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MaIDERiA出版局の夏コミ参加について

 このとこ身体的状況がいつものことながら良くなく、物事が何も進まず、当ブログへの来訪者は何故か急減し、財政が危機的であるにもかかわらず『百鬼園随筆』を買って欝欝と読んでいるというダメ人間状態のうちに五月も去ろうとしているのですが、そんな暗いことばかりでもなんなので表題の件に関して一筆。

 MaIDERiA出版局はコミケット70に当籤し、この夏参加できることと相成りました。
 日時と場所は、 8月13日(日曜日)東地区 レ-36b です。
 MaIDERiA出版局サイトもこれに合わせて微妙に更新し(告知だけですが・・・今月の更新が結局これだけというのも何とも無念)、ついでに夏の新刊予告を無謀にも書いておきましたが、あくまで予定ですのでご諒承ください。 まあ見る人もあんまりいないだろうから何を書いても・・・
 とまれ、まだ先のことですが、今後ともご愛顧の程宜しくお願い致します。
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by bokukoui | 2006-05-31 23:53 | 制服・メイド | Trackback | Comments(3)

鉄道の話(主として衛生に関する話)続き

 昨日の続きです。

 昨日紹介した記事に「中国の列車の乗客は窓からやたらとゴミを捨てる習性を持ち合わせている」という一節があり、また檸檬児さまからも「当時(日露戦争後)は汽車の窓からゴミを捨てるのは当たり前という一般感覚だったのかと、そっちの方が気になりました」というコメントをいただいたりしたので、列車内マナーについて少し思うところなどを書くことにします。

 今話題の阪急電鉄の経営者として名高い小林一三について、没後(1957年没)編まれた『小林一三翁の追憶』という本があります。小林一三と関係のあった人々による個人の思い出話集で、まあ実も蓋もない言い方をすれば提灯記事が六百ページともいえますが、読み方次第では結構面白いものあって、ここで一つ阪急の社長・会長を務めた佐藤博夫の回想から一節引用。
 私の運輸課長時代のこと、日曜や祭日には、先生(引用注:小林一三)はよく電車で駅々を廻り、殊に、箕面や宝塚には屡々行かれた。私も職業柄、沿線を巡回していると、お出会いすることが再々あった。時候のよい休日などは、家族連れの乗客が多く、車内で盛んに蜜柑や栗を食べては、皮をあたりに散らかす人がいる。そんなのを見かけると、先生は見兼ねて、すたすたとその前に行かれ、懐から懐紙を取り出すと、膝の上に置いて、これに包んで腰掛の下に置くよう仕ぐさで注意され、後はまた素知らぬ顔をして私と話を続けられる。――そんな場面が度々あった。(同書p.261)
 佐藤が運輸課長だったのが何年ごろか正確には調べていませんが、明治40年に就職、昭和十年代に第5代社長に就任していることから察して、大正末~昭和初頭ぐらいだろうと思います(後で調べておきます)。
 で、この話から読み取れることは、

1.戦前の人間は電車の中にゴミを散らかすことが度々あった
(しかも阪急で週末ハイキングなぞに出かける層となると、中間層である可能性は高い)

2.散らかすことに小林一三は不快感を示したが、紙に包んで腰掛の下に置くのならオッケー。
 ということです。

 要は昔の人の車内マナーはそれほど今から見ていいというわけでもなく、また求められる水準自体もさほど高くなかったということですね。だから『三四郎』の時代に汽車の窓からゴミを捨てたとしても別に不思議ではありません。
 今手元に資料がないのですが、『鉄道時報』という、確か今の交通新聞の先祖に当たる業界紙の復刻版(1900年頃の)を読んでいたら、乗客のマナーの悪さを嘆く業界人の投書があって、なかなかすごいものがありました。車内でタバコを捨てる輩(当時の客車は全て木造車です)、ナイフの切れ味をシートで試す奴(キれる乗客?)、ダイヤの指輪を自慢しようとガラスを引っかく徒輩(成金ですな)、とまあ今よりひどいもんですが、これが当時の水準であったということです。明治時代の人は、まだ近代的な公共空間での振舞いを身につける途上であったともいえましょう。とりあえず、マナーについて論じるときに「昔はえらかった」とあまり言わないほうがいいとは思いますが。あれは限定された秩序内での作法の話であって、多分公共空間での近代的振舞いとは異なるところもあると思うので。

