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富岡製糸場見学記(4)

 昨日の続き、これで富岡シリーズも最終回です。

 まずはブリューナ館の続きです。
 この建物には、お雇い外国人のフランス人滞在時代に葡萄酒の貯蔵などに使われていたという、レンガ造りの地下室が残されています。建物の方は昨日書いたとおり教育施設に転用されており、その際講堂に改造された場所が入り口です。講堂の床板が一部外れるようになっており、そこから降りていくことが出来ます。
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 階段を下りるとまず割りと大き目の部屋があり、奥にもう一部屋、さらに鍵の手に曲がって最も奥の部屋と、三つの部屋があります。手前と奥の部屋は天井まで煉瓦で固められていますが、真ん中の部屋は角材が天井に渡されていました。
 手前の部屋の写真を示します。奥から出口に向けて撮ったものです。
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 これもフランス積みで、天井や出入り口の上部は綺麗なアーチを描いています。明治初期の陸軍の要塞は、幕府以来のフランス陸軍の影響下にあったのでフランス積みの要塞などが今でもいくつか残っていますが、そういった施設を彷彿とさせます。
 地下室の中はひんやりとしていて肌寒いくらいでした。これなら倉庫としてはなかなか有効ではないかと思いましたが、一説には一番奥の部屋は避難所? という噂があり、というのも一番奥の部屋の天井には換気口らしきものが空いているのです。その写真を以下に示します。
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 ブリューナ館を出て、今度はコの字に並んだ繭倉庫と繰糸場に囲まれた、元々ボイラー室などがあった区域に向かいます。ここはやや危険な箇所もあるので、ロープが張られて立ち入り禁止になっていますが、今回の見学会は特に見せていただくことが出来たので、一同ロープを外して中へ入ります。すると、たまたまその場にいた普通の見学者たちが、事情を解さずについてきてしまいました。といって追い返すのもなんなので、そのまま見学会は続行、あの人たちは普段見られない箇所を見られて得したと思ったのか、それともえらくマニアックな説明でワケワカだったのか、どうだったのでしょうね。
 なお、ボイラーや煙突などは、その後新しいものにすっかり取り替えられている(現在の煙突は三代目くらいだとか)そうです。
 その囲まれた区域から、東繭倉庫を見渡した写真を以下に示します。工場の中にこれだけ広々としたスペースがあるんですね。
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 この写真を撮った場所附近に、小さな煉瓦の倉庫があります。これは後になってに建て増しされた油倉庫だそうで、実は富岡製糸場の煉瓦の建物の中で、明治5年の創業時に建てられた物以外では唯一の現存例なのだそうです。その写真を以下に示します。
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 煉瓦の積み方にご注目ください。これは他の富岡の建物と違って、イギリス積みになっています。フランス人の指導下でなく、日本人で煉瓦積みの建物を作るとなると、やはりイギリス積みを採用するようです。

 富岡製糸場には動力として蒸気機関が設置されましたし、殊に製糸では繭を煮るために水を必要とします。そのために設けられた水タンクが現存しています。これは鉄板をリベットで接いだもので、現在のIHI、石川島播磨の発祥に当たる工場がまだ石川島でなく横浜にあった明治のごく初期に作られた(鉄板は輸入でしょうが、どこの国からかは不詳)ものだそうで、これも珍しいものです。
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 石積みの上にタンクが載っかっていますが、これは最初もっと低い位置にタンクがあったのを、水圧が足りないからと石を積み替えて高くしたとめこうなっているそうです。この水タンクなどのあたりを一般公開していないのは、この石積みが危なっかしく、下に潜り込めてしまうので子供などが入り込んだら危ない、という懸念があるからだそうです。

