カテゴリ:鉄道(その他)( 57 )

鉄道関係ほか雑纂~ポスト宮脇時代の鉄道文化状況について

 アメリカ旅行記は書くのがなかなか大変なので今日は一休み。

 海外旅行といえば、今日の日経新聞に、イギリスの旅行会社がヨーロッパのホテルなどに問い合わせてまとめた、評判の良い/悪い観光客の出身国というのが記されていました。評判の良いのが1位日本、以下アメリカ・スイスと続き、悪い方が1位フランス、以下インド・中国・ロシアだとか。日本人観光客の評判がいい理由として、整然として静かだとかもっともらしい理由が書いてありましたが、問い合わせた先が観光業者なのですから、これはおそらくは「おみやげ支出高」の順番に並べただけ、ではないかという気がします。要するに旅先でどれだけ気前よくカネを放出するかということで。
 だとすれば日本人に次ぐのがアメリカ人にスイス人、というのも理解しやすいですね。ドルを放出してくれるアメリカ人、またスイスも一人当たりGDPなどを考えれば豊かな国ですし。
 逆に最悪がフランス人の理由もそこら辺にあるのかも。新聞には外国に行ってもその国の言葉を使おうとしないなど我流、みたいなことが書いてありましたが、先進国民の割りに金払いが悪い、ってことなんではないかと。あと旅行業者に対しクレームが多いとかかな?
 まあそんな風に考えると日本人が最も評判がいいといっても喜んでいいのかは怪しい気もします。

 最近目についた鉄道関連の話題、というと今日はN700系の話題がもっとも世間の耳目を集めていたと思われますが、個人的に気になったニュース二題。

 「鉄子の旅」TVアニメ化 テツブームの予感

 アニメになるという話は聞いていたけどCSでは小生は見られません。ついでに言えば原作の漫画も読んではいないのだな。まあ機会があれば見て/読んでみたいとは思いますが、しかし「テツブーム」って何よ。
 もう一つ。

 「鉄道アイドル」木村裕子さんに迫る

 朝日新聞のこのコーナーの関係者に鉄道趣味者がいるのかな? えらい充実振りですね。
 旅行の一つの形としての鉄道ではなく、車輌などに関心を持つ所謂「鉄道マニア」のパターンの女性がいるということは時代も変わったのだなあと思いますが、ただそれがグラビアアイドルとしての「売り」になるのだとすれば、それもなんとなく引っ掛かるのでして(「鉄道オタク」に対するある種の偏見――女性と縁がないという――を前提とし利用してるような)。もっと自然体であればいいなあと思うのです。

 以前鉄道趣味指南本?の『テツはこう乗る』の批評だとか、酒井順子氏の本の感想だとかをこのブログで書いてきましたが、鉄道と社会の関係、その文化的役割についても色々検討されるだけの時期になったということなのかもしれません。もっとも、以前原武史氏の著作について批評を試み(てそのまま途中で放置し)た際に述べたように、経営や技術や労働の裏づけなしでは、ただの思いつきの空論になってしまう恐れもあります。もし「テツ」が「ブーム」になったのであるとするならば、その懸念はより一層大きくなります。
 そんな時に出た、ごっつい鉄道史の研究書があるのでご紹介しておきます。

宇田正『鉄道日本文化史考』思文閣出版

 鉄道史の研究者として、斯界では長老の一人として知られた宇田正先生の最新刊(2007年3月)です。表題の通り「わが国の鉄道が社会生活や国民の意識の近代化のために有形無形に果たしてきた文化的役割(p.6)」についての文化史的な評価を試みた、様々な論文を一冊にまとめたものです。
 小生は本書を先日買ってきて一読した(アメリカに行った飛行機の帰りで)だけなので、大雑把な感想しか述べられませんが、文化史的なアプローチを種々試みられた本書はなかなかに示唆的なところがあったのは確かです。特に面白かったのは、小学校の国語の教科書の中にどのように鉄道が出てくるかという分析で、近代化のイメージを鉄道を介して如何に刷り込んでいったかが察せられて興味深いところです。
 ただ、どうしても、「文化史」といっても"正統的"というか、例えば柳田国男の民俗学と鉄道とか、和辻哲郎の自伝に見る鉄道観とか、そういった「硬い」方面の話中心なのは、「文化史」という大上段な括りが話の広がりを制約してしまっているような気もします。その中にあって流石に長谷川如是閑と近郊開発の話はすこぶる面白かったのでありますが。
 もちろん、宇田氏ご自身序章で指摘されるが如く、鉄道と文化の研究はまだ緒に就いたばかりですので、これはないものねだりというべき評だとは自覚しているつもりです。しかし方法論として例えば、小池滋先生の『「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか』のような作品が既にあるだけに、もそっといろいろ切り口がないかなと読後思わざるを得ませんでした。もっともそれは、宇田先生と小生の半世紀に近い年齢の差が、そういった鉄道と文化への見方の違いを産んでいるだけなのかもしれません。
 いろいろ適当なことを書きましたが、鉄道史に関心のある向きは押さえておいていい一冊だと思います。

 さて、では小生がここんとこ研究課題として位置づけている、近郊住宅地的な中流階層的=近代家族的価値観と結びついた電鉄業の展開、という文脈で文化史の研究をするとすると・・・『金曜日の妻たちへ』の分析はやはり必要なのかな?
 小池先生の文学作品を通じての鉄道研究のように、いろんなメディアを通じて鉄道と文化の研究は出来るだろうし、うまく切り取ればそれはけっこう世界の中での日本近代の特質を表してくれると思うんですよね。それこそ、日本製『A列車で行こう』シリーズとアメリカ製『Railroad Tycoon』シリーズが、それぞれどのように鉄道を切り取っているのか、というのは、日米の鉄道観の違いをある面よく表しているわけで。
 更に極論すれば、痴漢の歴史というのも鉄道と文化の一つの表れかもしれません(そういえば美少女系エロマンガに痴漢モノってあんまり見ないような)。小生が学部生であった昔、ジェンダー論の専門家・瀬地山角氏は痴漢の研究に意欲を示され、その成果を世に問う折には『痴の技法』と題する旨を講義の中で述べておられましたが、未だ上梓の声を聞かぬは残念でなりません。ことに最近東大の教官(独立行政法人化後の今は不適当な呼称らしいですが)が「痴の技法」を実践してしまったとの報を耳にするにつけ。

