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近況と連休の予定(帝メ)など

 漸くゼミの報告も終わってホッと一息ついたのですが、しかしまだ所用が様々に山積でなかなか落ち着けそうにありません。一応先月までの停滞振りから今月は復活したようにも思われますが、しかし活動の効率はなかなか以前のようには行かないようで。疲れが溜まりやすくて睡眠時間が長い傾向は余り変わりませんで。一頃よりマシなのは確かですが。

 で、例によって昨晩は報告レジュメ作成に天手古舞いだったのですが、なぜかそういう間の悪いときに限って(笑)MaIERiAの渡辺順一氏より電話。3日に即売会・帝国メイド倶楽部があるのでどうするのかという話でした。てんぱってたので適当に切ってしまいましたが、この即売会去年は行けなかったので、今年は行ければと思うところです。しかしこっち方面の活動といえば、先日の「新春メイドさん放談2008」位ですっかり停滞しており、行ったところで手ぶらでは意味がありません。そこで、手持ちの在庫ネタをいろいろ漁り、応急に一冊まとめて持って行こうと思います。タイトルとりあえず決めました。

 『「戦時下」のメイド』

 要するに、以前出していた『英国絵入諷刺雑誌『パンチ』メイドさん的画像コレクション 1891~1900』が完売したので、今度は戦時下の『パンチ』からネタを拾おうってわけですが。ま、二番煎じですね。それでも無いよりはマシ、ということで。

 ところで、今朝ようやく完成したレジュメを印刷しようとレーザープリンタのスイッチを入れたところ、なぜか赤い警告灯が付いてにっちもさっちもいかず、再起動を繰り返してもいっかな解消せず、遂に古いプリンタ(綺麗に刷れない)を使う羽目になりました。遅刻するかと思いました。
 先日はパソコンのスピーカーが「ぶちっ」と音を立ててお亡くなりになり、そろそろシステム更新の時期ということでしょうか。
 もっともこの所用の状況では、新しい機会を検討・導入する余裕がなさそうで・・・疲れているのでもう今日は寝ることにします。
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by bokukoui | 2008-04-30 21:01 | 制服・メイド

聖火リレーでどうでもいい話~そして私は北京オリンピックを支持する

 ゼミの準備で忙しかったり、発疹がひどかったり、またぞろネットに繋がらなくなったり(別な機械で、別な方法でつないでるんですけどね・・・)、そんなわけで聖火リレーにせよ死刑判決にせよ書きたいと思う話題は数あれど思うに任せず、しかし後からゆっくり考え直して評論するという手段としてどうもネットは不適当らしく(それが困った点)、従ってどうでもいい思ったことを以下に書きます。

 日本における聖火リレーで起こったトラブルとして広く報じられた一件に、卓球選手の福原愛さんがトーチを持って走っているところに突如乱入した男がいたというのがありましたね。その瞬間、福原さんの表情が凍り付いて足が止まった映像は、テレビの報道でご覧になった方も多いかと思います。
 それを見て小生は、駕籠真太郎先生の「バトル・ロ愛ヤル」を瞬間的に連想してしまいました。本作は近刊『穴、文字、血液などが現れる漫画』に収められております。
 で、どういう話かと申しますと、本文から引用すれば 
東京湾沖に造られた
この人工島ラブラブ愛ランド
では各業界を代表する
愛ちゃんが集められ
ナンバー1の愛ちゃんを
決定するための死闘が
繰り広げられていた

お互い殺し合い
生き残った者にのみ
ナンバー1愛ちゃんの
称号を手に入れることが
できるのだ
 ・・・。主人公が一応福原愛ちゃんです。あと出てくるのが杉山愛とか大塚愛とか飯島愛とか前田愛(国文学者でも声優でもない方)とか・・・。
 今まで本ブログでも駕籠作品について何度か触れてきましたが(これとかこれとか)、今回も大変面白い一冊でございました。スカネタよりはパロディ的な方が本書では多い感がありますが、それもまたよし。駕籠先生はここ何年か、順調に新刊を出されているのは喜ばしい限り。

 あまりといえばあまりな話でしたので、ちょこっとだけオリンピックについて思うことを。

 そも19世紀に近代オリムピツク大会が始まった頃の世界を考えれば、まさに時は帝国主義の時代。ギリシャ・ローマの古典文化を引き継いだと称する欧州諸国が地球上を我が物顔で行き来しておりました。さてこそギリシャのイベントを復刻して近代オリンピック大会も始まったのですが、これはギリシャ・ローマ的なものが「優れた」ものと自明視され、それに近い順に「優れた」序列が築かれていた世界観を反映しております。それが白色人種による有色人種の植民地支配を正当化していた訳ですね。以前このブログでも書いたことがありますが、近代スポーツの「スポーツマンシップ」なんてのは、成立した場所と時代を考えればその背後に階級差別・人種差別・性差別を胚胎しているわけであります。
 で、それから百年して、流石にそういう差別の問題点もある程度は認識されるようになってきたわけですが、今時の北京オリンピックでは久々に、その「オリンピック的なもの」を生み出した構造を感じさせてくれました。今や「帝国」足らんとする、チベットを支配する中国こそ、今地球上で最も「オリンピック」にふさわしい場所に他なりません(次点はロシアか?)。聖火リレーに最も噛みついて見せたのが欧州諸国の人々というのは、ここ百年の時代と重心の変化を物語り、変わらぬものと変わるものとを一望できたのは大変興味深いことでありました。(え、黄禍論?)

