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一途な想い 君のココロを傷つけている~古澤氏の記事に関し雑感

 さる19日の「同人誌と表現を考えるシンポジウム」に関して、レポ感想を当ブログに書きましたところ、予想外に多くの方にお読みいただけたようでありがたいかぎりです。ところが、ITmedia News でこのイベントについて詳細な(恐らくは録音から起していると思われる)レポートが現在掲載進行中で、うーむ拙レポートの意義は薄れてしまったかなと正直思わずにはいられません(感想については何がしかのオリジナリティがあるかなとは思いますが)。もっともそれだけこのシンポジウムに注目が集まっているのだとすれば、それは大変結構なことであると思います。

 さて、その「同人誌と表現を考えるシンポジウム」の拙レポートについて、「革命的非モテ同盟」の古澤書記長が、革非同の活動外の個人的ブログ「furukatsuの日記」にてご紹介くださいましたことはまことに光栄の至りであります。しかし、拙記事をご紹介下さった古澤書記長のブログ記事「同人誌と表現を考えるシンポジウム」に関しましては、小生はいささかの懸念を覚えます。すなわち古澤書記長が該記事で述べておられる「闘争方針」は、事態の改善に役立つのかという疑問です。

 端的に言えば、「我々」と「敵」とに世界を二分し、「非妥協的」な闘争をすることが目的達成の手段として適切だとは思えません。この世界は、同人者と規制当局(とその手先)だけで構成されているのではありません。そしてまた、闘争することが目的ではありません。表現を守ることが目的です。古澤書記長が該記事にて「三つの柱によって達成される」と示された方針は、如何にして規制当局と闘争するかの方針であって、表現を如何に守り豊かにするのかという視点は見出せません。それは目的と手段を取り違えていると言わざるを得ませんし、かつての革新勢力がやがて退潮していった理由にも通じるかと思います。
 規制推進派と同人関係者の間に、こんな問題があることを知らない圧倒的多数の人々がいます。運動の方針の一つとしては、この圧倒的多数の人々の支持――とまでいかなくても、規制当局が押し付けたがっている像ではない認知を獲得することが出来れば良いでしょう。その際に、オタ文化の経済的な影響が大きいとか、コミケの大規模さに見るように相当多くの人に浸透しているのであるとか、そういったことは利用できるでしょう。かくてそれだけ社会の一角を占めている存在であるということをアッピールできれば、それを弾圧しようという側にとっては話が面倒になってくるわけで。「利害の調整」に応じるしかなくなってくるわけです。
 ひとくちにいえば、拡散と浸透が大事なのではないかと。団結の美名の下に、強力な指導者による思想統一を図ることは、そもそもの豊かな表現の場を守り育てるという根本の目的に反します。少数の中核による非妥協的な闘争よりも、多様さを武器にここにもいる、あんなのもいる、と同人と表現によるネットワークが社会のあちこちに展開するように、そしてそのことをより広く認知させる、それが目的に適うと思います。最悪どこかが叩かれても、ネットワークのどこかが残れば、また表現を育てていくことが出来るはずです。
 答えはそう「一つ」だけ、ではありません。

 具体策としては、古澤書記長のお示しになられた道と結局類似してくるとは思います。政治的なロビイング活動を行うとか(落選運動を行えるかは正直疑問ですが)、経済的意義をアッピールするとか。
 その二つは良いんですが、古澤書記長の第三に軍事というのは、まあ冗談で仰っているのだと思いますが、何がやりたいんだかさっぱり分かりません。あまつさえ、なのはさんの例を紐解けば分かるようにというのは、冗談にしてもまったくもってケシカラン話であると思います。余人であればいざ知らず、いやしくも「革命的非モテ同盟」書記長にして、とは恋愛資本主義の粉砕の先頭に立つべきものがこは如何に。
 なんとなれば、『なのは』シリーズの原案者・都築真紀氏は、かつて自己の作品中で、恋愛資本主義にどっぷりはまった世界観を臆面もなく展開していたのです。

f0030574_254660.jpg ここで小生が押入れから引っ張り出してまいりました資料は晋遊社の『ポプリクラブ』1997年7月号。ちょうど十年前ですね(多分6月発売)。我ながら物持ちがいいなあ。なお小生の年齢についてのお問い合わせにはお答え致しかねます。
 で、この雑誌には、都築真紀氏の単行本未収録作品「幸せのリズム」が掲載されております。これが問題の作品であります(ついでに言えば、小生が読んだことのある唯一の都築作品)。
 全く本題と関係ありませんが、小生がこの雑誌で「エロマンガ」としてもっとも「印象に残った」のは嶋尾和氏の作品でした。この表紙に名前の上がっている作家で単行本持ってるのは嶋尾和氏のだけですね。比較的最近、嶋尾氏の某単行本を買って巻末のあとがき漫画を読むまで、男だとばっかり思ってました。絵や話から何となくそんな印象を受けていたのでして。

 それはともかく、本題の「幸せのリズム」です。
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 お話は至極シンプル。美雪先輩と八重樫君のらぶらぶ話です。特に八重樫君のコンタクトを美雪先輩が入れてあげるシーンはなかなか。
 そんな二人ですが、美雪先輩は最近八重樫君に対して「バイトバイトってちっとも遊びに連れてってくれないし!」「ムードもなんもなしにHばっかしたがるしさっ!!!」と些かご不満。それで二人の間にひと悶着(&ひと交接)あって、もちろん最後は丸く収まるんですが、そのときのシーンが↓これ。
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 で、指輪贈られた美雪先輩曰く、「やっぱり愛されてるって確認しちゃったわよ!!!」

 へーそうですか。愛はプレゼントで確認するもんなんですか? これを恋愛資本主義と呼ばずしてなんと呼ぶ!?
 ついでに最後のページのオチでは、美雪先輩がさらにえげつない恋愛資本主義的発言(笑)を発してくれます。(漫画としては面白いけど) 

 かかる漫画を公表して憚らぬ都築真紀の作品を、こともあろうに闘争の指針に持ち込もうとするとは、非モテの星たる古澤書記長でありながら、反革命的限界を露呈してしまっていると言わざるを得ません。強く自己批判を求めるものです。
 やはりここは『なのは』ではなく『Saint October』を視聴し、力による正義の裁きを下すことの危険さを悟った少女が、赦しということを身につける経緯をじっくと学ぶべきでありましょう(11話~13話あたり)。

 要するに今日の教訓は、古いものを取っておくと何かネタになるかもしれない、ということです。そして過去の蓄積なくして未来の生産なし。資本だって表現だって。
 ところで色々検索してみると、都築氏の単行本未収録作品を掲載している雑誌は、オークションにて結構な値段で取引されているようです。なんだか2万円という話も出てきたし。
 ・・・この『ポプリクラブ』を誰かが1万6800円以上で買ってくれれば、『MANOR HOUSE』が買える喃(苦笑)

 えー、例によって話が滅茶苦茶になってきたのでまとめます。

・表現の自由を守るには、非妥協的闘争よりも拡散と浸透を。
・古い遺産をきちんと継承していくことで、表現の豊かさも発展していく。
・でも『ポプリクラブ』については価格次第で・・・(?)

