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永山薫・昼間たかし『マンガ論争勃発2』発売記念イベント 私的感想

 もうすっかり肝心のイベントから時間が経ってしまい、その間に栗本薫氏が亡くなるという衝撃的な出来事まで起こってしまいましたが、本記事は「『マンガ論争勃発2』発売記念!! 昼間たかし東大入学お祝いイベント 永山薫vs昼間たかし これが現実だ!と、言われても・・・」のレポート記事、

・永山薫・昼間たかし『マンガ論争勃発2』発売記念イベント概略(1)
・永山薫・昼間たかし『マンガ論争勃発2』発売記念イベント概略(2)

 のまとめ、個人的感想です。

 レポとは速報性をもって価値とすべきなのに、今さらあんまり意味はない気もしますが、ただ今から感想を書くとすると一ついいことがあって、それは既に出た感想や意見を参照することが可能だということです。この記事では、このイベントに関する批判的な意見を手がかりに、このイベントから読み取れるであろうこと、昼間たかし氏の東大進学の展望などについて、雑駁ながら多少の感想を述べたいと思います。

 ではまず、このイベントに関するネット上の意見で、特に注目すべきと小生が考えたものを以下にご紹介します。

・マガジンひとり
 「イベント『マンガ論争勃発 - 永山薫vs昼間たかし これが現実だ!と、言われても…』」


 こちらはレポの方で既に紹介したもので、イベントに実際に来られた方のご意見です。

・Economics Lovers Live
 「近刊:『マンガ論争勃発2』とぬるさ」
 「いかなくてよかった」


 こちらは、『マンガ論争勃発2』でインタビューを受けた、田中秀臣氏(上武大学教授)のブログです。「近刊~」はイベントの前、本が出る時の記事で、「いかなくて~」はイベントについての指摘(来られたわけではない)です。このイベントに登場された塩山芳明氏が、『マンガ論争勃発2』を読んだ感想を「日刊漫画屋無駄話」の「其の2669」(2009.5.18.付)に書かれていますが、その中で「圧巻は田中秀臣(上武大学教授)。この人だけで30ページは読みたかった」と評していた、その田中氏です。

 これらの批判を要約すれば、このイベントが「ぬるく」て内輪向けで、議論を積極的に戦わせるようなものではなかった、田中氏はそれ以前に、『マンガ論争勃発2』自体
 なんか、ぬるいね。やはり論争本というよりも、事実上、論争の骨抜きというかどく抜きになってしまってないか? マンガ業界の縁辺のインサイダーだけでぬるくやりたいんなら論争本の体裁はいらないでしょう。簡単にいうと時間の無駄。昼間さんは勉強会の必要性をブログで書いてもいるけれどもそういう話題につながるようなものにも思えない。昼間さんのこの書き方もなんか「勉強会やる意義あるけどいろいろ問題もありましょうからごにょごにょ」と書いているように思える。
 と批判されております。

 確かにこのイベントは、前半は特におもしろ話的な内容であって論争ではないし、またその話自体もマンガ好き向けの「内部」向けであったといえるでしょう。小生としては、イベントの最後で永山氏の発言の趣旨、表現が面白くなくては何も始まらない、その指摘に鑑みれば「おもしろ」な時間を設けること自体はむしろ良いのではないかと思いますが、しかし昼間氏がそこまで考えてこのイベントのプログラムを定められたのかどうかは存じません。
 田中氏は、『マンガ論争勃発』とか表題に書いておきながら論争になってない、そこが「ぬるい」と感じておられるのではないかと推察します。実際『マンガ論争勃発』シリーズは(小生は『2』をまだちゃんと読んでいないんですが)、「いろんな人の意見を聞く」と謳っていても、聞いた意見やどのように聞くかについて、論争の軸をきちんと設定しているわけではないですね。
 小生思うに、「マンガ論争」といった場合、表現規制の問題(これはマンガ←→マンガの「外部」という対比が大きいでしょう)と、マンガという産業というか文化行為というか、それ自体の直面している問題(これはマンガの「インサイダー」のことが中心になるでしょう)と、二つの大きな軸があるのに、『マンガ論争勃発』ではその区分があまり意識されていないところがあるのではないでしょうか。もともとは表現規制問題(「児童ポルノ法」問題)という、「外部」へ対抗するために「インサイダー」みんなでどうしようか、というのが「マンガ論争」の発端だったという印象があります。扱うべき対象を広げていったのに、対象を扱う意識がそれに応じて広がってきてはいない、という問題があるのだろうと思います。

 もっとも、小生は更にそれ以前の問題があるのだろう、とも思います。上のブログの引用で、田中氏は『マンガ論争勃発2』のようなスタイルでは論争にならない、昼間氏も「勉強会やろう」と書いてはいるようだけど、なんだか「ごにょごにょ」だし、と指摘されています。
 で、ここで勝手に昼間氏の「ごにょごにょ」を忖度するに、『マンガ論争勃発2』の「転換期に来た児ポ法改定反対運動 2008年の運動を総括する」で昼間氏が書かれている、「規制反対運動は非常に敷居の高い趣味の一ジャンルに変貌している」というあたりにその理由があるのだろうと思います。もっと有り体にいえば、人生いろいろと悩んでいるような、自らの性格に悩んでいるような、そんな人が"生き甲斐"を求めて来てしまい、運動自体が自己目的化してしまって、勉強も議論も成立しない状況に陥る場合があり得るということです。これは社会問題全般にありがちなことではあると思いますが(規制推進派も同様でしょう)。

 実際、規制反対運動の中で運動が半ば自己目的化したような運動参加者の行動によって、本来話を聞いて力を貸してもらうはずの一般の"マンガ好き"の一部の人に大変な不快感をもたらすような事態が生じてしまい、その事態の発生そのものには何ら責任のなかった昼間氏が、事態解決のため運動の真意について説明する羽目になっている、そんな状況を小生は一度目の当たりにしたことがあります。
 その際の昼間氏の説明は見事なものだったと思いますが(一応は事態を収められたし)、しかしこのような事態がまま発生しているのであれば、これまでのやり方では「手詰まり感」が出るのも当然でしょう。
 昼間氏は「マンガ論争勃発」のブログで、
・・・オタク分野は1970年代の勃興期以来、これまでジャーナリズムが存在しないまま成長してきた。ゆえに、表現の自由に関する問題でも理論が構築されていないことは、否めない。
 やはり、もっと大勢の人が精力的に学習し知識を貯えていくことは必要だろう。

 で、ここからは宣伝なのだが、先日、私が通っている東京大学大学院情報学環教育部の懇談会で、先生が話していたのだが、もっと東大生以外、他大生や社会人にも入学してもらいたいらしい。
 少々の出費と、時間を融通する気がある人は、ぜひ入学を。たぶん、東京大学の名を冠した教育機関の中では、かなり入学し易いはず。
 と書かれています。
 結局、ちゃんとした議論になっていないと田中氏に突っ込まれるも道理、議論以前の段階にとどまっているのではないか、と思われます。
 小生は最初、『マンガ論争勃発2』という題を聞いて奇異な感を少し受けました。「勃発」というのは、「戦争が勃発した」というように、起こっていない状態から起こった状態への変化を表す言葉なので、「勃発」が継続するのは何だかなあ、前巻で「勃発」したんだから今回は「炎上」とか(「泥沼化」?)にしたらと咄嗟に思ったのです。しかし以上のように考えてみるに、そもそも「論争」の段階に至っているかどうかが先ず怪しく、「マンガ論争勃発」が継続しているということは、とりもなおさず現在もなお「マンガ論争」は夜明け前なのかも知れません。
 そして、議論の土台作りには、インサイダーにとどまらない、広く訴えかける言葉が大事でしょう。その点は、『マンガ論争勃発』に続きがあるなら、改善すべき余地は相当に大きいと思います。もちろんそれは言うは易く行うは難きことで、田中氏の著書にだって、「同じ経済学観や、あるいは面識のある論者間の内向きに書かれた印象」「潜在的な賛同者にしか通じない書き方」という声もあるように。

