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神岡鉄道と北陸の私鉄巡り その8

 その1その2その3その4その5その6その7の続きです。

 えちぜん鉄道を乗り終え、田原町で福井鉄道に乗り換えます。
 福井鉄道は福井と武生を結ぶ鉄道ですが、福井の市街地では路面電車として道路上を走るのが特徴です。もっとも、市街地は路面(併用軌道)・郊外は専用軌道というのは、昔(日本で言えば1910年代以前)の電鉄の形としてはごく普通のもので、むしろ福井鉄道はその古典的な形を現在までとどめている例といえます。
 福井鉄道では近年まで、普通の床の高い電車が路面区間ではステップを使って乗客を乗降させながら走っていましたが、最近廃止になった名鉄のローカル線の電車を譲り受けて、路面区間での乗降をより安全なものへと改善しました(福井鉄道は名鉄のグループ企業です)。名鉄の岐阜周辺には、岐阜市街地内を走る路面電車と、それに乗り入れて岐阜市街中心部まで走る郊外電車がありましたが、どちらも2005年3月で廃止になってしまったのでした。小生はこの廃止になった名鉄のローカル線に良く通っていましたので、思い出も一入です。

 さて、待っていた福井鉄道の車輌は880形、名鉄の美濃町線(岐阜と刃物で有名な関、更にその先の美濃市までを結んでいた)でかつて活躍した電車です。車番を控えていませんが、多分岐阜時代も乗ったことがあるはずです。
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 写真はクリックすると拡大します。以下も同じ。
 ちなみに、同形車の名鉄時代の姿を次に挙げておきます。
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名鉄美濃町線新関附近にて(2005年3月11日撮影)

 余談ですが、当ブログの看板画像になっている「線路内を耕作しないで下さい」の立札は、この写真を撮った附近で見つけたものです。それ以外にも手書きのものやワープロ打ちの紙片をはりつけたもの(この写真に写っています)など何種類かあり、一体ここの沿線住民はどういう電車観を持っているのだろうかと思いました。まあだから廃止になっちゃったのか。
 ついでなのでその看板画像を挙げておきます。
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「線路内を耕作しないで下さい」看板

※この看板と同じ辺りにあった類似の看板の写真は、こちらの記事にあります
 話を北陸に戻します。
 帰宅の高校生などでそれなりに座席の埋まった電車に乗り込みます。電車は右にカーヴして駅を出、道路の上へと進みます。道路の交通量はあまり多くなく、電車はまずまず順調に走ります。もっとも歩道を走る高校生の自転車と大差ない程度ですが。車内から見ていると、女子高生がスカートを盛大に翻して力漕し、電車と並走していました。電車の揺れ具合は特に問題なかったように思います。
 福井鉄道の路線は単純な一本線ではなく、市役所前電停から福井駅前まで一電停だけ延びた支線(ヒゲ線と俗称)があります。昼間の電車は、このヒゲ線に一旦寄り道してから武生に向かいます。武生から来た電車も、やはり寄り道をしてから田原町に向かいます。
 市役所前の電停から左手に折れてしばし進むと、商店街の真ん中で線路がぷつりと切れて、福井駅前電停になります。以前探訪したというたんび氏によれば、前より少し電停が手前になったようだとのことでした。電停も綺麗なので、おそらく名鉄車受け入れに際して改装したのでしょう。福井駅は商店街を抜けてもう少し先のところだそうです。電車はここの電停で暫く停まります。折角なので車掌に断って降り、写真を撮ります。
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 電車は数分停車して再び動き出し、再び市役所前の電停に戻ります。来た道をそのまま戻るのではなく、一旦田原町行きの線路に入ってから、本線上を折り返して再度武生行きの線路に入るというややこしいことをします。ポイント操作の都合でしょうか。
 途中、橋の架替工事をしているところがあって、電車が仮橋に迂回していました。この工事が終わればもう少しスピードアップすることでしょう。

 路面区間は市役所前から電停二つを過ぎて終わり、福井新からは専用軌道になります。路線はおおむね直線で南下します。電車はそれなりに飛ばして走ります。線路は単線になりましたが、結構多くの駅に交換設備があります。豪雪地帯らしく、ポイントを雪から守るスノーシェッドが駅の前後のポイント部分に設けられているのが目を惹きます。冬季にも探訪したいところです。
 駅のホームが名鉄車導入に合わせて低く改造されているのが面白いところです。ホームのかさ上げ改造というのは良くありますが、低くするのは聞いたことがなく、また工事としても難しいのではないかと思います。昨日乗った富山ライトレールの場合は、前の駅を取り壊して作り直すか少しずれた位置に作り直すかしていましたが、ホームそのものを低くしたというのは珍しいですね。
 沿線風景は特に記憶に残ってはおりませんが、結構昔ながらの家が多く、長閑な雰囲気でした。途中、眼鏡のフレーム生産世界一で有名な鯖江市を通り過ぎ、田原町からちょうど1時間ほどで終点の武生新に到着します。武生新の駅には、名鉄の車輌導入前に使っていて今もラッシュ時には動くという高床式の電車や、今まで乗ってきた880形と同時に名鉄から導入された純然たる路面電車スタイルの800形などが停められていました。
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 小生が良く乗りに行った名鉄の岐阜周辺の路線は消えましたが、併用軌道と専用軌道を通しで走ったり、車輌も名鉄譲りだったり、なかなか面白い路線でした。機会があれば、今日乗れなかった車輌などにも乗りに来たいものです。
 事のついでに、今日は走行する姿を見られなかった800形の名鉄時代の姿を張っておきます。
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 こうして今回の北陸の私鉄めぐりは終わりましたが、各社とりどりの特徴があって興趣の尽きぬ旅でした。駆け足になってしまったので、できれば再度、ゆっくり時間をかけて探訪し、また合わせ今回乗れなかった富山地方鉄道も乗りに行きたいものです。
 今回の旅では、富山ライトレール・万葉線・福井鉄道と路面電車が3社ありましたが、どの事業者も苦しい経営状態の中で将来に向けた投資や施策を行っており、また特に富山の事例では住民や行政が軌道交通のインフラ維持に積極的であるというのは興味深く、また環境問題がやかましく原油も騰がっている昨今、結構なことであると思います。そして、地方自治体が交通に関った例としては、えちぜん鉄道の事例は今後の参考になるだけのものであり、現状は比較的うまく行っているようですが、今後ともこの傾向が維持されることを願って止みません。
 神岡鉄道は・・・決して長い間とは申せませんがお疲れ様でした、としか言いようがありません。

 最後に引き合いに出した岐阜の場合、行政当局は自動車大好きで路面電車を冷遇し続け、軌道敷内への自動車乗り入れ禁止を名鉄の要請にもかかわらず認めず、安全地帯の設置も認めないという態度を貫いてきました。そんな状況下で、儲かっているとも思えないのに、名鉄が車輌に一定の投資を続けてきた(2000年になっても新車導入)のは驚くべきことですが、結局地元の支持がなくては存続できなかったのでした。岐阜では廃止が本決まりになってから存続運動が起きましたが、当然のことながらもう手遅れだったわけで、結局公共交通に対する意識が低い以上はどうしようもないでしょう。
 現在日本で最も発達した路面電車ネットワークを有しているのは広島ですが、広島市では警察当局が早くから軌道敷内への自動車の侵入を禁止していました。そのため広島は路面電車の運行が比較的安定し、今日に至るまで活躍しています。

 一説には、これらの路線が冷遇されていたのは、当初建設した岐阜資本の美濃電気軌道を名古屋資本の(旧)名古屋鉄道が合併したためだったといいますが、だとすればその心の狭さがこの地域に何をもたらそうと、「よそ者」が気にしてやる必要は無いのかもしれません。名鉄を乗りに行っていた当時目にした岐阜駅前のシャッター通りや、羽島銀座商店街の惨状が思い起こされます。
※現在の名鉄の前身である名古屋の路面電車・名古屋電気鉄道は、市内の路面電車区間が市営化されたため、郊外の線路だけで(旧)名古屋鉄道として再出発します。その後、岐阜の路面電車と関や揖斐、笠松などに至る郊外路線を有していた美濃電気軌道と合併しますが、この際「名古屋に乗っ取られた」という岐阜(美濃電)側の不満を鎮めるため、社名を名岐鉄道に改称します。その後、名古屋以南の路線を持っていた愛知電気鉄道などと大合併して、現在の名鉄が成立します。

 というわけで、北陸の諸例は自治体と交通インフラのあり方について、色々考える良い例になりました。そういった小難しいことを抜きにしても、結構乗ってて楽しい路線ばかりだったので、名鉄の岐阜周辺廃止以降乗りに行きたいところがあまりなくなっていましたが、これからはちょくちょく北陸に足を運びたいなあと思っています。

 これにて目的に私鉄めぐりは終了し、この後はJR武生駅から北陸線→東海道線で各駅停車を、車中酒を飲みつつ乗り継いで帰宅しました。その経緯自体は書くほどのことはありませんが、ただその車中で話題になったことは、当ブログで今まで論じてきたこととも関連するので、番外編という形でちょっと書き足すことがあるかもしれません。
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by bokukoui | 2006-10-31 23:58 | 鉄道(現況実見)