 ま、長々書くのも面倒だし、こんなもんで。
 今次の抗議行動やそれにまつわるネットの言動を見ていて思うこともなにがしかありますが、少し前に読んだ有村悠氏のブログの記事に付いたコメントを見て心底うんざりし(他にも類似の例は多いでしょうが小生の見た中で最も酷い例だったので)、これはチベットそのもののことよりもただ何かを罵倒することで自己満足に浸る祭りでしかない輩が少なからず、そしてそれはおそらく、確かに今現在中国共産党政府が行っている人権侵害への批判をむしろ減殺してしまうものではないかと思ったので、これ以上書くのも今は控えておきます。
 そして小生は、チベットを舞台に書かれた久生十蘭『新西遊記』を取り上げている種村季弘『書物漫遊記』を書架から取り出すのでありました。ネタ本は無論河口慧海『西藏旅行記』であるわけですが、故種村先生の説くところに因れば、同書の前半は「狂信的なラマ僧の残虐きわまる処刑」の話が延々と続くそうです。(彼らの何人が慧海を知っているのだろう?)
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by bokukoui | 2008-04-28 22:06 | 時事漫言

国立公文書館通いの日々~「病と医療」展・鮭缶とビスマルクなど

 前回の記事、国立公文書館に行く途中の竹橋の交差点で出会った奇妙な自動車のお話に、何人もの方からコメントをいただけましたので、嬉しさついでに公文書館の話題を引き続き幾つか。

 ゼミ報告も近いので連日のように公文書館に行っておりますが、昨日は行ったついでに展示会を見てきました。昨日で最終日だったもので。

 春の特別展「病と医療-江戸から明治へ-」

 立派なパンフレットも無料配布されていて、しかも水・木は午後8時まで展示会を公開している(公文書館自体は本来午後5時閉館)という力の入れようでした。公文書館の展示会に来るのは、鉄道関係文書の展示会で原武史氏の講演会を聞きに行って以来でしょうか。
 展示会はなかなか面白かったのですが、ただ出展物の中心はどっちかといえば古典籍類で、「公文書」というのはそれほど多くはありませんでした。その中にあった、江戸時代大名が湯治の許可を得るための文書や、大奥で診療する医師が出した誓文だとかが目を惹きました。古典籍類ももちろん面白く、江戸時代の薬屋の広告やら(明治~戦前の広告でも類似のセンスがある)、或いは養生法だとか(房事の話が・・・)、いろいろありましたが、その中で唸ったのはこれも江戸時代の多色刷り版画で、コレラが流行して死者が続出、次から次へと焼場に棺桶が運び込まれて手が回らず、棺桶が山積みになっているという絵。駕籠真太郎先生のファンとしては大いに感じ入った一枚でした。

 展示には常設もあります。今は憲法の他、公文書館にまつわる法律の展示がされていました。支持率低下の著しい福田首相ですが、公文書保存については理解のある政治家ということで(前にも書きましたが、「歴史を大事に」というのであれば当然こういった方面への支援を強化するはずですが・・・)、公文書館もアピールに力を入れているのでしょうか。
 また、公文書館の仕事をアピールするビデオもあってつい見てしまったのですが、所蔵されている公文書の紹介で一番最初に登場したのが鉄道省文書でした。これは私鉄についての監督書類をまとめたもので、鉄道趣味者の閲覧も多く(例えば車輌の図面があるので、写真も碌にない昔の軽便鉄道の車輌なんかを模型化するときの資料になる)、一時つくばの分館に移管されていたのが竹橋に戻ってきたという史料です。やはり人気だから最初に登場したのかな?

 さて、別に見物に公文書館に行ったわけではなく、史料調査に17時の閉室まで粘って帰りに覗いてきたのであります。調べていたのはもっぱら明治初年の大蔵省紙幣局(現国立印刷局)に関連するものでした。
 紙幣局は、今の印刷局がそうであるように、勿論紙幣を印刷していたのですが、当時の日本は近代印刷事業が生まれたばかりで関連産業も乏しく、自分でインクや様々の機械類なども造っていたそうです。印刷物も実にいろいろなものを造っており、紙幣の他時代柄地租改正の地券(半年で3800万枚も刷ったとか)や金禄公債証書なんかを刷っているのは当然としても、記録を見ていたらこんなものが。

 「鮭鑵化装紙 五千四百三拾五枚 開拓使ニ送付ス」

 へーこんなものまで、と思ったら引き続いて、「麦酒符標 17250枚」「鹿鑵化装紙 9100枚」が開拓使に送られておりました。
 あとで缶詰産業史について論文を書いた人に話を聞いたところ、明治の初めに開拓使で缶詰生産を試みたものの技術が未熟でうまくいかず、開拓使の事業を払い下げた後は受け継がれず途絶えてしまったのだそうです。にしても鹿の缶詰。馬肉コンビーフの缶詰と詰め合わせにして贈りたい(笑)

 他にも大学の賞状から小学校の成績表まで、いろんなものを刷っておりましたが、面白いのが「ビスマルク像」。これが百枚単位で刷られておりました。明治初年の日本人に、ビスマルクの威光がどう感じられていたか、示唆されますね。
 しかしビスマルクに次いで「ピイトル」「ラルストン」の像というのが印刷されていたのですが、これは一体誰のことなんでしょう?

※4.28.追記:「ラルストン」はカリフォルニア・バンク頭取のラルストン像と思われます。これは石版画で、原版を作ったのは明治天皇や西郷隆盛の絵で有名なイタリア人・キヨソネでした。(近藤金廣『紙幣寮夜話』原書房1977、p.195)
しかし、何のためにアメリカの銀行の頭取の石版画を量産したんでしょう?

