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備忘・「東京大学オタク物語」向け資料~これがわたしの「第三の道」

 今日は比較的調子がマシなので、久々にパソコンで作業。ついでにネットも少々。旧マシンのブックマークが失われて、定期巡回サイトもほとんど無くなりましたが、それで生活が何か寂しくなったようにも感じられないというのは愉快なことです。
 それはそれとして、表題の件に関連して、発見した記事に備忘のためリンクを張っておきます。

 E.L.H. Electric Lover Hinagiku
  「アニメやりに東大行ったおれが学歴について語ってみる」

 有村悠さんとこですね。これまでに何度かリンクした覚えがありますが、その度ごとにサイト名が変わっている気がします。
 で、内容は表題とあまり関係なくて、有村氏のオタク遍歴と東大に至るまでの半生記、ですね。

 東大に「オタク」な人がやってくる経路として、有村氏の場合は天才的で特異なようでいて、ある種の典型でもあるように思われ(特異な方が、あるパターンの特徴をかえってよく表すということはあるでしょう)、大変興味深いですね。にしても、『北(朝鮮)へ。』は有村氏の着想だったのか。『更迭天使おぶち』なる作品もこしらえていたと仄聞した覚えがあります。東大のアニ研にそういうものをせっせとこしらえる大物が居ると言うことは聞いていましたが、迂闊にもそれを有村氏と結びつけて考えていませんでした。その系譜の上に、数年前小生が販売の手伝いをする羽目になった『れっかうらんタン』も位置づけられるのでしょう、と書いたら怒られそうな。

 で、有村氏と小生はだいたい同年代に当たるようなので、まずその点で面白くなつかしかったのですが、やはり小生にとっての資料的価値は地理的なものにあります。一貫して横浜市に居住し中学以降は東京区部の進学校に通い続けた小生からすると、地方の進学校→大学上京という系譜の人の詳細な事例を知ることが出来たので。
 一読した限りでは、学校の雰囲気自体はそう本質的な差異はないように思われます。地域的な文化事情の差異がどう影響しているのか、それは検討に値すると思いますが(深夜アニメの話がちょこっと出てますね)。ネットの普及していない当時は、今より地理的格差の意味するところが大きかったでしょう。

 正直、有村氏の書かれたものが非常に面白かったので、つい自分も同じような物を書きたいという思いが一瞬浮かびましたが、そんな長文を書く時間もなければ腰の調子もそれを許さないだろう、という大前提の上に、そもそも小生自身は怠惰で凡庸な人間であるために小生自身のことを書いても面白くはならない、という明白な事実に鑑みてやめておくことにします。
 もっとも、小生の友人諸氏の話をつづり合わせれば、それなりに面白い話を編み上げることも出来なくはないかな、とも思いますが。他力本願といえばそうですが、そも自分の趣味や個性というものも周囲との関係の中で磨かれていくものですし、いわゆる「良い学校」の価値は自分を磨くための凄い他人に出会える可能性が高い、というところにあると小生は思いますので、それはそれで価値があると思います。
 ですがまあ、それは「東京大学オタク物語」完成の暁、ということで(何時になるのか・・・書き始めた当初と状勢が変わって既に無意味な気も)。

 あとひとことだけ、有村氏の文章でまた違った角度で印象に残った言葉を巡って。
すごい作品やクリエイターに出会ったとき、ひとは二種類の反応をする。

・これはすごい、自分は凡人だからこんなものは作れないしこんなひとにはなれないと諦めをつける
・これはすごい、自分もこんなものを作りたいしこんなふうになりたい、否、超えたいと発奮する

ぼくはほとんど常に後者である。
 なるほど。「クリエイター」の人たちはその二択なのかも知れません。
 ですが、他にもやり方はあると思います。
 
これはすごい、自分もこんなものを作りたけど、同じ方向では難しい
 →では、別なアプローチを捜してみよう

 ま、考えてみれば自分のやってきたことはこうだったのかな。
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by bokukoui | 2008-05-30 23:54 | 思い付き | Trackback | Comments(5)

霊柩車の衰退

 急に勢い込んで、万事積極政策にしようとしたものの、やはり無理が祟ったのか数日ダウン。しかしまたこれで引き籠もっては元も子もないところであります。
 気を取り直してまた出かけるようにしましょう。

 前回の記事で自動車の話を書きましたが、自動車といえば、しばらく前に祖父が死去した際に感じたことを思い出しました。
 諸般の事情により、葬儀屋さんとの折衝に小生も同席せねばならず、いろいろ話を聞いたのですが、その際に霊柩車をどうするかという話がありました。

 で、霊柩車は葬儀の価格に応じて「格が上がる」のですが、一番安いものだとクラウンがベースで、高くなるとリンカーン、キャデラックとなっていったように思います(リンカーンとキャデラックのどっちが上だったかは失念)。昔は高級車としてアメ車の人気は高かったそうですが、今の日本では高級と言えばまず真っ先にドイツ車が浮かんできます。が、霊柩車業界ではアメリカ車が健在のようで。ちょこっと検索してみると、洋式霊柩車にはメルセデスのEクラスのステーションワゴンベースもあるそうですが、いわゆる霊柩車らしい霊柩車、宮型霊柩車のベースはアメ車中心のようです。
 どうしてアメ車が斯界で人気があるのかと葬儀屋に問うたのですが、残念ながら回答は得られませんでした。素人考えですが、霊柩車、殊に宮型霊柩車は、ベースとなる車のボディを一部切断し、そこにやたらと工作物を搭載するわけで、車体(シャーシ)の強度が求められそうです。その点で頑丈であるとか、足回りの許容重量が大きい(そのため改造していっぱい装飾をつけることができる)とか、そういう点で有利なのかな、と思います。スピードは出さないし長距離も走らないから、走行性能や燃費はあんまり問題ではなさそうだし。

 霊柩車と言えば井上章一『霊柩車の誕生』という有名な本がありますが、小生も葬儀屋との折衝後思わず読み返してしまいました。この本はとても面白いですが、あくまで葬送と意匠、民衆のキッチュの文化のお話なので、ベースの自動車についてはほとんど論じていません。もちろんテーマから言って必要ないんですが、しかし日本独自の葬送文化たる霊柩車を技術的に支えるには、アメリカ車のタフさが必要だったとするならば、なんだかちょっと面白い「日本独自の伝統」ってもんだな、と思います。
 で、小生は宮型霊柩車を使ってはどうかと提案したのですが、一言の下に却下されました。結局洋式のそれにしたのですが、葬儀屋曰く現在では9割方洋式なんだとか。全国的な傾向かどうかはよく分かりませんが、上掲井上著では葬儀に使われる霊柩車は宮型が中心であると述べていたことからすると、20年ばかりで結構大きく世の中変わったということになります。
 井上著の主張からすれば、民衆が作り上げたキッチュのデザインというところに霊柩車の面白さがあるというわけですが、とすれば、それが学術研究の対象になったという時点で、キッチュの力が衰えてはじめてしまったのかも知れませんね。
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by bokukoui | 2008-04-04 19:16 | 思い付き | Trackback(1) | Comments(8)

フルカツノミライ~「革非同」ヲチって一周年

 思い起こせば一年前の12月15日、初めて拙ブログにて「革命的非モテ同盟」およびその古澤書記長を話題に取り扱ったわけで、あれからもう一年、そして一年経って最近の書記長の振舞を見るにつけ、些か思うところもありますので、多分最古参の「革非同」見学者として、以下に一筆。