 以下余談。
 『ポプリクラブ』1997年7月号はリニューアル第1号なので読者投稿コーナーがありません。とは即ち、三峯徹画伯のイラストが拝めないということです。しかし翌8月号の新装開店読者投稿コーナーにはしっかりと・・・

 もいっこ。
 この絵はなんだか変な気がします。
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by bokukoui | 2007-05-31 23:59 | 漫画 | Trackback | Comments(6)

お気楽アメリカ紀行(6)~フェニックスからセドナを経て

 アメリカ旅行記の続きです。他の記事は以下を参照。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2
 (4)パームスプリングスのロープウェイ
 (5)パットン将軍記念博物館
 (6)フェニックスからセドナを経て(この記事です)
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
 (11)デス・ヴァレー国立公園
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 パットン将軍記念博物館を出た我々は、K氏の運転でフェニックスに向かいます。存外時間を取ったのでモニュメントヴァレー行きは断念し、フェニックスで観光する方針に。なんと言っても全米で人口6番目の大都市らしいので、何がしか見るところはあるでしょう。
 沿道はおおむね沙漠でしたが、カリフォルニア州とアリゾナ州の境目であるコロラド川の谷間は流石に緑豊かでした。もっともコロラド川はそんなに大きな川ではなく、日本の川とも大差ない程度で、車で渡った時にはこれがグランドキャニオンを浸食したコロラド川か?と思ったのですが、そもそも外来河川ですし、あまつさえ上流に大規模なダムが幾つもあったりロサンゼルスに用水路で水を持っていかれたりしたならば、そんなものかもしれません。

 昨今石油価格の高騰が頻々と伝えられており、カリフォルニア州でのガソリン価格は1ガロン当たり3ドル半かそこら(正確な数字は忘れましたが)して、日本のそれと大差ないくらいでした。ところが面白いことに、コロラド川を渡るとガソリン価格は1割くらい下がって3ドルそこそこ/ガロンになっていました。カリフォルニアは環境問題にやかましい州だけあって、ガソリンへの課税も高めに設定されていたようです。
 そういえば、昔サザンパシフィック鉄道は、自社が使うための石油をロサンゼルス近郊の製油所で精製してからわざわざタンク車でアリゾナ州まで運ばせて購入していたという話があります。それは税金対策だった由。(この話や昨日のパットン将軍の父親の話などの出典は、機芸出版社『トラクションブック』の宮野忠晴「PACIFIC ELECTLIC 南カリフォルニアに展開された巨大電気鉄道網」)

 アリゾナに入ると少し植生が変化し、電信柱のように立つサボテンが目に付くようになりました。カリフォルニアよりは植物が少し多いような気がしました。そんな『エル・カザド』みたいな(笑)風景の中をひた走り(この辺は米墨戦争までメキシコ領だったわけで)、昼すぎフェニックスに到着します。
 フェニックスもまた延々と数十キロに及ぶ郊外が広がっており、それをつなぐ巨大な環状高速道路(南北約50キロ・東西30キロの巨大な長方形の左下隅が欠けたような形)が整備されています。それだけフェニックス都市圏が広がっているということなのでしょう。
 どこを観光するかということで、とりあえずフェニックスの駅に行ってみることにしました。流石に百万都市らしく、中心部に入ると巨大なビルが幾つも聳え立っていますが、土地の使い方が鷹揚なので、ビルが並んでひしめいているという感じはあまりしません。
 というわけでパーキングメーターに車を止め、駅の前に行って見ますが、なんだか柵で閉ざされています。近づくと柵が開きましたが、それはこの中で何か仕事があるらしい黒人のあんちゃんがたまたま通りかかって開けたのでした。で、その黒人男性氏曰く、この駅はもう使っていないのだとのこと。全米第6位の人口の大都市の中心駅だったのに、今はアムトラックにも無視されていたのでした。
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アムトラックの「rail passenger station」の表示も空しい旧フェニックス合同駅

 なお、写真は一部を除きクリックすると拡大表示します。
 以上の次第で駅には入れませんでしたので、次なる目的地としてフェニックス美術館 Phoenix Art Museum に行くこととしました。その途中、市街地で路面電車の工事が行われているのを発見。
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フェニックス市内の路面電車の工事状況
架線は未設置だが軌道は整備済

 長距離旅客鉄道の方は滅びたらしいフェニックスですが、市内交通機関としては復活するようですね。ちなみに物の本によると、その昔フェニックスには延長10マイルのささやかな路面電車があったそうで、フェニックスの中心部から北西のグレンデール Glendale まで走っていたそうです。1910年に建設され、1927年廃止とのこと。80年ぶりの復活ですが、前回のように20年持たずに廃止、なんてことのないように祈っております。

 そんなこんなでフェニックス美術館へ。入ってみると常設展に加えて特別展二つが行われており、一つはレンブラントなどのオランダ絵画展、もう一つが戦前を中心にした流線型の自動車展でした。常設展+自動車展の切符を買って中に入ります(つまりケチってレンブラントは見なかった)。
 自動車は実に見応えがあり、朝見たごつごつの戦車どもと対照的な、1930年代欧州車を中心とした流麗なラインを堪能しました。世界で一番速かった頃のアルファ・ロメオや、世界一輝いていた頃のフランス車、或いはチェコの名車、コッポラの映画で有名な悲運のアメリカ車タッカーと、これだけで充分楽しかったのですが、常設展もまたえらく見応えがありました。なにせアメリカ、展示スペースは広い広い。しかも一角に「拡張してカフェテリア大きくします」みたいな掲示もあり、まだまだ広げるつもりのようです。
 常設展は芸術作品いろいろで、H氏のような教養人では小生はありませんので良く分かっているわけではないのですが(掲示も英語だし)、日本の浮世絵があったり、また渡辺崋山の鶏の絵があって感心して見入りました。また西洋絵画も植民地時代から現代に至るまで揃っており、まあ鑑賞眼のない小生ですが、肉付きも血色もよく見ている方も明るい気持ちになるような女性の絵画は18世紀や19世紀初頭の作品で、一方幽霊のようにしか見えない夜中見たらちびりそうな女性の絵は19世紀後半の作品で、ああやはり『倒錯の偶像』が述べていた通りだなと、アリゾナまで来て妙な感慨に耽りました。
 さらにはご当地の芸術家の作品や現代美術作品もいろいろと充実しており、たっぷり2時間以上見て廻ったかと思います。実に大規模な美術館でした。これでレンブラント展まで見ようと欲張ったらもう1時間はかかりましたね。

