアックなサークルの新年の集いに参加し、こんなゲームをやっておりました。

 さて、その席で話題になり、このサークルの現在の中心人物がやっているブログで既に議論が出ているのですが、斯様なアニメが今度(小生の住んでいる神奈川県では明日から)放映されるそうです。
 なんだかなあ・・・

 先日渡辺プロデューサー宅を訪問した折、氏が購読している『電撃G'sマガジン』をめくったら、こんなゲームが最近発売されているそうではありませんか。
 ますますもって、なんだかなあ・・・

 去年は、こんな本も出てましたよね。
 アマゾンの一番下のレビュー(2005年7月9日付)はなんだかなあ、ですね。戦車が好きなら、無機質に並んだカタログデータの数字だけで、素気ない地図と文章の戦況だけで、もう充分楽しくて仕方ないんです。お仕着せの「萌え」みたいな面白さなんか、そこでは余計な夾雑物に過ぎません。戦車に没頭するとは、そういうことです。「萌え」の没頭も、多分もっと適切なやり方があるでしょう。
 いくらなんでも、なんだかなあ・・・

 そういえば、下でコメントくださった酒井さんのサイトの掲示板でちょうど一年前、「メカ娘」なるものが話題に上っておりました。それを見た時にも、上記三件のような「なんだかなあ」感に襲われたました。書き込みの時機を逸したので、執念深くここで文句を書いておきます。 
 何かというと、一瞥して「Ms-462」って表記に違和感を覚えたので、手元の資料をごそごそやったところ、どの本もモラン・ソルニエの表記は「MS」(両方とも大文字)でした。ドイツ軍の表記法と混同しとるやんけ。
 まあ、それは些事としても、こういう風潮を見てると思うことがあるわけで。

 あのですね、メカ好きならばもうメカ自体でお腹一杯、陶然となって時を忘れる、それがスジってもんじゃないですか。軍事に関心があるならば、戦史に関心があるならば、それが第一、「萌え」なる余計な付加価値をくっつけてどうしようというのですか。その関連に何の必然性があるというのですか。「萌え」属性にコンバートしてもらわないと、メカの魅力を感じることができないんですか。
 ああ、内輪のお笑いネタなら構わないんですよ。兵器擬人化は多分モデル・グラフィックス誌の「艦船ちゃんいらっしゃい」という、イラスト投稿コーナーから始まったのではないかと思われますが、モデグラ誌の隅っこでやってる分には、或いはコミケやワンフェスの一隅でやってる分には文句など申しません。
 しかし、斯様に商売にされてしまうと、なんだかなあ・・・

 小生とて実は、戦史に関しては「広く浅い」初心者に毛が生えた程度の者ですが、それでもその世界にある魅力の何たるかは、少しは分かっているつもりです。本業は鉄道ですけど。
 「萌え」な世界にも、それはそれで魅力があると思います。それを否定するつもりなんか全くありません。
 そしてこの両業界を兼業している人間が多いのもまた事実ではありますが、だからといってくっつけりゃいいってもんじゃないでしょう。
 そして、こういうくっつけばっかりやっていると、メカや軍事そのものへの関心よりも、それを使ったネタや「萌え」をばら撒き、仲間内で笑いを取って馴れ合うことに趣味活動が向いてしまい、最も大切な探求し研究することがおろそかになってしまうのではないか、と心配になります。それは、ミリタリーマニアの世界全体の活力低下を招き、「萌え」を振りまく一部企業が刹那的な利潤を上げるだけに終わってしまうのではないかと思うのです。
 取り越し苦労ならいいんですけど。ねえ、S竹会長。

 なんだかなあな心を癒すべく、何冊かの蔵書を手元に出して読み返しています。
 まずはナジェージダ・A・ドゥーロワ『女騎兵の手記』新書館。16歳の時、ナポレオン戦争に男装して加わったロシアの女性の手記。ただ本当はもっと年上で、結婚して子供もいたらしいんですが。人間ドラマとしては、夫を捨て子と別れ戦場へ旅立つ、という方が興味深くはあります。
 ついでコマンドマガジン21号。この号には、ケレンスキーの臨時政府時代のロシア軍に存在した「現代史上初の完全な女性部隊」とその指揮官、マリア・ボチカレーワについての文章が掲載されています。
 最後に秦郁彦『第2次大戦航空史話〈中〉』中公文庫。この本には、第2次大戦中のソ連の女性飛行士部隊、そしてエースのリディア・リトヴァックの話が記されています。

 あれ? 実話の女性兵士ものを集めたら何故かみんなロシア人の話でした。時代は全部違うのに。女性兵士の本場はロシアなんでしょうか。
 やはり、『ブラック・ラグーン』最強は、レヴィでもロベルタでもなく、バラライカ様ということで。
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by bokukoui | 2006-01-06 23:49 | 思い付き | Trackback | Comments(2)

ありがたいことに、わたしたちはまた一年としをとる。

 年越し蕎麦の蕎麦湯を啜りつつ、読みさしのE.フロム『自由からの逃走』の頁をめくりながら、除夜の鐘を聞いています。
 表題はカレル・チャペック『園芸家12ヶ月』の末尾です。この花が来年になったらどんな花が咲くだろうか、この木が十年経ったらどう育っているだろうか、と、園芸家は未来に生きている。一年間の園芸家の生態を書き綴った本のおしまいに、チャペックはそう記し、表題の言葉で結んでいます。

 カテゴリ分けを一応やってみました。とりあえず、二つ作りました。「出来事」は小生の周辺で起こった出来事、一般的に言えば日記のような内容です。「思い付き」はまさに心に浮かんだ雑多な思い付きを記すもので、最初「電波」にしようかと思いましたが、自分で自分のことを「電波」と称するのは本当に電波であるのとはまた違った問題があるようにも思われたので、こうしました。
 おいおいカテゴリは増やしていく予定です。

 本年もありがとうございました、明年もご愛顧をお願いします、と書くのが普通なのでしょうが、まだ二日しかやっていないし、本稿執筆時点では事実上公開していないので、どなたにもまだご愛顧されていませんね(笑)
 なので、明年「は」宜しくお願いいたします。
 来年が皆様にとってよき年となりますよう。
墨東公安委員会 拝

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by bokukoui | 2005-12-31 23:32 | 思い付き | Trackback | Comments(0)