 話が例によって無茶苦茶になってきました。
 最後に無茶苦茶ついでに思い付きを一つ書けば、このところの「テツブーム」などとマスコミが名づけたりするような、鉄道を巡る商業文化の活性化状況というのは、出版業界を中心に一定の市場が見込める鉄道趣味分野において、大御所・宮脇俊三氏亡き後の主導権争いなのではないか、ということです。本命・原武史、対抗・酒井順子、大穴・関口知宏、なんてね。
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by bokukoui | 2007-05-23 23:58 | 鉄道(その他) | Trackback(1) | Comments(4)

お気楽アメリカ紀行(3)~オレンジエンパイア鉄道博物館・その2

 昨日に引き続きオレンジエンパイア鉄道博物館の話をしようと思ったのですが、なんと近代海事史上屈指の遺産であったカティ・サークが炎上とのこと。保存体制が整っていたからといって安心することは出来ません。
 修理中だったそうなので、船内の品物は陸上げられていたらしく、何とか復旧されることを祈るばかりです。
 それにしても、こういったものを後世に伝えることの難しさを改めて感じさせられる事件でした。

 話を戻して、「お気楽アメリカ紀行」のその3です。他の記事はこちら。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2(この記事です)
 (4)パームスプリングスのロープウェイ
 (5)パットン将軍記念博物館
 (6)フェニックスからセドナを経て
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
 (11)デス・ヴァレー国立公園
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 博物館でその他目に付いたものを簡単にご紹介します(写真は特記なき場合クリックすると拡大表示します)。といっても車庫の中は見ていないわけですが。
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サクラメントノーザン鉄道の機関車
機関車の後ろはサザンパシフィックの客車

 サクラメントノーザン鉄道もインターアーバン(都市間連絡電車)の一つで、サンフランシスコ対岸のオークランドからカリフォルニア州州都のサクラメントを経て、その北方のチコまで走っていました。オークランド発チコ行きの列車が運行されており、その走行距離は177マイル(285キロ)に達し、全米の電鉄中最長距離の運転だったそうです。
 ちなみにこの距離は、東海道本線に当てはめると、東京から豊橋のちょっと手前になります。日本で1950年に国鉄による東京~沼津間長距離電車の運転、所謂「湘南電車」の開始時に、占領軍がそんな長距離の電車の運行に難色を示したので、当初は適当に横須賀線同様の郊外電車です、と誤魔化しておいて、うやむやのうちに沼津まで伸ばしたという話を古い鉄道雑誌で読んだことがあります。しかしアメリカ本国でこんな長距離電車が走っていたのだとすれば、この話はちょっと怪しいなと思います。もっとも、高速道路が出来たせいでサクラメントノーザンは1940年に旅客営業をやめて貨物専業になっていたらしいので、占領軍当局も長距離電車の時代じゃないと思った・・・ってこともないだろうなあ、当時の日本の道は「国道は酷道、県道は険道」という状態だったことは占領軍だって充分分かってたでしょうから。
 更に余談ですが、湘南電車のことを「日本最初の長距離電車」と書いていることが良くありますが、戦前に開通していた飯田線の方が距離は長かったんじゃないかとか思うのであります。あとやはり戦前で言えば大阪電気軌道+参宮急行電鉄、のち関西急行鉄道を経て現近畿日本鉄道の上本町~宇治山田間も、東京~沼津よりちょこっと長かったはず。しかも飯田線や参急は勾配にも厳しい条件がついていたので、技術的にはこっちの方が難しそうな・・・。

 話をアメリカに戻します。
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プルマンの重厚な客車たち

 寝台車で有名なプルマンの、二重屋根で金属製車体という見るからに重厚な客車です。履いている台車もごっつい3軸ボギー台車。プルマンについては、WUREさまのサイトこちらの記事をご参照下さい。客車は他にもいろいろあり、あるプルマン車のデッキに上ってみたところ、その車輌を最初に鉄道会社から取得した人がこの博物館に車輌を寄付した旨を記したプレートがありました。こういうところにアメリカの鉄道趣味の深みを感じさせられます。まあ土地が広いということも大きいと思いますけど。
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モハヴェノーザン鉄道の機関車と貨車いろいろ

 蒸気機関車もあります。これはモハヴェノーザン鉄道 Mojave Northern Railroad の機関車で、水タンクがボイラーの上に乗っかった(サドルタンク)タイプ。
 機関車のすぐ後ろの、妙に腰が高い無蓋貨車は銅山で使われていたものらしく、銅鉱石を積むのであろう無蓋の荷台の下に、空気圧で荷台を横倒しにする機構が備えられています。エアーシリンダーや配管など色々ついていて壮観でした。

 敷地を横切って北側へ移動。途中でグッズを扱うお店に寄ります。ここは幸い平日でもやっていました。中には鉄道関連の書物やDVD、記念品の類やTシャツ、帽子などが並んでいます。小生がここで書籍漁りをはじめたのは勿論ですが、こと書物を買うことに関しては実家の庭に書庫が建っているH氏の勢いには敵いません。なんだかんだで二人ともドルで三桁の書物を買い込んだ(でも小生はH氏の半分くらい。買った本についてはまたの機会に)のですが、異国から来て貿易赤字解消に協力した我々を多としたのか、いや単に荷物が多かったからだと思いますが、レジのおばちゃんは本来売っているグッズの一つであるバッグをおまけにくれました。色を選べというので、小生は迷わず"Red!"といいました。で、「やっぱレッドカーの色ですよね」と言ったけど通じなかった・・・(泣)
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おまけでもらった博物館ロゴ入りバッグ(この写真は拡大表示しません)

 店を出て、博物館北西部の、貨物線からの引込み線附近に置かれている車輌群を見に行きます。
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機関車・貨車がいろいろ
真ん中の線路は3フィート(914ミリ)のナローゲージ