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by bokukoui | 2008-04-25 23:22 | 歴史雑談

謎の広報車

 今日は未明から昼過ぎまで、エキサイトブログがメンテナンスのため閲覧できなかった模様です。メンテナンスの結果、動作が安定してくれれば良いのですが。

 さて、小生はこのところ連日、急遽することになったゼミの報告の準備やら何やらに追われ、こんな時に限って今まで暇だったバイトの仕事が増えたりして、先月までの沈滞ぶりが嘘のように活動しております。そのためか疲労も溜まって電車で寝過ごしたり発疹が酷くなったり頭痛微熱に見舞われたり腹が出たり(それは関係ない)しておりますが、沈滞しているよりかはましとすべきでしょう。

 で、調べ物のために某日国立公文書館に赴いたところ、竹橋駅のそばでこんな自動車に出くわしました(デジカメを持ち合わせていなかったため携帯電話にて撮影したため画質が悪いですが)。
f0030574_18471627.jpg
f0030574_18472947.jpg
 ・・・。
 ボンネットに人形を並べ、屋根からは造花の枝を立て、奇矯な文面のステッカーを張り巡らしております。何かを訴えかけたいのでしょうが、何を訴えかけたいのか分かりません。場所としては政治的な訴えをするに適した地ではありますが。
 張り回されたステッカーの文言には、「下品な国会議員退場願います」とか「鬼の○○広報車です」(いくつかパターンがあったような気がする)とか、あと選挙の棄権を戒める文面もあったかな。運転手(中年男性だったと記憶)はこれまた奇態な帽子とマスクに身を包み、思わず携帯電話のカメラ機能をいじくり回した小生に、車内からVサインをしておりました。同乗者はおりませんで助手席は空いていましたが、後部座席には旗やらなにやら積んでいたように思います。
 うーん、謎だ。
 ちょっと検索してみたところ、目撃談は数件見つかりましたので、遅くとも3月以降都内を巡回していることは確かなようです。しかし、残念ながらその正体がわかりません。これではせっかくのアピール効果も、九仞の功を一簣に虧くというも大袈裟ですが、何か勿体ないような気も。
 ・・・「革命的非モテ同盟」の古澤書記長が、公用車をこんな使い方をしないことを祈ります。

 なお、この車のナンバーは足立でした。
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by bokukoui | 2008-04-23 19:01 | 出来事

「平賀譲とその時代展」と講演会@東大駒場美術館

 昨日、表題の展示会と講演会に行ってきました。
 正式には東京大学教養学部美術博物館で開かれていた「平賀譲とその時代展 一高生から東大総長へ」であります。講演会は戸高一成氏の「日本海軍の作戦構想と平賀式軍艦」、川瀬晃氏の「平賀譲と第四艦隊事件」というお題でした。

 平賀譲は旧日本海軍の造船技術者で、多くの軍艦の設計に関わった他、戦時下の晩年は東大の総長を務めていました。若き日は東大で造船を学び、後には造船学で教鞭を執り、最後には総長になったわけで、海軍のみならず東大にも縁の深い人物です。
 平賀が亡くなった後、残された厖大な資料類は、曲折を経て東大工学部の柏キャンパスの図書館に収められるに至り、そしてその内容はデジタル化されてネットで閲覧できるようになりました。
 それが平賀譲デジタルアーカイブです。「曲折」の経緯は左サイトに詳しいのでそちらをご参照下さい。この平賀が残した資料類を使ってまとめられた研究書が、畑野勇 『近代日本の軍産学複合体―海軍・重工業界・大学』(創文社)ですが、この本が出た頃、2年ほど前に行われた産業史についての学会に、小生手伝い要員として出させてもらったことがありました。そのことは以前簡単に書いたことがありましたが、その時聞いた話では、平賀譲の文書はデジタル化してサーバーにアップはしているが、まだ一般公開してはいないという話でした。それがいよいよ一般公開となったわけで、大変喜ばしいことと思います。

 展示会の内容は、平賀が残した軍艦関係のものがやはりメインで、戦艦や巡洋艦の青焼き図面や様々な構想(ラーゲリ氏の表現に倣えば「わずか90万円で長門が見違えるように!」)、或いは理論や実験の資料が目を惹きました。しかしそれだけではなく、総長時代のいわゆる「平賀粛学」の際の日記といった史料もあり、大いに見応えがありました。
 平賀の東大工学部時代の卒論がありましたが、これは小生学部時代、工学部の倉庫にほっとかれていた戦前の造船学科の学生が書いた卒論と実習レポートの山を整理する、ということを指導教官のお手伝いでやったことがありまして、その時以来の再会でした。整理手伝いの時、平賀の卒論を見つけて物好き何人かが「おお、平賀だ」「英語わかんね」(日本語で書いてあってもわからんでしょうが)とめくって打ち興じたことを思い出しました。あの実習レポート群は多分柏に置かれているのでしょうが、海軍の呉や横須賀に実習に行った人も多いので、あれも公開すれば軍艦マニアの人たちには喜ばれるかも知れません。
 あと、平賀が学生時代に、製図の練習として模写したという蒸気機関車の側面図がありました。元の図面も並べて展示されていましたが、書かれている文字からするとどうもフランスの教科書を写した物のようです。フランスの鉄道には疎いので、描かれていた機関車が何なのだか分かりません。軸配置0-6-2(フランスだから031か)、スティーブンソン式弁装置、キャブは吹き曝しでボイラーは木で巻いてあるように見えたところからすると、結構古い物のように思われますが・・・

 講演会は大盛況でした。正直、こんなマニアックな講演会にそんな大勢は来ないだろうと思ったのですが、開始十分ばかり前に会場に入ったところ、80席程度はあったと思われる椅子が全て埋まり、急遽追加されたと思われる丸椅子にかろうじて席を取ることが出来ました。人はどんどんやってきて、椅子をかき集めて並べていましたが、本来聴衆のスペースとして予定されていた場所に収まりきらず、かなり強引に押し込める結果となっていました。聴衆は200人に近かったのではないでしょうか。聴衆にはお年を召した男性の方が圧倒的に多く、平均年齢を取ったら50歳は越えていたろうと思われます。
 講演の内容を簡単に。

○戸高氏
・日露戦後の日本海軍の戦略構想は、小笠原附近での1回の艦隊決戦に全てを賭けるというものであった。
・平賀設計の軍艦の特徴は中心隔壁(艦の真ん中で左右を分ける隔壁)を持つことで、これは被害を受けた場合片舷にのみ浸水して転覆しやすいという問題がある。なのになぜ採用したかと言えば、被害時注水で容易に水平を回復できるため、被害が想定内であれば戦闘中の戦力維持が容易であるため。1回の決戦に賭ける戦略だったためにこうなった。
・平賀は金剛や長門の設計に関わったが、主任になったのは天城型以降で、その途端ワシントン条約で戦艦建造は終わってしまった。そのため海軍を辞めても、その後の金剛代艦や大和などの戦艦計画に介入したがった。
・第1次大戦後は、開戦時の戦力で戦いきるのではなく、生産しながら戦うようになった。そのため軍艦も1回の決戦で全てを決するのではなく、修理しつつ戦い抜くようになり、欧米ではダメージコントロールの研究が進んだ。しかし日本はそうならず、平賀の軍艦は太平洋戦争で、不本意に使われ沈んでいった。

