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珍しくテレビドラマを見てしまったの記

 小生の母がビデオ録画していたものを、つい。
 TV朝日の『点と線』です。
 小生、原作を読んでおりましたので、そして何より鉄道が色々出てくる作品だけに、つい見てしまいました。

 テレビ朝日開局50周年記念、というだけあって(そういえば『点と線』原作の連載開始と年代設定もちょうど50年前ですね)、セットやキャストについて色々宣伝していただけの予算を費やしたためか、結構面白く見ることが出来ました。最後の方はちょっと迷走した印象もありますが、謎解き物としての明快さがドラマの眼目ではなかった、ということでしょう。
 鉄道描写については、文句を言えばキリがないですが、むしろかなり奮闘した方ではないかと。原作にない、鳥飼刑事が秋田に赴いた場面で、駅で電話をかける背後に硬券を収めた棚がちゃんと映ってたり。半世紀前の車輌や駅舎が碌に残っていない我国の状況としては、なかなかのものではと思います。ただ、贅沢を言えば、以前復活運転していたC62 3を動かせれば・・・あれは『点と線』当時、北海道で実際に急行まりもの運用についていたはずなので。

 ところで、以前小生は、マンガに出てきた「鉄道マニア女子中学生」に些かの感銘を受けた話を書きましたが、『点と線』の安田亮子は、日本文学史上初の「女性時刻表マニア」だったのではないか、と、ふと思ったのでありました。
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by bokukoui | 2007-11-29 22:45 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(2)

今日の東急デハ5001号の状況(37)

 諸般の事情により、撮影日よりだいぶ遅れての記事公開となっております。いろいろ物事に追われているので。

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by bokukoui | 2007-11-25 23:59 | [特設]東急デハ5001号問題 | Trackback | Comments(2)

『おしおき娘大全集』雑感~「萌え」はソースかケチャップか

 少し前に MarkWater さんのmixi経由で、こんな本が出ることを知りました。

おしおき娘制作委員会編
 でまあ、以前「将来的には拷問・処刑・虐殺も『萌え』対象となってゆくのではないかと考えております」等と書いた者としては、そしてまた昔電波サークル・原辰徳前監督の企画で美少女ゲーム『SNOW』をやった時に「女の子の処刑方法でどれが萌え度が高いか」などと書いた者としては、やはりこれは触れずばなるまいと思い、所用のついでに買ってきました。今年の夏にはヒロインが主人公の男の首をちょん切ったり、別なヒロインの腹を割いて胎児の有無を確かめるなどというアニメが制作された(が、諸般の事情により放送はされなかった)という事件があったと仄聞しておりますし、小生が冗談半分に書いたことが実現しているのかもしれないと、些かの期待を持って一読しましたので、以下に簡単に感想を述べる次第です。

 まずご参考までに、この本の発行について触れている・或いは感想を書かれているサイトで目についたものを以下に挙げておきます。

・株式会社アットプレス
・A-kiba.comの特別ページ「おしおき娘大全集」
・アキバblog「『おしおき娘大全集』発売 スク水ニーソで絞首刑ほか」
・オタロードblog「歴史上の拷問・刑罰・処刑を萌えイラストで解説した『おしおき娘大全集』 発売」
・Channel Dive「『おしおき娘大全集』発売―・萌えよ!アキバ人ブログ「『いくらドMの俺でもコレは無理。』 『おしおき娘大全集』」
・2ちゃん「【書籍】「おしおき娘大全集」発売―
・オタクの文化水準「『おしおき娘大全集』への疑問」
・ロリコンファル「聖女と卑語と、現実を超えるエロス -古今東西卑語はエロエロ!-」

・エンシェント―brote del frijol―「感想/おしおき娘大全集」
・うそ絵日記vv「今日の気になったこと-11/19 」
・ウソツキハウス(別館)「ストロングスタイル」
・変態観測日記(2007.11.17付)

 とりあえずこんなもんで。

※追記(2009.7.5.):「ロリコンファル」閉鎖に伴い記事はこちらに移転

 さて、本書を読まんと手に取った小生、この手の本を読むときの定番の手法として、まず後ろからめくって参考文献ページを見ました。この本の参考文献は1ページ(かなり細かい文字ですが)、題名の五十音順に並んでいたのですが、先頭が『あずまんが大王』だったので、まずそこで些か腰が砕けました。『賭博黙示録カイジ』とかも載ってるし。
 気を取り直して読むと、結構知ってる本や持ってる本があるなと思いつつ、ちとアレだなと思ったのは、この分野の古典である名和弓雄『拷問刑罰史』が載ってないということでした。いや、「中世ヨーロッパの拷問や刑罰を中心」だからなのかな? その割には石井良助『江戸の刑罰』(中公新書。1964初版で今でも新品が買えるロングセラー)は載ってるけど。
 出端を挫かれつつ本文に取り掛かります。