 まず、ことの経緯に関しては書記長のブログのここ何日か分をご参照下さい(12/912/1012/11)。ついでにそこにトラックバックしているであろう「ヲチャ」の方々のブログ記事も。
 簡単に記せば、クリスマス粉砕デモを計画した古澤書記長が、今度は6月の「アキハバラ解放デモ」の轍を踏むまいとする余り、アキバデモの際の「ヲチャ」の代表的存在であった plummet 氏をデモ計画のために設けた wiki に招待し、そこまではともかく、折角 wiki を作ってそこで議論して方針を決めるというはずだったのに、書記長は他のメンバーに何一つ示唆することも無く突如 plummet 氏に「はてなポイント」一万ポイントを送りつけ(賄賂云々は勿論、デモの予算配分を勝手に決めたという問題もあるわけで)て懐柔を図り、plummet 氏が怒って突っ返した、ということのようです。その後、アキバデモの際の「ヲチャ」の方々が再登場し、古澤書記長はひたすらブログ上で謝罪、さらにはコメント欄でひと騒動あって現状に至る、ようです。

 で、小生つらつら思うに、まさに古澤書記長は「非モテ」の鑑というか、「非モテ」の中の「非モテ」というか、そういう人なのだなあと深く感じ入ったのであります。
 「非モテ」という言葉と概念そのものは、やはり近年のネットの中で生まれ育っていった概念であったと思います。で、「非モテ」を標榜するネット上の発言者に対し、しばしば投げつけられる言葉は、「そんな御託並べてないで、モテるように努力すればいいじゃないか」というものでした。実際に恋人の一人もできればそんなこと思わなくなるだろう、というわけですね。確かに、そういう場合はありそうです。
 然るに書記長において恐らくそんなことはないだろう、なぜならば書記長は、耳元で恋人が囁く愛の言葉より、ネット上の「ヲチャ」のエントリの方により強く動かされる蓋然性が高い、からです。

 「ヲチャ」と申しましたが、この場合の「ヲチャ」の方々は、6月のアキハバラ解放デモ以来古澤書記長をネット上で観察・コメントしてこられた方々であって、昨年12月のクリスマス粉砕ビラ撒き闘争@秋葉原今年2月のバレンタインデー粉砕デモ@渋谷3月のホワイトデー粉砕デモ@池袋、ここら辺から追っかけてネット上に何がしか報告している暇な徒輩は小生ぐらいなもののようです。しかも6月以降の「ヲチャ」の方々が、もっぱら活動のフィールドをネット上に構えていた(ネットの「ヲチャ」としてはそれが普通だと思います)のに対し、小生は現場取材がメインでした。そして取材を重ねるうちに、書記長を介してその周辺の方々とも出会い、まあ「ヲチャ」というよりリアルの(この言い方はあまり好みませんが)交友関係を持つようになり、書記長を囲んで皆で中国茶など飲みつつ話をする機会もありました。

 その時の古澤書記長の口癖が、「ネットがリアル(現実)を包囲する」でした。

 「リアル」で書記長に会っていた面々は、書記長はてっきり「リアル」での「非モテ」解放なり何なりの目的を持って、その手段としてネット上で活動しているものとばかり思っていたのです。ところが実はそうではなくて、書記長はネットでの自分の活動の発展のために、リアルに出てきたつもりだったのでした。まさかそんなこと、と思わなかったので、そのことに気がつくまで随分時間がかかりました。
 その視点で見直せば、今回の騒動のような極めて不可解な事態が生じた理由もある程度説明できようかと思います。古澤書記長がネットでの「集合知」というものにとことんこだわり、そのためにwikiまで拵えたこと、しまいには自分の出処進退までネットでの意見で決めようとしたことも、書記長の果てしなきネットへの情熱からすれば説明できます。会ったり電話で忠告したりする人びとの話を重視せず、「ヲチャ」の人たちの取り込みに焦ったことも理解できます。

 しかし、古澤書記長の言う「ネット」というのは、実は巨大な集合知というよりも、ネット上で書記長が特に嗜好する、ある決して広いとは言いかねる分野でのことに過ぎなかったのではないか、そう思わざるを得ません。具体的には「はてな」です。書記長は会うたびに「はてな」の魅力を説き、しかし他の面々(含小生)はネットの宣伝もいいけどリアルの活動こそ重要ではないかと指摘し、その齟齬はいつも存在していました。それがここまで決定的とは、流石に思い至りませんでしたが・・・。書記長がなぜそこまで「はてな」が大好きなのか、実は未だに良く分かりません。小生は今、もしかすると「非モテ」を最も搾取している企業は、「はてな」なのではないかと思っています。
 というわけで、「はてな」の「空気」を「ネットの集合知」と見做していた節のある書記長が、その「空気」を操作すればいいのだと最も短絡的に考えた結果、この賄賂事件がおきたのでしょう。ネット上のポイントサービスを賄賂に使うというのは、もしかすると史上初かも知れず、その意味で画期的かもしれません(外山恒一が動画アップサイトと選挙運動の間に新境地を開いたように)。ですが同時に、この賄賂の送り方自体、書記長の「ネットがリアルを包囲する」信仰を良く表していたと言えるかもしれません。

 しかしながらやはり小生が思うに、古澤書記長の行動がこれまでそれなりに話題になり、多少なりとも支持を集められてのは、ひとえに「リアル」で行動したことにあったと思います。書記長本人だけが、リアルの関係を深めることよりも、「はてなスター」の獲得に躍起になっていたのですが。「星の数よりメンコの数」って、軍隊で習わなかったのかい?
 で、ネット上での対戦となれば、そっちを根城にしている「ヲチャ」の人たちの方にイニシアチヴを取られてしまうのは、致し方なかったのかもしれません。書記長自身、リアルで何事かいわれるよりも、書記長が主戦場と定めていた(でも書記長に向いた戦場ではなかった)ネットでの言論、特に「ヲチャ」の人びとへのある種のシンパシーを抱いていたのではないかと思われる節もあります。本件の謝罪文など斜め読みしても、あれだけ叩かれても(まあ、叩かれるだけのことはしてしまったわけですが…)尚、ネット上の集合知≒「ヲチャ」の言論への信頼はなくしていないのですから。で、本件に関する「ヲチャ」、この場合特に plummet 氏やJSF氏などが思い浮かぶのですが、徹底的に古澤書記長を叩き潰すというわけでもないところがおありのようで、好意的に見ればこれもまたネット住人としての「ある種の」シンパシーなのか、と思います(悪意に見れば当分突っついてネタに出来る、ということになりますが、そうではないと思いたいです)。

 というわけで、古澤書記長はネットで生まれた「非モテ」の前衛(ピオニール)であり、ネットからリアルに飛び出してみせたことで評価を獲得し、雨宮かりん氏・香山リカ氏や赤木智弘氏と対談する機会まで得ました。しかし書記長は、そこでリアルに植えた苗を育てることよりも、その成果を元にネットでの更なる勢力拡大を図ったのです。
 でもやはり、ネットはリアルの活動をとても便利にする道具ではあっても、リアルに取って代わるものではないと思います――少なくとも現時点では。書記長は目的と手段とをはきちがえていたのだ、そう小生は思います。
 以前小生は、書記長の特質を「プロイセン的」と評したことがありましたが、まさにプロイセン的な破局が今回の事態だったと思います。目的と手段をはきちがえた結果、ドイツ軍がベルギーの中立を侵犯して世界各国を敵に回してしまったように、書記長は「はてなポイント」で plummet 氏を激怒させてしまったのでしょう。シュリーフェンプランは主観的には美しくても、国際世論の眼には不埒な侵略にしか映らなかったわけで、「やらないか(ベルギーを)」と冗談で書いておいたのに、冗談になりませんでしたね。

