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秋葉原通り魔事件から2年にふと思う わたしの「ミケロバ」

 ここ数日、心身ともすっかりどうしようもないだるさに苛まれ、ただなぜか腹ばかり減るという有様で、頭脳の方もすっかり麻痺し、『看板娘はさしおさえ』より難しい書物を読むことも出来ないまま引き籠っておりました。ついでに、日々使っているノートパソコンも、液晶画面のひびが日に日に長さを増し、画面が次第に黒く染まるのみならず、ここ数日は「スタンバイ」機能も使えなくなるという怪しさで、すっかりブログ更新から遠ざかっておりました。
 で、ようやく少しましになったので、日を三日ほど過ぎてしまいましたが、表題の件について何か書こうと思います。いよいよ秋葉原では歩行者天国も復活が決定したそうですし。このことに関連して、当ブログを「秋葉原協定」で検索して訪れて下さった方も少なくないようで、周知のお役に立てたとすれば、結構なことと思います。

 とはいえ、これまでにもいろいろ書いてきたので、改まって何事か書くのも案外容易ではないということに、今過去の記事を読み直して気がつきました。特に、昨年事件から一周年に際し物した二つの記事(「秋葉原通り魔事件から1年」「岩手・宮城内陸地震から一年 そして人を悼むことについて若干」)については、今もなおそこに書かれたとおりのことを思っています。
 改めて一部引用しますと。
 とりとめないついでに、全く個人的にこの事件を振り返ることをお許しいただけるなら、小生自身はこの事件で何か人生に於いて重大な影響があったのか、思い出して恐怖に駆られたりするような心的外傷の類があるのか(ごく稀にメールなどで当ブログの本事件記事に関しコンタクトを取って下さる方々は、おしなべてそういった懸念を示されます。社交辞令なのかも知れませんが)、というと、全然ないんですね。(中略)
 ただ、本当に全然何も感じないと(以前、秋葉原事件に関する宮台・東その他諸氏のイベントに行った際、「事件に出会おうと出会わなかろうと、自分は同じようにこの議論を聞いただろう」と思って苦笑したことがありましたが)、かえってそれ自体が「ひとでなし」みたいで、何となく居心地の悪いような、そんな気分もします。或いは、関係者というには辺境で、部外者的立場を取るには直接的経験に富みすぎている、そんな自分の宙ぶらりんさを反映した居心地の悪さなのかも知れません。
 やっぱり今もそんな感じです。かといって、記憶が単に風化した、というわけでもないつもりです。それは、まず事件の記憶を自分で文字化することで再認識し、その後も関連する出来事に一定の注意を払ってきたから、なのかも知れませんが。

 で、加藤被告の裁判が始まっていることは周知のことで、小生も傍聴を志しつつも諸事情によりいまだその機会に恵まれてはいません。裁判については一般的な報道には多少眼を通しましたが、その中で一つ気になったのがありまして、裁判で事件の目撃者が加藤被告に対し「極刑を望む」旨発言していたことです。
 これには小生いささかの違和感を感じまして、その違和感を上手く言語化できる自信がないのですが、つまりそれは"目撃者"の発言として妥当なものかどうなのか、そのようなことをわざわざ述べる意味は何なのか、そこに違和感を感じたということです。もしかすると、それは"目撃者"たる者のある種当然なすべきことと"世論"に期待されたことであり、よき"目撃者"たる者は当然その期待に応えた、ということなのかもしれません。
 であるならば、決してよき"目撃者"たりえない小生は、そのような立場で公的な発言をすることをしなかったことは、まったく"正当"な判断だったのだと、今にして思います。

 なぜ小生が、よき"目撃者"たりえないと自己規定するかというと、それは上に挙げた一年前の記事の箇所に、一つだけ付け加えるべきことがあるからです。
 秋葉原通り魔事件のような事件に遭遇された方の中には、いわゆるトラウマを負って、人ごみに出かけることが怖くてたまらなくなる、という症状に悩まれている方がいると仄聞します。そのような方への何らかの対応や治療が奏功することを祈念してやみませんが、しかし上掲引用文に述べたように、小生はさようなことはまったくありません。その代わり、別な「症状」が起こっているかもしれません。

