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古澤克大プロデュース 「革命的非モテ同盟~プリン体増殖ドクトリン」

 このブログでは、表題を一行で収めるようにしているので(ブラウザによってははみ出ている場合もあるかも知れませんが)、これ以上表題を長くできませんが、もしきちんと記事の表題をつけるなら、「古澤克大プロデュース 『革命的非モテ同盟~プリン体増殖ドクトリン』見物雑記~両毛線が20分ヘッドだったら赤木智弘氏は幸せになれたか」あたりにしていたと思います。
 というわけで、本記事は Asagaya/Loft A で去る29日行われた、革命的非モテ同盟・古澤克大書記長によるイベントについての記録みたいな何かです。イベントの概要について、書記長のブログから引用しておきましょう。
古澤克大プロデュース
「革命的非モテ同盟~プリン体増殖ドクトリン」
出演
赤木智弘(フリーライター)
増山麗奈(画家)
昼間たかし(ジャーナリスト)
大塚麻恵(女優)
増田俊樹(映画監督)
古澤克大(プリン体27)

概要
あの革命的非モテ同盟による香ばしいニュース群のスピードメニュー化。
女優、言論人、映画人、アーティストが正月ボケに鉄槌を下す!!

非モテについてかなりガチでトークバトルをする予定です。すごい濃厚な時間にしたいと思いますのでぜひお越し下さい。!!
 読んでみても何だかよく分からないイベントではありますが、まあ訳の分からない、内容がありそうでないようなスローガンの作成は古澤書記長の得意とするところですので、奇異とするには当たらないかも知れません。小生は書記長に前々日、急遽電話で呼び出され、ものすごく用事が立て込んでいたのですが、やむなく駆けつけました。なにせ書記長、このイベントについて、友人に対しても前々日にしか連絡せず、あまつさえ自分のブログに記事を立てたのも同じ日で・・・この不手際の理由は、この記事の最後で明らかにします。

 とまれ、木曜日の阿佐ヶ谷ロフトAには、このような看板が立っておりました。
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阿佐ヶ谷ロフトAのこの日の看板

 ところで「プリン体増殖ドクトリン」とは何ぞやと書記長に問うたところ、「飲みながら打ち合わせていていて、『プリン体』って何か怪しい響きだよね~、と決まり、その後話が逸れて『ロシア軍のドクトリンは・・・』とミリタリー話を始めたら、ドクトリンというのがかっこよさげと言われて決めた」らしいです。大体書記長が碌でもないことをやらかすのは、飲み会の勢いで決めたことが多いような気がしますが・・・一昨年の「アキバ解放デモ」とか。まあ書記長は確かにビールがお好きですし、それを評してラーゲリ緒方氏(革非同機関誌『KAMPANIA Vol.1』の Cauchy緒方氏)曰く「書記長は重ビール主義者だ」と言っていたくらいなので、それはそれでいいのかも知れませんが、「非モテ」とは関係ないし、大体この日の話にも関係がなかったような。

 で、今日の本題の話ですが、この集まった面々がどういう繋がりかといいますと、元々去年増田監督がプロデューサーを務めた映画「窓辺のほんきーとーく」のトークショー「ロスジェネ世代の愛と性を探る」に、昼間氏の司会のもと赤木・増山両氏が呼ばれ、そこでの議論が白熱して到底時間内に収まらず、その続きをやろうという企画が元々あったそうです。
 ここに書記長がどう関係するかという話ですが、元々いろいろ知り合いだったにせよ、確か映画にエキストラで出てたんだったけ? 昨年末にコミケで、革非同のブースにて女優の大塚麻恵さんが、「メイド服」(絶対領域有)で売り子をして下さったのも、この縁だったかと思います。ちなみにその時、ブースで売り子をする大塚さんと書記長の様子を、携帯電話で撮影している胡乱な中年男がおり、さては「ヲチャ」かと思ったら増田監督だった、なんてことがあったとか。
 というわけで、今日の企画は、まず赤木←→増山の対立軸があって、赤木側に古澤書記長、増山側に昼間氏が加わって議論を進め、第2部からは増田監督と大塚さんも加わるという展開の予定だったようです。赤木・増山両氏のこの席へ臨む意図は、それぞれのブログにありますのでそちらをご参照ください・・・と思いましたが、そんなに長くもないので引用させていただきます。
○赤木氏
 以前にのトークショーで不完全燃焼に終わった増山さんとの対談が再び。
 私がどんなことを言うかといえば、多分「お金がなければ恋愛はできない」ということを言います。結論だけを言ってしまうと、資本主義社会においては「お金=社会性」だからです。
 まぁ、そんな感じで。
(引用註:原文ママ)
○増山さん
赤木智弘さんとマジバトルをする予定です。
モタざるものモテるものも助け合える世界をつくれんもんかなー。
というかみんなメディアのモテル モテない報道にだまされ過ぎ!
良いじゃないか,モテなくて!というある種の覚悟は素晴らしいのだが、
別に女に持てる為にあの手この手を尽くして行く必要もないのだが、
正社員や家族の居る人を憎むっていうのは、どうかと。
確かに正社員の連合が御手洗なんかとつるんで「ワークシェアリングは安易な賃下げでは・・」と言ってるのを聞くと、確かに赤木さんの言う事も納得するけれど。
あー論理的に攻撃されそうだから、もう少しいろいろ調べて明日闘えるようにしておこう。
私は赤木さんのエッセイとか鋭くて好きな部分もあるけど、
未だに「希望は戦争(男が重宝されるから)」なんて
容認できないよね。イヤだよ戦争は!
 今回は、上でも書きましたが、書記長自身によるネット上の宣伝が行き届いていたとは言えず、開演時に集まっていた聴衆は20人かそこらだったでしょうか。聴衆の中には書記長のデモでもお馴染みの Gonzalezさんが開演前に駆けつけておられ、面白い画像を見せていただきました。youtubeにでもアップされればまた取り上げたいと思います。結局、延べ人数で来場者は四十数人程度だったようです。結構顔見知りが多かったような気がします。