神岡鉄道と北陸の私鉄巡り その7

 その1その2その3その4その5その6の続きです。

 えちぜん鉄道の勝山永平寺線を乗り終えた我々は、福井口の駅で三国芦原線に乗り換えます。
 福井口は分岐駅であるためホームの数も多く、また車庫を併設していることもあって構内は結構広くなっています。車体こそ更新されているものの、見るからに戦前製のボールドウィンタイプ、日車D型の台車をはいた電車がいて、まだこんなのがいたのかと面白く思いました。調べると、この古い台車は元々南海の1201形(1933製造初年)という電車についていたもののようです。この1201形は十年ほど前まで、南海の貴志川線というローカル線に残っていて、小生も一度乗ったことがありました。車内は木造ニス塗りで風情あるものでしたが、やはり冷房がないのは沿線住民に不人気だったとか。
 ちなみにこの貴志川線、あまりにローカルで南海が廃止を表明し、地元が救済策を検討した結果、岡山の路面電車会社が引き取って現在運行していますが、この経緯はNHKの番組で取り上げられてそれなりに話題になった記憶があります。その際にえちぜん鉄道の再建も参考にされたようで、何となく縁を感じます。

 閑話休題、やってきた元阪神の車体を持った電車に乗り込みます。
 電車は大きくカーヴして築堤で北陸本線を越え、しばし西に進みます。市街地を縫って走り、田原町で福井鉄道と接続し、その次の福大前西福井駅附近で方向を北に転じます。そして九頭竜川を鉄橋で渡り、福井平野を一路北へと走ります。橋を渡る前後頃からだったと思いますが、人家が次第に減少して田圃が沿線に増えてきます。電車はその中をほとんど一直線に走り続けます。川と山に沿ってカーヴを繰り返していた勝山永平寺線とは全く対照的でした。
 30分ほどそのような情景の中を走り続けた電車は、芦原の町に近づくと向きを再び西に変え、あわら湯のまちという多少どうかと思わなくもない名前の駅に着きます。元々この駅は、国鉄の三国線という支線の駅として設けられ、そこへ三国芦原電鉄(現えちぜん鉄道三国芦原線)が乗り入れました。駅名は戦後芦原湯町に改められ、さらにえちぜん鉄道発足時に現在名になりました。やたらとひらがな表記にするのはどうかと思いますが。
 この駅は芦原の中心で、乗客の乗降もかなりありました。その後電車は終点三国港駅へ向けて、西へ走ります。この区間は当初国鉄三国線が作られ、そこに平行して三国芦原線が東尋坊口まで建設され、その後戦時中に三国線が休止になったり、京福も三国から先が休止になった代わりに国鉄三国線に乗り入れたり、国鉄の三国線が廃止になったり、短い区間ながら実は結構ややこしい有為変転を経て現状に至ります。
 ともあれ、福井口から40分少々かかって、電車は終点三国港駅に着きました。
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 写真はクリックすると拡大します。以下も同じ。
 この写真背後の、道路を挟んだ向こう側はすぐ海なのですが、ちょっと分かりにくいですね。駅自体はごく静かで、あまり港らしさも感じません。乗ってきた乗客も僅かでした。ただ、構内にまだ2本の側線が残されていることが、かすかに昔の状況を推測させるだけです。
 折り返しの時間は10分しかありません。写真など撮っているうちに時間はたちまち過ぎていきます。
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 乗ってきた電車は、元阪神5101形を改造したものだそうです。元々は3扉だったのを、真ん中のを埋めて2扉にしていますが、なかなか綺麗に改造してあります。1959年に登場し、いわゆる新性能電車の初期の車輌中では有名なものの一つでした。猛烈な加減速性能から「ジェットカー」と呼ばれたものです。もっともえちぜん鉄道(譲渡当時は京福電鉄)と阪神はレールとレールの間隔が違う(阪神の方が広く新幹線と同じ)ので足回りは変更されており、往時の走行性能は偲ぶべくもありません。まあ地方私鉄でそんな走りをしても電気代が嵩むだけでしょうが。
 それでも、前面に雨樋や電気回路を縦にくっつけた、一昔前の阪神電車の精悍な表情の特徴はよく残されています。やはり、いくら改造されていても、それが現役で走っているのであれば、それが何よりのことです。しかし、どれほど歴史的価値の大きいものであっても、古い車輌を現役で残すのはかえって経済的に不合理だったり、安全性に問題がある場合もあります。その場合、動く状態で保存できれば喜ばしいですが、これもなかなか困難なことが多く、やむなく静態保存という形になることが大部分です。その場合は、できうればもっともその車輌らしさが表れている状態に復元し、保存車輌を長く保つようにする体制を整えるのが重要です。
※このような保存例として素晴らしい例は、小田急のSE車や東武の蒸気機関車があります。どちらも会社を代表する(のみならず日本の鉄道史上重要)な車輌ですが、これらの保存に当たっては、色々改造されて長く使われた最終状態のものと、原形に復元されたものとの、両方の形が保存されています。
 つまり、何が言いたいかというと、東急5000形デハ5001号の扱いは論外である、ということを改めて強調したいのです。ここで写真に示したジェットカー初期車を阪神が回収に来るかは分かりませんが、少なくとも阪神は、戦前の同社の著名な車輌を最後まで使っていた野上電鉄が廃止になった際、その車輌をちゃんと引き取って保存しています。
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 乗って来た電車で折り返します。稲穂の揺れる福井平野の中を一直線に南下し、田原町駅に着きました。ここで福井鉄道に乗り換え、武生へと向かうことにします。

 田原町の駅は乗換駅とはいっても、どちらの鉄道会社の駅もホーム一本だけのささやかなものです。ホームの上屋は木造で、その下に沢山の自転車が置かれています。一部トタン張りだったり、ちょっとみすぼらしくもありはしますが、それはそれで落ち着いた雰囲気の駅という印象を受けました。木造の上屋の状況を以下に示します。左手の線路が福井鉄道、右手がえちぜん鉄道です。
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 以前富岡製糸場を見学した時も思いましたが、このような木造の小屋組みは、如何にもしっかりと屋根を支えていますよ、という構造の美が感じられて好ましいものです。ホームの上屋としてはレールを再利用したものも同じく構造の美を感じさせるものがあり、見ていて感じの良いものですが、近年は鋼材が安くなったためか、あっさりしたものばかりになっています。

 この日は土曜日で、時刻は13時少し前でしたが、午前中に授業でもあったのか帰宅の高校生が何人も駅にいました。彼らのある者はえちぜん鉄道(福井行きと三国港方面行き両方)に乗り、またある者は福井鉄道に乗っていたことからすると、この田原町の近傍に学校があるのでしょう。
 女子の制服は、大き目のセーラーの襟に灰色のラインが2本入った、なかなか上品なデザインのものでした。田原町には幾つも高校がありますが、調べたところ県立藤島高校の生徒たちだったようです。先ほど見かけた永平寺中学といい、福井県教育当局は灰色を基調にしたセーラーが好きなのでしょうか。なかなか結構なセンスと思いますが。
 ついでに、以上のようなことを調べているうちに、斯様な新聞記事に行き当たりました。
制服を美しく着こなそう 福井商高で講習会
 高校生にきちんとした制服の着方を学んでもらう「着こなし講習会」が20日、福井市の福井商業高校で開かれた。

 各校が頭を悩ましている生徒の服装の乱れを直そうと同校が開催し、全校生徒約890人が受講した。

 同校の制服を製造している明石被服興業(岡山県倉敷市)のデザイン担当、松山美和さん(21)が「制服は整然とした美しさや相手への第一印象を考えて作られている」と説明。▽シルエットが崩れないようポケットに物を入れすぎない▽生地を傷めないようスカートの腰の部分を折らない-などと、制服の目的や特徴を理解して美しく着こなすよう訴えた。

 その上で松山さんは、生徒代表12人に正しい制服の着方を指導。「(就職などで)面接する時にも役立てて」と話しながら、女子生徒には襟やリボンの整え方を、男子生徒にはズボンをずり下げずにはくよう、それぞれ指導していた。
 やはり制服生産といえば岡山ですね。
 この学校も田原町のそばにある学校ですが、ここはブレザーみたいですね。そう、ブレザーの女子高生を見かけると、襟元をだらしなく緩めてネクタイやリボンが見苦しくなっている例が、はなはだ多いですね。とはいえ夏は暑い日本で、若い諸姉が首元を絞められる暑苦しさに悩むのももっともなことであります。やはりここはセーラー服化で(笑)・・・セーラーにもセーラーで、着こなしの問題はあるそうですが。
 え? 男の制服? どうでもいい観察対象外ですし、中高と私服だったので特に提言が思いつきません。

 最後は話が逸れましたが、次回の福井電鉄篇でこの旅行記も最終回です。
 つづく
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by bokukoui | 2006-10-30 23:58 | 鉄道(現況実見)