 以上を踏まえるに、昼間氏の東大進学というのも、上に引用したブログのコメントにあるように、その辺の問題点への対処法の開拓ということなのかな、と思います。『マンガ論争勃発』の続巻がどうなるかは存じませんが、進学によって知見とネットワークを広げ、手詰まりを打開する方法が見出されればと思います。
 昼間氏が「成り上がり者」的で、うまいこと名のある人に取り入ってここまで来たんだ、という趣旨のことを増田監督がイベント中の昼間氏黒歴史暴露大会にて指摘されていたかと思いますが、むしろかかる状況では、「東大」なんて権威も巧みに利用した者勝ちだろうと思います。昼間氏がこれによって、更なる飛躍を遂げることを願ってやみません。

 で、その成果を大ならしむるためにも、引用ブログ記事後段で昼間さんが語っているように、同じ道に進む人を増やすことにも意味があろうと思います。
 先年の『ドラゴン桜』の売れぶりから察するに、「東大」というのはブランド的な価値が一定あるようですので、昼間さんもこれをとことん活用するため、「昼間塾」を作って「わたくし昼間と勉強すれば東大に入れます」との売り文句で人材を集め、勢力拡大を図られるのも一案かと思います。
 昼間さんの指導によって東大に入れるのかどうか、怪しいんじゃね?と疑念を持たれる向きもあろうかと思いますが、きっと大丈夫でしょう。
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 と、那珂川湊先生も太鼓判を押していることですし(玄鉄絢「星川銀座四丁目」(『つぼみ Vol.2』芳文社所収)より)。

 ・・・強引な締めくくりですが、マンガの話なんだから、最後はこんなところで。


※追記:昼間たかし氏が、以上の拙文に関しブログで以下のような記事を書かれております。
「論争以前の問題が山積しているような気が」
「初学者にはなにを教えるべきか」
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by bokukoui | 2009-05-29 23:59 | 漫画

永山薫・昼間たかし『マンガ論争勃発2』発売記念イベント概略(2)

 諸般の事情により一週間も間が開きました。論文書いたり、寝込んだり、引き籠もったり(インフルエンザとは無関係です)していた関係上、続きを書く余力がありませんでした。で、今更感満載ですが、「永山薫・昼間たかし『マンガ論争勃発2』発売記念イベント概略(1)」に引き続き、以下のイベント


 のレポの後半です。

○増田監督のお話

 毎度お馴染み(?)増田俊樹監督の登場。昼間氏は増田監督の映画『おやすみアンモナイト  貧乏人抹殺篇/貧乏人逆襲篇』の脚本を執筆され、その映画が夕張市の映画祭に招待されたとのこと。で、出演された大塚麻恵さんともども壇上に。
 ですが増田監督、「今日は永山さんの出版記念」ということで、昼間氏に対して文句付けモードに。まあそれも無理はないことで、前回のレポで紹介した『マンガ論争勃発2』の奥付の昼間氏の略歴、昼間氏の東大での所属以外にも妙な箇所があるのです。前回のレポに添えた、「マンガ論争勃発2」奥付の画像をよく見て下さい(青い印)。『おやすみアンモナイト  貧乏人抹殺篇/貧乏人逆襲篇』が好評だったのか、『貧乏人一揆編』も製作されるようです(笑・今気がついたけど、「篇」と「編」も誤植ですね)。それだけ、遅れた日程を取り戻して発行すべく急いだ証でもあります。

 で、それから、増田監督が昼間氏と初めての出会い(昼間氏の左翼時代)に遡って、昼間氏の秘話・・・というか黒歴史の数々が暴露され、会場湧きます。昼間氏「この物語はフィクションです」
 壇上の大塚さん、「昼間さんは脚本を書いて下さったり、ジャーナリストの活動をされたり、"昼間先生"だと思ってたのに・・・イメージ崩れました」
 もっとも、大塚さんが以前の古澤克大書記長のイベントのような「汚いものを見るような」恐い目つきではなかったのが幸い。そこら辺から、話の内容の違いを察して下さい。

○市川孝一氏・武田“コックローチ”圭史氏・三崎尚人氏のお話

 ここで再び壇上のメンバーが入れ替わって、同人誌即売会に詳しい方々が登場されます『マンガ論争勃発2』の趣旨から行けば、これこそ真打ち的な内容とも言えます。しかしこのセクションも、実に話が濃密で、特に市川さんと三崎さんがマシンガントークを展開され、ミートチョッパーに撃たれている気分でありました。おまけに時刻が遅くなってきて途中で帰られる来場者の方もおられ、物販を担当している小生はそちらも対応せねばならず、メモが行き届かなかったことを予めお詫びしておきます。

昼間氏
「皆さんには、理念的なことは『マンガ論争勃発2』で語ってもらったので、ここではそれ以外の話を。同人誌即売会の問題について」

市川氏
「随分前に取材を受けたのに、なんでこんなに出版が遅れたの」

永山氏
「それは色々あって・・・」

 しばし言い訳と事情説明から、どういった人にこの本を読んでもらいたいのか、広く読んでもらうため、ひいては売れるための工夫で大変だったというような話に。

市川氏
「分かってくれる人だけこのような本を買ってくれてもしょうがない、それが問題」

永山氏
「なぜゲストが話を戻してくれるのか(笑)、興味を持っている人が買ってくれるのはある意味当たり前。99%の、『表現規制』と聞いても『ナンじゃそれ』という人に知られないと、そのためには売れないといけない」

昼間氏
「女性向けの同人について規制がどうなるか、関心を持っている人はいるのか。武田さんが書かれた『R18の隣』(註:同人誌の性的な表現と規制について解説した同人誌)は売れているのか」

武田氏
「2500ほど」

永山氏
「評論同人としては大したもの」

昼間氏
「やはり同人のやり方もマニュアルがいる時代ですか」

市川氏
「デジタル入稿の普及で、同人誌に関する情報が伝わりにくくなった。デジタルで描いて、印刷のための入稿法を知らない同人サークルが増えた。サークルと即売会、印刷所の関係が遠くなっている。その間をつなぐ方法を、ワープする方法を考えないといけない」

永山氏
「地道にじゃないんだ、ワープなんだ」

 以下ちょっとメモ不整。市川氏と三崎氏がこもごも猛烈な勢いで話されていて、その区別が付いていません。ので、まとめて書きます。市川氏が話された部分が多かったと思いますが・・・

 2年前に「同人誌と表現を考えるシンポジウム」をやったところ、800人集まった。あれで勉強になったという人が多かったが、今まで伝えて来なかったということの裏返し。またやりたいがなかなか暇がない。