 さてさて、では議論の中身本体はどうなったのでしょうか。
 先に結論を書けば、議論はあっちこっちに拡散しまくってまとめるのがなかなか困難(特に第2部が)でした。しかしそれは必ずしも悪いことではなく、「モテない僻み」で一蹴されがちな「非モテ」が、話の持って行き方次第では僻み以上の話にはなるということでもあります(革非同の同人誌『KAMPANIA』に赤木氏が寄稿された内容も、それに通じることでした)。ただ、そこをどう話を延ばしていくか、というところで、そこはあらかじめ決めていなかったのか、やはり責任は書記長に帰せられるところがあるんじゃないかと思います。
 というわけで、今回のレポは従来のような逐語的なものではなく、大雑把に議論の構図のうち思い出せることのみを略述するという形にとどめさせていただきます。第1部の一部トピックについては、比較的議論の筋が明確(論者が事前に準備していたのでしょう)なので、そこはある程度細かく書きますが、全部をその調子で書けるほど記録もないし、土台手間もかかるので、その辺ご諒承下さい。
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出演者一同(第2部開始時の様子)
左から古澤、増山、赤木、大塚、増田、昼間の諸氏(敬称略)

 まずは第1部、最初は「モテと貧乏」という流れで、自動車の話が。これは以前のトークショーで、赤木氏が「車がないとモテない」という発言をしたのがきっかけだったそうです。

赤木氏「車がないとモテないというのは、高級車とかではなく、車がないと人間としての生活が出来ないという地方の問題。自分は実家暮らしの時自転車に乗っていたが、それでは知り合いと会うことも出来ないし、ロードサードの店舗に買い物に行くのも不便」
 ここで客席から Gonzalezさんが手を挙げて発言、「自分は赤木さんの住んでいた佐野の隣の足利出身だが、あの辺では車がなくて平日の昼間に男が自転車に乗っていると、まず不審者かキチガイ扱いされる」

 「モテ」の象徴になるように、夢やあこがれの対象だった性格と、すっかり普及してそれが前提となってしまった性格(特に地方で)と、今の自動車はその二面性を持っています。前車を運転することは快楽ですが、後者を運転することは苦役でしかありません。「非モテ」を論じるのに往々空論的な話になってしまいがちな傾向がありますので、こういう物的な話はそれより意味がありますし、話が広く発展していくきっかけにもなります。小生も車と「モテ非モテ」の関係については、ブログで書いたりしたこともありました。

 ですが、その後壇上の議論は以下のような経緯を辿りました。
増山さん「車がないといけない、金がかかるというけど、いくらいる?」
赤木氏「車持ったことないから知らない」
 ここで書記長が「買うのに百何十万、維持費が年間数十万」と発言し、いや中古の軽ならそんなにかからん、書記長は何の話をしているのだと突っ込まれ(どうも5ナンバーの新車くらいのつもりらしい)、しまいに革非同公用車のベンツ話に逸れていきました。
「(北関東のような所では)車がないと社会に入れない。自分のように一度上京してしまうと、地域との縁が切れてしまう」
 という、赤木氏の重要な指摘もあったのですが。

 話を戻そうと昼間氏、「『非モテ』といって女の子の注目を集めたいのか?」と、質問を振り、赤木氏「古澤氏は知らんが自分はそんなことはない」と切り返します。
増山さん「赤木氏は地元で学校に通っていた頃、モテたいとは思わなかったのか」
赤木氏「そんな余裕はない、家で悩んでいるので精一杯」
昼間氏「でも東京に出たら変わりませんか」
赤木氏「変わる。自分も一時は彼女がいた」
 赤木氏の彼女についてはこれ以上追求はされませんでしたが、
「自分は『非モテ』とは一度も言ったことことはない。車云々は一般論」
 つまり、自分は「非モテ」ではないと言いたかったようです。で、赤木氏のこの自己認識のお陰か、このイベントの当初の構図自体があとでひっくりかえってしまうのですが・・・

 この後増山さんが、赤木氏が唱える承認の問題について問い、赤木氏は現在の地位を得て、最近東京にも出てきて、人とコミュニケーションできるようになった、佐野にいてはダメだったと語ります。
昼間氏「では丸山真男をひっぱたくより、地方の男に『東京に出ろ』と言うことではないか」
 これに対し増山さんが、東京一極集中がこれ以上進むのも問題だし、これからは地方で農業なんてことも、という意見を述べたところに、古澤書記長が地方の保守性を指摘したり、なんて一幕も。

 次いで、赤木氏の「恋愛も経済問題だと思う」という発言から増山さんと議論が。
 それに対し増山さんが「生活にお金はいるが、恋愛で大事なのは心を開くこと。赤木さんは、あれで恋愛できない、これで恋愛できないと言ってばかり。仮性包茎みたい。ムケないと」
 そして、二人で暮らした方が生活費は安上がりだから貧乏人こそ恋愛すべきである、と語る増山さんに対し、赤木氏は別れた時のリスクが高い、ネットで人を探して契約してルームシェアする方が安全であると主張、増山さんに「考えすぎ」と突っ込まれていました。
増山さん「赤木さんはどれくらいなら恋愛できるのか」
赤木氏「普通の生活をしていること。車を持って貧困ではない、年収200万以上くらい。子供が出来ることも考えると、先の見通しがないと。だからセーフティネットが必要」

