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「6・30アキハバラ解放デモ」一周年 秋葉原について思うことなど

 繰り返しになりますが、今月は通り魔地震で思いがけず大きな出来事が身近に迫り、またごく最近知ったのですが、詳細は避けますが自分の知っている人に思いがけないこともあり、まったくもって碌でもないひと月でした。
 今日でこの月も終わり、来月からはもっと平穏無事な日々であって欲しいとつくづく思います。

 その碌でもない6月の終わりの日、6月30日とは、思い返せばあの「6・30アキハバラ解放デモ」の一周年にあたるのだなあとふと思い至りました。
 あれから一年、ある意味今こそ「秋葉原解放」が求められるようにも思われますが、そして何でも「第2次アキハバラ解放デモ」を企画している人がいるとも仄聞しますが(前回のデモの中心人物の一人・「革非同」古澤書記長に聞いたら「何も聞いてない」とのことでしたが)、時の経つのの早さには愕然と致します。
 まあ、ここ一年ばかり、小生自身が大変な不調沈滞の時期でしたので、余計早くも感じられたのでしょうけれど。こっちの方も、今月限りでいい加減厄落としと思いますが、そう思い通りになれば苦労はしません。

 個人的なことはともかく。
 何しろあれから一年、秋葉原を巡る状況はかなり激動といってよかったと思われます。「オタク」の一般化による観光地化が進み、歩行者天国での種々のパフォーマンスが増加して、それらに伴って(かどうか、ここの因果関係は考えるべきことなのですが)種々のトラブルが増加しました。少なくとも、「増加した」という認識が広がりました。これは「地元」であるとか、警察当局、そして「オタク」と称される/自称する人々の間でも共通認識として広まっていたといえるかと思います。「オタク」(もはやこの呼称である集団を括ること自体あまり適切ではないのかもしれませんが)内部でも議論は分かれていたように思います。
 そして「露出パフォーマンス」とやらをしていた女性の逮捕などの事件が起こり、秋葉原の歩行者天国の廃止を求める声も出、地元と警察とがパトロールを行ってパフォーマンスの取締りを行うという状態になりました。そこに起きたのが6月8日の通り魔事件で、これによって歩行者天国は中止となりました。このことの是非についての小生の考えは前に書きましたが、とまれ、急激な変化の一年であったと改めて感じます。

 今一年前に自分が書いた記事を読み返してみましたが、特段当時と認識は変わりません。
 やはりあのデモの最大の謎は、いったいどこからどうやって450人も湧いてきたんだ、ということに尽きます。それが分からなかった故に、デモ主催者もどう対応していいのか分からず、ネットでの議論も迷走し、悲惨な末路を辿ったのだと、小生は今でもそう思っています。おまけにこれで、きちんとした総括(粛清にあらず)が行われる機を逸したわけですし。
 その後、このデモに関して多少の情報が小生の手許に集まりました。そこで分かったことは、このデモの告知に関しては8000枚ものビラが事前に配布されており、これが動員に少なからず功あったものと思われます。ビラで来た人数が450人中半分以下としても、ビラの反応率2%というのは広告屋さんが感涙に咽ぶ数字であろうと思います。
 また、これは当日のレポや感想記事でも書いたことですが、どうも『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品のファン層が集団で来ていたことが、直接的動員増につながったことは確かです。で、この中心人物と思われる「春日屋にしん」氏に先日ちょこっとお話を伺う機会があったのですが、この関係でアキバ解放デモに来た人は「40~50人はいたと思う」とのことでした。約一割ですね。

 ですが、やはりこの秋葉原に集まった450人の出自や思いというものは、今となっては分かりません。こういうときこそネット、と思っても、何せデモ主催者がゴタゴタで一般参加者の声を集約することをしなかった、またネット上の「叩き」「祭り」ということがそれを難しくしたので、結局具体的な思いは、ほとんど分からないのです(貴重な証言だった「さかぽよすの記」さんもサイト消えてる・・・どなたかキャッシュ持ってませんか?)。
 かろうじて言えそうなことは、今まで拾われてこなかった「何か」、例えばそれはマスコミなどに出ることもなく、ネット上の言論でも目立たず、多分秋葉原の再開発でも考慮はされなかった、そんな「何か」が存在したんだろうな、ということです。それは「何か」なので、当の参加者にだって具体的に原稿用紙10枚以内で記述せよ、と言われても出てこなかったことでしょう。デモ主催者は、デモを行って人を集めたからには、その「何か」をいくらかなりとも拾い上げる責任があったと思います。その点で、デモの主催者の失態の責任は重いと思うのです。まあ、ネット上でちょっかい出した連中も大勢いたことは確かですが。

 すみませんが、続きは別記事に。
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by bokukoui | 2008-06-30 23:58 | 思い付き | Trackback | Comments(2)

東急田園都市線高津駅上り線仮ホーム・仮改札口 切替前の情景

 今月は秋葉原で通り魔に出くわす知人が地震で亡くなるはと、個人的には碌でもない月でしたが、鉄道趣味者としては、地下鉄副都心線が開業したり東急目黒線が日吉に延伸したり、それなりに話題の豊富な月の筈でした。月も替わろうとする今日、それに関連したような話題を一つ。

 現在、東急田園都市線の二子玉川~溝の口間では複々線化工事が進められておりますが、それに伴ってこれまで仮ホームと仮改札口を設けていた高津駅は、本日仮ホームと仮改札口を閉鎖して新たな上りホームが供用開始されました。
 そこで、少し前に通学中寄り道して撮っておいた、切替前の駅の写真を何点かお目にかけます。
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切替直前の仮ホームと新上りホームの情景

 この写真はクリックすると拡大表示します。

(写真が多いので続きはこちらへ)
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by bokukoui | 2008-06-29 23:28 | 鉄道(現況実見) | Trackback(1) | Comments(2)

