<   2008年 08月 ( 13 )   > この月の画像一覧

今日の東急デハ5001号の状況(44)

 急に涼しくなって雨の日が増えたりしておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。小生は、これで昨年のような暑さ負けはしないで済むと思ったら、覿面に風邪を引きました。やはり8月は相性が悪いようです。
 そうはいってもやるべきことは山積で、出かけないわけにも行きません。どうせ出かけるならと、途中渋谷を通った際に、デハ5001号の写真をささっと撮ってきました。

(続きを読む)
[PR]

by bokukoui | 2008-08-27 23:59 | [特設]東急デハ5001号問題 | Trackback | Comments(0)

秋葉原事件と「包摂」につき雑感 或は東浩紀氏に聞きそびれたこと

 グダグダだった「『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』感想」記事の続き(まとめ)、というか、これに関連した諸記事、阿佐ヶ谷ロフトのイベント新宿ロフトプラスワンでのイベントの感想をも含めた一応のまとめとして、最近多少思ったことなど書きたいと思います。

 ところで、いきなり話は逸れるのですが、このブログのアクセス解析を某日ふと辿ってみたところ、ロフトの経営者・平野悠氏のページ掲示板からアクセスがあることが分かり、そして今月1日のロフトプラスワンのイベント「秋葉原通り魔事件 絶望する社会に希望はあるか」について、平野氏の感想が記されていることに気づきました。これが中々興味深い内容で、掲示板の記述というのはリンクもしにくければ消えることも多いので、以下にその大部分を引用紹介させていただきます。同じ文章はこちらの8月5日付け記事にもあります(が、5日付けの記事がえらくいっぱい・・・)。改行は一部改めましたが、その他は原文のままです。
ロフトプラスワン「秋葉原通り魔事件──絶望する社会に希望はあるか」
投稿者:平野悠 投稿日:2008/08/04(Mon) 10:48


一聴衆としての意見を書かして貰います。

・・イライラするだけのライブだったと思ったのは私だけか?

社会学者のおしゃべりになにも持ち帰ることが出来なかったのは私一人か?。

<イベント宣伝コピー>
秋葉原通り魔事件は単なる半狂人による特殊な犯行ではない。宮崎勤幼女殺人事件、オウム事件、酒鬼薔薇事件と続くこの20年の社会の闇の部分── 若者達の不満や怒りを見据えないと、事件の真相は見えてこない。『現実でも一人。ネットでも一人』という絶望的な状況で人は脱社会化するしかないのか?

【出演】宮台真司(社会学者)、東浩紀(哲学者/批評家)、切通理作(評論家)、雨宮処凛(作家)、月乃光司(こわれ者の祭典)、タダフジカ(ギタリスト)、他
【司会】藤井良樹(ルポライター)

一昨日プラスワンに久しぶりに行ってきた。な、なんと場内はソールドアウト。店長の話では200人近い人が入っていると言っていた。

社会問題系、それも夏休みで東京にはドンドン人がいなくなっている、さらには、月初めというのは案外客が入らないのだが・・・テレビの取材が入っていた。

当日私は血圧の調子も悪く、イライラしていたのかも知れないが途中から入って、あまりにもつまらなかったと言うよりひどかったので、途中(休憩中)で帰った。

話は秋葉事件の加藤容疑者の話が中心だった。

宮台慎司、東浩紀と言ったいわゆる社会学者が訳のわからんことしか言っていなかった様に見えた。満員の聴衆の中で私は切れまくっていた。

所詮両学者の自慢話のステージだったなって思った。

なにも私らを説得できていない。学者って私たち頭の悪いものにもちゃんと解るように喋らなければいけないって言うことを解っていないな。

所詮社会学者?なんて、人の個々の弱さとか、苦しさとかはは理解できないらしい。

やたら訳のわからん語彙を使いまくって、さらには「誰々の学説では・・・」と言ってしまう。

秋葉事件を単なるよくある社会現象としてとらえてしまっていた。

やっと社会的に弱い立場の人たちが団結して立ち上がろうとしているのにこの彼らは全くそこに近寄ろうとしない。理解しようとしない。G8の話題すら出てこない。

基本的に現代のグローバリズムな世界を肯定しているのだ。

だから、「ニート問題は解決しません」とか「運動自体は否定しませんが意味がない」「運動では社会は変わらない」と言った発言が出てくることに、私は一人?怒っていた。

赤木論文(希望は戦争)にも「それで赤木君はライターの仕事が成立して良かったじゃないの」には絶句。

東浩紀はなぜかはしゃぎまくっていて実にかっこ悪かった。

まともなのは切通理作さんぐらいだ。

藤井良樹は「この問題は面白いのでもっと続けよう」と場内の空気も読めていないと思った。

さらには憲法改正論者宮台さんの「石原慎太郎のブレーンをやっている。それが私のロビー活動」と言った発言には、もう「こりゃ~ダメだ」と思った。

確かに奴らは学者だから論理ではかなわない。論争を仕掛ける度胸はない。

しかし、彼らが社会学者?の領域に安住しているのを私は見ていた。


だから学者ってダメなんだって35年前の私たちが教授を追求したした事が思い出された。

これならまだ、田原総一朗とか久米宏の方が人間的だ。

ちゃんと両氏を批判するには、当日のテープを聴き直さなければいけないのだが、とにかく私は感情的についていけなかった。

月乃さんが、雨宮さんがどういう反論をするか見ていきたかったが、私はもうこれ以上聞きたくないと思って帰りを急いだ。

せっかくロフトプラスワンに出演していただいたのに、こんな事書くオーナーでした。すみません。出演者のかたがた。
(以下略)
 これを読んで、既に書いたようにこの日のパネルディスカッションを面白いと思っていた小生、当初一読してウムムと唸りましたが(小生もまた、東氏の言う「難しい言葉で救われる人」なのでしょう)、ややあって考えるに、案外これらの発言は繋がっている面もあるのではないかと思うに至りました。

 それは「包摂」と「場」ということです。

 事件について様々な言説があり、更には様々な言説を生んでしまう構造自体を批判するという言説もあったことは、『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』にも明らかな通りです。小生は、元々ある意見を持っている人が、たまたま起こった事件にひきつけて自己の意見を語ることが悪いとは思いません。それを悉く批判しては、何も言えなくなってしまいますので。勿論目に余る場合もあるとは思いますが・・・(上掲書で言えば、リバタリアン蔵氏の書いたものは、アキバの事件がどうあろうと自分の「正論」が正しい、誰が逆らえるのか、などと書いており、いったい誰にどういうつもりで書いているのでしょうか)。
 そう断った上で、このような事件のより少ない世の中になるように、おまじないではない対策としては、やはり宮台真司氏の指摘する「社会的包摂」のある世の中に近づけていく、ということが最も現実的な方法なのだろうと思います。国と個人との間の中間団体というものが、20世紀の日本では解体されていきました。その代わりになるかと思われた企業もバブル崩壊後はそういった余裕をなくしています。そこで、包摂の場を作り直すことが求められるのです。
 と、そこまで考えたときに、小生は阿佐ヶ谷ロフトでの鈴木邦男氏の発言を思い起こしました。宮台氏の示す戦略は有効としても、今すぐ包摂を求める人にとっては十分具体的というわけではありません(他の論者よりは、おおむね具体的ですが。ナイフ規制などおまじない的対策はもちろん除きます)。然るに鈴木氏は、抽象学説抜きで、しかし同じ方向の、極めて具体的な解決策を示しておられました。