 この辺から話は「非モテ」に戻ってきます。
増山さん「非モテの、恋愛の土俵から降りる、というのは賛成。芸能人のニュース的な『レンアイ』より、ダイレクトに生きたい。そこは賛成するが、その後の目標は?」
赤木氏「自分も非モテが何を目指すのか分からない」
 赤木←→増山が対立軸の筈だったのに、両氏が一致して古澤書記長に向かいます。
書記長「独身寮と共済組合」
 会場、ややがっくり感が。

 それから増山さんが書記長に「モテのルールに囚われすぎている」とお説教し、「見た目ばかりで判断するのはダメ」と反論する書記長に、「それは常識的な身だしなみで、人を外見で云々以前の問題」とぴしゃり。(小生のメモに「鼻毛の話」という謎の言葉が記されているのですが、はて何だったっけか?)
 更に赤木氏も書記長に対し、「何故非モテの人は、モテたいのかどうかと聞くと『モテたくはないけど・・・』と言いよどむのか」と迫ります。言い淀む書記長。
 かくて、当初の古澤=赤木vs.増山=昼間の構図は、古澤vs.赤木=増山=昼間になってしまい、書記長は集中砲火を浴びるのでした。
 昼間氏これを評し「赤木氏は男にモテるが、古澤氏は・・・?」と発言。
 私見では、書記長もやはり「モテ」ていると思います。突っ込みを入れずにはいられなくなるという形で。

 第1部の最後に、赤木氏が再度恋愛と経済の関係を提起します。増山さんの生活もお金があるから成り立っていると発言。
増山さん「すべて金に換算するのは(赤木氏の)悪い癖。一番大事なのは人間関係。年越し派遣村の人にも何人か取材したが、やはり人間関係が切れて落ち込んでいっている。
 だらしない人というのは一定数いる。そういう人を受け入れるキャパシティがコミュニティにあったが、それが失われた」
 繋がりを重視する増山さんに対し、「非モテ」(非コミュに近い)側から反発が。
古澤書記長「コミュニケーション能力がないからハブられて死ね、というのは新自由主義と同じ」
赤木氏「だからセーフティネットが必要。増山さんは『自己責任』側寄り」

 ここの対立こそ、赤木←→増山の最大のポイントであろうかと思います。
 貧困や格差などの問題に、繋がりを求めてやってきた(そして今も行っている)増山さんの活動自体を赤木氏は評価しつつ、そういった活動で救われるじゃないか、と困っている人に向かって言うことの問題を指摘します。それでは、困っている人は活動で救われるべきで社会の問題がそのままに覆い隠されてしまうという謂と思います。困っていない多くの人々は、活動で救われればいいと問題を片付けた気になってしまい、活動で救われない人はこぼれ落ちます。だからこそ、国が面倒を見なければならない、そういった趣旨かと思います。
 一方増山さんは、繋がりを作っていく活動の意義を見いだされているわけですが、議論がやや噛み合わないような感もあり、なかなかこの両者の溝は埋まりそうにありませんでした。増山さんは赤木氏の回答に満足せず、やや苛立ったのか、「赤木さんは幸せになりたくないのか」などと発言されていました。

 以上の話を理解する上では、このブログで以前お伝えした、新宿ロフトプラスワンで行われた、宮台真司・東浩紀・切通理作・雨宮処凛らの諸氏が出演したイベント「秋葉原通り魔事件──絶望する社会に希望はあるか」及び、過去の赤木氏が登場した阿佐ヶ谷ロフトのイベント「ロフトA メディア時評~世界のアキバのいま」で指摘されたことが参考になると思われます。
 ロフトプラスワンのイベントでは、「包摂」が解決の処方箋として示され、貧しくとも楽しく生きる生き方が大事(増山さんの活動もその路線に繋がるものでしょう)とされる一方、「包摂が大事、気楽に生きればよいといっても、それによって格差などの問題をそのままにしてしまって良いのか。包摂と同時にそういった問題の解決も図る、二方面作戦が必要ではないか」(切通理作氏)という指摘もされていました。

 で、以下私見ですが、赤木氏は所謂「自己責任論」を強く否定するため、国が責任を持って社会政策により生活を保障し格差を是正する(団塊世代から氷河期世代に所得移転する)べきであると主張しておられます。つまり、自分は何も悪いことはしていないのに苦しい目に遭っているのはおかしい、という思いが背後にあるのでしょう。それが、増山さんのような意見を否定することに繋がるのでしょう。
 もちろん小生も所謂「自己責任」論に与するものでは全くありません。しかし、だからといってそれは自分で行動を起こす可能性を否定することと同値ではないと思います。赤木氏は大変峻厳なものの考え方をされるように思われ、そしてそれゆえに氏の意見が鋭く人の心を打ち、今日氏の名を高からしめたのだと思いますが、その峻厳さが、罪なくして困窮した者は天に救われるべきという思いになり、自己責任論の肯定に繋がりかねない実践活動への冷淡な見方(そして増山さんと乖離)を招いたのではないかと、勝手ながら考えた次第です。
 これは、以前の阿佐ヶ谷ロフトのイベントで、ご自身の意見を「諦めの論理」「他の状況が変わることで変わるしかない」と述べておられたことにも通じます。同イベントの質問コーナーでもやはりこれに繋がる指摘がありました。
 このような、天が誤っているから天が変わるべきであって、自分の行動に意義はないという考え方が、周囲の状況がどうあっても、自己の幸福追求を周囲と共同して行うべきである、という増山さんのような立場からは、苛立ちを引き起こされるものだったとは容易に想像が出来ます。だから、「赤木さんは幸せになりたくないのか」という発言が出て来るのでしょう。