 閑話休題、ではいつから日本人は車内にゴミを捨てなくなったのでしょうか。実はこの手がかり、昨日紹介した『星さんの鉄道昔ばなし』に書いてあったりします。新幹線に関する章からちょっと引用してみましょう。
・・・気を使ったのは、車内が汚れないようにすることだね。その結果、ゴミ箱を必ず使うというクセがお客さんにつきましたね。降りる前に、ゴミを持ってゴミ箱のとこまで行くクセが。新幹線みたいにきれいだと、ちょっと車内にゴミを捨てるわけにいかないしね。そういうことが非常に良くなったと思いますね。(同書pp.140-141)
 だ、そうです。新幹線ごろから列車が綺麗になって捨てにくくなった、確かにこの少し前頃から車輌の床が木張りからリノリウムとかになっていきますね。こういったことの積み重ねが、次第に車内でのマナーとして要求される水準を向上させていったのでしょう。

 というわけで、中国の旅客が窓からゴミを捨てなくなるには、エアコンが普及したり列車が高速化して窓がはめ殺しになっていけば、当然捨てられなくなるはずです(笑)。
 中華民族はそんなことにへこたれない? という声もありそうですが、高速鉄道が実際に開業すれば、やはりいくらかは向上もするのではないかと思います。もっとも、上海の人が捨てなくなっても、甘粛あたりまで普及するのには年月がかかりそうですが。
 ともあれ、案外マナーという「上部構造」も、車輌の性能向上みたいな「下部構造」によって変わってしまうもんなんじゃないか、そんな風に思います。

※さらに補足記事→「鉄道と衛生の話・補足」
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by bokukoui | 2006-05-30 23:57 | 鉄道(歴史方面) | Trackback(1) | Comments(0)

鉄道の話題

 今日の記事にこの表題を掲げれば、当然阪神・阪急の経営統合と村上ファンド保有の阪神株の問題について論じるであろうと思われるでしょうが、それに関連する新聞記事をネットで見ているうちに、全然違う、しかし興味深い鉄道記事を見つけたのでそっちの話をすることに致します。
 経営統合問題について一言だけ述べれば、阪神・阪急は経営が対立してお互いのカラーを明確に打ち出してきていたことからより多くの利益を一世紀近くに渡って獲得してきていたのではないかと思うのです。あと、阪神経営陣の対応の悪さはどうにかならんかという意見も多いのですが、村上ファンドにどうせ経営するつもりがないのなら、徹底的にほっとくというのも実は一つの選択肢だったのかもしれない、などとふと思ったりもしました(そういう意味では阪神の経営陣は「動きすぎた」かも。どっちにせよ褒められたものではなさそうですが・・・)。

 さて今日の本題ですが、日本の鉄道ではなく中国の鉄道について、ちょっと前のですがこんな記事。

 毎日3000トンの“糞尿”が線路に ロケットの予算はあるが、「黄害」防止の対策は後回し

 汚い話ですが、しかし(それだけに)興味深い話ではあります。
 で、これに関連して、日本の鉄道におけるトイレのお話などしてみようと思います。その際にネタ本として使うのは『星さんの鉄道昔ばなし』を持ってきましょう(ピクトリアルに昔列車トイレ特集があったはずですが)。この本は米山淳一という人が、国鉄の車輌設計者で、戦後の国鉄最盛期の主だった旅客車輌の設計に中心となって関った星晃氏に往時の話をいろいろインタビューしたものです。結構面白いですよ。アマゾンの書評にあるとおり、インタビュアーがやや提灯持ち的なのは否めませんけど・・・
 さて、この本では、米山氏の問がゴシック体で、星氏の答えが明朝体で印刷されています。大概の部分は、米山氏が1~2行質問を発すると、星氏が4~5行答えるというくらいの比率で話が進みます。しかし、新幹線に話が及び、そして新幹線のトイレについて米山氏が「トイレの話を少し」と話題を振ると(p.144)、星氏の喋ること喋ること。少しだったはずなのに、以後7ページに渡りトイレの話が延々と続きます。この間、米山氏は1ページ当たり2行分の合いの手を入れるのが精一杯という状態。ページを開いただけで他の箇所と違うことが分かってしまいます(笑)
 ちなみに、小生は一度星氏から直接お話を伺ったこともありますが、その時もやはりトイレの話をされると一番熱が籠っておられました。星氏ご自身、四半世紀に及ぶ国鉄での業績の中でも、列車トイレの改良をもっとも誇るべき仕事と考えておられるようです。