 今後どうなるか、ですが、クリスマスのデモは決行するのでしょうか。決行するとすれば、最悪の場合、これまで書記長をリアルの場で支えていた友人は事の次第に呆れて(異界洋香奈氏の激怒と決別は、小生読んでいてなんとも悲しくなりました。そうなってしまうのもやむなしとも思いますが、いつかまた復縁されんことを)来ず、本来書記長が「お客」とすべき層は賄賂事件の醜態で愛想を尽かし、「ヲチャ」は「ヲチャ」で警戒して来ず、誰も来ないかもしれません。リアルの活動で支持を得たのに、リアルをないがしろにしてしっぺ返しを喰うことになる可能性は多分にあると思います。
 しかし、そこから再出発するしかないだろうとも思うのです。

 というわけで、手元に転がっているきづきあきら『ヨイコノミライ』4巻の帯の言葉をもじって、本件のまとめとします。

女の子に、愛されなかった。
ネットに、愛されたかった。

 色々手厳しいことを書いてきましたが、しかし別に小生は書記長と絶交するつもりではありません。小生は異界洋氏ほどは書記長と深く付き合っては居らず、むしろこの一年、書記長のお蔭でリアルでの新しい友人も得、楽しい経験が出来、別段損はしていません。クリスマスのデモを決行するなら勿論最古参ヲチャとして見に行きます。書記長がそういう主義なのだと知っていれば、それはそれでいいのです。齟齬に気付かなかった側にも、責任なしとはいえませんし。
 んー、でもクリスマスデモやったとして、本当に誰も来なかったらどうしよう? その時は小生もトラメガ握って、桑原区政の糾弾演説をする羽目になりそうな(苦笑)

 最後に全く別題ですが、本件に巻き込まれてしまった plummet 氏におかれては大変お疲れ様でした、としか申し上げようがないのですが、拙ブログにリンクしてくださっている記事「コミックマーケット73でも注意が必要か【冬コミ】」に関しましては苦情を一つ。
 小生のブログにカマヤン氏がコメントされ、また異界洋氏もコメントされたことを以ってして、何か陰謀のように指摘されるのは全くの空論です。失礼ながら、ネット上のヲチばかりされていて、「リアル」での人間関係の構築について疎くなられているのではないでしょうか(書記長よか大分マシだとは思いますが)。
 これはただ小生が、十年以上前からのカマヤン作品の愛読者で、コミケに行くたびに氏のサークルに行って新刊を買い、それが重なるにつれてありがたくもカマヤン氏が小生のブログの存在を認知してくださったというだけのことです。その小生が大学で「反白色テロル大連帯」を見つけて面白さに背後関係をちょいと調べ、そして奇しくも古澤書記長に出会ったというわけで、まあ世界は狭い、特にネットの「オタク」界隈なんて本当に狭いタコツボ、村に過ぎない。そういう教訓ではないでしょうか。狭い村でのことを大仰に騒ぐことは、感心しません。

※訂正:タイトル打ち間違えてた。間抜け。
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by bokukoui | 2007-12-15 12:01 | 思い付き | Trackback | Comments(7)

月のはじめに・先日の記事の補足

 今年も残りあと一月となりました。夏以降、小生は極度に活力が低下し、とっくの昔に片付いているはずだったことの多くが今尚山積状態です。このところは、寒さに震えつつも一応回復基調にはあるのかと思いますので、何とか年内には諸事に目処をつけ、正月を迎えられるようにしたいと祈念しております。眠気は相変わらずですが、まあぼちぼち。発疹が相変わらずのと、あと太った気がします。寝てばかりいればそりゃそうか。

 さて、先日の記事に関連しそうな記事を見つけたので備忘に。

シロクマの屑籠(汎適所属)
「超リアルなケータイ小説、超エロいエロゲー、超メイドなメイドさん」

 なるほど、なるほど。「萌え」についてグダグダ延々と書いた拙文より、極めて明快でよく纏まっていると思います(ブログとしては長い方かもしれませんが)。先日の記事で、メイドを参照例として使えないかとは小生も考えたのですが、長くなりそうだったので断念した経緯があるだけに尚一層。
 ただ、ある分野(メイドにせよ、処刑にせよ)についてある程度知った上で、嘘の妄想炸裂を楽しむことはできるし、また実際あることだと思います。別に「事実は事実、妄想は妄想」と完全に割り切るとは限らず、知っているからこそ嘘や妄想もまたより一層味わいをます、そういうこともあるのではないかと(森薫先生の作品群とか)。さらに、深く長くその分野を題材に楽しむには、長期的には事実という情報に投資しておくことも有利であろうとは思います。
 ・・・ま、これは多分に鉄道趣味者的発想ですけど。ミリオタの場合も同様と言いたいけど、どうも妙に「萌え」との相性がいいようなので、そこら辺はまた少し異なるのかもしれません。機会があればまた。
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by bokukoui | 2007-12-01 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(0)

『おしおき娘大全集』雑感~「萌え」はソースかケチャップか

 少し前に MarkWater さんのmixi経由で、こんな本が出ることを知りました。

おしおき娘制作委員会編
 でまあ、以前「将来的には拷問・処刑・虐殺も『萌え』対象となってゆくのではないかと考えております」等と書いた者としては、そしてまた昔電波サークル・原辰徳前監督の企画で美少女ゲーム『SNOW』をやった時に「女の子の処刑方法でどれが萌え度が高いか」などと書いた者としては、やはりこれは触れずばなるまいと思い、所用のついでに買ってきました。今年の夏にはヒロインが主人公の男の首をちょん切ったり、別なヒロインの腹を割いて胎児の有無を確かめるなどというアニメが制作された(が、諸般の事情により放送はされなかった)という事件があったと仄聞しておりますし、小生が冗談半分に書いたことが実現しているのかもしれないと、些かの期待を持って一読しましたので、以下に簡単に感想を述べる次第です。

 まずご参考までに、この本の発行について触れている・或いは感想を書かれているサイトで目についたものを以下に挙げておきます。

・株式会社アットプレス
・A-kiba.comの特別ページ「おしおき娘大全集」
・アキバblog「『おしおき娘大全集』発売 スク水ニーソで絞首刑ほか」
・オタロードblog「歴史上の拷問・刑罰・処刑を萌えイラストで解説した『おしおき娘大全集』 発売」
・Channel Dive「『おしおき娘大全集』発売―・萌えよ!アキバ人ブログ「『いくらドMの俺でもコレは無理。』 『おしおき娘大全集』」
・2ちゃん「【書籍】「おしおき娘大全集」発売―
・オタクの文化水準「『おしおき娘大全集』への疑問」
・ロリコンファル「聖女と卑語と、現実を超えるエロス -古今東西卑語はエロエロ!-」

・エンシェント―brote del frijol―「感想/おしおき娘大全集」
・うそ絵日記vv「今日の気になったこと-11/19 」
・ウソツキハウス(別館)「ストロングスタイル」
・変態観測日記(2007.11.17付)

 とりあえずこんなもんで。

※追記(2009.7.5.):「ロリコンファル」閉鎖に伴い記事はこちらに移転

 さて、本書を読まんと手に取った小生、この手の本を読むときの定番の手法として、まず後ろからめくって参考文献ページを見ました。この本の参考文献は1ページ(かなり細かい文字ですが)、題名の五十音順に並んでいたのですが、先頭が『あずまんが大王』だったので、まずそこで些か腰が砕けました。『賭博黙示録カイジ』とかも載ってるし。
 気を取り直して読むと、結構知ってる本や持ってる本があるなと思いつつ、ちとアレだなと思ったのは、この分野の古典である名和弓雄『拷問刑罰史』が載ってないということでした。いや、「中世ヨーロッパの拷問や刑罰を中心」だからなのかな? その割には石井良助『江戸の刑罰』(中公新書。1964初版で今でも新品が買えるロングセラー)は載ってるけど。
 出端を挫かれつつ本文に取り掛かります。