 さて、以上が第1部で出た話で、以後増田監督と大塚さんを壇上に迎えて、更に混沌と第2部に突き進むのですが、残念ながら第2部はろくすっぽメモを取っておりません。ただ、議論の大きな枠は、第1部で大体の所は出てきていたと思います。
 ですので、もう既に充分にこの記事は長すぎますし、以下はごく簡単に、記憶にあるいくつかのことを書きますと・・・

・大塚さんの、貧乏だけど明るく生きてきた、という話に会場感動。特に増田監督が。
・映画の話がいろいろと。
・小向美奈子逮捕に関連して、芸能界の売春はあるのか、ということについて。増田監督が衝撃的内容を延々語られましたが、ここに記すのは控えておきます。

・赤木←→増山論争のもう一つの大きな軸として、戦争について。
 旦那さんがガザで取材中の増山さん、「希望は、戦争」と戦争を持ち出すことを厳しく批判。赤木氏、戦争は最後のゴールであって、その手前でとどまれば良い、といった趣旨の返答。一応それでその場はまとまってしまった感じ(個人的には以前、赤木氏に戦争についてお伺いした際の印象、赤木氏の"戦争"はスウィフト的レトリックのように見えるがそうとも言い切れない、というのは払拭されませんでしたが・・・)
・元自衛官の書記長が横で茶々を入れる。
・ちなみに、赤木氏の見たことのあるガンダムは、ゼータとダブルオーだけだそうです。

・会場からの声を拾うコーナーで、聞き覚えのある声の人が長々と質問(意見開陳)。昼間氏、「夜羽音先生、話長いから最後にして下さい」とあしらう――山本夜羽音先生が来ていたんですね。
・その夜羽音先生、赤木氏には初代ガンダムを見るべきと唱え、書記長には山本直樹作品(題名失念)で「美人は頼めばやらせてくれる」という一節があることを強調。この含意を汲み取るべきだと主張。
・そこで増田監督が書記長をそそのかして大塚さんに「お願い」させようとするも、書記長の頼み方がなっておらず一蹴される。
・グダグダ展開の中、書記長がキャバクラ話や「女は金で買える」的暴言を吐いたためか、壇上で書記長を見る大塚さんの目つきが怖い。「汚いものを見るような」という修辞が現実であることを実感。いやー女優さんはすごいな(演技でなく本気だったら・・・)。後で伺ったら、赤木さんの発言を書記長がしばしば制止したのが良くないと思われたそうです。

 とまあ、グダグダなりにいろいろ話題が出て盛り上がりました。
 そうそう、運営費の足しにと、出演者がものを持ち寄って福袋を作ったりもしました。それは書いた本などを入れたり、増山さんは似顔絵色紙を描いて下さったり、というものだったのですが、赤木氏の持ってきたものが・・・
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赤木氏、美少女ゲーム『AIR』を寄贈
(この写真はクリックすると拡大します)

 古本の場合、著名人の蔵書だったものは「手沢本」などと呼ばれて価値がついたりしますが、「手沢エロゲー」という概念はまだ存在しなさそうです。 
 赤木氏曰く、話題作なのでやってみたそうですが、ケータイ小説同様感動のガジェットをばらまいておけば感動させられるという感想を抱かれ、以後ケータイ小説を許せるようになったそうです。

 イベント自体は、人数はさほど多くなかったとはいえ、参加者の満足度はそれなりにあったと思います。「非モテ」からの話の広げ方もいろいろできたわけで、ただ話しきれる時間がなかったからまた、という感もあり、またやればという感を抱かれた方もいたようです。出演者の方もそう思われたのであれば、結構成功だったといえるでしょう。
 もっとも、書記長自身は終了後失敗だったと頭を抱えていて、つまり入りがあまり多くなくて赤字が出たら次はしにくい、ということだったようです(正式な決算は聞いていませんが、大体トントンだった模様)。多少の赤字は宣伝費と考えれば必ずしも不合理ではないと思うのですが。
 増田監督曰く、書記長は「百人は動員します」と事前に豪語していたそうですが、ブログの記事アップがイベント前々日で、友人に電話を回したのも同じ頃というのでは・・・
 で、議論の途中で書記長が集中砲火を受けたり、動員が予想より振るわなかった、最大の要因は書記長の準備不足にあったと思うのですが、その最も有力な原因と推測されるのは、現在書記長が Hearts of Iron 2 に嵌っているからだろうな、やっぱり。
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by bokukoui | 2009-01-31 23:47 | 出来事

今日の東急デハ5001号の状況(49)

 今年初めてのこのコーナーです。
 もっとも、最近いろいろと忙しかったりして、今月中に一度は見ておこうと思いつつも月末になってしまい、しかも十分な時間がありませんで、今回は至極雑駁な内容です。

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by bokukoui | 2009-01-29 23:59 | [特設]東急デハ5001号問題

『西日本鉄道百年史』発行 一足早くちょこっとご紹介

 昨年創業百周年を迎えた西日本鉄道(細かくいえばその母体の一つとなった九州電気軌道の創業から百年です)では、それを記念して『西日本鉄道百年史』を発行しました。
 西鉄による公式の案内は以下のリンク先をご参照ください(リンク先はpdfです)。