 ・・・だめだこりゃ。

 これで終わりにしてしまっては流石に手抜きなので、何がどう駄目だと感じたのか、もうちょっと説明します。
 上に挙げたリンク先の、変態観測日記さんが書かれていた「グロ大好きなホンマモン(?)には物足りなくて、この手が一切ダメなヌルい奴には少々厳しいだろうからストライクゾーンは狭いかも?」というご意見に比較的近いのではないかと思いますが、要するに「萌え」と処刑・拷問ネタとを、適当につなぎ合わせてしまったために、焦点のずれた浅いものになってしまったということです。
 資料的価値、という面では本書はさほど使えません。一つの拷問・処刑トピックにつき文章は1ページだけですから、濃くはなりようがないでしょう。また絵の方は、流血皆無でまったくグロ分を抜いたために、拷問や処刑を語る時のときめきやおののきというものがなくなってしまって、そして勿論資料的価値はどれ一枚として全くありません。事実関係についても、ん? と思うところが幾つか散見されますが、どうも本書の編集者は中世と近世の区別がついていないのではないかと思われます。p.140の「中世おしおき事例集」9例のうち、年代が中世なのは2例しかなく、あとの7例はみんな近世です。アンシャン=レジームは中世じゃないですよ。
 しかしまあ、こういった本でそのような些事をつつくことは余り意味がないとは思えます。ネット上の拷問・処刑・猟奇の系統のイラストを発表しておられる方々の作品にしても、事実は踏まえつつもやはりご自分の妄想を前面に押し出して、それが魅力となっておられる、そんな方は幾人もおられます。
 でまあ、本書の場合何が問題かというと、そういう事実の誤りを吹き飛ばして読者の心を鷲掴みにする、そんな力が全然ないからなのです。「萌え」で幾ら糊塗しても、力の無さはどうにも否めないのです。

 以上の小生の見解はしかし、本書の絵師の方々の画業をけなそうという意図は全くありません。そもそもの企画に問題があったと捉えるべきです。
 なぜなら、上掲リンク先上2つにある絵師リンク集を辿って絵師の方々のサイトを瞥見すると、どなたも拷問や処刑ということへのこだわりを持っておられるようには見られないのです。裏サイトとかあるのかもしれませんが・・・しかし18禁画像を展示しているサイトへもリンク集は繋がっていいるので、その可能性は余りなさそうです。唯一サイトを持っておられないほしのふうた氏については、奇しくも小生が唯一マンガ作品を所有している(所有していること認識している)のですが、その作風もまた拷問や処刑といった世界からは程遠いものだったように記憶しています。
 要するに、拷問や処刑に対し思い入れがあるとも必ずしもいえないような絵師の方に描いてもらっているために、面白くないのです。この本は見開きの左側に拷問や刑罰の解説、右側にその絵という構成になっていますが、右側の絵だけ見てこれが何の拷問法や処刑法なのか判別するのが困難な絵すら散見されます。
 であれば、編集部は

・拷問や処刑が大好きな絵師に発注する。
・「萌え」の絵が得意な絵師に、拷問や刑罰について充分な資料提供や絵の内容への注文を行う。

 のいずれかの方策を採るべきだったのではないかと思われます。しかし編集部はそういった配慮を欠いていたものと見えます。特に拷問や処刑への嗜好を持たれない絵師の方に発注しておきながら、編集部がその面で絵師の方々をサポートする努力をしなかった、それはおそらく、編集部も充分な拷問や処刑への思い入れをもった人材を欠いていた、或いはそういった偏った嗜好の持ち主相手の書物を編む際のツボをよく考えなかった、そういうことなんだろうと小生は推測します。
 オタクの好きな「萌え」の範囲がどんどん広がってきている、拷問だの死刑だののグロ分野もオタク(マニア)がいそう、じゃくっつけるか、その程度の発想だたのでしょう。こういう偏った世界のマニアの心情は(おそらく)近年の「萌え」オタクとは必ずしも単純に接続しうるわけではないのではないかと小生は思います。そして、極論すれば近年の「萌え」的な志向の限界を、垣間見せたのではないかとすら思うのです。