ナヲコ先生の作品を購うべくイベントに行った話

※追記:タグ「ナヲコ」を設けました。

 今日は、表題の如くナヲコ先生の作品を求めに、久しぶりに同人誌即売会に行ってきました。

 ナヲコ先生の話題は当ブログでも、それ以前のMaIDERiAのサイト(出版局分離前)からやっていたので、読者の皆様は先刻ご承知の方が多いと思いますが、いわゆる成年コミック(の中でも扱う年代の比較的低めなもの)と呼ばれる漫画や、或いは「ショタ」と呼ばれる分野、最近は「百合」と呼ばれる分野など、幾つもの分野で活動されている漫画家の方です。で、小生は、成年コミックの方でナヲコ先生を知って作品をいささか集め、近年活躍の「百合」の作品も購入したり譲ってもらったりしましたが、「ショタ」の世界は全く足を踏み入れたことがありませんでした。
※小生は全くこの方面に不案内で、「ショタ」、正しくは「ショタコン」、更に語源を辿ると「正太郎コンプレックス」というそうですが、これは扱う年齢の相当に低い少年愛的なもの(通常少年愛といえば、思春期程度の少年を扱うようなイメージがあるので)のことだろうと、その程度の認識です。

 で、成年コミック(もっと言えば、アリス系というかロリ系というか)については、単行本に収録されたか否かを問わず元の雑誌・アンソロ本の類も集めたり、「百合」系も雑誌を何冊か手に入れていたのですが、「ショタ」は全く関心を抱かなかったこともあり、一冊も買ったことがありませんでした。それに、自分で集めなくても、膨大なやおいコレクションを誇るたんび氏に貸してもらえば済む話、ということもありましたし、実際数冊見せてもらったこともありました(「やおい」と「ショタ」がどういう関係なのか良く分からないのですが・・・年齢の差、でしょうか)。
 しかし、最近ネット上の情報で、「ショタスクラッチ」というショタ系同人誌イベントが開催され、その主宰の方がナヲコ先生と親しい方で、その縁からナヲコ先生のショタ系商業誌発表作品(全く単行本化されていません)を再録した同人誌を発行する、とのことが分かりました。しかもそのイベントには、どうやらナヲコ先生ご自身も参加されるようです。
 しからばここは行くしかありません。今までコミケの他、コスチュームカフェ(制服系)・帝国メイド倶楽部(メイド)・東京のりもの学会(鉄道他交通系)・ゲームマーケット(非電源系ゲーム)の各イベントに参加してきた(それも全部出展側で)小生ではありますが、ここは初めて普通の同人誌即売会に一般参加する決意を固めました。
 で、「少しのことも先達はあらまほしきものなり」と兼好法師も書いているくらいですので、やおいに詳しくナヲコ先生の作品の掲載雑誌もあらかた保有しているたんび氏の同道を乞いました。ただ、氏はその膨大な読書量(やおいに限らず)と鋭い感性から涵養された、高い見識と独特の価値観を持っているが故に、「一般的」なやおいだのショタだのという人々と異なる嗜好を有していると自己認識しておられます(詳細は氏のサイト参照)。要するに、当初氏は同道に消極的だったのですが、しかし本件のネタ的価値を認めたのか、最終的には同道を承諾してくれました。

 さて、以前に書きましたが、もしイベントにナヲコ先生がイベントに参加されるのでしたら、できれば単行本『DIFFERENT VIEW』にサインをしていただけないかとの年来の野心を小生は抱いていましたので、この「ショタスクラッチ」イベントはその絶好の好機とも思われました。ので、前夜鞄に『DIFFERENT VIEW』を入れて・・・という時、サインをお願いするのに手ぶらというのも失礼かなとふと思いつき、そこで何か「差し入れ」ということをすべきではないかと考えました。でも何にすればいいだろう?・・・1秒と掛からず案が浮かびました。『voiceful』を読んだ人ならば、100人が100人、同じことを考えたでしょうが。
 というわけで、イベント当日(今日)は、小生の普段の生活習慣にも似合わず早起きして、必要なものを途中で寄り道して仕入れ、イベント会場最寄り駅の浅草でたんび氏と合流する、はずだったのですが・・・。ここで入った電話連絡によると、氏は大寝坊してとても間に合わぬとのこと。爾後の用事もあるので参加は断念との由でした。残念。本だけ代行購入することに。

 前置きが長くなりました。ここから当日のイベントレポです。
 「ショタスクラッチ」の一般入場開始は11時と聞いており、会場の都産貿台東館に着いたのはその10分くらい前でした。7階の会場に入場するための一般入場列は階段に沿って下まで続いており、小生の頃の到着でも2階と3階の間ぐらいで待機することとなりました。入場が始まったのは11時10分過ぎくらいだったかと思います。小生の会場入りは15分頃でした。
 会場は非常に混雑していました。今までこの会場に別イベントで来たこともありましたが、その時と比べ物にならないほどの混み具合です。そしてそれはイベント当局の方々にとっても同様だったらしく、11時半には入場時購入義務付けのパンフレットが完売してしまっていました。
 小生が非常に興味深く思ったのは(ショタに詳しい人には常識なのでしょうが)、来場者に男性が相当多かったことです。半分以上、7割? かなりが男で、年齢層もかなり広汎に渡っている感を受けました。やおい=腐女子、なんてイメージに引きずられていましたが、ここにやおいとショタの違いがあるでしょうか。

 この混雑の対応に、イベント当局の方は大童になっておられました。そのため、「イベント刊行物」であるところのナヲコ先生の総集編同人誌『ナキムシのうた』の頒布開始は遅らせざるを得なかったようです。それだけ、会場の混雑と熱気は大変なものでした。冗談でなく酸欠になりそうな気がしたくらいです。しかし、待たされるのが長い方が、期待はより高まるものでもあります(ある程度は)。ナヲコ先生の本の販売開始がいつか問い合わせる人も結構いました。
 「ショタスクラッチ」代表の方は松村直紀さんといい、ショタ方面の商業誌でも活躍しておられる方で、今回のナヲコ先生のショタ作品集発行の企画・実務をされた方でもあります。小生はこの件について詳細を調べるべく夏コミのときに松村さんのブースに押しかけたことがあったので、どの方が松村さんか分かりましたが、まさに「てんてこ舞い」という言葉を形にしたように飛び回っておられました。パンフレットの件といい、このイベントがそれだけ盛況だったということです。ショタに疎い小生は、この業界がこれほど賑わっていることをはじめて知り、なかなか興味深く感じました。
※ちなみに松村さんの名を小生が知ったのは、以前たんび氏が「ナヲコ先生が『松村直紀』という新ペンネームで描いたのではないか」と情報を寄せてくれたことがあり、慌てて調べていや別人だろうとなったのですが、ご両人の関係を知れば間違えるのもまたある程度合点がいきます。

 正午少し前、いよいよ頒布が始まりました。
 途端に大行列ができました。それまで会場内で、特にブースを見て回らず壁際などに佇んでいた人々(含小生)が少なからずいましたが、小生同様ナヲコ先生の本を目的にしてきた人々は相当多かったようです。行列に並ぶのが大嫌いで、これまで即売会で一度も並んだことがない(まあいつも売る方ばっかりだし)小生は、最初傍観して行列の人数を数えていましたが、百人ばかりまで数えたところで流石にやめ、自分も並ぶことにしました。ナヲコ先生の『ナキムシのうた』は豊富に用意されていたので、百人や二百人で完売することはないのですが、同時にナヲコ先生が以前出された同人誌が一点、同時に頒布されており、それはなくなりそうだったからです。
 行列はできましたが、しかし進みも早く、10分かそこらで小生も目的の『ナキムシのうた』と、旧刊の同人誌を手に入れることができました(後者はあと3,4冊になっていたので危なかった)。
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売り子の方は3人おられ、たまたま小生の列は松村さんでしたが、そこで小生はナヲコ先生が会場におられるかどうかを問いました。実は、ナヲコ先生も一緒に売り子をしておられたのでした。
 まだ行列が続いているので、この場での「野望」実現はやめにして、差し入れのみ進呈しました。『voiceful』読者の方なら既にご推測のつくとおり、いちご大福であります。余談ですが、「いちご大福」って登録商標なんだそうです。

 行列がはけるまでしばし待ちます。大体頒布開始から三十分くらいで一応列は消えたかと思います。
 意を決して、手の空いたと見えたナヲコ先生に『DIFFERENT VIEW』を差し出して、サインをお願いします。大変ありがたいことに、ナヲコ先生は快諾してくださいました。持ってきた本が99年発行の『DIFFERENT VIEW』であったことに少し驚かれたようでした。或いはショタイベントにロリ系を持ってきたからでしょうか(でも「悩んで学んで」の最後の2ページはショタ漫画では!?)。
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 こうして、小生の念願はめでたく達成されました。
 数年前のコミケで、ナヲコ先生のお姿を見かけたことがありましたが、場所の違いもあったのでしょうけれど、何となくその時よりお元気な様子に見受けられ、嬉しく思いました。作品創作の方にもそのような方向性が表れることを心より祈念しております。
 相変わらず会場はごった返していたので、この後のこともあるし、なるべく手短にご挨拶だけして撤収しました。

