カテゴリ:書物( 63 )

巖松堂閉店セール@神保町 附:『英国メイドの世界』記事など完成

 急に空元気を出して記事を書きかけたら、やっぱり体力不足なのか寝落ちしてしまいましたが、書きかけのまま記事を放置していつまで経っても完成しないのが通例の当ブログといえど、日付にこだわった筈の昨日付の記事「久我真樹『英国メイドの世界』発売を祝し11月11日付けで一筆」がいつまでも未完なのは不都合の極みなので、今夕完成させておきました。例によってまとまってませんが。また、更にその一個前の記事「今日の東急デハ5001号の状況(61) 附:怪しい噂話」も未完成のままというわけにも行かないので、やはり更新しておきましたので、ご関心のある方はどうぞ。

 それはそれとして、昨日付の記事の中で神保町のことを書き、また「積ん読」本の話を書いて、これこそ期間限定の極みの話題だったと思い出しましたので以下に一筆。
 神保町の靖国通りに面した、昔からある(名前は戦前以来らしい)古書店・巖松堂が、今月21日限りで閉店するそうです。
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今月21日で閉店する巖松堂

 しょっちゅう前を通った(中にはそれほど頻繁に入ったわけではありませんが・・・)ので、何とも寂しいことですが、そんなわけで閉店セール中です。
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閉店セールの告知

 なんでもかんでも300円という、閉店でなければないようなセールです。同書店は文学・歴史・法律・経済と一通り揃っております。小生は先日大学の帰りにたまたま通って気がつき、翌日大きな鞄を携えて一通り漁ってきました。とはいえまだそれなりに残っているので、ご関心のある方はお別れがてらいかがでしょうか。尾崎愕堂全集全12巻が正札2万5000円でしたので、半額ならほぼ一冊1000円です>鮭缶大総統

 それにしても、小生が神保町を知った頃からでも、少しづつ古くからあった店は減っているような気がします。東京の他の地域に比べれば変化は緩やかな方だと思いますが、時の流れとはいえ、ネットの発達で古書店経営は難しくなっているのでしょうか。

(以下余談)
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by bokukoui | 2010-11-12 23:48 | 書物

雑感 COMICリュウ編集部編『非実在青少年読本』(徳間書店)


COMICリュウ編集部編
 最近話題になっている東京都青少年健全育成条例の改正問題、「非実在青少年」と称してマンガなどの表現を不当に取り締まる恐れのある条文が提案された件(本件については当ブログの過去記事でもいくつか紹介しました)に関して、先日当ブログでも報じましたが、左のような書物が徳間書店の『月刊COMICリュウ』編集部によって編まれました。小生は以前より『リュウ』誌を愛読しており、また青少年健全育成条例などの問題にも多少の関心を持っている者としては、やはり本書は手元に置かねばと思い、先月31日の発売日に入手しました。
 で、同書を一読しましたので、以下に簡単な感想を述べておきます。なお、今検索した時点では、他に同書の感想はまだ上がっていないようですが、サイト「天使行路」さんが編集部に同書について問い合わせをされた記事「非実在青少年読本の版元に聞いてみました」がアップされております。参考になるところの多い記事ですので、リンクしてご関心のある方の参照を乞う次第です。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2010-06-02 13:50 | 書物

松田裕之『ドレスを着た電信士 マ・カイリー』略感

 所用に追いまくられたりくたばって寝たりしていて、あんまり本を読んだり、その話をここに書いたりも思うに任せぬのですが、繰り言ばかりも何ですし、今日は頗る面白く、とっても読みやすい本をご紹介。



松田裕之
 本書は、アイルランド系でテキサス出身の女性電信士、マ・カイリーことマッティ・コリンズ・クーン(1880~1971、カイリーは一時結婚していた相手の姓)の伝記を柱に、著者がIT革命の元祖と位置づける電信の歴史(アメリカ限定ですが)を紹介し、19世紀後半から20世紀前半の電信と鉄道の時代のアメリカを描くと同時に、女性と労働のあり方にも話は及んでいます。本書の目次を以下に挙げておきます。なお本書は、振り仮名の使い方にいささかの特徴があるので、必要に応じて振り仮名を括弧でくくって後ろに書いておきます。

まえがき

第I部 女性電信士(テレグラファー)誕生~歴史(ヒストリー)が忘れた物語(ストーリー)
 電信アメリカをめぐる
 電信士はジェンダー・フリー
 鉄道がもたらす自由な天地

第II部 『バグ電鍵と私(バグ・アンド・アイ)』を読む~タフレディの奮戦記
 結婚生活の破綻「あたしゃ奴隷みたいなものだった」
 電信技能の習得「自分と子どもが生きていくために」
 辺鄙な停車場での日常「あんたが50フィートもある化け物に見えたよ」
 一級電信士への道のり険し「あたしゃこれっぽっちの金じゃあ働かない」
 誇りを守るための労働運動「争議中につき電信はいっさいお断り」
 電線でむすぶ絆「そのひととは電信で知り合った」
 放浪のはてにつかんだもの「自分のキャリアに一片の悔いもないね」

第III部 電信の時代と女性たち~IT革命の裏面史
 荒野のバラと電鍵
 失われた女性の声を求めて
 《マ・カイリー》からのメッセージ

あとがき


 小生が本書を知ったのは、速水螺旋人先生のブログで絶賛されていたためですが、同様の経緯を経て本書に辿り着いた人も多いらしいのは、アマゾンで本書と一緒に買われた本や「この商品を買った人はこんな商品も買っています」を見れば明らかです。
 ぱっと検索して見つけた他のネット上の書評も挙げておきます。

日経コンピュータ「ドレスを着た電信士 マ・カイリー」(selfup)
真道哲「『ドレスを着た通信士 マ・カイリー』の感想」(JanJan 今週の本棚)
Fukuma's Daily Record「書評:ドレスを着た通信士 マ・カイリー」

 上に挙げた書評記事のうち下二つの表題が「電信士」でなく「通信士」になっているのは原文のママです。なるほど、電信士の時代は遠くなりにけり。

 で、本書は速水先生が書かれているように滅法面白い本です。男尊女卑の厳しかった時代(19世紀の欧米文化の男女差別は、それ以前の時代と比べても厳しかったといわれます)、身につけた電信技術によって渡り歩いてゆくマ・カイリーの人生は、19世紀のヴィクトリアンな価値観とは全く逆の、男とも対等に渡り合う誇りと強さに満ちています。この時代のアメリカで、電信技術によって身を立てた女性は決して少なくなかったのでした。
 同時に、電信と鉄道によって結びつけられていた時代のアメリカ西部(カナダとメキシコ含む)の様子も、いろいろとうかがい知ることが出来ます。当時は鉄道の運行に電信が必須で、そのため駅毎に電信局が設けられていて、電信の技倆を身につけた者は鉄道伝いに新たな職場を求めて渡り歩いていたのでした。いわば近代の職人であり、それだけに職人同士の連帯も強かったのですが、その内部でも男女平等とはいきません。そこでマ・カイリーの毅然とした生き方が光ってきます。