 で、それだけやはり列車のトイレ取替えは大事業のようです。日本でも新幹線の開発当時(1964年に新幹線は開業しているから、上掲記事の「1970年代以降のたゆみなき技術革新」はちょっとおかしいですね)から三十年以上かかって全部取り替えたようで、規模の大きい、しかもトイレを必要としそうな長距離列車が多い中国の場合、総取替えに半世紀かかったとしても不思議ではありません。
 さらに、文化的な問題もいろいろ関係してきそうです。前掲書からちょっと引用。
・・・日本人は昔は汚いものは便所に捨てる、という汲み取り便所のクセがあるでしょ。だから、初めにタンクをつけた時には、ずいぶんいろんな異物が便器に投げ込まれたんだ。便器の中にジュースのビンがあったり、下駄があったり、それぐらい異物が投入されたんですよ、日本では。ところが、今は一般の生活が洋式になってきたでしょ。そんなことを自分の家でやったら大変だってことが、みんな染み付いてきた。そういう時代になってから、あの真空式のシューっていうのができたからよかったんだ。つまり、時代の進歩とうまく合ってるんですよ。・・・(p.147)
 というわけで、こういった改良は技術や生活水準の向上と平行して進んでいくわけですね。取り上げた記事では「これは今まで言える環境にないので我慢していただけで、徐々に育ちつつある人権意識の高まりとともに、大きな問題に発展する可能性は大きいのではないだろうか」と述べられていますが、人権意識というか、生活水準の向上がこのような問題を問題として意識させるようになる面の方が大きいのかな、などとも思います。(こういってはなんですが、一般的に途上国では、線路際ってスラムが多いですよね・・・)
 そして、星氏の談によれば、列車のトイレ問題は日本の場合1949年から始まっていて、新幹線でやっと改良が実現した、そんな経緯があるようです。中国でも高速鉄道を作るそうですが、その際の技術的要請から人権意識やらなにやらとは別に、トイレの改良は実現する可能性があります。しかしそれを一点豪華主義ではなく、全国的なシステムと出来るかどうか(「車両にタンクをつけることよりも、タンクからどうやって汚物を抜き取るか、地上設備が大事なんだからね」前掲書p.148)は、やはり社会の生活水準とかが向上する必要がありそうですね。
 というわけで、トイレ一つとってもなかなか色々な問題があって難しい、いや、社会の様々な人々が関係してくるという点では、実はロケットを打ち上げるより難しかったりするんじゃないのか? と思ったりするわけです。
 
 ところでどうでもいい話ですが、黄害の沿線に及ぼす影響を評価するなら、撒かれた汚物の量を路線延長とかで割った方がより適切なような気もしますが、或いは輸送密度で割り振って推測するとか、まあでもそんな細かいことは中国の鉄道当局も考えていないのかな。

 こんなことを書いているうちに、小林一三の本にあった車内マナーに関する逸話など思い出したのですが、もういい加減長いし、またの機会に。

※さらに補足記事→「鉄道と衛生の話・補足」
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by bokukoui | 2006-05-29 23:53 | 鉄道(時事関係) | Trackback(1) | Comments(3)

改めて山名沢湖『レモネードBOOKS』を読み直す

 一つのことしか一度に出来ないという、ウィンドウズ以前のMS-DOSみたいな性格の人間なもので、毎日駄文をここで書き流しているとMaIDERiA出版局の更新が全く停滞的になっております。
 まあ、『エマ』7巻が出たので、来月は確実に「墨耽キ譚」の更新が出来ますが、今月の更新はどうしよう。「よりぬき『筆不精者の雑彙』」は新しいコンテンツを作ったわけじゃないしなあ。
 というわけで、何とか今月中に、一年以上放置している書評企画を何とかしたいと思っているのですが・・・メイドさんを理解するには近代家族の理解がよい手がかりとなり、近代家族についてヴィクトリア朝から現代日本まで繋げて見る時に郊外住宅地という視点で見るといいだろうと思って数冊の本を読んできていたのですが、ふと気が付いたらこれは鉄道趣味者向けコンテンツであってメイドスキーの関心のありそうなことなんぞ出てこない、という始末。はてさてどうしたもんか。