 ここで些か話が飛びますが、小生が当ブログ開設間もない頃に書いた記事「『萌え』の魔の手に気をつけろ」を、ありがたくも書いてから一年以上経って引用してくださった方が居られまして。
 MetaNest Annex さんの「オタク踏み絵---あなたはどちらのオタク?」という記事です。で、そちらの記事中で拙文と対比されているのが、モノーキーさんの「オタクに受けたヒロインはユーザーに都合の悪いキャラ / 萌え絵がオタクの水先案内人」という記事の後段でした。その部分を引用しておきます。
 オタクは美少女絵であったらなんでも受け入れられる人種。
 昼ドラは受け入れられないけど、萌え絵テイストにした「君が望む永遠」なら受けるとか。
 美少女絵要素があればどんなジャンルでも食えるのがオタクの強み。
「ハードボイルド+美少女」でニトロプラス作品とかさ。
「歴史モノ+美少女」とかさ、萌え絵があればどんなジャンルでも面白ければ食ってくれる。

 オタクにとって萌え絵ってのは面白さの水先案内人なんだよね。
 他のジャンルでも萌え絵で繋ぐだけでオタクが興味を持ってくれる。

 オタクに新しい可能性を見たり、注目を浴びた原因ってのはそういう部分じゃないのかなと思ったり思わなかったり。
 これを読んで、小生はなるほどそういう見方もあるのかと感心し、ゲームのような創作物ならある程度その説は有効かもしれないと思いました。しかし今回のような、事実に関するマニアックな知識を集積するような場合にもそれが有効かは疑問なしとしません。
 拷問や処刑でも、或いはミリタリーなどでも、これが「萌え」とくっつくことで、描写は事実をベースにしつつ「萌え」の文法に書き換えられます。それを描き(書き)、また読んで理解し楽しむ場合、元の事実を知っていることがある程度必要なのではないかと思うのです。「萌え」の好きなオタクが、「萌え」に惹き付けられてこういったものに手を出しても、果たしてそこから「萌え」を剥ぎ取って、元の事実の集積にまで手を出すということはどれだけあるでしょうか? 無いとはいいませんが、従来の、そういった分野に手を出すに至る経路に比べてより有効とも思えません。むしろそうやって手を出した「萌え」オタクの多くは、「萌え」の目先の新規さを追いかけてあっちこっちへと放浪し、一つの分野を掘り下げるには至らないのではないかと思います。
 なぜ小生がそう思ったのかといえば、この『おしおき娘大全集』をアマゾンで見たとき、「あわせて買いたい」や「この商品を買った人はこんな商品も買っています」は、『らんじぇりー大百科 (萌える大百科)』だの『萌え萌え制服図鑑』だの『ヤンデレ大全』だの『どくそせん』だの、この手の「萌え」+ネタ、的なものばかりであって、モネスティエやK・B・レーダーの書籍が入っているわけではないからです。

 「萌え」の定義って難しいですが、ある対象への好意的思い入れの総称、くらいのことが一応中心的意味だったはずです。ただ、その使われていた世界が、所謂アキハバラ系のオタク方面で、そういった世界で一般的な表現技法と強い結びつきを持つに至ったため、思い入れという心情と共に、表現技法そのものを意味するようになった面もあると思います(「メイド萌え」はメイドへの思い入れですが、「もえたん」は英単語への思い入れとはいいにくそうです)。で、「萌え」という言葉と密接に結びついた表現技法とは、所謂「二次元」の美少女キャラクターと密接な関係を有する表現技法のため、「二次元」の美少女キャラクター的な諸々の意匠≒「萌え」という意味も生じたといえるのではないかと考えます。最近メディアで「萌え」が話題になる場合など、むしろ後段の意味の方が多いのではないでしょうか。
 で、その場合、ある対象に対する思い入れやこだわりという性格が薄くなってしまい、ただ「二次元」の美少女キャラクター的な諸々の意匠や「属性」等への嗜好ばかりが目立ってしまって、そういった「萌え」的意匠のテンプレートにのっかったものを消費している、それだけのことになってしまっているのではないかと思います。