アメリカの鉄道のニュース・CSX vs TCI

 このところ結構いろいろ、ものを書いたり人に会ったり活動しておりますが、その反動か今日はだいぶへたれた一日でした。昨夏に調子を崩して以来、未だ本復した感が無いのはまこと無念ですが、とりあえずは来る夏があまり暑くないことを祈るのみです。ストップ温暖化。小生の周りもいろいろ心身について不調の方が多いようで・・・
 で、『COMICリュウ』関係の話の続きはおいおい書いていきたいですし、来月の新刊についてナヲコ先生からもアナウンスがあったりしたのですが、それはまた書くとして、今日は鉄道に関するニュースを。

 数日前の日経新聞で読んだ(新聞本体が見当たらない・・・)ニュース。
英TCI、米鉄道とも対立 増配要求、Jパワーと似た構図
日本のJパワー(電源開発)に増配などを迫る英投資ファンドのザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド(TCI)が、米上場企業とも対決姿勢を強めている。米貨物鉄道大手CSX(フロリダ州)に資産の有効活用や増配を求め、TCIが推薦する取締役の選任を迫った。米議会では安全保障上の理由から外資の経営支配に異議を唱える声が上がるなど、投資ファンドへの対応は世界の企業、政府の共通の課題になっている。

 TCIはCSX株式の4.4%を保有する第3位の大株主で、歩調を合わせる第4位株主の米系ファンドと合わせた株式保有率は8.5%を超える。CSXが抱える遊休資産の有効活用や自社株買いや増配などの株主還元策を要求。CSXが25日に開く株主総会に向け、12人の取締役のうち5人をTCIが推薦する取締役を選ぶよう提案、委任状争奪戦に発展している。
 これは21日付のニュースです。
 電発の株を買って政府から苦情の入ったTCIが、アメリカの同じくインフラ系企業である鉄道企業のCSXの株を買って「株主還元」を求めているという話です。「CSX(フロリダ州)」とありますが、CSXはアメリカのミシシッピ以東22州(+コロンビア特別区とカナダの2州)に約23000マイルの路線網を持つ巨大鉄道会社で、本社がフロリダのジャクソンヴィルにあります。

(引用が多く極めて長いので続きはこちら)
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by bokukoui | 2008-06-26 23:42 | 鉄道(時事関係) | Trackback(1) | Comments(8)

『月刊COMICリュウ』特集(1) 速水螺旋人「螺子の囁き」のことなど

 ここ2週間、このブログは重苦しい話題ばかりでしたので、さすがに書いている人間も気が滅入ってきますし、そろそろ明るく楽しい話題も書いて気分転換させてもらいたいと思います。

 で、これまでも折に触れ書いておりましたが、小生はナヲコ先生の漫画作品をこよなく愛しており、そのためナヲコ先生が現在「なずなのねいろ」連載中の『月刊COMICリュウ』を昨年11月号以来ずっと買っていたりします。最初はそれが目的だったのですが、これも酒井翁主催「新春メイドさん放談2008」の中で延々と話したことですが、この雑誌が結ツボにはまって、人生で初めて漫画雑誌を定期的に買うことになったのでした(ちなみに『voiceful』の時に一度『百合姫』を買いましたが、その時は一度買ったきりでした)。ついでにリュウコミックスも結構買ってます。
 しかし雑誌を買い始めたころと、心身ともに不調に陥った時期とが重なっていたため、このブログで『リュウ』について書いたことはほとんどありませんでした。ですが、先週発売の8月号で、ナヲコ先生の単行本の来月発売が報じられた(しかも2冊!)こともあり、そこでナヲコ先生単行本発売決定記念企画として、10箇月分の『リュウ』及びリュウコミックスの感想を、来月の単行本発売日まで何回かに別けてやっていこうと思います。(ほんとに続くのか?)

 というわけで(以下敬称原則略)、最初に速水螺旋人のイラストコラム「螺子の囁き」のお話から・・・漫画じゃないところからいきなりはじめるというのもなんですが、まあ速水先生は先月単行本『速水螺旋人の馬車馬大作戦』が発売になったこともあるので、時節柄ちょうどよろしいかと。

 速水螺旋人のイラストコラムは、『リュウ』が大幅リニューアルしてナヲコ先生の連載も始まった昨年11月号以来やはり連載が始まったようです。1ページだけですが、毎回いろんな実在のメカが登場して面白く、何よりそのラインナップが愉快です。順番に挙げていきますと、

 ・T-35(ソ連の多砲塔戦車)
 ・UAZワゴン(ソ連のワゴン車)
 ・ソッピース・キャメル(1次大戦の英戦闘機)
 ・タービニア(世界初のタービン船)
 ・蒸気バス(19世紀イギリス)
 ・スタンレースチーマー(アメリカ20世紀初の蒸気自動車)
 ・ヴェネラ探査機(ソ連の金星探査機)
 ・エレクトロニカB3-26(ソ連の電卓)
 ・腕木通信(18世紀末~19世紀初の通信手段)
 ・ZIS5v(ソ連の大戦中のトラック)


 ロシア度が高いですね。しかもなかなか、余人を以って代え難いラインナップであります。この中で知名度が高いのは・・・キャメルか? でもWW1は日本のミリオタではマイナーだから、ゲテモノとはいえT-35の方が上か? 技術史的には文句無くタービニア、と思いますが。
 で、毎月何が出てくるのか楽しみなのですが、『リュウ』の読者アンケート葉書を見ていて小生、ふとあることに気が付きました。
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『月刊COMICリュウ』2008年8月号 読者アンケート葉書

 そう、題名が間違って「螺の囁き」になっているのです。そりゃあ著者は速水螺旋人ですが、螺旋が囁いているのでは、メカコラムというより遺伝子のお話みたいですね。
 で、これは先週発売の号の葉書なのですが、実はこの間違い、ずっと前から始まっていたのです。なるほど連載第1回、『リュウ』リニューアルの時は・・・
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『月刊COMICリュウ』2007年11月号 読者アンケート葉書

 と、ちゃんと「螺子の囁き」になっています。しかし次の号からどうなっていたのか、もうこうなったら一気に全部並べてお見せしましょう。
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『月刊COMICリュウ』2007年12月号 読者アンケート葉書

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『月刊COMICリュウ』2008年1月号 読者アンケート葉書