○川瀬氏
・平賀の後任の藤本喜久雄設計の特型駆逐艦が台風で大損傷、50名以上が死亡(第四艦隊事件)。現役の造船士官はその対策として兵装の削減を考えたが、平賀の指摘により兵装を維持したまま、安全対策が行われた。太平洋戦争で日本海軍の船は台風で沈まず、一方米軍は4隻沈んで700人以上が死亡した。
・日本で造船に溶接を取り入れた際、船体が歪むなどの問題が生じ、海軍では溶接の使用範囲を制限することとなった。現場からは反対もあったが、平賀の意見が通って溶接の使用範囲は相当限定されることとなった。平賀は溶接の現場をどれほど見たことがあったのか?
・平賀による溶接の制限は戦後になって、日本の造船の技術的な遅れを招いた一因と、アメリカとの比較から言われたことがあった。しかし当時の日本の状況からすれば平賀の判断はそう誤りとは言えず、また戦後1956年には日本は造船高世界一になっており、本質的な立ち後れは無かった。

 その後質疑応答。ご老人の方が多く、聞き取りにくい(元々大勢が集まることを予定していなかったためか、マイクの設備なども不十分でした。始終ハウリングしてました)ので、うまくメモが取れず。若干話が噛み合わず、聴衆の方同士で問答になっていったり。後で聞いた話では、要領を得ない質問をしていた方に、講演者に代わって応えていた方は、平賀が総長の頃東大で造船を学び、軍艦の建造にも従事して、戦後は東大で造船を講じ、現在は名誉教授の方だったそうです。ある意味、贅沢な話でした。

 展示会も講演会も面白かったですが、それ以上に嬉しかったのが旧知の軍艦マニアの方々にお会いできたことでした。東江戸川工廠のじゃむ猫さん、機関車技術研究会・蒸気推進研究所の髙木宏之さん、ゴンザ・リオさん、台北亭さんといった方々でした。以前は折々お会いすることがあったのですが、いろいろあって疎遠になっておりましただけに嬉しい出会いでした。小生は高校生の頃、髙木さんの記事で日本の蒸気機関車の体系的歴史を初めて知ったのですが、近く今度は軍艦の写真集を出されるそうで楽しみです。

 とまあ、充実した一日でした。
 その分、これから暫くゼミなどで忙しくなりますが・・・
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by bokukoui | 2008-04-20 22:27 | 歴史雑談

酒井翁三たび立つ

 昨年、一昨年に続いて、メイド趣味界の長老・酒井シズエ翁の主催する座談会が今年も開かれておりました。題して「新春メイドさん放談2008」であります。
 もはや新春ではありませんが、昨年同様小生が編集作業を延引せしめたことが少なからず影響しておりますかと思います。申し訳ありません。

 今年の放談は大きな発展がありました。放談の参加者は酒井翁と北庭さん、そして小生も末席を汚しておりましたが、新たに Luv-Parade貴島吉志さんが参加されたのです。
 貴島さんは、過去当ブログで報じております通り(20062007)、過去二回の放談に大変熱心なコメントをしてくださった方であり、いわゆる「メイド」コンテンツの作成にも携わっておられる方でもあります。貴島さんをお迎えしたことで放談の濃度が一気に上がった感があり、大変喜ばしいことでした。放談中は圧倒される思いでありました。

 というわけで、放談の本文は酒井翁のサイト・旦那様と呼んでくれへ。

 そうそう、「一人で勝手に喋らない」という反省の元に今年の放談に臨んだ小生でしたが、今年は体調不良で酒も呑めなかったし、そんなに酷いことはやらかしてないと思います・・・多分きっと・・・穴を掘って埋まったら有効需要が増えるのかな。
 放談中で散々している『COMICリュウ』の話は、ナヲコ先生の作品感想はじめそのうちしたいと思っていましたが、買い始めた頃から不調になって今なお果たしておりません。明日は発売日だし、今度こそ・・・とも思いますが、月末にゼミ報告が急遽決まるなど新学期でドタバタしておりますので、やはりまた先のことになりそうです。

 今年も放談に皆様のご感想をいただければ嬉しく思います。
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by bokukoui | 2008-04-18 22:52 | 制服・メイド

赤木氏の「戦争」~希望は、ガンダム? 附:『日中戦争下の日本』略感

 いろいろ忙しく、お陰で疲労も積もり、続きを書くのが遅くなりました。
 で、もうずいぶん前のお花見の時の件、「三十三年の孤独~革非同花見に「希望は戦争」赤木智弘氏来駕」の続きです。

 赤木智弘氏の所説が話題を呼んだのは、ひとえに「戦争」という言葉の使い方が刺激的だったからであろうと思います。で、近代史を学んでいる者として、というよりは戦史マニアの端くれとして、という方がいいのかも知れませんが、赤木氏の戦争観について是非とも伺ってみたかったのです。極端な例として、スペイン継承戦争時のフランスでヴィラール元帥が「われわれがおおぜいの新兵をみつけられるのは、諸州の民が困窮にあえいでいるおかげだからである。・・・民の苦難がわが王国を救う、といってさしつかえない」といったように、生活が苦しい時「希望は、戦争」というケースは歴史上まま見られました。生まれた社会に見切りを付け、傭兵として一旗揚げるという例は、近世のスイスや古代のギリシャなど枚挙に暇がありません。今だってフランスには外人部隊というものがありますし、更に最近横須賀市民を震撼させたタクシー運転手殺人事件の犯人であるアメリカ水兵はナイジェリア出身でした。これらの例が突飛とするならば、別な視点では満州事変後の日本も戦時体制強化に社会改革の希望を託していた事例とも言えますし、独伊のファシズムなども思い起こされます。