 「一水会に入ればいい」

 「包摂」の場を作るということであれば、雨宮処凛氏の運動も、はたまたロフトをこしらえた平野氏も、それほど隔絶したことをやっているわけでもないのではないか、そう感じた次第です。そして戦後日本でのこの最大成功例が、多分創価学会でしょう。
 とまあ、小生とりとめもなく考えているうちに、新宿ロフトプラスワンでのパネルディスカッションの際、最後の質問の時間に言い出そうとしてうまくまとまらなかった、イベント自体は興味深かったけれど引っかかっていた、そんなことがらの全体ではないにせよ切れっぱしを、ようやく掴まえることが出来ました。

 それは、「包摂の場を作るに当たって、ネットの役割果たして如何」ということです。

 新宿ロフトプラスワンの「秋葉原通り魔事件 絶望する社会に希望はあるか」の中で、包摂の場を設けることの重要性については、論者の間で一致が見られています(包摂して「楽しく生きる」事が最重要か、それと社会改革運動とを二正面作戦で行うべきかの点については意見が割れていますが)。ですが、包摂の場とネットの関係については意見が分かれていて、しかも東氏と切通氏との議論が全くかみ合わなかったように思います(レポ(1)末尾参照)。図式的に切り分ければ、ネットで加藤容疑者に救われる可能性があったことを強調するのが東氏、それに疑問を呈するのが切通氏、という構図でしょうか。
 更に図式的なことを続ければ、小生はここでの議論については切通氏の側に近いので、さてこそ表題のように、東氏に包摂の場を作ることとネットとの関係について、より深く聞いてみたいと思うに至った次第です。

 ネットはもっぱら言語によるコミュニケーションツールなので、ただ漠然と「包摂する場」を設けるという点、参加者が「ああ自分はこの場に包摂されているんだなあ」と直接感じるためには、面倒な手段なのではないでしょうか。ネットの場では、ある程度相手を想定して、そちらに繋がる言葉を発しなければなりません。そして発言しなければ場にいると相互に認識できないのですが、これは結構面倒なことです。mixiのコミュニティのように、ただ入るだけで一員になるネットの場もありますが、その程度の場や加入具合で、果たしてどれほどの包摂の効果が生まれるのでしょうか。
 あまりに古典的かもしれませんが、やはり直接会って同じ場所と時間を共有することの方が、場を育てる上では有効だと思います。特に、雨宮氏の活動の中にも「公園呑み」がありましたが、飲み食いを共にするということが一番効果があるんではないかと。なんだか民俗学や人類学みたいな発想ですが。

 話が逸れますが、この点では呑みニュケーション大好きな、「革命的非モテ同盟」の古澤書記長は正しいかも、と思います。何せネット上で書記長が書くことは、しばしば格好つけて理論づけようとしてずっこけているにもかかわらず、書記長が多少の「場」を維持できているのは、デモや呑みなどリアル活動のお蔭に他なりません(このことを本人が一番分かっていそうにないのが笑いのポイントなのですが。書記長は内容証明郵便で探偵事務所に文句をつけたら「はてなブックマーク」がたくさんついたことを未だに自分の活動の最大成果と勘違いしている節があります。テレビにも新聞にもロフトにも出たのに、それよりも! そのことをいくら批判されても全く懲りていないのは、最近になっても「内容証明万歳」などと書いていることからも伺われます。まさに「はてな脳の恐怖」と題して森先生に分析していただく価値があると考えざるを得ません)。場を盛り上げて維持することが大事(「面白くなければ続かない」とは書記長の弁)で、言論の精緻さを上げることは必ずしもそれに優先するものではないのかもしれません。実際、「言論は仲間の結束を高める効果はあっても、反対者を説得する効果は少ない」と、ロフトプラスワンのイベントで論じられていますし。
 ただし、あまりにいい加減では、仲間の団結すら出来なくなってしまいますので、全くどうでもいいというわけではないのは勿論です(ウェルダン穂積氏のデモの失敗は、身内かためすら出来なかったことにあるでしょう)。

 その、イデオロギー闘争は不毛、といった指摘に対し、おそらくこの記事の先頭で引用した文章から察せられるように平野氏は不満と怒りを持っておられるようです。平野氏が政治の季節を乗り越えてこられた方であることを思えばそれもさもありなん、と思いますが、しかし実際のところ、政治運動を起こした諸団体にしたところで、理論ありきで行動していたわけではないのではないかと思います。簡単に言えば、メットかぶってゲバ棒振り回していた人々が、皆マルクス・レーニン思想に通暁していたわけではないだろう、ということです。言論は場を作るための道具として、その効力を発揮するのです(多分、「やまざき」氏が古澤書記長を「ガチ左翼」と勘違いしたのも、言論と場の関係を前者が優先と思っていたからでしょう)。
 結局場を作って人を包摂することが、政治運動においても基本ではないでしょうか。人が集まれば人脈も広がるでしょうし、うまく行けばカネ・モノも集まることもあるでしょう。そうすればロビイングも有効に行えることでしょう。

 例によって長すぎて書いているほうも草臥れてきたのでいいかげん締めにします(いつものことだけど)。折々友人に話していることを文字に起こそうとしただけなのに、何でこんなに面倒なのか。3秒で考えたことを書くのに3時間かかっても終わらないので。質問のある方は電話してください(笑)
 だから、ネットという文字ばかりのメディアによる場の建設は面倒で、多くの人を包摂する場を作るには不適ではないかと、嫌というほど感じたのでした。

 纏めると、場を作って包摂することが大事で、そのアプローチ方法は左右いろいろあるけれど、その際にネットの力は過信しない方がいい(地理的事情などで会いにくい人をフォローする、など使途を明確にすれば便利で有効でしょう)のでは、そんなところです。
 そして付け加えるならば、包摂の際に気をつけるべきことは、何かを排除することによる包摂、ネガティヴ・キャンペーンによる包摂に陥らないようにすることでしょう(言論という面倒な手段に頼らざるを得ないネットでは、最も手軽な言論作成方法であるネガティヴ・キャンペーンがより起こりやすいでしょう)。包摂の境界線はあいまいにしておくに越したことはありません。その方が流動性の高い包摂が可能になります。
 排除やネガティヴ・キャンペーンに陥らない為には、批判よりも自分が幸福になる方法を掲げるべきでしょうが、これはこれで難しいものです。何が幸福かなんて、分かったら苦労しません。それこそ人生かけて考えねばならぬことです。最初から明快なロードマップを示して「幸福」に至る道を示すことはかえって出来ません。だからこそ、先ず場を作ることを重視するべきなのです。
[PR]

by bokukoui | 2008-08-25 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(11)