 速水先生は本書から、「他の作品で使いたくなるネタ」をいろいろ見出されたようですが、アメリカの鉄道好きとしては是非、このような世界を速水先生に漫画化していただきたいところです。所謂「西部劇」と違って、電信と鉄道というテクノロジーがキーとなるだけに、余人ではなかなかネタにしづらいでしょうし。
 営業上の理由から、女性電信士だけでは華やかさ、有り体に言えば「萌え」が足りないと編集部が文句を言えば、ここはアメリカ大陸横断鉄道だけに、駅のレストランのウェイトレス=ハーヴェイ・ガールズを足せば美少女成分(メイド服)も充足、ヒット間違い無しです(笑)。しかし見方を変えれば、西部における女性電信士とウェイトレスって、まさに女性の労働におけるキャリア志向と腰掛け寿退社志向の対立そのまんまですね。ここをうまく盛り込めば、広く一般の鑑賞に堪える作品にも化けられます。

 それはさておき、小生のような鉄道趣味者にとっては、鉄道と電信の密接な関係を確認できたことは大いに収穫でした。マ・カイリーの自伝自体、アメリカの鉄道趣味誌上に連載されたものだったとか。
 上にも書きましたが、鉄道の運行管理には電信が必須でしたので、駅毎に電信局が置かれていましたが、同時にいわゆる商用の電報を扱う電信局、日本なら電電公社のような電信会社も存在しました。既に発展した都市部では電信会社の電信局が商用電報を扱い、一方地方では鉄道の駅の電信局が運行管理の片手間に商用電報も扱っていたようです。
 電信士もこれに応じて、電信会社に所属して比較的一カ所で長期に務める人(本書では「守宮(ホームガード)」と書いています)と、鉄道会社の駅の電信局を渡り歩く人(同じく「流れ者(ブーマー)」)とに分かれていたそうで、マ・カイリーは後者でした。もちろん個々の電信士が時に守宮となり時に流れ者となることもあるわけですが、同じ電信士でも両者の間には対立があり、労働組合も別だったりしたそうです。マ・カイリーが属していたのは鉄道電信士友愛組合(オーダー・オブ・レイルロード・テレグラファーズ、ORT)でした。

 組合の話が出てきたのでちょっと脇道に逸れますが、本書で著者の松田氏は、電信士をドットとダッシュのデジタルな信号によって情報を扱う、IT技術者の先駆的存在と位置づけています。なるほどネットワークを巧みに利用して情報交換を行っている、時には電信士同士がネットならぬワイヤー上で知り合って結婚に至るなど、現在のIT技術者の先駆と思わせる面白い事例には事欠きません。
 ですが、小生が本書を読んで思うには、電信士によって組合の存在はかなり大きいもののようで、マ・カイリーもそれに助けられて仕事を得たり、怪我の治療費を得たりしています。一方ではストライキに参加して電報の送信を断って解雇されたこともありました。業界を横断する大規模な組合が存在し、時にストも辞さないところは、現代のIT技術者とのかなり大きな違いのように思われます。何故そのような差異が出来たのかは、小生のよく知るところではありませんが。
 ちなみに先ほど、電信士とウェイトレスを労働者の二極に見立てましたが、本書の第III部では、女性作家のローズ・ワイルダー・レイン(『大草原の小さな家』原作者のローラ・インガルス・ワイルダーの娘。ローラは娘の勧めで『小さな家』シリーズを書いた)を取り上げ、マ・カイリーと対比させています。ローズも電信士をしていましたが、組合の闘争には距離を置き、それによって会社で一定の出世をすると、電信士を辞めてジャーナリストに転じています。電信一筋のいわば職人肌技術者と、業界にこだわらないキャリア志向。これもまた面白いところです。
 
 話を戻して、鉄道と電信がこのように密接に関係しているため、電信士は鉄道の無賃乗車証を手に入れることができ、そのため鉄道に乗って新たな職場を探しに行くことも出来たのでした。
 で、日本ではこのような現象はなかったと思いますし、そもそも女性の電信士がいたかどうか寡聞にして存じません(電話交換手は有名ですが)。※追記:日本の逓信省にも女性の電信士はいたそうです。何で日本ではそうならなかったのかと考えれば、やはり明治以来電信が官営で、それこそ“軍事警察機構”の一端を担っていた、からなんでしょうか。日本では鉄道も明治末年には国有化されて、全国的な国鉄(帝国鉄道庁→鉄道院→鉄道省)となっており、国鉄は国鉄で独自の電信電話網を持ち、郵便局の電信とは全く別個となっていたと思います。
 余談ですが、しかし日本の私鉄では似たような話があって、日本の電鉄会社の多くは戦前電力供給業を兼業していた(電力会社が電車も動かしていた)ため、電鉄と電力の労働者同志は「電気事業」ということでお互いに連帯感を持っていました。そのため電鉄の労働者は電力会社の労働者と家族をタダで電車に乗せてやる代わりに、電力労働者は電鉄労働者の家の電灯代を半額に負けてやっていたそうです。これを止めさせたのが、阪急社長から関西電力初代社長に転じた太田垣士郎でした。

 閑話休題、このように国営では電信士の組合も出来ず、どこ行っても国営なのですから流れていく先もなく、マ・カイリーのような話は日本では生まれくかった・・・いや、鉄道でも満州に流れるケースがあったので、植民地まで広げれば似た例はあり得るかな?
 で、どうも台湾に行った電信士の話を扱った本があったような、どっか目録で見たような気がしたのですが、先日某所で偶然見つけました。それはこんな本です。

『通信技手の歩いた近代』
 オチはお分かりと思いますが、この本を書かれたのも、本書と同じ松田裕之氏でした。
 で、ぱらぱらとめくってみたところ、なるほどこの本も『マ・カイリー』と似ている、何が似ているといって著者のノリの良さ(笑)です。『マ・カイリー』は、既に上で「守宮(ホームガード)」や「流れ者(ブーマー)」のような、英語の俗語をうまく訳して振り仮名に原語をつけるという、特徴ある振り仮名の使い方をしていますが、それだけでなく、振り仮名をいろいろ遊び心ある使い方をしています。
 例を挙げれば、「新米(かけだし)」「相棒(パートナー)」「将来(これから)」「高等技能(かみわざ)」「閑話休題(それはさておき)」「筆者(わたし)」等々。これが、マ・カイリーの自伝の、如何にも姉御肌を連想させる語り口の翻訳と相俟って、本書を読む読者に躍動感を与えています。小生は、これはてっきりマ・カイリーの自伝に合わせたものと思っていましたが、『通信技手の歩いた近代』もまた同様のようでした。松田氏のセンスだったようで、だとすればマ・カイリーの自伝も実に幸福なことに、まこと適任の方を訳者・紹介者として得ることができたのだなあと思います。
 『通信技手の歩いた近代』も買って読みたいところでしたが、見つけた某所は書店ではなく、持ち合わせもなかったので、残念ながらまだ手に入れていません。そのうちに、と思っています。最近逓信省のこともにわか勉強中で、電信のことももうちょっと知らねば、というところです。