 どうやってこのようなことを教えていくか、考えなければいけない。分かりやすくしないといけない、難しいことを言っても分からない。
 コミケでは「コミケットアピール」を出しているが、その書き方が以前と変わっている。以前は「米澤語」とよばれた、"もにょっとした"言葉で書かれていたが、これは行間を読まねばならない。でもそれでは分かってもらえない。そういう時代ではない。みんなに分かってもらえないと、50万人も来るイベントは、やっていけない。
 実際、今まであり得なかったことが起こっている。コミケカタログの、Dr.モローのマンガのネタに事欠かない。

昼間氏
「武田さんのイベントでは、女性参加者が多いが、トラブルはどうか」

武田氏
「時々はある。孫に頼まれて買いに来たようなお婆さんとか」

永山氏
「昔コミケに来ていた、片言のイラン人集団がいた。転売目的だったのか」

市川氏(?)
「体力とかを考えない参加者が昔より増えた。徹夜とかも体力を考えないでするから。この世界自体、全体として変わっている。コミケットは白黒つけない、グレーとしているが、白黒に二極化しているのかも知れない。

 コミケには、昔は先輩に連れられて初めて来たような人が多かったが、今はネットで見ていきなり来る。
 『げんしけん』とか『らき☆すた』とかが良くない。あれを見てコミケが面白いと思うらしい。普通の人が来ても楽しくないですよ。暑いか寒い中で何時間も人混みに並んで、本一冊買って帰るなんて。何か目的がないと楽しめない、辛い。
 イベントは体調を整えて来て。体調が万全じゃないと遊べない。『げんしけん』の斑目(註:コミケ会場で転倒して腕を折り、それを隠してイベントに参加し続けるも、ついにぶっ倒れて救急車で搬送されたキャラクター)は、一刻も早く病院に行ってくれ」

 同人誌即売会のトラブルについての話から、最近の大阪のイベントであった、主催者側の釣り銭が足りないので百円玉を持ってきて下さい、という告知を直前にした話に。混乱はなかったそうですが、なんでもそれは担当者が銀行に一桁間違えて釣り銭を注文したのを、誰も気がつかなかったのだとか。

三崎氏
「武田さんが『マンガ論争勃発2』の中で、かつての幕張メッセでの同人誌即売会中止事件を、『あれは反面教師』というのはどんなものか。自分たちがやったイベントについてそれはどうかと」

武田氏
「インタビューの時はそういう話ではなくて。前後に文脈があっただろ」

 ちょっと昔の話。幕張事件の経緯を知らない若年層もいたので。

三崎氏
「警察は『注意しただけだったのに』とか称していたが、それが新聞に出て中止に追いこまれた」

武田氏
「出しやがった(註:警察がマスコミにリークした、の意か)」

市川氏
「昨夏のコミケで爆破予告があって手荷物確認をした。会場や警察から中止したら、と何度も言われたが、ただ『しません』とだけ言った。いろいろ言うと突っ込まれる」

三崎氏
「コミケなら個人情報が流出しても中止しないでしょ(註:昨年、ある即売会でサークルの個人情報が流出し、中止になった)」

市川氏
「しないね」

昼間氏
「豚インフルエンザが流行ったら」

市川氏
「やります。場は開くから覚悟して来て、と」

永山氏
「それこそさっきの話の通り、体調万全にすればいい」

三崎氏
「mixiを見ていたら馬鹿なやりとりがあった。『インフルエンザが近所で流行っているので、私は即売会に行っていいでしょうか?』 これに答えを書いた奴はもっとひどくて、『主催者様に聞いてみてはいかがでしょうか』 主催者にそんなことまで尻を持ち込むな、自分で判断しろ」

市川氏
「同人も自分の生き方なんだから、自分で決めて欲しい。遊びに来るんだから、遊んで欲しい。そういうことを、いいことも悪いことも、最近は教わってきていないのか」

(ちょっと抜けてるかも)

永山氏
「正論を言いたがり、白黒つけたがる傾向があるのではないか」

市川氏
「錦の御旗が欲しいのだろう。だから『規制して下さい』とかいう。そんなの作ったら守らなきゃいけないじゃないか。そんなことできるのか」

昼間氏
「昨年は同人誌図書館も話題になったが」

市川氏
「コミック1ではあらかじめ同意を得て回収した見本誌を、明治大学に寄贈することにしている。9割は同意してくれている。
 コミケットでも図書館についてアンケートした。条件付きながら一応の賛成を75%から得たので、その条件をどうするか、現在考えている。
 同人誌図書館は閉架式を考えている。しかしコミケの見本誌は、会場のサークル配置の島ごとに、ゆうパックの段ボール2~3箱に入れられている状態なので、本を出すのが大変。いつのコミケのどの場所のサークル、という形でしか探せない。閉架式にした場合、閲覧者が多数いたら、本を出すのが間に合わなくなるかも知れない。
 当初、今年の今頃にはオープン予定だったが、以上のようにいろいろ考えているので、実現は先」

 以下もちょっとメモが不整。市川氏と三崎氏のマシンガントークが混在していると思います。

市川氏(?)
「マーケティングとしても、大手出版社がコミケを見ている。どうすればジャンルコードができるのか、と聞かれることもある。ジャンルコードができるということは、その作品を扱った同人サークルがまとまった数ある、つまり、その作品の確実な固い支持層があるということ。高い商品でも売れるといえる。
 いろいろな形でお互いがうまく行けばいい。一番恐いのは、不況なのに同人ばかり売れている、となって攻撃されること」

三崎氏(?)
「大日本印刷がブックオフの株を買収したが、コミケも買収するのか(笑)。あの買収には何か裏がありそうだが、そのように『大人』の商売人がこの世界に入ってくることが恐い。
 音楽系の同人も最近増えているが、これはマンガ以上に難しい。再販制が存在しなくて、同人サークルとインディーズの区別が曖昧。
 コスプレ写真集のDVDとかはもっと怪しい。同人の建前なのに『定価』が付いてたりする」

市川氏
「コミケは、コミケットアピールとカタログしか発表媒体がなかった。参加者にこちらの考えを伝えてこなかった。それが反省点。サイトの運営をどうするか検討中」

三崎氏
「何でもネットに書けばいいのではない。ネットに書いて喜ぶのはブロガーだけ。確かに伝えるにはナマで話す方がいい」

○「児童ポルノ法」についてなど

 ここでちょっと会場からの要望があったのだかどうだか、昼間氏が「児童ポルノ法」の現状などについて簡単な説明などを。

昼間氏
「まず『児童ポルノ法』については、現在国会が動いておらず、動きはない。しかしこれからは動くだろう。自民党と民主党が案を出している。民主案の方がマシだが、大きくは同じこと。規制にあくまで反対している政党は社民党だけで、力がなく、規制強化は避けられない。何より、皆ちゃんと選挙に行かないと。
 海外での動きがあり、フィリピンで"hentai cartoon"(この英語で検索すると情報が出て来る)、イギリスのゲーム『レイプレイ』批判など。日本にも影響。
 『レイプレイ』騒動について、問題のゲームを製作した会社・イリュージョンに取材を申し込んだが、ちょっとねえ、という反応。同社はその後路線変更しており、今はそのようなゲームを出していない。だから騒動で絶版にしても直接は困らなかった。
 日本のアニメDVDの海外市場は減少している。Cool Japan も終わり」