 それは、小生は人ごみを目にすると、「ここにトラックで突っ込んだら秋葉原事件を越える死傷者を出せるだろうなあ」とついつい考えてしまうのです。

 表題の「ミケロバ」とは、「挫折禁止」で有名な「げんれい工房」の、一コーナー「言霊参上」の中にある、「新日本語表現」の一つです。以下引用させていただきますと、
「ミケロバ」
「トラウマ」とまでは行かないまでも、それなりのダメージを受けた心のかすり傷。漢字で書くと「三毛驢馬」。
というわけで、それなりかどうかは疑問なしとしませんが、「ネコロバ」でなく「ミケロバ」にするところに並々ならぬセンスを感じ、ここで使わせていただいた次第です。

 しかし、かかる不埒なことを考えずにはいられない徒輩がいるにもかかわらず、そして秋葉原の事件後景気は一段と悪化したにもかかわらず、この事件を拡大コピーしたような事件は、幸いにして起こりませんでした。それは、この事件がやはりあまりにも特異すぎたのか、事件の与えた影響がかえって模倣犯を生まなかったのか、この事件に関する諸言説が模倣犯を防いだのか、ただ単に景気が底を打ったのか、そのあたりは今後検討されるべき課題だろうと思います。
 実は先日、大澤真幸編『アキハバラ発 〈00年代〉への問い』を部屋の片づけ中に発掘し、未読のまま一年半以上放っておいたことに気づいて、急遽読了しました。事件に関する諸言説の一つとして、近日中に本書の感想をものし、あわせて思い出したことなど書ければと思いますが、この調子ではいつになるかは分かりません。
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by bokukoui | 2010-06-11 16:41 | 思い付き

後輩が「鳩山首相を暗殺して歴史に名を残したい」と電話してきました

 題名からするとなんだか林先生の「精神科Q&A」みたいですが、そして実際そんな一面もあるのですが、この記事は一応、先日の当ブログ記事「それでも、オタク達は『自民党』を選んだ」の補足みたいなものです。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2010-05-22 23:59 | 思い付き

それでも、オタク達は「自民党」を選んだ

 本記事は一応、一つ前の「『青空にとおく酒浸り』単行本化記念で『COMICリュウ』近号雑感」(例によって完成まで時間がかかってすみません)の続きではありますが、別段前の記事を読む必要はありません。
 また本記事の内容については、諸資料をより収集検討し、ネット上の情報を丹念に検索することによって、その内容を充実させることは可能と分かっておりますが、そんなことに時間も労力も割く気もないし余裕もないので、甚だ雑駁なものとなっております。しかし物言わぬは腹脹るると申しますし(いつもこのフレーズ使っているような)、最近身近で接した出来事に思うところもあり、頭の中にぼんやり廻っていることを書き留めておきます。
 なお、タイトルに深い意味はありませんが、突然天から降ってきた電波に逆らいようがなかっただけですので、あまり気にしないで下さい。

(以下は断片的思いつきなのでお暇な方のみどうぞ)
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by bokukoui | 2010-05-11 23:59 | 思い付き

「統一協会が秋葉原でデモ行進」に関連して纏まらぬ思い付き雑彙

 先週当ブログで報告した「統一協会が秋葉原でデモ行進 『児童ポルノ規制強化』を訴える」の件ですが、折からの東京都青少年健全条例改訂問題(上掲リンク先に解説あり)とも絡んで、望外に多くの方に閲覧いただいたようです。その後当ブログで、該当の件に関し多少の補足訂正記事を書きましたが、本来その際に本件に関する個人的見解やいただいた反響に関して書いてみるつもりが、多忙と体調不良で延び延びになっておりました。一週間経って今更の感もありますが、物言わぬは腹膨るるとも申しますし、適当に思い付きを挙げてみたいと思います。来るべき条例継続審議に際して、なにがしか議論の一助になればと思いますが、あまり役には立たないとは自覚しています。
 なお、当ブログではこれまでも、このような表現規制に関する記事をいくつか掲載してきましたので、関連する記事にタグを附しておきます

(以下は断片的思いつきなのでお暇な方のみどうぞ)
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by bokukoui | 2010-03-27 23:59 | 思い付き