 フェニックスからは北上して、今日の宿であるフラッグスタッフを目指します。
 その途中、フェニックス市内の鉄道公園? みたいなところにちょいと立ち寄り。ミシュランの道路地図にマコーミック・スティルマン鉄道公園 McCormic-Stillman Railroad Park と書いてあったので見てみましたが、ここはどっちかといえば子供向けの公園みたいなところでした。まあ入場無料でしたのでそれはそれでよし。
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マコーミック・スティルマン鉄道公園の機関車と信号機

 上の写真に、3月に行ったくりはら田園鉄道の話でも出てきた腕木式信号機の、ちょっと変わった形のが写っています。これは上りと下りの信号機を一つにまとめ、ランプを一つで済ませたタイプのものと思われます。日本でも明治時代には広く使われていたらしく、軽便鉄道では戦後まで残っていたとか。
 この公園の最大の眼目の展示物は、次の貨車でしょう。
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フランスから来た貨車

 柵で囲まれているので分かりにくいのですが、よく見るとアメリカの車輌ではないことが察せられるかと思います。ネジ式連結器を装備しているので。展示を斜め読みしたうろ覚えなのであやふやですが、この貨車はアメリカ軍がフランスを解放した感謝の意を表す親善列車として運行されたものの一両なのだそうです。

 そんなこんなでフェニックスを離れ、州際高速道路でフラッグスタッフに向かいます。フェニックスを抜けるときに、事故があった関係から少し渋滞しましたが、抜けてしまえば交通量も減って快適なドライブで、インターステート17号をひたすら北上します。沿道は標高が上がっていくためなのでしょうか、カリフォルニアより緑が多く、サボテンと潅木と草に覆われた山並みを越えて走ります。起伏があるのでそれほど単調な感じはしませんでした。交通量も多くなく快適なドライブで、運転していたK氏はオートドライブ機能を活用して、足を使わずに運転していました。
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インターステートハイウェイ17号の景色
緑の緩やかな山並みを縫って北上する道路と送電線(烏帽子形鉄塔)

 途中で運転はH氏に交代しますが、そのH氏の発案で、このまま州際高速道路でまっすぐフラッグスタッフに行くのではなく、途中で州道(179号と89号)に降りて、セドナ Sedona を経由して行こうということになります。セドナは赤い山の特異な地形で景勝地として名高いらしく、道路も山越えのなかなかドライブし応えのあるルートのようでした。この辺の道路の関係についてはこの地図参照。
 というわけで片側2車線の高速道路を降りて、片側1車線の州道に入ります。速度も時速80マイルから50マイルへスローダウン。日本の基準ではまだ充分速いですが。
 やがてセドナの山並みが見えてきました。赤く、また切り立った形をしています。モニュメントヴァレーには行けませんでしたが、これはこれで趣のある風景です。
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セドナの街の手前(多分)から山並みを望む

 セドナの街にはなにやら立派なリゾートホテルなどが立ち並び、保養・観光の拠点としてかなり賑わっているようです。もっとも今「セドナ」と日本語で検索したら、こんなサイトが見つかったり、他にも「癒し」「瞑想」「スピリチュアル」「地中のエネルギー」「ヴォルテックス(渦巻き:「エネルギー」が地上に出てくるポイントらしい)」・・・といった、如何にもなフレーズが次々と芋蔓式に出てきます。人様が感動しておられるのにとやかく言うのは無粋であるかもしれません。
 でも思います。セドナの景色は美しい。それで充分じゃないかと。
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夕日を受けて黄金色に輝くセドナの赤い山

 この山並みは水平な地層がはっきり読み取れ、地質学的にもかなり面白そうです。なんか「精神的」なものを無理に持ち込むことはないんじゃないか、と。

 その後、州道で山越えをしてフラッグスタッフに至ります。この峠附近は別荘地として人気があるようですが、これまで見てきた乾燥した土地と異なり木々が豊かな地域でしたので、それも頷けます。もっとも日本人からすれば、木々が多いということは見慣れた山道に近いので、そんなに感動はしませんでしたが。道はアメリカにしては狭く、センターラインこそあるものの路肩は無きに等しい箇所も多く、カーブも急でした。それだけ地形の険しい谷でしたので、インターステートはこの谷筋を避けてもっと東を通ったのでしょう。ちなみにこの附近を南北に結ぶ鉄道はもっと西を通っています。
 そんなこんなですっかり日が暮れた頃にフラッグスタッフ到着。ロードサイド型店舗が各種立ち並び、そこそこの規模の街です。今日も昨日と同じチェーンの「高級モーテル」フラッグスタッフ店に投宿。もっとも保養地の店舗とビジネス客向けとでは方針が異なるのか、昨日の部屋より狭めで敷地一杯に建物を詰め込んでいるような感じでしたが。
 夕食はデニーズ(笑)へ。店の内装が学食みたいに安っぽかったです。
 それにしても、日本のデニーズって考えてみれば凄いですね。洋食のみならず、和食に中華にイタリアン、時には韓国その他各国の料理も提供しているわけで。その点アメリカは・・・。

 以下、グランドキャニオン篇に続きます。
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by bokukoui | 2007-05-30 23:56 | 出来事 | Trackback | Comments(3)