神保町の変化 「いもや」グループ再編・中山書店閉店セール

 前回のグダグダ記事の続きは近日中。

 今日は所用にて都心に出、神保町にも行きました。
 そんな神保町もいろいろ変化がありまして、幾つか気づいた点を写真入りでご紹介。

 神保町は書店街として有名ですが、割と安くてなかなか旨い食べ物屋さんが多い所でもあります。
 その手のお店のひとつが「いもや」グループでして、ご存知の方も多いと思いますが、天ぷら・天丼・とんかつの専門店が同じ屋号でやっています。どの店も安くてボリュームがあってなかなか旨い、という共通点があり、神保町名物の一つでもあります。またこの「いもや」、店の数が結構多いのも特徴で、3つのメニューの店が2店づつありました。昔はもっと多かったらしいですが。
 で、その中で小生が一番よく行っていたのが、お茶の水小学校のちょっと西側辺りにある、「天丼いもや」でした。ここは天ぷらととんかつの「いもや」も至近にあり、また安いラーメン屋・伊峡もあります。ところが昨年だったでしょうか、天ぷらととんかつの「いもや」が休業して、最近になって完全に閉店してしまったようでした。そして残っていた「天丼いもや」が・・・
f0030574_20374652.jpg
 と、店の名前が「神田天丼家」に変わっておりました。8月1日から変わっていたそうです。
 店の様子も店の人も味も盛りも変わってはいませんで、その点は安心しましたが、お値段が500円から600円に値上がりしておりました。18年間この値段でやっていたそうですが、7月半ばから値上げしたとか。うーむ、諸色値上がりの影響がここにも。ちなみに近所の伊峡も値上げしてたなあ(これは確か3月頃から)・・・安い食べ物屋さんほど、原料値上がりの影響が厳しいんでしょうね。
 なお、「天丼いもや」の、50円増しのご飯中盛・大盛をご飯粒を残さずに食べると普通盛と同じ値段になる、というメニューに書いていないサーヴィスは健在でした。

 話し変わって、書店閉店のニュース。
 すずらん通りの古書店・中山書店が今月末で閉店とのこと。いろいろ扱っていて、これが特徴という分野があったわけではないですが、小生も時々立ち寄ったことがあっただけに、少々寂しくもあります。
f0030574_2165714.jpg
 そんな次第で、閉店セールをやっているのでありました。最初は全品2割引くらいでしたが、その後5割引になり、現在7割引となっております。
 中山書店は、店の奥の平積み台にエロ本をごっそり積んでいたものでしたが、どうもそちらが真っ先にはけたようです(笑)。今日見たらエロ本はほとんど残っていませんでした。ちなみに、秋葉原でエロゲーやエロ同人誌をしこたま売っていることは割と有名ですが、神保町の白山通り沿いに驚くべき高密度でエロ本屋とエロDVD屋があることはあんまり知られていないように思われます。マニア度だけでなくエロ度も、実はアキバより神保町の方が上じゃないでしょうか。

 閑話休題、エロはなくても、岩波文庫はじめ文庫や新書も結構ありますし、文学書や歴史書の硬い本、戦史関係や鉄道雑誌(あ、今日だいぶ荒らされたからもうないかも・笑)、いろいろあります。
 小生も田口卯吉『日本開化小史』だとか、色川大吉『新編明治精神史』だとか、鉄道ピクトリアルの古い阪神特集号だとか、S.E.ラスムッセン『近代ロンドン物語』(田園都市の話がかなり載ってる)だとか、ついでに『サブカルチャー解体神話』も買い込みました。7割引なのでついいろいろと。

 なおこの閉店セール、明日24日日曜日までだそうです。気になる人は急げ。


 おまけ画像。
f0030574_2146319.jpg
 靖国通りの横断歩道(書泉グランデのちょっと東、写真から分かるとおりスターバックスの前附近)の脇の電柱に張ってありました。この写真は横断歩道を渡る時、車道に出て撮ったものです。歩行者からは読みにくい位置だし、ドライバーに読ませるためなのか? でもそれにしては小さすぎるような。
 しかし、字が下手糞ですね。油性マジックで書いてありますが、やはりこういう主張は筆で書いて欲しいところです。

※追記:その後、2011年10月、「神田天丼家」は移転しました。詳細はこちらを。
[PR]

by bokukoui | 2008-08-23 21:09 | 食物 | Trackback | Comments(5)

『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』感想

 「人の噂も七十五日」と申しまして、二月半も経てば一時世間を賑わした話題も忘れ去られるのが通例でありますが、今日はいわゆる「秋葉原通り魔事件」から七十五日に当たります(昔の言葉ですから、事件発生日を一日目として数えるはずなので、今日になると思います)。
 今日はその七十五日目に際し、事件後いち早く出された秋葉原通り魔事件に関する書物を読んでみたいと思います。

 目次は以下の通りです(アマゾンのページのデータ利用。上にリンクを張っておいた肝腎の洋泉社のサイトには目次が載っていませんが、大澤真幸氏の特別寄稿「世界の中心で神を呼ぶ 秋葉原事件を巡って」が掲載されています)。

・Introduction アキバ通り魔事件とは何だったのか!?
・資料1 加藤智大25年の半生・・・栄光の幼少期と苦難の青春期(小林拓矢)
・資料2 「アキバBlog」で読む、凶行前夜の秋葉原で起こっていたこと(geek)