○鈴木邦男氏のお話

 22時20分頃、『マンガ論争勃発2』の中でもっとも評判の良いページ? の語り手・新右翼の鈴木邦男氏登場。鈴木氏は一水会(註:鈴木氏創設の新右翼団体)のフォーラムを途中で抜けてこちらに来られたにも関わらず、「22時頃お願いします」という予定の登場時間が過ぎても出番が来なかったため、まず登壇するやいなや昼間氏の首を絞めます。

昼間氏
「これが右翼の暴力です」

 で、本題の話に。

昼間氏
「鈴木さんのページは、『マンガ論争勃発2』の中でも評判がいい。実際、何度くらい殺されかけたりしたのか」

鈴木氏
「何度もあったよ」

 で、いろいろと危ない話に。
 また、週刊新潮の赤報隊誤報事件にも話が及び、「日本に一番疑り深そうな彼らを欺すとは、よほどうまく話したのだろうか」うまい作り話が、本当の証言より信用されることも。
 死体をどうしたというような話はここでは公開しかねますので、逆にほほえましい一幕をご紹介。

会場からの声
「先日月蝕歌劇団の公演に行ったら、鈴木さんがいらっしゃいましたが・・・」

鈴木氏
「月蝕歌劇団は、僕はもう旗揚げの頃からずっと見に行ってるよ」

昼間氏
「月蝕歌劇団の出し物といえば、よくみんなセーラー服着て踊ってますが、鈴木さんセーラー服好きなんですか?」

 鈴木氏、昼間氏に絡まれ、莞爾と微笑む。(右翼だけに)

 表現の問題についての鈴木氏のご意見は、『マンガ論争勃発2』本文や、「崩壊日記(出張所)」さんのレポをご参照下さい。メモが不整で・・・
 鈴木氏の最近の活動に話が及び、鈴木氏は和歌山の砒素入りカレー事件の林真須美被告の無罪説を唱えておられますが、その関連の話から裁判員制度について。裁判員制度そのものも報道の自由に関する重要な問題を孕んでしますが、そちらは『マンガ論争勃発2』で取り上げられています。

鈴木氏
「裁判員制度については、時には死刑を宣告するかどうか判断せねばならない、という重みが問題とされることが多いが、むしろ人を裁く喜び、人を死刑にする楽しみを覚えてしまったら、そちらの方が恐い。日本でも百何十年か前まで公開処刑をやっていた。そういうDNAがある」

 鈴木氏のご意見の前段については、小生も全く同意するところです。人を裁く喜び、死刑にする楽しみをもたらす心理は、ここまでの表現に関する議論で指摘された、「錦の御旗」を求め「白黒つけたがる」ものと通底しているでしょう。もっとも後段については、公開処刑は所謂先進国でも日本より廃止が遅かった例もあり(例:フランスは1939年廃止。お祭り騒ぎになったので政府が困って廃止した)、人間に普遍的な問題だろうと思います。
 閑話休題、その他血盟団のような直接行動の話とか、議会制へのロビイングは規制強化側の方が強くなりがちなので、そこでどうするかといった話もありましたが、メモが整っておりませんで申し訳ありません。

○質問のお時間

 最後に、会場からの声に応えるというひとときとなりました。この時間になりますと、ますますメモがいい加減になっているので、内容の至らない点をご寛恕下さい。

 最初は確か、当ブログでもロフトのイベントレポを書いた際にしばしばご登場の赤木智弘氏が飛び入り。その内容は最近話題を蒔いた、煙草が個人の趣味なら子育ても個人の趣味に過ぎない、という議論の件に関するものでしたので、各人適宜検索してご確認下さい。

 ついで声を上げたのは、これもお馴染み山本夜羽音先生

夜羽音氏
「昼間氏は東大に行って何がしたいのか」

昼間氏
「ただ単に『ジャーナリスト』というのでは箔がない、単なるライターでは先が見えない。名を挙げるため。東大の情報学環の研究生は、安価で期間も短いので入った」

夜羽音氏
「表現規制の活動については手詰まり感があるが」

永山氏
「署名活動やロビイングは、金があって有名人がいる方には勝てない。アグネス・チャンが出てきたら叶わない。同じことをやっても駄目。
 ではどうするか、昼間の言うように一人一人が有名になるか、夜羽音のようにマンガ家なら、自分で描け。あんたが自分で描いた政治のマンガはエンタテインメントになってない。面白くないといけない」

昼間氏
「だから自分は、『女性化連合赤軍ゲーム』を提案した(註:詳しくは『マンガ論争勃発2』の、鈴木邦男氏のページを参照)」

永山氏
「だからみんな商売を考えないと。日銭に困っている人には表現の自由の大切さを説いても伝わらない。相手に届くように、表現者が工夫していく必要がある」

 この永山氏が夜羽音氏を叱った言葉こそ、今日の核心となる言葉であったと小生は思います。

会場の声
「コミケのカタログの、Dr.モローのマンガが減ったのが残念。あれはコミケ参加者に、同人のことを『面白く伝える』役割があると思う」

市川氏
「減ったのはページの都合。元々余白に書いてもらうものなので、そのためにページを取るのは難しいが、これからもやっていきたい。今コミケカタログの注意書きは三十数ページもあるが、そんなに長いと誰も読まないので、工夫は必要と考えている」

会場の声
「携帯電話配信コンテンツのマンガは、規制が紙媒体と較べ非常に厳しい。しかしそのことがあまり知られていない」

昼間氏
「コンビニの雑誌の扱いのような、民間企業の自主規制のガイドラインは重要な問題だが、非公開。『マンガ論争勃発』で調べようと思ったが、見せてくれない。困る。
 アマゾンなどでは、売上が小さければ業績に響かないので規制してしまう。そういった規制をすり抜ける方法を考えても良いと思う」

会場の声
「そういった規制を作る場に、表現者も編集者もいないのが問題では」

会場の声(?)
「今の世の中はブログなどの表現者が増えている。表現の問題を自分の問題として考えられるようになれば」

壇上のどなたか(?)
「表現の自由を入り口に、社会のいろいろな問題が見えてくる」

 更に会場の声は幾つかあったのですが、もはや気力が尽きてメモがありません。申し訳ありません。
 ですが、多分最後の質問者の方が、ご自身のブログで経緯を語って下さってますので、そちらを紹介させていただきます。

・Gamer's Blog
「ちょっと真面目な表現規制のはなし」


 以上、概ね満員の盛況で、23時過ぎまで時間いっぱいに行われたイベントの概要でした。物販も結構好調で、『エロ漫画の黄金時代』の売上ぶりには塩山芳明氏も笑顔でした。小生ももちろん一冊購入し、サインをいただきました。実はこれが、この日最大の収穫だったかも。
 このイベントに関する小生の感想などは、別記事にて。

※追記:「別記事」はこちら
「永山薫・昼間たかし『マンガ論争勃発2』発売記念イベント 私的感想」

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by bokukoui | 2009-05-27 23:50 | 漫画

永山薫・昼間たかし『マンガ論争勃発2』発売記念イベント概略(1)

 いろいろお世話になっている、というか小生としてはお願いしたい筋があるので逆らえない、昼間たかし氏から要請があったもので、こちらのイベントに行って物販のお手伝いをして参りました。