 水を使ったら排水するわけですが、繭を煮た後の水は悪臭がするそうで、そこで富岡製糸場では下水道を掘って排水していました。上が開け放しの開渠では臭いが周辺に撒き散らされるので暗渠になっています。まあ最後は、昔のことなので結局川に垂れ流していたのですが。
 この下水も産業遺産として調査され、どこからどこまで走っているか確かめられたそうですが、今回は蓋を開けて下水道の一部も覗かせていただきました。
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 下水が流れているところの壁は煉瓦で組まれていましたが、その上からモルタルを塗っているのがお分かりいただけるでしょうか。モルタルとは要するにセメントに砂を混ぜたものですから、富岡製糸場ではセメントが使われていたそうです。煉瓦の接合も漆喰ではなくモルタルだったとか。

 排水に対し、水を汲むのには井戸がありましたが、現在その井戸の覆いに使われているのが初代の煙突の基部だそうです。
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 鋳鉄製で、円筒形のパーツをいくつも繋ぎ合わせて煙突にしていたようです。この根っこ部分以外がどうなったかは不明ですが、近所の鍛冶屋などがスクラップとして再利用したのでしょうか。

 以上のように、大変充実した見学でした。明治初年の意気込みが今でもこうして形をとどめ、さらにその後一世紀以上に渡って現役で稼動し続け、人々の活動が積み重ねられてきたということは大変素晴らしいことですね。現在、日本で製糸をやっている工場はもう2件しかなく、それも赤字で補助金などにより事業を継続しているそうで、この一世紀の推移に感慨を覚えずにはおられません。製糸業自体が産業遺産状態になりかかっているわけです。
 そのため片倉工業も段々と製糸事業から手を引き、各地にあった工場を閉めていったのですが、それら工場にあったもので捨てなかった物は、この富岡の煉瓦造りの繭倉庫(これは今回中を見学していません)に放り込んであるそうで、そこにしまってあるものでも製糸資料館くらいはつくれそうだということです。現在富岡製糸場の建物は富岡市が引き取って管理しているそうですが、富岡市側としては繭倉庫の収蔵物も引き渡してもらえないかと交渉中だそうです。それがうまくいって、富岡製糸場が建物だけではなく総合的な製糸業博物館になれば何よりと思います。
 しかし、ということは、未だにこの煉瓦造りの繭倉庫は、倉庫として現役で使われているということなんですよね・・・それが何よりすごいこと、かもしれません。
 もっとも、この製糸場が「世界」遺産としての価値があるのか(無論、日本史上の価値は疑うべくもありません)、それを説明できるかが世界遺産になれるかのポイントのように個人的には思います。「非西欧の途上国が工業化に成功した記念碑」であると説得できれば、他の国も世界遺産にすることに納得してくれるでしょう。富岡の関係者の努力が功を奏することを祈ります。(もっとも市当局については、塩山氏の記事を読むとなんか不安になりますが・・・)

 製糸場の見学を終え、見学会の一堂は解散し、一部有志が工女の墓の墓参に行き(既に述べたように小生は見学前に参詣しましたが、結局もう一度行きました)、そして駅へと向かいます。その道中で、富岡製糸場の世界遺産子弟を訴えるこんな看板を見つけました。
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 ・・・隣の辻に、例の「世界人類が平和でありますように」の看板が立っていたので、なんだかそれとそっくりだなあという印象を受けてしまいました。

 駅に着くと、折りよく間なしに電車が来るようでした。切符を買ってホームに向かい、ふとホームの屋根を支える柱を見ると、古レールを再利用して柱にしています。レールには規格や製造メーカー、製造年などが刻まれているものですので、列車が到着するまでの僅かな時間に急いで探してみたところ、二つ発見しました。以下にその写真を示します。
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 上の写真のレールには「E.T. 84 ||||||||・・・」とあり、下の写真のレールには「・・・PSCo84・・・」とあるようです。
 「古レールのページ」というサイトを参照してみるに、上の写真のレールはエドガー・トムソン製鋼社によって1884年の9~11月ごろ製造された、との意でしょうか(縦棒の本数は製造月を表しますが、正確な本数が写真からではよく分かりません)。下のはペンシルヴェニア製鋼会社の産と思われ、「84」が製造年とすれば、上の写真のそれと同時に、同じくアメリカで作られたものだと言うことになりますが、確証は持てません。今後の研究課題ですね。上信電鉄にもまだ産業遺産がありそうです。