お気楽アメリカ紀行(5)~パットン将軍記念博物館

 アメリカ旅行記の続きです。他の記事は以下を参照。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2
 (4)パームスプリングスのロープウェイ
 (5)パットン将軍記念博物館(この記事です)
 (6)フェニックスからセドナを経て
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
 (11)デス・ヴァレー国立公園
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 パームスプリングスに一泊し、翌朝宿の朝食のビュッフェをしこたま食して出かけます。この旅行中、我々は基本的に朝を多めに摂って昼を抜くという強行軍で通しました。まあ、大体朝の食事が一番マシだったりするわけで・・・。実際、ここの宿の朝は種類も多く場所も広く、なかなか結構でした。
 今日はアリゾナ州のフラッグスタッフに向かいます。道中の予定はあまり決めていませんで、早く行ければモニュメントヴァレーまで行って戻ってくるという案もありましたが、とりあえずアリゾナへと東へ向けて出発します。その沿道にパットン将軍記念博物館なるものがある、とガイドブックに載っていましたので、休憩がてら寄ってみようということになりました。

 州際高速道路を東へ向かい、相変わらずの荒涼とした景色の中を走ります。人気がほとんどなく、僅かに送電線が平行して走っているくらいです。日本の送電鉄塔は上に行けば細くなる、四角錐を縦長に伸ばしたような形のものが圧倒的に多いですが、アメリカの送電線は日本では珍しい上が二股に分かれた鉄塔(「烏帽子形鉄塔」という名前がある)が断然多い印象を受けました。電気工学科に在籍しておられたK氏曰く、烏帽子形は用地を多く要するので日本では積雪の多い山間部(雪に強い)などにしか使われないが、アメリカは土地が安いからこれが多いのだろうとのことでした。
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アリゾナの荒野に立つ烏帽子形鉄塔(この日の夕刻にアリゾナ州で撮影)

 これ以上写りの良い写真が残念ながらありませんので、どんな鉄塔か詳細を見たい人は「烏帽子 鉄塔」で検索してください。
 なお、例によって写真はクリックすると拡大表示します。

 そんな風景の中に、第2次大戦で活躍した軍人の名を冠した、パットン将軍記念博物館 General Patton Memorial Museum はありました。道路からも戦車が屋外に展示してあるのが見えます。例によって航空写真を。真ん中の白い建物が博物館本体で、その左手に戦車が置いてあります。
 ちなみにパットン将軍の名を冠した博物館はもう一つ、パットン騎兵機甲兵博物館 Patton Museum of Cavalry and Armor というのがケンタッキー州にあり、どうもそちらの方がずっと大規模で有名なようです。機会があればそちらも行きたいですね。
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パットン将軍記念博物館の正面
将軍の大きな銅像が立つ

 博物館の向かって右手には、ヴェトナム戦争にカリフォルニアから参加した人々の名前を刻んだ記念碑(壁)が建てられていました。
 また左手に立っていた記念碑の内容から察するに、この地にアメリカ軍の訓練施設があり、それがもとでこのような博物館が出来たそうです。パットンとの縁はそんなに濃くないみたいですが(訓練施設に4ヶ月しかパットンはいなかったそうな)、やはりアメリカで戦車といえばパットンなのでしょう。またパットン将軍はカリフォルニア州出身なので、それもまたこの名がついた理由なのかもしれません。
 余談を付け加えれば、パットン将軍の父親は、オレンジエンパイア鉄道博物館にもその車輌が数多く所蔵されていた、ロサンゼルスの電鉄パシフィック・エレクトリック初期の経営陣の一人でした。PEを設立し、南カリフォルニア開発の立役者だったヘンリー・ハンティントン(サザンパシフィックの経営者だったコリス・ハンティントンの甥)の信頼厚い部下だったといいます。

 さて、我々がこの地に着いたのは午前9時過ぎでした。ガイドブックには午前9時に開くようなことが書いてありましたが、まだ開いていません。博物館の掲示を見たら午前9時半でした。しかし我々が博物館の前をうろうろしていることを察した職員の方が、囲いを開けて屋外展示の場所に入れてくれました。あとで正式営業時間になったら建物の方に来て入場料を払えば宜しいとのこと。ありがたく入れていただいて、屋外展示を見学します。
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博物館の名に相応しくM47パットン中戦車

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もう1輌パットン戦車 この戦車は冷戦前半の米軍主力

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パットンの軍がWW2の実戦で使っていたのと同形のM4シャーマン戦車
標的として使われていたのか弾痕だらけ

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第2次大戦末期から朝鮮戦争にかけて使われたM26パーシング戦車
後ろに見えるのは冷戦時代の主役・M60戦車(多分)

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日章旗の紙が張ってある対戦車砲
日本軍の一式47mm機動砲か

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戦車回収車の一種か?

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ソ連戦車の足回りをベースにしたチェコの除雪車(?)

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水陸両用車?

 他にもトラックやジープ、それに消防車など色々あり、面白く見て廻りました。どうもM5スチュワート軽戦車(太平洋戦争での日本軍の主敵。軽戦車のくせに日本軍の中戦車より強かった・・・)があったらしいのですが、この時は見落としてしまったようで残念でした。
 ヴェトナム戦争の参加者の記念碑(参加者の名前が刻んである)が博物館入口にありましたが、この屋外展示場にも集会場のような一角がありました。
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屋外展示場のセレモニースペース

 記念日の折にはここで式典を行うのでしょう。写真に見えるベンチには、それを寄贈した個人や部隊の名前が刻まれたプレートが取り付けられていました。

 写真が既に充分多くなってしまったので後の記事は端折りますが、博物館に戻って入場料(確か4ドル)を支払い、館内展示を足早に。ジープ、銃火器の類、戦闘に使われた地図(ウォーゲーマー必見)、パットン将軍の蝋人形といろいろあります。やけに赤の大きい日の丸に中文で東条英機と山下奉文を非難する言辞が記された謎の展示物がありましたが、こんなところで東条に並べられるとはマイク水野山下将軍も苦笑するかもしれません。
 軍事関係の他には、この周辺の巨大な立体地図があって、これはロサンゼルスに必要な水を確保するためのダム・水道事業に当たって作られたものだそうです。これについては何故か日本語のパンフレットまでありました。お土産コーナーもまずまずの品揃え(オレンジエンパイア鉄道博物館ほどではありませんが)。4ドルでこのラインナップならば、ミリオタ諸君には充分楽しめるものと思います。

 先があるので足早に見終わり、しかし当初の予想よりはだいぶ時間を消費して(これは多分に一行でおそらく唯一の戦史マニアであった小生のせい。お付き合い下さったH氏とK氏に多謝)、更に東へと向かいます。
 以下、フェニックス・セドナ篇に続く。
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by bokukoui | 2007-05-29 23:51 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(2)