 まあとにかく、メイドとオタクと近代家族、というテーマでボチボチこのブログに草稿を挙げ、それをまとめて本家のコンテンツにする、という風に出来れば便利かなと思います。今後は出来るならばそういった方針でこのブログを運営していければと思います。
 で、オタクと近代家族について論じるならば本田透氏の所論には触れずばならぬでしょうし、その場合『萌える男』を入手する必要が生じ、これにもう暫く時間がかかりそうで、そこで当面の代替措置としてネット上をうろうろして幾つかのサイトの書評など見ているうちに、全然違うことを急に思いついたのでこれを今日の話題として書いておくことにします。・・・初手から掲げた運営方針と違ってるようですが気にしない。

 暫く前に山名沢湖『レモネードBOOKS』を買って読み、なかなか楽しかったのですが、ブログの記事ではやや本書から離れたところまで飛躍したような印象を書いておりました。
 さて、上記のような事情で幾つかのオタクと恋愛関連の――つまり本田透氏の書物を評した幾つかのサイトなど読んでいるうち、『電波男』を読んだ時に感じた諸々の違和感というか不満点というか、そういったものが甦ってきて、それをぼんやり反芻しているうちに突然『レモネードBOOKS』のことが意識に上ったのです。
 『電波男』の基調をなす要素として、「オタクである自分を認めてくれず毛嫌いする」世間へのルサンチマンが大きいものであるように思われ、自分のことを分かって欲しい、受け入れて欲しいでもそんな女性はこの恋愛資本主義のご時世に存在しない、だから二次元キャラに萌えよう、という展開になっていたように思います。
 それに突っ込むことはいろいろあるのですが、ひとまず『レモネードBOOKS』の描いた世界にひきつけて考えれば、「分かってもらう」という必要は別にない――もうちょっと穏当な表現を使えば、「分かってもらう」「受け入れてもらう」のハードルを著しく引き下げることが可能であり、しかもそれは実現可能性にしてもかなり高い目の方法であろうと考えるのです。
 というのも、どうも本田氏の書物では、受け入れる=同じ趣味嗜好になる、という趣旨のようで、批判するか改宗するかの二択にしてしまっているように思われてしまうのです(二分法という点は、氏の書物全般に見られる傾向ですね)。そこまでハードル上げるから自爆するんじゃないかと思うのです――実例を身近に知らぬでもありませんから。

 『レモネードBOOKS』の世界に戻りましょう。
 自分は特別本が好きというほどではないけれど、本の大好きな岩田君(作中でしょっちゅう「オタク」と形容されています)が気になって、結局付き合うことになった森沢さん。彼女は本の好きな岩田君に戸惑い呆れつつ、時には自分に趣味がないということに悩んでみたり、そうしつつ関係はほんわかと続いていきます。
 一方本が大好きな朝霞さんは、本屋のバイトで出会った男と「趣味が同じでうちとけて 趣味が合わずに険悪になった」のでした。これって結構重要なことで、趣味とか嗜好が同じというのは無二の親友になる可能性もありますが、不倶戴天の仇敵になる可能性もあるのです。全然趣味嗜好と関係のない連中とはまた別個の憎しみが湧いてくるもので。ほれ、中核派の人が革命を起こす前に革マル派を襲っちゃったりするみたいな(ひどい例だ)。
 とまれ、趣味(仕事とかでももちろんいいけど)が自分にとって大切でかけがえのないものであればあるほど、同じ趣味の人との差異が明確になってしまうこともありえます(しかし、それが必ずしも「険悪にな」るとも限りません)。

 要するに、すべてを理解しあわなければ恋愛のような深い人間関係(友人関係でもいいでしょう)にならないと強迫観念を抱くことはないだろうと思うのです。別に世界が、不倶戴天の異教徒と信仰を同じうする同志とに截然と分かれるわけではないと考えれば、互いに差異が存在することを承知した上で、互いに未知の部分があるということを承知した上で共存することは出来るであろうと思われるのです。
 ただ、この関係を維持するには、以前の話題にひきつければ「情」のみならず「理」の果たす役割が相当程度重要であろうと思われますが。未知なる部分が何かの拍子に表面化したときに適切な対応を取るには、今まで築いてきた関係の価値をも勘案した上で判断を下す必要があり、それに「理」の役割が重要であろうからです。