 話がえらく長くなってしまったのでもう続きを書くのが嫌になった纏めますと。
 テンプレート化した表現技法である「萌え」と別の話題を結びつけても、その話題そのものへのこだわりが無ければ結局詰らないのです。そして、既にその話題へのこだわりや知識がある人が「萌え」を使って遊ぶことは比較的容易でも、「萌え」の表現技法で寄ってきた人がその話題へのこだわりを持つようになることはそれほど容易ではないものと思います。
 いわばこの場合の「萌え」とは、ソースやケチャップのようなものなのではないか、小生はそう思います。何でもだばだばソースやケチャップをぶっかけて食べる人の味覚センスが洗練されたものとは思えませんが、同様にどんな分野の話題にも「萌え」をぶっかけて消費している人が、そういった話題に対しこだわりを持っているとは考えにくいわけです。微細な味わいを殺してしまう、ジャンクフード化してしまう、「萌え」にはそういった副作用があるのではないでしょうか。現状の「萌え」の広がりは、ジャンクフードに馴らされた舌の人々が、片端から何にでも「萌え」のソースやケチャップをぶっかけている、そんなことではないかと。

 本書の場合、「イジメられる美少女たちの姿に萌えまくる」と本書の惹句にはありますが、そもそも「イジメ」と「美少女」と、どっちに力点があったのでしょう。拷問や刑罰でなければならない必然性が感じられないのです。ついでにいえば、「美少女」の方も問題があるのではないかと思います。なな菜とのの乃の姉妹喧嘩という設定があっても、拷問や刑罰の絵で、刑吏役や犠牲者役がなな菜やのの乃というわけでもないので(もしかするとそうなのかな? という感じの絵もありますが)。せっかくの設定を生かしてない感がします。
 上に挙げた本書に関するリンク先のご意見について、「オタクの文化水準」さんの「『おしおき娘大全集』への疑問」については、本書の弊害を憂う必要など無い、なぜならば本書にそんな力は無いから、そう思います。「ただのサディスト」にすらなれていないところがむしろ問題かもしれません。また、「ロリコンファル」さんのように「この企画を立てた人は天才」などと持ち上げる価値もありません。「萌え」をなんにでもぶっかける昨今の商業的状況からすれば予想可能なことでしたし、また本書は「間取り(ママ。間口?)の広い」でも「デカダン」でも「ペダンティック」でもありません。それは確かに編集部の能力によるところが大きいですが、縷々述べてきたように、畢竟「萌え」とネタのくっつけとは、その話題へのこだわりを深めるようなものにならないのではないかと思います。

 こだわりなしに「萌え」という表現技法やその方面の意匠とくっつけても面白くはないわけですが、こだわりと「萌え」との関係が希薄化している以上は、そういった傾向は今後も続くでしょう。
 ・・・うーん、まだ処刑ネタで語りたいことはゴマンとありますが、既に矢鱈と長いので、これにて終了。

 なお、小生はトンカツを食べるのにソースをかけず、オムライスを食べるのにケチャップをかけない人間です。
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by bokukoui | 2007-11-24 22:45 | 思い付き | Trackback | Comments(5)

耐寒装備

 昨日今日はひときわ寒く、室内にいながら手がかじかんで、書物や資料のページをめくるのもマウスを操るのもままなりません。元々小生は、どちらかといえば手は温かい方だったのですが、やはり自律神経が今夏以来おかしいのか、手がこのところえらく冷えることが多く、寒さが身に染みます。
 というわけで暖房をつけんとしたのですが、部屋の暖房器具がガス冷暖房であるため、暖房のためには温気の出る附近を山積みになって埋めていた書籍の類を片付けねばならぬということに気づきました。夏の冷房は器具の上部から吹き出すため、上に積んである本だけ片付ければよかったのですが、冬はそういうわけには行きません。
 夏以来万事不調で物事が片付かず、諸物が混沌をきわめておりますので、数か月分の整理放置の付けがたまっており、なかなかたやすいことではありません。しかし整理しないと溜まっている用事を片付けるにも不便なので、作業に取り掛かりました。

 で、いつぞや書いた通り、現状の書架の収容能力では到底整理は不可能であるということを思い知らされる結果に終わりました。寒い寒い。
 ちなみに「いつぞや」の記事にあったコピー類はその後整理しましたが、書物は実際ベッドの上に積んだまま寝ることがしばしばあります。
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by bokukoui | 2007-11-23 22:25 | 身辺些事 | Trackback | Comments(0)