「建国記念の日」に思う 「条件付き愛情」的な「愛国心」

 今日は「建国記念の日」ですが、この日が実証史学的に根拠がないという話は重要とはいえどありふれておりますし、どだい小生は古代史のことがさっぱり分かりませんので、その辺はとりあえず措いておいて、前々から思っていたことを少々備忘録的にまとめておこうと思います。昨年、当ブログでこのような記事を書いたせいか、2ちゃんねるで当ブログの筆者が「在日」認定されるという椿事もありましたわけで、これも機会かと。
 当ブログでこの手の話題を扱ったものといいますと、上掲「外国人参政権・夫婦別姓反対デモ」以前にも、田母神俊雄氏の「論文」についてとか、その田母神論文について秦郁彦先生と西尾幹二氏が今は亡き『諸君!』誌上で行った対談についてだとかもご参照いただけると有り難く存じます。
 といっても別段目新しいことを書くつもりはないです。

 上に掲げた過去の記事では、他国や自分に同調しない者に対してむやみと攻撃的になることを「国を愛する」と呼ぶべきではないと主張し、西尾氏の議論が他者への攻撃性によって連帯した「内輪ぼめ」で成り立っていることを山本七平を引用しつつ指摘しました。それらを少しまとめてみようというのが本稿の趣旨です。
 そこで「条件付き愛情」という概念が、少し手がかりになるのではないかと、全くの思いつきですが頭に浮かんだ次第。
 ここで先に「条件付き愛情」のことをちょこっと説明しておきます。小生がこの言葉を知ったのは、ずいぶんと昔のこと、カマヤン先生が児童虐待について述べた文章の中でのことでした。今その出典がどこだったか思い出せないのですが、「条件付き愛情」で検索すれば、今のご時世有り難いことにいろいろ出てきます。とりあえず安直に Wikipedia の該当項目を引用しておきます。
条件付きの愛情
本来、親は子供に無条件で愛情を注ぐものであるが、親の愛情が無条件の愛ではなく、何らかの付帯義務を負わせる「条件付きの愛」であることが問題となる。これが継続的に行使される家庭では、子供は親の愛を受けるために、常に親の意向に従わなければならず、親との関係維持のために生きるようになり、この時点で親子関係は不健全であるといえる。主に幼少期からこうした手段が用いられ始め、子供の精神を支配する手段として愛情を制限する。

この手段は子供が成人する段階になっても継続され、引き続き成人した子供(Adult Children)の精神を支配する。実はこの状況は非常に多くの家庭に存在しており、子供は常に不健全な状況にさらされている。しかし、第三者からは一見してこのような家庭は何ら問題のない普通の家庭として認識される場合が非常に多く、「条件付きの愛」はしつけや教育と称される家庭の病理性の深さを象徴する現象であり、最も基本的な精神的虐待である。しかし現実に、無条件の愛を常に実行できるかというと、これは極めて難しく、健全な家庭を目指すには「条件付きの愛」を減らし、可能な限り無条件の愛を与える方法を親自身が訓練・勉強する必要があるだろう。
 あと、関連しそうな項目もリンク

 当ブログの過去の記事で批判した田母神氏は、確か国会で「日本はいい国だと言ったら辞めさせられる。悪い国だと言い続けるのがいいのか」と発言したかと思います。昨年『笑っていいとも』に出演した際にも同趣旨のことを発言しておりました。この発言に典型的に見られるものは、田母神氏を支持する方々、例の「外国人参政権反対」の人々にもその傾向を強く見いだすことが出来ますし、西尾氏もまた同様であります。彼らは「日本は『正しい国』『良い国』でなければならない」と思い、彼らの価値観に於いてそれに反するようなことを述べると、もれなく「非国民」「在日」認定が待っている、という次第であります。あれだ、昔の教科書に書いてあった「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤクエライ国」って感じですね。
 ですが、小生思いますに、「日本が良い国で強い国だから愛する」というのは、日本に生まれ育った者の「愛国心」としては、全く覚悟が足りない、といわざるを得ないのであります。もしどこかの国に移民しようと思って諸国の事情を検討し、その結果として「アメリカは正義の国、神の国!」と星条旗に忠誠を誓うのであれば、それは構いません。しかし、自分が望むと望まないのとに関わらず、ある国に生まれ育ってしまった場合、そのように考えることは、合理的ではありません。