 ・・・だめだこりゃ。

 これで終わりにしてしまっては流石に手抜きなので、何がどう駄目だと感じたのか、もうちょっと説明します。
 上に挙げたリンク先の、変態観測日記さんが書かれていた「グロ大好きなホンマモン(?)には物足りなくて、この手が一切ダメなヌルい奴には少々厳しいだろうからストライクゾーンは狭いかも?」というご意見に比較的近いのではないかと思いますが、要するに「萌え」と処刑・拷問ネタとを、適当につなぎ合わせてしまったために、焦点のずれた浅いものになってしまったということです。
 資料的価値、という面では本書はさほど使えません。一つの拷問・処刑トピックにつき文章は1ページだけですから、濃くはなりようがないでしょう。また絵の方は、流血皆無でまったくグロ分を抜いたために、拷問や処刑を語る時のときめきやおののきというものがなくなってしまって、そして勿論資料的価値はどれ一枚として全くありません。事実関係についても、ん? と思うところが幾つか散見されますが、どうも本書の編集者は中世と近世の区別がついていないのではないかと思われます。p.140の「中世おしおき事例集」9例のうち、年代が中世なのは2例しかなく、あとの7例はみんな近世です。アンシャン=レジームは中世じゃないですよ。
 しかしまあ、こういった本でそのような些事をつつくことは余り意味がないとは思えます。ネット上の拷問・処刑・猟奇の系統のイラストを発表しておられる方々の作品にしても、事実は踏まえつつもやはりご自分の妄想を前面に押し出して、それが魅力となっておられる、そんな方は幾人もおられます。
 でまあ、本書の場合何が問題かというと、そういう事実の誤りを吹き飛ばして読者の心を鷲掴みにする、そんな力が全然ないからなのです。「萌え」で幾ら糊塗しても、力の無さはどうにも否めないのです。

 以上の小生の見解はしかし、本書の絵師の方々の画業をけなそうという意図は全くありません。そもそもの企画に問題があったと捉えるべきです。
 なぜなら、上掲リンク先上2つにある絵師リンク集を辿って絵師の方々のサイトを瞥見すると、どなたも拷問や処刑ということへのこだわりを持っておられるようには見られないのです。裏サイトとかあるのかもしれませんが・・・しかし18禁画像を展示しているサイトへもリンク集は繋がっていいるので、その可能性は余りなさそうです。唯一サイトを持っておられないほしのふうた氏については、奇しくも小生が唯一マンガ作品を所有している(所有していること認識している)のですが、その作風もまた拷問や処刑といった世界からは程遠いものだったように記憶しています。
 要するに、拷問や処刑に対し思い入れがあるとも必ずしもいえないような絵師の方に描いてもらっているために、面白くないのです。この本は見開きの左側に拷問や刑罰の解説、右側にその絵という構成になっていますが、右側の絵だけ見てこれが何の拷問法や処刑法なのか判別するのが困難な絵すら散見されます。
 であれば、編集部は

・拷問や処刑が大好きな絵師に発注する。
・「萌え」の絵が得意な絵師に、拷問や刑罰について充分な資料提供や絵の内容への注文を行う。

 のいずれかの方策を採るべきだったのではないかと思われます。しかし編集部はそういった配慮を欠いていたものと見えます。特に拷問や処刑への嗜好を持たれない絵師の方に発注しておきながら、編集部がその面で絵師の方々をサポートする努力をしなかった、それはおそらく、編集部も充分な拷問や処刑への思い入れをもった人材を欠いていた、或いはそういった偏った嗜好の持ち主相手の書物を編む際のツボをよく考えなかった、そういうことなんだろうと小生は推測します。
 オタクの好きな「萌え」の範囲がどんどん広がってきている、拷問だの死刑だののグロ分野もオタク(マニア)がいそう、じゃくっつけるか、その程度の発想だたのでしょう。こういう偏った世界のマニアの心情は(おそらく)近年の「萌え」オタクとは必ずしも単純に接続しうるわけではないのではないかと小生は思います。そして、極論すれば近年の「萌え」的な志向の限界を、垣間見せたのではないかとすら思うのです。

 ここで些か話が飛びますが、小生が当ブログ開設間もない頃に書いた記事「『萌え』の魔の手に気をつけろ」を、ありがたくも書いてから一年以上経って引用してくださった方が居られまして。
 MetaNest Annex さんの「オタク踏み絵---あなたはどちらのオタク?」という記事です。で、そちらの記事中で拙文と対比されているのが、モノーキーさんの「オタクに受けたヒロインはユーザーに都合の悪いキャラ / 萌え絵がオタクの水先案内人」という記事の後段でした。その部分を引用しておきます。
 オタクは美少女絵であったらなんでも受け入れられる人種。
 昼ドラは受け入れられないけど、萌え絵テイストにした「君が望む永遠」なら受けるとか。
 美少女絵要素があればどんなジャンルでも食えるのがオタクの強み。
「ハードボイルド+美少女」でニトロプラス作品とかさ。
「歴史モノ+美少女」とかさ、萌え絵があればどんなジャンルでも面白ければ食ってくれる。

 オタクにとって萌え絵ってのは面白さの水先案内人なんだよね。
 他のジャンルでも萌え絵で繋ぐだけでオタクが興味を持ってくれる。

 オタクに新しい可能性を見たり、注目を浴びた原因ってのはそういう部分じゃないのかなと思ったり思わなかったり。
 これを読んで、小生はなるほどそういう見方もあるのかと感心し、ゲームのような創作物ならある程度その説は有効かもしれないと思いました。しかし今回のような、事実に関するマニアックな知識を集積するような場合にもそれが有効かは疑問なしとしません。
 拷問や処刑でも、或いはミリタリーなどでも、これが「萌え」とくっつくことで、描写は事実をベースにしつつ「萌え」の文法に書き換えられます。それを描き(書き)、また読んで理解し楽しむ場合、元の事実を知っていることがある程度必要なのではないかと思うのです。「萌え」の好きなオタクが、「萌え」に惹き付けられてこういったものに手を出しても、果たしてそこから「萌え」を剥ぎ取って、元の事実の集積にまで手を出すということはどれだけあるでしょうか? 無いとはいいませんが、従来の、そういった分野に手を出すに至る経路に比べてより有効とも思えません。むしろそうやって手を出した「萌え」オタクの多くは、「萌え」の目先の新規さを追いかけてあっちこっちへと放浪し、一つの分野を掘り下げるには至らないのではないかと思います。
 なぜ小生がそう思ったのかといえば、この『おしおき娘大全集』をアマゾンで見たとき、「あわせて買いたい」や「この商品を買った人はこんな商品も買っています」は、『らんじぇりー大百科 (萌える大百科)』だの『萌え萌え制服図鑑』だの『ヤンデレ大全』だの『どくそせん』だの、この手の「萌え」+ネタ、的なものばかりであって、モネスティエやK・B・レーダーの書籍が入っているわけではないからです。