ケン・パーディ『自動車を愛しなさい』雑感

 前回は鉄道の本の話なので今度は自動車の本の話を。

 日曜日に某学会に行って色々な方の発表を拝聴し、それ自体は面白かったものの、自分の研究が諸事情により数ヶ月は進展していない(そして最も楽観的な予想でもあと一月は進展しそうにない)ことを改めて意識してそっちでは面白からぬ感情に陥ったことは、日曜日の記事に書いたとおりですが、小生の一応の研究課題は電鉄業史ということになっております。で、それについて色々考えているうちに、日本における電鉄業(含沿線開発)の成功はつまるところ「幸福」のあり方をパッケージ販売できたからではないかと漠然と考えるに至りました。この「幸福」は、近代家族像と密接な結びつきを有しているというのが小生の所説です。
 さて、戦後の日本では(世界中どこでもですが)自動車が発達して陸上交通の主役の地位を奪いました。で、それが成功したのは、交通機関としての利便性のみならず、自動車こそが「幸福」の象徴となったからなんだろうなあ、と思います。これは近代家族的なものでもヨリ個人主義的なものでも(当初は「権威」の象徴で、その性格もなお保持)、広い「幸福」を拾うことが出来て、だから鉄道よりもっと優秀な「幸福」の象徴になって世界中に広がったんだろうなどと思うのです。
 ま、この辺の話は、以前スタインベックとあらきあきらについて書いたときにやったことの繰り返しなのですが、そういう次第で自動車のことも知らなければ、それも交通機関としての特質のみならずそれが擁している文化的性格についても、と思ったのですが、なにせ小生は鉄道趣味者で自動車に対して思い入れがないので、ひとつ何か本でも読んで手がかりを得てみよう、そう思って何冊かの本をこれまで買い込んできました。
 で、やっと本題ですが、だいぶ前に古本屋で買って読んだのが表題の ケン・ハーディー(高斎正訳)『自動車を愛しなさい』(晶文社) でした。(この本は絶版です)

 散々っぱら前置きを書いておいてなんですが、この本は以上の小生の関心に直接答えてくれる本ではありませんでした。でも、なかなかどうして面白かったので、感想をここに簡単に記す次第です。

 この本は、アメリカ人の自動車愛好者が1960年に出版したものを1972年に翻訳したものです。ですから、書かれている内容は今から半世紀前のことになります。これがなんとも興味深いのです。
 1950年代といえば、第2次大戦の勝利後、ヴェトナムでの挫折の前というわけで、アメリカにとっていわば「我等の生涯の最良の」時期であったともいえ、自動車もでっかいことはいいことだ、的な価値観が浸透していたようです。その問題点は当時、まだあまり認識されていなかったようですが、パーディは大型車への盲信を戒め、ヨーロッパでは当時から多かった小型車の利点を説き(フォルクスワーゲンは既にアメリカでも大人気だったようですが)、安全の大切さ、運転において安全をどう心がけるべきか、ということを縷々説明します。当時はまだシートベルトはほとんど普及していなかった(あっても前部に2点式)ようですね。
 といって、単なる啓蒙的な解説ばかりではなく、ある章ではレースに命をかけた男たちの姿を生き生きと活写し、啓蒙的内容でも時には小説の形を、或いは軽妙な筆致を採って楽しく読ませてくれます。

 隔世の感があるのは、安全性についてアメリカの大型車盲信を批判し欧州の小型車を評価している(日本車は時代柄ほとんど登場しません)一方、燃費や排ガスの問題は殆どといっていいほど触れられていないことです。
 当ブログに折々コメントしてくださる某後輩氏は自動車に詳しい方ですが、先日東京モーターショーを見に行かれたそうです。ところが余り面白くなかった、というのも各社のコンセプトカーを見ても「エコ」がどうこうとかばかりで、どうも夢がないという趣旨のことを仰っていたのでした。結局「エコ」「環境に優しい」「低燃費」という売り文句は、あんまり人の未来への夢を羽ばたかせるようなものではない、言い換えると自動車を通じて人間が何かを手に入れられるというより、何かを失わないで済むという、そういうものに過ぎないからでしょう。
 その点、やはり1950年代のアメリカは夢一杯だったんだろうなあと、本書を読み終えて小生は感じたのでありました。安全という問題はあっても、それはメーカーとドライバーの意識次第で改善可能。車社会の行き詰まりなんてことはなく、自動車がいわば未来と幸福の導き手と思われていたのでしょう。