 そうそう、最後に、以前電話をかけたのに運行状況が分からなかった富岡製糸場の世界遺産指定キャンペーン電車ですが、最後の最後にすれ違ったので窓越しに写真を撮っておきました。
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 と、いろいろと充実した見学会の一日でした。
 また機会があれば再訪し、撮り損ねた写真を撮りなおしたいところです。皆さんも何か機会があれば探訪されては如何でしょうか。

※2014.5.1. 追記:富岡製糸場の世界遺産登録がめでたく内定しましたので、それを記念した記事を書きました。この一連の旅行記では紹介しなかった写真も、お蔵出しで掲示してます。
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by bokukoui | 2006-06-30 23:53 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(0)

「東京大学オタク物語 その四」公開

 本日のブログ定期更新として後刻富岡製糸場見学記の続きは書きますが、それとは別にMaIDERiA出版局サイトの更新をしましたので、告知いたします。

 3ヶ月も間が空いてしまいましたが、「東京大学オタク物語」の第4回を公開しました。今回はコミケのカタログを題材に東大のオタク活動の様相を検討するなどしております。
 しかし、実のところ第1回から今回までは序論というべきもので、本論、つまり「スクールカースト」に関連した話題は次回に述べるつもりです。次回以降も宜しくお願いいたします。
 閲覧については、本記事中もしくは左のリンクからMaIDERiA出版局サイトへ飛んでください。

 なお、今回公開の記事中「注17」のデータについては、じきにアップしますので、暫くお待ちください。
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by bokukoui | 2006-06-30 20:03 | 思い付き | Trackback | Comments(0)

富岡製糸場見学記(3)

