カテゴリ:書物( 63 )

J.C.バーナム『悪い習慣』雑感

 このところ今の研究に関連してアメリカの近代史(あ、アメリカには近代史しかないのか)について興味を持ったりしておりますもので、ちょこっとそれにまつわる本を読んだりしていましたが、今日のお題もその1冊。

J.C.バーナム(森田幸夫訳)
   『悪い習慣』玉川大学出版部

 古本屋で何気なく手に取った一冊ですが、アメリカにおける「悪い習慣」すなわち飲酒・喫煙・薬物・賭博・性的非行・罵り(この章は訳されていない)の広がりと、これらの悪習がどのように関連しあっているのかという様相を述べた本です。
 最初目に留まったとき、性的な問題を扱った章があるので、何がしか表現の自由などに関る問題もあるのかなと思って買い込んで積んでおいたのですが、先月「同人誌と表現を考えるシンポジウム」を見に行ったのをきっかけに読んでみました。実際には性的な表現の問題はこの本の中で比較的傍流の話題に過ぎないようで、やはり飲酒・喫煙などを中心とした悪習の展開に重きを置いているような感じです。
 で、まあ今の日本について考える上でも参考にならないことはない・・・とは読んで思えるのですが、どうも正直なところ大変読みにくい本で、本書の内容を読み取れたという自信が小生にはありませんし、その内容に基づいて議論を発展させることも出来そうにありません。それでも何とか本書の述べている主な内容と思われることを以下に箇条書きで示すと、

・アメリカでは、19世紀以降の資本主義社会の発展に伴って「悪い習慣」が広まった。
・「悪い習慣」は下層社会や知識人(共に反体制的な傾向を持つ)が擁護した。
・企業の宣伝とマスコミの報道が「悪い習慣」の普及を強く後押しした。
・「悪い習慣」は莫大な利潤をもたらすため、多くの事業者が普及に努めた。
・様々な「悪い習慣」は(飲酒を中心に)相互に密接に関りあっている。
・こうして19世紀の個人的な悪習は、20世紀にはアメリカ文化の重要な要素となった。

 こんな感じでしょうか。
 それなりに面白い論点が色々導けそうな感じはするのですが、正直文章が極めて読みにくく、どうもまとまった印象がつかめなかったのは残念です。要するに翻訳が問題だと思います。これが小生が自らの読解力の無さを糊塗せんとするものではないことの傍証として、同様の指摘をされているサイト(小生が検索で見つけた限り、『悪い習慣』の感想は日本語ではこちらしか見つかりませんでした)をリンクしておきます。

 そんな読み方しかできなかったくせに何か意見を述べようというのもおこがましい考えで、おまけに小生が思ったことは本書の中心となる論点から明後日の方向に飛んでいる可能性が高いのですが、それでも一つだけ卑見を述べさせていただきます。
 本書では大きく6つの「悪い習慣」を取り上げているのですが、バーナム氏はこれらの「悪い習慣」は密接に絡まりあって、相互に浸透を促進しあうような状況が、「悪い習慣」に関る企業やマスコミによって作られていたと指摘しているようです。『プレイボーイ』などの雑誌が主に例として取り上げられていますが、例えば飲酒をかっこいいものとして描くそのような雑誌では、喫煙についても広告がいっぱい載せられていたり、或いは麻薬の合法化が誌面で議論されたり、といったことがあった(今もある)のだそうです。もっともそれは日本近代を考えても、確かにそういうことはありそうだと思われますね。
 で、小生がそのように読み取って思ったことは、オタクって「悪い習慣」になるのかな?(笑)ということでした。なるほど世間一般から胡散臭く思われていますが、しかしその胡散臭く思われ方は「呑む・打つ・買う」とはかなりベクトルが違っていそうな気がして。その昔、ビートルズの音楽を聴くと「不良になる」といい、手塚治虫の漫画を焚書にした頃のメンタリティなら同一視していたのかもしれませんけど。

 本書を読んでいて感じた違和感に、「悪い習慣」は企業やマスコミが利潤のために強く宣伝をしたこと(陰謀論的解釈?)、反体制的知識人が強く擁護したこと、下層階級に支持されており、それが社会の広いそうにも受け入れられていったこと、が延々と述べられているのですが、これだけ読んでいると「悪い習慣」の普及は強力で一方なもののように思われてしまいます。「悪い習慣」を「悪い」を糾弾するような、つまり禁酒法を定めたような対抗勢力について充分叙述されていないような印象があって、どうもそれが「そんなに皆が受け入れたのなら、もう『悪い』もへったくれもないじゃん」と思いたくもなるのです。
 で、勝手に小生が思いをめぐらすに、「悪い習慣」への対抗勢力って、家族を大事にする中流階級的価値観なんじゃないかと思ったりするわけで。あ、いつもいつも同じオチで済みません。ここんとこ何でも近代家族論で説明する癖がついてしまっておりますし、まして先日アメリカの郊外住宅地(中流階級の牙城=マイホーム)を見てきたこともありますんで、どうしてもこういう発想になってしまいます。
 そもそも物の本によれば、アメリカで19世紀末(1893年シカゴ万博がきっかけとか)に郊外住宅の発想が広がり始めるのは、新移民の増加によって「アメリカが変わってしまう」という懸念が背景にあったそうで、当然その担い手は当然アングロサクソンの中産階級というわけです。