 まことに充実したひと時でした。
 ナヲコ先生と、松村さんはじめその作品集発行やイベント運営に尽力された方々に、心より謝意を陳べる次第です。

 さて、帰宅後『ナキムシのうた』を読みましたので、以下にその書評を書くのが筋なのですが・・・
 同書はサイズも大きければページ数も140ページくらいあって、相当に読み応えがありました。収められている作品のタイムスパンも長期にわたっていますし、また作者による作品解説なども充実しているのは嬉しいことです。それだけ内容が豊富ですから、読む方も気合が要ります。
 書評ということについては、やはり小生のショタへの見識が皆無に等しいせいか、まだうまく表現できそうにありません。本書を読むことで、『DIFFERENT VIEW』(及びその系統の作品)や『voiceful』をより深く読むことができるということはすぐ感じましたが、或いはそれは順序としては逆であるのかもしれないという疑念も浮かびます。いずれにせよ、副読本的に読んでしまうにはあまりにももったいない話ではあると思いますが、また同時にロリだショタだ百合だと分類して個別に論ずることにあまり意味がなさそうだということもまたこれまで感じてきたことでした。要するにどういう角度で見ればいいのかまだ良く分からないということです。まだ分からないという状況は、それはそれで楽しいものではあるのですが。そしてそれだけの読み方の可能性を抱いた作品群を送り出した作家がいるということは、とても嬉しいことであると思うのです。
 分からないといえば、何故自分がナヲコ先生の作品にこれだけこだわっているのかもやはり良く分かりません。カマヤン氏の場合ほど明快には。それもまた、本書を読んでいくことで、少しは分かるようになるのかもしれない、と期待しています。

 しかし、何もこの総集編同人誌について書かないのも悔しい(笑)ので、小生の知識の蓄積のある地理的分野という視角から『ナキムシのうた』収録の書き下ろし表題作を分析してみましょう。
 この作品は、主人公が両親の昔勤めていた旅館を数年ぶりに再訪し、かつて同居していた少年と再会する物語なのですが、その旅館が「Y温泉」の「F旅館」と書かれています。また別のコマで「明日の夜はM湖の方行くって」と台詞があることから、近所に湖があるようです。
 ナヲコ先生が『DIFFERENT VIEW』の中で「初期の作品のキャラ名は某市の地名をたくさん使ってあります」と書いておられますが、もちろんそれは札幌市のこと。この「ナキムシのうた」冒頭の風景描写も、どことなく北国の空気を感じさせます。というわけで、おそらく北海道であろうと見当をつけ、湖の名前を手がかりに物語の舞台を探してみようと、小生は地図を手に取ったのでした。
 ・・・で、おそらく、この物語の舞台のモデルになっているのは、摩周湖から程遠からぬ養老牛温泉の「旅館藤や」ではないかと思うのですが、どうでしょうか。小生は渡道したことはありませんが、いつか機会があれば行ってみたいものです。木崎湖に行くよりもきっと心に温かな空気が染み渡りそうです。

※当ブログその他の墨公委による関連コンテンツへのリンク
MaIDERiA出版局墨耽キ譚 第11回森薫『エマ』中括←途中でナヲコ先生の作品についてかなり議論。
・当ブログ内「ナヲコ先生のサイン本を購う」←『voiceful』を買った時に、それに関連して色々と。
MaIDERiA出版局今週の一冊 第87回←書評ではないですが、『DIFFERENT VIEW』を題材に一筆。
MaIDERiA出版局西の方で見た巫女とかメイドとかその他思い出すこと←ほんのちょっとだけですが。
・当ブログ内「カマヤン氏(&ナヲコ先生)の作品との出会いについての思い出」←これもちょこっとだけ。

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by bokukoui | 2006-10-29 23:57 | 漫画

東急5001の昼間の状況

 昨日の続きの記事です。
 今日は昼間に渋谷ハチ公前に置かれた東急5001の様子を見てきました。
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 写真はクリックすると拡大します。以下も同じ。
 状況は土曜日の午後3時ごろです。昼間は目立ちますし、この時間帯は立ち入ることもできるので、それなりに注目を浴びています。
 車内はこのようになっています。
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 これは多少人並みが途切れて見渡しやすくなった瞬間に撮っています。
 車内は当初の「民間交番」というか、「ガーディアン・エンジェルス」駐屯地といった施設はなく、歴史的展示と称して写真(すべてモノクロ)が十数枚程度展示してあるだけです。特にこの5001号のいわれ因縁を説明してあるような展示もありませんし、渋谷の歴史に関してもこれらの写真以上の展示内容はなく、内容のみならず展示の形式から察しても、如何にも急いででっち上げましたといったものです。これなら小生が所属していた大学の鉄研の展示の方がなんぼか上等です。
 車内はロングシートを一応休憩所的に開放しているようで、読書コーナーに使っている人もいるのは写真に見えるとおりです。

 以下に示すのが、鈴木けんぽう区議会議員曰く「トップダウンで説明不足」な施策をとっている、そして本件に関してはまさしくその通りとしか言いようかない事をしでかした、桑原敏武渋谷区長のコメントです。
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 「品川鉄道」という言葉は耳慣れませんが、「赤羽品川間鉄道」という趣旨なのでしょうか? 「日本鉄道」とするのが適切だと思いますが。しかしまあ、その辺は一応措いておきましょう。昨日の記事で引用した、鈴木議員が突っ込んだ「茶の湯体験」がきっちり書かれていますね。区長は余程この事業に思い入れがあるのでしょうか。
 そして、諸々の「活動拠点」としてこの「モニュメント」を設置したとありますが、昨日の記事で引用したとおり、「民間交番」構想は警察当局に難色を示されていたままの見切り発車であり、現時点では、この5001号をそのように活用するようには全く見えませんでした。 

 最後に、車体端部にこのような看板が展示されていました。
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 文化財を破壊して、さらにより徹底的に破壊されそうな状況に晒して、「伝えよう 渋谷の歴史と文化」とは笑止千万です。そもそもこの車輌の持つ歴史的意義は、渋谷にとどまらず日本の技術史上画期的な物なのです。ここに名を連ねている諸団体の見識を改めて問い直したいと思います。

 本件に関し、また何か新しい情報が入れば、当ブログにて報告します。
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by bokukoui | 2006-10-28 23:56 | [特設]東急デハ5001号問題

東急5001の破壊を弾劾する

 鉄道趣味者にとって大変衝撃的なニュースが飛び込んできました。

  ハチ公前広場に東急「5000系」車両、青少年育成拠点へ

 正直、最初は「ガーディアン・エンジェルス」が余計なことやっているとしか思わなかったのですが、どうもネット上で情報を収集するにつけ、どうもとんでもないことらしいと分かり、心底がっかりし衝撃を受けました。
 この電車、東急5000形のトップナンバーとして製造された5001号だったというのです。

 東急5000形は1954年に登場した、いわゆる新性能電車と呼ばれる電車のさきがけとして有名なものです。それまでの電車は、19世紀に発明された吊り掛け式というモーター装備方法を取っていましたが、それに代わって自在継ぎ手を採用することでモーターの小型化・高速回転化を可能とし、車輌の加減速性能が大幅に向上しました。
 しかし、5000形の革新性はそれだけではありません。その最大の特徴は、航空機の技術を参考にしたモノコック構造を取り入れたことにより、従来の車輌の2/3にまで軽量化したというところにあります。軽量化した分だけ性能は向上しますし、モノコック構造の採用による曲面を取り入れた流麗なデザインもこれまでにないものでした。モノコック構造は以後むしろ自動車業界で広く取り入れられていきます。
 さらに、電気ブレーキの採用や制御器などもその後の手本となったものです。そして、足回りの台車もそれまでのリベット止めや鋳物をやめて、軽量な鋼板溶接組立構造を採用、メカニズムも思い切った簡略化を図ってメンテナンスの負担を軽減したもので、これもその後広く普及しました。台車の構造簡易化とメンテナンス軽減という方向性は、歴史的に見て今につながるものだと思います。
 とまあ、様々な点で革新的だったこの車輌は、105両生産されて1987年まで東急線上で活躍しました。この電車は東急のイメージアップにもつながったといいます。東急から引退後は、長野電鉄・上田交通・松本電鉄・福島交通・岳南鉄道・熊本電鉄に譲渡されて活躍しました。これらも今はほとんど引退していますが。(このあたり、参考文献:宮田道一『東急電車物語』

 この5000形の、記念すべきトップナンバーの5001は、当初上田交通に譲渡されましたが、記念すべき車輌として東急の手に戻り、復元されて東急車輛製造の工場に保管されていました。そのため、この記念碑的電車は、無事に安住の地を得たものと思っていたのですが・・・東急の「電車とバスの博物館」あたりに置かれるのだろうとばかり・・・。
 それを何と、モニュメントにするとか何とかで、1/3を切り刻んだ上、台車からひっぺがして、渋谷駅前ハチ公前広場に野ざらしで置いたというのです。