 昨日に引き続き製糸場内の見学についてです。今日は糸繰りを行っていた建物を中心に。

 2号館・3号館を見学した後、繭の倉庫と直角に立つ、糸繰りを行っていた建物の内部を見学させていただきます。
 まず、2号館の2階から繭倉庫と繰糸場とを同時に収めた写真がこちら。右手が倉庫、中央が繰糸場です。屋根が2段になっていますね。
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 この繰糸場も木骨煉瓦造りですが、中はこのようになっています。
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 立派な木材で組まれた屋根の小屋組みが見事です。
 この建物では繰糸が行われていました。もうちょっと厳密に言えば、富岡製糸場建設当時は、この建物で繭を煮てそこから糸を取り出すまで、工女さんが一貫して行っていました。その場面の絵なり写真なりは、皆さんも教科書などでご覧になったことがあるのではないでしょうか。その後製糸機械の進歩により、繭を煮る工程は別の建物で行い、煮た繭をロープウェイかモノレールみたいな機械でこの建物まで運んできて、糸を繰る工程のみするようになっていたそうです。上の写真の下の方に写っている黄色いバケットが、繭を運んでくる装置です。
 とまれ、この工場では長らく繭を煮ており、その後も煮た繭を扱っていたわけですから、建物の中は蒸気が立ち上り、相当に湿気っぽかったでしょう。にもかかわらず、木材で組んだ梁がびくともしていないのは立派なもので、この秘訣は丹念なペンキ塗りを行っていたことにあるようです。
 窓が大きく明るい建物ですが、これはもちろん電灯のない昔の建物だったからで、窓は直されている箇所も多いですが、昔を偲ばせます。最初は窓のガラスもフランスから持ち込んだものだそうで、一部現存しているようです。昔のガラスは平面性が悪いので、窓の向こうが少しゆがんで見えるのも、今となっては味わいのように感じられます。
 窓越しに一枚写真を撮ってみましたが、ガラスのゆがみがお分かりいただけるでしょうか。
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 さて、これら煉瓦造りの建物は、模範工場として1872(明治5)年に創業した時に建てられたものですが、その後官営富岡製糸場は三井に払い下げられ、さらに原合名会社の手に移り、最後は片倉製糸(現片倉工業)の所有となります。こうして所有者が変わったのち、生産拡大のために工場を増設しています。そちらの中の写真を以下に示します。 
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 こちらは窓がふさがれたりして暗く、フラッシュを焚いて撮りましたがやや見難いのはご勘弁を。
 官営模範工場と比べると屋根も低く、万事安上がりになっている感じがしますね。しかし、昔の日本の工場としては、こちらの方がより「典型的」なものであったとは言えそうです。これら後から建てられた建物の外見を以下に示します。
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 さて、創業当時の煉瓦造りの建物は、これまで紹介したものの他にもあり、工場の南側に開業当初のお雇い外国人技術者が住んでいて、その名にちなんで「ブリューナ館」と呼ばれる建物が残されています。最後にこの工場を管理していた片倉製糸紡績会社は、この工場内に女工さん向けの教育施設である片倉富岡高等学園を設けましたが、ブリューナ館は改造されてその学校の建物として使われていたそうです。学校に転用するに当たって煉瓦の壁を何箇所か取り払って扉に付け替えたようで、昨日の記事に書いた、煉瓦の壁を食い込ませていた柱の溝を板でふさいだ箇所というのはこの建物に多く見られます。この話を聞いて、見学者一同は柱をぽこぽこ叩き「あ、ここは壁を撤去したんだ」などと喜んでおりました。
 なお、この学校の研究生が作ったという、当時の制服が展示されていたので早速写真に収めましたが、残念ながらガラスケースが映りこむという失敗をやってしまいました。何とか見えなくはないので、腕のなさを晒すことではありますが、以下にその写真を示します。
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 特に二枚目が酷い写りで申し訳ありません。スカートはボックスプリーツみたいに見えますが・・・
 小生がこの写真を撮っていると、この一行の引率役である指導教官のS先生がニヤニヤしながら「やっぱ制服は撮るんだね」などと発言します。小生の制服趣味がゼミ中に知れ渡っているためですが、そも発覚のきっかけはS先生のゼミ中の発言にあったわけで・・・まあ、その話はいつか機会があれば。
 この次は、ブリューナ館の地下室を見学したのですが、もういい加減長いのでこれ以降の話は明日にします。次回で完結予定。
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by bokukoui | 2006-06-29 23:24 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(0)

富岡製糸場見学記(2)

 昨日の続きです。いよいよ製糸場本体の話に入ります。

 製糸場の正門から入ると、真正面に大きな煉瓦造りの建物があって、左右に長く伸びています。これと同じような規模の建物がコの字型に三つ並んでおり、これがもっとも目立つ産業遺産となっています。このうち門からすぐ見える建物と、それと敷地を挟んで向かい合っているのがかつての繭倉庫で、倉庫と直角方向にあるのが糸を繰る作業場です。これらの建物はみな木材を柱に、煉瓦で壁を作っています。倉庫には扉がつけられ、作業場には採光のため大きく窓が開けられています。倉庫の写真を以下に示します(手前の木造の建物は後年作られた変電所)。
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 元々フランスの技術に学んだだけあって、この壁の煉瓦の積み方はフランス積みです(正確にはフランドル積み。詳細はこちらの記事をご参照下さい)。看板や幟旗までその意匠が徹底しているのは結構なことですね。
 以下に壁の拡大写真を示します。
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 明治初期に建てられた富岡の煉瓦建築物は、基本的に皆木骨煉瓦のようです。倉庫の写真に写っている木の柱や梁はどれも一尺角クラスの立派な木材で、特に柱は屋根まで一本の木で造られているのが目を惹きます。
 この建物を見学に来た法隆寺(だったか、とにかく有名な古刹)の管長は、建築以来百年経っているのに木が曲がっていない、これはよく乾燥した木を使ったのですね、と感想を述べたそうです。ところが史料を調べると、どうも切り出してそんなに時間も経たずに建設工事に使ったようなのです。木は十分に乾燥させてから使わないと後で曲がってくると言われていますが、では何故富岡の木は曲がっていなかったのでしょうか。それは、柱にコの字型の断面の溝を彫って、そこに煉瓦の壁を食い込ませているため、煉瓦の壁の重みで木の曲がりを抑えているのだそうです。実に行き届いた作事ですね。
 なお、後に建物の用途が変わって、煉瓦の壁を一部撤去した場合は、溝が残るとかえって不便だったり邪魔だったりするのか、上から板をあてて溝をふさいでいます。そういった箇所は、叩くとポコポコ音がするので分かります。