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『月刊COMICリュウ』2008年2月号 読者アンケート葉書

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『月刊COMICリュウ』2008年3月号 読者アンケート葉書

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『月刊COMICリュウ』2008年4月号 読者アンケート葉書

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『月刊COMICリュウ』2008年5月号 読者アンケート葉書

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『月刊COMICリュウ』2008年6月号 読者アンケート葉書

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『月刊COMICリュウ』2008年7月号 読者アンケート葉書

 ・・・というわけで、9ヶ月連続で間違っておりました。誰も気づかなかったんかいな。
 小生、数ヶ月前にこのことに気がついたのですが、まあ来月には直るだろうと思っていたところ、何ヶ月経っても直る気配が無いので、遂にこうして編集部の猛省を促す次第です(笑)。

 は、スキャンしてたら時間が遅くなってしまいました。
 このコラムの魅力については、『速水螺旋人の馬車馬大作戦』と一緒に語った方が意義がはっきりさせやすいと思いますので、続きは次回
 ・・・初手から脱線しまくりですみません。
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by bokukoui | 2008-06-23 23:55 | 書物 | Trackback | Comments(0)

今日の東急デハ5001号の状況(42) そして岸さんのことを少し

 ここ二週間で身近に関係することになってしまった二つの大きな事件、秋葉原の通り魔岩手・宮城内陸地震について、前者は昨日の記事のように今になっていろいろ評論する言葉もあり、昨日書いた以上のことがいくらも浮かんできます。しかし地震で亡くなられた岸由一郎さんのことについては、ご葬儀にも参列させていただいたりしたのですが、しかしかえって書くべき言葉は見つかりません。
 ご葬儀は前橋でしたので、小生は湘南新宿ラインで高崎線に出て同地へ向かいました。その途中、王子駅附近でふと車窓に目をやると、飛鳥山の急坂を都電が駆け下りてくるのが一瞬目に入りました。そのほんの十日ばかり前、自分はあの電車に乗って都電のイベントに行き、岸さんが行列整理に駆け回っているお姿を見かけました。その時はあまりにお忙しそうだったし、それにどうせまた鉄道関係のイベントなど、自分も鉄道史の学会で報告したりすることもあるわけで、岸さんに会う機会なんていくらでもあるだろう、そう思ってその場を立ち去ったのでした。
 いやはや。

 岸さんの業績の一端なりとも継ぐ、というのもおこがましい話ですが、そもそも現在の自分の方向自体がいくらか近いところにあることは確かですので、今仕掛けていることをきちんとすることが何よりと思うに至りました。それを口実にして日常に回帰しようとしているだけなのかもしれませんが。
 で、ブログも平常に戻すきっかけに、この鉄道遺産保存失敗例の追跡企画を、と考えたわけではないのですが・・・

(続きを読む)
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by bokukoui | 2008-06-21 23:59 | [特設]東急デハ5001号問題 | Trackback | Comments(2)

秋葉原通り魔事件について補綴

 ここ十日あまりに世間を騒がせた二つの大きな事件に思いがけず身近に接することになってしまい、思うところもあり、またこれに関係して所用も幾つか増え、昨日は些か疲労して引き籠っておりました。
 ですが、自分が生きている限りは、どこかで区切りをつけて平常へ(その平常は以前と少し異なっているのかもしれませんが)復帰しなければなりません。葬儀や法事の社会的意義もそこにあるのでしょう。
 なので、まず「新記事を起こすかもしれません」と書いた秋葉原通り魔事件に関して、簡単に補足とまとめを書いておきたいと思います。

 まず、事件を他に目撃された方の記録について。
 拙文「秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録」にコメントを下さった灘雅輝さんのブログ「すごい勢いで~灘雅輝工房」に、事件の体験が綴られています。コメント欄では、「さらに近い現場より」さんもご自分の経験を書き込んでくださいました。また、検索で見つけたのですが、カタ山ペシ郎さんのブログ「カタペシブログ」に、事件の記録があります。以下に主要な記事への直接リンクを張っておきます。

「すごい勢いで~灘雅輝工房」より
  ・秋葉原通り魔事件~12:32事件を目撃した内容 他(6.8.)
  ・秋葉原通り魔事件・・・事件の印象がだいぶ違う 他(6.9.)
  ・秋葉原通り魔事件・・・発砲音がなかったことに・・・(6.12.)
  ・秋葉原通り魔事件~目撃後一週間・・・心になにか・・・(6.14.)

「カタペシブログ」より
  ・秋葉原通り魔殺傷事件でパニック(6.8.)
  ・秋葉原通り魔殺傷事件でパニック(続)(6.9.)
  ・秋葉原通り魔事件:恐怖感と自己嫌悪 他(6.10.)
  ・秋葉原通り魔事件:日本社会の闇と,埋まらない溝(6.12.)

 貴重な証言として読ませていただきました。
 灘雅輝さんのおられた場所は小生たちとは違った場所で、異なった視点からの証言として自分の経験を見直す手がかりとなりました。また、カタ山ペシ郎さんは、交差点南側という小生一行と近い位置におられ、その後の逃げたルートは我々よりも犯人に近い西側だったようです。犯人に近いだけ危険度も高かったわけで、何よりご無事で幸いだったと思います。

 灘雅輝さんは、交差点で警官が刺されたときに、「発砲音が2発ほど聞こえ」たと書かれています。だとすると、小生が聞いた「発砲だ!」との声は、この威嚇射撃のことで、辻褄は合います。しかし、マスコミ報道では威嚇射撃については触れられていません。むしろ、警官が発砲しなかった(犯人を逮捕した警官は確かにそのようです)ことの是非が話題になっているようです。
 銃については、カタ山ペシ郎さんも、「誰かが「銃を持っている」と叫んだ(厳密には叫んだのか,ただそう思って言っただけなのか分からないが)のが聞こえた記憶があります」と書かれ、誰かが何かこれに類することを声に出したことは、確実そうです。