・加藤容疑者を嘲笑う資格が私たちにあるのか!?(赤木智弘)
・あまりに普通の若者のグロテスクな置き土産(雨宮処凛)
・新自由主義時代を象徴する自己チュー殺人(吉田司)
・ひ弱な国のひ弱なK(勢古浩爾)
・教条化する「家庭」、徹底した敗者意識、実在感に満ちた「アキバ」(小浜逸郎)
・マルトリートメント(不適切な養育)が自尊感情の低い子どもを生む(佐久間真弓)
・破滅を目前にした子にシカトされる親とは何なの!?(佐藤幹夫)
・なぜ彼はあれほど顔にこだわったのか(三浦展)
・”思い込み”にさいなまれた若者の悲痛な叫び(斎藤環)
・秋葉原事件と「ゲーム的」現実感覚(東浩紀)
・美しくなんかなくて/優しくもできなくて/それでも呼吸が続くことは許されるだろうか
加藤さんの書き込みが文学的すぎる件(神認定)(鈴木ユーリ)
・【特別対談】事件を起こしたこと意外、ほとんど僕と一緒なんです(本田透×柳下毅一郎)
・突きつけられた「大きな現実」、あるいはポスト・モダン思想の死(吉岡忍)
・それでも言う、加藤の出現をもって格差社会批判をするのは正しい振る舞いか!?(蔵研也)
・社会的包摂の崩壊が「孤独な勘違い」を生む!!(宮台真司)
・犯罪学的に見れば、この事件は一級に凶悪とは言えない(河合幹雄)
・ホラーハウス社会の憂鬱(芹沢一也)
・物語の暴走を招くメディア/メディアの暴走をうながす物語(荻上チキ)
・相互監視・密告社会化するネット社会(小池壮彦)
・一連の報道にはなぜ「トヨタ」という言葉が聞かれなかったのか!?(小林拓矢)
・なぜ秋葉原が犯行の舞台に選ばれたのか(森川嘉一郎)
・犯罪テキスト批評の「様々なる意匠」(浅羽通明)
・直接的にか、間接的にか、あるいは何かを迂回して、「かれ」と出会う(平川克美)
・記号的な殺人と喪の儀礼について(内田樹)


 奥付には2008年8月29日発行とありますが、確か8月1日のロフトプラスワンのイベント「秋葉原通り魔事件──絶望する社会に希望はあるか」の時に、出演者にして執筆者のどなたかが現物を壇上で示された覚えがあります。小生は正直なところ、洋泉社という出版社に対して全く良い感情は抱いていない(鉄道史やってるもので)のですが、しかしことこの場合は読むべきであろうと考えて購入したのでした。

 さて、小生はこういった書籍の感想など書くとえらく長くなってしまって、読む方も書く方も草臥れてしまいます。ですからまずはじめに、短い言葉でまとめを先に書いておくことにします。
 それは、薄いということです。

 何しろ厚みの点ではA5版126ページ(奥付除く)しかなく、そこに26人の論者が犇めいているのですから、濃くなりようがありませんね。はじめに20ページばかり事件のまとめと事件前後の秋葉原の状況についての説明があるので、それを除くと実質100ページで25人が意見を開陳していることになり、一人当たりのページが原稿用紙数枚~十数枚程度になってしまっています。ですから、どうもあらすじかイントロのようになってしまっており、「続きは著書を読んでください」的な感じになってしまっています。それこそ読書ガイド?
 そんな断片が二十いくつも重なっていて、全体のまとまりというものはありません。論者によって見解は全く食い違っています。食い違わせることで何かを描き出そうとか、食い違っている様相に何か見通しを与えようという意図もあまりなさそうです。個々の文章について言えば、勿論小生の抱いた感想として、「これは興味深い」というものあれば「この論者は何が言いたいのだろうか」と首を捻るのもありました。ただ、それを以下に二十いくつも並べたところで面倒なだけなので、全体をまとめてこの本について好意的に考えれば、以前阿佐ヶ谷ロフトで行われた秋葉原の事件に関するトークイベントの感想と同じことが言えるかも知れません。つまり、この混沌ぶりが、秋葉原事件の性格そのものなのではないか、ということです。

 上にも書きましたが、個々の文章に関しては面白いとかそうではないとか、そのような感想はもちろんありますが、それをつらつら書いても長さの割りに面白くはなさそうです。
 小生が、この本の中でどなたの書かれたものが面白かったかを振り返った時、苦笑せざるを得なかったのは、要するに、自分がそれまでその論者の言説にある程度馴染んでいた方の論に対し、「面白い」と思う傾向があったということです(もちろん例外もあります。赤木氏とか)。これはひとつには、限られた紙数の中で述べられたものを読む場合、その論者の他の著作や発言などを知っていれば、それが補足材料となってよりよく読めるからでしょう。宮台真司氏の論に納得したのは(限られた紙数の中に内容を濃く詰め込む点で、氏の技量はもともと大変高水準だと思いますが)、やはり先日のロフトプラスワンのイベントで氏の論を聞いていたからに他ならないでしょう。
 しかし一番大きな要因は、これもまた先日のイベントの話と繋がるのですが、結局言論は人の意見を変えるよりも、人が抱いていた考えを強化する方向に働くものだ、ということになるでしょう。
 結局この本がどのような読者を狙っているのか、よくわからないのですが、いろいろ集めれば自分好みの意見が見つかる、自分好みの意見を読んで自分の物の見方の正統性を確認して安心する、そのような使われ方が多いのかもしれません。・・・ということに近いようなことを書いている論者の方もいたように思います。そして小生自身のこの記事もまた、同様なものなのかもしれません。

 自分でも感想を書いていてどんどん詰まらなくなってきて、筆も進みかねるので、いい加減やめることにします。何がどう詰まらないか分析するのはさらに面倒で、楽しくもありません。
 そこでこの記事はこの辺で打ち切って、せいぜいもう少し小生自身にとって意味のありそうなことを別に書くことにします。つまり起こってしまった事件は如何ともしがたく、世がそれで動揺して頓珍漢な(気休めのおまじないのような)政策や言説が飛び交う状況も直接すぐにはどうしようもなく、しかしそこで「自分は」どうするのかということです。まあ社会的包摂について思ったことを書こうということですが、とりあえずこの記事はここまで。

追記:一応続きとなる記事を書きました。こちら。
[PR]

by bokukoui | 2008-08-21 23:57 | 書物 | Trackback | Comments(0)

へたり中 歴史教育に関するちょっとした話題

 先週末以来、暑さ負けなのか(日曜日は逆に寒かったのですが)、ろくろく動けずにベッドの中で丸まって過ごしておりました。一日18時間睡眠などの今シーズンの記録を打ち立ててしまいました。昨年の状況よりはマシだと思いますが・・・。

 そんなわけで今日も一日寝ていたのですが、夏期講習のバイトがあったため夕方になって起き出して出勤。
 職場でその辺に積んであるプリントをふと見たところ、中学生向けの社会の問題で、「慶安の御触書」を出題しているのがあってちょっと驚きました。なるほど小生も小学生の時分に習い(十数年前の話)、その後大学入試の時は世界史・地理選択だったので出会いませんでしたが、大学に入って「慶安の触書」は現物が見当たらない、類似したものはあったが、江戸時代後半になってから慶安時代に仮託してできたのがいわゆる「慶安の触書」である、と講義で聞いて感心したものでした。地方文書の発掘調査の成果ですね。
 詳しくはこちらの本をご参照ください。
 ちなみに、現在の大学受験の標準である山川の日本史教科書では、「慶安の触書」とは異なる触書を史料として紹介し、欄外の注釈で、この種のものでは「慶安の触書」が有名だったが、近年実在が疑問視されている、と記しています。
 しかし、中学レベルの教材まではまだ浸透していないようで。