 さて、倉庫そのものには現在立ち入れないようで、まず見学させていただいたのは倉庫の脇に立つ二棟の煉瓦の建物(2号館と3号館という由)です。これは技術指導に来たフランス人一行の宿泊のため当初立てられ、後には食堂などに転用されたそうで、いろいろ手が加えられていますが、木骨煉瓦の原形の雰囲気もよくとどめています。
 正門脇に立つ3号館はこちら。
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 中には、後にいろいろと手を加えられたようではありますが、シャワーつきの浴室なども残されていて興味深いところです。一方で全く改造されて和室になっている一角があったり、一度煉瓦の壁を壊して作り直したのか、煉瓦の積み方が異なっている(タイルのような長手積み)箇所があったり、長年にわたって使い込まれていた建物だったということを感じさせます。浴室はこんな様子です。
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 2号館の2階の廊下はこんな感じでした(写真がピンボケで済みません)。
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 ついで作業場の建物の方を見学したのですが、長くなるのでまた続きは明日
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by bokukoui | 2006-06-28 23:49 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(0)

富岡製糸場見学記(1)の2

 (1)の続きです。看板に偽りあって、まだ製糸場に着いておりませんが、もうちょっと富岡の町歩きにお付き合いください。

 既述のように富岡市には古い建物が結構ありますので、折角だからといろいろ見て回りました。一端をご紹介します。
 まずは市役所の真ん前、線路沿い駅のそばにある倉庫。
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 正面の倉庫は煉瓦造りで、左手には石造のこれも立派な倉庫があります。駅のそばなので、昔は鉄道で積み出す富岡の産物を保管していたのかもしれませんね。ここの煉瓦の積み方は、一般的なイギリス積みでした。

 ついで、工女のお墓がある寺の門の向かい辺りにある金物屋。一応今でも現役らしくあるのがなかなかすごいところです。
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 そんなふうに街を歩き回っているうちに、本日の見学会一行の引率者であるS先生と遭遇(見学会は現地集合・現地解散)。お互い昨日11時前まで呑んでいたものの無事に現地に到着できて何よりです。

 富岡製糸場の正門からまっすぐ伸びる通りの附近にも、古い建築物がいくつか見出されます。
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 例えばこの医院など。昭和20年代ごろのものだそうですが、中々の風格です。
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 興味深いという点では、この時計店の一角なども味わいがあります。
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 なにより屋根の上から突き出している塔が面白いですが、これは消防用の火の見櫓だったのではないかというのがS先生の見立てでした。角の建物とあわせ一角を補修しつつ保存できたら望ましいのですが。

 だいぶ崩壊しかかっているという点では、製糸場から程近いこの建物なんかはかなり危険そうでした。
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 屋根が垂れ下がっていますが、写真ではあまりその様子が分かりません。歴史的云々以前に、やはり全体として街が沈滞気味であることは(富岡も例に漏れず線路の向こうにバイパスが通っています)否めない事実であろうかと思います。それだけに、富岡製糸場による町おこしにも期待がかかっているのかもしれません。

 これも随分長くなったので、肝心の製糸場本体についての解説は次回以降ということでご勘弁を。やっと次回から本題です。
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by bokukoui | 2006-06-27 23:09 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(0)

富岡製糸場見学記(1)