 最後は、以前にご登場願った桜井教授にまた登場していただくことにしましょう。
「人は決して分かりあうことは出来ない、ただ許すことが出来るのみである」 
 分からなくてもそんなに気にすることないんですね、許すことが出来れば。
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by bokukoui | 2006-05-28 23:56 | 漫画 | Trackback | Comments(2)

森薫『エマ』7巻入手・その他英国関連文献など今月の書籍状況

 機械の不調などにより更新がやや思うに任せず、若干ストレスがたまったりしております。

 さて、いよいよ森薫先生の『エマ』が完結し、先日最終巻の7巻が発売され、小生も入手しました。「購入」でなく「入手」なのは、これはもともとたんび氏が購入したモノだった所、昨日たんび氏宅で氏の慰労麻雀大会が開催され、しかし何故か小生が勝利を収め、その他の件もあわせ氏と諸々精算となった折小銭がなくて端数が払えず、たまたま『エマ』の額がちょうどそれに合っていたため、物納と称し小生が取得したという次第であります。
 最後の局で聴牌した大三元を上がっておれば『プ~ねこ』も物納だったでしょうがそうはうまくいかず。
 で、帰りの電車で『エマ』最終巻を読んだのですが・・・

 感想などはまた後日にさせてください。
 一つだけ、編集当局は大変的確な決断をされているのではないかとは思いました。

 先月末に『図解 メイド』が出て以来、『エマ』7巻を取得するまで、振り返ると何か異常な調子で本を買っていたような気がして、ちょっと積んでみました。 
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 画像はクリックすると拡大します。
 既に積読本が三十冊はあるというのに我ながら何なんだか。図書館で読んだことがあって、たまたま見つけたので手元に置いておこうと思って買った物もあるので、全部が未読というわけではないし、漫画はすぐ読めたし、新書もそれほどはかからないのですが・・・でもちょっと資金繰り的にも置き場所的にも危機的な状況を惹起しております。そんなに本を買いたくなるほどストレスに満ち満ちている訳でもない、と思うのですが・・・
 え? クレフェルト『補給戦』復刊? こりゃ即買いですな。

 上掲写真に新井潤美『階級にとりつかれた人びと』という本が写っていますが、 この本も買って初めてまともに読みました。現在の我々の視点からすれば、貴族より下層中産階級の話の方が興味深いところで、なかなか面白く読了しました。
 そこで、随分昔に古本屋で買ったまま積んでおいた、下層中産階級に関する本があったな・・・と思い、書架から発掘してきて、今読んでいます。『イギリス下層中産階級の社会史』という論文集の翻訳書です。原書が『階級にとりつかれた人びと』の参考文献に挙げられていることは言うまでもありません。
 これが読んでみるとなかなかどうして面白く、実に示唆されるところの多い論文集でした。直接使用人の話はあまり出てこないし、下層中産階級はそれほど使用人を雇えていたわけでもないのですが、もうそんなことはどうでもいい、ってくらい面白いのです。まあ、これは小生が最近近郊住宅の歴史に些か関心を抱いているせいでもあるからなのですが。
 一箇所、引用してみます。リチャード・N・プライス執筆の第3章「ジンゴイズムと下層中産階級の愛国心 1870-1900年」の末尾です。ジンゴイズム jingoism とは、本書の訳注によれば、「一般に、偏狭な愛国主義や盲目的主戦論、対外強硬論を表す言葉」(同書p.85)です。
 ・・・さらにジンゴイズムはあることがらの結果にほかならなかった。というのは、彼ら(引用注:下層中産階級。事務員などホワイトカラーの下層が中心)が愛国主義的訴えに引きつけられたのは、社会のこの部分に存在した緊張や問題によってだからである。こうした階層にとって、愛国主義は、決してならず者の最後の隠れ家ではなく、品位の高さの究極的な主張であった。それは、つかのまのものではあれ、品位の高さの獲得やそれにもとづく道徳に向けられた強烈な経済的、社会的、文化的攻勢への1つの応酬であった。人びとはそれによって、単に直接的な意味で群集や勝利者に対して「帰属」できただけでなく、私心のない責務、自己犠牲、および従順(それらは事務員に必要な美徳である)を強調する価値観にも帰属することができたのである。そして、そこでは社会的上位者のものと考えられた信念や価値観との、希薄とはいえ、少なからぬ一体化が可能となった。手短にいえば、愛国主義は、一定の人びとの社会的地位の不安定さに対する対応策を提供したのであった。すなわちそれは、恐れつつも、どう統制してよいのかいまだに分からない諸力や圧力を理解しようと「暗中模索している・・・滑稽で取るに足りぬ人びと*」の社会的地位の不安定さへの対応策の1つだったのである。
(同書pp.108-109)
* (原注)Bullock, Shan F., Robert Thorne, The Story of a London Clerk, T.Werner Laurie, London, 1907.(2nd edn. 1909) p.11
 なるほど、道理でヴィクトリア朝ものが流行るわけ、なのか?
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by bokukoui | 2006-05-27 23:59 | 書物 | Trackback | Comments(2)