ひとのいのちのやすいくに

 今日は皆様ご存知の通り、ZARDのボーカルの坂井泉水さんが亡くなられ、また兎角の話題の絶えなかった松岡農相が自殺してしまったわけですが、坂井さんが入院されていたのも松岡大臣が担ぎこまれたのも慶応病院だったそうです。
 テレビを見ていたら、最初松岡大臣が搬送されたと慶応病院の前から中継があり、次いで坂井さんの死が報じられ、また中継が慶応病院の前に戻ったのでさては松岡大臣の煬帝が・・・と思ったら(搬送当時はまだ「重体」だったので)、なんと坂井さんが転落したのも慶応病院だったと分かってびっくり。報道陣が既に300人も居たのはそのせいか?
 それにしても、今日の慶応病院はさぞてんやわんやだったことでしょう。

 さて。
 先日、戦史研の大先輩方と所用で少々お話した折、中世のヨーロッパの戦乱では相手を捕らえて身代金を請求する場合ば多かったのに対し、日本の中世では首を取って恩賞をもらうという方法だったということが話題に上りました。
 つまり日本の方が命が安かったわけなのですが、このような相違が何ゆえ生まれたかが話題となりました。勿論簡単に答えの出るような話ではありませんが、とりあえず冷帯と温帯の生産力の相違に起因するのではないかというオチになりました。つまり人間の成育に適した環境の土地では人命が安いということ。まあ安直な発想ですが。
 安直な発想ではありますが、そうすると「死んでお詫び」ということをよしとする気風が今尚根強いこと(アニミズム的な「死んだら神になる」という信仰は、このような環境の上に生じたものと考えると都合がいい)であるとか、或いはわが国で死刑が根強い支持を得ていること、自殺率が概して他国に比して高いこと、さらには先の大戦中特攻という攻撃方法に軍がのめりこんだこと、などを割と整合的に説明できるかな、などと思ったのであります。いかにも怪しい説明ですけど。

 こんな文章の末節で「冥福をお祈りします」といっても、ZARDの方はともかく(小生を含む世代の人間にとっては、好き嫌いに関らず記憶に残っている方ですので)、松岡農相については「しらじらしい」と読者に感想を持たれてしまうのは、小生の人徳のなせる業と観念しております。
 でも、共産党の人が記者会見で「松岡農相のご冥福をお祈りします」と言った時には、「唯物論者にあるまじき発言」と小生は思ってしまったのでした。まあ、それだけ共産党も「現実的」になったということなのでしょうか。

 最後に全く余談ですが、「戦後、現職閣僚が自殺を図った例はない」との報道にあるものの、戦前だってそんな大臣がいたかなと疑問に思ったのですが、一人確かにいました。敗戦時の陸軍大臣・阿南惟幾です。もっとも彼が死んだのは8月15日の未明ですから、戦中なのか戦後なのか、考え出すと些かややこしい時間ではありますが・・・。
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by bokukoui | 2007-05-28 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(3)

色々煮詰まり中

 最近、暫く会ってない人と会うと「太ったね」といわれることが・・・

 いろいろと煮詰まってて不調なので、今宵はどうもこれ以上書く気力なし。
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by bokukoui | 2007-05-27 23:59 | 身辺些事 | Trackback | Comments(0)

『MANOR HOUSE』発売


 実は昨日であったらしいのですが、百年前のイギリスの貴族のお屋敷の生活を再現したドキュメンタリー『MANOR HOUSE』が発売になったとのことです。
 詳細は上掲リンクの公式サイトのほか、ここの概要や、ヴィクトリア朝のメイドといえば言わずもがなの久我様のブログの熱の籠った紹介記事などをご参照下さい。何でも巻末の"Special Thanks"に久我様のお名前が載った由、おめでとうございます。心より敬意を表します。
 森薫先生の初回特典もついていることですし、当然小生の買うべきものではあるところですが、アメリカ旅行で全財産使ったので買えそうにありません。とほほ。誰か金貸して(苦笑)

 とはいえ、日本の「メイド」ブームも、このような(これまでの常識では)一般受けするはずがなく当然日本語版が出るはずもなかったものが出る、という意味のある成果も齎したということは、大変喜ばしいことであります。『MANOR HOUSE』が売れれば、もしかするとその前作に当たる、百年前のイギリスの中流階級の暮らしを同じく再現ドキュメンタリー化した『THE 1900 HOUSE』も日本語版が出るかもしれません。それが今小生が一番夢見ていることです。
 このところアメリカの電鉄の話をせっせと書いたとおり、日本的近郊住宅地の元祖は十中八九アメリカの電鉄会社にある(一般に日本における電鉄系近郊開発の祖と目される小林一三は、その創業に当たって発行したパンフ『最も有望なる電車』の中で、「外国の電鉄会社が盛んにやって居る住宅経営」と書いていますが、この「外国の電鉄会社」がどこかという具体的な指摘はこれまでされていないようです)と思うのですが、もしかすると、ロンドンのメトロポリタン鉄道(地下鉄。「メトロ」の語源。余談ですが、なんでも郊外支線ターミナルのベイカー・ストリート駅ビルには様々な商店が入っていたそうで、駅に百貨店という経営スタイルのモデル?)の沿線開発が参考にされた可能性もないとは言えないので、まあイギリスの中流階級の生活も知っておきたいなと。しかし偏った興味関心の持ち方ですね(苦笑)

 というわけで、このような資料が商業ベースで出るようになってくることは大変喜ばしいことではありますが、率直に言えば、同人の資料系としてはなかなか立ち位置が苦しくなってきますね。ことに小生の場合は、語学上の制約もありますので、よりニッチ的な位置を探すしかないのかもしれませんが、もういっそハーヴェイ・ガールズ本とかに転向するかねえ。
 まあ、ともあれ、何はなくとも仕掛け品を片付けることが先決なのですが。
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by bokukoui | 2007-05-26 23:59 | 制服・メイド | Trackback | Comments(6)