 ということでバーナム氏の「悪い習慣」の、善悪の構図を勝手に切り分けると、「悪い習慣」を悪いと決め付けているのは中産階級の道徳観念で、一方「悪い習慣」を支持しているのは下層階級とか反体制的な知識人とか、中産階級的価値観と異なる文化的ハビトゥスをもつ人たちです、ということになるんでしょうかね。一応綺麗に分かれますが、綺麗なだけに怪しい気も書いた当人しています。まあ目安ということで。
 で、「オタク」はどっちなんざんしょ、と考えるに、中産階級的価値観に迎え入れられているとは今日尚言いがたく、かといって「悪い習慣」=「呑む・打つ・買う」的な世界との相性はもっともっと悪そうです。どっちかといえば「悪い習慣」とは距離を置き、前者に容認されるような方向に持って行きたがる傾向があるんじゃないかと小生は長年の経験(笑)から感じております。
 まあ、何でそう考えるかというと、ことに最近の「オタク」な人々について(とりわけ「非モテ」関連の話題の周辺をうろつくに)、どうも「オタク」って保守的な(近代家族的な道徳観念を尊重している)な面があるんじゃないかと思わずにはいられないからです。そんなわけなので、今週末の「6・30アキハバラ解放デモ」についてどうかなあ、と思うのは、「オタク」「萌え」は(特に現状では)ちっとも「革命的」ではないんじゃないかと疑問を抱いているからなのです。

 そんじゃオタクはどうすればいいのか、ということに関して、歌に託して私見を述べますと、
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水)
 どっちにもならなきゃいいと思います。どっちにも染まらないことを「哀し」と思う人は、違った手法をとられる方が宜しいのではないかと。

 話がバーナム氏をほったらかしてどこぞへ迷走してしまいました。
 しかし、こうなったのもひとえに訳文が読みにくかったせいだと言い訳します。そして小生が、この本の訳文はまずいんじゃないかと思った直接のきっかけ、本書の口絵とそのキャプションを以下に引用させていただきます。
f0030574_125573.jpg
バーナム『悪い習慣』p.144とp.145の間の口絵より

 小生のような英語力皆無の人間がこのようなことを書くのはまことに身の程知らずだということは充分に承知しておるつもりではありますが、しかしこのマンガに描かれている自販機の警告文は、「警告 コイン投入口に手の届く者のみ、この自販機を操作できる」(なのに投入口がえらく低いので、子供でも買えてしまう)とでも訳さないと、諷刺の意味がないような気がするのですが・・・。どうでしょうか。
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by bokukoui | 2007-06-24 23:59 | 書物

現在の諸問題

 最近トラブル続きのエキサイトブログ、現状ではとりあえず順調に動いているようですが、今現在のところはトラックバックの受付が停止状態になったり(トラックバックスパムが大量に来たとか)、「以前の記事」の表示方法を一時的に変えているとの由です。そのため、現在「よりぬき『筆不精者の雑彙』」から過去のブログの記事へ飛ぶことがうまく出来なくなっています。
 そういう状況なので、参考になりそうな記事を備忘としてリンク。

・ブログの引越し (FC2ブログへの移行)
      (「パソコンでお絵描き2」 Illustration Blog より)

 まあ実際のところは、そこまでブログについて何かするつもりもありませんが。
 とりあえず、画像をそれなりにアップする必要のあるアメリカ旅行記の続きは、この状況を見極めつつ続きを書きます。

 色々と書物・史料(のコピー)やレジュメ・抜き刷りの保存が混沌を極めるようになりつつあり、今作成中の論文の作業に大いに差し障るようになったため、ゼミの報告も終わったことだしと現在部屋の大掃除中。過去にブログで「清掃予定」と書いたことは何度かあったような気もしますが(苦笑)、ようやく実現しつつあります。(自主規制)ぶりに部屋に掃除機導入。
 で、何とか場所を作ったので、コピーの類と現在本棚から溢れている書物を収めるために、2月に手配したまま放っていた本棚の組立をしようかと思ったのですが、中身を開けてみてあれ? オプションパーツとして注文したはずの背板が入っていないような・・・。あれ、どこ行ったんだ?
 ただ、現在作業が停滞している理由は部品不足疑惑ではなく、新しい書架導入で散乱して野積み状態の書物やコピー類が大整理できるぞー、と思っていたのですが、ふと現在収容不能になっている書物やコピー類の容積と新しい書架の収容能力を概算してみたところ、もう既に本も紙も大杉で収容しきれないということに気づいたからであります。嗚呼腐れ文系的非計画性。
 本棚更にもう一本、どこに置けばいいのやら。
 ついでに眠いので今宵はもう休もうと思うのですが、ベッドの上に仮置きした(他に置ける場所が無い)大量のコピー類の山を・・・。同衾しますか。
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by bokukoui | 2007-06-16 23:58 | 書物