スターリン批判50周年記念の歌

 今日は諸事情により変則的な時間に更新しております。

 さて、「伝統の創造としての夏祭り」というテーマを思いついたのですが(一体何故アニメや漫画では皆浴衣を着なければならないのか)、そんなことを考えているとジッタリン・ジンの「夏祭り」が聞きたくなり、そこでジッタリン・ジンのベストCDとかを聞いていると有名な「プレゼント」が当然入っていて、それを聞いていると「あ、今年はスターリン批判から半世紀なんだ」と今更ながら気が付いたので、急に替え歌など作ってしまいました。
 以下、ジッタリン・ジン「プレゼント」のメロディーで。


あなたがロシアにくれたもの カントが住んでた古い街
あなたがロシアにくれたもの カーゾンラインの東側
あなたがロシアにくれたもの エルベに至る衛星国
あなたがロシアにくれたもの ほんの僅かのスオミの地
あなたがロシアにくれたもの ベッサラビアにカルパチア
あなたがロシアにくれたもの 昔取られたサハリン島
あなたがロシアにくれたもの 昔譲ったクリル諸島
あなたがロシアにくれたもの 金日成の北朝鮮

大好きだったけど粛清したなんて
大好きだったけど今度の党大会
bye bye my Staline
批判をしてあげるわ

あなたがロシアにくれたもの 富農のいないコルホーズ
あなたがロシアにくれたもの 世界第二の製鉄業
あなたがロシアにくれたもの 自然を改造大運河
あなたがロシアにくれたもの 祖国を守るGPU
あなたがロシアにくれたもの ヒトラー倒した強い軍
あなたがロシアにくれたもの 自分の名前の重戦車
あなたがロシアにくれたもの ドイツ生まれの戦闘機
あなたがロシアにくれたもの アメリカ生まれの核兵器

大好きだったけど粛清したなんて
大好きだったけど今度の党大会
bye bye my Staline
批判をしてあげるわ


 暇な人がいたら3番も作ってください。
 名詞を取り替えるだけだから簡単だろうと思ったら、8音-5音のテンポに合わせるのが意外と大変。ルテニアとブコヴィナをまとめてカルパチアにしたのは苦しかったかな、ソ連の鉄鋼生産いつ世界二位になったっけ、とちょっと怪しいところもあるので改良案も募集。

 え? なんで「プレゼント」からスターリンになるのかって?
 それは、もとの歌詞の「sweet darlin」が「スターリン」に聞こえるからだよ。
 ・・・小生の耳も自己批判が必要なようで。

※追記:「伝統の創造としての夏祭り」については、こちらの記事で書きましたので、ご参照下さい。
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by bokukoui | 2006-05-26 09:37 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(3)

ここは酷いアニメ放映中ですね

 以前やったネタ憑かれた大学隠棲氏反応してくれたので、こっちも返礼までにもう一つ。
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 放送局は本当はNHK教育というのが筋なんだが。

 ついでに、先日の記事にちなんで願望を込めてもう一つ。
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 実現に向けて皆様こちらに是非清き一票を。こちらも60票超えてますし何卒一つ。
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by bokukoui | 2006-05-25 23:51 | 思い付き | Trackback | Comments(3)

続々・情理の比率

 すっかり日時が経ってしまいましたが、この話題の続きです。

 これまでの記事で、趣味(に限らないことでもあるだろうと思います)には「情」「理」の二面があるのではないかと考え、前者は個人的感情に依拠し、後者は普遍的知に基づくのではないかとしました。そして「情」の面は「なんとなく」他人に伝わりやすく、「理」の面の説明はかえって受け手に要求する前提があるため広くは伝わりにくい、したがって業界を広げるには「情」が必要であり、深化させるには「理」が必要で、どちらも必要であるということでした。
 この解釈は「情」=初心者、「理」=上級者のような階層構造に陥りやすく、その問題を克服するために、ここでは一個人の中での「情」「理」両面の存在を考えてみたいと思います。