 それはそれとして、今日も疲れたのでもう寝ます。
 やることは一杯あるので、寝てばかりもいられません。寝台中で過ごしている間に、ロシアとグルジアが戦争したり、ムシャラフ大統領が辞めちゃったり、世間も騒がしいようですが。
[PR]

by bokukoui | 2008-08-19 23:51 | 歴史雑談 | Trackback(1) | Comments(4)

JR東海が日本車両の株式公開買い付け、子会社化へ

 暑い日が続きますが皆様お変わりないでしょうか。小生は暑さ負けしかかっております。まあ去年よりは何ぼかマシですが。

 さて、今日も今日とて新聞を開きましたところ、表題のごときニュースが。
 プレスリリースは以下のリンク参照。

 JR東海、日本車両と資本業務提携し株式公開買い付けを開始

 新聞報道については、ネット上で見つけたところでは、地元のためか中日新聞が詳しいようです。

 JR東海が日本車両を子会社化 友好的TOB、リニア開発体制固め
 夢実現へ“投資”262億円 JR東海の日本車両子会社化

 後者の記事はかなり詳しいものです。以下に一部抜粋。
 JR東海が15日発表した日本車両製造の子会社化は、2025年の営業開始を目指す“夢の超特急”リニア中央新幹線の実現に向けた布石といえる。民営化後、東海道新幹線を軸に鉄道事業者として安定した基盤を築いた上で、鉄道車両の製造まで手を広げ、従来の鉄道の概念から外れた技術の固まり「リニア」の実用化を加速させる。 (有川正俊)

(中略)

 今回の子会社化は、JR東海が資金力を発揮し、リニア中央新幹線の開発から製造、保守までを自社が担う意思を明確に打ち出した投資となる。松本正之社長が「車両開発を本格的に推進するための技術力強化」と強調するように、JR東海が単独で負担する超電導リニアの事業費5兆1000億円の一部ともとらえられる。

(中略)

 技術的には確立されたリニアとはいえ、実用化をにらんだ車両開発には長期間を要するのは必至で、子会社化した日本車両はその核となる。

 日本車両はJR東海が昨夏から運用を始めた新型新幹線車両「N700系」の開発パートナーで、高い技術力を誇る。「110年の歴史を持つ国内有数メーカー」(松本社長)で、JR側の信頼もゆるぎない。

 JR東海は以前から、社長を日本車両に送り込むなど経営面でも関係は深いが、子会社化を機に、技術本部長をトップに両社でプロジェクトチームも発足させる。リニア実現に向け、リニア事業体としての企業像づくりを進めることになる。

◆日本車両、JR傘下で生き残り

 「われわれ車両メーカーは設計と製造だけだが、提携により開発や保守でも交流ができるようになる」。15日の会見後、日本車両製造の生島勝之社長は、提携のメリットに相乗効果を挙げた。ただ、JR東海の子会社となる背景には、リニアプロジェクトで重要な要素となる車両の製造などで、必要な資金調達を円滑に進めるといった経営面での戦略もみてとれる。

 同社の2008年3月期連結決算は経常損失が18億円、純損失は54億円に上り、経常損益は37年ぶりの赤字化だった。

 JR東海、西日本の新型新幹線車両「N700系」を一挙に3年分受注したため、部品や製造施設などの初期費用がかさんだことが原因だった。

 日本車両は私鉄や国外電鉄の車両製造も手掛けるが、JRへの依存度が高い。

 このため、JRの大きなプロジェクトに参画すれば会社を挙げての事業となり費用も膨らむ。

 JR東海の松本正之社長は「(赤字となった)業績は一時的なもの。今回の提携とは直接かかわりはない」と述べ、提携と日本車両の“救済”とのかかわりを否定。だが、日本車両を子会社化する理由について明確な答えはなかった。

 JR東海が、リニア事業を車両製造まで含め完全に“手綱”を握って進める意向なのは確か。日本車両としては独立色を薄めてもJR東海傘下で事業への参画度を深め、必要な巨額投資でも調達を有利に進める狙いがあるとみられる。(細井卓也)

(後略)

 御興味を持たれた方は是非元の記事をお読みください。

 さて、小生は戦前の鉄道のことばかり最近は調べているので、現在の世界の鉄道情勢にあまり明るくはないのですが、大雑把なイメージでは、世界の鉄道車両メーカーは合併して数を減らして大規模化しているようです。この傾向は鉄道車両製造に限ったことじゃないでしょうが。その中で日本の鉄道車両製造会社は(比較的)小規模で数が多い印象があります。その競い合いが技術の進歩を促進してきた面は勿論ありますが、鉄道技術が成熟した現在では、むしろ欧米の大会社に対して国際競争に不利な面があるようにも思われました。
 最近のJR東日本と関東私鉄各社における標準型車両の導入は、そういった分立傾向を統合に変える意味もあると思われ、まあ各私鉄ごとの車両の個性が減るのは趣味者的には寂しいですが、成熟産業である鉄道の向かうべき方向として、妥当なところと考えられました。

 で、そんな中で、いわば「垂直統合」を図るJR東海の戦略や如何に。上掲新聞記事の「日本車両を子会社化する理由について明確な答えはなかった」という一節が気になります。
 JRが自社の車両製造能力を強化する、という点ではJR東日本の新津工場と形の上では似ているともいえますが、やはり「リニア」という新システムを目指すという点でかなり違っているでしょう。
 日経新聞の記事では、この子会社化を新幹線技術を輸出する構想の布石であると、葛西敬之会長の「リニア新幹線の技術は未来へ無限の可能性を持っている」という言葉を紹介して記していましたが、果たして?
 鉄道車両を国際的に売り込む、という点では未だ海のものとも山のものともつかないリニアが支持を得るには、かなりの時間が必要でしょう(上海のリニア、あまりいい評判を聞きません)。「技術的には確立されたリニア」と中日新聞の記事にありますが、システム全体として確立されたのかは疑問が残ります。リニアが実現すれば、JR東海とその配下の日本車両が技術を独占してウマー、という目論見のようですが、既存の鉄道システムと全く別個のリニアを、現在の高速鉄道システム(多くの国では在来線直通が可能)よりも好んで導入しようとする国や地域は、どれほどあるのでしょうか。

 日本車両の株のうちJR東海が取得するのは過半数の50.1%で、日車の株式上場は維持されるとのこと。これは私鉄などへの納入を続けやすくする意図があるそうです。日車側も、リニアと運命共にするまでのつもりはやはりないでしょうし。でも、日車の上得意にしてJR東海に上がりをだいぶ持っていかれた名鉄、どうすんだろ。

 今後の展開には、気長に注意を払っていきましょう。葛西会長退陣後どうなるか、名古屋財界を支えるトヨタの繁栄も磐石ではなく(GMを販売台数で凌いだのも、GMがトヨタより派手にへこんだだけの話ですし)、2025年まで先は長いですし。
[PR]

by bokukoui | 2008-08-16 23:34 | 鉄道(時事関係) | Trackback | Comments(0)