 「西日本鉄道百年史」の発行について

 で、これは今月から一般にも7000円で頒布の予約を受け付けているそうです。ネットから申し込む場合は以下のリンク先のフォームから申し込めばいいようです。

 西鉄創立100周年記念 「西日本鉄道百年史」頒布のご案内

 申込は3月6日まで受け付けている由ですが、「※在庫がなくなり次第、頒布を終了させていただきますので、あらかじめご了承願います。」ということなので、ご興味のある方はお早めにどうぞ。今のところは受け付けているようです。西日本鉄道といえば大手私鉄の中では小規模ですが、バス会社としては日本最大の企業でありますから、鉄道趣味者のみならずバスマニアの皆さんも是非購入を検討されては如何でしょう。受付終了後、3月上旬に配送の予定だそうです。
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外見 A4版814ページでかなりの大きさ

 さて、3年前、小生は当時発行された『阪神電気鉄道百年史』を購入しましたので、今回も早速申し込んだ・・・かというとそうではなく、上の写真のように実はもう既に手許に一冊あるのです。図書館で借りてきた? いや、まだ大学図書館にも地域の図書館(横浜市)にも、国会図書館(借り出せないけど)にも配架はされていないようです。送ってはいるだろうと思いますが。
 どういうことかといいますと、3年前に阪神の社史を買うぞー!と当ブログで宣言した時、「院生仲間で某私鉄の社史編纂の作業の一部をお手伝い」していて、そのバイト代で阪神の社史を買うのだとか書いておりますが、それがこの西鉄百年史だったわけで、そのご縁で一冊頂戴した次第です。小生もバイトしたことをあらかた忘れておりましたので、思いがけずバイト代の他にこのようなご厚意にあずかり、まことに嬉しく有難いこと。ので、少しでも多くの人に本書の存在を知っていただこうと、このブログでも微力ながら宣伝させていただきます。
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箱から出したところ

 A4サイズと大きめの本体を収める箱は、およそ4センチ半くらい厚みがあり、かなりの迫力です。写真では分かりにくいですが、表紙には"Nishi-Nippon Railroad" と布の装丁に刻み込んであります。"Raiway" ではないんですね。
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百年史対決 ライオンズ対タイガース?

 並べてみました。B5の『阪神百年史』より、A4の西鉄の方が一回り大きいですが、ページを数えると前者が900ページ余なのに対し後者は800ページ余と、見た目よりは差が少なくなっています。更に興味深いのは、重さを体重計で測ったところ、阪神が約2キロだったのに対し西鉄は約2.4キロと、見た目には容積の少なそうな西鉄の方が重くなっております。
 これは恐らく、西鉄の方が良い紙を使っているためではないかと思います。即ち、西鉄の社史が(恐らく)フルカラー故に、こうなっているのでしょう。以下に見本程度に中身を紹介します(社史の写真を載せている報道もありますが、あまり綺麗さがよく現れていない感がありますので)。
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フルカラーのお陰で見やすい鉄軌道路線の沿革図

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写真、表、グラフがフルカラーでふんだんに盛り込まれた紙面
(この写真のみクリックすると拡大表示します)

 と、たいへん見やすい構成になっています。写真や図表を数多く活用していることは、資料的にも読み物としても、実に有用なことと思います。

 形式的なことばかりで中身について書いていませんね。実はこのところ諸事に追われて、なかなか読む暇が取れないのです。おまけにこのサイズと重さでは、出かけるついでに携行して電車の中で読む、というわけにもなかなか行きませんで・・・
 というわけで、読んだ感想は後日とさせていただきますが、それだけで終わるのも何なので、以下に目次の概要を挙げることで内容紹介に代えさせていただきます。
歴史編
第1章 鉄軌道の創業(1900~1919)
第2章 都市交通の発展(1920~1937)
第3章 西日本鉄道の成立(1938~1949)
第4章 復興から成長への経営発展(1950~1963)
第5章 運輸事業の停滞と経営効率化(1964~1975)
第6章 経営の再編成と多角化(1976~1985)
第7章 天神ソラリア計画と21世紀の経営基盤づくり(1986~1997)
第8章 規制緩和とグループ経営(1998~2006)

現況・未来編
第1章 100年の歴史を貫くもの~未来へ継承される西日本鉄道の革新的DNA~
第2章 西日本鉄道の現況~100年目の到達点と課題~
第3章 第2の世紀へ~西日本鉄道が目指すもの~

資料編
 感想はまた後日書ければと思いますが(せめて自分の関心のある戦前だけでも)、西日本鉄道の成立以降次第に鉄軌道の地位が低下していく様相が目次からも伺えて・・・まだ収益最大の部門は自動車事業のようですが、バスを分社化していったものでだいぶ減少してしまい、この調子では間もなく航空貨物と不動産に抜かされそうです。つまり現状、この三部門は同じくらいの収益規模で、鉄道が一番収益少ないんですね。こういったことが分かるのも資料編が充実しているからで、数字ばかりのページもすべてカラー印刷の凝りようです。
 最後に、執筆陣を奥付から引用紹介しておきます。
監修
 老川慶喜 橘川武郎
執筆
 高嶋修一 歴史編1~3章
 老川慶喜 歴史編4~5章
 橘川武郎 歴史編6~8章、現況・未来編1章・2章1節・3章
 神﨑公一郎 歴史編6~8章、現況・未来編2章2節
 福原信彬 歴史編6~7章
 宮崎仁士 歴史編6~8章、現況・未来編2章2節
 田中滋幸 歴史編6~8章
編集協力
 高橋伸夫 鈴木文彦 塚本雅啓
 総じて、このボリュームとクオリティで7000円というのは、たいへんお値打ち価格と思いますので、品切れになる前に関心のある方は申し込まれるべきと思います。ダイジェスト版もあるそうですが、ここはケチるところではないでしょう(もっともダイジェスト版は見ていないのですが)。
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by bokukoui | 2009-01-26 23:42 | 鉄道(歴史方面)