 この日の宴席には、書記長以下元・予備自衛官が4人も出席されており、自衛隊は「非モテ」な組織だとの感を深くしましたが、それはそれとして、つまり戦争の(元)専門家が4人もいるわけですし、また小生の他にもこういった話題に興味のある方もおられ、戦争で一旗揚げる話題は大いに盛り上がりました。フランス外人部隊の入り方だの、ヴァレンシュタインの話だの、はてさてチベットの状況に至るまで、話は多岐に渡りました。
 が、赤木氏、この話にちっとも乗ってこないのです。唯一氏がこれら戦争の話題の中で口を差し挟んできたのは、どなたかが話の序でにネタとしてカテジナとかいうガンダムのキャラクターの名前を出したときでした。小生はガンダムのことを何も知らないので(小生が巨大ロボットに関心がなく実物の機会にしか関心がない理由は以前書きました)どういうキャラクターか存じません。フランスのカチナ元帥(上掲ヴィラール元帥と同時代の人)というのなら聞いたことがありますが。
 で、そこで赤木氏に対しこう思わずにはいられませんでした。

 「あなたの仰る『戦争』って、ガンダムですか!?」

 社会の閉塞状況を打破するために「戦争」に賭ける、というシチュエーションで、まず多くの日本人に思い浮かぶであろう歴史的先例としては、我が国の満州事変やそれに続く日中戦争での総動員体制が挙げられます。赤木氏の著書をざっと読んだ限りでは、氏がこれらの歴史的状況の参考文献とされているのは井上寿一『日中戦争下の日本』だけのようでした。
 そこで同書をざっと一瞥しますに、日中戦争に諸勢力がかけた社会改革の希望を描いた、なかなか面白い本で、結論にも共感するところがありました。しかし、いくつか疑問点も浮かびました。タイトル通り日中戦争から話が始まり、その後の太平洋戦争のことも触れてはいるのですが、その前の満州事変の事が殆ど出てきません(協和会関係で数カ所ちょこっと出てきた位でしょうか)。「日中戦争とは何か」が本書の主題であるからだとしても、「戦争から国家を改造する」というのであれば、満州事変はまさにその事例として日中戦争当時の日本人にも想起される存在であったと思うのでありました。

 小生が修論で扱ったのが電鉄業と電力業だったもので、戦時下の改革(統制)について日中戦争下のみ取り上げて論じられることには違和感を覚えてしまいます。どちらの業界も、1920年代末以降過当競争と不況の対策として統制が叫ばれ、業界が自主統制を進めるも、日中戦争~太平洋戦争によって強力な国家統制がかけられ(電力業に至っては国家管理されてしまいます)、戦後再び改革が行われてその後は安定期に至る、という展開を辿っています。戦後の再改革は、特に電力業の場合、戦時中の行き過ぎを是正して戦前の自主統制に近い線に戻るというものであったため、戦時下の統制については「長い回り道」という評価が現在の通説となっております。
 だからもうちょっと前から見ておかないといかんのではないか、そう思いました。井上氏の著作では帰還兵の役割を重視していて、それは興味深いのですが、彼らに敵視される資本家もまた戦時に自分たちの業界の統制(それは日中戦争以前からずっと問題だった)をうまく進めるため、戦争に賭けた面もあるのでして。戦争が起こってしまってやめられない以上、全ての勢力が戦争を所与の条件として、自分の有利に活用する方向を探らざるを得ないわけですが。

 あと、史料として新聞と『兵隊』という当時の雑誌が多く使われていますが、ちょっと新聞などが描いた構図をそのまんま受け取りすぎているのではないか、という気もしました。また「社会システムの不調」というワードもいまいち有効に使われていないような。

 ま、このように小生が本書にやたらいちゃもんをつけてしまうのは、一箇所あれれっ!?という間違いを見つけてしまったために、小生が本書に不信感を抱いてしまったこともあるかと思います。
 本書45ページで、1940年5月の新聞記事が紹介されています。前線から帰還した兵士が倫理的に振る舞おうと努力していたのに、軍需景気の銃後では毎月一日の「興亜奉公日(戦場の労苦を偲んで簡素な生活に徹しましょう、というキャンペーン日。太平洋戦争開戦後は毎月八日が「大詔奉戴日」となった)」であるにも関わらず物見遊山に繰り出す連中が多い、という話です。その物見遊山ぶりを報じる記事について、井上氏は「ところが実際には、この新聞記事によると、東京電車鉄道管内のこの日の乗客数は約115万人で・・・」と書いています。
 はて「東京電車鉄道管内」とはなんじゃいな、と画像が掲げられている元の記事をよーく見ると、「東鉄の調査によると・・・」と書かれていることが分かりました。

 これは、鉄道省の東京鉄道局のことですね。戦後の国鉄では東京鉄道管理局(のち三つに分割された)になります。
 東京電車鉄道とは、東京の路面電車の会社です。東京馬車鉄道が電化して電車になったんですね。同じ頃東京の路面電車には東京市街鉄道と東京電気鉄道というのがあり、当時の東京市民はそれぞれ「東鉄」「街鉄」「外濠線」と呼んでおりました。これらの会社は合併して東京鉄道となり、その後市有化されます。これは全部明治末年の話なので、日中戦争と時代が三十年ほど違っております。
 ことのついでに、ウィキペディアでは東京電車鉄道の略称を「東電」と書いていますがこれは間違い。当時東電といえば、電力会社の東京電灯に決まっております。嗚呼、最近の若い鉄ヲタは物を知らぬ。
 更に余談を付け加えれば、戦前に一時期存在した「東京電力」という会社は、東京電灯との混同を避けるために「東力」と略されていました。