山之内秀一郎元JR東日本会長死去

 今朝新聞の社会面を見たところ、表題のごときニュースが載っていて驚きました。

 山之内秀一郎氏死去 元JR東日本会長

 8月8日に亡くなられていた由。合掌。

 山之内氏の経歴については、新聞記事よりも Wikipedia の記事の方が詳しいですね。

 国鉄分割民営化の際の活躍で名を知られた山之内氏ですが、(もちろん問題点もあるにせよ)国鉄の民営化が成果を挙げられたのは、国鉄内部に民営化して経営の自由度が増せばやっていける、という意欲を持った人々が大勢いたから、ということは重要な要因と思います。昨今は民営化流行りですが、国鉄を参照例として引用する際には、このことに留意すべきでしょう。
 それにしても、山之内氏が亡くなるとは、国鉄の分割民営化も歴史の域に入り始めたのだなあ、という感を受けました。

 山之内氏の詳しい経歴についてはうろ覚えですが、確か車輌畑の技術者として鉄道で活躍し、その後は宇宙開発事業団→宇宙航空開発機構(JAXA)のトップを勤められました。鉄道技術→宇宙開発という経歴は、新幹線計画の中心として知られる島秀雄と重なるものがあります。
 また、東大鉄道研究会に所属していたと Wikipedia の記事にありますが、確か割と趣味的な本も出されていたかと思います。やはり、「好き」な方だったのでしょうか。そういった人の活力を引き出せるのであれば、改革も民営化もまた良きかな、であります。
[PR]

by bokukoui | 2008-08-14 23:59 | 鉄道(時事関係) | Trackback | Comments(3)

エロマンガのことなど・女性が面白がったエロマンガの一例

 暑さ負けしそうです。去年の状況よりはマシですが・・・それでいていろいろ用事に追われ、なかなか大変です。ちなみに小生、今年に入って使う機械という機械が挙動不審になり、今我が家に残された最後のネット使用可能機械を使ってネットを時々見ていますが、この機械も次第に怪しくなり、IEは始終落ちまくっています。機械も暑さ負けか。

 そんな日々でネットも碌に見ておりませんが、ふと見た有村悠氏のブログの最新の記事に深い感銘を受け、何がしか一筆物したい気分になりました。

 男女でエロマンガについて楽しく語り合うためには

 感銘を受けた点は多岐に渡り、そうそう簡単には書けません。
 勿論至極単純に「面白い」話題ではありますが、多分小生がこの記事を単に「うん、面白い」と読み流さず、ここで一筆ものそうと思ったのは、有村氏の峻厳な態度に感ずるところがあったからだと思っています。何よりこの有村氏の記事中最も衝撃的であろう注釈2の内容については、本文の論旨上は書く必要は必ずしもないはずです。それでもそれを書かなければならない、と有村氏は決断された、そういった自分(の嗜好すること)への厳しさが、読者に(殊に小生のようないい加減な人間に)少なからぬ衝撃を齎すのです。

 ただ、エロマンガの話をする上では、その峻厳さがちょっと話を単純化しすぎてしまっている面もあるかもしれない、とも感じました。
 そりゃあもちろんエロマンガは「男性の場合かなりの割合でオナニーに結びつく」ものですが、といってそれを「バイブやローター」と同じようなオナニーツールと規定してしまうのも厳しすぎやしないかと思うのです。上掲記事のコメント欄で有村氏は、「エロ漫画がポルノグラフィである以上、描線も肉体や表情のデフォルメもコマ割りもネームもシチュエーションも、すべてがエロと緊密に連動している、否、エロのためにこそ存在していると考えるべき」と書かれています。しかし、オナニー用具としては、エロマンガはそもそも、いわば夾雑物が入っているものともいえます。そこが面白いところであり、だから話の種にもなりやすい(少なくともオナホールの話よりかは)となるのではないかと。で、なるほど夾雑物ではあるけれど、案外そっちがエロマンガの「らしさ」を生み出しているとも思われるのです。 
 思うに、その夾雑物のお蔭で、ずばりオナニーの話をすることが恥ずかしかったりしても、間接的な形で話ができるので、かえって話題に性的なことを載せる上ではやりやすいのではないかと思います。有村氏はそれは誤魔化しだ、と仰るかもしれませんが、すべてのコミュニケーションが原理的に突き詰めねばならないものでもないと思うのです(ちょっと大げさな言い方ですが・・・)。
 とまあ多少の文句はつけてみましたが、小生は永山薫氏の『エロマンガ・スタディーズ』の、多分熱心な部類に入る読者だけに(?)、すべてが「エロのために存在」というほど一元的に割り切るのに抵抗感があったもので。それだけ有村氏の姿勢が峻厳なものなのだと思います。

 それはそれとして、以前、「ロリコン」の話題を、雑誌『Alice Club』を題材にして書いたりした小生としては、いわゆる狭義の「ロリコン」と、いわゆる二次元で「ロリ」云々というのとは、結構断絶があるんではないかと漠然と思っていました。それだけに有村氏の「性癖」については、一度お会いしてお話を伺ってみたいとも感じた次第。

 最後に、有村氏の記事にコメントするだけというのも偉そうなので、個人的経験をば。
 ずいぶん以前のことですが、小生に「エロマンガなるモノを見たいぞよ」と仰った女性がおられましたので、小生蔵書中から比較的とっつきやすそうなのを数点選んでお目にかけたことがあります。その時のラインナップは、確か加賀美ふみを・町田ひらくあたりを中心に、田沼雄一郎『SEASON』とか、長月みそか『あ でい いん ざ らいふ』とかLO系若干、無難そうなホットミルク系、参考までにカマヤン先生あたりも出しておきました。流石に、もりしげだの氏賀Y太だの栗田勇午だのは出しませんでした(苦笑)。基本的には絵が可愛いことを基準に選んだ覚えがあります。
 で、一番好評を博し、彼女が借りて持って帰っていったのは、ぢたま某『気分2』『気分22』でありました。主人公の奈美ちゃんの一途さが魅力的、とのことで。なるほど、女性視点からのそういう読みもあるんですね。
 なお、『気分2』シリーズを女性に見せても、ぢたま某先生最高傑作といえど『聖なる行水』は、目に付かないところに仕舞い込んでおいたことは言うまでもありません。
[PR]

by bokukoui | 2008-08-13 23:56 | 漫画 | Trackback | Comments(8)