 以上長くなりましたが、本書は読みやすく小説のように面白く、それでいて様々な読者にいろいろな角度で興味を惹くであろう豊かさを持っています。小説顔負けに面白くて、しかし研究者の著作なので、文献目録や索引まできちんとついているのが有り難い限りです。
 ただ、附属の地図はあまりにも雑駁で、中学校の地図帳みたいです。本書中に数多く登場する、マ・カイリーが勤めた鉄道会社の簡単な路線図くらい載せられればよかったのに、と残念に思われます。あと本書143頁で、引退したマ・カイリーが年金を貰う際、勤務した記録が消滅して「消えた年金記録」状態になっていた鉄道会社があったことが述べられていますが、そこで「シカゴ・ミルウォーキー鉄道、セントポール・アンド・パシフィック鉄道」とあるのは、シカゴ・ミルウォーキー・セントポール・アンド・パシフィック鉄道(通称:ミルウォーキー鉄道)の一社の名前の誤植と思います。同社はマ・カイリーの生きていた時代だけでも、三、四度は破産していたと思うので、勤務記録も消滅しちゃったんでしょうか。

 記事の完成が大幅に遅れ、読者の皆様には大変失礼しましたことをお詫び申し上げます。
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by bokukoui | 2010-03-18 23:59 | 書物

近況・資料本購入状況&【捜してます】大和田悌二『神性の発掘』

 当ブログもずいぶん間が開きましたが、先月の僅かな記事の中でも愚痴っていたように、不調を極めていたことと所用が重なったこと、さらに機器のトラブルにも見舞われたこと、などの悪条件が重なっておりましたためでした。
 これら悪条件が今になって緩和されたかというと疑問で、健康上の問題には消化器の不調と目の腫れを加え、さらに寝ぼけていたのか食事中に舌を思いっきり噛み、ところが所用は相変わらず重なっているし睡眠は変だし、などの悪条件のせいか傷がいっかな治りません。そのため飲食には差し障るし喋りにくいし矢鱈と唾液を分泌して気持ち悪いしとQOLの低下が著しい今日この頃です。
 ですがまあ、今月に入って少しは復調したのも事実で、論文の作業などを進めておりました。で、以前の仕事で多少金が入ったので、資料となる本をいろいろと買い込みましたが、これは研究の一助であると同時に、幾分か以上に買い物による楽しみ、ストレス発散の側面があったことは否定できません。そんなこんなでここしばらくに買った本はこんな感じです。
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 とまあ、電気事業史関係の本が多いわけですが。大体は、割と値段がお手頃でした。特に『中部地方電気事業史』A4上下巻箱入り美品で3000円といくらかというのはお値打ち。もっとも欲しいのは『関西地方電気事業史』と『関東の電気事業と東京電力』の方であって、中部は個人的には割とどうでもいいのですが(苦笑)、つい買ってしまいました。
 ですが、今回買った中で一番の収穫は、上掲写真右端の吉田啓『電力管理案の側面史』交通経済社出版部(1938)でした。この本は1938年の第1次電力国家管理実現に至る過程を詳細に書いており、小生が史料と付き合わせてみた感想では、当事者によく取材しているようで、面白いし資料としても有り難い一冊です。ただ、小生が買ったこの本は背表紙が本体から外れかかっていて、古本としては問題ありなのですが、その代わり表見返しにこんなタグが張ってありました。
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 なんと、逓信省の蔵書でした。どういう次第で流出したのか、やはり鉄道省と合併した時だったのか? 自分が調べている、電力国家管理を推し進めた逓信官僚の当人たちが手に取ったかも知れないと思うと感慨も一入・・・いや、そういう人たちには「著者献呈」でしょうかね。

 というわけで、当ブログの京成百周年企画などでも紹介しました逓信官僚・大和田悌二のことなどを現在調べているもので、関係する書籍を集めています。
 上に挙げた写真の本のうち、清水啓『アルミニウム外史』カロス出版(2002)は、ネットで「大和田悌二」で検索して引っかかったものです。どうもその名を冠した節があるらしい。アルミは電気と関係深いですからね。そこで一応確認しておこうと思い、まあうちの大学の工学部なら、どっかでアルミの冶金を研究してる研究室くらいあるだろうから所蔵があるだろう、と思ったらなし。では、と国会図書館を探してもなし。どうも版元のカロス出版は、アルミニウム関係に特化した出版社らしく(鉄のアグネ出版と同じようなものでしょうか)、おまけに流通ルートも特殊らしいです。
 では仕方ない、というわけで買ってしまいました。まあ2500円くらいなら・・・え、上下二巻なの? まあ片一方だけ買うという法はないわな。揃えて注文。かくて5000円散財となりまして・・・一読・・・読みづらい。専門性が高すぎて判らないというより、全体の構成が可成り錯綜しているからです。やはり、「アルミニウム正史」を知ってから読むべき本ではあったようで。ちなみに大和田の話はあんまりありませんでした。

 で、やっとこさ表題の後半の話になります。
 大和田本人の著作も小生は勿論集められればと考えておりまして、戦前には『電力国家管理論集』、戦後には『電力国管の裏話し』などがあります。これらは図書館で既に閲覧しましたし、ネットの古書店のキャッシュにもあったので、手に入れる機会もありそうです。
 ところで、大和田の日記を読んでいると、講演など行ったことを記した日の記述に、あとから「神性の発掘〇〇頁に収む」などと書き足している箇所がいくつも見つかります。どうやら、大和田は『神性の発掘』という本を出しているものと考えられます。ページ数からするとそれなりの厚みのあるもののようです。
 しかし、この『神性の発掘』、どこの図書館にも所蔵が見当たりません。ネットで検索しても何も出てきません。もしかすると私家版で身内にしか配らなかったのでしょうか。現時点のところでは不明です。
 どなたか発見された方がおられましたら、是非とも小生までご一報下さいますようお願い申し上げます。何卒。

 ちなみに「神性の発掘」とは、大和田曰く、神国である日本ではあらゆるものに神性があり、その神性を発掘活用することが日本人の務めである、ということのようです。これが、水の神性を発揮しなければならない→そのためには大規模な水力発電を行わなければならない→だから電力事業は国家管理すべきである、という論理に繋がっていくようです。
 小生些か思うのは、神性が宿るというのは八百万の神の国として自然な発想といえばいえますが、だからそれを活用しなければならない、となるのは日本の伝統的な自然観よりむしろ西洋的価値観に近いんじゃないかな、という気がします。もっとも、日本神話と西洋思想のこのようなアマルガムこそが、明治生まれの統制官僚らしい思想形成ではないか、とも思え、思想的一貫性で批判するのは必ずしも建設的ではないと思う次第です。
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by bokukoui | 2009-10-11 23:49 | 書物