『マンガ論争勃発2』発売記念!! 昼間たかし東大入学お祝いイベント

 タイトル長いですね。
 出演者は以下の通りです(上掲ブログより引用+一部加筆)。
市川孝一(コミックマーケット準備会共同代表)
金田淳子(社会学者)
塩山芳明(エロ漫画編集者・文筆家)
武田“コックローチ”圭史(赤ブーブー通信社)
中田雅喜(漫画家)
三崎尚人(同人誌研究家)

増田俊樹(映画監督)
大塚麻恵(女優)

鈴木邦男

永山薫(批評家)
昼間たかし
(ジャーナリスト/東京大学大学院情報学環教育部研究生)


 今回のイベントは、『マンガ論争勃発2』発売を機会に行われたものです。永山薫・昼間たかし両氏は、一昨年末『2007-2008 マンガ論争勃発』を出版されまして、ご存じの方も多いと思いますが、同書はマンガなどの表現の置かれた状況について、さまざまな立場の人の話をとにかく「聞く」ことによって、混沌としたこの状況の羅針盤を掴む手がかりを与える一冊でした(直接「答え」を与えるわけではないのがミソです)。それから一年(の筈が4ヵ月長くなりましたが)、マンガを巡る状況の厳しさは麻生首相になっても変わらず、不景気のためだけではなく更に厳しさを増今日、同書は更にパワーアップして帰ってきました。これは決して修辞ではなく、並べてみると分かりますが、『マンガ論争勃発2』は前巻より厚くなっています。それでいてお値段は据え置きというところが、本書発行への熱意の一端を感じさせます。

 本書の内容についてはリンク先の出版社サイトをご参照いただければと思いますが、著者の方々のブログに参考文献一覧が上がっていますので、リンクしておきます。取材した方々のお名前もネット上に載せればと思うのですが(前巻は載ってるのに)。
 さて、当ブログでは前巻出版時のイベント「マンガ論争勃発番外編-表現の自由と覚悟を問う」のレポを以前掲載しましたが、その因縁で関係者より今回もレポを書けという圧力をかけられております。しかし今回、小生は多事多端につき余裕がありませんので、ごく雑駁なものしか書く余裕がないことをご諒承下さい。くたびれている上に、忙しくて「マンガ論叢勃発2」自体買っていなかったので(この日、物販の仕事ついでに自分で買いました)、いわば予習不足であるため、メモの精度自体下がっています。
 ですので、今検索したところ以下のレポが既に公開されておりましたので、そちらもご参照下さい。

・マガジンひとり
 「イベント『マンガ論争勃発 - 永山薫vs昼間たかし これが現実だ!と、言われても…』」


・崩壊日記(出張所)
 「『マンガ論争勃発2』発売記念!! 昼間たかし東大入学お祝いイベント 永山薫vs昼間たかし これが現実だ!と、言われても・・・」


・ムキンポの忍者ブログ
「『マンガ論争勃発2』発売記念!! 昼間たかし東大入学お祝いイベント 永山薫vs昼間たかし これが現実だ!と、言われても・・・ 」
(写真中心)

※追記:その後発見したレポを以下に追加します。
・よた話
「『マンガ論争勃発2』発売記念イベント」


・Gamer's Blog
「ちょっと真面目な表現規制のはなし」
追記ここまで
 ではイベントの模様について。

 18時開場19時開始でしたが、開場と同時に10名程度の方が来場、18時半頃で50人程度に達し、19時には80人くらいになっていたのではないかと思います。聞いた話では事前予約が60人を超え、来場者は最終的に100人くらいになったのではないでしょうか。立ち見も出ていましたので。
 19時を少し廻ってイベント開始、まず永山氏登場、「今回のイベントは『漫画論争勃発2』発売記念と、あとなんか昼間が「東大入った」とかうわごとを言ってるので」
 昼間氏はこの四月から東大の研究生になられまして、その所属は「東京大学大学院情報学環境学部」なるところと『マンガ論争勃発2』巻末の著者紹介のところに書かれております。
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『マンガ論争勃発2』奥付より

 へー、情報学環が「情報学環境学部」の略称だったなんて初めて知ったなあ、と思って検索したら引っかかりません。やはり「東京大学大学院情報学環」が正式名称です。「情報学環境学部」なんてのは存在しません。
 ・・・昼間氏は学歴詐称? ニセ学生? 疑惑が深まるばかりです。

 ちなみに壇上には、昼間氏の東大入学を祝して花束が届けられていましたが、送り主は、首ちょんぱで兎角話題になったゲームの製作会社・オーバーフローのメイザーズぬまきち社長でした。

○塩山芳明氏のお話

 閑話休題、まず最初のゲスト・下請けエロマンガ編集者の塩山芳明氏の登場です。氏の最新刊『出版奈落の断末魔 エロ漫画の黄金時代』の編集者・奥山さんが、葬式のアナウンスそっくりの調子でナレーションを読み上げて、塩山氏登壇。
 で、メモが不整なので、以下の内容は話された内容のごく一部、とびとびです。

塩山氏
「昔は幾つもエロマンガ下請けの編集プロダクションがあったが、今はほとんどない。編集者も、55歳で現役なのは自分だけ。月刊誌はなくなり、隔月の雑誌をやっている。

 この十年はマンガが没落する十年だった。そんな中で、ティーアイネットは先日創業十周年記念パーティーをやった。今時十周年を祝える会社なんてない。
 ティーアイネットの高橋大編集長様は、週刊少年ジャンプ方式を採っている。連載した漫画家が単行本を出して、売れなかったら即刻切ってもう使わない。ハードボイルドな人。『BUSTER COMIC』のマンガを一部担当させてもらっているが、最初は7、8本やっていたのが今では2、3本に。
 でも十周年パーティーなんてやると駄目になる、潰れる。○周年パーティーやってすぐ潰れたのは多い」

昼間氏
「塩山さんの本(『出版奈落の断末魔 エロ漫画の黄金時代』)には、いろいろな人の生きざまが描かれていますが・・・」

塩山氏
「おメェ、『生きざま』って、よくそんな恥語が使えんな」

昼間氏
「・・・えー、その、塩山さんがどうやって娘さんを大学にやったのかとか」

永山氏
「エロマンガバブルの頃は儲かった?」

塩山氏
「儲かった。『体験的在日韓国人損得論』書いてる吉田のバアさんとプロダクションやってたが、毎月『こんなことが続くのかねえ』と言い合っていたのが、十年続いた。
 バブルで、それまで1万だった初版が2万とかになった。それが今では6000とか。印税はこの業界8%だが、6%なんてこともあるのでは。元々久保書店が印税率低かった代わりに単行本を出してくれたが、総久保書店化している。印税が消費税率と同じだとか、最近は改訂前の税率だなんて噂も。
 久保書店はストリッパーが流れ着く場末の小屋みたいなところ」

(メモ欠落)

塩山氏
「田母神さんの娘さんがウチでバイトしてた。最初エロマンガを持ち込んできて、再録本の『キャンディクラブ』に一度載せたが、その後マンガが進歩しないので、バイトの方をやらないかと言った。
 お父さんよりよっぽどしっかりした娘さんだった。
『お父さんと塩山さんは考えが違いますね』なんて言ってた」

※田母神氏の「論文」については、過去に当ブログでも取り上げましたので是非そちらもどうぞ(宣伝)
「アパグループ『謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本。』瞥見」
「『諸君!』秦郁彦・西尾幹二「『田母神俊夫=真贋論争』を決着する」