今更ながら『月刊COMICリュウ』9月号雑感

 ゴタゴタ忙しくしたり、暑さでのびたりしているうちに、気がつけば八月も十日を過ぎていました。
 で、ふと思い出したのですが、先月「『月刊COMICリュウ』10ヶ月分まとめて感想」なんて記事を書いたあと、19日にナヲコ先生の単行本共々『月刊COMICリュウ』の9月号を買って読んだのに感想を書いていませんでしたね。折角カテゴリ作ったのにこれはいけません。そこで・・・と思ったのですが、その後少々考えた結果、カテゴリよりタグの方が記事一覧が出てくる分使い勝手がよいのではないかと考え、タグに切り替えることにしました。ついでに、という言い方もなんですが、「ナヲコ」先生のタグも作りました。ナヲコ先生の単行本も勿論読んだ以上は感想を書くべきなのですが、それはかえって非常に難しいことなので、いつか精神的余裕が出来たとき、ということで。

 ところで先日友人に、「お前のブログは長すぎるから読む人が少ないんだ」と言われたので、その友人に学んで極力短く書くように、今回はやってみましょう。かえって難しいんですけど。

・ナヲコ「なずなのねいろ」
 なずなの秘密がいよいよ明らかに・・・なるのは次号のようです。ブリキの太鼓ならぬ三味線、なんて想像が(三味線を自作した場合、皮は何が使いやすいでしょう? 近所の猫をアレするわけにはいかなさそうで)。
 回想シーンでわずかに登場するなずなのお母さんの表情と台詞(の沈黙)が、印象に残りました。

・神楽坂淳/伊藤伸平「大正野球娘。」
 初回巻頭カラー。初回ということで何か違う方向にはっちゃけていますが、次回はちゃんと野球するそうです(笑)。セーラー服は最初体操着的に導入されたようなので、セーラーと袴が混在しているのはなかなか宜しいことと思います。

・安永航一郎「青空にとおく酒浸り」
 いつもにもまして濃いめ。徳間の雑誌で「崖の上の放尿(ホニョ) もらさなくてよかった」という小ネタも冴えてますが、やはりアレなおっさんキャラがこの作品の愉しみ。今回のメインゲストキャラである「国恥記念日」と大書したパンツをはいたおっさんも強烈。今回限りにするのは勿体ない。

・宮部みゆき/中平正彦「ドリームバスター」
 『リュウ』を1年近く読み続けて、やっと本作の作品世界を少しは掴めるようになったかも。新展開で久しぶりのリエコ登場も、成長しているようで成長していない、人に期待されるということに舞い上がってしまう、そんなところに胸が痛みます。

・西川魯介「ヴンダーカンマー」
 ますますシリアス路線に転換し、今回はコメディ要素なし。それはそれとして、カッセ少尉のかぶっている鉄兜はちょっと欲しい。あの石炭バケツ形ヘルメットに「安全第一」と書いてあるのですが、緑十字のところが鉄十字(パテ十字)になっているのです。

・いけ「ねこむすめ道草日記」
 男の子たちの可愛いらしさもまたよし。小生ショタのたしなみはありませんけど。

・あさりよしとお/鶴田謙二/たまきひさお/加藤直之「追悼野田昌宏」
 SFにはとんと疎い小生ではありますが、野田氏のお名前は聞いたことがありました。SF売り場の「近辺」は結構うろうろしてましたから。パイオニアの方が74歳ということは、斯界も成熟したのだとも捉えられましょう。
 ところで鶴田先生、『エマノン』の続きは如何相成ったのでしょうか?

・アサミ・マート「木造迷宮」
 対抗心を燃やすヤイさんの表情が素晴らしいです。幼時のヤイさんの絵も二コマとけちらずに描かれるのを希望。
 結局このような表情を引き立てるには、道具立てはありきたりであることがむしろ望ましいのかも知れません。しかしけん玉の資料を捜す前に、家屋に関する資料を・・・(まだ根に持ってる) 

・魔夜峰央「クレプスキュール」
 毎度思うのですが、笑うシーンとシリアスなシーンとの配分や構成が絶妙なんだなーと感心。ところで次回も掲載なのは嬉しいのですが、もしかして終わり? と心配の方が先に立ってしまいます。

・永井朋裕「うちんちゅ!」
 宇宙人との異世界遭遇を織り込んだホームコメディ、と思っていましたが、実は男オタクの妄想をもっとも煮詰めたという点では本誌随一の危険なマンガかも知れません。

・坂木原レム「フルイドラット」
 ミズキさんの飾らない「色気」と、アイドルの人工的な「かわいさ」との対比に感心。

・五十嵐浩一「REVIVE!」
 秋葉原通り魔事件を早速作品中に取り込んでいます。7月19日発売の雑誌のマンガで間に合うものなんですね。
 このマンガ、一話一話は結構面白いんですけど、連載としては話がどっちに向かっているのか時々分からなくなります。一話完結って訳じゃなさそうだし。

・たまきひさお「トランス・ヴィーナス」
 別に何か特定の作品を指して言っているわけではないつもりですが、作者が一人疾走してしまっていて、読者は呆然と口を開けたままその走っていく様子を眺めているだけ、なんて漫画が折々ありませんか。長期連載を途中から読んだりしたときはやむを得ない面もありますが、初回から読んでも時としてあるのではないかと思います。
 なんて話をしたのは本作がそうだと言いたいのではなく、全く逆で、一読即引っ張り込まれる、そのスピード感がたまらないと感じた次第。
 ところで作者の方の名前に見覚えがあったのですが、やっとさっき園田健一『GUN SMITH CATS』のアシスタントだったと思い出しました。久しぶりにガンスミを引っ張り出して、あとがきコーナーの田巻氏の絵を見ると、ソノケンがこう注釈していました。
 「彼は“雑誌ブレイカー”らしい」
 ・・・『リュウ』は大丈夫だよね?

・速水螺旋人「螺子の囁き」
 今回のお題は「コングリーヴロケット」。ナポレオン戦争の頃イギリス軍が使っていたロケット兵器ですね。小生はどっちかというと「コングレーヴロケット」だと思ってました。
 で、このロケットはまあそれなりに有名と思うのですが、今回のこのコラムの目玉はむしろ、コングリーヴロケットのモデルになったインドのマイソール王国のロケット。これは見たことがなかった。安定棒が竹だったんですね。竹の棒に黒色火薬を詰めた木筒をくっつけた、ロケット花火の親玉というわけ。
 同じ時代の日本では、黒色火薬の扱い自体は慣れていたし、竹の工作もお手の物だったのに、こういうものは開発しませんでした。やはり平和が何より。
 ところでこのロケット、運動エネルギーで対象を破壊するというより放火用だったんでしょうか。ウェリントンはロケット兵器を好まず、都市を焼き払うくらいにしか使えないが幸い使う機会がない、とか言ってたと何かで読んだ覚えが。といって推進薬と炸薬を別にするほど凝っていたのか、機会があれば調べてみよう。

※追記:炸薬の話ではないですが、ロケットの余談はこちら参照。

・読者返信用はがき
 今月はちゃんと「螺子の囁き」になってました(笑)