高橋竹山『津軽三味線ひとり旅』を読んで余計なことばかり考える

 今月は何度かナヲコ先生の作品の展開について記事を書きましたが、最新のナヲコ先生のサイト情報に拠りますと、挿絵のお仕事の本が出たそうです。

f0030574_0151839.jpg早見裕司 作/ナヲコ 画

 表紙とか題名だけ見るとライトノベルそのものという感じですが、理論社といえばフォア文庫の一角を担っているくらいで、そこが出すからには「児童書」なのだそうです。ナヲコ先生も児童書の挿絵とは、実にお仕事の幅が広がって喜ばしきことかなと思うのですが、しかしどうして児童書に描くことになったのか、それは興味深くもあります。
 ところで、文章の方を書いている人の名前はさっぱり見覚えがなかったのですが、検索してみたところライトノベルというかジュヴナイルというか、そっちで多くの実績のある方のようでした。してみると、狭義の「児童書」を出していたところも、昨今の時勢に応じてライトノベル的な方向へ寄って行っているということなのでしょうか。
 今月発売の百合アンソロジー『つぼみ』に載る予定だったナヲコ先生の作品は3ヶ月延期のやむなきに至った模様ですが、このような形でナヲコ先生の新作が見られるのでしたら、それはそれで有難いことです。もっとも3ヶ月といえば、今月19日発売の『月刊COMICリュウ』でも3ヶ月続けて「なずなのねいろ」はお休みだったりするわけで、そろそろこちらの再開の方も気になって来ます。
 ので、実はここまでは枕であって、以下に津軽三味線を奏でる少女・なずなを主人公(伊賀君が主人公だったっけ? あれ?)にした「なずなのねいろ」の、連載再開までの暇潰し的話題を以下に。


 小生は大体に於いて極めて偏った知識の持ち主ですが、芸能・芸術方面は特に疎く、その中でも更に音楽についてはろくすっぽ知識がありません。それは小生が稀に見る音痴であるということも大きく影響しておろうかと思います。現在在籍している大学院の研究室が、飲み会こそ好きでもカラオケに行くことがあまりない、稀に行っても軍歌を流しては背景画像の兵器の鑑定ばかりしている(さすがにその部屋から女子学生は姿を消しましたが・・・)、そんな所だったのは勿怪の幸いというべきでした。
 というわけで、小生は三味線のこともちっとも知識がなかったのですが、「なずなのねいろ」連載開始後暫くして、古書店の(確か)安売りの棚で以下の本を見つけ、これはなにがしか津軽三味線についての知識を与えてくれるのではないかと思って買い込んだのでした。

高橋竹山『津軽三味線ひとり旅』(中公文庫)

 三味線や民謡にまるで教養のない小生でしたので、高橋竹山という名前も全く知りませんでした。
 高橋竹山(1910~98)は青森県の東津軽郡に生まれ、幼児に麻疹で半ば失明(後完全に失明)、三味線を習って、門付け芸人として東北や北海道を回って生計を立てていたそうです。戦後になって津軽民謡の名人・成田雲竹の伴奏者となって竹山の名を貰い、次第に三味線奏者としての評価を得、ついにはその名は全国に、更には世界に知られるにいたったのでした。まあ詳しくはリンク先のウィキペディアでも読んで下さい。
 本書は1975年に出された高橋竹山の自伝です(正確には竹山が語った言葉を佐藤貞樹という人が書き留めた聞き書き)。これを元に映画化もされたんだとか。小生が買ったのは1991年の文庫版です。
 で、この本は大変に面白い本なのです。それはもう。面白さに魅せられた人は既に大勢おられまして、ネット上でも力のこもった感想を幾つも拾うことが出来ます。目に付いたものを幾つか以下に挙げてみましょう。

松岡正剛の千夜千冊 第八百八十四夜
マーレルソサエティの読書
BOOKS昭和堂「それ、読みたい!」 追記:サイト消滅につき web archve へリンク
誰か昭和を想わざる「風雪ながれ旅」 追記:サイト消滅につき web archve へリンク

 一番下は本書の感想というより演歌を巡るエピソードですが、本書の影響を知る上では大変ありがたい情報です。
 三味線奏者としての竹山については、それを語る資格も能力も教養も欠如している小生としては、芸についての本書の記述を云々することは出来ません。竹山も「耳がわるい人はまちがっても、それがいい音だと思っている」(p.177)と言ってるし。にもかかわらず小生が本書を頗る面白いと思ったのは、その史料としての価値なのです。本書は、なかなかその生活を後世に伝えることのない、盲目の門付け芸人の生活を一端なりとも教えてくれる点で、まことに珍しいものと思います。しかも竹山の観察は鋭く、記憶も値段などの細部に及んでおり、この人本当に目が見えなかったのか? と思うほどです。
 以下、もうちょっと具体的に見ていきましょう。

(引用が長いので続きは以下に)
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by bokukoui | 2009-02-21 21:41 | 書物

大学出版局2割引セール

 このところ当ブログで紹介した書物、『日本の軍事革命』『西日本鉄道百年史』『鉄道の地理学』・『交通地理学の方法と展開』は、実はすべていろいろな事情があっていただいた本で、さてこそ恩義に一端なりとも報いるべく、ブログ上に記事を物した次第でした。宣伝になったかは微妙ですが・・・。
 しかし、もらってばかりというわけには参りません。そこで今日は買った話。

 昨日、大学の書籍部に久しぶりに行ってみたところ、来月5日まで「~大学出版会(出版局)」の出した書物は2割引という、結構なセールをやっておりました。同じ期間中、岩波の単行本も15%引きだそうです(文庫や新書は対象外)。これ幸いと何点か購入しました。

前田裕子『水洗トイレの産業史
 去年出た本ですが、小生の指導教官が面白いと紹介してくれたこともあって以前買いに行った際、お値段4600円の表示を見て断念していたもので、ここぞとばかり購入。目次と最初の部分しか見ていませんが、TOTOを中心とする経営史にしてかつ生活に与えた影響をも論じているようですね。
 ちなみに指導教官はその時同時に村瀬敬子『冷たいおいしさの誕生 日本冷蔵庫100年(論創社)の名も挙げていたので、そっちは以前に買って読みました(2000円しない安さだったので)。なかなか面白かったものですが、期待が大きすぎたのかちょっとあっさりした読後感もありました(ブログには感想書いてませんね)。

橋本寿朗(武田晴人解題)
『戦間期の産業発展と産業組織 I 戦間期の造船工業
『戦間期の産業発展と産業組織 II 重化学工業化と独占
(東京大学出版会)