 ま、鉄道史の認知度なんて業界内部でもこんなもんか、と凹んだ次第です。

 話を戻します。
 本書の巻末あとがきには、なんと赤木智弘氏の「『丸山真男』をひっぱたきたい」が取り上げられており、井上氏の本書の執筆に赤木氏の影響が多少あったもののようです(赤木氏の文章は2007年1月号の『論座』に載り、井上書は2007年7月10日発行。赤木氏の単著は同年11月1日発行)。赤木氏が著作の中でそのことに全く触れていないのは不親切ではないかと思います。マッチポンプというか。
 で、井上氏はあとがきでこう書いています。
 格差拡大社会の今日の日本において、戦争という手段に訴えてでも、下流階層から脱出し、平準化をめざす「31歳フリーター」は、昭和戦中期の日本国民の末裔に違いない。
 しかもインターネットの空間で、中国や韓国、北朝鮮などの隣国とバーチャルな戦争を戦っているこの人たちにとって、今はまさしく戦中期である。(p.216)
 ・・・そりゃないでしょ。
 井上氏は本書第II章で、中国の戦場に行った日本兵が実際の中国人を見ることで、中国への他者理解が芽生えていたと書かれています。日中韓のネトウヨ(的な連中)どもは、ネットに引き籠もって他者理解を拒んでいるのが問題じゃないでしょうか。ましてネットの罵倒合戦を日中戦争に例えられてもねえ・・・。

 話を赤木氏の所論にさらに戻しますと、結局氏の「戦争」イメージはかなり偏頗なものではないかと思います。『論座』でその後展開された様々な論客との応報がいまいち噛み合わないのも、多くはその論客諸氏が赤木氏の抱える問題への理解不足にあるのは否めないにせよ、「戦争」のイメージが隔たりすぎていたのもあるんじゃないかと。あと、戦争や戦争を介した社会改革となると、軍の果たす役割は極めて大きいわけですが、赤木氏の「軍」に関するイメージは「戦争」のそれ以上に稀薄に感じられます。
 ただ、だからといって赤木氏に歴史学の授業を受けてもらえば事態が改善するんじゃない、というところに問題があるのだと思います。

 二回に渡って小生、延々と赤木氏の所論およびお話を伺った結果思うところについて長々と述べてきましたが、それだけ現在の日本社会のある問題点について考える糸口には、事実関係の問題などあろうとも、赤木氏の所論はなったということです。氏の所論はそれなりに雑誌や単行本やネットを経て広まったと思われますので、より多くの人が赤木氏のような人たちの存在に気がつき、問題として捉えるようになれば、この問題の解決に世論が向かうことにもなるかもしれません。
 ただ、このような目的で赤木氏の所論を読むとなると、いわば一段高いところから赤木氏の所論を分析し、このようなことを言うに至ったのは何故か、と読み解くことになります。何しろその内容自体は如上述べたるように問題がありますので、こと「論壇」のような場ではそういった瑕疵を突かれるか、その瑕疵を認めつつも一段高いところから(メタレベルとでも言うんでしょうか)論評するという形になるしかないでしょう。この拙文もまたその例に漏れるものではありません。で、そうなると、前回の記事で想定したような赤木氏(のような人々)の抱えている問題の根幹、コミュニケーションと承認欲求の問題の解決には、実は繋がっていないんじゃないか、そのように思い至りました。メタレベルでの分析対象にされたところで、承認欲求が満たされるとは言えなさそうなので。

 ではどうすれば良いのか、という対策については、小生に確たる答えはありません。ただ、お花見の会での小生の振舞は、いささかピントがずれていたのかも知れない、そう今では思います。赤木氏とは「戦争」について議論をするよりも、ガンダムについてお喋りすることの方が重要だったのかも知れない、その方が、直接的に氏が求めていたものであったのかも知れない、と。なれば処方箋もまたおぼろげには見えてくるでしょう。

 まだいろいろと思うところはありますが、ひとまずこれにて。

※2008.4.25.追記:赤木氏の単行本の支援広報ブログで、鮭缶氏が『日中戦争下の日本』に触れておられます。見解を異にするところもありますが、しかし本稿の内容に手を入れるのも今更なので、とりあえず読者の方のご参考にリンクしておきます。
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by bokukoui | 2008-04-17 23:44 | 歴史雑談

原田勝正先生亡くなる

 今日、東雲氏に教示されるまで存じませんでした。

 日本鉄道史研究の和光大名誉教授・原田勝正さん死去

 謹んでご冥福をお祈り致します。

 ちょっと検索してみたところ、ネットでこのことに触れている鉄道趣味者のブログなどが案外少ないので、いささか寂しく感じました。「鉄道ブーム」といわれるご時世だとはとても思えません。原田先生の業績については、小生以前の記事で青木栄一先生との関連から少し書いたことがありますが、ウィキペディアの記事が著作目録だけで、新聞の訃報も『日本国有鉄道百年史』編纂に触れていないのが残念です。(追記:新聞の訃報が消えたのでウェブ魚拓に切り替えました)

 一度だけお会いしてお話を伺ったことがありました。著書『日本鉄道史 技術と人間』(刀水書房)について、青木栄一先生のご紹介で、何人かで原田先生を囲んで質問などしたのです。小生は緊張してあまり話しませんでしたか。今混沌とした部屋の中で、当時のメモが見つからないので詳細は書けませんが、一つだけ思い出したことを。
 同書の中で、原田先生は日本の蒸気機関車技術の自立のポイントとして、鉄道国有化直後幹線の急行旅客用に同時にまとまった数輸入された8700形・8800形・8850形・8900形を取り上げていました。で、確かにこれは技術上重要な車輌たちだけれども、英米独からの輸入機であるから、「自立」といっていいのか、国産標準機の8620形・9600形ではないのか、という質問が出たのです。
 原田先生は、輸入であっても発注者に明確なポリシーがあって先端技術を導入すれば自立と呼べる、と仰ったかと思います。確かに国産標準機の技術はこれら輸入機をなぞったものですし、また南アフリカの事例なんかを思い浮かべても納得できます。
 で、原田先生はその時次のような例を挙げられました。