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放置?されているモーター付き輪軸
後ろに見えるのはユニオンパシフィックのミカド形蒸気機関車

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アメリカ陸軍の給食(?)車

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アメリカ海軍の貨車

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アメリカ空軍の機関車

 流石アメリカ軍。補給体制に抜かりなし、三軍の車輌が揃い踏みです。あと海兵隊があれば完璧だなあ、なんて思ったら、なんと数日後に思わぬ出来事が・・・。

 その他、立入禁止とされた広い区域に、まだまだ未整備の車輌が多数転がっており、コレクションはえらい数でした。
 電車も、昨日紹介したもの以外にも更にいろいろとあります。今日は見られませんでしたが、京都市電もある由。
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PEの荷物電車・電車、その他カブース(車掌車)もたくさん

 手前の丸窓三つの正面の電車はPEの荷電で、荷電の後ろに見えているのは「ブリンプ」の車体(台車はなくて自動車のトレーラーみたいな足回りの上に仮置きされている)ですが、この辺は流石に傷みが激しいようです。カブースは他の場所にも何両も置かれており、かなりの数がコレクションされているようです。貰って来やすかったのでしょうか。またこの陰にはかなりボロボロながら路面電車もありました。
 この手前の荷物電車の台車は、日本でもお馴染みのボールドウィンのものでした。
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荷物電車の台車(この写真は拡大表示しません)

 さて、昨年小生が北陸を巡った際、えちぜん鉄道で戦前ごろ製と見られる古い台車を履いた電車を見た話を書きましたが、その台車はこんなでした(車内から撮影したのでややボケている点はご容赦を)。
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えちぜん鉄道の電車の台車(元南海)(この写真は拡大表示しません)

 同系列の台車であることがお分かりいただけようかと思います。アメリカの電鉄技術が日本に移植されていたことを示す、分かり易い例ですね。

 更にこの博物館は、鉄道のみならずバスまで保有していました。
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トロリーバスたち

 屋根の上にポールがあることから、これらはトロリーバスのようです。トロリーバスのことを日本語で「無軌条電車」というくらいですので、電車の兄弟分としてここに置かれているのでしょう。

 以上、かなり長くなってしまいましたが、車庫が閉ざされていてさえここまで挙げた車輌以外にもまだまだ数多くの車輌を見ることが出来ましたし、また信号の類も保存展示されていました。2、3時間程充実した見学を楽しみましたが、やはり週末に再訪したいと思った次第です。この日の見学も結構駈足でしたので。
 あと土産物についても、その後訪ねた所ではそれほど心惹かれるものが多くなく、最初のここで買物は全部してしまった方が良かったのではないかというのが、今となっては正直な感想です。率直に言うと、土産を配るという風習は嫌ですね。実質のない儀礼であることが多いし、実質あるものを買おうとすると選択に苦しむし、そもそも荷物が増えるし。
 それはともかく、オレンジエンパイア鉄道博物館の見学を終え、次なる目的地(今日の宿泊地)に向かいます。ということで続きは次回
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by bokukoui | 2007-05-22 23:59 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(2)

お気楽アメリカ紀行(2)~オレンジエンパイア鉄道博物館・その1

 「お気楽アメリカ紀行」のその2です。他の記事はこちら。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1(この記事です)
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2
 (4)パームスプリングスのロープウェイ
 (5)パットン将軍記念博物館
 (6)フェニックスからセドナを経て
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
 (11)デス・ヴァレー国立公園
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 目的のオレンジエンパイア鉄道博物館 Orange Empire Railway Museum に無事到着したのですが、実は入ってから大きな問題に気がつきました。つまり週末にならないと車輌を実際に動かす展示はやっていないんですね。ボランティア要員などの都合かと思われますが。そのため見ることの出来る展示が一部に限られてしまったのは残念なことで、再度の来訪を強く決意した次第です。いつか誰か一緒に行きませんか? 英語が得意な方歓迎(苦笑)
 とはいえ、静態保存で置かれている車輌群だけでも見て廻るのに相当な時間を要しましたので、それはそれでけっこう満足できました。以下に写真を幾つか挙げますが、ただ、カリフォルニアの強い日光の下、安いデジカメの性能では綺麗に写っていない(細部が飛んでしまっている)点は何卒ご海容下さい。なお写真は原則としてクリックすると拡大します。
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博物館の名前入り機関車

 博物館に入って最初に出会った車輌。博物館の名前が入っており、保存されている車輌の移動に使うのでしょうか。

 博物館の敷地内には線路が引かれ、一部には架線も張られています。またゲージも1435ミリの国際標準軌の他、1067ミリや914ミリのナローゲージもありました。個人的なお目当ては電車でしたので、架線の張っているあたりへとまず足を向けました。
 そしていました、以前に書いた記事で名前を出した、ロサンゼルスで「世界最大の電鉄」を称したパシフィック・エレクトリックの電車です。
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PEの電車たち
手前は「ハリウッドカー」、後ろは「ブリンプ」

 PEの電車は赤く塗られており(時代によって多少違うそうですが)、一説には京浜急行の電車が赤いのはこれを真似たものであるとか。上の写真の電車は、手前のは路面電車スタイルをしていますが、近郊路線用の電車だったそうで、ロサンゼルスからハリウッドへの路線などで活躍していたため「ハリウッドカー」と呼ばれたそうです。後ろの大きな電車は、車体が大きいため「ブリンプ(太っちょ)」と呼ばれ、PE末期の主力となりましたが、元々はサンフランシスコのインターアーバン路線で活躍していた電車でした。ところがその電鉄はPEよりもひとあし早く1941年に廃止されてしまい、その電車がロサンゼルスにやってきたものです。
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上掲写真の反対側から撮影

 上の二枚の写真に、トタン張りの車庫が一部写っていますが、この中にPEの走行可能な保存車輌が収納されているようで、PEの社紋が妻にありました。しかし残念ながら閉まっていて中は見られず。
 それでも、車庫のそばの線路には、様々な車輌が置かれていました。
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ヤキマ・ヴァレー鉄道 Yakima Valley Transportation の機関車