 先日書いたように、富岡製糸場の見学に行ってきました。久方ぶりに電車に乗って、多少なりとも遠方に(東京山手線内~高崎はぎりぎりで学割が効くくらいの遠さ)。

 上信電鉄は随分前に乗って以来。その時は確か西武の中古車に乗ったような記憶がありましたが、今日出会った電車はなにやら独自車輌(250形らしい)でした。なんとなくディーゼルカーっぽい印象を受けましたが、今は亡き新潟鐵工所の産であればそれもまた納得。
 それはともかく、上信電鉄の高崎駅で早くも「富岡製糸場を世界遺産に」の看板が出迎えてくれました。
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 それなりに運動をしているようですが、効果の方はどうでしょう。看板の煉瓦のパターンがちゃんとフランス積みになっているのは結構なことであります。

 電車に揺られて富岡へ。40分近くかかり、結構距離があります。駅前の公衆トイレが上信電鉄名物の小型電気機関車デキ1型(ドイツのジーメンス社製)を模した形になっているのが面白いところです。屋上のパンタグラフは廃車派生品でも載っけたのでしょうか。
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 富岡といえば「官営富岡製糸所と、馬鹿げた防災無線で全国的に有名」と成年漫画編集者の塩山芳明氏が述べておられますが(我がヰタ・セクスアリスは『キャンディクラブ』だったっけか・・・十年以上前の話。ついでにその頃から三峰徹氏は投稿に精を出しておられた)、「馬鹿げた防災無線」の方は塩山氏のサイトをご参照いただくとして(DONKEY氏のイラストには感慨しばし)、富岡には他にも一応名物と言えるものはあり、明治~戦前の古い建物が幾つも残っているのです。そこで小生は少し早めに着いて、製糸場見学までにしばし町並みを見て回ろうと思ったのでした。
 但しその前に腹ごしらえを。駅から南下して国道に出たところにある「飯島屋」という食堂でラーメンを食べました。全く余談ですが、線路のそばに「東苑」という味噌ラーメン屋があり、ここが結構有名らしいのですが、日曜定休のため行けず。群馬で味噌というのも変なようですが、実は群馬のラーメンの主力は味噌だそうです。更にどうでもいい話ですが、インスタントラーメンの定番「サッポロ一番」(味噌ラーメンを全国に広めた)を作っているサンヨー食品はもともと群馬は前橋で創業した会社で、今でも本社工場は前橋にあるとか。
 そうそう、飯島屋のラーメンですが、ごく普通の醤油ラーメンでした。特に凄いインパクトのある味というわけではありませんが、元来醤油ラーメンがそんなに好きではない小生でも素直に食べられた、万人向きの安心な味だと思います。あと安いのもよし。写真を撮るのを忘れたので、行った人の写真つきブログをご紹介。
 このお店で注文取りや配膳をしてくれたお婆さんは、随分腰が曲がっていて、その点が心配です。末永くご健康で。
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 国道を下仁田方向へ暫く進むと、右手に竜光寺という寺があります。ここに富岡製糸場の工女の墓があるというので参詣。寺は幼稚園を併設していて、本堂は随分と綺麗な感じでした。その裏手の墓地に工女の墓があり、解説の看板や位置を示す標柱も立っていますが、肝心の工女の墓石はささやかなもので(三井時代の合葬したのを除く)、苔むして名前も没年も判読しがたくなっています。世界遺産をめざすなら、墓石も綺麗にしてはどうかと思わないでもありません(名前くらいは読めるように・・・)。
 そんな思いを抱きつつ墓地に佇んでいると、曇天を貫いてでかいチャイムの音声が鳴り響きました。正午です。日曜日に学校がやっているわけはありませんから、これが塩山氏が怒りを表して止まぬ、製糸場と並ぶ富岡名物・防災無線なのでしょう。チャイムならまだしも、この音量で朝の7時半から「節水のお願い」やら、夜の九時半に「防火のお願い」やらをやられたら、そりゃうるさいだろうな、と思ったのでした。世界遺産に富岡製糸場が指定されたら、この防災無線で市じゅうに伝達するのかもしれません。

 世界遺産といえば、この寺の境内にもあり、その後町の数箇所でも見かけましたが、こんなのぼりを立てて世界遺産指定運動をしています。
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 こののぼりもちゃんと煉瓦のパターンがフランス積みになっているところが感心させられますが、運動の方は順調に進展しているのでしょうか。