 小生は、灘雅輝さんの仰る「発砲音」を聞いた覚えは無く、誰かの「発砲だ!」との声を聞いて逃げ出しました。しかし逃げつつも内心「でもあの『ドカン!』という音は交通事故のような気がする。発砲音ではないのではないか」などと思っていました。後で古澤書記長たちと無事合流した際、小生は元自衛官の書記長に真っ先に尋ねました。「あれは発砲音か?」書記長は、自分はライフルなら詳しいけど拳銃のことはあまりよく知らない、と断りつつも、「あれは(発砲とは)違う」と答えました。
 もちろん、ここで話していた「音」とは、結果的にはトラックが人をはねた時の音です。つまりそれ以外の発砲音(のような音)を、我々一行は認識していなかったのです。なお、やや話はそれますが、トラックがジグザグ走行して人をはねた、というようには、少なくとも小生のところからは見えませんでした。灘雅輝さんも同様のご指摘をしておられるかと思います。

 また、報道では、犯人が叫び声をあげながら人を刺して回ったといいますが、灘雅輝さんが書かれている通り、小生もそのような音を聞いた覚えはありません。
 音の記憶、というのは視覚以上に曖昧になりやすいものなのでしょうか。

 以上ご紹介させていただきましたお3方は、様々にご自分の行動を省みられ、この事件の衝撃が今なお尾を引いておられるようで、また小生と同道していた古澤書記長がいろいろ書いたりしているのも(書記長は元々気分が乱高下しやすい人だったとは思いますが)、衝撃が影響しているのだと思います。新聞では負傷者・遺族の「心のケア」について警察が積極的に取り組む旨が出ていましたが、こういった方々までは流石に手も回らないでしょうし、ブログなどで書くこと自体が回復の役に立つことを祈るばかりです。
 で、正直に言えば、小生は「心のケア」という言葉が嫌いなのですが、それにしたってフラッシュバックも無ければ夢一つ見ません。もしかして加藤容疑者並みに「心無い」人間なのかと思ったりもしてしまうのですが、或いは防衛機制が強力に働いているだけなのかもしれません。

 さて、小生はこの事件に出遭ってしまって、見たことや思ったことについて幾つか書いてきましたが、一つ書いてなかったことがあります。犯人について、です。

 犯人については、「主観的記録」で書いているように、小生は直接それと認識して見た訳ではありません。ので、直接的に何か感情が湧き上がってくる、という心境には、すぐにはなれません。通り魔の大量殺傷事件でありがちな、「誰でもよかった」という殺人者について考えるとき、そして今回の事件(参照1参照2)でも、小生の頭に真っ先に浮かんだのは、世界の(といっても大部分欧米なのですが)殺人事件の記録を数多集めたサイト「殺人博物館」「マジソンズ博覧会」内コンテンツ)で、カナダの大量殺人犯マルク・レピンについて書かれた記事の冒頭です。
 語りベの立場から云わせていただければ、大量殺人はつまらない。あらすじがいつも同じだからである。ワンパターンなのだ。
 大量殺人者の多くは、己れを「ひとかどの人物」だと信じている。しかし、その実際はちっぽけなゴミなのだ。そのギャップに彼は苦しみ、己れを認めない世間に毒づき、思い知らせてやろうと牙を剥くのだ。それは復讐であり、売名でもある。多くの命と引き換えに彼は歴史に名を残し、己れが「ひとかどの人物」であったことを証明するのだ。だから、彼らについて語ることはそれこそ思う壷なので、出来ることならやめるべきだ。しかし、彼らの惨めな生涯を晒しものにすることで追随者を抑止する効果もあるかと思う。
 これだけは云っておかなければならない。
 殺人者をアイドル視してはならない。彼らはいずれも正視に耐えないほどに惨めな落伍者なのだ。(以下略)
 「誰でもよかった」大量殺人犯どもは、皮肉にも彼ら自身が「誰でもよく」十把一絡げに「大量殺人犯」のタグで括られてしまうのです。

 この例示が不謹慎と思われるのであれば、今さっき検索して見つけたものですが、今回の事件の2月前に、NHKで斉藤環氏が論じた内容をリンクしておきます。

 視点・論点 「誰でもよかった」

 斎藤氏は上掲リンク中で、土浦と岡山の事件を例に引き、
 こうした匿名性という視点からみるとき、「誰でもよかった」という言葉は特別の意味を持つように思います。もちろんそれは、「殺す相手は誰でも良かった」という意味だったでしょう。しかし、本当にそれだけでしょうか。二人の容疑者が偶然にせよ同じ言葉を口にした事実は、この言葉を象徴的なものに変えます。
 私には、この言葉が彼らが自分自身に向けた言葉のようにも聞こえるのです。匿名性の中に埋没しつつあった若者が、「これをするのは自分ではない誰でも良かった」と呟いているように聞こえるのです。
 かつて、若者による動機の不可解な犯罪の多くは、犯罪行為による自分自身の存在証明のように見えました。自分自身の神を作り出したり、犯行声明文を出したりという形で、それは表現されました。
 しかし、今回の二つの犯罪には、もはや殺人によって何ものかであろうとする欲望の気配も感じられません。自分自身の行為すらも、半ばは匿名の社会システムに強いられたものであり、たとえ犯罪を犯しても自分の匿名性は変わらない。そのようなあきらめすら感じられるのです。
 もしかすると、今回の加藤容疑者は、携帯電話の掲示板で犯行予告をしていたということは、「自分自身の存在証明」に対するこだわりはまだ持っていたのかも知れません。
 しかしもちろん、この事件を風化させようというのではないのですが、加藤容疑者の身勝手な存在証明に付き合ってやる謂れはありません。