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PEの機関車

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バンベーガー鉄道 Bamberger Railroad の電車
最高時速75マイル(120キロ)

 目を惹いたものとして、アメリカで1930年代に、当時の自動車の伸張振りに対抗するため作られた新型路面電車・PCCカーがあります。日本ではあまり普及しませんでしたが、欧米では相当広まり、軽量流線形の車体、優れた高加減速性能が特徴でした。そのPCCカーを発見。
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サンディエゴで使われていたPCCカー

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PCCカーの台車(この写真は拡大表示しません)

 PCCカーの台車は、騒音や振動を防ぐためにゴムを挟んだ弾性車輪を使っており、またこの車輌ではレールブレーキを採用していたようです。空制を使わず、急な減速に対応するものなのでしょうが、日本では広まらなかった手法だけにかえって興味を惹かれます。

 こんな調子でやっていてはキリがありません。なるべくはしょって、小生が見つけて嬉しかった電車の話を先にします。この電車が置かれていたのは、今まで紹介した車輌があった場所とはやや離れた一角でした。
 それは、サンフランシスコのキーシステム Key System がベイブリッジを渡ってオークランドからサンフランシスコへ乗り入れるために作った、連接車体の通称「ブリッジユニット」です。
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キーシステム「ブリッジユニット」

 小生がそもそもアメリカの電車、それもインターアーバンのことをはじめて知ったのは、雑誌『地理』1997年11月号(特集「鉄道をつなぐ」)に掲載された、石川浩稔「サンフランシスコを目指した鉄道とフェリー」という記事でした(読んだのは発行から何年も経ってからのことです)。これを読んで小生はアメリカの電鉄の盛衰についてはじめて知ったのですが、その中でサンフランシスコのベイブリッジは1939年から電車が走っていたこと(橋の完成自体は1936年)、キーシステムが最終的な鉄道廃止(1958年)までもっとも長くベイブリッジを走っていたこと、ベイブリッジの鉄道は霧に備えたキャブシグナルと自動減速機構を装備し最短63.5秒間隔運転が可能であったこと、などを知りました。
 そしてこの雑誌のカラーページに、筆者の石川氏がオレンジエンパイア鉄道博物館で撮影した保存車輌の写真が載っていました。つまりこの博物館の名前もこの雑誌ではじめて目にしたわけです。載せられた写真には先に挙げたPEのブリンプの写真もありましたが、キーシステムのブリッジユニットの写真もあって、その軽快なスタイルはなかなか魅力的に感じられました。
 その、いわば小生のアメリカ電鉄原体験?のブリッジユニットに出会えたのは、とても嬉しいことでした。ただ残念だったのは、石川氏の写真ではパンタグラフを高々と掲げて博物館内を走行していたこのブリッジユニットが、どうも静態保存状態になってしまっていたことでした。後で買ったキーシステムの本によると、何でもモーターにトラブルがあって現在は走れないそうです。修理されることを願いますが、ブリッジユニットの走行可能なものは Western Railway Museum に存在するそうです。こっちの博物館もいつか行かねば。
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ちょっと大きめの写真

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反対側の表情

 これらの写真を拡大していただけると台車の様子が分かるかと思いますが、よく見ると第3軌条集電に対応したコレクターシューが見つけられるかと思います(イコライザーの真ん中あたりについています)。これは、ベイブリッジを渡る区間では瀬戸大橋同様電車は橋桁の中を走っていた(但し鉄道だけではなく下段にも道路があった。上段の道路は乗用車用、下段の道路はバス・トラックと区別されていた。鉄道は下段の南側に沿って走っていたとか)ため、橋の中で高さを抑えるためなのか第3軌条方式を採用していたので、ついているものです。
 ちなみにキーシステムは、当初の社名はサンフランシスコ・オークランド&サンノゼ鉄道 San Francisco, Oakland, and San Jose Railway だったのが、路線が鍵の形に似ていることからこの名になったのだとか。

 博物館の残りは駈足で、・・・と思いましたが、既に随分長いので、続きは明日に。
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by bokukoui | 2007-05-21 23:57 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(0)

お気楽アメリカ紀行(1)~オレンジエンパイア鉄道博物館への道

 先週のアメリカ旅行の顛末をなるべく簡単に、写真を取り混ぜて述べてみようと思います。
 それなりに回数を費やしそうな企画。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道(この記事です)
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2
 (4)パームスプリングスのロープウェイ
 (5)パットン将軍記念博物館
 (6)フェニックスからセドナを経て
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
 (11)デス・ヴァレー国立公園
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 この度はH氏のお誘いで割りと急遽、という感じでアメリカに行くことと相成りました。そもそもは氏が鉄研の同級生であるK氏とレンタカーでアメリカを廻ろうと計画しておられ、かかる経費を安くするためもう一人誘おう(人数が一人増えてもレンタカー代やホテル代はあまり増えないので、一人当たりの負担はかなり減る)ということで小生が参加させていただくことになった、そんな次第です。
 で、H氏は航空会社のマイルを貯めて自在に使いこなす海外旅行の練達者であり、K氏はK氏でバックパッカー歴を相当にお持ちの方で、要するに旅馴れた人二人にくっついていけばいいということで、この旅行記を「お気楽アメリカ紀行」と題した次第です。

 アメリカまで乗った飛行機は、格安航空券の都合で往復とも大韓航空でした。成田空港ではマイルを貯めているH氏の手引きにてノースウェスト系列のラウンジに入り込み、酒を飲みつつ出発を待ちます。塩味のプレッツェル(ブッシュ大統領が喉に詰らせた?類の菓子)がなかなか旨かったのですが、この旅行中出会ったアメリカ製の食品の中ではこれがもっとも旨いものだったのかもしれません。
 大韓航空のボーイング777にてロサンゼルスまで太平洋を横断します。機内は時差の調整のためにもなるべく寝て過ごします(日本を午後出発し、日本時間の深夜=現地の朝到着になるので)。
 最初に目にしたアメリカ大陸の土地は、サンフランシスコよりやや南方、おそらくモンテレー附近でした。山並みが茶色っぽく、乾燥した土地であることをうかがわせます。
 やがてロサンゼルスに近づくと、流石にアメリカ最大の郊外住宅地らしく、どこまでも続く家々が眼下に広がります。機内からその様子を観察しているうちに、飛行機は無事にロサンゼルスに着きました。
 最近のアメリカは入国審査が厳しく、指紋と写真をとられますが、前世紀末に台湾に行ったきりの小生のパスポートは特に入国審査官の関心を惹かなかったようで、すぐに解放されました。パスポートのページが足りなくなって補充ページをつけたほど世界を廻り、シリアなど中東諸国のスタンプが押してあったK氏は少し手間取ったようでしたが。