 「情」の面のよいところはとりあえず何となく伝わるということです。「理」のような厳密さを求めることが少ないので(「情」は厳密に定義するという作業をすることが非常に難しいというべきなのかもしれませんが)、かえって曖昧に通じてしまうのです。そのため「情」の道は仲間を得ることが比較的たやすく、それが新規参入者の勧誘に有効な理由でもあります。
 ただ、そればかりでは弊害が出るのではないかということも考えられるのです。
 「情」によるコミュニケーションを介して趣味の世界に接してばかりいると、しばしば趣味を媒介として仲間と馴れ合ってしまうことの方が、趣味対象そのものよりも重要なことになってしまうことがあります。それを一概に否定するのも愚かであろうとは思いますが、そうしていると結局は趣味対象そのものへの関心が薄れてしまい、その道そのものからは遠ざかってしまうこともあるでしょう。或いは内輪に籠ったコミュニティーになってしまい、これまた趣味対象へのアプローチが狭隘になってしまうこともありえます。
 個人的な思いを理由にした「情」的アプローチは、実は感情を満たせるトリガーとなりうるものなら何でもいいとも言えます。その趣味である必然性はないのです。

 必然性を説明しうるようにするには、やはり「理」によるアプローチで普遍性を獲得し、アカウンタビリティを果たせるようにする必要があるように思います。趣味にそんな堅苦しいこと、と思うかもしれませんが、ある趣味から得られる喜びをより大きいものへとするためには、考えてみて損になることではありません。いや、考えようとしなくても、ある趣味に充分深くコミットした状態になっているということは、無意識のうちにもそういった課題への答えを見出しているという何よりの証拠といえるでしょう。
 といって、「理」によるアプローチが全面的な解決をもたらすわけでもないでしょう。こちらはこちらで、自己の正当性を主張することが目的化したり、自己の正当性を確信しているが故に絶対に受容されるはずだと信じて如何に伝えるかという配慮を欠いてしまったり、これはこれで他者との関係に問題を生じせしめ、往々にして関係を断絶させます(まあ、趣味をとことんやって孤独でも別に構わないと思わなくもないのですが・・・)。

 結局は、一個人の内部においても、趣味業界全体同様、「情」「理」の適切な配分が必要だということですが、どのように配分するのかはケースバイケースとしか言いようがありません。これは個人の状況や趣味対象の性格などによって変ってくるものですから。

 これだけグダグダ書いてきて何が言いたいかといえば、実は内田百閒の作品では『阿房列車』より『御馳走帖』が好きだ、ということだったりします。
 小生にとっては、その壮大なシステムの見事さゆえに愛すべき対象である鉄道と、五感を総動員した楽しみである食とに接する場合では、「情」「理」の比率がある程度異なっており、百鬼園先生のスタンスとの距離を測った時に生じたずれが、このような感想を抱くに至ったものと考えます。
 例えば同じ食を題材にしていても、自ら食事を作り、星岡茶寮を経営し、食器のために陶芸まで始めた魯山人の『魯山人味道』とでは、『御馳走帖』の味わいは大分異なるわけでして。

 どうも最後がまとまらないのがこのブログの癖みたいになってますね。また何か思いついたら書くことにしましょう。
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by bokukoui | 2006-05-24 23:53 | 思い付き | Trackback | Comments(4)

今日でおしまい

 新司法試験は無事終わったでしょうか。
 小生の知り合いにはどういうわけか法科大学院生が多いのですが、皆さんあまり楽しそうではなく、制度の批判について水を向けると、検事の論告求刑宜しく滔々と説かれる方が少なくないような気がするのは、必ずしも小生の偏見や交友関係の偏りばかりに原因を求める訳にもいかないのではないかと思わなくもありません。
 ともあれ、受験者の皆様、お疲れ様でした。

 一応小生はこのブログで、特定の読者個人を想定した内輪ネタはなるべく控えてきたつもりですが、今日はこう書かずにはいられなかったということをご諒承ください。

 某法科大学院に通っているさる後輩が、その学校の教師も学生も「サヨク」ばかりだと言い、またここの女性とのコミュニケーションが取りにくい、扱いが難しいといっておりました。
 一方、同じ学校に通っているさる女性の方は、この大学院の男は「保守的」な連中が多く、女性観もその例に漏れなくて、付き合いにくいと言っておられました。
 同じ学校なのに対照的な意見、法科大学院に苦情があっても、その内実は様々といえるみたいですね。
 ・・・って、よく考えれば上の二人の意見は実は矛盾していないのか・・・それはもっと哀しいことかもしれません。