 現在小生が聞いている話では、この車輌は、そもそも製造した東急車輛製造に置かれていたものの、所有権自体は東急電鉄にあったそうです。となれば、この東急グループにとって、のみならず日本の電車発達史上において貴重な形式のトップナンバー車輌を斯様な扱いにするという決定は、東急電鉄が下したということなのでしょうか。同社の見識を疑います。自社の今まで成し遂げたことを正当に評価できない企業に将来があるとは思えません。
 或いは、東急グループはバブルの後遺症で様々な問題点が山積しているといいますが、この一件もそのような混乱が表面化したものではないか、そのように勘繰りたくもなります。グループ内の地位を巡る鉄道と他業種の対立や、技術系と経営系の主導権争いでもあるのではないか、そうでも考えないとこのような行動の説明がつきません。畏友の憑かれた大学隠棲氏がこの点について「東急グループ内で東急電鉄や東急車両の技術の分かる人の発言力が落ちているのか」と指摘しておられますが、もしこの指摘が正しければ、技術の集積したシステムを扱う鉄道企業としての同社について、大きな懸念を抱かずにはおられません。

 この車輌をハチ公前に引きずり出した渋谷区の行動も理解が困難です。「青少年育成活動」と東急5000形の間に何の関係があるのでしょうか?
 このことに関しては、渋谷区の区議会議員である鈴木けんぽう氏のブログの10月26日付記事に記述があります。また、背景の理解には、同議員の10月14日付記事も参考になります。なお、渋谷区の公式サイトを見て回りましたが、本件に関する記述は見当たりませんでした。関係しそうなのは、青少年関係や、街づくりについての方針でしょうが、「歴史的建造物」に当たるであろう物を切り刻んでどこが街づくりかと。
 今ここで「青少年育成」という発想の怪しさについて喋々する余裕はありません。しかし、上掲のブログで鈴木議員が、事の発端の「渋谷区実施計画2006」、
安全対策
繁華街の防犯強化

青少年や来街者が多く集まる渋谷駅前のハチ公前広場に、民間ボランティア団体の待機スペースを設け、繁華街での防犯パトロールの強化を図ります。
内容:私設ポリスボックス
現況:・夏休みハチ公パトロール・青少年茶の湯体験・防犯カメラ設置
18年度、一ヶ所設置(ハチ公前広場)
 に対して「茶の湯体験がなぜ防犯の強化につながるのかは不明ですが、それは本題でないのではずします」と軽く突っ込んでいますが、これは結構示唆的で、要するにこの運動が、社会科学的見地に基づいた防犯対策というよりも、多分に精神論的・教育的な方向に流れてしまっていることを感じさせます(こういった論点については先日、更にこれまで当ブログで論じてきたのでこれ以上は述べませんが)。
 で、同議員の10月14日付記事における指摘を参考にすれば、
まとめとしていえるのは、桑原区長の問題点が完全に浮かび上がってしまったな、ということです。

トップダウンで説明不足。
だから、あとからさまざまな問題が噴出してくる。

一言で片付ければ、こんな感じです。

トップダウンだと何が悪いかの?

区役所の職員が制度や方針を練り上げないうちに、つまり職員ですら納得しないうちに事業が始まってしまうのです。
だから、色々な事業で問題が起き、迷走しています。
 という状況であるという現区政の問題点をそのままになぞった感じで、警察当局が難局を示した「民間交番」を無理やり実現しようとし、遂には「青少年の文化歴史教育の一環」なる口実で、実態は文化財の破壊に他ならぬ振舞を強行し、かえってハチ公前広場の混雑を激しくしてしまう危険性を招くに至ったのです。
 現時点では、5001号車内にあるという展示を確認していないので軽々なことはいえませんが、「茶の湯体験」に示唆される区当局の本事業に対する態度が、どれほどの「文化歴史教育」になるのか、懸念されます。歴史は道徳ではありません。遺憾ながら政治家の相当部分が(これは左右問わぬことですが)このことを全くといっていいほど認識しておりません。いや、政治家に限ったことですらないのですが。

 このニュースを知ったのが本日(27日)の午後で、その後出かける用事があったため、その折渋谷で乗り換えた際に写真を撮っておきました。時刻は18時ごろです。
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 写真はクリックすると拡大します。
 で、誰も車輌を見ていないですね(苦笑)。金曜日の夕方ということで人出はかなり多い時間帯で、ハチ公前には待ち合わせの人間が老若男女・人種民族も問わず犇いており、電車が置かれた分、通行のスペースが減少していることは否定できないと思います。
 なお、午前10時から午後16時までは電車の車内を開放しているそうですが、この時間帯は閉鎖されて警備員が番をしています。この写真では警備員の帽子しか見えませんが。
 そして、待ち合わせの場所にこのようなものを置いた結果、以下のような事態が生じています。
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 車体が無残にも切り詰められていることも分かりますが、多くの人が車体に寄りかかっていることもお分かりいただけるかと思います。
 このような衝撃を、既に製造以来半世紀近く経っている車体にかけ続ければ、日ならずして破壊されてしまう恐れがあるのではないでしょうか?

 用事を済ませた帰途、人も減っていたので、警備員氏に色々と問いただしてみました。警備員氏はもちろん多くのことを知っていたわけではありませんが、それでも幾つかの情報を提供してくれました。

 ・この「モニュメント」は一時的なものではなく、恒久的なものだと聞いている。
 ・電車を開放している時間は午前10時から午後16時まで。その後の警備をしている。
 ・自分は渋谷区に雇われているが、この仕事は「今月一杯まで」と言われている。

 というわけで恒久的だそうです。5001号復旧の目処は極めて困難であると言わざるを得ません。この警備員氏だけなのかもしれませんが、今後の維持管理や警備の体制がどうなるのかも、どうなるか分からない恐れがありそうです。
 警備員氏に、小生は余計なお世話と思いつつも本車輌の歴史的意義を説明し(「そんなに価値があるんですか」と言ってた)、車体に寄りかかる連中を排除できないかとダメモトでお願いしてみましたが、「屋根に登るような人がいたらとめろと言われていますが、寄りかかるくらいでは・・・」と至極当然のお答え。
 ともあれ、誠実に小生の相手をしてくださったこの警備員氏には心より感謝します。

 最後に。
 行政当局に「民間交番」を作らせる大きな要因になっているボランティア団体、「ガーディアン・エンジェルス」について一筆。

 念のために断っておきますが、小生は決してボランティアやNPOなどそれ自体を否定する者ではありません(時折そのような人がみられますが)。むしろ日本ではそういった団体の地位は低すぎるくらいだし、そのような活動が広まる方が良いとは考えています。何より、小生自身さるNPO団体の理事だったりします(え、だからNPOは信用できないって?)。
 日本の場合、行政当局もこのような団体に対し、一般的な態度としては冷たいように思われます。少し前の日経新聞に、一定の活動をしているNPO法人として認定されると、寄付金に対し控除が受けられる制度があるものの、あまりに事務手続きが煩瑣で、ほとんど活用されていない、という実態が報じられていました。かように、NPOは当局からあまり信用されておらず、世論もまた大差ないように思われます。
 しかし、では、逆に行政当局と深い関係を持ち、それだけ大きな信用を受けているNPO法人がある場合、それにはどのような理由があると考えられるでしょうか?

 「ガーディアン・エンジェルス」については、統一教会と関係のある団体だという情報が、主にネット上で、根強く流れています。小生がこの団体の名を聞いたのは数年前、この団体の関連組織がネット上の「有害情報」を当局に通報するという活動を行うと称したことが、ネット上でもっぱら批判と共に広まった時のことでした。そして、このとき既に、「ガーディアン・エンジェルス」と統一教会の縁は囁かれていたように記憶しています。
 このようなカルトと政治の関連について熱心な情報収集を行っておられるカマヤン氏のブログから、本件に関する情報を拾ってみましょう (またn-dprj氏が文句をつけてきても面倒なのであらかじめ断っておきますが、小生はカマヤン氏の情報分析を常に信用しているわけではありません。氏が時として陰謀論に近い傾向を持ってしまう嫌いのあることは承知しておりますが、それを踏まえた上で氏の提供した情報を、「自分なりに」有効活用することは可能であろうし、またそれだけの価値はあるであろうと考えます)

 竹花豊と、統一協会系ガーディアンエンジェルス
 統一協会とガーディアンエンジェルス
 10月27日にも「ガーディアン・エンジェルス」関連の記事がありますが、情報に具体性がないので採りません。