 五十代で亡くなられた故橋本寿朗教授の論文を、武田晴人先生が解題を付して編集されたもの。これも出た当初から買おう買おうと思っていたのですが、これまた何となく踏ん切りが付かずに手に入れないでいた本でした。書影は2巻、『重化学工業化と独占』の方です(1巻は紺色)。
 この『II 重化学工業化と独占』の方に、「『五大電力』体制の成立と電力市場の展開」という章がありますが、これは元々1976年に発表された論文でした。
 小生は以前、この2冊の解題を務められた武田先生のゼミに出ていたことがありましたが、その時は学生一人がある産業の分野を担当し、その分野の論文を調べて研究史を報告する、というものでした。小生は何となく(どういう経緯か覚えていない)電力業を担当することになり、電力業史に関する論文や書物のリストを作り、すべてではありませんが主なものを読みました(確か全部で百点近くあった)。その詳細ははしょりますが、めちゃくちゃ大雑把に言えば、金融資本と電力業の関係について、松島春海による金融資本の電力業支配説が1960年代に唱えられ、それを批判して研究史の方向を変えた一つのきっかけがこの橋本論文でした。その路線を引き継いで、電力業は金融資本から自立していた、という現在の通説を確立したのが、こないだ紹介した『西日本鉄道百年史』の執筆もされていた橘川武郎先生です(ちなみにこのブログで過去に日本電力業の歴史に関する話を書いた際、戦時中の電力業の国家管理について「長い回り道」と指摘した出典元は橘川説です。橘川説は電力業について、国家権力や金融資本からの自律性を高く評価するところに眼目があります)。
 といった話をゼミでしたところ、武田先生の講評は、橋本論文の評価が君の説明では今一つ弱いから、きちんと読み直すように、とのことでした。その時は、小生は橋本論文の意義がよく分かっていなかったんですね。

 ですが、この時に電力業の歴史を勉強したことがきっかけで、それまで迷走していた修論の題目が決まって、何とか博士課程に進むことが出来たもので、個人的に思い出深い論文でした。そして鈍い小生もさすがに、今となってみると武田先生のご指摘の意味が、いくらかは分かってきた気がします。

武田晴人『仕事と日本人』(ちくま新書)

 そこで武田先生の新刊を買った、というわけではなく、これは院生仲間が絶賛していたので、本書の前身ともいえるかも知れない『日本人の経済観念』を以前面白く読んだことでもあるし(岩波現代文庫に入ってたんですね。小生が持っているのは古い単行本版)、と購入した次第。
 いま筑摩書房のサイトを探すべく検索してみましたが、既にかなり書評も多く、新聞にも取り上げられているようです。しかし産経新聞のこのネット書評は・・・いや、本文自体は何の問題もないと思うのですが、たまたま、小生が見た際の広告が、大変皮肉なことになっていて。


 あと、こんなんも買いました。岩波が15%引きだったので。

大澤真幸編『アキハバラ発 〈00年代〉への問い

 洋泉社のアキバ事件本は以前買って読み、ブログに感想を記しました。また、先日の古澤克大書記長プロデュースのイベントに出演されていた増山麗奈さんが発行の中心のお一人である雑誌『ロスジェネ』の、秋葉原通り魔事件別冊は、随分前にこれまた買って読んだのですが、感想を記しておりませんね。
 いろいろ忙しいのですが、自分が出くわした秋葉原通り魔事件についての書物は、なるべく読んで感想を書くようにしたいと思います。

 さて、まだまだ欲しい本はあったのですが、例え2割引でも大学出版会の本というのはそもそも値付けが高いので、結局3冊だけで予算に達してしまいました。セールは来月頭までやっているそうなので、何とか資金繰りをつけて、もう少し本を集められればと思っています。
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by bokukoui | 2009-02-10 22:34 | 書物

真理はかれらを自由にしない

 今日は18歳以下の方お断りのお話です。

 このところ各方面の図書館やら文書館やらを梯子して回っているのですが、そんなわけで某日国立国会図書館に行った際のこと。
 行ったことのある方はご存じと思いますが、国会図書館は閉架式で、コピーも窓口に出して頼む方式になっております。最近はすっかりIT化(死語)されて便利になっており、コピーを申し込み場合も、端末で操作すると用紙が出てくるのですが、書名と申込者の名前があらかじめプリントされているので便利です。あとはコピーしたいページだけ記入して、書物本体の該当ページに栞(細長く切った藁半紙みたいのが大量に用意されている)を挟み込んで提出すればOK。
 昔は住所氏名なぞを用紙にいちいち書かねばならず面倒だったのが、たいそう楽になりました。もっとも、コンピュータによる検索システムがなかった昔は、利用者が本を探すまでがそもそも今と比較にならないほど大変だったでしょうね。国会図書館には今でも膨大な検索カードを収めた抽斗つきの棚が並んでいますが、もはや今の人間には使い方すら分かりません。あれをいちばん使いこなしていたと言われるのが、山川均だと誰かが言っていたような記憶がありますが、しかし考えてみれば、山川の生きていた当時に今の国会図書館の建物はまだないような・・・旧帝国図書館時代の話なのかな。

 話が逸れました。
 そんなわけで某日、小生は国会図書館で雑誌を閲覧し、何ページかコピーすべきところを選び出して、申込用紙をプリントアウトして記入、栞も挟み込んで雑誌複写カウンターに行った時のこと。
 大体において、18歳以下入館お断り(最近まで20歳以下だったような・・・いつから変わったんでしたっけ?)な国会図書館は、クソガキおこさまがいないため、自治体の図書館と較べて静かです。のはずなのですが、なにやら罵声を上げている輩がおります。カウンターに本を出した中年の男性が、やはり中年男性である図書館員を怒鳴りつけております。
 ついつい聞き耳を立てているうちに判明したことは、どうも図書館員が、コピーのページを確認しようとしたことが、その中年男性の気に入らないようでした。
 うろ覚えの中からその中年男性の言葉を復元してみれば、こんなことを言っていたと思います。

 「見れば分かるじゃないか! 真実はひとつだ、見たままじゃないか!」

 少なくともその男性がコピーを申し込んでいたのは、「金田一少年の事件簿」掲載の『少年マガジン』ではなかったことは確かです。

 国会図書館でコピーを申し込むと、受け取った図書館員はまず、申込書と挟んである栞を照合します。で、小生もやった覚えがあるのですが、申込書に書くべきページ数を書き間違えることがあります(栞はページを見ながら挟むので間違えにくい)。その場合、当然図書館員は当然どちらが正しいか確認を取ります。そこら辺から話がこじれたっぽいですね。しかしだからといって怒鳴ることでもあるまいに。
 ところで今までの利用経験からすると、国会図書館の応対は、特に感動的なほど親切というわけではないですが、特段何か不快感や問題を感じたことはありません。多少杓子定規なところはなくもありませんが・・・。小生個人の経験では、古い地図のコピーをする場合、可能な範囲(「半分」以下)が微妙に違っていたことがあって、多少交渉したことはありましたが(結局2回行って全面コピーしちゃうんだけど。古い地図は、将来的には国土地理院でネット上に公開するようにして欲しいですね)。
 あの怒鳴っていた人は、自治体の図書館と違っているから何かキレてたのかなあ・・・あんまりあの場所で見たことのない状景だったので、悪い意味で印象に残りました。