お気楽アメリカ紀行(4)~パームスプリングスのロープウェイ

 アメリカ旅行記の続きです。他の記事は以下を参照。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2
 (4)パームスプリングスのロープウェイ(この記事です)
 (5)パットン将軍記念博物館
 (6)フェニックスからセドナを経て
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
 (11)デス・ヴァレー国立公園
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 オレンジエンパイア鉄道博物館を後にし、本日の宿泊地であるパームスプリングス Palm Springs へと向かいます。ここからはH氏がハンドルを握り、元来た道を北に少し戻って(その途中沿道に航空博物館らしきものを発見)、州際高速道路の10号線を東に向かいます。ペリスとの位置関係はこの地図参照。
 道中は乾燥した土地が続き、沿道から見る山並みにも緑は碌に見られません。そんな山の谷間を高速道路は通っていますが、荒涼とした土地に相応しく(?)風が強いのか、風力発電の風車が集団で立っている土地も見られました。
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林立する風車 これでもほんの一部
手前はBNSFの支線か

 ちなみに本日の記事の写真は拡大表示しません。資料的なものでもないので。
 道中おおむね無事にパームスプリングス近傍にまで至ります。ここでインターステートを降りて、ロードサイドのショッピングモールというのか、要するにファーストフード的なレストランやスーパーの類が駐車場の周りに配置されている、日本でも近年増加した「ファスト風土(by三浦展)」的場所に立ち寄ります。暑い土地に備えて飲料水を仕入れ、機内から何も食べていないのでここで食事を、という算段。
 アメリカに来たら、天下に名高きウォルマートに行ってみたいと思ったものでしたが、ここで目に付いたのは「オーガニック」と看板に掲げたこじんまりとしたスーパーでした。日本で言えばマザーズみたいなもんでしょうかね。もっとも後ですぐ近所にウォルマートがあったことに気がついたのですが。
 食事は安直にマクドナルド。ビッグマックだのクォーターパウンダーだのに恐れをなしてチーズバーガーのセットを注文するも、実はそれはチーズバーガーが2個デフォルトでついてくるのでした。嗚呼肥満之国亜米利加。

 宿は Embassy Suites という、H氏曰く「高級モーテル」という定義矛盾のようなところです。宿の位置を正確に記した地図を持ってこなかったためラ・キンタの街をだいぶうろうろする羽目になりますが、遂に小学校の隣で表通りから分かりにくいところにあった宿を発見、チェックイン。でかい吹き抜けがあり、部屋も広くて快適です。但し宿代を安く上げるため、ベッドは二つで1名はソファー就寝でしたけど。
 さて、サマータイムのおかげか、時間が遅くなっても周囲は明るく、折角なのでパームスプリングスの名物であるという Palm Springs Aerial Tramway に乗りに行くことにします。これはパームスプリングスを一望できる山の上に通じるロープウェイ(「トラムウェイ」とあるので電車みたいな感じがしますが、そして日本語版ウィキペディアも「ケーブルカー」と書いてますが、ロープウェイです)で、しかも山頂のレストランの夕食付き往復切符なるものがあるそうです。これで観光と食事と両方済ませようと出かけます。
 今度は小生がハンドルを握ります。車がでかいので車線をいつもはみだしそうな感に襲われますが、結局この旅行中の印象では、概してアメリカは道が広くてマナーもよく運転しやすかったですね。右に左に車線変更して暴走するDQNはロサンゼルス市内のハイウェイで1、2台見たくらいでした。車社会のいい面なのでしょう。ただ携帯電話しながら運転してる人は結構多かったような・・・。

 30分ほど西に戻って、ロープウェイ乗り場に繋がる急な山道を登ります。山道といってもちゃんとセンターラインがあるので運転は頗る容易。日本の山道と違って、ほとんど樹木のない乾いた山肌を、アメ車のエンジンを唸らせて登ります。
 かなり登ったところにロープウェイ乗り場があって、そこで往復の切符代と夕食の一緒になったチケットを購います。34ドル也。切符売りのおばちゃんは我々に日本語の案内をくれました。日本人観光客も来ると見えます。もっとも最初台湾人かと聞かれたので、台湾人はもっと多いのかもしれません。
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回転式ロープウェイのゴンドラ

 このロープウェイは「回転式」だそうで、360度の眺望が楽しめるのが売りだそうです。この手のものでは世界最大だとか。最初ゴンドラが丸ごと回転するのかと思いましたがそうではなく、床だけが回転するというものでした。
 このロープウェイは標高約800メートルの麓の駅から、約2600メートルの山頂まで登るという大掛かりなものです。で、感心したのが、このロープウェイの速力がかなりのものだということです。アメリカのPCCカーの加速は凄かったといいますが、このロープウェイも日本のそれよりかなり気合の入った飛ばしぶりでした。日本が遅いというのが正確なのかもしれませんが。ゴンドラがケーブルを支柱が支えている箇所を通り過ぎる時、一瞬ふわっと浮かぶ感覚がして、ジェットコースターみたいです。なかなか爽快。
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ロープウェイからの展望

 展望は自慢するだけあって素晴らしいものです。興味深いのが、標高が上がるにつれ植生が豊かになっていくということ。麓の駅では山肌は碌に何も生えていないのに、次第に草や潅木が山肌を覆うようになり、山頂駅では大きな松の木が出迎えてくれます。日本の山とは逆ですね。松の木もアメリカンサイズで、まつぼっくりを拾ってみたら人の顔ほどもありました。
 ちょうど夕暮れの時刻に我々はロープウェイに乗りましたので、夕日に照らされた風景を満喫し、山頂の駅に附属した展示施設など一通り見て廻ります。そして日も暮れたところでレストランへ。ビュッフェみたいなスタイルで、トレーを持っていくと店のあんちゃんが色々盛り付けてくれます。要領が良く分かっていないので適当に頼んだら、なんか結構な量と種類になりました。
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山頂のレストランの夕食

 右の皿の内容は、鶏肉(かかってるソースがやけに甘い)、トラウト(塩辛い)、豆の煮たの(犯罪的に甘い)、コーン(まあ普通)でございます。アメリカの食事に対して事前に抱いていた偏見を実証する良い機会となってしまいましたが、我々は「もったいない精神」(笑)を発動して悉く平らげました。帰ろうかという段になって他の卓に残っている皿の状況を観察したところ、どこの卓も残飯がしこたまあり、我々の卓は例外的状況だということが判明しました。嗚呼大量消費大量廃棄之国亜米利加。