 「萌え」の定義って難しいですが、ある対象への好意的思い入れの総称、くらいのことが一応中心的意味だったはずです。ただ、その使われていた世界が、所謂アキハバラ系のオタク方面で、そういった世界で一般的な表現技法と強い結びつきを持つに至ったため、思い入れという心情と共に、表現技法そのものを意味するようになった面もあると思います(「メイド萌え」はメイドへの思い入れですが、「もえたん」は英単語への思い入れとはいいにくそうです)。で、「萌え」という言葉と密接に結びついた表現技法とは、所謂「二次元」の美少女キャラクターと密接な関係を有する表現技法のため、「二次元」の美少女キャラクター的な諸々の意匠≒「萌え」という意味も生じたといえるのではないかと考えます。最近メディアで「萌え」が話題になる場合など、むしろ後段の意味の方が多いのではないでしょうか。
 で、その場合、ある対象に対する思い入れやこだわりという性格が薄くなってしまい、ただ「二次元」の美少女キャラクター的な諸々の意匠や「属性」等への嗜好ばかりが目立ってしまって、そういった「萌え」的意匠のテンプレートにのっかったものを消費している、それだけのことになってしまっているのではないかと思います。

 話がえらく長くなってしまったのでもう続きを書くのが嫌になった纏めますと。
 テンプレート化した表現技法である「萌え」と別の話題を結びつけても、その話題そのものへのこだわりが無ければ結局詰らないのです。そして、既にその話題へのこだわりや知識がある人が「萌え」を使って遊ぶことは比較的容易でも、「萌え」の表現技法で寄ってきた人がその話題へのこだわりを持つようになることはそれほど容易ではないものと思います。
 いわばこの場合の「萌え」とは、ソースやケチャップのようなものなのではないか、小生はそう思います。何でもだばだばソースやケチャップをぶっかけて食べる人の味覚センスが洗練されたものとは思えませんが、同様にどんな分野の話題にも「萌え」をぶっかけて消費している人が、そういった話題に対しこだわりを持っているとは考えにくいわけです。微細な味わいを殺してしまう、ジャンクフード化してしまう、「萌え」にはそういった副作用があるのではないでしょうか。現状の「萌え」の広がりは、ジャンクフードに馴らされた舌の人々が、片端から何にでも「萌え」のソースやケチャップをぶっかけている、そんなことではないかと。

 本書の場合、「イジメられる美少女たちの姿に萌えまくる」と本書の惹句にはありますが、そもそも「イジメ」と「美少女」と、どっちに力点があったのでしょう。拷問や刑罰でなければならない必然性が感じられないのです。ついでにいえば、「美少女」の方も問題があるのではないかと思います。なな菜とのの乃の姉妹喧嘩という設定があっても、拷問や刑罰の絵で、刑吏役や犠牲者役がなな菜やのの乃というわけでもないので(もしかするとそうなのかな? という感じの絵もありますが)。せっかくの設定を生かしてない感がします。
 上に挙げた本書に関するリンク先のご意見について、「オタクの文化水準」さんの「『おしおき娘大全集』への疑問」については、本書の弊害を憂う必要など無い、なぜならば本書にそんな力は無いから、そう思います。「ただのサディスト」にすらなれていないところがむしろ問題かもしれません。また、「ロリコンファル」さんのように「この企画を立てた人は天才」などと持ち上げる価値もありません。「萌え」をなんにでもぶっかける昨今の商業的状況からすれば予想可能なことでしたし、また本書は「間取り(ママ。間口?)の広い」でも「デカダン」でも「ペダンティック」でもありません。それは確かに編集部の能力によるところが大きいですが、縷々述べてきたように、畢竟「萌え」とネタのくっつけとは、その話題へのこだわりを深めるようなものにならないのではないかと思います。

 こだわりなしに「萌え」という表現技法やその方面の意匠とくっつけても面白くはないわけですが、こだわりと「萌え」との関係が希薄化している以上は、そういった傾向は今後も続くでしょう。
 ・・・うーん、まだ処刑ネタで語りたいことはゴマンとありますが、既に矢鱈と長いので、これにて終了。

 なお、小生はトンカツを食べるのにソースをかけず、オムライスを食べるのにケチャップをかけない人間です。
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by bokukoui | 2007-11-24 22:45 | 思い付き | Trackback | Comments(5)

人の噂も百箇日~「アキハバラ解放デモ」を写真と共に振り返る

 ここ二月ばかり体調不良で悶々と寝床の中で大部分の時間を過ごしたものですが、今のところ、ぼちぼち改善に向かっておると思っています。この症状について、さる方から「慢性疲労症候群」ではないかというご指摘を受けたりもし、なるほど思い当たる節もいくらかありますが、ただ対処法はどうもはっきりしないので、結局はできる範囲でなるべく従来どおりやるように戻して行こうと思います。

 さて、そんなこんなで溜まった作業に追われつつ、久しぶりにネットを見た折に山本夜羽音先生のブログを拝見すると、めがねっこファン一同で鯖江に行かれたという記事にぶつかり、表題の「アキハバラ解放デモ」の終了後の夜の飲み会がまざまざと記憶に蘇ってきました。ので、折もちょうどデモから百日の間をおいた今宵に、これまで公開の機会を逸していたデモの夜の写真をアップしてみようかと。
 ・・・と思ったら、ちょうど「アキハバラ解放デモ」の執行委員会が解散とのこと、ちょうどいい折でしたね。七十五日どころか百日経ってしまって、その間色々とあったようですが、これで一区切りというところでしょうか。

 というわけでお蔵出し写真を幾つか。
f0030574_119295.jpg
「アキハバラ解放デモ」後、法政大学前の濠端の公園で打ち上げ

 デモ後の打ち上げ(一次会)の様子です。後ろの工事中の建物は法政大学です。古澤書記長の根城なのでここまで来て打ち上げをした次第。実際はこの三倍くらいの人がいましたが、たまたま写真のフレームに入ったのがこの面子でした。
 主だった方の名を挙げれば、一番左が山本夜羽音先生です。デモの際に使った旗竿は、実は夜羽音先生が持ってきたものだったのだとか。
 一人飛んで右手に缶を持った白いシャツの人物が革萌同の八木書記長、二人飛んで手前のベージュの上着を着た人物が革非同の古澤書記長、一番右がinumushさんです。(他の人についてもどなたか把握はしておりますが、一連の騒動で余り名前の出てこなかった方々ですのでお名前を挙げるのは当面控えておきます)
f0030574_252237.jpg
神楽坂の飲み屋にてデモ後の打ち上げの二次会

 夜も更けて場所を移し、更に呑みます。ここの面子は、左手の後ろを向いているのが古澤書記長、手前の縞のシャツを着ているのが柳橋曹長さん、その奥の妖しげな萌えグッズ(?)の側に座っているのがしゅうちゃ(Syuu-Chan)さん、そして一番右が夜羽音先生です。他の人については一枚目同様の事情です。
 考えてみればデモ主催の「三派」の首脳が一堂に会したのって、これが最後だったのかもしれませんね。
f0030574_2363682.jpg
戦い済んで夜が明けて 疲労困憊して眠る古澤書記長

 徹宵呑んだ後、夜が明けてからの情景。見ての通りです。デモの準備に走り回っていた書記長、流石に徹夜呑みはきつかったようです。
 なお、股間の思わせぶりな白紙は、Syuu-Chanさんが載っけたものです(笑)

 さて、これら写真を手がかりに、思い出したことと今の感慨とを引き続き述べるべきところですが、写真アップだけで充分疲れたので今宵はここでおしまい。続きは明日にでも。
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by bokukoui | 2007-10-09 23:52 | 思い付き | Trackback | Comments(4)