 そういや国会図書館と困った話といえば、例の戸井田議員は最近何をしているのでしょうか。次の衆院選の結果や如何。

※2012.4.20.追記
 2008年4月から、国土地理院の地図についてはおおむね、全面コピーが認められるようになったそうです。詳しくは以下をご参照下さい。
 国会図書館サイト「地図の著作権」の「著作権の保護期間が過ぎたものや、著作権者の許諾を得ている場合は、「著作物全体」の複写が可能です。」項目
 国土地理院サイト「承認申請Q&A」の第42項
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by bokukoui | 2008-10-25 21:42 | 書物

『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』感想

 「人の噂も七十五日」と申しまして、二月半も経てば一時世間を賑わした話題も忘れ去られるのが通例でありますが、今日はいわゆる「秋葉原通り魔事件」から七十五日に当たります(昔の言葉ですから、事件発生日を一日目として数えるはずなので、今日になると思います)。
 今日はその七十五日目に際し、事件後いち早く出された秋葉原通り魔事件に関する書物を読んでみたいと思います。

 目次は以下の通りです(アマゾンのページのデータ利用。上にリンクを張っておいた肝腎の洋泉社のサイトには目次が載っていませんが、大澤真幸氏の特別寄稿「世界の中心で神を呼ぶ 秋葉原事件を巡って」が掲載されています)。

・Introduction アキバ通り魔事件とは何だったのか!?
・資料1 加藤智大25年の半生・・・栄光の幼少期と苦難の青春期(小林拓矢)
・資料2 「アキバBlog」で読む、凶行前夜の秋葉原で起こっていたこと(geek)

・加藤容疑者を嘲笑う資格が私たちにあるのか!?(赤木智弘)
・あまりに普通の若者のグロテスクな置き土産(雨宮処凛)
・新自由主義時代を象徴する自己チュー殺人(吉田司)
・ひ弱な国のひ弱なK(勢古浩爾)
・教条化する「家庭」、徹底した敗者意識、実在感に満ちた「アキバ」(小浜逸郎)
・マルトリートメント(不適切な養育)が自尊感情の低い子どもを生む(佐久間真弓)
・破滅を目前にした子にシカトされる親とは何なの!?(佐藤幹夫)
・なぜ彼はあれほど顔にこだわったのか(三浦展)
・”思い込み”にさいなまれた若者の悲痛な叫び(斎藤環)
・秋葉原事件と「ゲーム的」現実感覚(東浩紀)
・美しくなんかなくて/優しくもできなくて/それでも呼吸が続くことは許されるだろうか
加藤さんの書き込みが文学的すぎる件(神認定)(鈴木ユーリ)
・【特別対談】事件を起こしたこと意外、ほとんど僕と一緒なんです(本田透×柳下毅一郎)
・突きつけられた「大きな現実」、あるいはポスト・モダン思想の死(吉岡忍)
・それでも言う、加藤の出現をもって格差社会批判をするのは正しい振る舞いか!?(蔵研也)
・社会的包摂の崩壊が「孤独な勘違い」を生む!!(宮台真司)
・犯罪学的に見れば、この事件は一級に凶悪とは言えない(河合幹雄)
・ホラーハウス社会の憂鬱(芹沢一也)
・物語の暴走を招くメディア/メディアの暴走をうながす物語(荻上チキ)
・相互監視・密告社会化するネット社会(小池壮彦)
・一連の報道にはなぜ「トヨタ」という言葉が聞かれなかったのか!?(小林拓矢)
・なぜ秋葉原が犯行の舞台に選ばれたのか(森川嘉一郎)
・犯罪テキスト批評の「様々なる意匠」(浅羽通明)
・直接的にか、間接的にか、あるいは何かを迂回して、「かれ」と出会う(平川克美)
・記号的な殺人と喪の儀礼について(内田樹)


 奥付には2008年8月29日発行とありますが、確か8月1日のロフトプラスワンのイベント「秋葉原通り魔事件──絶望する社会に希望はあるか」の時に、出演者にして執筆者のどなたかが現物を壇上で示された覚えがあります。小生は正直なところ、洋泉社という出版社に対して全く良い感情は抱いていない(鉄道史やってるもので)のですが、しかしことこの場合は読むべきであろうと考えて購入したのでした。

 さて、小生はこういった書籍の感想など書くとえらく長くなってしまって、読む方も書く方も草臥れてしまいます。ですからまずはじめに、短い言葉でまとめを先に書いておくことにします。
 それは、薄いということです。

 何しろ厚みの点ではA5版126ページ(奥付除く)しかなく、そこに26人の論者が犇めいているのですから、濃くなりようがありませんね。はじめに20ページばかり事件のまとめと事件前後の秋葉原の状況についての説明があるので、それを除くと実質100ページで25人が意見を開陳していることになり、一人当たりのページが原稿用紙数枚~十数枚程度になってしまっています。ですから、どうもあらすじかイントロのようになってしまっており、「続きは著書を読んでください」的な感じになってしまっています。それこそ読書ガイド?
 そんな断片が二十いくつも重なっていて、全体のまとまりというものはありません。論者によって見解は全く食い違っています。食い違わせることで何かを描き出そうとか、食い違っている様相に何か見通しを与えようという意図もあまりなさそうです。個々の文章について言えば、勿論小生の抱いた感想として、「これは興味深い」というものあれば「この論者は何が言いたいのだろうか」と首を捻るのもありました。ただ、それを以下に二十いくつも並べたところで面倒なだけなので、全体をまとめてこの本について好意的に考えれば、以前阿佐ヶ谷ロフトで行われた秋葉原の事件に関するトークイベントの感想と同じことが言えるかも知れません。つまり、この混沌ぶりが、秋葉原事件の性格そのものなのではないか、ということです。

 上にも書きましたが、個々の文章に関しては面白いとかそうではないとか、そのような感想はもちろんありますが、それをつらつら書いても長さの割りに面白くはなさそうです。
 小生が、この本の中でどなたの書かれたものが面白かったかを振り返った時、苦笑せざるを得なかったのは、要するに、自分がそれまでその論者の言説にある程度馴染んでいた方の論に対し、「面白い」と思う傾向があったということです(もちろん例外もあります。赤木氏とか)。これはひとつには、限られた紙数の中で述べられたものを読む場合、その論者の他の著作や発言などを知っていれば、それが補足材料となってよりよく読めるからでしょう。宮台真司氏の論に納得したのは(限られた紙数の中に内容を濃く詰め込む点で、氏の技量はもともと大変高水準だと思いますが)、やはり先日のロフトプラスワンのイベントで氏の論を聞いていたからに他ならないでしょう。
 しかし一番大きな要因は、これもまた先日のイベントの話と繋がるのですが、結局言論は人の意見を変えるよりも、人が抱いていた考えを強化する方向に働くものだ、ということになるでしょう。
 結局この本がどのような読者を狙っているのか、よくわからないのですが、いろいろ集めれば自分好みの意見が見つかる、自分好みの意見を読んで自分の物の見方の正統性を確認して安心する、そのような使われ方が多いのかもしれません。・・・ということに近いようなことを書いている論者の方もいたように思います。そして小生自身のこの記事もまた、同様なものなのかもしれません。