永山氏
「最近、都の青少年健全の指定の方はどうか」

塩山氏
「最近はひどい。昔はあまり呼ばれなかったが、最近は規制が公共事業化している。役人が偉そうになった。昔は都の人は、『こんな恥ずかしい仕事やだなあ』という、伏し目がちな感じだった。
 この間都に呼ばれて行ったら、ニシムラというクソ野郎、体育教師の脳味噌筋肉みたいのが出てきた。名刺を見て、『キミ、(註:出版社の)社長じゃないの~』とか抜かす。『出版奈落の断末魔 エロ漫画の黄金時代』には間に合わなかったが、もし間に合う時期だったら必ず実名で書いてやった。
 一緒に行った一水社の野郎がペコペコしてた。都の規制はあくまで自主規制なのに、そこまでペコペコすることはない。

 警察は恐い。警察にはペコペコする。ペコペコしないのは末井昭だけだった」

永山氏
「塩山さんは暴力や権力に弱いですからね」

塩山氏
「学生時代デモに行って、殴られるのが恐いから集団の真ん中の方にいたら、一緒にいた女の子に『何隠れてんの! 外に行きなさいよ!』と怒られた。それで左翼やめた。

 都の話に戻ると、石原都政がもう三期目で、石原のような偉そうな規制ぶりが下にまで浸透してしまっている。(註:この辺メモ不整につき言葉が違っているかも)
 ニシムラに『あんた内務省の役人みたいだね、これは自主規制の問題だろ、審議会で決めることだろ』と言ったら、『イエ、審議会は参考にするだけです、
石原慎太郎が決めるんです!』と言った」

永山氏
「語るに落ちましたな」

塩山氏
「空手でもやってたら、こいつ殴りつけてやろうかと思った。
 警視庁は、最近は滅多なことでは呼ばない。今は天下りの利権にもならないのに余計な仕事をしない。80年代の警察はしょっちゅう呼び出していたが、利権もないのによく仕事をしていたと思う。ある意味感心する。

 コンビニは都庁のシマになってる。子供が行くから、と理屈をつけて規制をかけている。コンビニを支配することで出版の支配をしている。そのうちコンビニに都庁の役人が天下りするんだろう。

 聞いた話では、ニシムラという馬鹿は、レディース系雑誌のタイトルの『Secret』が読めなかったとか」

昼間氏
「規制以前に、マンガ自体売れなくなっているのでは」

塩山氏
「その話は松文館の貴志社長に聞いたら。何でも、ネット配信したのを本にしたら全く売れなかったらしい」

 その他、永山氏が「塩山さんは最近文化人ぶってる」と突っ込んだり、塩山氏が『出版奈落の断末魔 エロ漫画の黄金時代』の特大帯のイラストを描いた、いがらしみきお氏との交友を語ったりされ、また会場からの質問にも答えます。

質問
「劇画から美少女マンガへの流れはどうだったのか」

塩山氏
「これはすごかった。劇画が80年代末、いきなり売れなくなった。
 これまで7~8万部から10万部刷ってたのが売れなくなった。だからといって、ロリコンマンガにはツテがないし、勝手が分からないから台割も引けない。
 その頃、桜桃書房が朝日新聞に『編集者・マンガ家募集』の広告を出した。劇画の大手の桜桃でもロリコンマンガのやり方が分からなくて、広告で編集者やマンガ家を集めようとしていた。

 しかし自分は、桜桃のような広告費はなくても、ロリコンマンガを書くような連中は群れたがる、ということを知っていた。千葉の方の・・・(メモ不整)あたりで連中がたむろしているところがあって、一人見つけて後は芋づる。上総志摩とか、中総ももとか。
 ロリコンマンガ家は群れたがる。まったく日本人的な連中。劇画家はもっと孤高。ロリコンマンガ家は逃げる。劇画家は締切守らなくても約束は守る。

 ロリコン漫画誌で一番売れてたのは『ロリポップ』、ではよし、と『ロリタッチ』にした。こういう模倣コピーライトは遠山企画(註:塩山氏が当時いた編プロ)が最初かも」

 その他、いがらしみきお氏の作品についてや、「杉作J太郎はバイトとしては使えない」なんて話が出てました。

永山氏
「印象に残っているマンガ家は」

塩山氏
「最近、鹿とレースクィーンの獣姦漫画描かした、やまだのら・・・」

永山氏(?)
「鹿!?」

塩山氏
「あと阿宮美亜」

永山氏(会場に向かって)
「諷刺というもおこがましい、薄っぺらな国労や日教組の批判を漫画に描いてた人です。ですが塩山さんとは思想が違いますよね」

塩山氏
「右翼にしては芸がある。
 劇画からロリコン漫画に移行する頃は、ああいう中間的な絵の人はよく売れた。阿宮美亜には、麻原彰晃が空中浮遊する漫画があって、よく売れた。でも、日教組にいじめられた右翼の女教師が日の丸に脱糞するコマは、さすがに白くしてしまった」

永山氏
「麻原は刷ったんですか」

塩山氏
「全体に網かけたけどな。
 でも、エロマンガ弾圧の後、劇画は全く売れなくなった」

 塩山氏のお話は大体以上だったと思います。塩山氏、最後に昼間氏に
「おメェ、司会下手だな。おまけに『生きざま』だの『コラボレーション』だの恥語連発しやがって」
 と突っ込んだところに、永山氏が
「昼間はお客の入りが多いとあがるんですよ」
 と、フォローだか追い打ちだかを。

○中田雅喜・金田淳子両氏のお話

 次いで登場したのが、ベテランのマンガ家・中田雅喜氏と、BL評論で有名な金田淳子氏です。永山氏だったか昼間氏だったか、「既に楽屋で、おふたりBL話でものすごく盛り上がってらした」と言ってたかと思いますが、この第2部はお二人がものすごい勢いで喋りまくり、おまけに小生はBLに全く疎いので、メモが更に一層怪しくなっております。中田氏の台詞と金田氏の台詞を混同している恐れも大。いやもうすごいマシンガントークでした。タイフーンとヴィルベルヴィントが撃ちあってるみたいな。

昼間氏
「楽しいお客さんをお迎えしました。マンガ家の中田さんとBL研究者の金田さん。中田さんはロリコン漫画の元祖の『漫画ブリッコ』に描かれ、『ペンギンクラブ』にも創刊号から書かれていました。女性のエッセイコミックの先駆け、というかエッセイコミック自体の先駆け」
と、創刊号の『ペンギンクラブ』なんかを持参して会場に示す昼間氏。

永山氏
「今日はBLというものがどんなに危険で、エロマンガと一緒にしっかり弾圧して貰いましょう、という話を(笑)」

昼間氏
「BLについては、去年堺市の図書館で騒ぎがありました」

金田氏
「図書館から撤去したというBL本のリストが変だった。スニーカー文庫が入っていて変という声もあったが、スニーカーにはルビー文庫に近いものもあるのでこれは必ずしも変ではない。しかし逆に、古典的な大物が入っていない、栗本薫先生の『翼あるもの』とか。中学の頃、私はこれで60回ぐらい抜いたというのに」