暇じゃないけど備忘・「東京大学オタク物語」向け資料

 引き続き論文作成中につき多忙で、コメント・メールなどの返信も滞りがちで申し訳ありません。その上にちょっとしたお仕事があったり、また明日は読書会で報告をせねばならず(論文にも関る内容なので休むわけに行かず)、なんかまあドタバタしてます。いつも通りですか。

 で、以前同じ様な題名の記事を書いたことがありましたが、今度は何事かと申しますと、こんな忙しい折でもつい読んでしまうラーゲリ氏のブログの記事(氏のブログは毎日チェック)経由で、東大駒場キャンパス構内で『魔法少女リリカルなのは』の女装コスプレをした学生が生協に買物に行く動画、というものを見てしまい思うことしばし。とりあえず備忘として関係リンクを。

  ・問題の動画(ニコニコ動画版)
  ・問題の動画(YouTube版)
  ・中の人のブログ本件に関する記事
  ・中の人のブログもいっこ

 件の動画の感想については基本的にラーゲリ氏のご意見に同意する所存です。以下引用。
 個人的には最後の30秒が一番イタいと思うが、その辺は無難に(引用注:「革非同」の古澤)書記長閣下の面白さは何も伝わっていませんでしたという結論で。
 そういえばこの動画の撮影地はかつての駒場寮のあった土地で、小生が駒場生だった世紀転換期は黒・白・黄色のメットが咲き揃う・・・もとい、全共闘時代来の伝統と格式を誇るノンセクトラジカル・何故か居ついている革マル派・日共系の民青が微妙な対立と連帯の狭間でのたうっていたものでした。寮解体後もしばらく一部勢力がテントで居座っておりましたが、これも昔語り。古澤書記長閣下の面白さが伝わらずともそれもまた怪しむべからず。
 まあ、「オタク」の道は究めれば究めるほど、結局はハタからは面白さが分かりにくくなってくるものです。それにへこたれぬ(分かる側でも分かられる側でも)徒輩だけが先へと進んでいくのです。

 ところで、上に挙げた四つのリンクのうち、最下段のものは「東京大学オタク物語」の参考になる内容を含んでいそうで(いまは時間がなくてざっとしか見ていませんが)、注目されます。今回のパフォーマンスにしたところで、やはり「東大」というファクターは端倪すべからざる重要性を持っていると考えられますし。
 ざっと読んだだけなので誤読があるやも知れませんが、このW/Hさんは「中二病」のまま東大へ行って、その環境に適応するのに苦労されたと書かれていたかと思いますが、こっちにちょっと書いたような環境の中高一貫校出身者は同じ経験を中一(中二より前)でしてしまうんだなあ、と思ったり。ただ、一度そういう経験を経れば、かえって周囲のこれは、という漢と交流することで得るところも大きいと思います。幸い今まで小生は、身辺に「これは」という漢に事欠きませんでした。それが相対的に自らのありようを定める上で計り知れない財産になったと思うのです。(ただそれだけ楽天的に考えられたのは、小生がある種非常に鈍感で怠惰な人間だったから、ということに因るのかもしれませんが)
 そういう環境だから、「スルー力」も皆比較的高かったのだろうと、これは勝手な想像。

 というわけで、W/Hさんの今後の活動に期待。
 個人的期待としては、『なのは』はメジャーすぎるので、『光と水のダフネ』の水樹マイアがいいと思います。もちろん衣裳は"勝負服"で。もしそうなれば、小生も花岡支店長のコスプレで取材に駆けつける所存です。
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by bokukoui | 2007-07-11 23:57 | 思い付き | Trackback | Comments(3)

「アキハバラ解放デモ」関連の現況雑感

 まだ今週一杯は忙しいので大したことは書けませんが、旬を逸する前に。
 当ブログの本件関連記事は以下の通り。
「6・30アキハバラ解放デモ」関連雑感
今日の秋葉原界隈~「6・30アキハバラ解放デモ」見学記
「6・30アキハバラ解放デモ」極私的総括 或いは「井ノ原春陽の憂鬱」
続「アキバ解放デモ」極私的総括 或いは「やらないか(ベルギーを)」

 で、例の「秋葉原解放デモ」、だいぶ話題としては沈静化したようですが、やはり余燼がくすぶっているという感じですかね。
 デモが叩かれている主たる理由は、主催者らしい「革命的非モテ同盟」の古澤書記長は中核派の関係者だ=オタクを政治に利用しおってケシカラン、というものがやはり大きいように思われます。この中核派問題については、既に上掲の拙記事で触れましたが、過剰反応にすぎないとこれまで半年に渡り「革非同」を観察してきた小生は断じます。
 ただまあ、「奴らはオタクなのか? 勝手にオタクの代表者ぶりやがって」という批判もありまして、まあ確かに共産趣味者というのはオタク界隈でもマイナー趣味ですし、そして古澤書記長も軍事の渋いところの濃いマニアだとは思いますが、これも「普通のオタク」からは分かりにくいですから、変に思われても無理からぬところだとは思います。
 「普通のオタク」って語義矛盾のような気もしますが(笑)、オタクの勢力分布図というのはコミケのサークル配置図がおおむね目安と思えばいいでしょう。共産趣味を含む評論系サークルは、個人的にはコミケの華と思いますが、まあ少数派なことは確かです。そこがいいんですけど。

 で、そんな中で、以前もご紹介した「世界の中心で左右をヲチするノケモノ」さんのその後の記事は、流石に単純な古澤書記長=中核派説にはまることなく、「デモ執行部」内の諸構造に目を向けておられました。ただ、plummet 氏もややこしさに若干戸惑われていたくらいで、確かに更なる誤解を呼ぶところもあったと思われます。
 plummet 氏の記事とそのコメント欄での指摘は小生もある程度同意するものです。今回のデモでは、要するにオーナー(古澤書記長)と支配人(Syuu-Chanさん)のごとく役割が分かれていて、しかもその中で統一をしっかり図ろうという考えはあまり無かったのだろうと考えます。当初小生が、それまでの「革非同」のイベントと今回のデモとの間にセンスの違いを感じ、些かの批判を述べたのもそこに起因すると今にして思います。

 ここでその「センスの違い」を考えるに当たっては、政治的なスタンスの違い以上に、「オタク」としての趣味嗜好が異なっていることが重要ではないかと小生は考えます。例えばSyuu-Chan氏がご自身ブログの記事で述べられているエロゲー論の世界と、以前の記事で小生が詳述した古澤書記長のプロイセン偏愛とは、結構実は「オタク」といえど齟齬はあるのではないかと思います。小生がデモ後書記長やSyuu-Chanさん他の方々と呑んでいた折、さる方が近代的組織(近世欧州の軍隊を発祥とし、官僚制・学校・企業など階層構造と責務の分担からなる今日の大規模な組織一般。ちなみに企業で最初にこのような近代的組織に発展したのは鉄道業で、鉄道発祥の地・19世紀英国の大規模鉄道の経営者は元軍人が少なからず見られました。そして鉄道業で経験を積んだ経営者が他の企業の組織の高度化に当たって活躍した事例もあります。例:米シアーズ社)にとことんこだわる書記長を「近代の子」と呼んだのが印象に残っておりますが、これはSyuu-Chanさんの説かれる「幸せな世界」とは違っているように感じられるのです。
 飲み会の時にSyuu-Chanさんとも色々話したのですが、どうも廻っていてしっかり覚えていません。申し訳ない。