 親と同じで、生まれる国は自分では選べないわけです。その親子と国・住民との関係は、もちろん単純なアナロジーには出来ませんが、選び得ない宿命に対しどう対処するのか、という点では参考になり得るところもあると考えます。世の多くの愛は、愛する主体が選択的に選び取った対象へのものですが、生まれ育った国への「愛国心」は、選びようもない存在としてここにあるものへの対応ですから。
 で、ここの愛を混同しますと、あたかも親が子供に向かって「おまえはうちの子じゃない」と精神的虐待を加えるように、国に向かって「こんな“恥ずべき”過去がある国は“自分の”国じゃない」と言い出したりするわけで、さてこそ「歴史修正主義」に走ると同時に、何かしらそういった問題点が自国に存在するのは、自国に含まれない分子=他国や「非国民」「在日」の仕業だという陰謀論に走るのでしょう。
 親子関係などですと、それこそ虐待や家庭内暴力によって、表面的には責任を他者に押しつけて自己の思うがままの世界を構築するということが可能ですが、しかし国という大きな対象ですとそうはいきません。独裁者でもない限り個人の好き勝手になるものではありません。そこでどうするかというと、勝手に犯人捜しをして、そこを無闇と攻撃する、という行動形態になるのでしょう。

 しかしそれは愛と呼ぶにはあまりに偏頗と小生は考えます。小生思うに、「愛国心」とは、まず前提として自分の生まれ育った国について知り、どのような蓄積の上に自分が存在しているかを考え、その存在全てを、“恥ずべき”過去をも含んで受け容れた上で、はじめて構築されるものではないかと。こんな所があると愛する上で嫌だからなかったことにする、なんて我が儘を言っているようでは、愛国心の妙諦に至ることは出来ません。欠点を把握した上でこそ、愛となり得るのです。もちろんそこまで見通した上で、やはり愛する気にはなれない、という結論も存在はしうると思います。親子でもどうにも縁切るしかない例はままあるわけで。
 しかしながら、「愛する」というのであれば、問題も恥も欠点も含んだ上で先ず受け容れることなくしては、愛は、児童虐待的な無体な攻撃衝動にすり替わってしまうでしょう。

 親子の愛情のアナロジーを持ち出したついでに、もう一つ付け加えておくと、もちろん虐待やネグレクトは行けませんが、あんまり密着しすぎるのも親子関係として問題があります。親子といえど別人格ですから。
 で、こっちの問題点を「愛国心」に準えて考えますと、それはさっきの欠点隠しの逆で、何か日本に関する良いことがあった場合、「日本の誇りに思う」などと安易に言ってしまうことになるかと思います。言っている当人は「愛国心」のつもりなのかも知れませんが、例えば日本の研究者がノーベル賞を取ったり、スポーツ選手が金メダルを取ったにしたりしても(ああ、もうすぐ憂鬱な季節が始まる・・・)、偉大なのはその当人と当人を支えた人達であって、別段国籍や民族が同じだからと言って「自分の」誇りにしていい道理にはなりません。むしろそれは、他人の褌で相撲を取るというか、もっと言ってしまえば人様の功績を勝手に私物化していることになるのではないでしょうか。

 例えば小生の趣味的に思いつくことでいえば、日本の鉄道のダイヤが世界的に見ても極めて正確で、それも戦前からそうだったことを、「日本の誇り」と他国の人に向けて一般の日本人が言うことは正当性があるでしょうか。鉄道関係者が「これは昔からの日本の誇りです」と胸を張っているならば、どうぞその伝統を引き継いでがんばってください、というところですが、そうでもない人がイタリア人(例に他意はないです。最近イタリアの鉄道はあんまり遅れないらしいし)に向かって言うのは変じゃないかと。
 小生思うには、他国に対し関係者が誇りうるような何かが自国に存在する場合、第一にその受益者はその国民ですので、そういったものを構築した先人や、今その維持発展に努めている関係者への感謝の念を持つことは大変妥当でありそうすべきですが、それは「誇る」とは違うでしょう。ノーベル賞なり何なりのような偉人が登場することは、その国の豊かさになにがしか貢献したことになるでしょうから、そのことに対し感謝を捧げるにしても、「誇る」のではないと思います。
 誇っていいのは、それがどんなにささやかなことであっても、自分で成し遂げたことではないでしょうか。