昼間氏(?)
「撤去の基準は抜けるかどうかなのか・・・?」

中田氏
「『伊賀の影丸』の拷問シーンがエロい。ああいうので目覚めた。手塚もエロい。意識してエロをやっているのか分からないが、傍若無人」

金田氏
「『七色いんこ』なんて、あれこそ図書館に置いていいのか」

中田氏
「歳取ると、オナニーするとエクスタシーで足がつってしまいイケなくなる」

金田氏
「自分は中学の頃からつってた。運動不足で。でも足がつるのが恐くてオナニーできるか

金子氏(?)
「図書館問題でBL撤去派が、『BLなんて低俗なものが、私たちの敬愛する司馬遼太郎先生の隣にあるのはけしからん』と言っていて、もうおかしいといったら。新撰組が腐女子に人気なのは、司馬遼太郎の『燃えよ剣』のせいなのに(笑)。戦国ものでも、島左近と石田三成とか、『関ヶ原』の影響」

中田氏(?)
「司馬自身は“そういう”人だったのか」

金子氏(?)
「元軍人とかなら、海軍とかでは」

中田氏(?)
「海軍ならね。軍艦だし、海の上で女いないし」

 暴走とどまるところを知らぬお二人のトークに呆気にとられていた会場からやっと手が上がり、「司馬は陸軍ですよ。陸軍の戦車兵」
 それを聞いた中田氏と金子氏、「戦車か」「戦車もいいよね」「戦車でカーセックス」「で、イクと同時に大砲発射して」
 更に金子氏が鉄道擬人化BL同人誌を持ち出して力説されていたかと思いますが、小生も呆気にとられていたのかこの辺メモが欠けてます。もっとも擬人化の必要すら感じない鉄道趣味者の方が変質者なのかも知れません。個人的な話で恐縮ですが、小生はハダカの女の子の写真集や二次元美少女の画集など見ていてもすぐに飽きてしまいますが、電車や軍艦の写真集や図面集は何年経っても飽きることがなく、十数年来眺めて楽しんでいる蔵書も少なくありません。
 気を取り直して次の話題。

中田氏
「自分の若い頃の漫画には、BLというか男と女を変化するメタモルフォーズなのが多かった。
 自分は1954年生まれだが、その頃は女性がもっと抑圧されていた。だから女性が男性のヌイグルミの中に入って自由に恋愛する、というスタイルだったのではないか。そんなに即物的ではなく、シチュエーションにこだわった。即物的なものにドキドキするのは中高生頃。
 自分も即物的な描写(潮吹きとか)はほかの人が一生懸命描いていると、自分は別にいい、特異なところで描こうと思う」

 その後、フィルムセンターで現在やっている怪獣・SF映画特集の話に。これまで低級なものとして、東京国立近代美術館の一部であるフィルムセンターから無視されていたSFやC級時代劇も、やっと扱われるようになった。それは世代交代により、SFなどに詳しい学芸員が着任したから。

金子氏
「自分も大学でBLを研究する時、教授を説得するのが大変。エネルギーの8割は説得、2割で研究」

中田氏
「マンガ家と編集者みたい」

 ここでマンガ家と編集者の話から、中田氏のところに大塚英志がやってきて、ロリコンマンガを描かせた時の話に。何故ロリコンマンガかといえば、

 毛を描いてはいけない
 →毛を描かないで裸を描いたらなんか変
 →ではもともと生えてない幼女にすれば


 という理由だったそうです。ヘアヌード撮ると捕まるから少女の写真集を作ったという、そっちの世界と同じ話ですね。

 中田・金子両氏のトークについてのメモはここまでです。どうもこの辺の話の面白さというか、猛烈な勢いをうまく伝えることができず、申し訳ない限りです。
 で、さすがに一つの記事としては長いし、時間的にもちょうど中間点まで来ましたので、ここで一端切ります。続きはしばしお待ちを。

追記:本記事の続篇はこちら→「永山薫・昼間たかし『マンガ論争勃発2』発売記念イベント概略(2)」
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by bokukoui | 2009-05-20 23:58 | 漫画

もっとも過酷な「鉄道むすめ」の仕事 8メートルの雪を除雪せよ

 前回の記事「鉄道と漫画・MATSUDA98篇 19才の『鉄道むすめ』はなぜ死んだか」の続篇です。というか、もはやマンガはあんまり関係なくなってきていて(苦笑)、当ブログでは以前にも戦前の鉄道業の従事する女性に関する記事を掲載し、原武史氏の謬見を正しておきましたが(サントリー学芸賞の鉄道本略論 番外(1) ~鉄道と女性・阪急篇~ / 同(2) / 同(3))、どちらかといえばその続きになるかも知れません。
 で、小生先日仕事であちこちの地方史をめくり倒しては鉄道関連の記述を集めるということをやっていたのですが、その中で大変よくできた地方史と鉄道関連の記述にぶつかり、大変興味深いので以下に簡単にご紹介する次第です。

 それは新潟県津南町が作った、津南町史編さん委員会編『津南町史 通史編 下巻』(津南町)というものです。津南町というのは新潟県の南西の端、長野県と県境を接する、信濃川沿いの地域です。そしてここは日本屈指の豪雪地帯として知られています。
 ここを走る鉄道はJR飯山線で、長野のちょっと北の豊野から、小千谷のちょっと南の越後川口まで、信濃川沿いに走っています。この路線は、豊野~十日町間が元々飯山鉄道という私鉄で、十日町~越後川口間は国鉄によって建設されました。
 建設に至るまでのさまざまな鉄道構想も興味深いのですが、本題から外れるので省略。このルートは東京~新潟ルートの候補だったことがありまして、それについては興味のある方は『津南町史』の記述が良くできているので読むといいでしょう。新潟連絡の鉄道構想全般については、今年交通図書賞を取った老川慶喜『近代日本の鉄道構想』(日本経済評論社)を参照のこと。

 では本題。
 このような豪雪地帯を走る鉄道にとって、冬期の除雪作業をどうするかは重要な問題です。除雪といえばラッセル車だのキマロキだのというのが有名ですが、結局最後は人海戦術です。これは豪雪地帯ではどこでもみられる話で、大体は地域の青年団とか消防団などが中心になって人を集め、除雪作業を請け負います。これはその昔では、豪雪地帯の住民にとっても、農業のできない冬に出稼ぎに行かなくても地元で現金収入が得られるメリットがありました。豪雪でどうにもならなくなると軍隊が出動します。旧日本軍の豪雪などの災害出動については、吉田律人さんの諸論文をご参照下さい(CiNii とかで調べてね)。
 で、これまで幾つかの文献で読んできたところでは、こういう作業は皆男がやっていたものでしたが、津南町の場合では女性も作業に参加していたという、これまでにあまり聞いたことのないことが記されていました。昭和初期の話です。

 飯山鉄道沿線の村では除雪組合を組織して、人夫の供給を請け負っていたのですが、その請負契約書では、人夫は身体強壮の18~45歳の男子、勤務時間7時~17時で賃金1日1円(当時の1円は現在なら3000円くらいかと思います)、時間外手当1時間10銭等々ということが定められていたそうです。ここでは「男子のみ」となっていますね。ところが実際には、1927~28年の冬の巻下集落(外丸村→現津南町)の場合、
・・・男子のみという契約にもかかわらず女子労働も認められ、80銭の日当が支給された。この年、巻下と外丸本村で男842人5分(賃金842円50銭)女111人(賃金88円80銭)計953人5分(賃金931円30銭)の実績になっている。
 