 頻繁に巡回しているレンタカー会社の送迎バスに乗り込みます。H氏が日本から手配してあった自動車はこちら。
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 アメ車です。小生は自動車にはあまり詳しくないのですが、それなりに高級車であるらしいリンカーンでございます。車内は広く、排気量は4リッター以上ある由。手配したH氏曰く、トヨタのカムリなんぞは人気車種で費用などの問題があり、これにしたそうです。広いアメリカを廻るのには、大きなアメリカ車のよさを生かせる点で好判断であったと思います。結果的には燃費も結構悪くなかったし。ただ幅が広いので、運転時には多少気を使いました。あと前後も結構突き出しているので、駐車の際も要注意。

 さて、H氏もK氏も旅馴れた方で、アメリカにも過去何度も来ていたそうですが、お二人ともアメリカでの運転ははじめてだったようです。結局最初にハンドルを握るのは、アメリカでのドライブを楽しみにしていたK氏となり、いざ出発。
 最初の目的地は、小生が行きたいと思っていた、オレンジエンパイア鉄道博物館 Orange Empire Railway Museum です。この博物館は公共交通機関で行くには極めて不便で、結局ロサンゼルスから車で行くのが手っ取り早いようです。そこでH氏はレンタカーによる今回の旅行を発案され、ついでに自動車の方が廻るのに便利なグランドキャニオンなどの観光地を組み合わせて、今回の旅程を立てたとのこと。
 で、その博物館ですが、ロサンゼルス中心部から東に百キロ余り行った、ペリス Perris という街にあります。街の位置はこちらのGoogleマップ参照。
 Googleマップにはけしからんことにこの博物館が載っておりませんが、抜かりのないH氏はミシュランの北米道路地図を事前に用意しており、これを手がかりに博物館に向かいます。このミシュランの地図は、博物館や史跡の類をかなり数多く載せてくれており、のちのち大いに役立つことになります。

 さて、ちょっと検索してみた限りでは、この博物館に行った日本人の鉄道趣味者の方は少ないようなので(最初レポが見つからないと書いたのは誤報。失礼しました)、今後同博物館に行ってみたいという奇特な邦人の方のために、自動車でここに行く方法を以下に書いておきます。

1.州際高速道路215号でペリスに行く。街の近くでは右手に鉄道が併走しているので、脇見運転に注意。
2.ペリスで州際高速道路を降りると、そのまま道なりに行けばペリスの街に入る。(※北から来た場合)
3.そのうち青地に白字で"Railway Museum"と書かれた案内看板が出てくるので、それに従う。

 いい加減だなあ(笑)。でも、こういってはなんですが、ペリスの最大の名所が同博物館らしいので、これで充分です。

 ペリスに至るインターステートハイウェイは鉄道と平行しており、沿線は工場用地として開発されているらしく、ところどころに引込み線があったり、貨車やディーゼル機関車が停まっていたりして、否が応にも気分が高まります。走っていたのは確かバーリントンノーザンサンタフェ鉄道の機関車だったと思いますが、貨車は塗り替えをまめにしていないのか、合併前の名前のままのものが幾らも見つかりました。線路沿いの空地には看板が立っており、「工場用地販売中 引込線つき」みたいな意味のことが書いてあり、アメリカでの鉄道貨物輸送の重要さをうかがわせます。
 後部座席でそんなことを小生がお気楽にも観察してるうちに、州際高速道路を降りてペリスの街に入りました。引込線は相変わらず右手に見えていますが、ふと気がつくと線路に架線が張られています。都市の地下鉄や路面電車の類ならいざ知らず、今や電化路線なんてあろう筈もないアメリカの田舎町で架線、ということはこれは電車を所蔵するオレンジエンパイア鉄道博物館に至る引込線では? と博物館が近いことが察せられました。そして案内看板に従って無事到着。もっとも最初は自動車でどこに入れば良いのか分からず(自動車で入れそうな門が閉ざされていたため)ちょこっと迷いましたが、入口附近の広大な空地に車を停めておけば良いようです。
 この博物館は先述のようにGoogleマップには載っておりません(博物館に至る引込線も記載なし)が、航空写真で様子が分かるのでご紹介しておきます。地図に切替えれば厳密な位置も分かります。
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 入口はこんな感じです。人の出入りに関しては改札の類もなく入場無料。
 で、いよいよ博物館に入るのですが、博物館紹介篇はそれなりに長くなりそうなので以下次回。
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by bokukoui | 2007-05-18 23:57 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(0)

酒井順子『女子と鉄道』雑感


 少し前に買ったと書いた、酒井順子『女子と鉄道』(光文社)を読了したので簡単に一筆。

 軽妙な文章ですぐ読める、極めて読みやすい一冊でした。それは多分とても素晴らしいことだと思います。
 ・・・うーん、それ以上書くことがないな。
 というのも、それは勿論小生程度の鉄道趣味者であっても、この本に色々と突っ込むことはできますし(例:p.193の「パシフィック」の意味)、また以前にもマニア論をいろいろと書いたことがありますが、そこで書いたような視点から酒井氏の鉄道に対する態度について批判的に物することも可能です。しかしそんなような「鉄道マニア」の反応は、酒井氏は当然織り込んだ上で書いており、今更そんなことを指摘しても別に面白いことはないからです。
 だからといって、「これをきっかけに、女性の方も大勢、鉄道趣味の魅力に目覚めてこの世界に入ってきていただけると嬉しいです」なんて書くほど、小生はお人よしではありません。