M.レビンソン『コンテナ物語』感想 及び同書の感想に対する感想


 今日は最近読んだ大変面白かった本に関して一筆。その本とは、

マルク・レビンソン(村井章子訳)
『コンテナ物語

 世界を変えたのは「箱」の発明だった
                日経BP社
 であります。

 本書はコンテナを使った物流システムがどのように形成され、世界各国の様々な産業がどのように形を変えていったかを述べたものです。コンテナ導入のストーリーにおいて中心となるのが、トラック輸送業者だったマルコム・マクリーンで、のちシーランドの経営者になります。コンテナにすれば面倒な船への荷役(ものすごく人手がかかり、従って時間もコストも要する)が簡単に機械化できるし、途中で荷物をかっぱらわれる心配もなくなるし、といった目論見ではじめるのですが、これが思いがけず世界を変えて行くことになります。
 導入に当たっては、海運業や荷役の当たる労働者の組合の抵抗(何せ輸送業の労組は強力なので)であるとか、規格を巡るゴタゴタだとか、様々なすったもんだがありますが、コンテナはやがて否応なしに世界へ普及します。コンテナの導入によって輸送のコストは下がり、トラックはトラック、船は船と分かれていた物流が一体の(シームレス)ものとなって行きました。輸送コストの低減は製造業の立地を変え、新たな都市や国が台頭するきっかけとなります。一方でついていけなかった港町は、その伝統に関らず没落していくことになります。労働者もまたその大きな変化を被ったわけで、本書では労働組合との関係に相当の紙数を割いています。

 本書の帯には「日本経済の奇跡も、中国経済の急成長も、20世紀最大の発明の『箱』から生まれた!」とありますが、確かに日本に関する箇所は非常に興味深いことが分かります。
 アメリカ軍は世界中に展開しているため、アメリカ軍は輸送業にとっての巨大な荷主でもあります。折りしもヴェトナム戦争。交通インフラが貧弱なヴェトナムへの物資輸送はおおごとで、これをマクリーンが売り込んだコンテナ導入によって解決することに成功します。ところで米軍は基本的にヴェトナムへ物資を送るばかりで、帰りの貨物はあまりありません。ですから軍は海運会社に、アメリカ→ヴェトナムの片道で採算が取れる運賃を払っていました。しかし空っぽのコンテナばかり船に積んで帰るのも馬鹿らしいと考えたマクリーンの目に留まったのが、高度経済成長中の日本でした。既に米軍から運賃を貰っているので、日本の対米輸出貨物は積めば積むだけ丸儲け。かくて日本の対米輸出も伸びましたとさ。

 とまあ、他にも興味深いトピックが多く、一つの発明が様々な波及をもたらす、つまりコンテナが船や港や鉄道やトラックのあり方を変え、荷主の力が強くなって産業の構造を変え、つまりは世界を変えて今日我々が生きているような消費社会が形成されていく過程を描いており、大変興味深く読めました。お勧めです。
 更に本書は、日経BPという所謂ビジネス書の出版社から出ているにもかかわらず、巻末に索引と出典注、参考文献リストをきちんと載せており(全部で450ページ程の本の、約90ページも使って!)、この点を高く評価したいですね。出典注は省略しちゃう場合が翻訳書の場合は多いですし、ましてビジネス書の場合はほとんどそうですが、これを載せたことで学術書としての利用にも充分使えるものとなっており、素晴らしいことと思います。
 もっともよく見ると、どうも出典注と参考文献リストのページは、打ち込んだのではなくて原書のページをスキャナで取り込んで貼り付けたんじゃないかと思いますが、しかし低コストで注とリストをつけられる手段があるのならば、これからも広がっていけばいいなと思います。