『鉄道の地理学』『交通地理学の方法と展開』の記事完成

 不調だった機械が何とか復旧し、ネットにも比較的順調に繋がるようになりました。

 そこで、諸般の事情により七割方書いたところで滞っていた記事「青木栄一『鉄道の地理学』『交通地理学の方法と展開』略感」の記事をようやっと完成させました。いつもの悪癖でどえらく長文になってしまいましたが、別に中断していたからその分長くなったわけではなく、最初の構想通りに何とかまとまったという感じです。

 実はネット復旧は数日前のことで、中断記事の完成が復旧次第すぐとは行かなかったのは、諸事なすべきことが多々あったためです。いろいろ書きたい、紹介したいことはありますが、暫く忙しいのでどうなるか分かりません。ですが、このような「途中まで書いて長期間放置」という事態は避けるようにしたいと思います・・・。
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by bokukoui | 2009-01-25 22:47 | 身辺些事

現在の貞享

 「現在の状況」と書こうとしたら表題のように変換されてしまいました。研究室のコンピュータを拝借したためですね。

 しばらく当ブログの更新が止まっておりますのは、小生の体調不良がそもそもの始まりだったのですが、その後身辺諸事多忙でごたごたとなり、更に機器の故障で家のパソコンがどれも繋がらなくなった(これまでの不調はほとんどの場合、無線LANに起因していたのですが、今回は更に大元の問題のようです)次第です。
 というわけでメールを読むことも全く不能となり、ゼミで大学に出てきた本日、久々にこうやって書き込んでいるのでした。

 復旧の目処が今のところ立っておりませんが、復旧次第、下の記事も完成させる予定ですので、今しばしお待ち下さい。当面は色々忙しいのでどっちにせよ余り更新出来なさそうですが、デハ5001などの「定番」は折を見てアップできればと思っております。
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by bokukoui | 2009-01-21 16:40 | 身辺些事

青木栄一『鉄道の地理学』『交通地理学の方法と展開』略感

 咳がまだ残りますが、だいぶ良くなったようです。
 いい加減まともに活動を再開せねばと、手近で片付けられそうな作業をぽつぽつ行い、賀状をくださった方には、寒中見舞をお送りしました。

 そんなわけで、正月のうちに書いておきたかった話題のうちから一つ。

 随分前ですが、『鉄道忌避伝説の謎』という本を当ブログで取り上げたことがありました。その本を著された青木栄一先生は昨年、2冊の著書を出しておられまして、その紹介と簡単な感想をば。

 『鉄道の地理学 鉄道の成り立ちが分かる事典

 この本の方が2冊のうち早く、昨年10月に出ています。(bk1) 本書は、「事典」とあるように鉄道に関する様々なトピックについて解説したものですが、もちろんありがちな「雑学本」なんかではなく、「歴史地理学という立場で書かれている」(「はじめに」より)ところに特徴があるわけです。
 その本書がどのような構成になっているか、引き続き「はじめに」から紹介しておきますと、
本書では、鉄道がどんな特徴をもつ交通機関であるか、どのようにして生まれたのか、そして日本にはどのように導入されたのかについて最初に触れ、山地や河川、気候などの自然環境とのかかわり、国家と鉄道との関係、大都市地域や地方都市・過疎地域の鉄道、駅の考察、産業と鉄道、そして現代における最先端の鉄道である新幹線などの話題を具体的に、かつ多くの実例を示して解説した。そして、最後に従来話題になることの少なかった鉄道地図の特徴にも触れて結びとした。
 と盛りだくさんの内容であり、総勢400ページにも達します。

 本書の内容は、初心者にとってはバランスの良い入門書となっており、マニアにとっては便利なリファレンス(大体どんなマニアでも、得意な分野と不得意な分野があるものなので)となり、たいへん有用です。解説は地図や図表類を効果的に使用して分かりやすく、またA5版と大きくない書物ですが、写真も結構充実しています。その写真の相当数が青木先生ご自身の撮影で、それが羽幌線の木造客車(!!)から広島電鉄のグリーンムーバーにまでまたがっているところが何ともすごいですね。
 取り上げられた内容の中で、国鉄のあり方や大都市の鉄道、高速鉄道といったトピックについては、国際比較がかなり試みられており、このようなタイプの書物としては出色のことだと思います。鉄道研究はどうしても自国のことばかりになってしまいがちで、それは日本人だから、というのではなく、外国の鉄道好きでもその傾向があるようです。海外の鉄道に興味のある人というのは、多くは海外旅行マニアで、歴史や技術には必ずしも関心のない場合が多いようですし。
 国際比較といっても、橋の話ではイギリスしか出てこなかったり、日本と比較のしようもない大陸横断鉄道などは割愛されていたり、細かいところをつつき出すと「これも入れて欲しかった」というトピックは幾らも思いつきますが、国際比較という視角を示したことの意義は大きいと考えます。