 閑話休題、もちろん、齟齬があるが故に共同する価値があるのですが。
 そして、今回のデモにこれだけ尽力されたSyuu-Chanさんが、ご自分が前面に出ないで書記長を担ぐ側に廻った、ということは注目すべきことだろうと思います。やはり向き不向きといいますか、そういうのがあったのでしょう。
 ただ今回は、イベントが当初の予想を大きく上回って大規模になってしまったため、この事態にどう対応するのかというところで「執行部」でも結局まとまりがつかず、対策が後手後手に回って、非常にネット上での評判を落とすことになったと考えられます。

 話があっちこっちに飛んでしまって申し訳ないのですが、中核派だの政治がどうこうだののの陰で、今回のデモの最大の問題にして謎、政治云々も結局はこの事態さえ起きなければあんまり言われなかったんじゃないかと思う問題点があります。これが一番大事だと思うので、やはり蒸し返して(笑)おきます。
 それは、一体どこから450人もデモに集まったのか、ということです。これまでの「革非同」のデモは20人プラスマイナス数人の範囲でした。多少ネットで話題になったり、或いはmixiで『涼宮ハルヒ』ファンの方々が集まったところで、到底それだけで450人になるとも思えません。勿論中核派は一人も送り込んでおりません(苦笑)。大体女性陣はどこから来たのでしょう。レイヤーばかりではなかったと思います。
 空よりや降りけん、土よりや湧きけん。

 結局のところ問題はそこに行き着くと思われます。参加人数が少なければ騒動はここまで大きくはならなかったでしょう。
 主催者の予測を大きく上回った参加者のために、主催者側では混雑整理に手一杯で、どういった人々が参加してきたのか充分に把握できていなかったように思われます。このことがデモの性格をより一層混沌としたものに見せてしまい、爾後のネットの騒ぎをより一層煽ること担ったようにも思われます。
 このデモが政治的に利用されたのだ云々という意見もありますが、これだけ予想外の人数が集まってしまうと、もはやそんなことは何も出来ていませんでした。仮に何がしかの政治的アッピールを考えていた者がいたとしても、その政治的なものがむしろこの人並みに飲み込まれた、乗っ取られたという方が妥当と考えます。
 もっとも、その「乗っ取った」主体が存在しないのが厄介にも面白いところですが。

 この参加者の多さを、「今時デモでこんなに人が集まった! 成功だ」と捉えるのはあまりに楽天的であります。といって「政治的陰謀に乗せられた」とみるのも到底妥当ではありません。騒ぎたいだけの祭りというのは外れてはいないでしょうが、なぜ他の機会や手段ではなく今回の「デモ」に参加した人がこれだけ多かったという理由を全部説明できる訳ではありません。
 ただ一つ、おそらく参加者(含ネット上の発言者)の共通点は、自分がなんらかの形で「オタク」と通称される存在に関連がある、ということでしょう。で、その中でも様々な位相があったわけですしょうが、それはいろいろ参加者の意見を募って検討してみるだけの価値のあることだったと思います。といって、今更この騒ぎの後ではもはや調べようもないでしょうが。
 まあ、結局前に書いたことと同じですが、オタクといっても色々で、「オタク」がこれほど「一般的」になってしまった以上、その中での「中心-周縁」の構造が出来ているのもむべなるかな、という気もします。それに文句を言うつもりは別にないです。自分のやることを変えなければいいだけのこと。今回の教訓は、「共産趣味者はとことん少数派だった」ということで。「アキバ解放」って、「オタクからオタクを解放する」だったりして、なんて、最初に秋葉原に来た時の目的が「マハポ見学」だった者は、やくたいもないことを思うのでした。

 まとまらんついでに苦言を一つ。
 今次のデモの実務をSyuu-Chanさんが大部分されていても、看板が結局古澤書記長であったように、デモの事後の混乱収集が最終的に可能なのは書記長の力だろうと思います。であるのに、デモ公式サイトではご本人による総括はなされず、書記長ご自身のブログでも中核は疑惑について釈明されただけで(コメント欄に対しても現時点で特にレスポンスなし)、言論で後手に廻られてしまったのは宜しくないことだと思います。
 もちろん、通例からすれば古澤書記長はきちんとコメントをされる方だけに、ご多忙の折充分な時間も取れないのかとも思いますが、巧緻よりも拙速を尊ぶべき局面もあるかと。ただそれを言えば、mixi上の個人の記事のコメント欄で明らかに通じていないような議論に無駄な精力を費やしたり、「烏蛇ノート」さん掲示板にまぜっかえしのコメントをつけている暇があるなら、もっと他に古澤書記長の言葉に耳を傾けてくれる可能性の多そうな場所で、より通じる可能性の高い言論活動をなすべきであったと思います。
 まあ、この点に関しては、ヲチャ系ブログ記事の一つ「怒頭流のオッスオッス日記」さんの記事のコメント欄ではきちんとした対応を古澤書記長がされており、漸次改善されていくものと信じたいと思います。なお、上掲リンクの記事は、デモ批判ブログ記事へのリンクが充実していて便利です。またコメント欄にSyuu-Chanさんも登場されており、古澤書記長の対応とあわせ事態の展開を察する上で価値多かろうと思います。ここでかえって古澤書記長の一つの「芸」を見た気がします。

 ダラダラ長いばかりで内容が無いですね。
 でもまだ思うところはいろいろあって、次回に続きそうな気配。「デモ」との直接の関係は薄れますが。
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by bokukoui | 2007-07-09 23:58 | 思い付き | Trackback | Comments(2)

様々な不調と思い違いの日々

 機械は一応回復したようです。しかし論文作業追い込み中にもかかわらずかなり体の方は不調。「アキハバラ解放デモ」の続報も考えないではないですが、そんなことやってる余裕も無く。

 疲労といえば、週刊文春の中吊り広告を見ていて、「坂井泉水を『せんすい』と読んだみのもんたの居眠り度」という見出しがありました。小生はZARDのヴォーカルの方が亡くなられたというワイドショーの報道をたまたまテレビで見たとき、「坂井泉水」の字面をどう読み間違えたのか、「なんで自由律俳句の荻原井泉水が今更話題になるのだ」ととっさに思いました。ので、小生にみのもんた氏を批判する資格は全くありません。
 荻原井泉水は種田山頭火と比べて陰の薄いのが何となく可哀想。種田山頭火は一発変換するのに。

 同じ様な現象が日常茶飯事で困ります。

 漫画の『チューネン娘。』はてっきり地理学の「チューネン圏」のことだとばっかり思っていたのに、全然関係ないことを最近古本屋で知ってがっかりしました。
 現在放映中のアニメ『エル・カザド』のOPを歌っている savage genius のヴォーカルの人の名前が「ああ」なのは、荷風の友人であった井上唖々に由来するのかと思っていましたが、全然そうではなかったようでがっかりしました。
 無闇と自分の願望を外部に投影してはいけないということですね。
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by bokukoui | 2007-07-07 23:58 | 思い付き | Trackback | Comments(2)

「6・30アキハバラ解放デモ」関連雑感

 資料類の整理もだいぶ進んで、この分なら土曜日の「6・30アキハバラ解放デモ」は見に行けるかな、というか、どっちにせよ自分も秋葉原方面に用事があるので行ってこようかなという感じです。
 しかしまあ、ちょっとその前に思うところをチラシの裏的に若干。

・関連リンク
 「6・30アキハバラ解放デモ」公式サイト
 「6・30アキハバラ解放デモを企画した経緯」公式ブログ記事
 「アキハバラを占拠せよ!」オーマイニュース(古澤書記長のご尊顔が)
 「第二の『花オフ』となるのか、それとも」世界の中心で左右をヲチするノケモノ