 もっとも褒めるばかりなのも何なので苦情も一つ二つ。
 まず本書の恐らく最大の欠点は、地図や図面や写真がほとんど出てこない(ニューヨーク附近の地図が一枚あるがごく簡単なものに過ぎない)ということです。原書がどうなのか分かりませんが、アメリカを中心とした地名が矢鱈いっぱい出てくるのに、地図もないと意味が分かりませんし、輸送のシステムがどう変わったかも理解できません(小生は『Railroad Tycoon 2』で鍛えていたからアメリカの地名は分かったけど)。
 地理的な話でいえば、252ページに「・・・西海岸の港は自分たちの可能性に気づいた。海岸沿いにはデンバーがある、ソルトレークシティーがある。港からのトラック輸送体制を整えれば、さびれた港を立て直すのも不可能ではない・・・・・・。」という不可解な一節があります。デンバーもソルトレークシティーも、海岸沿いどころか海から千キロは離れてますがな。どちらも大陸横断鉄道の要衝ですので、コンテナに対応すれば内陸の物流拠点にはなれるかもしれませんが(最近デンバーは結構発展しているそうで)。訳者の方の勘違いでしょうか。
 更にコンテナの規格だとか、トラックや貨車に積む話なども多く出てくるのに、コンテナや積む船・貨車・トレーラーの写真も図も一枚もなく、これもコンテナが輸送をどのように変えたかを理解する上で大きな問題といわねばなりません。そこらへんがなんとも残念です。
 あと、苦情ではありませんが一つ読んでいて感じた疑問があって、この本はコンテナが世界に広まる過程を、アメリカを中心にしつつもヨーロッパ、アジア、アフリカ、オセアニア各地を扱っています。ところがソ連が出てこないんですね。実は2ヶ所だけ、ソ連のコンテナ船が、欧米を中心とした海運のカルテル破りを行うという話が出てくるのですが、ちょっと待て。いつの間に社会主義国のソ連がコンテナ船を作ったのだ? しかもロシア独自規格ではないようですし(社会主義専門規格だったら、欧米の海運会社のカルテルを破れない)、これがちょっと不思議。もしもコンテナが、鉄のカーテンまでも突き破って世界の物流を変えていたのであるとすれば、或いはソ連崩壊の経済的遠因の一つなのかも知れず、とても興味深いことなのですが・・・。

 とまれ、とても面白い本でした。同じ様に感じた読者の方も多いと見え、アマゾンでも4つ感想がついて4つとも5つ星と高い評価を受けています。小生もさもありなんと思いますが、ただそれら感想を読んでいくうちにある疑問がふつふつと湧いてきたのでした。
 アマゾンの感想の一つが典型的です。短いので以下に全文引用しましょう。
レビュアー:企業人事関係者
一気に読みました。正直面白いです。企画系ビジネスマンは読んだ方がいいです。ビジネスモデルを作り、成功させていくプロセスは応用がききそうです!
 小生はこの感想に強い違和感を覚えます。
 コンテナの発明と普及は世界を変えました。その変化はあまりにも広汎かつ劇的なものであったために、この革命の意義や方向を同時代的に把握していた人はいなかったのではないでしょうか。実際本書の末尾で、レビンソンはこのように述べています。
 コンテナの歴史が始まった1956年春を思い出してほしい。・・・あのとき(引用注:最初のコンテナ船だった)アイデアルX号を見送った誰一人として、貨物輸送がこれほど劇的に変わるとは夢にも思わなかったにちがいない。この「箱」の歩んできた道をなぞってみて何とも驚かされるのは、専門家や先駆者でさえ繰り返し道を誤ったということではないだろうか。コンテナは、触れるものすべてを変えるという点でも、その変わり方が誰にも予測できなかったという点でも、まことに一筋縄ではいかない存在だった。(p.350)
 補足しておけば、コンテナ導入の先駆者であり優れた起業家であったマクリーンも、最後は読み誤って破産しています。「ビジネスモデルを作り、成功させていくプロセスは応用がききそうです!」なんて能天気なものではありません。その発明が革命的で社会に及ぼす影響が大きければ大きいほど、それは「企画系ビジネスマン」が作り上げた「ビジネスモデル」をあざ笑うが如く、時代の流れは進んでいくのではないでしょうか。
 これと似たような傾向として、本書はコンサルタントの方々からもケーススタディーとして高い評価を受けているようです(こちらとかこちらの(1)(2)とか)。それは勿論、これらの記事を書かれている方々の立場からすれば当然なのでしょうが、しかしこの話の面白さはそのような範囲を超えたところにこそあるのではないかとも思うのです。

 最後に。
 本書の謝辞で著者のレビンソンは、この本を書くのに資料収集が難航した、それは初期のコンテナ導入に大きな役割を果たしたニューヨーク港湾局(現ニューヨーク・ニュージャージー港湾局)が、世界貿易センタービルに入居していたため、2001年9月11日の同時多発テロで資料が失われてしまったのが原因であると述べています。コンテナの導入が世界の経済をより一体化する、いわゆるグローバリゼーションに多大なる貢献をしたのであるとするならば、或いはアルカイダのような存在はその負の面であるといえるかもしれません。まこと、先のことは分からぬものです。
 しかしだからこそ、人は生きていけるのである、と「パンドラの箱」の話を思い出してみたりもするのであります。
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by bokukoui | 2007-05-01 23:57 | 書物

渋谷の書店を巡る回顧と展望

 時折拙ブログにトラックバックしてくださる憑かれた大学隠棲氏のブログ「障害報告@webry」経由で知ったニュース。

 大型書店「ブックファースト渋谷店」が閉店へ-旗艦店は新宿へ

 あれれ、あのでかい本屋がなくなってしまうんですか・・・。渋谷という街は書店という文化とはあまり相性が良くなかったのでしょうか。
 小生は中学校に進んで以来十数年、渋谷を定期券による通学経路として来ましたので、渋谷で書店に行くことも多く(「若者の街」といわれる渋谷に十代から二十代の人生の相当部分通ったにもかかわらず、所謂「若者」向けの産業に一円たりとも消費行動をしたことがないだけなのですが)、このニュースを聞いて思うことしばし。