 というわけで、初心者から上級者まで広くお薦めできる本書ですが、恐らく最大の問題は、本書を読めば「鉄道」については一通り以上の知識を得ることは出来るけれども、「地理学」については? というところにあります。本書ではケッペンの気候区分のA・B・C・D・Eごとの環境と鉄道の関係とか、鉄道地図についてといった、地理的な用語や技術に直接関連させて述べた章もありますが、別にこういったことを指して「鉄道の地理学」と言っているわけではありますまい。
 これは青木先生から直接教えていただいたエピソードですが、本書を出すに当たってWAVE出版(同社にとって本書が初めての鉄道関連書籍なんだとか)の社長が青木先生に曰く、「原稿を拝読しましたが、この本は見事な鉄道の社会学ですなぁ」とか言ったんだとか。別に書名を間違えたわけではなく、鉄道という人の営みを説明しているから社会学、と思ったらしいのですが、それだけ「地理学」というもののつかみ所の難しさを示しているようにも思われるのです(あ、つかみ所のないのは社会学もかな・・・?)。
 こう思われるのは、本書が鉄道について、自然環境や社会との関係(この関係を結びつけるのが技術であり経営システム)を通じて述べているため、鉄道の総合図を描いていても、地理学そのものについて語っているわけではない、それはあくまで道具として黒子の役割だから、小生としてはとりあえずそのように考えることにしました。黒子(道具)としてでは、歴史学や制度論などと区別がつけにくいため(これらも使われているので)、「地理学」の特質が見えにくいのでしょう。

 では、「地理学」について鉄道との関係を知るためには、そこで昨年青木先生が出されたもう一冊の本『交通地理学の方法と展開』の意義があるのでしょう。

『交通地理学の方法と展開』

 本書の構成はリンク先に紹介されておりますので、そちらをご参照ください。まさに、交通地理学とは何か、ということが本書を貫くテーマとなっているわけです。また本書の内容の一部は、以前紹介した「交通地理学を考える」(『地理』第42巻(1997年)10月号~12月号所収)を書き改めたものです。で、本書を読みますと、交通地理学の歴史を理解することが出来ます(小生は体系的に地理を弁擁したことがありませんので、その理解がどれほどのものかはあまり自身があるわけではありませんが)。特に、交通現象の実態に関心を抱かず、物理学的な法則を機械的に当てはめて交通現象を研究しようとした計量地理学の立場には、厳しい批判を向けておられます。
 本書の冒頭の近いところで、青木先生は有末武夫「交通」(石田龍次郎編『地理学研究のための文献と解題』)の一節を引き、交通地理学には「交通現象それ自体の解明を目的とする研究」と、「地域性あるいは他の何かを理解するための手段として交通現象を解明」するものとがある、としています。そして青木先生は「私は交通地理学の研究は、あくまで現実の交通現象への関心が出発点であるべきだと思っており、地域社会との関連で交通現象を解明しようとする研究はすべて交通地理学になると考えている。したがって、有末のいう第一の立場に立って自分の研究を推進してきた」(p.5)のでした。

 さて、これは地理学に門外漢の者のはなはだ勝手な印象でありますが、正直に言えば、やはり本書を読んでなお、「交通地理学」のイメージが明確になったとは、やはり思いにくいところが残ります。というのも、青木先生ご自身述べておられるように、交通に関する地理学は概して「地域性あるいは他の何かを理解するための手段として交通現象を解明」する研究の方が中心であったようで、青木先生の手法は、地理学では決して主流の立場ではなかったように読み取れます。また一方、一時代の地理学会を風靡したらしい計量地理学は、現実の交通のあり方にちっとも関心を示さず、結局「崩壊」してしまったそうなので、結局地理学であることの意義とその中での位置づけは、よく分からないのです。
 日本の鉄道の歴史に関する学術書を、日本近代史専攻である小生はもちろん何冊も持っているわけですが、こういう本には大概最初の章で、研究史を振り返ってこの本の狙いと意義はどこにあるか、ということを説明しています。で、そのようなところにはほぼ必ず、先行研究の一つとして青木先生のお名前が挙がっています。小生自身も修論の最初のところでやはり同じように書いたし。
 つまり、歴史学の中では、青木先生の研究の意義は認められ、研究史の系譜上に位置づけられているのですが、地理学でそれがどうなのかは、本書を読んでもそれほど明らかになったという印象を受けづらいのです。地理学で青木先生の業績に近い方向というと、小生は三木理史先生くらいしか存じ上げませんが、三木先生の本でも、先行研究整理のところでは歴史学に傾斜していた印象があります。今試みに『近代日本の地域交通体系』(大明堂)の第1章をめくってみましたが、やはりその印象は変わりません。地理学的な説明はおよそ1/4で、しかも地理学の手法を如何に活用するかという説明は詳しくても、具体的な蓄積については歴史学に属するものの方がずっと多いのです。

 もちろん、歴史と地理で不毛な陣取り合戦なんかしても何の意味もありませんし、むしろこの状況は、両者の敷居が結構低く、順当に交流が行われているものと思います。小生はその区別をはっきりすることを主張したいわけではありません。ただ、交通地理学というのは、その成果を高めようとすればするほど、かえって輪郭がぼやけてしまうことがあるのかも知れません。本書に於いて、上掲引用箇所に続けて、青木先生はこのように書かれています。「必要と思ったものは何でも取り入れてきたし、何にでも参入するという基本姿勢を貫いてきた。地理学の研究対象や方法についても限定することなく、なるべく広く考えるようにしてきた」(p.5)これはもちろん、セクショナリズムに囚われるのと較べて遥かに素晴らしいことです。
 ただ、このように様々な分野にまたがって浸透していった際、地理学は他の学問と較べても「他の学問ではない地理学」という印象を、強く与えにくくなるのかも知れない、そんな感があります。

 更に、本書の特徴としては、学問の垣根まで飛び越えて、「鉄道研究と鉄道趣味」という一章が設けられています。これこそ、狭い枠に囚われず、有用なものは何でも取り入れる姿勢が、よく反映された章であると思います。

 以上、門外漢の頓珍漢な見解で本書の売れ行きに悪影響を及ぼしたりしたら、はなはだ恐縮なことなのですが・・・しかし、鉄道はじめ交通について(特に歴史)興味を持っている多くの人に、議論の前提となる蓄積の様相を示し、様々な刺激を与える可能性を持った書物と思いますので、ソフトカバーの本にしてはちょっとお値段が張りますが、書架に揃えて然るべき一冊と思います。