 特定の人の話で済みません(とりわけ心当たりのある方には)。でも、この二つの意見のような関係は一般化することが決して出来ない問題ではない、そのように思うのです。
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by bokukoui | 2006-05-23 23:56 | 思い付き | Trackback | Comments(5)

ラーメンを食して思う

 本日は臨時のバイトで遅くなったため更新時刻が遅くなっております。
 何卒ご諒承ください。
 さて、今日は途中立ち寄った池袋でラーメンを食していたのですが、その節に以下のようなことを考えました。

 池袋は「ラーメン激戦区」とやら(テレビ東京あたりが好きそうな言葉)だそうで、実際多くのラーメン屋が立地しております。数年この街でバイトをしていた中で思い出しても、潰れた店より開店した店の方が多いような気がするなあ。で、思うにラーメン屋は比較的経営しやすく(メニューのレパートリーや調理の手間などを考えれば)、そして店舗数が減らないところを見ると利益面でも悪くないみたいですね。
 今日はそこそこ気温が高く、小生は持っていた上着を鞄に突っ込んでおりましたが、ふと急にラーメンを食いたくなって某店にて一杯食しました。そして食しながら、冷房がなかったらこんな日にラーメン食おうとは思わなかったよなあ、などと思ったのでした。
 そう思い出すと、それこそ焼肉屋とか、さらに遡って牛鍋屋みたいな夏場向きではないメニューを出す店は、昔は夏場はどう営業していたんでしょうね。

 森銑三『明治寫眞鏡』という本に氷水(今のかき氷)についての古記録の紹介があって、明治14年(1881年)の頃らしいですが、「伐氷の家、冬は多く牛豚を売る」とあるのを紹介し、さらに続いて、「後には氷屋が冬には焼芋屋になるといふのが、定石のやうになってゐたが、氷屋が肉屋になる時代もあつたのである。この頃の肉屋は、寒い時期だけの商売だつたのである」とあるけど、冷房普及以前に牛鍋屋(だろう、氷屋は氷を食わせる設備込みみたいなので)は通年営業になっていたようですね。夏はさぞ暑苦しかったでしょう。
 ラーメン屋じゃなくて蕎麦屋なら、夏はもり・ざるで凌ぐという方法があるので、通年営業の面では有利であったように思われますが、では上方のうどん屋だったらどうだったんでしょう。
 ラーメン屋は昔は屋台で営業していて、ということは陽が沈んでからの営業が中心でしょうから、暑さの面での問題をある程度回避できたのかもしれません。屋台から店舗への変化が札幌ラーメンと九州のラーメンとどっちで早く進行したか調べたら、案外有意な相違が見出せるかもしれません(何となく九州のラーメンって屋台のイメージが強いんですよね)。
 そういや冷房が普及した今でも夏場は販売していないことが多い鍋焼きうどんですが、あれもそもそもは夜に屋台で売っていたものらしいです(『明治寫眞鏡』の「氷水」の次の次の項目が「鍋焼饂飩」だった。なお昭和初期になっても屋台販売が主だったらしい。柳田國男の『明治大正史世相篇』(1930)に「町の大道の鍋焼き饂飩」とある)。
 「外食産業に冷房の普及がもたらした影響―屋台から常設店舗への移行を中心に―」とか、そんな論文があったら読みたいですね、是非。
 
 しかし本当に、昔夏場の食い物屋やそこへ食べに行っていた人はどうしていたんだろう。
 或いは熱いものを食して汗だくになってもそういうことを気にしない、つまり衛生観念面での変化があったということなのかな。その方が説得的かなあ。

 なお、小生が気温に関らずラーメンを食するに至ったのは、多分ここんとこ家で「刻み揚げ入り温そば」ばかり作って食っていて、流石に脂っこいものが食したくなったからであろうと思われます。
 毎日ひたすら蕎麦ばかりお召し上がりだった百閒先生は偉いなあと(少し)思います。
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by bokukoui | 2006-05-22 23:59 | 食物 | Trackback(1) | Comments(0)