 20世紀は、ロシア革命に始まってソ連崩壊で終わったという言い方がよくされますが、その間の共産主義世界が掲げていた革命によって実現されるとされた理想に、資本主義側で立ち向かったイコンは、自動車だったんじゃないかと最近思います。20世紀、共産主義と対抗して勝った思想は、庶民レベルでは「拝車教」だった、というわけで。
 ま、これは大風呂敷に過ぎるにしても、日本でも自動車が権威の象徴から大衆の幸福の象徴へと移り変わった時代が高度成長期で、自動車は恋愛やマイホームと密接な関係を保ちつつ、「幸福」のイコンとして確乎たる地位を築いたのだと思います。しかし最近は若年層が自動車にあまり関心を持たなくなってきているといいます。「幸福」のあり方が変わってきた(このモデルの限界が明らかになった)ということですね。
 ではその代りに、「幸福」を齎してくれる新たなイコンはというと・・・セグウェイ? DMV? 違いそうですね。無難な答えは「ネット」ですかねえ。もう現時点で既にイコンとしての神通力が崩れている気もしますが。ま、その新たなイコンかもしれないネット上で、「革非同」古澤書記長の如く旧来の「幸福」の価値観の代表としての恋愛を批判する人が出てくるのも道理でしょう。それと関連して、自動車の消費社会史も研究するに値すると小生は思います。

 で、その古澤書記長の近稿「非モテの闘い方、あるいはF-1に戦車で出ること。 」の表題を見たときに、本書の中でパーディがアメリカ人の大型車信仰を批判した箇所が思い浮かび、思わず噴き出してしまったのでした。以下に引用。
 メンケンは正しかったのだろう。平均的アメリカ人の無知さ加減には、説明することばを持たない。小さな自動車に乗っていると、それがどんな小型車であっても、こう言われるだろう。「誰かにぶつけられたらどんなことになるか、気になりませんか? そんなに小さな自動車で」と。第一ナショナル銀行ビルの大金庫のあるところへ、時速五〇キロのスピードでぶつかって行くとしたら、内張りのしていないシャーマン戦車と、フォルクスワーゲンと、どちらを選ぶだろうか? 戦車だって? 馬鹿。私ならフォルクスワーゲンを選び、すばらしい安全な戦車の中から、あなたをひっぺがす道具を探している救助隊をゆっくり見物させてもらうよ。フォルクスワーゲンの前部は、見たとおりの柔らかい金属板で出来ており、衝突するとしわくちゃになるが、運転している私が少なくとも生きていられる程度の割合で、スピードを落としてくれる。あなたの乗ったシャーマン戦車の装甲板は一ミリたりとも凹まず、運転しているあなたは時速五〇キロのスピードで、冷く硬い金属にぶち当たる。そしてあなたは神のみ許に召されるわけだ。(pp.222-223)
 ま、あんまり本題と関係ないですが(書記長の記事の問題点は、誰にどのような意志を認めさせることで勝利になるのかが意味不明なところでしょう)。しかしシートベルトが普及せず、恐らくクラッシャブルゾーンなんて言葉の知名度もなかったであろう頃の、時代の雰囲気は察せられます。

 本から話が随分逸れましたが、ま、それだけ色々アタマを刺激してくれる面白い本だったということで。
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by bokukoui | 2007-11-21 22:56 | 書物 | Trackback | Comments(21)

近藤喜代太郎『アメリカの鉄道史―SLがつくった国―』略感

 今日はエキサイトブログのサーバー工事でしたが、12時までという予定だったのが、その後もかなり長くログインできなかったような・・・。もっとも画像のアップロードは改善されたようで、これは大変結構なことであります。

 さて、昨日買ったと書いた表題の本ですが、今日には読み終わってしまったので簡単に感想をば。

近藤喜代太郎
『アメリカの鉄道史 ―SLがつくった国―
 です。

 昨日買って今日感想を書いているように、大変読みやすい本です。写真が多いのは見ていて楽しいところ。手ごろな厚さの中に、アメリカの鉄道に関する情報を一通り揃えており、これまで日本語で読める一般の類書がほとんどなかったような(旅行記的なものや、ある時代のみを取り上げた本、個別的な事例研究、政策論などはありました。また本書と性格の似た書物に辻圭吉『米国鉄道歴史物語』というのがありますが、私家版なので市販されませんでした)感がありますので、まず何よりもこういった本が出たこと自体が大変喜ばしいことと思います。
 同じ成山堂から出た海外鉄道歴史ものとして、高畠潔『イギリスの鉄道のはなし』という本があり、この本は続篇も出ています。小生も森薫『エマ』の話をするついでにこの本を紹介したことがありますが、この本と比べると『アメリカの鉄道史』は、あまりアメリカ万歳的なところが感じられず、その点では読む上で引っ掛かることは少ないです。また、『アメリカの鉄道史』は、社会一般の情勢の中での鉄道の位置付けということに大いに留意しており、また技術についても章立てを別にして解説、その点でもひたすら鉄道(≒蒸気機関車)ばなしの『イギリスの鉄道のはなし』より一般性があると思います。
 まあ、その分話が薄くなってしまっていることは否めません。イギリスのそれに倣って本書もマニアックな続篇が出れば嬉しいところで、今までアメリカの鉄道に興味のなかった人にも手にとられて関心を持たれるきっかけとなればいいのではないかと思います。
 小生としては、こんな本を読むと、ボードゲームの『1830』をやりたくなってきます。このゲームの好きな方(戦史研方面)などは、購入を検討されてはいかが?