 さて、まだまだ触れたいことはあれど、やはり短く書くことは難しいなあということに気付いたもので、今月分はこの辺で。畏友の境地に達するのは、小生には難しそうです。
 なお、来月号と同時に『とりから往復書簡』の単行本が出るそうで、これは買うかも。
[PR]

by bokukoui | 2008-08-11 23:59 | 漫画 | Trackback | Comments(4)

ドイツ軍「暗黒の日」90周年に寄せて速水螺旋人氏の話など

このいくさ 負けだとエーリヒが言ったから 8月8日は暗黒の日
ウィリー

 時は今から90年前の1918年8月8日。折りしも4年目に突入した第1次世界大戦の西部戦線はアミアン南方で、連合軍(協商軍)はドイツ軍に対し戦車を押し立てて攻撃を開始しました。ドイツ軍は大損害を被って退却しましたが、連合軍側も当時の戦車の信頼性がすこぶる低かったために攻勢はすぐ鈍り、ドイツ軍は戦線を再建します。しかし、ドイツを事実上仕切っていた参謀次長のエーリヒ・ルーデンドルフの精神が参ってしまい、以後ドイツ軍は連合軍に主導権を奪われて押される一方となり、そのまま11月の休戦に至ります。
 第1次大戦に詳しいT.S.レイサー氏の記すところによると、
 戦後、ルーデンドルフは書いている。「八月八日はドイツ軍にとって暗黒の日であった」。この日、ドイツ軍は大損害を被ったが、回復可能な程度の損害だった。しかしルーデンドルフは回復しなかった。逆境にあって性格の最悪の部分が出、ヒステリー性の麻痺に襲われた。部分的勝利に満足できなかったルーデンドルフだが、部分的敗北を補う行動を、何一つ考えることはできなかった。以後終戦までドイツ軍は行動指針を失い、単に起こったことに対応するしかできなくなった。
(訳:桂令夫・斎藤通彦)
 「ドイツ軍暗黒の日」というのは、戦後ルーデンドルフらが主張した「ドイツ軍は戦場では敗れなかったが、国内の自由主義者とユダヤ人による、背後からの匕首に刺された」という神話の一環をなすものではあるようですが、これ以後ドイツ軍の前線でも厭戦気分が広く蔓延した、ということは何かの本で読んだ覚えがあります(レン・デイトンだっけかな?)。

 さて、上記のT.S.レイサーの記事は、『コマンドマガジン日本版』というボードゲーム雑誌の1996年4月発行の通巻8号から引用したものです。第1次大戦の本なら拙宅にリデル・ハートもA.J.P.テイラーもありますが、敢えてこんな趣味的雑誌から引用したのは、部屋がカオスでハートとテイラーが行方不明・・・ということもないではないですが、この雑誌は、今年出した初単行本『速水螺旋人の馬車馬大作戦』が大好評な(当ブログでも記事書きましたが)速水螺旋人先生の、多分商業誌初出誌じゃないかと思うんですよね。
 『速水螺旋人の馬車馬大作戦』173ページの年表によると、1996年の項に「速水青年、ウォーゲーム誌『コマンドマガジン(日本語版)』(国債通信社)においてコラムの執筆を開始。同誌付録ウォーゲーム『1918 Storm in the West』に出会い、本作は最も愛するウォーゲームの一つとなる」とあり、それまでは投稿しかしていないようなので、この号で始まったイラストコラム「弾丸通信」が、おそらくそうなんじゃないかと。
 ちなみに描かれているのは、ドイツ軍戦車・A7Vと、当時の軍服姿の女の子と、隅っこにイギリス軍鉄兜姿の自画像? と、そして余白を埋め尽くす薀蓄と趣味の文字。基本形は変わってないですね。ただ絵の感じについては、概して線の細い気がします。
 この「弾丸通信」は『速水螺旋人の馬車馬大作戦』には収録されていないので、一つスキャンして・・・とも思いましたが、まあ速水氏が載せたくなかったのにはそれなりの理由もあろうし、著作権の問題も考え、速水氏の自画像部分だけちょこっと引用。
f0030574_2336479.jpg
 「NHKの映像の世紀が面白かったぞ」というあたりに時代を感じます。この番組では、第2次大戦の回より、1次大戦の回の方が衝撃的で面白かったのを覚えています。シェル・ショックで飛び跳ねる人、そしてラストシーンが見渡す限りの兵士の墓標で、戦争のむなしさを痛感させられました(ことに『機関銃の社会史』を読んでいたので)。

 さて、この雑誌の付録で速水螺旋人氏も愛するというゲーム『1918』の話は、ずいぶん前にこのブログで取り上げました。プレイした者は誰もが認める傑作でありながら、お題が1次大戦というだけで売れ残り、噂では編集者が追われたという曰くつき。
 で、この噂の真偽については小生それ以上の根拠を持ちませんが(編集者が変わっているのは事実)、その元編集者氏の出したウォーゲームの同人誌を、小生持っております。何でそれを持っているのかというと、これは今から十年近く前のコミケで、当時問題になっていた、いわゆる「児童ポルノ法」の制定と表現の規制を巡って、積極的に活動しておられたカマヤン先生のブースにそれに関する同人誌を買いに行ったら、一緒に並んでいたので買った次第。つまり、元編集者氏とカマヤン先生は、当時ともに児ポ法反対運動に関わっておられたのです。今は知りませんが。

 そして十年近い時が過ぎ、カマヤン先生は漫画界から距離を置かれ、速水螺旋人氏の活躍は広がり、『1918』は再評価され、そして児ポ法改正の季節がまたやってきました。「改正」にかこつけて表現規制をするという政治勢力が蠢動していることは、このブログでも既に報じました。今も無体な表現規制に反対する運動は続けられており、この夏ではコミケはじめいくつもの即売会で、また専門書店などでも、反対署名の用紙配布が行われます(即売会では受付も)。
 詳細はこちらのサイトをご参照ください。

 創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志

 カマヤン先生は今も尚このような運動に関わっておられる由ですが、十年以上前からずっと運動している人は有体に言って少ないようです。それはこの運動が労多くして益少ないものであること、しばしば誤解や中傷があり、更には運動の内紛を招いてきたこと、また同じことが繰り返されるのでうんざりしてしまうこと(知識人の発言が今回少ないのはそのためもあるようです)、そういった困難があるようです。
 しかし、そもそも性格からいって困難の多いこのような運動で大事なことは、それこそルーデンドルフのように全面的勝利が得られないからといって精神的に挫折するのではなく、あきらめずに起こった出来事に対処し、イニシアティヴを失わないことであろうと思います。

 話が例によってとっ散らかりましたが、何とか元に戻ってきたということで。
 末筆ながら、署名へのご協力をお願い申し上げます。
[PR]

by bokukoui | 2008-08-08 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(2)