 長くなりそうなので明日に続きます。
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by bokukoui | 2006-06-26 23:55 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(4)

摘録

 今日は富岡製糸場見学に行くので帰宅がこれまた何時になるか分からず、そこで昨日の学会の事を早手回しに書いておいて、本日の更新をとりあえず済ませておこうと考えたのですが、見学に出かける時間を考えると7時前には(出来れば6時)起きる必要がありそうで、となると長々と書いているヒマもありません。頭の中はビールと葡萄酒と焼酎とがまだ回っているので、思いつくまま箇条書きでのみ簡潔に。
 ちなみにこの学会、技術の歴史についての学会で、今回は40人位参加者がありましたが、受付やコンピュータ操作要員に動員された院生2名を除いて全員男性ばかり・・・いつか「技術(史)とジェンダー」という題で大会を開いては如何、などと考えてしまいました。

畑野勇 『近代日本の軍産学複合体―海軍・重工業界・大学』創文社 は買って読むべき本である。今後は本書を読まずに平賀譲を語るのはもの知らずと言われよう。戦史研員は須らく買うべし。

・東大に残された平賀譲の文書4万点以上、デジタル化保存計画進行中(でも例によって資金不足)。将来的にはウェブ上で見られる?(現状では一般公開していない)

※追記:予算がついて(呉市も「大和ミュージアム」で協力したとか)、めでたくネット上に一般公開されました。

・「軍産(学)複合体」という言葉は使いどころが難しい。これに限った話ではないが、吟味しない言葉遣いは時として思考停止をもらたしかねない。

・日本の技術発展の節目は1910年代(八幡の鉄生産開始以降)で、半世紀真似てやっと独自のものへ。

・日本の跨線橋のモデルは英国にあり、資材(鋳鉄の柱とか)でも関連性があるが、英国の跨線橋には屋根がないらしい。ターミナル駅のドーム内に設けてあるものが中心だからだとか。

・「匠」という言葉で日本のものづくりを説明しようとするのは面白いけれど、エスノセントリズムの危うさをつい考えてしまう(しかし、Y氏の勤め先的には「使える」話題では?)

・Y氏、メールに返事出してなくて済みません。

 他にもいっぱいあるけど細かくなりすぎるので自粛。懇親会~飲み会での話題はもっと面白いものもあるけれど、お相手いただいた先生方に断りもなく書くのはあまり良くないかも(回っていて正確を期せないから)。それでも、紡績機械の歴史で右に出る者はいない方と小生は何故か冤罪やら死刑廃止論やらを論じたりしていたのですが、初対面でもこういった話題をある種の気兼ねをなく(ネット上では遺憾ながら不可欠であるような)論じられる空間というのは大変ありがたいものであり、その末席に連なることができただけでも大きな成果であったのだろうと思います。

 さて、出発までにどれだけ寝られるのか、そもそも寝過ごさずに済むのか・・・?

※追記:その後、平賀文書の整理を受けて、駒場キャンパスで「平賀譲とその時代展」と講演会が行われました。その模様はこちら

※更に追記:本郷キャンパスでは更にその後、自主企画として講演会「巡洋戦『金剛』 技術的視点による再考」が行われ、畑野先生も見に来て下さいました。その模様はこちら

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by bokukoui | 2006-06-25 04:47 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(0)

学会の手伝いをする

 表題の件で帰宅が遅くなり、更新時間を多少調整しています。
 それだけいろいろあった一日でした。
 で、具体的に何がどうこうあったかは後刻。

 とりあえず『夢使い』は見ておくか。
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by bokukoui | 2006-06-24 23:59 | 身辺些事 | Trackback | Comments(0)