 思いつくまま書けば、酒井氏は鉄道が好きな理由を
(前略)なぜ私は鉄道が好きなのか、を一言であらわすならば、
「どこかに連れていってもらえるから」
 ということになる。
 私はとても依存欲求の強い性格で、「やってもらう」とか「連れていってもらう」のが大好き。(中略)全てにおいて自分で責任を取らなければならなくなった今、私はほとんど胎内回帰気分で、鉄道に乗っているのだと思う。
 鉄道ファンに男性が多いのは、鉄道が母性的な乗り物であるが故、でしょう。
 しかし女性の男性化が進む今、女性も母性を求めたいのです。(後略)(同書pp.35-37)
 と書いておられますが、そう簡単に割り切られるのもどうかと思ってしまうわけで。胎内回帰も結構ですが、もっと外の世界に繋がっていくような意味合いも持っているのではないか、だから鉄道について「知りたい」という欲求をかきたてられる場合もあるのではないかと思います。
 酒井氏は本書において故・宮脇俊三への敬意を明確に記しておられます。鉄道が好き、というと内田百閒→阿川弘之→宮脇俊三という流れが最も人口に膾炙しているわけで、勿論それは重要だと思うのですが、それよりも世間の人に知られていない流れもあって(以前例を書きました)、でもその流れの蓄積が鉄道の趣味を支えてきている面もあるのではないか、そんな風に思うわけです。

 まあ、真面目な話はここら辺にして、「茶道、華道、鉄道!」と帯に大書している本書に対抗した画像を一枚張ってお茶を濁しておきます。
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出典:久米田康治『かってに改蔵 7』p.35


 さて、本書では、宮脇俊三の他、昨年批評記事を書きかけて3ヶ月ほったらかしの原武史氏も登場します。ちょうど鉄道と女性、という話題も関連するので、次回はこの続きを書いてみようと思います。
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by bokukoui | 2007-02-15 23:59 | 鉄道(その他) | Trackback(1) | Comments(3)

サントリー学芸賞の鉄道本略論 第2章 原武史氏講演録摘要(下)

 昨日の記事に引き続き、原武史氏の国立公文書館講演の内容のメモをアップします。

 <原武史氏講演要録>
3.
・JR東日本では、NREが駅での食事提供事業に関してのさばりすぎており、味の画一化が進んでいる。JR東日本との密接な関係からNREは駅の好位置を独占しているが、これも権力関係を反映している。
・駅そばや駅弁というのは、江戸時代の地方分権の名残り。
・竹内好と鶴見俊輔が駅弁論争。竹内は横川の峠の釜飯(1958発売)、鶴見は高崎のだるま弁当(1960発売)を支持。峠の釜飯は発売当時から好評で、だるま弁当はそれに対抗して発売されたもの。しかしこの論争も窓の開く古き良き時代の鈍行の話。
・デパートで開かれる駅弁大会の客は女性が多い。
・常磐軒は新幹線品川駅に入れず、JR東海パッセンジャーサービスがのさばっている。これも一種の「伝統の創造」。

4.
・丸山真男(1914年生)は戦争体験を思想に結実させた。宮脇俊三(1926生)は戦前からの乗車体験を生かし、昭和史の生き証人として継承している。
・宮脇氏は自分はいい時代に生まれた、という。実際、宮脇氏の生きた時代は、鉄道の黄金時代であった。このように時代に生み出された人は、もう出て来ない。

・現在の鉄道趣味界は、かつてのスターに続く世代が乏しい。
・「オタク化」が進んでいる。1970年代の鉄道ジャーナル誌上での東西私鉄論争には多くのマニアが議論に参入できた。しかし今はそうではない。趣味の細分化が進み、同じ鉄道の共通語で会話できる幅が狭まっている。
・女性の鉄道趣味界への参入。酒井順子(注:『負け犬の遠吠え』の作者)の『週刊宝石』連載記事。鉄道は女性にとって安心して任せられる存在?

 講演の内容は以上で、以降質疑応答となりましたが、時間が押していたのでごく短時間に終わりました。

質問1:関西私鉄は最近JRとの競争で不利な立場となっており、経営が悪化している。今後関西私鉄の文化はどうなるか?(注:当時は村上ファンド阪神株買占めもJR西日本尼崎事故もまだ)
回答:バリアフリーなどソフト面での対応で私鉄の文化は生かせるのではないか。

質問2:新幹線は今後どこまで作るべきか、整備新幹線についてどうお考えか?
回答:誘致に地域によって温度差がある。東北が熱心で、歴史的には明治天皇の東北巡幸にあるのではないか。九州新幹線は必ずしも地元の人は喜んでいるわけではない。東北は鉄道にこだわるが、九州はこだわらない。それだけに九州新幹線が出来たことは興味深い。

 以上です。
 このたび2年ぶりに引っ張り出して書き写してみて、今更ながらツッコミどころの多さに我ながら驚いていますが、現在小生はビールを大瓶換算5本くらい飲んだ直後で、冷静な評価が恐らく困難だと思われますので、今日のところは内容紹介にとどめ、ツッコミは『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』の内容にも触れつつ、またの機会とさせていただきます。
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by bokukoui | 2006-11-26 23:57 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(0)

サントリー学芸賞の鉄道本略論 第1章 原武史氏講演録摘要(上)

 少し前に書いた「サントリー学芸賞受賞の書物に関して思うこと 序章」の続きです。

 本題の原武史『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』についての議論をする上で参考になるであろう、原武史氏の講演の際に小生が取ったメモをアップします。この講演は、2004年10月9日(確か日曜)に国立公文書館で行われたもので、当時公文書館が行っていた鉄道関連文書の文書展示会の一環としての企画でした。その日は折悪しく台風が東京を襲い、天候は荒れていましたが、結構な人数の聴衆が来場していました。
 小生はこの講演を聞きながらメモを取っておりましたが、以下のこのメモを一般の読者が呼んでも分かるように言葉を補って掲載します。といっても2年も前のものですので、メモがあっても記憶は定かではありません。そのことはご承知下さい。
 講演前に公文書館の職員が原氏の紹介をしましたが、何故かその際には『鉄道ひとつばなし』の著者であるとしか説明せず、サントリー学芸賞を受賞した『「民都」大阪対「帝都」東京』の名前は出ませんでした。
 紹介された原氏、さすがにまず『「民都」大阪対「帝都」東京』の説明をしてから講演を始めました。講演は全部で四部構成だったようです。