 これを先ほどの「愛国心」の話に引き戻すと、まさにケネディの演説の台詞そのまんまになってしまって苦笑するしかないのですが、人様に責任転嫁して悪口を言ったり、人様の業績を我が物顔で語るよりも、自分がどんなささやかなことであっても、周りを豊かにするようなことが出来たのか、それが大事ということになります。ましてや、勝手に自分が愛するものだからといって欠点を抹殺し、異なる意見の持ち主に難癖をつけ、自分が直接関わったわけでもない美点に勝手に一体化するという、「愛国心」を唱えながらその実自分では何もしていないに等しいようでは、「愛国心は悪党の最後の隠れ蓑」ということになってしまいます。このことは広く世界に普遍的に見られる弊ではありますが。
 親子関係の安定も、畢竟は相互に依存でも抑圧でもない、個人としての尊重と肉親としての紐帯の平衡の上に成り立つでありましょう(もちろんこれは理想であって、そううまく誰もが行くわけじゃないにしても)が、「愛国心」もまた、国への冷静な眼差しと、生まれ育った国全てを受け容れつつも、安易にそれと自己を一体化しないこと、纏めればラーゲリ氏お得意の台詞「Study hard」ってことになるのでしょう。
 つまり、「愛国心」を語れるほどになるのは結構大変だよ、安易に言ったら笑われるよ、ってことです。書いている当人も日々修行中であります。

 あんまりまとまらんけど、とりあえずこんなところで。

※追記:関連した内容の記事→「『「在日企業」の産業経済史』の著者・韓載香さんのことばにつらつら思う」
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by bokukoui | 2010-02-11 23:59 | 思い付き

オタクとクリスチャンとミリタリーと

 今頃ようやく年賀状を投函したくらいへたれている今日この頃ですが、冬季講習が終わったと思ったら直前講習だったり、一つ原稿を出したら直ちに次の締切だったり、そんなこんなでへたれた状況は変わらず、何事もはかばかしくは進まず、部屋片付けの夢も夢のまま過ぎつつあり、新年早々意気揚がらぬこと夥しいものがあります。
 しかし、愚痴ばかり書き連ねるのも何なので、今回は当ブログにとって大変有り難いことがありましたので、その恩寵をより多くの方にも受け取っていただきたく、以下にご紹介させていただきます。

 昨年、当ブログでナヲコ先生の『なずなのねいろ』2巻が発売されたことを機会に、「ナヲコ『なずなのねいろ』各巻のウェブ上感想リスト」と題して、同書のウェブ上での感想をリスト化して紹介しました。その中で、『なずなのねいろ』に限らずナヲコ作品の感想としてもっとも小生が感銘を受けたものとして、「鳩の切り売り・量り売り」というブログの記事を取り上げました。該記事でも書きましたが、小生がこのマンガの感想ブログを特に興味深く読んでいるのは、この執筆者の方がクリスチャンであることをしばしば記事中で言及されており、反キリスト教的偏見を垣間見せる人が決して少なくない印象を受ける(回りくどくて済みません)所謂「オタク」界隈で、このような方の書かれる感想に出会えたことを貴重な経験と感じたからです。
 誤解を招かないように書いておきますが、「鳩の切り売り・量り売り」さんの個々の感想にキリスト教的な影響が直ちに見て取れるわけではありません。それでは下手をすればただのプロパガンダです。そうではなくて、あれだけの質量のマンガの感想を記せるだけの「オタク」的な素養(紹介されているマンガの傾向からすれば、そのように規定しても問題はなかろうと思います)を持っている方が、同時に信仰について真摯に考えておられるクリスチャンの方だった、ということに小生は大変関心を惹かれたのです。

 さて、「鳩の切り売り・量り売り」さんにはトラックバック受信機能がないので(コメント欄もメールアドレスもありませんが)、小生としては当ブログでご紹介申し上げた以上のことはしていなかったのですが、「鳩の切り売り・量り売り」さんの方で、当ブログ経由のアクセスがあることに気づかれ、昨年の大晦日付で以下のような記事を執筆されていました。

 ・オタクとクリスチャン
 ・美少女とミリタリー/クリスマス粉砕デモ

 表題の通り、オタクとクリスチャンの関係について、更にそこから敷衍しての、あびゅうきょ作品を枕にしての美少女とミリタリーの関係について、さらに、先日の革命的非モテ同盟主催「クリスマス粉砕デモ」の記事をお読み下さったようで、クリスチャンから見たクリスマス観にまで及んでいます。大変読み応えのある記事で、当ブログを読んで下さるような趣味嗜好の方の多くにとっては得るところのきっとあるものと思いますので、是非リンク先をクリックしてみて下さい。