 降りのロープウェイの最終は午後9時45分ということでしたが、我々が帰途乗ったのは確かその一本前、21時発のだったかと思います。15分ヘッドが基本のようですが、遅い時間は30分ヘッドになっていたような・・・ちょっと記憶が曖昧。
 とまれ、すっかり暗くなった中を降りるロープウェイからの、パームスプリングスの夜景もまたひとしおでした。そして、空気が澄んでいるのか乾燥して湿気が少ないのか、星空もまた美しいものでした。こんな星空を長いこと見た覚えがありませんでした。

 そんなわけで、このロープウェイはよっぽど高所恐怖症の人でない限りお勧めできます。ただ食事については自己責任でどうぞ。
 夜道の運転もさほど難点はありませんでした。ただ、幾らロープウェイに向けて登ってくる車がもうないとはいえ、真っ暗でカーブだらけで急勾配の山道を50マイルですっ飛ばして人の車を抜いていくのは、些かびびりましたが。

 以下、翌日のパットン将軍記念博物館篇に続きます。
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by bokukoui | 2007-05-25 23:58 | 出来事 | Trackback | Comments(0)

(エロ)マンガと鉄道の話など~チャーリーにしなか篇

 以前書いた「(エロ)マンガと鉄道の話など~長月みそか篇」、(1)地図に萌える(2)政令指定都市の夢について、サークルの友人(大先輩と後輩)から反応を戴きまして、それ自体は大変嬉しかったのですが、ただこの二人が上掲記事を読んで「あの漫画の成田エクスプレスが走っている駅はどこだ」という議論を延々とし、あまつさえ大先輩氏=高尾、後輩氏(「某後輩氏」にあらず、こっちの人)=戸塚などという自説を開陳していたのには正直がっくりといたしました。
 つまり二人とも成田エクスプレスしか見ておらず、「中学生の女の子」という重要な手がかりを見落としていたわけで(地方都市から東京にやってきた中学生の女の子が、高尾で先帝陛下の陵墓に参拝しに来るというシチュエーションは極めて考えにくい)、要するに折角「中学生の女の子が鉄道マニアだという設定の漫画」を紹介したのに鉄道しか見ない、そこら辺の(一部)鉄道趣味者の視野の狭さを嘆いたわけであります。
 さてこそ昨日紹介した本のような、鉄道と文化を架橋する研究が求められる(しかし緒に就いたばかりでまだ手探り)わけであります。
 ・・・つーか、人のブログ見てそんな議論するよりも買ってください。このブログはアフィリエイトもしてませんので。

 というわけで人様のことをあげつらうほど小生の視野が広いというわけでもないだろうといえばそれまでですが、このところ同人誌マンガの(性的)表現についてのシンポジウムに行ったレポを書いたり、或いはアメリカの鉄道博物館の紹介をしたりしておりましたので、この両方をくっつけたネタを再度、と思い立って、表題の企画の第2弾を試みます。

 今回のお題は、

チャーリーにしなか『出発シンコー』(少年画報社)

 でございます。正式な表題は末尾にハートマークがつくようですが、出せないのでご諒承下さい。ついでに、『出発シンコー!』だと弓月光先生の漫画になるそうです。

 で、本作の内容は、新米車掌の祐天寺信子(通称シンコ)が一人前の車掌となるべく奮闘・・・する途中で各話必ずHシーンが入ってる、そういう漫画です。
 作者のチャーリーにしなか氏は元鉄道員だそうで(「日本一のターミナル駅」に勤務されていた由ですが、だとするとJRの新宿とか東京とかでしょうか?)、専門家の知識が生かされた作品であります。

 こないだの「同人誌と表現を考えるシンポジウム」に関する感想の中で修正について個人的雑感を述べましたが、この漫画は「修正」的な形式的規準を遵守することで、成年コミックの指定を受けておりません。最初一読してなんでマークが入ってないんだろうかと思ったのですが、考えてみれば性器の直接描写がないからなんですね。なるほど、と思うと同時に少々バカバカしい気も致します。成年コミックマークをつけると販路が制約される、しかしその分単価を上げられるとか、何がしかその辺をうまくモデル化して「性器描写の利害得失」という経済的な法則をデッチ上げられないかと、どうでもいいことを考えました。
 で、本作については、エロマンガとしては性器描写云々以前に全体にコミカルな感じの作品だったので、あんまりエロかった感がありませんでした。とはいえ表情の描写などに工夫を凝らして、その手の描写にけっこう力を入れていたとは思います。

 まあそっち側の印象が薄かったのは、鉄道関係者の仕事の様子の描写とか、そっちのほうにもっぱら目が行っていたからなのかも、と思います。ことに人身事故の話なんかはかなり力を入れて書かれていて、本編のあとにおまけ実体験漫画までついていました。人身事故の遺体の描写がもっと丁寧だと良か・・・いえなんでもありません。
 で、それはそれでとても面白かったのですが、それが必ずしもHなところとうまく結びついているとは限らなかったので、全体としてちょっと印象が薄めになっちゃったのかな、とも思います。なかなか鉄道文化の展開も難しいですね。
 なお、チャーリーにしなか氏は、かなりのミリオタとも聞きますが、機械モノでも電車の描写はあんまり上手じゃない、というか多分ご関心がないのだと思います(苦笑)。毎回電車の絵は出てきますが、車体前面が食パン形だったり額縁形だったり、前照燈の類が丸型だったり角型だったり、前面に帯があったりなかったり、扉が3扉だったり4扉だったり、戸袋窓があったりなかったり、台車がペデスタル式?(にしては軸箱守が・・・)だったりモノリンク式?(にしてはリンクが細く、アルストム式の外側がないような感じ)だったり、一体何パターンあるのかと思います。うーん、ミリオタだという人でも必ずしも電車にはこだわらないんですね。勤めていたからかえってなのかな?
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by bokukoui | 2007-05-24 23:57 | 漫画 | Trackback | Comments(0)

今日の東急デハ5001号の状況(32)

 実質一日遅れで書いております。

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by bokukoui | 2007-05-23 23:59 | [特設]東急デハ5001号問題 | Trackback | Comments(7)