 この事件に関する社会の対応は、先ず一つが加藤容疑者の不安定な派遣社員とその孤独という方向に関心が向かっており、またもう一つの直接的影響として秋葉原の歩行者天国の中止ということがあります。
 派遣社員の問題、孤独や匿名性の問題、これらは今回の事件があろうとなかろうと問題として存在していたことです(事件2ヶ月前の斎藤氏のコメントは、本件にもある程度適用可能でしょう)。一方、歩行者天国の中止は直接本件に関わることです。歩行者天国の中止自体はパフォーマンスの過激化などで以前から話がなくもなかったのですが、それとこれとは別問題です。興味深いことに、「地元の町会」も、或いは「オタク」の方向の人も、こもごも「近頃の秋葉原の治安悪化」を理由に歩行者天国の中止に賛成している事例を見かけます。思うに「地元」が秋葉原の近況を嘆くのは「オタク」な人の流入による雰囲気の変化にあるようで(NHK番組による)、一方「オタク」は近年の観光地化による非「オタク」の流入を雰囲気の変化を批判しているようです。
 それはともかく、以前からあった問題について、本事件をきっかけに(しかしあくまで「きっかけ」として)考えることに意味はあるだろうと思います。しかし、個別的なこの事件について、その影響を過大にとどめるべきではないと考えます。それこそ、加藤容疑者の「思う壺」になってしまうように思われるのです。

 それほど秋葉原に思い入れがある、というわけでも小生はありませんが、この街の歴史について以前思い付きをちょこっと書いたりしたこともあり、このような経験をしたあとでは、この街に歩行者天国廃止という形で加藤容疑者の爪痕が残ることは、端的に言って腹立たしいことです。この事態の改善のためには、何がしか一臂の力を、とも考えています。そのためもあって書記長の活動は注視しているわけですが。
 これも以前、柴田翔の小説をネタに書いたことがありましたが、秋葉原という街の成り立ちというのはそもそも露天商を鉄道の高架橋の下に押し込んだことに始まったわけで、露天の道路での自主的活動(?)というのはそもそも秋葉原の存在そのものと密接に結びついているのだ、とまあ思ったりもするのです。

 あと一つ、今回報道では比較的「『オタク』の危険な犯罪」というありきたりの図式は少ないように思われたのですが、そんなときにわざわざ宮崎勤の死刑を執行して、90年代初頭のバッシングを想起させるというのは、なんだか陰謀論めいた発想をしたくもなってしまいます。

 ちょこっと書くつもりだったのに、存外長くなりました。時間も掛かって、自分の筆力の低下に憮然とするばかりです。その割にちっともまとまっていません。もともとまとめられるようなことでは、ないのでしょう。
 まだ思うところも、細かい事実関係で書いていないこともありますが、ひとまずこの辺で一区切りとします。最後に、戒めの言葉を引用しておいて。
 私たちの目の前で生じた事件でさえも、私たちがその痕跡からただちにそれらを評価し認識することはほとんど常に不可能である。ましてや未来の事件がどのようなものになるかは、私たちの予想をはるかに絶したことなのである。(ソルジェニーツィン「自伝」)

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by bokukoui | 2008-06-20 18:10 | 時事漫言 | Trackback | Comments(8)

岩手・宮城内陸地震の悲報 岸由一郎さんを悼む

 昨日、東北地方で大きな地震が発生し、大きな被害が生じました。特に山容の大きな変化の映像は、息を呑むばかりでした。亡くなられた方のご冥福と被災地の復興を祈念いたします。

 この震災で厄に遭われた方々について、既に幾つか報道がなされていますが、土砂崩れで押し流された旅館から本日発見された方々の中に、岸由一郎さんのお名前がありました。

 ・読売新聞の記事
 ・朝日新聞の記事

 上にリンクを張ったウィキペディアに略歴がありますが、岸さんはかつて万世橋の交通博物館の学芸員を勤め、その後大宮の鉄道博物館に移られて、開館と運営を担われると同時に地方私鉄の車輌や資料の保存に尽力されていました。今回も、廃止されたくりはら田園鉄道の関係でこの地方に来られて、そして震災に遭われたそうです。

 岸さんには、多少のご縁がありまして、何度かお会いしたことがありました。あまり個人的なことをここで書くことはしませんが、岸さんの師匠である青木栄一先生(『鉄道忌避伝説の謎』著者)には小生も大変お世話になっており、いわば大先輩に当たります。以前、開館前に大宮の鉄道博物館を見せてもらったり出来たのも、岸さんのお蔭が多分にありました。
 先週、都電のイベントをちょこっと覗いた際、行列整理などに駆け回っている岸さんのお姿をお見かけしました。ご挨拶申し上げようかと思いましたが、何しろ人出で応対に忙殺されていたご様子でしたし、小生も時間や同道者の都合などもあってその場をあとにしました。
 一言でも挨拶をすればよかったという後悔で一杯ですが、しかし話などしていたら衝撃がより一層大きくなっていたのかもしれません・・・

 岸さんは学術的な調査研究、実践的な保存活動、交通→鉄道博物館といういわば一般向け啓蒙活動、これらの各分野を連関して行っておられ、どの分野でも成果を挙げておられたと思います。結構こういう研究や活動というのは、各々の分野でタコツボになってしまいがちです。岸さんはそれを股にかけて活躍されていた点で、得がたい人材であったと思います。それだけに、岸さんの急逝が惜しまれてなりません。
 最近の「鉄道ブーム」のようなのに対し、小生のようなどっぷり浸かったマニアはついつい小言オヤジになりがちです(いや、長期的には小言は重要だと思いますよ)。そういう場面で、学者やマニアの蓄積と一般・初心者向けとの橋渡しをする存在は極めて重要で、幸い鉄道博物館は好調でしたし、産業遺産の保存への理解も広がりつつあり、「鉄道ブーム」もまずまず着実に広がって受け入れられていた今こそ、岸さんの存在はより大きな意義を持つはずでした。先日の原田勝正先生のような大御所の方の訃報に続き、このようなことになるとは、なんともやりきれません。

 重ね重ね、大変残念でなりません。日本近代史で鉄道業を扱っている小生としましては、せめてその業績の一端なりとも受け継げるだけの者になれるよう、精進するのみです。それ以上の手向けは多分ないでしょうから。

 それにしても、先週は秋葉原で自分と友人が通り魔に追っかけられ、今週は知人が天災で亡くなり・・・秋葉原の件について続きを、一週間たった今日に何か書くつもりでしたが(秋葉原には行きました)、人の命の儚さを改めて思い知らされ、今日のところはこれにて筆を擱きます。
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by bokukoui | 2008-06-15 23:58 | 鉄道(時事関係) | Trackback | Comments(3)

秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録

 既にマスコミ・ネットなどで広く報知されていることですが、本日秋葉原で通り魔事件がありました。今聞いたところでは、7名の方が亡くなられたとのこと。亡くなった方のご冥福と負傷された方のご快復を心よりお祈り申し上げます。

 さて、何の因果か小生、この現場に居合わせておりました。思うに死んだ人に対し生きている人が出来ることというのは、死んだ人のことを記憶にとどめ忘れない(そして後世に伝える)ことだけであろうと思います。そこでその場に居合わせた者として、そこで自分が見聞きして記憶に残っていることを以下に整理し、事件の記憶をとどめる一助としたく思います。なお、どうしてもこのようなものはマスコミによる報道が「印象」を(その場にいた者にさえ)刻み込んでしまうものですので、小生はまだマスコミ報道に敢えて目を通さず、自分と同行の友人諸氏とが経験したことに基づいて、記録をまとめようと思います。ですので報道と矛盾する部分があるかもしれませんが、ご諒承ください。

 本日正午過ぎ、小生は「革命的非モテ同盟」古澤書記長、めかちゅーん氏、ヨブ氏と秋葉原を散策しておりました。コンピュータの新調のため、とりあえずモノを見に来るついでに友人諸氏と歓談するつもりでした。4人で連れ立って、中央通りの歩行者天国をぶらぶらしておりました。
 以下に手書きの拙いものですが、現場と状況を図にまとめてみました。
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第1図

 現場の見取り図です。12時半ごろ、我々は中央通りを南の方へ向いて歩いていました。
 と、背後で「ドカン」と大きな音がしました。反射的に振り返ると、箱型の荷台の、ニッポンレンタカーのロゴをつけたトラックが猛スピードで西から東へと交差点を走り去っていきました。
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第2図

 第2図中(A)のあたりに、二人の人が倒れているのが見えました。(B)の辺り一帯に、傘や何か自動車のバンパーの破片? らしきものが散乱しており、交通事故だと思いました。「轢逃げだ」という声も上がったように思います。交差点の中には、南から東へ向けて濃紺のワゴン車が右折しようと止まっており(古澤書記長いわく、歩行者天国の範囲内に元々いたのが、ホコ天開始前に出損ねて、この時になってあわてて出ようとしていた様子だったとか)、最初はこのワゴンとトラックが事故を起こしたのかと思いましたが、ワゴンは関係なかったようです。トラックはその先の(C)のあたりに止まったようでした。

 我々は第2図中あたりの位置におりましたが、事故の発生に向きを変えて北側の交差点を見ました。元々人通りの多い場所だけにすぐ人垣が出来ましたが、事故現場は歩行者天国の範囲外の道路部分だったので、人垣はそこにははみ出さず、東西の道路に沿ってできました。負傷者にはそばにいた人が駆けつけ、歩行者天国の警備に当たっていたのでしょう、警察官もすぐ姿を現しました。
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第3図

 どのくらいこの状況が続いたのか、小生の記憶ははっきりしません。ヨブ氏は2分程度だと思う、と言ってましたが、そんな程度だったでしょうか。人垣越しなので状況も余りよく見えなかったのですが、人と人の間から、第3図(D)地点附近で警官がころり、と転倒するのが見えました。事故で倒れた人の姿勢を再現しているような感じでした。
 後で考えれば、その時犯人がトラックから降りてここまでやってきて、警官を刺したということだったのですが、犯人の姿を見た覚えは小生はありません。人垣越しでよく視野に入っていなかったのか、想像も出来ないことだったので認識できなかったのか。

 ここで叫び声があがったように思います。ここの経緯は4人の記憶が一致しないのですが、小生は誰かが「発砲だ!」と叫んで、皆が走って逃げ出したように思います。書記長は「キャー!」と叫び声が上がって逃げ出した、といいます。めかちゅーん氏は特に何か悲鳴や声を聞いた覚えは無く、群集が崩れて逃げ出したのを見て自分も走ったそうです。ヨブ氏は女性が「キャー!」と叫んだので交差点を注目したら、警官が倒れるところだった、といいます。ヨブ氏は警官が刺されるところを見た、と言っておられました。

 とまれ、ここで人垣が崩れて、第3図中赤矢印で示したように群集が一斉に逃げ出しました。人垣は左右に割れて、中央通りの真ん中を走った人は余り多くなかった気がしますが、小生も一緒になって走っていたので良く分かりません。なお我々の脱出経路は第3図中の黒点線の矢印の通りで、書記長とヨブ氏は中央通りをひたすら南に、めかちゅーんさんは途中で第1図中の免税店の中に(「店の中へ逃げろ」という声を聞かれたとか)、小生もその店の角を曲がりました。
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第4図

 曲がったところ(第4図附近)で小生は背後を振り返りましたが、その時第4図中(E)の路地で、警棒を構えた警官がじりじりと何かに向かって矢印方向に進んでいくのが見えました。

 同じく店内から振り返っためかちゅーん氏も、路地の入り口のサトームセン(閉店)側にいた男と、路地の入り口の反対側(南側)の警官が対峙しているのを見たそうです。男は後ずさりしながら路地の奥へ入っていったそうです。

 書記長はもっと南まで走ってから、追ってこない様子なので振り返ったところ、やはり(E)の路地入り口で警官と犯人がナイフと警棒で格闘しつつ、犯人は路地の西方へ移動していったとのことです。こわごわと、群集について書記長もその路地を覗いたところ、2人の方が刺されていたらしい、とのことでした。

 ヨブ氏のご記憶はちょっと異なります。やはり南へと中央通りを走ったヨブ氏、さらに前方の第4図(F)の辺り(ラムタラやアソビットの附近)でも刺されたのか倒れている方がいたので、こっちに犯人がいるのかと危険に思って元の方へ引き返したところ、声がしたのでやはり(E)の路地の方を見たそうです。すると、警官が路地から飛び出してきて「こっち来るな!」と言い、その警官は血が飛び散ったナイフ(ヨブ氏曰く、サバイバルナイフのような感じで、M9バヨネット〔銃剣〕に似た感じだったとのこと)を持っていたそうです。
 時系列と場所からすると、他の3人の記憶と矛盾するようにも思われますが、氏の証言のまま書いておきます。