 渋谷を行動範囲内に収めた中高生の頃、よく通っていたのは今は亡き大盛堂書店でした。ビル一棟が書店であるということにいたく感激したものです。中高生の頃はあまり金がなかったもので、買う本といっても文庫本とか参考書が多かったものですが(当時はマンガはあまり読まなかった)、地下に軍装品の店があったせいか軍事関係の本もそこそこあったような気がします。『ミリタリー・バランス』を買い込んで、人員が17名しかいないガイアナ海軍を発見して大笑いしたりしたことを思い出します(政府刊行物の類も扱っていたので、それでミリバラが置いてあったのかも)。
 よく通っていた、といえば、小生は新玉川線(現田園都市線)ユーザーでしたので、地下の渋谷駅からセンター街方向へ上がる所にあった旭屋書店もよく利用したものです。この旭屋書店も数年前に無くなってしまい、跡地はこともあろうにパチンコ屋になっていましたが、なんでもブックファーストはこの旭屋跡地に移転するそうです。ここの旭屋では、確かマクリーンの『女王陛下のユリシーズ号』を手にしたはずだし、駕籠真太郎作品をはじめて目にしたのもここだったような記憶があります。
 今もある渋谷のそこそこ大きい書店といえば、東急百貨店にある紀伊国屋がありますね。あれは渋谷で新九郎氏と通っていた塾のあった方向でもあったことから、それなりに足を運びました。塾ついでなので、参考書コーナーの印象が強いですが。
 さらに普通の書店とはやや異なりますが、東急ハンズ渋谷店(この店はハンズの「旗艦店」なのかな?)の一番上のフロアに、今はなくなってしまいましたが東急ハンズらしい特異な品揃えの書店コーナーがあって、模型を売っているためか鉄道や軍事の雑誌を置いていました。ここで『世界の艦船』を立ち読みしたり、『鉄道模型趣味』を買ったりしたものです。あ、そういえば宮崎駿の『雑想ノート』を買ったのはここだったな。

 これらの店は紀伊国屋以外は皆なくなってしまいました。
 小生も本郷に拠点が移ってからは、通学系路上にお誂え向きにも神保町があるため、もっぱら書物漁りはそっちに移行したので(さらにバイトで池袋に行っていた頃は、池袋のジュンク堂も立ち寄れたので)、渋谷で書店に行くことは少なくなっており、ブックファーストができてからもあまり立ち寄ってはいませんでした。大盛堂の記憶が強い者にとっては、何となくこの店が大盛堂を潰したような印象もあって・・・。
 とはいえ大型書店が池袋にジュンク堂、新宿に紀伊国屋、渋谷にブックファーストと並び立ったので、なんとなくこれで安定するような気がしたのですが、ブックファーストが旗艦店を渋谷から敢えて競争の激しそうな新宿に移すとは、それだけ渋谷という街と書店の相性が良くなかったということなのでしょうか。近隣に大学も結構あったのにねえ・・・特に東大の駒場キャンパス。渋谷まで歩く経路上ではないか。

 というわけで渋谷と書店は相性が悪い、と思ったのですが、見方を変えればまたちょっと違った印象もあって。
 小生は中高生の時分は大して漫画を買っておりませんでしたが、周辺にそっち系に詳しい人物も多く(笑)、渋谷で漫画を多く置いているそっち系の店に足を運ぶこともないわけではありませんでした。つまりまんだらけとアニメイトですな。殊にアニメイトは上記の塾へ行く経路上という条件もあって、だいぶ色々買い込んだような記憶が・・・『逮捕しちゃうぞ』のアニメ(第1期)やってたからねえ・・・
 で、小生が中学生だった頃のまんだらけは、今の場所と違ったところにあった(もう正確な場所は覚えていませんが)のですが、確か小生が高校生の頃に現在地に移転し規模も拡大したと記憶しています。またアニメイトは、かつては今の店舗の半分の広さしかなかったのですが、小生が大学に進学して以降だったかと思いますが、隣の証券会社があったスペースを吸収して現在の大きさに成長したのでした。
 漫画なら渋谷でも成長可能なのかもしれない?