 小生の読んだ印象では、これだけで「ガーディアン・エンジェルス」=統一教会、とまで言うには手がかりが少ないと思います。しかしまた、講演会のつながりからは、関係がないと否定することも出来ません。統一教会系メディアが「ガーディアン・エンジェルス」を取り上げたからといって、必ずしもその団体が統一教会関係とは言い切れないでしょう。ただ、統一教会系メディアこの団体を取り上げたということは、統一教会の戦略上好ましいような存在と見做されていることは確かであり、統一教会が関係を持つインセンティヴがあるとは言えそうです。それがために、講演会などで接近を図ったのかもしれません(これら情報の時系列が整理されていないので、あくまで仮説ですが)。
 しかし、日本で「ガーディアン・エンジェルス」を立ち上げた人物が、様々な形で行政当局と密接な関係を持っているようで、これだけこういったことに関っていれば、東京都の治安担当者とも関係があるというのはむしろ当たり前と言えるでしょう。渋谷区の妙にこの「ガーディアン・エンジェルス」に肩入れしている態度からすれば、このNPOが行政当局と癒着といってもいいような状況にあるのではないか、そのように危惧します。
 なお、この団体の個々の構成員が統一教会の信者/関係者であるということは、以上の判断によりあまりなさそうなことだと小生は考えます。大部分は善意を持った方で、そういった方々の善意を利用する徒輩を憎みこそすれ、構成員の方々を批難するのは適切ではないのではないかと思います。
 ただし、この言葉は心に留めておく価値があるとは思いますが。
 「地獄への道は善意で敷き詰められている」
 この言葉はクレルヴォーのベルナルドゥスが発したものだそうです。(こちら参照)

 小生の現時点での結論としては、このNPOがたとえ統一教会と何の関係のない団体であったとしても、ここまで深く行政当局の施策と連携し、一体化してしまっている状況は、NPOの本旨に背くのではないかと考えます。NPOは行政では出来ない(効率が悪い)ことを、非営利で行政以外の団体が行うことで、社会全体の効用をより大きなものにする存在ではないかと思います。決して行政の下請団体ではないはずです。NPOと行政は協力すべきですが、一体化すべきものではありません。小生はかように考えます。

 論点が多岐に渡り、長文になってしまいました。まとめますと、この一件は、行政と癒着したNPOが勢力拡張を目指し、目に見える成果を挙げようと焦った区長が思いつきでこのNPOを利用して点数を稼ごうと企み、その思いつき企画にバブルの傷癒えぬ東急があまりに阿呆な判断を下した結果、日本の技術史上かけがえのない遺産が切り刻まれ、破壊されつつある、そんなことではないかと思います。
 まこと、悲しむべきことであります。悲しむべき点のあまりの多さに、涙も出ません。

 機械の不調や、ミスして書きかけの後半部分を消してしまったりしたため、一晩がかりになってしまいました。しかし、明日(今日)も出かける用事はありますので、車内開放している5001号を実見してくる予定です。

※追記:車内開放時の状況の観察はこちら
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by bokukoui | 2006-10-27 23:59 | [特設]東急デハ5001号問題

新・地歴教育雑感

 今日も今日とて世界史と地理をバイトで教えてきましたが、やはり受験生諸君も最近急に話題になっているこの件に関しては関心が高いようで、普段は時事関連の話題など振っても反応の芳しくない生徒たちでも、皆知っていました。世界史講師としては自虐ネタにしか使えませんでしたが(苦笑)
 とりあえず幾つかニュースを張っておきましょう。

 必修「地・歴」履修漏れ、3年生卒業ピンチ…高岡南高
 [履修不足]「前から疑問だった」受験控え不信、憤り 
 [履修不足]東京都立の進学校でも 35都道県に広がる

 はじめに聞いたときに、恐らくかなり多くの学校がやっているのではないかと感じましたが、やはりその通りだったようです。ちなみに今日教えていた某東京都の学校の生徒も、自分の学校はやっていないと思う、と言っていました。
 今まで地歴教育について当ブログでも贅言を費やして参りましたが、遺憾ながら地歴教育の実態とはかかるものだったのでした。「作る会」の皆様も、運動の方向性を再検討されては如何でございましょうか(これは結構真面目に)。
 曲がりなりにも地歴の教育の末端を担っている身としては、これらは諸々の学問や社会情勢を理解する上での基礎教養であり、無駄だ何だと切り捨てるべきではない、という公式論を決して放棄するわけではないのですが(敢えていえば、必修にするのは地理の方がいいかもしれないとも思いますが)、それはそれとして、なんだかこの問題の進展する方向を見ていると妙な方向になっているようで気になります。

 「受験に役に立たない科目に、これから無駄な時間使うのは…」"卒業ピンチ"の東大志望生徒、怒り…必修科目の未履修問題
 [履修不足]都道府県教委の管理上の落ち度重視 文科相

 上の出典は「痛いニュース」つまり2ちゃんなのでそもそもあれですが、元の記事の書き方ににも問題があったとは思うものの、やはり話があさっての方向に向かっている感があります。これを生徒への批難に向けるのはさすがに見当違いな場合が多いのでは(少なくとも、この件の根本的な論点ではないでしょう)。また下のニュースは、「教育再生会議」が初手から迷走を始めそうな状況を伝えており(小生の政治的立場としては、この会議が迷走して何物も生み出さないことを切に願いますが)、教育委員会云々という政治的な方向に無理やり話をもって行こうとしているように感じられます。

 小生が思うに、この問題もまた、先日当ブログの記事及びそのコメント欄にて論じたごとく、教育において戦略的視点と戦術的視点が弁別されていないことに由来しているのではないか、そのような印象を持ちます。即ち、中央で立てる学習計画が何を意図しているのか、その意図を実現するのに教育委員会や学校や現場の教師などはどのように行動するのが望ましいのか、実現する場合に現場で生じた問題点に対し中央はどういった計画の守勢を行うのか、そういったメカニズムが明確でなく、それが事態を混乱させているのではないかということです。
 こういった問題が起きているということが、現今の教育問題における一つの側面である、受験というプラグマティックな目標を追いかけている学校現場や学習塾など教育産業の場面と、社会政策のように振舞いつつも道徳的・精神論的視点を無闇と持ち込んで仕舞っている「教育再生会議」的な局面との乖離を示しているように思います。少なくともこの両者の対立に関して言えば、教育に対する意欲の点ではあまり懸隔がないだけ、他の教育問題と比べると解決は容易なはずなのですが。イニシアチブ争いのようなことをしている場合ではないと思います。

 こういった事態がこれだけ多くの学校で起きているということは、中央の政策が各個の教育現場の実態と乖離していることを意味します。それに対する策としては、中央の統制を強めるが如き策ではなく、先日の記事に書いたがごとく、中央と学校とのすみ分けを明確化し、戦略的な枠組みを中央で決めたら、現場に対してはあまり細かいことを言わない、ということが大切ではないかと思います。いい意味で「適当」にやるということです。教科書検定問題一つとっても、どうでもいいような介入を中央が行って、教師の面倒を増しているだけのように思われますので。
 生徒は一人一人違うし、学校もまた一つ一つ違うでしょう。個性尊重というのは最近あまり評判がよろしくないようですが、「個性」というものが否応なく存在してしまっている以上は、それを前提に、大雑把な方向性があっていれば、個別的な細部は適当で構わないと思います。これは同時に、ある特定の個別的細部の成功を、直ちに戦略に持ち込むべきではない、ということも意味しているわけですが。つまり、「名物教師の面白授業」は、教育の国家レベルの政策論議にはほとんど関係ないということです。 
 で、そのように大局的視点と個々人の側面とを、関連付けつつ考える力を養う上で、地歴という科目は結構いい知的訓練になるよ、と、綺麗に締めくくっておきましょう。

 ちなみにこの問題、結局はコマ数が足りないことが直接原因ですから、教員の負担を少なくして簡単にコマ数を増やす方法を考案したので、一つ提案します。それは中間試験を廃止して、期末試験一本にすることで、その分の時間を授業に振り向けるというものです。教師は面倒な作問&採点業務が減り、生徒は試験勉強が減り(笑)、コマ数は増えてみんなハッピー。2期制とあわせ導入すると効果絶大。
 ・・・って、この中間試験廃止というのは小生の出身校がやっていたことです。廃止の理由は、やはり教師と生徒の利害が一致したから、だとか(笑)。もっとも我が母校はその代り、体育祭を2日やり、文化祭を3日やっていました。アフォ学校でしたな。

 この話題も、何か思いついたら続きを書くかもしれません。もっともそうやって書きかけの話題が幾つもあるので、ちゃんと決着をつけないといけないのですが。コメントの返信も今しばしお待ちを。
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by bokukoui | 2006-10-26 23:58 | 歴史雑談

神岡鉄道と北陸の私鉄巡り その6

 その1その2その3その4その5の続きです。

 金沢で一泊し、今日は福井県の私鉄を回ります。当初は福井で泊まる案でしたが、福井の宿泊事情が良くないことから、金沢で泊まって早めに福井に移動することとしました。
 午前6時台に起きだし、7時前の電車で金沢駅を立ちます。早すぎて駅の売店は開いていません。通学する学生で混雑した国鉄時代の急行形電車に乗って福井に向かいます。道々、北陸本線を輻輳する特急列車に追い抜かれますが、加賀温泉駅で退避時間中に駅弁を購入して食事を摂ります。確か最近評判の新名物らしい焼き鯖すしと、あとは鯛稲荷だったか、まずまずは結構な食事でした。値段もですが。
 全く余談ですが、「鉄道で旅する」というとすぐ駅弁を連想するのがテレビ東京に毒された一般人の通念のようでありますが(『たびてつ友の会』とかもそういった通念に乗っかったものといえましょう)、強行軍で予算に制約のある鉄道趣味者の旅行は、食料費を節約するために駅弁より駅蕎麦・駅前コンビニを重視する場合が少なくないのであります。