 備忘として若干読んでいて? と思ったところを幾つか。
・p.55の地図は、「1989年の状態」とキャプションにあるが、地図中に「1930」と書かれている(記載内容からして1930年が正しいと思われる)。
・p.76で、グレート・ノーザン鉄道について、補助金代わりに与えられる土地が「特段に多かった」、図III-2で「供与地の幅が異常に広い」とあるが、それはノーザン・パシフィック鉄道の間違いではないか。
・p157で、蒸気機関車の軸配置表記法のホワイト式を「日本ではホワイト式には不慣れ」とあるが、日本でもホワイト式は良く使われている。著者が「欧州式」と言っているのは、欧州は欧州でもドイツ式ではないか(日本の国鉄式はドイツ式と大体同じ)。フランス式では動輪の軸数も数字で表記した筈。
・p.167で、スティーブンソンの「ロケット号」について「後にスティブンソン式と呼ばれた弁装置」を備えていたとあるが、カットオフが調節できる所謂スティーブンソン式弁装置の完成はもっと後ではないか。
・技術に関する章には写真はあっても図がないため、文章だけで意を汲み取ることは難しい。ここらへんは斎藤晃『蒸気機関車200年史』でも読めば・・・(そういえば、参考文献に斎藤晃氏の前著や、加山昭『アメリカ鉄道創世記』がないのはちょっと不思議な気も)。
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by bokukoui | 2007-11-19 23:36 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(2)

今日は

 さる学会で色々とお話を聞きました。大変面白い話題ばかりでしたが、それを詳細に咀嚼してここに述べるのは、ことに半日話を聞いたあとでは大変に疲れるので、今レジュメを見返しつつ頭の中で思うだけにしておきます。
 それにしても、昨年は自分がそこで報告してたんですよね。それから一年、一応幅は広がったと自分では思っていますが、深さの方はどれほど深まったのか。そもそもここ数ヶ月、体調不良とそれによる用事の滞積で、ろくろく自分の研究が進んでおりません。色々建て直さねばならぬことばかりです。

 既に遅きに失した感もありますが、エキサイトブログより以下の通知が。
2007年11月19日(月曜日)未明よりシステムメンテナンスのためエキサイトブログのサービスを一時停止いたします。これにより、エキサイトブログにアクセスできなくなります。

期日:2007年11月19日(月曜日)
時間:1:00~12:00(最長11時間)
内容:システムメンテナンス
 だそうです。このところ画像アップなどの具合が悪く、少しでも軽くなればいいのですが。もっともそれは、小生の機械の側の問題かもしれません。

 学会に行く途中に書店に立ち寄って、近藤喜代太郎『アメリカの鉄道史―SLがつくった国―』を購入。アメリカの鉄道の通史的な日本語の本はこれまでなかったと思うので以前から買う予定はしていましたが今日まで機会がなかったのです。ただ目次を見ると、小生が最近一番関心を持っている、アメリカの電車については数ページしか割かれていないようですが・・・。※追記:同書の感想はこちら
 ついでに、発売日より一日早く売られていた『COMICリュウ』があったのでそれも購入。ナヲコ先生の作品目当てで3号前から買ったものの、結構気に入ったので定期購読化しています。微妙に世間とズレたような(?)感じが小生の嗜好と合いやすいのかもしれません。
 もっとも某日「原野商法1997」さんとこの記事「マンガ家血風録」を読んで、この雑誌にはあてはまる項目が複数あるのではないかという気もしましたが。とりあえず唐沢なをき先生描いてるし。まあ小生は漫画のことはよく知らないので、頓珍漢な捉え方をしているかもしれません。

 朝日新聞の一面トップでブルートレイン(寝台列車)の廃止について報じており、報じられた内容以上に一面トップ写真入ということに驚き。朝日新聞に我らが同志がいるということでしょうか。小生が昔『鉄道ジャーナル』を読んでいた頃、新聞の鉄道記事の目ぼしいものを報ずる欄があった(今もあるはず)のですが、そこの印象では朝日が大新聞中一番鉄道ネタが充実していた気がします。まあ十年以上前のことですが。
 ブルートレインについては、客車が耐用年数になって、今更新造して置き換えるくらいなら廃止しちゃえ、ということが大きいのではないかと思います。JR化による分割で、新幹線以外の長距離列車に対する投資へのインセンティヴが上がりにくい、ということもことによるとあるのかも。
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by bokukoui | 2007-11-18 23:29 | 出来事 | Trackback | Comments(4)