 <原武史氏講演要録>
1.
・自分にとって鉄道は研究対象であり、また趣味の対象でもある。しかし自分は鉄道マニアではない。
・高校の時は鉄研で、その頃は北海道の乗りつぶしなどをしていた。しかしその頃がピークで、その後乗りつぶし趣味からは撤退して、今でもJR全線乗ったわけではない。(強調)
・したがって自分は鉄道マニアではないから、鉄道趣味誌を読んでも外国語みたいで分からない。(この時「北モセ」がどうこうという話をしていたと思う)自分がマニアでないため著作には京都大学の某名誉教授などからツッコミが入っている。

・日本には鉄道マニアが多いが、これは日本に根を張っていたフェティシズム文化の影響。江戸時代の参勤交代の場合、藩主は肉体を現さず、駕籠というモノの形で表される=モノが聖性を帯びる、という特徴があり、これは儒教に裏打ちされた朝鮮の政治文化と対照的である。朝鮮の人には、日本人はモノを媒介として人が交わるように見えていた。(この辺ややメモの意味不鮮明)

・女性を取り込む鉄道の努力について。阪急の場合、宝塚という文化事業に限られた。もし小林一三が輸送事業に女性を採用していれば、他の事業で阪急が私鉄のモデルとなったように、他の私鉄もそれに倣って、鉄道のイメージがより女性的なものになったかもしれない。
・国鉄の場合、つばめガール・はとガールが国鉄発足直後登場するも、客車特急の廃止でこれも廃止されてしまった。
・鉄道マニアには女装趣味者が多い(服装倒錯者の人の談話によるとか)。JTBの日下部みどり子氏など。
・日本の鉄道マニアは所有欲がない(自動車マニアとの違い)。これはイギリスの鉄道マニアとも違っている。日本の鉄道マニアは男性性に乏しいのではないか。

2.
・日本を単一文化と見るのは安易ではないか。
・政治と鉄道の関係。鉄道は東京を中心に一元化するもの。天皇が鉄道の開業に臨み、乗車している。自著『大正天皇』の地図は宮脇俊三『時刻表2万キロ』の影響を受けている。

・お上の言うことにバカ正直に従う関東に対し、裏をかく関西。阪神が軌道として申請したことがその表れ。(注:阪神は国鉄と並行する電鉄路線を建設するに当たり、鉄道として申請すると当局の許可が得にくいので、路面電車や馬車鉄道のような道路に線路を敷く軌道として申請し、実際の路線の大部分は専用の軌道敷にして一部だけを路面にした。道路=軌道を扱う内務省の古市公威の判断により、阪神は軌道として認可される)
・関西は最初から反官的傾向が明らかであった。国家のためでなく、地域の民衆のためという発想、民衆のための生活文化。
・自立した「王国」を作る阪急。国鉄と乗換駅を増やすことがサーヴィスだという関東とは異なる。

・日光への輸送について。『鉄道ひとつばなし』では成田エクスプレスを日光まで延ばすことを提案したが、あくまでも日光輸送に関し東武に押されているJRが対抗するための努力について述べたものだった。しかし両者が手を握って、JRと東武が直通してJRの新宿~東武日光を運行するという「驚天動地」の結果に。「官」と「民」が簡単に手を握る風土が関東にはある。
・パスネットは私鉄のみのため、直通乗り入れしている地下鉄から乗ると不便なことがある。これも官におもねる関東的傾向。一方関西は、私鉄と旧国鉄とが画然と区別されている。

・仙台では街に近いところに新幹線の駅があり、仙石線は地下にあって、階段が多い。改札は自動改札。一方広島では、新幹線は駅裏にあって駅の構造自体は昔と同じ。自動改札ではなく、改札を出ると階段なしで広島電鉄の路面電車に乗れる。同じJRの駅でも、東と西とで異なる。

 以上がおおむね講演の前半部分です。
 充分長いので、色々突っ込みたいのをぐっとこらえて、後半は明日に回します。
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by bokukoui | 2006-11-25 23:59 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(2)

明日は

 学会報告するので早く寝る、というわけにも行かず例によって例のごとくレジュメ推敲中。
 何故か近代史の部会が午後からに設定されているので、つい夜鍋仕事になってしまうのでした。
 ちなみに近代史が午後からになっているのは、寝坊する連中が多いからではなく、小生のような夜型人間が多いからでもなく、どうも「終わったらすぐ飲み会に行けるから」らしいです。

 ところで明日、11月19日は鉄道電化の日といいます。

・鉄道の電化>鉄道電化の日(ウィキペディア)
鉄道電化の日(11.19)

 下の記事は一般向けだけど、あまりにも国鉄偏重史観という気がします。日本における電鉄の発展は、民間企業によるところがかなり大きいと小生は考えますので。
 で、この「鉄道電化の日」というのを決めた理由もやはり国鉄偏重だなあと思ったりするわけで、1956年11月19日に国鉄が東海道本線を全線電化したダイヤ改正の日にちなんでいます。うーん、まあそれも分かりますし、制定した経緯からすれば当然なのでしょうが、本来なら8月21日とすべきところですよね(1904年8月21日、甲武鉄道=現中央線の飯田町~中野間が電化、電車運転を開始。蒸気鉄道を電化した日本初の例。それまでの電車は基本的に路面電車であった)。
 とはいえ、明日はその東海道本線電化からちょうど50年に当たり、それはそれで記念すべき日ではあるかもしれません。