 このような大変充実した記事を、当ブログでの紹介記事に応えてご執筆いただいたことは、何より先ず嬉しく有り難く光栄なことで、心から「鳩の切り売り・量り売り」さんに感謝申し上げます。
 そして小生としては、それに相応しいだけの真摯な紹介記事を書いていたか、思い返して忸怩たるものなしとしません。引用されているキリスト教を敵視するオタク像の箇所など、かなり適当な姿勢で書いていることが明らかですから(秀吉の禁教令はどなたもお分かりと思いますが、「北山南河は邪宗の都」というのは、これまたオタク――に限らないかも知れませんが――に敵視されることの多い、創価学会の事実上の会歌「威風堂々の歌」の一節です。しかも3番)。

 さて、当ブログのかかる適当な紹介記事に「協賛」して、これほどの記事を書かれたからには、ただまた紹介するだけでは礼に悖るものと思います。といって、すっかりへたれている小生の現今の状況では、残念ながらあまり大したことは書けそうにありません。大きな話は労働収容所組合猊下(ブログツイッター)にお任せして、ひとまず逐条的に二三の思いつきを記してみようと思います。

(以下は断片的思いつきなのでお暇な方のみどうぞ)
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by bokukoui | 2010-01-13 23:36 | 思い付き

自省するひととき

 先日の「またも「外国人参政権・夫婦別姓反対デモ」的な何かに出くわす」の記事ですが、この日は日頃の鬱積を誤った方法で晴らそうとした結果、紹興酒を一人で一本(それ以外もいろいろ)飲んだ勢いで書いたため、あとで読み返して日本語としておかしいところや不適切な表現が多々見受けられましたので、多少修正しました。それでも問題点は残っておりますが、全面的に書き直す暇も価値もないのでやむを得ません。
 そのような記事の「日本語としておかしいところ」を端的に言えば、文章が「馬から落ちて落馬した」状態になっている、言い換えれば丁寧に説明しようとしすぎて冗長になりすぎ余計訳が分からない、ということですね。普段から陥りがちな弊ではありますが、アルコールが入ると覿面で、一文で同じ説明を二回繰り返したりしておりました。大変失礼致しました。

 ところで、何でまた妙に冗長になりがちなのかと自省しますと、昔から小生には、「自分の話す(書く)ことに他人が興味を持ってくれることなどない」というような被害妄想というか諦念というか、そのようなものがあるからなのだろうと思います。なので、時としてむやみやたらと丁寧な説明を、特に文章ではしてしまう(口頭であればその場の状況に合わせてある程度調整できますが)のだろうと思います。
 で、このような人間はそれなりに社会にいるだろうと思いますが、当然このような人はコミュニケーション能力に関してなにがしかの苦手意識や悩みなどを抱えることになるでしょう。小生は人に電話したりメールしたりするのが苦手、というか恐怖心のようなものを抱いています。企業の窓口とかの電話ですら。こういうのは普通に考えれば、余程のトンデモクレーマーでもない限り、かけてもらった方がむしろ嬉しい筈なんですが・・・
 一方そのような人は、自分の話していることに他人が関心を抱いてくれているように感じられると大変喜びます。そして往々、喜んで調子に乗って話しすぎ、やっぱり相手に引かれてしまったりするわけですが。

 いうまでもなくこのようなコミュニケーションが苦手な人は、「オタク」的傾向を帯びやすいものでして、そのような例は皆様も身近に経験しておられることと思います(え、自分がそうだって?)。で、先日の記事にひきつけて言えば、オタクな方々が時として排外的な考えに囚われることがあるのは、世界を話を聞いてくれる味方と聞いてくれる敵とに分けてしまうからなのかなあ、と思います。「138億年と48億年前から『友愛』してたんですかぁ!?」の台詞にしても、あれが鳩山首相はじめ民主党の議員に通じることを期待してというよりも、味方である示威行為参加者向けの台詞でしょう。デモの効果として、自派の結束を固めるということは無視できないことですから、いちがいにそのような言説を批判するわけではありませんが、政治的な公論というものではないことは確かです。
 以上余談。