古代的衛生管理

 先日、近所の駅前で見かけたトラックの荷台です。
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 分かりやすくするため更に拡大。

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 その昔、秦の始皇帝は「焚書坑儒」を行ったといいますが、細菌を坑(あなうめ)にするという技術が開発されたとは存じませんでした。嫌気性細菌ならかえって元気になりそうですが。
 ・・・検索してみたら、「坑菌」がグーグルで約1350件引っ掛かったので、よくある話なのかもしれませんが、トラックの荷台に書き込む前に誰か気付かなかったのでしょうか。
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by bokukoui | 2007-11-16 23:08 | 出来事 | Trackback(1) | Comments(2)

今日の東急デハ5001号の状況(36)~附録も若干

 微妙に口内炎が復活したりしながら、まあここ一週間は平均睡眠時間12~14時間程度でおおむねマシな方ではないかと思います。小春日和の気候が幸いしているのか、しかしこのまま本格的な冬になったらどうなることやら。
 そんなこんなの日々ですが、渋谷を通る機会があったので、例によって例の如く写真を撮って来ました。時間は午後1時ごろです。

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by bokukoui | 2007-11-14 23:59 | [特設]東急デハ5001号問題 | Trackback | Comments(5)

横浜開港資料館の命名権問題

 数日前の新聞で表題の件に関する記事(地域面)を読み、流石に驚き呆れたので、ここでも簡単にご紹介する次第。
 ネット上でも全く同じ記事が読めます。
※追記:記事が消えたのでこちらの魚拓をご参照下さい。

 命名権売却 市が検討(朝日新聞) 
 ペリー上陸図など横浜関連の資料約25万点を収蔵する横浜市中区の横浜開港資料館について、市が命名権(ネーミングライツ)の売却を検討していることが分かった。全国的にスポーツ施設やホールに導入する例は多いが、寄贈資料が多い公立博物館の命名権売却は珍しいという。寄贈者からは「一企業の宣伝のために提供したわけではない。資料の引き揚げも考えたい」と批判の声が上がっている。
 一つ補足しておくと、上掲新聞記事中にコメントを寄せておられる日本女子大の井川先生は、かつて開港資料館に勤めておられた方です。日本女子大の教授陣では、吉良芳恵先生も開港資料館におられた方でした。

 さて、三ツ沢の競技場は命名権を売ったそうで、そういった施設については他にも多くの例がありますから別にどうということはありませんが、そもそも商業的な成果を挙げるということを前提にしていない開港資料館のような施設に対しても同じ政策を採るということは、理解に苦しみます。リンク先の記事からすると、史料を寄託している方々からの反発が強いにもかかわらず、市の側が態度を変えようとしないのも解せません。
 横浜開港資料館は、近代に関する資料館として(まあ、横浜の前近代に特別見るべきものは余りないでしょうから・・・)かなり名の知れた施設であると思います。新聞類はじめ所蔵されている史料は数多く、小生も過去何度か利用しました。で、これは渋谷公会堂の命名権売却の際にも感じたことなのですが、「開港資料館」というのは、その筋では既に相当の知名度があり、つまりいわば「ブランド」になっているわけです。それだけの実績があるということですし、それを活用することこそがむしろ有意義で効率的であるとさえ思うのです。
 しかし、横浜市大に関して仄聞するところもそうですが、現中田市長はそういった「文化的資本」の価値には全く無頓着であるといわざるを得ません。横浜では「開港150周年」というキャンペーンをぼちぼち始めていますが(1859年開港)、その矢先に歴史文化事業へのこんな姿勢では、この150周年キャンペーンもまた結局はハコモノ的再開発(実際県立ホールをこれに合わせて作ろうとし、ゼネコンが談合で公共事業の受注自粛をしたので間に合わなくなったことがあったとか)に過ぎないのではないかと思いたくなります。現中田市長は、かつての横浜のそういった公共事業を批判することで市長になったはずなのですが・・・。

※追記:ちょこっと追加情報はこちら
※更に追記:中田市政の歴史への姿勢は、最後にこんな展開を示しました。
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by bokukoui | 2007-11-12 15:51 | 歴史雑談 | Trackback(1) | Comments(4)