 自分でも感想を書いていてどんどん詰まらなくなってきて、筆も進みかねるので、いい加減やめることにします。何がどう詰まらないか分析するのはさらに面倒で、楽しくもありません。
 そこでこの記事はこの辺で打ち切って、せいぜいもう少し小生自身にとって意味のありそうなことを別に書くことにします。つまり起こってしまった事件は如何ともしがたく、世がそれで動揺して頓珍漢な(気休めのおまじないのような)政策や言説が飛び交う状況も直接すぐにはどうしようもなく、しかしそこで「自分は」どうするのかということです。まあ社会的包摂について思ったことを書こうということですが、とりあえずこの記事はここまで。

追記:一応続きとなる記事を書きました。こちら。
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by bokukoui | 2008-08-21 23:57 | 書物

ソルジェニーツィン氏の訃報に接し思い起こしたことの一部

 最近ニュースから遠ざかっていて、ロシアの作家・ソルジェニーツィンが去る3日に亡くなっていたことを知ったのは、5日になってからのことでした。いろいろ思うところがあって、記事を書こうと思いましたが、しかしすぐにはまとまらず、また体調も機器も不調だったこともあって一旦見送り、本日(6日)付けとしました。これも諸般の事情により、アップは日付が変わってしまっていますが・・・。

 なお、完成が遅れに遅れていた「ウェルダン穂積氏主催アキバデモ見物記 及び『やまざき』氏との邂逅」は一応完成しましたので、今更ですがご関心のある方はどうぞ。でも実は完全に終わってはいませんが・・・。

 表題の件につきまして。

 今を遡ること十年余、当時中学生(確か中2)だった小生は、ソルジェニーツィンの『ガン病棟』を読んで、深い感銘を受けました。
 ではそれは、とここで今すぐ書くことは出来ません。その感銘はあまりに深く、小生の世界観のある部分が確実に『ガン病棟』に影響されていると思うからです。物差しを作った基準を、そこから作った物差しで測ることは、この場合不可能でないかもしれませんが、大変難しいことです。それがすらすら出来れば、評論家になれるでしょうね。
 一つ、本書が残した分かりやすい小生への影響を挙げるならば、本書の感銘があまりに深く、しかもそれが深すぎて自分でも分からないほどだったために、この本について(ひいてはソルジェニーツィンについて)かえって人と話すことはなかった、ということでしょうか。そしてそこから、感動はそれが自分にとって深くかけがえのないものであればあるほど、容易に他人と共通理解や共感できるようなものではない、そう思うようになりました。
 なので、小生は、「これを読んで(見て/プレイして 等)感動した! 是非読んで(見て/プレイして 等)しろ!」と言う人間(の感動の程度)については、原則不信感を抱くようになりました。これは一般的な人間関係、殊に友人関係、そしてなんといっても恋愛関係を築く上で多大な障害を齎すものかもしれませんが、そんなことはどうでもいいのです。『ガン病棟』のシュルービンのように、死ぬまでに話のできる人間が一人見つかれば、それでいいのです。
※追記:関連した話をこちらに書きました。

 そんな次第で、『収容所群島』は、身構えてしまってかえって読めていません。いつか、と思っていますが「いつか」なんてのはそうそう来るもんではありません。もちろん、東浩紀氏の評論も読んではいません。

 ちょこっと、訃報に関するネット上の幾つかの記事を読んだりもしたのですが、『収容所群島』の著者であることをもってして、「共産主義の害悪と悲惨を世界に知らしめた」という感じの評価をしているところが散見されました。ですが、以下が小生の勝手な思い込みの可能性は否定しませんけど、ソルジェニーツィンの告発は、単にある時代と地域に限定されるものではない普遍性を備えているのだ、そう考えます。
 ソルジェニーツィン作品が、史料になるほどある時代と地域をリアルに描き出していることは勿論で、それが第一義的に読んだ者に衝撃を与えるのですが、それはまた同時に、普遍に至る確固たる基礎でもあるのです。

 考え出すとまた広がっていって収拾がつかなくなりそうです。ブログの記事としてはこの辺で締めておくのが適当なところでしょう。
 ですが、簡単には解決の方法が見つけられないことについても、折々は考えてみる意味があるでしょう。そして、少しでも良い方向へ進めるように(ゴールは見えないし、たどり着くことも出来ませんが)、藤田省三の孫引きをすれば「陰気な顔して何になる」という、希望の源泉をもつことは大事だと思います。小生の場合、その際の手がかりとして、これからもソルジェニーツィン作品を座右に置くことでしょう。
「私の内部は、全部が私じゃない。ときどき、はっきりそう感じるんだ。何か絶対に撲滅できないものが、非常に高貴なものが、内部に巣くっている! 世界精神のかけらみたいなものだ。きみはそう感じることはないかね?」
ソルジェニーツィン(小笠原豊樹訳)『ガン病棟』より

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by bokukoui | 2008-08-06 23:59 | 書物

『リュウ』特集(1)続き 「螺子の囁き」『速水螺旋人の馬車馬大作戦』

 少し気温が上がると覿面に調子が悪くなります。先月はいろいろあって比較的活動が活発だった(そうせざるを得なかった)のですが、ここ数日はその反動かだいぶくたばっておりました。この分ではこの先が思いやられます。せめて部屋の冷房を稼動させてみようかと思いましたが、冷房機休業中の9ヶ月間に溜まったゴミを片付けないことには稼動もままならず・・・
 このように不調で引きこもっておりますと、新型絶滅収容所の構想とか、大体において考えれば考えるほど当人の精神状況に芳しくないことしか思いつきません。ので、気を取り直して無理にでも明るいことを書くようにします。

 で、途中まで書いてしばらく放って置いた速水螺旋人先生の作品についての感想などひとつ。
 『月刊COMICリュウ』のメカコラム「螺子の囁き」の話をするといいつつ、『速水螺旋人の馬車馬大作戦』の話も一緒にした方がいいのでそっちから、と書いたところで止まっておりました。