 小生以外の3人の方は、凶器のナイフを持った「犯人」を目撃されたそうで、その服装はベージュ系の色だったそうです。小生はどうも、そのような人間を見た覚えがありません。事件の意味が分かっていないので、「犯人」と認識できなかったせいなのでしょうか。認識できないものは、たとえ網膜に映っていても、「見る」ことができないのかもしれません。
 ただ、(E)の路地で、警官が警棒を構えつつじりじり前進していく、その背中を確かに見たのですが、その先に、笑いながら手を叩いていた人間を見た気がしてなりません。場所と状況から言えば、これは犯人としか思えませんが、しかし服装は白っぽかった気がします。
 人の記憶とは、必ずしもあてにならないものです。

 犯人らしき人間が路地の奥へと去り、そして「捕まった」という情報が口伝に流れて、気が抜けた空気があたりに流れました。
 この間、およそ10分程だったかと思います。

 パトカーが次々とやってきて、警官が立入禁止のテープを張って中央通りの車道から人々を歩道へと誘導します。ややあって救急車やレスキューもやってきました。我々も無事に再合流を果たし、中央通りの西側の歩道(交差点から少し南)から呆然と状況を眺めていました。救急隊が駆け回り、警察や救急の増援がやってきて、そして報道陣も大勢やってきました。
 我々はそういった状況を見、そして遅れてきた友人たちと合流して起こったことを話したりしていました。それは大して長い時間には感じませんでしたが、気がついたら2時間ほど経っていました。時間の流れは、主観的には決して一様ではないようです。

 考えてみれば、逃げる時の路地が東西逆だったら死傷の可能性もあったわけですが、今思い返してみても特に「怖い」と実感したとか、そのようなことはありません。事態の全容がその近くに居過ぎてかえって分からず、変に生々しい断片を見ていると、ただひたすら「わけが分からない」ような、不条理な感覚がするばかりです。
 その不条理感を克服する為に、この記録を綴ったというわけでもあるのですが。

 現場では、さすが秋葉原というべきか少なからぬ人がカメラを持っていて、カメラが無くても今時カメラつき携帯電話くらい皆持っていて、大勢の人が写真を撮っていました。小生は今日はたまたまカメラを持ち合わせませんでしたし、また写真を撮るというのもあまり適切な行為とも思われず(不謹慎云々という小生らしからぬ殊勝な思いもありますが、そもそも下手に写真を撮っても何がどう起こったのかうまく伝えるのは難しそうで、かえって画像に印象を制約されてしまいそうで)、そこで何が起きたのか振り返ってまとめようと思いました。
 上の4枚の図は、この時現場で書記長・めかちゅーん氏・ヨブ氏の話を聞きつつ自分の見たことをまとめたものを、清書したものです。
 図を描いていたところ、入れ替わり立ち代り話を聞きにきたマスコミの方々が関心を示して(話をする側としても便利ですが)、中には図の写真を撮っていった方も居ました。小生の字は元々ド下手な上に、現場でのメモですから、他の人には読めなくて役に立たなかったでしょうけど・・・。

 うまくまとめられるような話ではありませんが、記録としてはひとまずこれで一区切りとします。
 何かあとで思ったことがあれば新記事を起こすかもしれません。思うことはそれなり以上にありそうですので。

追記(9日未明):今ちょっとネットを巡回したところ、マスコミ関係者が本事件取材中オタクバッシング的な言辞をしていた、という怒りの声が2ちゃん方面で上がっていたようです。小生は多くのテレビ局、幾つかの新聞、若干の雑誌の取材を受けましたが、また一緒に居た3人も取材を受けていましたが(特に古澤書記長とヨブ氏)、その範囲内では特段そういった偏向のある取材を受けた覚えはありません。
 この場に居た人々が、犯人逮捕などの画像をやり取りしていたことへも批判の声が上がっており、確かにその指摘ももっともなところがあるとは思いますが、マスコミの取材の方もひとしきり話を聞くとほぼ全員、「何か画像をお持ちではないですか?」と聞いてきました。しかしそれもまた考えるに、マスコミも視聴者・読者の要望に応える必要性があるゆえのことでしょう。
 有体に言って、必死になって逃げている時に振り向いて写真を撮る命知らずは、居るはずが無かったろうとは思います。

更に追記(20日夕刻):思ったことなど新記事を書きました。まとまっていませんが。
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by bokukoui | 2008-06-08 21:07 | 出来事 | Trackback(4) | Comments(47)

都電(路面電車の日)と日暮里・舎人ライナー

 一応ゼミ報告も昨日一つ終わったことで、今日は久々に少し鉄道趣味的外出。
 今年は新線開通がいくつもあるのですが、その一つに行ってきた次第。ちなみに他の新線はどれも行っておりません・・・自宅近くの横浜市営地下鉄のグリーンラインも。

 というわけで、人に会うついでに、日暮里から出ている新交通システムの日暮里・舎人ライナーに行ってきました。
 ・・・のですが、出かけてからたまたま、都電が「路面電車の日」というイベントをやっていることを知り、急遽寄り道。イベントのせいか満員の電車に揺られて、荒川車庫前に行ってきました。
 行ってみると大変な盛況。最近の「鉄道ブーム」の影響もあるのかもしれませんが、まあ普通に家族連れが多いようです。『ゲゲゲの鬼太郎』関係のイベントのせいか。もちろん鉄道趣味者、鉄道マニア、鉄ヲタなども大勢おりました。頭が薄くでっぷり太った中年男性が、『プリキュア』のキャラクターをプリントしたTシャツを着込んでいる、そんな情景を目にして、今時こんなステロタイプがいるなんて、と驚きました。
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人出いっぱいの荒川車庫

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車庫から電車を出すサービス(上の写真の時から黄色の電車が登場)