 いやでも、まんがの森渋谷店(この店はサイン入り『SWEET SWEET SISTER』を入手した、小生にとっては思い出深い店でしたが)は結局撤退しちゃったし、旭屋が109に開いた漫画書店も今はないし・・・やはり渋谷に来る人は、書物を求めて来るということは念頭にない、あるいは渋谷が「売り」にしているものとこういった文化との相性があんまり良くないのでしょうか。
 ちなみに小生が最近渋谷で良く行くのは、雀荘と飲み屋と東急ハンズと・・・
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by bokukoui | 2007-04-28 23:56 | 書物

「三部作」の英知出版、破産

 ライブドアニュースより。

 [英知出版]自己破産 負債総額は23億円

 いつぞや日本の「ロリコン」と一般に呼ばれるような人々は12歳の子が一番好きであるというアンケート結果をご紹介したことがありましたが、もしかすると「12歳」にこだわる人が多かったのは、その昔その筋で大好評を博した12歳の少女の写真集・諏訪野しおり『君はキラリ』の影響があったのではないか、そんな風にもちょっと思います。
 その諏訪野しおり写真集『君はキラリ』を含む、「英知三部作」と総称される写真集を発行してその筋で名が高かった英知出版社がお亡くなりになったとの由。もっとも、数年前に「男性向」と呼ばれる類の出版物は別の会社に譲ってしまっていたそうですが。
 まあ、四半世紀も昔の話であります。
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by bokukoui | 2007-04-19 23:56 | 書物

本日刊行

 まだ暫くは減量更新です。これぐらいの方が生活上は適切な気もしますが(苦笑)
 で、ネットをちょっと見ていた時に、本日刊行だったらしい新刊情報を今頃ですが知ったので備忘的に。

 山本義隆『一六世紀文化革命』(みすず書房)

 『磁力と重力の発見』はもうせん買って読みました。物理が全く出来なくて、試験の答案用紙の余白にロケットの歴史など書いていた腐れ文系の小生にも結構面白かったですが、今思い返すと印象に残っているトピックはどうも近代が多いのは、小生の嗜好のためであったか。
 今作はテーマが近代の始まりに絞られているので、それだけ小生のより大きな関心を惹きます。あともっと単純に、「第6章 軍事革命と機械学・力学の勃興」というところが期待。山本義隆氏が如何に軍事を語るのか、これは戦史研員ならずとも購入すべき書物ですね。お値段もわりとお手頃だと思います。

 ところで以前このブログで書いたみすず書房ネタを思い出して読み返しました。で、やはり現在のところグーグルで「みすず」と検索をかけると、トップはみすず監査法人であって、残念ながらみすず書房は2位に甘んじています。しかしみすず監査法人は結局解体ということなので、又トップに返り咲くこともあるでしょう。

 更に余談ですが、グーグルの「みすず」上位サイトのURLを見ると、みすず書房は"msz.co.jp"で、監査法人の方は"misuzu.or.jp"です。広告が怪しい予備校は"misuzu-gakuen.jp"で、長野県の食品会社は"misuzu-co.co.jp"です。
 あれ? 一番シンプルそうな"misuzu.co.jp"ってないのかなと思って手入力してみたら、こうなりました。なんか広島県の食品会社の関連レジャー施設らしいです。ここが最初にドメイン取得したのか?
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by bokukoui | 2007-04-16 23:59 | 書物

村上といえば

 先日の記事で、酒井シズエ翁のサイトへのアップをご報告申し上げた「メイドさん放談2007」に関しまして、何人もの方々からご意見を頂きまして大変嬉しく思います。もとよりこれは酒井翁・北庭さんのお力あっての作品ですので、小生一人が云々するのは可笑しい話ですが。
 コメント・トラックバックには返事を必ず書きますので、もうしばし回復までご猶予いただければと思います。

 さて今日は、先日書いた同じ本を二冊買う話、実は持っていることを承知の上で買っちゃったという本もあったというお話。
 で、それが村上先生の本なのですが・・・さて、「村上」先生と聞いて、皆さん誰のことをまず思い浮かべますか?

・村上春樹
 まあ一番有名? でも「先生」という敬称のそぐわない人かも。

・村上龍
 長いこと「春樹」「龍」の区別が付きませんでした。今は「キモい方」と区別してます。

・村上もとか
 「村上」「龍」とくればこの方。その才には西原先生も嫉んだとか。

・村上隆
 この名前を挙げるとインテリおたくっぽい? 小生は作品を見たことがありませんが。

・村上真紀
 『グラビテーション』読者は結構周りにいますが、小生はあいにく未読。

・村上水軍
 昔からの「メイド」オタクならば真っ先に挙げて然るべきお名前ですね。

・村上麗奈
 ・・・・・・古い?

 以上、アマゾンで「村上」と検索したデータを手がかりに適当にあげてみました(一人除く)。しかし由緒正しき(?)制服マニアならば、作家で村上先生といえばこの方しかおりません。
 村上信彦先生です。
 ・・・今リンクを張ろうとして、ウィキペディアに「村上信彦」の項目がないことに愕然。上に挙げた7人には全部あったのに・・・。知名度そんなもんかねえ。