 ついでに、明日は京阪電気鉄道の創立100周年に当たるそうです(1906(明治39)年11月19日創立。開業は1910年)。おめでとうございます。一時は資本金額で日本一の電鉄を誇りながらも、広げすぎた所に恐慌でグループ再編を余儀なくされ、戦時中に阪急と統合させられ、戦後独立するも新京阪線を奪われ、波乱万丈の歴史でしたが。もっともここ半世紀は安定していた(あんまり派手なことしなかった)といえますが、その前の半世紀の反動でしょうか。次の世紀はどうなるのでしょうね。阪神よりはマシな(笑)経営を期待しています。

 とまあ、こんな記念日に電鉄ネタで報告するのだからきっと大丈夫、と気休めしつつ作業に戻ります。
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by bokukoui | 2006-11-18 23:58 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(0)

サントリー学芸賞受賞の書物に関して思うこと 序章

 何でも、最近サントリー学芸賞を受けた竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』という本に関し、批判が集まっているとか。

サントリー学芸賞事件+九州大学論文博士審査にまつわる疑惑

 で、ふと自分の書架にある同賞受賞の書物の背表紙など見て思いついたことを。

 リンク先の財団のサイトとか、あるいはウィキペディアなんかにも、受賞した書物の一覧が載っています。小生も今読み返して見ましたが、自分が持っている本(『近代家族の成立と終焉』とか『単一民族神話の起源』とか)、調べものの際などに一読した本(『陸軍将校の教育社会史』とか『伊藤博文と明治国家形成』とか)、その本自体は読んでいないけれども同じ著者の本を読んで面白かったもの(いっぱい)など、流石に人文系院生などやっているとお馴染みの名前が多く、サントリー学芸賞というのはなかなかしっかり選考されているのであろうと思います。
 でもこれだけやっていれば、玉石混交、例外もあるわけで。
 本件に関し、紙屋研究所さん書評を読んだ覚えがあった小生がふっと連想したのが、同じくサントリー学芸賞を受賞して話題になった一冊の本のことです。その本は鉄道を題材に扱い、一読すると確かに結構面白い本ですが、しかし学術的にはどうなのか、どこまで独創的なのか、とかちょいと考え出すと色々と妙な点が見えてくる、そんな本でした。ネットを今検索したところ、この本については、それなりに批判的な意見をネット上で公にしている方もおられました。しかし本件のような話題にはなりませんでした。鉄道趣味者のネット上言論力がまだまだ低いのか、単に受賞した頃はまだネットが普及していなかっただけなのか。

 ここまで書けば読者の方の中には何の本の話をしているのか想像のつく方もおられると思います。

 原武史 『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』

 講談社選書メチエから出て、1998年にサントリー学芸賞を受賞しています。
 この本の成功により、原氏はその後講談社のPR誌に鉄道話を書き、『鉄道ひとつばなし』と題して新書としたり、『ユリイカ』の鉄道特集(2004年6月号)で関川夏央と対談したり、宮脇俊三氏亡き後の鉄道文化人? といった一面での活躍をしておられます。
 しかし、『「民都」大阪対「帝都」東京』には、読み返すと色々とサントリー学芸賞受賞作として不備な点があるように思われます。それは、竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』に関して紙屋研究所さんが指摘しておられることと奇妙に被るのですが、実は先行研究に対し大して新しいことを言っているわけでもないという事です。要するに、小林一三を「関西」の代表者として取り上げることはこれまでの私鉄に関する諸々の語りと同様のことを言っているのに過ぎないのです。従って、ある程度先行研究に触れると、本書の魅力は色あせてくるのです(本書では、小林ではなく、大阪電気軌道=現近鉄の金森又一郎について触れた箇所の方が面白いと思う)。
 その他、技術的・経営的側面を完全に無視しているという致命的欠陥がありますが、そこら辺を含めて詳細を論じる時間的余裕が現在の小生にはありません。何故時間がないかといえば、今度の日曜日に学会報告を控えているためで、何を報告するかといえば戦前の電鉄業の歴史です(笑)。小林一三と五島慶太の影で無視されている太田光熈に光を当て、京浜電鉄をダシにした白木屋の野望を語る予定。
 のですが、時間を見て続きを書きたいと思います。以前原氏は国立公文書館の鉄道関連文書展示企画の際、鉄道に関する講演を行っています。その内容をメモしたものが手許にあったはずなのですが、例によって整理不行き届きで行方不明。それを発掘しつつ、同書について検討を加えようと思います。ということで今回は「序章」。
※追記:講演録の記事はこちら

 最後に、竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』と、原武史『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』に関し、極めて明白で、それだけに気になる共通点を指摘したいと思います。
 それは、どちらも講談社選書メチエだということです。あのシリーズ、面白い本も多いけど、期待しすぎるのもどうかというところなのでしょう。少なくとも爾後、選書メチエでサントリー学芸賞を受けた本には注意した方がいい、ということでしょうか。
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by bokukoui | 2006-11-16 23:57 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(0)

衝動買い

 本日10月14日は鉄道記念日です。めでたいめでたい。

 鉄道の日に関連して、その前後の週末に日比谷公園で鉄道各社合同のフェスティバルが開かれており、小生も毎年カレンダーの仕込み等に行っておりました。今年は京急カレンダーを愛用。しかし今年は所用立て込み、先週末に開かれていたイベントに行く余裕がありませんでした。残念。来年のカレンダーどうしよう。
 で、数年前のこのイベントで、富士急から衝動買いというか、その場の勢い(こういうイベント時にありがち)で買ってしまい、そのまま仕舞いこんでいるものがあります。鉄道の日記念ということで、数年ぶりに引き出して写真撮影。
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 電車の前照灯です。具体的にどの電車のものかは不明なのが残念ですが、一昔前の電車が屋上に載せていたタイプなのは見た目で分かります。小糸製作所製。いくらで買ったっけ? 富士急の人曰くは、万単位の値段をつけておいたら売れなかった、というので、十分の一位に値切ったらあっさり売ってくれた覚えが。持って帰るのが大変でした。
 小生の部屋の入り口附近が、本棚の配置関係上薄暗いので、これに電球を入れてオシャレな(笑)照明器具にしようというアイディアはありますが、実現するかは未定。
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by bokukoui | 2006-10-14 23:56 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(2)