 というわけで、出てきた7000形電車を撮影します。
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スノープロウをつけた電車

 この装備は今まで見たことが無かったので、竹箒のささらの方が風情はあるかもしれませんが、これはこれでなかなか面白いものでした。尖った先端部分が中心線から向かって左にずれているのは、都電が複線だからでしょうが、といって線路上の雪を全部左側にどけるようになっているわけでもないところが、不思議なところです。

 ついでに他の展示物・保存車両も駆け足で。
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「和製PCCカー」5501号

 日本唯一のPCCカー(アメリカ発祥の高い加減速度を誇る高性能路面電車)である5501号を見ます。車内はギャラリーになっていて、まあ『always 三丁目の夕日』のポスターとか張ってあるのはちょっと、という気もしましたけど(一枚目の写真右手の似非「レトロ」な電車とかも、どうかなあと思わずにはいられません)。PCCカーは以前アメリカの博物館で実物を見ましたが、日本のは本家と比べると流線型がおとなしいのが日本的というか。日本では結局、事実上これ1輌しか造られませんでしたが。
 そういえばアメリカなどのPCCカーは終点がループ線になっているので、運転台は片方にしかついていませんが、日本のはそうじゃないですね。PCCカーは加減速の高性能が特徴で、片運転台で一方に向いたシート(バスみたいに)にすることで、乗客がひっくり返らないようにしたのだと聞いた覚えがあります。しかし明治以来「東京名物満員電車」の日本では、全員着席前提のそういう運用はできず、高加減速を最大限発揮するのは難しかった・・・とか、そんな話だったかな。
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5501号の運転台

 PCCカーの運転台は、ペダルで操作するのでハンドルの類が無いのが特徴です。これも日本では多分この電車だけ。

 他にもいろいろありましたが、時間の都合もあるので匆々に引き上げざるを得ませんでした。
 というわけで日暮里・舎人線へ。

 日暮里・舎人ライナーは去る3月末に開通した新交通システム(モノレールとは厳密には違う)の路線で、日暮里からまっすぐ北へ、これまで鉄道不毛地帯だった東京北部に延びている路線です。
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日暮里・舎人ライナー 先頭部から対向車を撮る

 この路線は無人運転で、先頭は前を向いた展望の良い席が設けられています。もっともこの席は人気で大体いつも埋まっており、なかなか座る機会はありませんでした(笑)。まあ、それだけ休日でも乗客が多いなら大変結構なことであります。乗客は子供と老人が多かったような印象がありました。
 路線はもちろん全線高架で、沿線に何か目を惹く名所があるわけではありませんが、眺めはよく、ビルの間を通ったり(沿線にはマンションの開発が多く見られた)、既存の鉄道や高速道路と複雑怪奇に立体交差したりと、それなりに楽しめました。
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高速道路を跨いで河を渡る うねる高架橋

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地下車庫への分岐

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なぜか傾いているような枠 看板の設置途中か撤去中か

 終点の見沼代親水公園で降りてみました(上の写真は行きと帰りと両方で撮った写真が混在しています)。親水公園といっても川沿いのささやかなもののようです。
 日暮里・舎人ライナーは目論見があるのか、終点は延長可能な構造になっています。もっともその終端部を下から見上げると・・・。
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妙に不安定そうな印象を受ける終端部

 なんだか柱の上から桁が左右に分かれて落っこちそうな気がしてしまいます。反対側から見ると、左右の桁が繋がれているのがはっきりとわかるので、それほど変な感じはしないのですが。
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日暮里・舎人ライナーの終端部を北から見る

 ちなみにこの終点、本当に東京都の端っこに位置しており、ちょっと北に移動すると埼玉県草加市になります。埼玉まで足を伸ばして、都県境の表示看板を見るとこんな感じ。
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埼玉県から望む見沼代親水公園駅

 というわけで、短いながらそれなりに楽しんできました。距離からすると結構スピーディーな印象でした。ゴムタイヤのおかげで走行音も静かで快適でしたが、ただ何度か、床下からごつんと突き上げるような音と衝撃のする箇所があったのが気になりました。

 久々に目新しいところに出かけて良い気分転換になりましたが、どうも午前中から出かけて活動すると夕方にはすっかり草臥れてしまうようで、早めに引き上げざるを得ませんでした。もうちょっと回復しないといかんと感じます。一日活動して一日寝ている、くらいが現状でしょうか。一頃よりはだいぶマシになりましたが。

 最後におまけ画像。日暮里駅附近にて。
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 この店名センスはなかなか。
 これを見て小生、人民服&人民帽のウェイトレスがサービスする中華料理店を作って、店名を「共匪」にしよう、とか考え・・・脳味噌もまだだいぶ疲れているようです。
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by bokukoui | 2008-06-07 23:50 | 鉄道(現況実見) | Trackback | Comments(3)

諸般不都合

 例によって例の如く体調の思わしくないところに、またもパソコンがネットに繋がらなくなるという怪しからん事態が出来。LANケーブルで憑かれた大学隠棲氏から借用した機械をつないで使っていたのですが、今週はじめに突如繋がらなくなり、今日に至るまで復旧せず。リムネットが6月1日から何かセキュリティ対策を始めた関係かとも思いましたが、考えてみれば月曜日は繋がっていたんだから関係ないか。
 どちらにせよ、借り物の機械は早いとこ返却して、新たな機械を入れることにします。資金の目処も付き、そろそろ機も熟したといえそうなので。

 そんなわけでネットにしばらく繋がらず、各方面に不義理してしまい申し訳ないことでありました。この記事は出先の機械を拝借して書いています。

 体の方もへろへろで、腰が痛いのもコンピュータに向かいにくい一因でもあるのですが、まあ腰の方は多少はマシになったような気もします。
 いろいろ椅子に座ったりして、一番腰にやさしいのは、今のところ多分ドイツ車のシートではないかと思うに至りました。といって、自動車通学したりシートを家の中に設置したりするわけにはいきませんしね・・・。
 イケアにでも行って椅子を見繕ってきますか。
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by bokukoui | 2008-06-06 12:34 | 身辺些事 | Trackback | Comments(3)