鉄道関係ほか雑纂~ポスト宮脇時代の鉄道文化状況について

 アメリカ旅行記は書くのがなかなか大変なので今日は一休み。

 海外旅行といえば、今日の日経新聞に、イギリスの旅行会社がヨーロッパのホテルなどに問い合わせてまとめた、評判の良い/悪い観光客の出身国というのが記されていました。評判の良いのが1位日本、以下アメリカ・スイスと続き、悪い方が1位フランス、以下インド・中国・ロシアだとか。日本人観光客の評判がいい理由として、整然として静かだとかもっともらしい理由が書いてありましたが、問い合わせた先が観光業者なのですから、これはおそらくは「おみやげ支出高」の順番に並べただけ、ではないかという気がします。要するに旅先でどれだけ気前よくカネを放出するかということで。
 だとすれば日本人に次ぐのがアメリカ人にスイス人、というのも理解しやすいですね。ドルを放出してくれるアメリカ人、またスイスも一人当たりGDPなどを考えれば豊かな国ですし。
 逆に最悪がフランス人の理由もそこら辺にあるのかも。新聞には外国に行ってもその国の言葉を使おうとしないなど我流、みたいなことが書いてありましたが、先進国民の割りに金払いが悪い、ってことなんではないかと。あと旅行業者に対しクレームが多いとかかな?
 まあそんな風に考えると日本人が最も評判がいいといっても喜んでいいのかは怪しい気もします。

 最近目についた鉄道関連の話題、というと今日はN700系の話題がもっとも世間の耳目を集めていたと思われますが、個人的に気になったニュース二題。

 「鉄子の旅」TVアニメ化 テツブームの予感

 アニメになるという話は聞いていたけどCSでは小生は見られません。ついでに言えば原作の漫画も読んではいないのだな。まあ機会があれば見て/読んでみたいとは思いますが、しかし「テツブーム」って何よ。
 もう一つ。

 「鉄道アイドル」木村裕子さんに迫る

 朝日新聞のこのコーナーの関係者に鉄道趣味者がいるのかな? えらい充実振りですね。
 旅行の一つの形としての鉄道ではなく、車輌などに関心を持つ所謂「鉄道マニア」のパターンの女性がいるということは時代も変わったのだなあと思いますが、ただそれがグラビアアイドルとしての「売り」になるのだとすれば、それもなんとなく引っ掛かるのでして(「鉄道オタク」に対するある種の偏見――女性と縁がないという――を前提とし利用してるような)。もっと自然体であればいいなあと思うのです。

 以前鉄道趣味指南本?の『テツはこう乗る』の批評だとか、酒井順子氏の本の感想だとかをこのブログで書いてきましたが、鉄道と社会の関係、その文化的役割についても色々検討されるだけの時期になったということなのかもしれません。もっとも、以前原武史氏の著作について批評を試み(てそのまま途中で放置し)た際に述べたように、経営や技術や労働の裏づけなしでは、ただの思いつきの空論になってしまう恐れもあります。もし「テツ」が「ブーム」になったのであるとするならば、その懸念はより一層大きくなります。
 そんな時に出た、ごっつい鉄道史の研究書があるのでご紹介しておきます。

宇田正『鉄道日本文化史考』思文閣出版

 鉄道史の研究者として、斯界では長老の一人として知られた宇田正先生の最新刊(2007年3月)です。表題の通り「わが国の鉄道が社会生活や国民の意識の近代化のために有形無形に果たしてきた文化的役割(p.6)」についての文化史的な評価を試みた、様々な論文を一冊にまとめたものです。
 小生は本書を先日買ってきて一読した(アメリカに行った飛行機の帰りで)だけなので、大雑把な感想しか述べられませんが、文化史的なアプローチを種々試みられた本書はなかなかに示唆的なところがあったのは確かです。特に面白かったのは、小学校の国語の教科書の中にどのように鉄道が出てくるかという分析で、近代化のイメージを鉄道を介して如何に刷り込んでいったかが察せられて興味深いところです。
 ただ、どうしても、「文化史」といっても"正統的"というか、例えば柳田国男の民俗学と鉄道とか、和辻哲郎の自伝に見る鉄道観とか、そういった「硬い」方面の話中心なのは、「文化史」という大上段な括りが話の広がりを制約してしまっているような気もします。その中にあって流石に長谷川如是閑と近郊開発の話はすこぶる面白かったのでありますが。
 もちろん、宇田氏ご自身序章で指摘されるが如く、鉄道と文化の研究はまだ緒に就いたばかりですので、これはないものねだりというべき評だとは自覚しているつもりです。しかし方法論として例えば、小池滋先生の『「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか』のような作品が既にあるだけに、もそっといろいろ切り口がないかなと読後思わざるを得ませんでした。もっともそれは、宇田先生と小生の半世紀に近い年齢の差が、そういった鉄道と文化への見方の違いを産んでいるだけなのかもしれません。
 いろいろ適当なことを書きましたが、鉄道史に関心のある向きは押さえておいていい一冊だと思います。

 さて、では小生がここんとこ研究課題として位置づけている、近郊住宅地的な中流階層的=近代家族的価値観と結びついた電鉄業の展開、という文脈で文化史の研究をするとすると・・・『金曜日の妻たちへ』の分析はやはり必要なのかな?
 小池先生の文学作品を通じての鉄道研究のように、いろんなメディアを通じて鉄道と文化の研究は出来るだろうし、うまく切り取ればそれはけっこう世界の中での日本近代の特質を表してくれると思うんですよね。それこそ、日本製『A列車で行こう』シリーズとアメリカ製『Railroad Tycoon』シリーズが、それぞれどのように鉄道を切り取っているのか、というのは、日米の鉄道観の違いをある面よく表しているわけで。
 更に極論すれば、痴漢の歴史というのも鉄道と文化の一つの表れかもしれません(そういえば美少女系エロマンガに痴漢モノってあんまり見ないような)。小生が学部生であった昔、ジェンダー論の専門家・瀬地山角氏は痴漢の研究に意欲を示され、その成果を世に問う折には『痴の技法』と題する旨を講義の中で述べておられましたが、未だ上梓の声を聞かぬは残念でなりません。ことに最近東大の教官(独立行政法人化後の今は不適当な呼称らしいですが)が「痴の技法」を実践してしまったとの報を耳にするにつけ。

 話が例によって無茶苦茶になってきました。
 最後に無茶苦茶ついでに思い付きを一つ書けば、このところの「テツブーム」などとマスコミが名づけたりするような、鉄道を巡る商業文化の活性化状況というのは、出版業界を中心に一定の市場が見込める鉄道趣味分野において、大御所・宮脇俊三氏亡き後の主導権争いなのではないか、ということです。本命・原武史、対抗・酒井順子、大穴・関口知宏、なんてね。
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by bokukoui | 2007-05-23 23:58 | 鉄道(その他) | Trackback(1) | Comments(4)