 で、買っちゃった本というのは『服装の歴史』の、文庫版全3巻セットです。なんかアマゾンでは信じがたい値段が付いていますが(4141円も充分信じがたいが、48000円って・・・3冊セットだとしてもそれは酷い。他の巻に付いた値段も1冊だとするとかなり高いと思う)それよかずっと安い値段で売っていたのを手に入れたので(あまり美品ではありませんが)。
 以前村上先生の作品をMaIDERiA出版局の記事で取り上げましたが、まだフェミニズムとか女性学というものが興隆する以前に、服装を媒介として女性問題について考察した本書や、類書の少ないバス車掌の本『紺の制服』、女中について考える参考ともなる『明治女性史』などなど、これらのことに関心のある方でしたら押さえて置いて損はない古典だと思います。
 なんですが、なかなかまとめて売っているのが見つからず、以前バラで買ってしまったことを書きましたが、このたび全巻一括で揃えてしまったので、この5巻が余りモノになってしまいました。半端ですが、どなたか貰ってやってはいただけないでしょうか? コスカの時に持って行きますので。

 ところで、さっきリンクした自分で書いた村上著の記事の一節、「先週紹介の井上章一氏は、その著作中で旧来の女性史や服飾史と異なった観点を打ち出したと述べておられますが、村上氏が旧来の観点の一つとして想定されているのは確実です。もっとも筆者が思うには、村上氏の分析の枠組みはなお有効といえます。理由を述べている紙幅はありませんが」、はてどういう理由で有効だと思ったんだっけ? 自分でも思い出せません(苦笑)。折角買ったんだから本書を読み、ここの部分の補足もできればやっておきたいところです。
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by bokukoui | 2007-03-09 23:59 | 書物

アンリ・トロワイヤ歿す

 今日の新聞の訃報欄で、表題のニュースに接しました。
 詳しくは以下の記事をご参照下さい。

 訃報:アンリ・トロワイヤさん95歳=フランスの作家

 小生もトロワイヤの本は何冊か読んでいたので、いささかの感慨を抱いたものですが、しかしまた正直なところ「まだ生きていたんだ・・・」とまず思ったことは、告白せねばなりません。
 トロワイヤの本を読んだことがあったはずなのに、訃報の記事で初めてロシアからの亡命者だったと知った次第。道理でロシア関連の著作が多かったわけですね。そして1911年生まれで95歳だったということは、ロシア革命からソ連崩壊までを見てきた人生だったんだなあ、と思うと、ソ連の時代は案外短かったのだと改めて感慨を催します。

 そしてもう一つ個人的な感慨が。
 以前、同じ本を2冊買ってしまったという話を書きましたが、実は同じ事をもう一度やってしまったことがありまして、それがトロワイヤの『大帝ピョートル』だったのでした(今は新版が出ているようですね)。前回は買ったまま積んでいた本をもう一冊買ってしまった次第でしたが、今度はこともあろうに一度読んだ本をもう一度買ってしまい、しかも途中まで読んで初めて気が付いたという健忘症ぶり。とほほほほ。

 そんなわけでトロワイヤ『大帝ピョートル』中公文庫の旧版、結構面白い本ですが、手元に二冊あります。どなたかご関心のある方にお譲りできればとも思うので、お気軽にメールなりコメント欄にどうぞ。
 いや、それとも、このブログの累積ユニークアクセス(なのか、システムがよく分からない)が先日2万を超えたことを記念して、読者プレゼント企画に。昨年末以来の「非モテ」「恋愛資本主義」関連記事の表題は、全てアニメ/ゲームなどの楽曲の一部から採っていますが、出典がすべて分かった方先着一名に差し上げます(笑)
 ・・・それはまあともかく、死蔵しておくのも何なので、興味のある方は是非。
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by bokukoui | 2007-03-06 23:58 | 書物

池袋点景~エロ方面の雑彙

 今日は所用で池袋に久方ぶりに立ち寄りました。で、帰宅が遅くなったため更新が遅れております。
 所用の方とはある会合なのですが、重要な機密事項なので当分の間は伏せておきます。ですがその一端を明かせば、自衛隊の某小隊に著名な美少女ゲーム『kanon』(※全年齢版)を持ち込んだ徒輩がおり、その結果、該小隊でそのゲームが大流行し、主人公?の美少女キャラクターの口癖「うぐぅ」が隊内で大流行して「うぐぅ小隊」と仇名が付いた、とか。
 ・・・護憲への誓いをまた新たにしました。

 久方ぶりに池袋に行ったので、書店を幾つかはしごしました。
 数日前にブログで書きましたが、ナヲコ先生が挿絵を描かれたJ・さいろー氏の『Sweet Sweet Sister』が再版、さいろー氏の新作が同じレーベルで発売、というので、それを買うのが目的の一つでした。ちなみに新作『クラスメイト』を手に取った第一印象、「薄い」。ってまあ、『SSS』が異常なくらい厚かったという方が正確なのでしょうが。ちょうど半分というところです。
 で、「とらのあな」でレジに並んでいたら、前の客が矢鱈と手間取っています。彼は二次元ドリームノベルズの類を一山買っていましたが、よく見ると『SSS』『クラスメイト』を同時に求めていました。売れているようで結構なことです。
 なお、『SSS』についていた帯は、どうも昔のそれと同じものだったようです。