  で、『速水螺旋人の馬車馬大作戦』なんですが、本書の面白さと信じがたいお値ごろ感はすでにネット上随所で喋々されているところで、その点について小生も何も異論はありません。該博な知識を背景に、独自のセンスで組み上げた奇想世界は大変楽しいものです。
 また本書の後半を占めるゲーム関係の話にしても、多分やったことのあまりない人でも関心を持てるようになっているのではないかと思います。ゲームの背景世界を速水氏がうまく捉えられているので、ゲームをやって無くても読んで面白いのだろうと思うのです。そして、多少の非電源系ゲームへの素養のある人ならば、プレイ意欲を掻き立てられることでしょう。小生も『バグ・アイド・モンスター』は是非機会があれば、ってこれは読者の9割がやりたいと思っただろうなあ(笑)。もちろん残りの1割はプレイ経験者です。
 小生は『コマンドマガジン日本版』(国際通信社のウォーゲーム雑誌)を以前は結構読んでましたもので、以前同誌上で見かけたものもいくつもあって、懐かしく嬉しかったのですが、そういえば本書によると速水氏の商業初出は96年同誌のようです。それは収録されていないのですが、ひょっとすると多分これじゃないか、という号が現在整理中の書架から発掘されましたので、機会があればまたこれについても。

 この調子でやっていくと長くなるばっかりなので、ここらで話を戻しまして。
 メカにせよゲームにせよ速水氏の描くものが面白いのは、画力を別としても、速水氏がその背景世界に深い知識と愛着とを持っているからなのは間違いないところでしょう。
 で、その点で「螺子の囁き」というコラムは、速水氏のそういった愛着を生かした作品を生み出せるという点で、『馬車馬大作戦』の発表媒体と比べるとひとついい点があるのではないかと思うのです。というのも、軍事、兵器という縛りが解けるからで、例えば『馬車馬大作戦』では「要塞は時速4キロ」の中でちょこっと出てきただけの腕木信号だけで、「螺子の囁き」では1ページ使ったりしてますからね(笑)。そもそも蒸気自動車からして『馬車馬大作戦』では大砲の土台扱いのところ、「螺子」では主役になってますね。
 戦争や軍事というシチュエーションは、トンデモなメカを登場させてすったもんだの状況を描き出すには極めて便利です。でも、その便利さに寄りかかってしまって、そうではない分野のメカとそれをめぐる人間模様なんかがなかなか表に出ないのは残念だと思うのです。それだって充分面白いんだよと。
 速水氏は「官僚主義」というのがお好きで、『馬車馬大作戦』の中でもそれを題材にした面白い話を描かれていますが(本書収録「ユートピア・カフェはあなたの友」は、世にウェイトレス登場漫画数あれど、類例のない傑作)、非軍用の機械でもお役所の頓馬な規制との間でドタバタを起こしたという例は結構あります。きっと面白い話がいろいろ造れると思うんですよね。

 小生が何でまたそれにこだわるかというと、やはり自分が鉄道趣味者だからなんでしょうね(苦笑)。鉄道というのはメカの体系として極めて魅力的なことでは決して他のどの機械分野にも、兵器にもひけを取るものではないんですが、「戦争という劇的シチュエーションに登場しづらい」と「個人所有していじりにくい」という二つの要因が大きいと思うんですが、どうも他のジャンルと距離のある感がありまして。あ、距離のある理由のもうひとつは、「模型業界で鉄道模型だけ規格もメーカーも雑誌も違ってる」かも知れませんね。個人で兼業してる人自体は決して少なくないんですが(兼業者の大御所としては、『シーパワーの世界史』を書くと同時に『鉄道忌避伝説の謎』を書いた青木栄一先生のお名前を挙げておきます)。
 で、『馬車馬大作戦』では、書き下ろしで装甲モノレールに装甲路面電車という悶絶もののネタが巻頭を飾っており、車掌さんのマズルカさんの制服姿がとっても可愛くて、でもやっぱ個人的には車掌さんの鞄は肩掛けよりも腰のベルトから吊って欲しいと思ったりもするのですが、いやメカの話じゃないですね。ともかく、モノレールと路面電車をこんな風に登場させるのってとっても面白いのですが、反面「装甲」じゃないと登場できないのは残念だなあ、とも思っちゃうんですよね。ことに今回、装甲化前のモノレールの丸っこいスタイルが、いかにも大戦間にありそうないい雰囲気だっただけに。
 どうでもいいですが、速水氏はモノレールがお好きとのことですが、そういえばオタキングもモノレールが好きとか書いてたような気が。昔の「未来都市」にはモノレールがバンバン登場していたから、SF好きの少年たちのハートを掴んでいたのかもしれませんね。『馬車馬大作戦』のモノレールは、あれはどう見ても上野公園のモノレールですね。
 鉄道マニア以外の人も関心を持ちそうな鉄道のメカというと・・・シェイ・ギヤード・ロコなんかどうでしょう。縦置きしたシリンダーから歯車と自在継手で動力を伝達するという、まるで自動車みたいな構造の蒸気機関車なのですが、クランクも歯車も継手も全部思いっきり露出しているという豪快な機関車です(だから整備はとてもしやすい)。台湾の阿里山森林鉄道にいたのが有名です。

 というわけで、兵器でないメカにも愛を。

 東武動物公園の駅の近くにある日本工業大学には、工業技術博物館という素晴らしい博物館がありまして、工作機械を数多く収蔵しております。一度ゼミでここを見学に行ったことがあるのですが、これが途轍もなく面白いのです。ここの展示のすごいところは、機械の多くが動くのです。感心することしきり。金属切削をする工作機械ほど「メカっぽい」「メカメカしい」機械はそうざらにありません。興味のある人は是非。工作機械に加えて、蒸気機関車もありますよ。これも動くんですからたまりません。
 工作機械の話を思い出したのは、先日L.T.C. ロルト (磯田浩訳)『工作機械の歴史 職人の技からオートメーションへという本を買い込んで読んだからですが、この本は主として19世紀、産業革命の時期を中心とした工作機械の歴史を扱っています(原書が古い本なので、第2次大戦後まもなくまでで終わっています)。産業革命が実現したのは、蒸気機関を作ることが出来る工作機械が出来たからだというのは言われてみれば当たり前ですが、本書でも述べられている通り、工作機械(とそれを作った人々)の偉大さは専門家以外にはほとんど知られていないのです。確かに、文系の小生にとって、本書を読み解くのはなかなか難しいことだったのは事実で、門外漢には分かりにくいことは確かです。 もう少し親切に図解してくれれば(決して図面の少ない本ではないのですが)、と思うことしきりで、この本を抱えてこの博物館に行けば・・・と思い出したのでした。
 そう、『工作機械の歴史』を速水螺旋人氏に漫画化してもらって子供たちに読ませれば、きっと将来技術者を志す人が大勢・・・?

 話が滅茶苦茶逸れまくりましたね。ここまで読んでくださった方、済みません。
 こう長々と書いてしまったのは、いろいろ思うところがあったからなのですが、それについては流石にもう別記事にします。

※追記:「螺子の囁き」で鉄道ネタがその後登場。こちら参照

※更に追記:「螺子の囁き」が単行本に収録されました。めでたい。
  →「速水螺旋人『靴ずれ戦線 1』略感~「螺子の囁き」完全収録を祝して「火箭図」も」
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by bokukoui | 2008-07-04 23:56 | 書物