 車中からかつて北陸鉄道や京福電鉄の支線のあった駅などを確認したりしつつ、1時間半ほどで福井に着きます。工事中の駅に降り立ち、京福電鉄改めえちぜん鉄道に乗り換えます。
 ご存知の方も多いと思いますが、えちぜん鉄道とは、地方私鉄の京福電鉄が経営悪化していたところに事故を連発して運行差し止めになり、県が出資した第3セクターに改組して鉄道を再生させたものです。その際に支線の永平寺線は廃止になりましたが、越前本線改め勝山永平寺線と三国芦原線の2路線を有しています。これもまた昔はもっと支線がいっぱいあったのは北陸鉄道と同じ。
 そもそも京福電鉄とは、京都と福井に別個に路線を有していたのでその名がありますが、元々は戦前の京都電灯という大手電力会社(戦前の電力会社は「五大電力」と呼ばれる最大手五社が中心で、それに次ぐ存在として「地方大電力」と呼ばれた会社(これを入れて九電力)があり、京都電灯はその筆頭格でした)が、安定した電力供給先兼営事業として営んでいた電鉄事業にその源流があります。京都電灯は京都と北陸(水源)で電力事業と共に電鉄業を営んでいましたが、日中戦争以降の経済統制の中で進められた電力国家統制により本体の電力事業が国の手に移ってしまい、その際残った鉄道事業をまとめて会社を作ったので、京都と福井にバラバラに路線を持つ電鉄会社ができたのでした。
 戦時中の交通統制により、京福は福井の小私鉄を併合して路線を増やしますが、戦後はご多分に漏れずモータリゼーションで経営が悪化し、福井の路線は縮小され、京都の路線の半分は叡山電鉄という別会社に分社したりし、この度えちぜん鉄道に福井の路線を委譲したことで、京福は完全に解体されてしまったといえるでしょう。

 更に余談ですが、戦前は電力会社が電鉄業を兼営したり、逆に電鉄会社が電力事業を沿線で展開したりすることは良くあったことでした。江ノ電や箱根登山鉄道も電力会社の一部門や子会社だったことがあり、京王や京成、京阪や阪神や南海などは大規模な電力兼業(電力業界で言えば中堅程度の規模)を行っていました。
 以下は小生が現在持っている仮説ですが、電鉄会社の経営に占める電力兼業の比重は、大正から昭和初期の不況の時期にかけて高まっています(京王の昭和10年ごろの収入は電車より電力の方が多かった)。一方、これと同じ時期に、電力会社が持っていた兼営電鉄業を別会社にして切り離す例が幾つかみられます(東京電灯の群馬軌道線とか)。つまり電鉄業にとって電力兼業の重要性が増す一方で、電力業経営からは電鉄兼業の意味が薄くなるような、捩れ現象が起きていたのではないかと思うのです。この現象を解決したという意味では、電力の国家統制や陸運統制を、企業経営を国家が介入して捻じ曲げたものとばかりはいえない側面もあるのではないか――とも考えられますが、実証的な調査はまだしていません(苦笑)。それに京都電灯はこの例として都合が悪いな・・・(藁)。

 余談が長くなりすぎました。話を戻して、えちぜん鉄道に乗り込みましょう。
 この日は土曜日でしたが、折りよく週末に限り全線乗り放題800円のフリー切符があることが判明しました。これはありがたい。更に400円足して1200円出せば福井電鉄も乗り放題になる切符がありましたが、福井鉄道は片道を乗り通すだけなので普通に切符を買う方が安いため、この週末限定えちぜん鉄道フリー切符を求めました。福井から勝山永平寺線の終点・勝山まで750円、三国芦原線の終点・三国港まで750円ですから、頗るお値ごろです。

 まずは旧越前本線、勝山永平寺線に乗って勝山を目指します。待っていた電車は案外現代風の車輌でした。何でも愛知環状鉄道から譲り受けたものだそうで、101系から流用したモーター類はともかく、車体は20年経っていないのでそう古くはないようです。もっとも、えちぜん鉄道発足時にけっこうきちんと手を入れたらしく、車内外とも割りと綺麗でした。転用した古い部品を見るとお里が知れますが、第一印象はなかなか良い感じでした。
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 例によって写真はクリックすると拡大します。以下も基本的に同じ。

 えちぜん鉄道は県の肝煎りで経営の効率化や利用促進に色々と力を注いでいますが、その一つに女性のアテンダントを乗り込ませて(車掌ではない)接客をしているということが挙げられます。この列車にも、勝山永平寺線と三国芦原線が分岐する福井口駅だったかと思いますが、途中駅でアテンダントが乗車し、切符の発行や回収、アナウンスなどをこなしていました。いでたちは・・・制服趣味者としての琴線に触れなかったのか覚えていません。ただ、旅行者がよく使うようなカートを引っ張って乗ってきたのは覚えています。普通の鞄ではないものを持ち込んでいたのが面白かったので。
 折角アテンダントが乗り込んでも仕事がなかったら残念ですが、割合駅ごとに乗降客はあり、現時点ではそこそこ利用されているようです。

 天気の良い日でした。明るい秋の日差しを浴びて、沿線はなんとも長閑に見えます。かつて永平寺線を分岐していた永平寺口(旧東古市)駅の辺りから路線は山間部に入り、沿線に占める緑の割合が多くなります。路線は九頭竜川に沿って蛇行を繰り返しながら、高度を上げていっているようです。感心するくらいカーヴの多い路線でした。
 線路に立つ架線柱は、古色蒼然たる木製から、如何にも地方私鉄らしい鋼材を組んだ物、そして近代的でありふれたコンクリート柱まで入り混じっており、この路線の歴史と懐具合と、それでも投資の意欲があることとを伺わせ、なかなか興味深いものでした。
 ちょうど1時間ほどで終点の勝山に着きました。九頭竜川と山とに挟まれ、工場の手前といったところにある駅ですが、木造の駅舎に地方私鉄としては比較的ゆったりした構内の醸し出す雰囲気は、天候とも相俟って何とも爽やかな印象でした。
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 折り返しの列車まで30分ほどあるので、その間周囲を散策します。

 この路線は、かつては更に九頭竜川の上流である大野まで延びていましたが、その区間は1974年に廃止されました。その痕跡がないかと探してみましたが、工場が拡張して産業廃棄物でも埋めたのか、廃線跡は駅のすぐ北で見失われ、九頭竜川沿いまで出てみましたが判然としません。探索は諦めて駅に戻り、駅舎のたたずまいなど観察します。
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時代を感じさせる看板(たんび氏撮影)

 10時過ぎの電車で勝山を離れます。当初は空いていた車内ですが、次第に乗客が増えていきます。
 途中「轟」という駅を過ぎます。「とどろき」と読む駅は難読として知られ、東急の「等々力」、青森県は五能線の「驫木」、今はもうありませんが和歌山県の野上電鉄の「動木」と、どれも一筋縄では読めそうにもない駅ばかりです。ところがこのえちぜん鉄道の「轟」は、「どめき」と読みます。なんとまあ。
 下志比の駅で、灰色のカラーに白いラインが入った、なかなか瀟洒なセーラー服を着た、永平寺中学のネームプレートを付けた女の子が乗ってきて、次の永平寺口で降りていきました。アテンダントの制服よりずっと印象に残っています。
 永平寺口を過ぎて平野部になる頃には、例のフリー切符のお蔭なのか、乗客はどんどん増え、しまいには立ち客だらけになります。これだけの利用があるとは、えちぜん鉄道当局の努力は一定の成果を挙げているようで、はなはだ結構なことです。

 我々は終点まで乗らず、分岐点の福井口で下車して、三国芦原線に乗り換えます。

 つづく
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by bokukoui | 2006-10-25 23:58 | 鉄道(現況実見)

MaIDERiA出版局更新・いろいろと加筆

 幾つか告知的な内容を。

 まず、MaIDERiA出版局サイトの個人的新企画「旧稿再録」に「その2」として、『粉』より「万国のヲタクよ、観察せよ!~『はじめてのおるすばん』と鍋焼うどん~」増補版を掲載しました。
 かつて同人誌に書いて何故かそれなりに評判が良かったらしい(ごく一部に)内容を、多少の資料などを加筆してアップしました。一応念のために書いておきますが、使っている本そのものの内容はさておき、文章自体は冗談ですので(例えば石毛直道『食卓文明論』の論旨を使って逆の結論を捻くりだすことも可能)。ただ、「性欲<食欲」という根本の主張自体は結構真面目かもしれませんし、何より美少女ゲームをもっともらしく評論するのに、フーコーやらデリダやら引っ張り出すよりも、安藤百福氏を引っ張り出す方が「かっこいい」と論者が信じているのは本気です。

 あと、当ブログ読者のほとんどの方には訳が分からない記事ではありますが、戦史研のブログに、随分前のことですが、鉄道ゲーム『1830』のプレイ記録を載せました。まあ、てだれのOB陣相手に勝利したということを自慢したいだけです(笑)。
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by bokukoui | 2006-10-24 23:58 | 出来事