「同じ時代の日本で言えば、金剛がそうですよね」

 小生はそのひとことでなるほど、とすっかり納得したのですがその場にいた他の人たちの中にはピンと来なかった人もいたようでした。
 金剛は当時日本がイギリスに発注した巡洋戦艦で、世界最大最強クラスの軍艦でした。日本はこれをモデルに同型艦を3隻作り、十年経たずに世界最大最強最高速の戦艦・長門を送り出しました。が、まあ鉄道マニアだから軍艦に詳しいとは必ずしも言えませんよね。原田先生は青木栄一先生の連れてきた連中だから、と思ってそう例示されたのかも知れませんが(笑)

 鉄道という一つの高度な技術で築かれたシステムを知るには、同様の他のシステムのこともある程度は知っておきましょう、というのがこの教訓でしょうか。

 原田勝正先生が翻訳に関わったD.R.ヘッドリク『帝国の手先』(日本経済評論社)という、とても面白い本があります。19世紀の欧米列強による新技術開発と世界の植民地化の関連を、様々な技術を挙げて叙述しています。交通・通信・兵器が主ですが、中にはマラリアの特効薬キニーネ(これが出来たお陰で白人がアフリカ奥地に入り込み植民地化が進んでしまった)の話などもあり、大変興味深い本です。
 いつぞやネタにしたジェフリー・パーカー『長篠合戦の世界史』の前書きで、パーカーはこの本を「読み始めたらやめられなくなるほど面白い」と賞賛しています。そして、19世紀初頭に世界の2割を支配していたヨーロッパ人が如何にして百年で世界の8割を支配するに至ったかを述べている本書に対し、自分は16世紀から18世紀までにヨーロッパがどうやって最初の2割を獲得したのかを述べるのだ、と書いています。なるほどパーカー教授の本もとても面白いことは確かですが、話の幅の広さではヘッドリクの方が上かも知れません(時代の制約はあるでしょうが)。一つの分野を長く追っかけることは大事ですが、類似性のある分野も知っておくことは大事ですし、何よりその方が面白いのです。
 ・・・と偉そうに書いている小生も、別段技術史とか交通産業全般に詳しいわけでもないですが。自動車なんか特に疎いので、最近友人諸氏にいろいろ教わっております。

 話が逸れました。
 昨年には久保田博氏や吉川文夫氏が亡くなりましたが、戦後日本で鉄道に関する情報の集積・普及に活躍された最初の世代の方々が次第に鬼籍に入られることに時代の流れを感じます。斯界が先学の業績を受け継ぎ発展させることができるか、大事なところです。こと昨今の鉄道ブームとやらを見るにつけ。
 と、ひとごとみたいに書くわけにはいかないのですが。打倒原武史のためにも、早く論文書かないと・・・
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by bokukoui | 2008-04-14 23:45 | 鉄道(歴史方面)

痒い

新学期開始以来けっこうせっせと活動していますが、それと関係あるのかどうなのか、体の柔らかい部分に発疹を見、よくもまあいろんな症状が出て来るなあと我ながら感心しております。まあ今までのそれに比べれば、何かする際の妨げとは比較的なりにくいのが不幸中の幸いですが。
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by bokukoui | 2008-04-13 23:09 | 身辺些事

三十三年の孤独~革非同花見に「希望は戦争」赤木智弘氏来駕

 日曜日のお花見の話など。
 これが革命的非モテ同盟古澤書記長主催のお花見なのでした。今回のお花見にはビッグな(?)ゲストが。
 『若者を見殺しにする国』「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」で話題を集めた赤木智弘氏であります。そして、漫画家・山本夜羽音先生も来られていました。

 週明けから急に天気が悪くなりましたが、日曜日は好天で花も充分残っており、絶好のお花見日和になりました。お花見の情景を記念に撮影したので以下に一枚。
f0030574_225232.jpg
 上の写真で、顔が出ているのがおなじみ古澤書記長、赤で目伏せしたのが赤木氏、黄色が夜羽音先生です。十数名が集まり、フランス人や女性の参加者もあるなど、なかなか盛況でした。書記長もビールをサーバーごと持ち込む気合いの入れようでしたが、流石に多すぎて始末に困っていたようです。小生も未だ体調本復せぬ故に、始末に協力できなかったのは残念でなりませんでした。

 さて、赤木氏が来られるということを聞いたので、小生は『若者を見殺しにする国』を持参してサインしていただきました。またサイン本コレクションが増えました。
 が、それは本題ではなく、折角の機会なので同書の内容について幾つか感じた疑問点を伺ってみました。同書の核心をなすのは、雑誌『論座』に掲載された「『丸山眞男』をひっぱたきたい」という文章ですが、内容はリンク先にそのままあるので読んでいただければよいので、ご関心のある方はご参照ください。バブル崩壊後の不況で、特に厳しい経済的困難に追いやられた団塊ジュニア世代、氷河期世代の主張を訴えたものです。企業が氷河期世代の若者を切り捨てたばかりでなく、既存の「弱者」保護政策(労働組合とか)も既得権益を持った層を保護するばかりで、またそれを正当化するために「近頃の若者はダメだ」という「俗流若者論」(これについては後藤和智氏のサイトをご参照ください)が流布するのだとしています。そして、ここから氷河期世代の若者が脱却するには戦争が起こることで皆が貧しくなればよい、とさえ思いたくもなるのだ、としています。
 小生は最初、これはわざと過激なことを主張して社会批判を行う、例えばスウィフトの「アイルランドの(中略)穏健なる提案」みたいなのかと思ったのですが、本を読んでみるとどうもそういう積もりでもないような感もあり、とすると鋭い着眼点からはじまっているのに、そして部分部分ではなるほどと思ったところがあるのに、議論が途中からやや迷走しているような印象を受けました。