 そもそも小生は民青系団体・反白色テロル大連帯元ヲチャ(笑)として、その精神を受け継いだ?「革命的非モテ同盟」の活動をそれなりに楽しく見学してきていたわけですが、「ホワイトデー爆砕デモ」を3ヶ月ばかり前に見に行ってレポートを書いたの後、この方面の話題をあんまり書いてきていませんでした。それは、「非モテ」というお題に関して、ネット上で議論が活発な方面と小生がそれについて関心を持った角度とのずれを感じたからです。敢えて言えば「非モテ」というお題の議論はその議論をすること自体に内容よりも意味があるのではないかという感を抱いたため、関心が低下したというところがあります。
 また、「ホワイトデー爆砕デモ」のレポートの末尾に「革非同」で起きた出来事について些か個人的に思うところを述べたところ、若干のゴタゴタが発生し、それ自体は結果的に大したことにはならなかったのですが、当ブログに苦情をつけてこられた方のその後のご様子を伺うに、非常に複雑な思いを抱かずにはいられなかったのです(情報があやふやで、また個人の微妙な問題に関るので、奥歯に物の挟まったような表現であることをご寛恕ください)。
 抱いた思いを簡単に述べれば、「オタク」「二次元」趣味では救われなかったんだなあということです。「オタク」的な生き方というのは、ある種の人々にとって気の世の中を生き易くするための方策であると考えられますが、この方策で「生き易く」なる状況を安定継続させるのにはそれはそれで方向は違えど努力は必要で、メリットも多々ありますがリスクや失われるものも当然あるわけです。万能の解決策じゃありません(というか、むしろかなり特異な方法です)。その辺の付き合い方が難しいのだろうと思います。
 で、以下に小生が思う「オタク」的生き方の安定継続に資する方向性を述べつつ、今回の「6・30アキハバラ解放デモ」について現時点で思うことを簡単に。

 まず最初に、公式サイトの惹句、
あらゆるアキバ系のオタク諸君!エロゲーマーもアニメファンも、鉄オタも軍事ヲタも、VIPPERも共産趣味者も、日本人も外国人も宇宙人もみんな集まれ!もはや時代は好きに生きるか、それとも縛られて生きるかを選択する時だ!
 を一読して、「鉄道趣味者や軍事マニアを安易に『アキバ系のオタク』と並べないで欲しい」と思わずにはいられなかったわけで、「オタク」という名のもとに「秋葉原的なもの」による帝国主義的言動を批判したいとまずは思います(笑)。
 でまあ、もうちょっと真面目に思うところを述べますと、阿呆なことを堂々とやって楽しむというパフォーマンスがこれまでの「革非同」の面白さだったと小生は思うのですが、どうもなんだか今までよりも「真面目」的な印象を文面から受けてしまいます。これは「ホワイトデー粉砕デモ」レポの末尾に敢えて書いたこととも共通するのですが、あくまで政治的要求を掲げること自体が遊びなわけで、あんまり真剣になられてもそれは返って逆効果になってしまうんではないかと。
 で、今までの「革非同」のイベントは、クリスマスとかヴァレンタインデートかホワイトデーとか、普通デモやって批判するなんてことをしないものを対象に敢えてデモをやるということで、パフォーマンスとして面白く芸になっているわけで、しかも可笑しがらせることで(うまく行けば)より多くの人に何がしかの印象を残すことが可能だったと思います。
 それが、今回のデモはその点パフォーマンスの芸としての焦点が(「クリスマス」みたいな具体的な目標がない分)ボケてしまっているというか、「内向き」度が高いというか、そういうところがちょっと心配です。「サウンドデモ」という形式にしても。

 このような点が、上の関連リンクに挙げた「世界の中心で左右をヲチするノケモノ」さんの記事「第二の『花オフ』となるのか、それとも」で、いろいろと政治的背景(中核派との繫がりなど)について勘繰られる原因ともなっているのだろうと思います。面白イベントと見做すにはちょっと、と引っ掛かる点を生んでしまっていると。
 小生の個人的見解では、これが過激派が関与していると見做すのは勘繰りすぎだろうと思います。関係者について中核派との関わりよりももっと重要なファクターがあるというのが今まで見てきた小生の印象です。ただ、小生は「革非同」はともかく他の2団体についてはよく存じませんし、三派聯合となったことで今までと違った傾向が生まれるのかもしれません。
 まあ、「6・30アキハバラ解放デモ」公式ブログの「6・30アキハバラ解放デモを企画した経緯」を読む限りでは、そういった心配は杞憂だろうと思いますが。ただ今までのこのデモの宣伝手法が、こういった印象を与えやすいのは否めません(この公式ブログは複数の筆者によって書かれており、その間で「遊び」なのか「政治活動」なのか、多少スタンスの違いがあるように見受けられます)。

 で、最後に勝手な感想を一つ述べさせていただきます。
 「オタク」が集まって何がしかのイベントを開催すること自体は一向に構わないと思いますが、「オタク」だの「マニア」だのは、まず何よりも個人的な活動ではないかと思います。人と交流することよりも何かを追求することを選んでいるわけで。人と話題を合わせるよりも、自分の世界を築き上げてこそ、と思います。
 例えば鉄道趣味者や軍事マニアのように、実態ある物についての情報集積がメインの場合は、比較的「オタク」相互の話はしやすかろうと思います。「アキバ系」でも、評論活動とかならばまだ話はしやすいでしょう。ですが、そういった情報や表現物に刺激されて自分の中に築き上げてきた妄想のセカイとなりますと、自分以外の人間にとって面白いかどうか、そもそも理解できるのかということさえ埒外になってくるのではないかと思います。自分にとってかけがえなく耽溺した妄想だからこそ、他人に話せるものでもなくなってくるというわけで。
 もちろん、そういった妄想を作品として結晶させて世に問うということもあろうかとは思いますが、その際には世に通じるように表現を推敲することが必要なのではないかと思うのです。
 つまり、「オタク」「マニア」は個人的な活動が根底にあるから、時には集まって盛り上がるのもいいけれど、まず何よりも日々の個人的活動があってこそ、しかもそれは人に話せるようなものでないのではないか、ということです。小生が「萌え」という表現をあまり好まぬのは、そういった他者に通じさせることが困難な自分の妄想を、「萌え」のテンプレートに当てはめることで簡単に他人と共有化したような気分になって盛り上がってしまうからです。共有化できないようなものだから自分にとって価値が大きいのではないかと。ある話題を共有して共感を得るというコミュニケーションがしたいのなら、それこそ「モテる」努力とかした方が合理的ではないかと思ってしまいます。
 そう思いますので、以前にも「団結」より「拡散と浸透」がいいんじゃないかと書いた次第でして。

 てなわけで、デモのついでにここに行ってみるのもいいのではないかと思います。ちょうど今やっているというのも何かの縁でしょう。

原美術館「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語―夢の楽園」

 ヘンリー・ダーガーについてはタマ兄ぃの『戦闘美少女の精神分析』でもお読み下さい(文庫化したそうで)。小生も今仕掛けている論文作業が終わったら見に行きたいと思います。
 展示期間は7月16日(海の日・月)まで。

追記:デモ後の関連記事は以下の通り。
今日の秋葉原界隈~「6・30アキハバラ解放デモ」見学記
「6・30アキハバラ解放デモ」極私的総括 或いは「井ノ原春陽の憂鬱」
続「アキバ解放デモ」極私的総括 或いは「やらないか(ベルギーを)」
「アキハバラ解放デモ」関連の現況雑感
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by bokukoui | 2007-06-28 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(6)