上信電鉄の看板に偽りあり

 今度の日曜日に、かつての富岡製糸場(現片倉工業富岡工場)の見学会があるということで、一度は見ておきたいと思い参加することにしました。
 富岡製糸場の最寄り駅は、上信電鉄の上州富岡駅です。そこで上信電鉄のサイトにアクセスし、料金など調べておりましたところ、こんなことを書いてあるページがありました。
富岡製糸場の世界遺産登録を応援しています。
上信電鉄では、群馬県及び富岡市が中心となり推進している、富岡製糸場のユネスコ世界遺産登録活動の応援として、200形電車(204号・304号)にレンガ模様と文字(富岡製糸場を世界遺産に)による装飾を社員自身の手によって施した「世界遺産レンガ列車」を、平成17年12月25日より運行しております。
この列車により同運動を盛り上げることが出来ればと考えております。
 へー、なるほど。折角富岡製糸場を見学に行くのだし、もし可能ならこの電車を見てみたい、そのように思いました。
 で、このページに「運行時間等は上信高崎駅にお問い合わせください」とあったので、しばし考えてから電話をかけてみました。

上信電鉄(以下、上)「はい、上信電鉄高崎駅です」
墨東公安委員会(以下、墨)「あの、ホームページで見たのですが、富岡製糸場の世界遺産登録の応援という電車を運行してるそうですね」
上「ああ、社員が塗装を変えた電車ですね」
墨「その電車に乗ってみたいんですが、今度の日曜日の運用はどうなっていますか?」
上「すみませんねえ、当日になって決めるので分からないです」

 ヲイ。
 サイトに書いてあったことは何なんだ。

 余談ですが、当ブログで以前煉瓦の積み方についての記事を書いたりしましたけど、富岡製糸場の技術はフランス輸入なので、富岡の煉瓦は基本的にフランス積みなのであろうと思います(正確なところは日曜日に見てきます)。この装飾電車の煉瓦風目地模様はちゃんとフランス積みのパターンで描かれていて、これは立派だと感心しただけに、斯様な対応は残念でなりません。
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by bokukoui | 2006-06-23 23:57 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(3)

[深夜アニメ一期一会]『BLACK LAGOON』の巻~保険屋は死せず

 一昨日に引き続き、なんか妙な企画を思いつきで立ち上げてしまったような形になりました。
 ちなみに「一期一会」というのは、小生は決して録画してアニメを見ることをしないから、です。録画してあとで見ようと思うと、「あと」という時は決して来ないと経験則上明らかだからです(笑)。ついでに、放映されるアニメーションというのは、一歩引いて眺めれば、テレビ局やスポンサーも「作り手」に入るわけで、「総合的娯楽」として楽しむのならば、やはり放映された時間に生で見るのがよい鑑賞スタイルなのだ、と勝手に決め付けている次第です。
 だから鑑賞の心得は、
・録画しない。
・CMも真面目に見る。代アニのCMが如何に痛くても目を逸らしてはいけない。
 この手の企画は前にMaIDERiAでちょいとやったことがありましたな。

 さて今回のお題は、現在放映中の『BLACK LAGOON』であります。一言で言えば、派手なガンアクション作品です。小生は原作を読んでいるので、折々見ていますが、かなり原作に忠実なアニメ化なので、ある意味毎週見る意味はないような気もしています。
 さて、この作品の原作にこんなコマがあります。(2巻p.75)
f0030574_0102491.jpg
 画像はクリックすると拡大しますが、そうせずとも台詞は読み取れるでしょう。
「全員保険に入ってんだろ? ならそれでいいじゃねえか」
 アニメでもこの台詞がありましたね(その後の展開が少し異なっているのですが)。

 で、小生はこのアニメをtvkにて視聴しているのですが、tvkでは『BLACK LAGOON』が終わったあと最初に流れるCMが、今まで見てきた限りでは毎週必ず、

 自動車保険のアクサダイレクト

 なのであります。しかも1分位ありそうな長尺ヴァージョンのそれを。
 さんざ殺人や銃撃戦やカーチェイスやっといてこれかよ! と、その落差がたまりません。
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by bokukoui | 2006-06-22 23:56 | 漫画 | Trackback | Comments(0)