 幾つか感じた疑問点の中で最大のものは、この本の中で赤木氏が既得権益を固守して若者を犠牲に追いやっているという層に対して厳しく批判を述べる一方、ご自身をはじめとする、肝腎の団塊ジュニアの就職氷河期世代についての記述が少ないということです。何より、赤木氏ご自身が「この本は、社会批判の書であると同時に、私の人生を世間にさらけ出す暴露本という側面を持っています(p.15)」と述べられているのに、実はほとんどそうではないのです。赤木氏自身の経験による氷河期世代の状況がほとんど述べられていないため、その人々の苦境を訴える力を損なってしまっているように思われます。その分、既得権益と非難される正社員などへの批難、「希望は戦争」という過激な言辞ばかりが目に付いてしまうのです。
 これは結局、赤木氏のような立場にある人への支援をするという方向へ世を動かす、という戦略的効果を損なうことになります。あんまり他人事でもないので、そういった戦略的方向自体は小生も首肯するところなのですが、それだけに読後の戸惑いもありました。

 この点について、赤木氏に直接お話を伺ってみました。氏はだいぶ飲んでいるので、と断りつつ、慎重に言葉を選びつつお答えしてくださいました。ありがとうございます。
 で、やはり小生が考える程度のことは既に指摘している方もおられたのか、赤木氏としては自分についての話は次回作で書く予定だ、とのことでした。
 ではなぜこの本で書かなかったのか、ということを伺ったのですが、小生の聞き方が悪かったのか、ちょっと話がかみ合わなかった覚えがあります。
 更に幾つかお伺いしてみたところでは、このまとめはあくまでも小生の印象に基づくものですが、赤木氏はご自分について語ること自体に積極的ではない印象を受けました。そもそも他人とそういったことについて語り合うというか、情報交換をするような機会が余りなかったようです。

 『若者を見殺しにする国』では、「俗流若者論」の一例として、オタクへの不当なバッシングについて取り上げています。その論旨自体は小生もまったく同意するところですが、ただ本書全体の中での位置づけが良く分からないという感想も持ちました。これもおそらく、赤木氏自身の状況の記述が少ないため、オタクであることと団塊ジュニアの生き辛さとの関係が良く分からなかったのでしょう。
 で、赤木氏はゲームやアニメが好きだと書かれていますが、こういった趣味的な話題についても、周囲の人と話したりすることが、どうも決して多くは無かったようです。

 この辺の印象から話をまとめるのは些か乱暴であるとは思いますが、小生が感じた印象を率直に述べれば、赤木氏の(様な人の)苦しみそして欲求の多くは、「自分のような人間の言うことには誰も耳を傾けてくれない」という思いに起因するのではないか、ということです。簡単に言えばコミュニケーションの問題ですね。
 団塊ジュニアといってもみんながみんなフリーターになったわけではない、ではどういう人が貧乏くじを引かされたのかと考えれば、社会の不利な状況を補いうるであろう人的なネットワーク(血縁、地域、友人、などなど)との結びつきが弱い人ほどなりやすいんじゃないかと。もちろん小生は、「俗流若者論」的な、最近の若い者は“人間力”が低いからだ、とかそんな話をしたいわけじゃないですよ。昔ならば「自己責任」で済ませても大した問題じゃなかったかもしれませんが、現在の(赤木氏の世代以降の)場合はそうはいかないでしょう。人的なネットワークの形が変化しているからです。
 更にコミュニケーションの問題は、承認欲求の問題にも直結しているでしょう。人とのコミュニケーションなくして承認もないからです。だから逆に、何かの拍子でこれが失敗すると、コミュニケーションできない→自己承認できない→もっとコミュニケーションできない・・・という悪循環に陥り、脱却が難しくなってしまうのではないかと思います。で、その「何かの拍子」というのが、特に最近は当人ではどうしようもない状況で強いられた物であることが多いのではないかと考えられます。

 こう纏めてみると、赤木氏が「非モテ」の花見に来る必然性は大いにあると納得できます。「非モテ」もまたコミュニケーションと承認欲求の問題に他ならないわけで。また赤木氏の言論が話題を一定呼んだとしても、間々ディスコミュニケーションに陥ったり、攻撃性の強さゆえに反感を招いてしまうことも説明できそうです。
 赤木氏は、自分の求めているのは衣食住の保障という「生理的欲求」「安全の欲求」であって、他者との係わり合いから得られる「親和の欲求」「自我の欲求」ほど高次なものではないと述べておられますが(第6章)、それでは戦争になって名誉の戦死の方がマシ、という言葉は出てこないでしょう。実際、それに続いて「本当なら、生きたまま十分な自尊心を得られる生活を送りたい(p.211)」と書かれていますし。或いは、酒を酌み交わしジンギスカンを突きながらの山本夜羽音先生との談話中で、夜羽音先生が「今ある行政サービスは使い倒すべきだ」と発言したのに対し、赤木氏は「プライドが・・・」云々と仰っていました。
 さすがに「生理的欲求」第一というのは難民レベルの、とりあえず救済みたいな話であって、日本のこの問題では、一定以上の生活の安定と精神的な安定とは、かなり密接に関わっているのではないかと思うのです。小生はマズローという心理学者の説について何も知らないので、ちょっと頓珍漢なことを書いているかもしれませんが。

 以上の拙文で、小生は赤木氏の所説の瑕疵をあげつらって一時の快を貪ろうとするものでは決してありません。むしろ、例えば氷河期世代に対し何らかの職業訓練的なものを施す際に、彼らを抑圧的に「教育」する(例:海兵隊のハートマン軍曹)という、巷間ありがちな発想の問題点を認識できますし、また彼らの悩みを社会全体の問題として受け入れる上でも何がしかの知見を導けそうだと考えます。論点はまだいくらでも広がりそうですが、これ以上は小生よりも適任な方々が大勢おられるので、話はこの辺にしておきます。
 ただ小生が残念に思うのは、赤木氏の書物からここに達するまで、えらく回り道する必要があったということであります。

 というわけで、「希望は、戦争」という言葉から、満州国→大陸浪人なんかを思い浮かべてしまっていたのですが、だいぶ違っていたなあ、という話でした。
 で、赤木氏の「戦争」については、とても重要な話がまだあるので、次の機会に。
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by bokukoui | 2008-04-10 23:45 | 出来事