 最後に、本書を元に今後の交通史研究の方向について思ったことですが、青木先生は「メソスケール鉄道史」ということを以前から提唱されており、本書でも一章を割いています。メソスケールとはミクロとマクロの中間のスケールのことで、鉄道史の場合、日本全国規模(国鉄)がマクロ、市町村か郡程度(ローカル鉄道)がミクロになります。
 鉄道史の研究は、戦前~戦後まもなくのマル経による研究(山田盛太郎とか)が、日本全国をかなり大雑把に捉えた理論優先の研究で、それへの批判から史料の詳細な研究に基づくミクロの研究が発達した(その最大の功労者が青木先生)のですが、ミクロの研究が進展すると、今度はそれをどうやって日本の歴史の中に、マクロの規模の中に位置づけるのかという議論が出てきました。そこで、両者を繋ぐものとして青木先生はメソスケールを提唱されているようです(本書pp.146-147)。
 もっとも、現在の所では、小生が思うにメソスケールの研究は緒に就いたばかりであり、青木先生が先年『日本の地方民鉄と地域社会』(古今書院)という論文集を編まれましたが、また三木先生の本もメソスケールを多分に意識していますが、それでこの分野が活発になった(メソスケールという言葉が広く普及した)とはまだ言えません。
 で、小生思うに、メソスケールの鉄道史は、やりようによっては単にマクロとミクロを繋ぐというだけではない、それ独自の価値を持ちうるのではないかと考えています。最近都道府県史がいろいろと出ていますが、都道府県はちょうどメソスケールに相応しく、この手法で地域の特性を見ることで、交通と他の分野の歴史とを関連させて新たな知見を得られるんじゃないかと。

 え、具体的にはどういうことかって? それを書いて先に他の人に研究されたら癪なので、秘密です(苦笑)。今手がけているテーマに一区切りつけたらやってみたいなあ、と思っているのですが、一人では手に負えないだろうし効率も悪そうなので、やはり同志を募って研究会設立ですね。まあ再来年度あたりに研究会設立を目指して同志の糾合をこれから行えれば、と夢想しています。
 ま、それよりも目前の課題が目白押しなのですが。
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by bokukoui | 2009-01-07 23:43 | 鉄道(その他)

休みにならない正月休み

 表題の如き有様で、昨年末の予定では、昨日頃には図書館なり文書館なりに出かけようと思っていたものの、今なおだるさのあまりめまいがしてふらふらもので、咳もいっかな止まらないず、引き続き休養中でありました。

 今日は熱も収まってだいぶ回復したかなと思いましたが、朝、日経新聞を手に取ったところ、一面のコラムで『らき☆すた』の「聖地」鷲宮神社の件を好意的に取り上げているのを見つけて、いろんな意味でめまいが酷くなりました。日経は元旦の一面も、これは???というところがありまして、恐慌の時こそビジネスチャンスとして、それはいいのですが、過去の恐慌と新ビジネスの登場の例として挙げているものが、別に関係のなさそうなものを勝手にそう決めつけているのでした。日経の歴史認識たるや。
 しかし一方、ネット上でマスコミを「マスゴミ」などと罵倒している徒輩の中で、書いているものが一般的なマスコミにコンテンツより面白い、という人はほとんど見ないのもまた実感なので、悪口はこの辺にしておきます。
 そして社会面を開き、いつぞや殺害予告をネットに書いて捕まった東大法学部卒業生が、脅迫容疑を認めて再逮捕されたという記事に嘆息し、ウェッジウッド倒産の報道に驚いた次第でありました。単に高級茶器というだけでなく、近代産業史上も幾つか先駆者的な功績があった、そんな話をどっかで読んだ覚えが・・・詳しいことは忘れてしまいましたが。

 とまれ、明日には何とか平常活動に戻したいものです。
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by bokukoui | 2009-01-06 23:49 | 身辺些事

好むと好まざると寝正月

 新春早々39度近い発熱に見舞われ、全くなすすべもなく、正月らしいこともなく、無為に三が日を過ごしてしまいました。インフルエンザではなさそうだと思いますが・・・しかしこれほど酷い風邪は数年ぶりのような。
 昨晩は少し調子が戻ったかと、寝過ぎて眠れないのでつれづれに清沢洌『暗黒日記』なぞ読んでしまい、憂国の情沸き上がるのあまり熱も上がりました。

 皆様もご自愛の程。

 本調子に戻るには、もそっとかかりそうです。それまで部屋も片付かない・・・
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by bokukoui | 2009-01-04 18:07 | 身辺些事

年のはじめに

 あけましておめでとうございます。
 本年も宜しくお願い申し上げます。

 なお、本年は諸事情により賀状を失礼しております。ご諒承願います。


 で、大晦日以来の大掃除は順調に難航中で、埃舞う中で寝たためか喉が痛く。もっとも数日前から、酒を飲んだわけでもないのに二日酔いのような症状に見舞われており、単に風邪を引いただけなのかも知れません。新年早々何ですが、今晩は大人しく寝ることとします。
 明日、部屋の片付けが進み、体調が回復したならば、新春記念企画として去年のうちに書いておきたかったことを幾つか書くつもりです。また、30日の件についてもなにがしか書ければ・・・という状況です。
 しかし、中途半端に片付け始めたせいで現状は混沌が余計酷くなっているような・・・掘骨砕三の下から大内兵衛が出てきたりするのは、見てくれの良い情景ではありません。
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by bokukoui | 2009-01-01 22:40 | 身辺些事