 本日はその外に、『エロマンガ・スタディーズ』を読んで面白そうだと思った月野定規作品、『LO』誌をたまたま読んで、その画風にナヲコ先生の影響があるんじゃないか?と思った宮内由香作品などを購入。なんかそっち方向に偏ってますね。
 エロスタといえば早くも著者・永山薫氏によるイヴェント第2弾が企画との由。前回は行けなかったので、今回はなんとしても。3月25日だそうです。

 そんなこんなで色々と散財しました。行きがけに車中で読んでいた高橋亀吉『経済学の実際知識』を読み終えてしまったので、帰りは今日買った蛭児神建(元)『出家日記 ある「おたく」の生涯』なぞ読んでおりました(自作の『エロマンガ・スタディーズ』の索引につけた蛭児神氏の名前を間違えていたことに気付いたので、あとで訂正せねば)。まだ半分しか読んでいませんが、なかなかに興味深い本です。ただ、なんと言いますか、おそらくはもっと複雑怪奇な状況であろうことを、敢えて?単純化して書いて、なおかつ道化役を演じて韜晦して見せることでその単純化を巧みに隠蔽しているような、そんな印象(判りにくいな)を受けてしまいます。ついついどんな本でも史料として使えないかと思ってしまう、そんな小生の性癖故のことなのかもしれませんが。
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by bokukoui | 2007-02-28 23:58 | 書物

『Sweet Sweet Sister』復刊

 数日前ナヲコ先生のサイトを見に行ったら、玄関のイラストが、ナヲコ先生が挿絵を描いたJ・さいろー氏の小説『Sweet Sweet Sister』の登場人物・早川可奈子に変っていたので、年明け以降あんまり更新なかったけど結構なことだと思っていたら、表題のようなことだそうです。
 大変結構なことと思いますが、正直びっくりしました。

 何でも、『Sweet Sweet Sister』の著者のJ・さいろー氏の新作『クラスメイト』が出るので、それに合わせて復刊、というか正確には再版される由。
 しかしこの手の小説で、2001年10月初版のものが5年半も経って再版されるというのは、全く以ってかなり珍しい事態なのではないかと思います。むしろ別な出版社から復刊という方が、まだありそうな気がします。
 既に持っている身として正直に言えば、別な出版社から装いも新たに復刊だったらもう一冊買い直しても良いけれど、誤植訂正程度では・・・。

 驚きといえば、さいろー氏の新作がコアノベルズNo.002となっていることに驚きました。なんとなればこのレーベルの前作がほかならぬ『Sweet Sweet Sister』なわけで、つまりこのレーベルは第1作が出てから5年半もほったらかしだったわけです。てっきり消えたとばかり思っていました。
 コアマガジンには前科があって、『Sweet Sweet Sister』発行を遡ること一年余前、2000年7月に「HOT MILK NOVELS」と銘打ったレーベルを出し、第一作として雑破業『だいすき!』上下巻を出したものの、小生が知る限りでは後に続きませんでした。確かその後、雑破氏はKSSへと移られたんでしたっけ。
 そんなことがあってから一年ちょっと後に『Sweet Sweet Sister』が出されて、本作自体は古書価格の高騰に示されるように評価が高かったのではありますが、レーベルはやっぱり後に続かなかったのを見て、やはりこういう小説を売るのは難しいのかなと思ったのでした。それが復活というので驚いた次第です。いや、単に新しいレーベルのロゴとかをデザインするのが面倒だっただけなのかもしれませんが。

 とまれ、こうしてコアノベルズはJ・さいろー氏専用レーベル? として甦ったわけで、小生としても新作は購入の予定です。今度は小説の作者は同じでも絵の傾向がだいぶ変っていますが、それが読者にどのような印象を与えるのか、その点に興味が湧きます。(※追記:買った時の話はここ
 この手の小説は読者を興奮させるように持って行こうとするのが普通なのではないかと思いますが、『Sweet Sweet Sister』はむしろ読者を妙に冷静にさせるような、不思議な感覚をもたらします。本書はエロ小説なのだからそういった描写は多いわけで、というか行為の質的な過激さや分量の多さは相当なものだと思うのですが、しかし読み終わるとあんまりエロかったという気がしなくて、厚いのに不思議と読み足りないような印象が残ります。
 これが恐らく本作の古書価を高からしめた理由ではないかと思いますが、それがどこまで挿絵によって影響されているのか、それは是非新作を読んで確かめてみたいところです。

 にしても、そういえば葦原瑞穂(高坂麻衣)の『ファーレンの秘宝』も復刊されてたし、この世界もそれなりの蓄積が生まれて、J・さいろー氏はいうなれば雑破氏の後を襲う存在にあるのでしょうか。いや、そもそもそういう見方自体正しいのかな? そろそろ歴史や系譜を振り返ってみてもいいのかもしれません。
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by bokukoui | 2007-02-22 23:59 | 書物