 話を戻して、小生は幸いにして周囲の環境に恵まれ、人とこととを選べば話が通じないことはない、という感触をやがて得ることが出来、世間は総て敵なのだと被害妄想を敵愾心にまでこじらせることなく、今日に至ります。もっとも被害妄想を完全に払拭できたわけでもないところがなんですが。だから小生の書くものは未だになお時として冗長の弊をさらけ出すものと思います。
 もっとも、以上のような人間にとってはコミュニケーション自体の手間が普通の人よりもかかるので、それを負担と感じて面倒になり、コミュニケーションの絶対量を絞ってしまう傾向もまたあります。その表現形態は大きく二つあって、まずそもそもコミュニケーションの機会自体を減らしてしまうというのが一つ、もう一つは上の記述と矛盾するようですが、発言や記述を過剰にはしょってしまうというものです。後者はつまり、「分かってくれる人は分かってくれるだろうし説明しても分かってくれない人は分かってくれないだろうから、まあいいや」というはなはだ虫のよい発想ですね。
 かくて、冗長と説明不足が同居する次第に陥るのですが、言い訳にもなりませんけど、コミュニケーションが苦手だとか「非モテ」だとかの、一つのパターンではあろうかと思います。

 冗長さを自省する文章が冗長になっていたら世話はないのでここらで止めますが、最後に何でこんな文章を書いたかというと、先日書き上げた論文が本来絞ったテーマで短めのものを書く予定が、気がつけば大長編になっていて我ながらまずいと思い、案の定「全体として冗長」「各所に説明不足」と指導教官に指摘され、投稿先にあわせて圧縮するように、という前作とあまり進歩のない結果に陥ったもので、いささか自省した次第です。
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by bokukoui | 2009-11-17 23:59 | 思い付き

「守る」に関しとりとめなく(「外国人参政権・夫婦別姓反対デモ」続き)

 前回の記事「外国人参政権・夫婦別姓反対デモに出くわす その他沈鬱な近況」で一緒に書こうかと思ったものの、あまりに長くなりそうだし時間もないし面倒だし、と見送った内容を補足しておきます。補足というより余談という方が正しそうですが。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2009-10-20 23:51 | 思い付き

お盆企画・今さらですがこんなクイズを

 天災が引き続くこの頃ですが、皆様ご無事でしょうか。小生は先日の地震では、本棚こそ倒れませんでしたが、早朝にも関わらず目が覚めました(なぜか目が覚めてから揺れ出した気が・・・?)。そんなこんなで睡眠の事情が良くなく、迫り来る数多の締切の前にぐったりしております。東名高速崩壊とかヴェトナム新幹線導入とか、ここに書きたい話題もそれなりにありますが、時間と気力の余裕がありません。

 繰言も何なので、暫くトップに放っておける企画としてちょっとしたクイズを出します。ふとした思いつきで、今となっては懐かしい「あるなしクイズ」ですが、暇な方はどうぞ。テレビで出すには難しいと思いますが、当ブログを閲覧される方でしたらきっと分かると思います。
 なお、正解を小生までメールにてお伝えくださった方のうち先着1名様に、先程片付けついでに偶然出てきた、MaIDERiA出版局の初の同人誌『メイド記念日』初版(2001年8月12日発行)をプレゼント・・・って、要りませんかそうですか。まあ何かあるかもということで。また、答えを感づいた方は、どの手がかりまで見て分かったかをコメント欄にでも書いていただけますと、有難く存じます。

(問題は以下に)
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by bokukoui | 2009-08-13 22:10 | 思い付き

マスコミに批判され抗議を受けて回収・絶版になったゲームの話

 昨日の記事に記したような、性的な表現やオタク文化と表現規制の問題が最近盛り上がっているのは、もちろん直接には「児童ポルノ法」の改正について国会で審議が行われるからですが、その少し前に日本の18禁のゲームが何故かイギリスの議会で糾弾されるという事件があり、それを日本の新聞が報道して、話題になったというのがありました。この件について小生は、ちょうど籠もっていた時期でしたので碌々知らないので、それについてどうこう評論することは出来ませんし今さら意味もありません。
 ですので、真剣な議論よりも混ぜっ返しの雑談ですが、今日の日付を見て思い出したことがあったので、ちょいと一筆。基本的に聞いた話を記憶に頼って書いているので、正確さはあまり保証できません。その程度のものとお考え下さい。

(どうでもいい話なので以下に)
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by bokukoui | 2009-06-25 23:59 | 思い付き