備忘

 最近知ったのですが、こういう映画が近日公開だとか。

 エコール

 例によってシネマライズにて来月公開だそうです。シネマライズといえば昔、酒井シズエ翁『8人の女たち』を見に行った所ですが、考えてみればあれ以来映画館に映画を見にいってないような。
 この映画、そのうち見に行きたいですね、とここに備忘に書いておくのですが、しかし来月になったら忘れてそうだな・・・。
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by bokukoui | 2006-10-23 23:57 | 出来事

神岡鉄道と北陸の私鉄巡り その5

 諸事情により間が開いてしまいましたが、その1その2その3その4の続きです。

 西金沢の駅でH氏と合流し、小生とたんび氏は新西金沢駅より北陸鉄道石川線に乗り込みます。この線の電車は元東急7000形で、浅野川線の車輌とは東急車輛系のステンレスカーという点で共通しており、あちこちの地方私鉄に中古で流れていった電車です。東急沿線住民とはいえ東横線系統に縁のなかった者としては、昔水間鉄道で乗った電車と同じだなという感慨を抱きます。
 ちなみに水間鉄道に乗りに行ったのは小生がリアル厨房であった当時で、中学の鉄研の友人某氏と行ったのですが、当時某氏はさる声優の熱心なファンで、というか親衛隊で相当の地位にあったとかなんとかで、この鉄道の沿線にその声優さんの実家(金物屋)があるというので乗った際にそこを訪ね、小生もお供する羽目になりました。そこで某氏が某声優さんのお父上と話しこむこと数十分、小生は横でおとなしく聞いていました(笑)。
 以後、小生は某声優さんのファンではありませんが、某声優のお父上のファンは自称しています。なお某氏はその某声優さんの店でメジャーやステンレスの物差などを購入し、その後学校の文化祭でこれらの機材は大活躍しましたが、由来を皆知っていたので、これらは「〇〇メジャー」「〇〇定規」(〇〇にその声優さんの名前が入る)と呼ばれ、皆取扱いには気を使っていたものでした。
 今にして思えば、いくらリア厨とはいえちょっと押しかけ厨みたいだったのではと思わなくもありませんが、しかしまあ昔は呑気だったのでしょう。昔といっても十年ばかりのことですが。

 えらく話が脱線しました。鉄道の話にこれはいけません。
 石川線の電車は学校帰りの生徒などでそれなりに賑わっていました。カーヴを繰り返しながら市街地を抜け、やがて沿線は近郊住宅地となり、そして収穫中の田圃の中をまっすぐ走ります。H氏の案内のお蔭で、金沢市を抜けると途端に住宅が減って田が広がり、工場が出現する(規制の影響だとか)といった沿線の情景の意味をよく理解することができ、なかなか充実しておりました。
 北陸鉄道はかつて石川県各地に路線を展開しており(あちこちにあった小私鉄が戦時統合で大合併したのですが)、この石川線に繋がる支線も二つありました。特に鶴来(つるぎ)から出ていた支線は比較的近年まで残っていたため、今でも車窓から遺構を望むことができます。これもH氏が案内してくれたお蔭で分かったのでした。
 この石川線、かつては山を越えて名古屋まで繋げるという夢があった路線でしたが、結局夢破れ、路線も一部廃止されて往時より短くなっています。鶴来以北は本数が半減し、いっそ鶴来まで廃線になってもおかしくなかったような感もありますが、終点の加賀一の宮は初詣客が押し寄せるために残されているのだとか。
 その加賀一の宮駅に、30分ばかりで到着しました。乗客はやはり随分少なくなっていました。
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 写真はクリックすると拡大します。以下も同じ。
 加賀一の宮は木造の駅舎になかなか風情があり、訪問の価値ある駅です。短い折り返し時間の間に周囲を見て回りますが、かつて延びていた区間の廃線跡は判然としませんでした。駅舎の様子が良いので記念撮影(この写真はたんび氏の撮影したものです)。
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 木造の駅舎もさることながら、レールで作られた柱が目を惹きました。レールの刻印がはっきりと読み取れます。
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 6009 ILLINOIS STEELCo SOUTH WKS || 1901 IRJ とあります。以前にもお世話になったこちらのページを参考にさせていただくと、イリノイ製鋼会社が1901年2月に日本帝国鉄道(当時は鉄道作業局)向けに南工場で作った30キロ(60ポンド)レール、ということになります。明治のこととて、30キロレールでも幹線で使われていたものでしょうね。

 来た道を戻ります。乗る乗客もやはり少数でしたが、途中から多少は乗ってきました。
 このまま終点の野町まで乗り通します。当初は、この後市内をうろついて適当に夕食および折角なので一杯やるという程度に、大雑把な計画しか立てていませんでした。宿は金沢駅近傍にとってあります。しかしH氏が合流したのでどうしようかということになり、結局H氏のご好意に甘えて、氏のご実家を急遽手土産もなく探訪することと相成りました。
 小生は以前から、サークルと研究室とでH氏と交友があったのですが、氏は世界中足跡至らざるはなき旅行家で、マイレージが切れそうだからなどとといってしょっちゅう海外に出かけ、世界各地の鉄道を乗ってきているという人物です。更に、氏の書籍の収集ぶりは大変なもので、予算もさることながらあれだけの本をどこに置くのだろうと不思議に思っていました。ある時、さる方からJTBの時刻表を無慮三十数年分(毎月揃っていて欠号なし)処分するという話が持ち込まれたとき、氏はそれを引き取ってご実家に送られていました。で、これらの経験から、H氏と交流のある人びとの間では、氏の家はきっと金沢に土蔵を持っている素封家なのだろう、ということになっていました。で、その土蔵(?)を覗いてみたいという欲求には勝てなかったのであります。

 石川線の起点の野町から、かつて市電が走っていたという通りを歩いて、バスに乗り込みます。バスの路線網や案内などはかなり充実しており、バスも帰宅ラッシュが始まってかなり混雑していました。そしてH氏のご実家に到着。・・・本当に素封家だったようです。土蔵ではありませんが、庭に書庫が建っています。うむむ。
 当然、まずは玄関からお邪魔したわけですが、この玄関からしてちょっとした旅館並みに堂々としたものでした。すっかり恐縮しているところを応接間に通されます。ここがまた、書架に年鑑や事典類(英語のもの少なからず)が収められ、古典的な教養の集積を見せ付けられます。H氏が収集した鉄道のビデオなど鑑賞しますが、これがまた究極のアナログ式家電のセットというか、デジタルのDVDより画質が上なS-VHSという驚くべきものでした。
 H氏のご家族のご挨拶を受けますます恐縮。小生は気付かなかったのですが、専門家のたんび氏がバッジを見たところでは、お父上はどうも弁護士でおられたようです。本当に地方名望家だったのでした。夕食までお相伴に与ってしまいますます恐縮至極。

 そして本題の、庭の土蔵、もとい、書庫を見せていただきました。手前に閲覧室というか、ソファーなどが置かれた四畳半くらいの部屋があり、奥の12畳くらいだったでしょうか? そこが書庫になっていました。
 その書庫が、これまた普通の個人宅にある本棚とは隔絶したものでした。図書館、それも公立の普通の図書館の開架式のそれではなく、大学の研究室などに見られる閉架式の書庫のように、床にレールを敷いてぎっちりスチール製の書架が並べられ、ハンドルをぐるぐる回して書架を移動させて本を出納する、そんな書庫だったのです。個人宅でそんなものを持っているとは、なんともはや。
 書籍のコレクションも、文学全集の類が各種揃っていたり、各種の雑誌が何十年分も揃っていたり(例の時刻表もありました)、ますます図書館のようです。これはH氏一人ではなく、無論ご家族全体のコレクションなのではありましょうが、レパートリーの広さは目を見張るものがありました。壁沿いには木製の文庫本などを専門に収める本棚が並べられています。これも特注品んとの由。ご自身数千冊のやおいコレクションの収納に難儀されているたんび氏は、この書庫の偉容に興を得たらしく、このスライド式書架の予算を聞いて自宅への導入を検討し始めたようでした。しかし、お金は調達できても土地が・・・とか。

 随分遅くまで長居してしまい、帰りも送っていただくなど、急な訪問にもかかわらず至れり尽くせりの接待を受けてしまいました。今度は手土産を持っていかねば。
 今まで近代史の話をする時、小生はあまり深く考えもせずに「地方名望家」という言葉を使っていましたが、今回初めてその意味を実感することができたように思います。財だけではなく、文化(ある程度公共性を持った)をも地域で集積している存在、ということです。ただの金持ちではないのです。なるほど、今までのH氏の振舞も納得できたのでありました。

 その夜は、予想外の体験を再度噛みしめつつ、金沢の安宿で二人地味地味と酒など飲んでおりました。しかし明日は朝早いので、そう遅くまで呑むわけにもいきません。程々に切り上げてやすみます。

 つづく
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by bokukoui | 2006-10-22 23:58 | 鉄道(現況実見)