(註:除雪)組合は、(註:飯山鉄道)会社の支給する賃金から男子は1日15銭、女子は20銭を天引きして経費にあてた。この冬は総額148円57銭5厘の収入となり、交際費・監督の日当・事務費を控除したあと86円87銭5厘の残金が出たので、その半分を出動人夫に配当している。女子の賃金が一般に男子の半額といわれた時代だけに、天引き率も男子より高率に定められたのである。
(『津南町史 通史編 下巻』p.354)
 と、女性が除雪に動員されていたことが分かります。

 この後の推移を『津南町史』の記述を拾ってみていくと、1930~31年の冬には女子賃金の記載がなく、1933~34年の冬は豪雪で男子1704.1人・女子410.8人が出動し(端数は途中で帰った人などがいたのでしょう)、1936~37年の冬には少雪のため女子の出動はなかったようですが、1937~38年の冬には男子1873人、女子212人が出動したそうです。『津南町史』の資料編には詳しい資料が載っているそうですが、残念ながらそちらは未見です。
 出動人数に占める女子の比率からして、炊き出しみたいな補助作業ではなく、除雪本体の作業に従事していたのだろうと考えます。除雪作業は危険度も高く、これは近隣の『飯山市誌』に載っていた話ですが、橇に雪を載せて鉄橋から川に雪を捨てる際、雪が橇に凍り付いて橇ごと落っこちてしまい、それに巻き込まれて転落死したとか、除雪しているところに列車がやってきて、逃げ場がなく轢かれたといった事例があったそうです。
 戦時中車掌や運転士になった女性には、颯爽とした制服姿の乗務員の仕事に憧れをもってなった方もかなりいたようですが、全然颯爽としていない、危険で大変な、縁の下の力持ち的な仕事の従事していた女性もいたのだ、というお話でありました。
 いろいろ勘案すると、やはり雪が酷かったり(日本最大級の豪雪地帯ですから。もっとも、本当に雪が酷くなると除雪を諦め運休しますが)、発電所工事や戦争で人手が取られると、元々人口の多くないこういった地域では、女性の労働力も活用せざるを得なかったということでしょう。1935、6年頃は鉄道省に加え東京電灯の発電所工事も始まり、そして間もなく日中戦争となって、人手不足はますます深刻化したようです。

 ですが、折角なのでこれも、実際に若い娘がいたかどうかは別にして(やはり長野の製糸工場に出稼ぎに行ったんじゃ・・・)、フィギュアの「鉄道むすめ」シリーズを続ける際の案の一つに入れては如何でしょうか。
 「むすめ」の名前は「森宮のはら」を提案しておきます。何といっても飯山線の森宮野原駅は、1945年に7.85mという、日本の鉄道での積雪最高記録を樹立したところですので。ちなみにこの駅名は、最初新潟県の上郷村(現・津南町)羽倉に予定したところ、地形的に厳しいため長野県側の水内村(現・栄村)の森に変更したので、「森」に上郷村の地名「宮野原」も付け足して「森宮野原」になったそうですので(『津南町史』p.349)、この切り方はちょっとおかしいんですが、しかし何となく人名ぽくはあります。
 飯山線も経営状態がいいはずはありませんので、グッズでも何でも作って、除雪経費の足しにでもなれば、それはそれでいいのではないかと。

 ああそうそう、「森宮のはら」ちゃんの衣装ですが、これはもうもんぺしか。時節柄としても。で、藁靴にかんじきとかでどうでしょうか。

 ヨタ話は置いておいて、この『津南町史』の鉄道の記述は、この除雪組合の件のように、地元に残された史料をよく活用しており、興味が尽きません。全体の記述も、より広域の鉄道構想に目配りしつつ、飯山線と深い関係を持った東京電灯や鉄道省の発電所(鉄道省の発電所はJR東日本に引き継がれましたが、先日取水量を誤魔化していたことが発覚して水利権を没収されました)の建設とも関連づけ、地域にとっての意義を良く描き出しています。
 地方史の鉄道に関する記述については、以前当ブログでも青木栄一『鉄道忌避伝説の謎 汽車が来た町、来なかった町』(吉川弘文館)を紹介し、地方史にはあんまり検証もせず、「地元の反対で鉄道が来なかった」という、実際の史料上では発見できない話を書いてしまう、という問題点が指摘されていることを紹介しました。近年の地方史では、そのような記述はだいぶ影を潜めてきています。
 『津南町史』は1985年と結構以前の発行ですが、鉄道忌避伝説については、まず史料をあげて地域の鉄道誘致の熱意を示したのち、
・・・この時代は鉄道建設は総論賛成・各論反対(鉄道が自分の町を通るのは賛成だが自分の土地をつぶすのは反対)が一般的で、忌避伝説では「鉄道が通れば火事になったり風儀が乱れたりするから反対」という俗説が多いが、明治二十五年という早い時期に総論、各論とも賛成というのは見事であり、交通機関に恵まれていない津南郷住民の鉄道への協力が十分に察知される。
(『津南町史 通史編 下巻』p.343)
 と述べており、時期的にはかなり早い「忌避伝説」打破をした地方史ではないかと思います。

 『津南町史』でもっとも興味深いのは、飯山鉄道の寄付金強要問題です。
 ローカル私鉄の建設時は、株式を沿線の人に割り当て、あたかも「村祭りの寄付」のようにして資本を集めたというのはよく知られていることです。そして、株式応募以外にも、鉄道のために補助金を出したり、用地を寄付したりという話も全国各地に伝わっています。沿線住民の、「自分たちの鉄道」が欲しいという熱意で、この意識の残滓が、今になってローカル線廃止反対につながることもあるのではないかと思います。
 飯山鉄道もその例に漏れず、信濃浅野駅なんかについて用地を寄付したという話があります。ところが飯山鉄道はそれでもさらに金がなく、結局沿線の信濃川流域で水力発電所を計画していた電力会社に、建設資材の輸送を担うことを条件に出資して貰うことになりました。すると、
・・・信越電力の資本参加後、工事が信濃川・中津川の電源地帯に向かって進むにつれ、住民の考えも大分変わってきた。株式募集に応じたり、用地買収に協力するなどの通常の経済関係はみられたが、用地の寄附は少なくなり、また新潟県も南魚沼郡も補助金は支出していない。
 そこで飯山鉄道は、駅用地を寄附した地元とそうでないところとの間に公平を期するという理由で、停車場(駅)を設定する地域の地元から寄附金を徴収することにした。寄附に徴収とはそぐわない言葉だが、少なくともこの寄附金の実態は、自発的な寄附というよりは賦課金に近い・・・。
(『津南町史 通史編 下巻』pp.350-351)
 寄付金を徴収。確かにこれは、そぐわない言葉です。しかも会社が公然と要求したというのは、日本ではあまり例を聞いた覚えがありません。アメリカでは、「金払わないと線路つけないぞ」と鉄道会社が金を要求した例はよくあったようですが。
 実際、飯山鉄道は当初駅建設予定だった平滝を、寄附に熱がないからと横倉に変えてしまったのでした(のちに平滝駅もできますが)。そこで地元が払わされることになった寄附金、越後外丸駅6500円、越後鹿渡駅3500円。今のお金で外丸が二千数百万、鹿渡が一千数百万というところでしょうか。

 この資金調達と支払については、『津南町史』のこの部分の資料編を作成された瀬古龍雄氏が、「飯山鉄道と地元寄附金問題 不況期に金策に苦しむ零細山村の実態」という論文を『鉄道史学』1号(1984)に発表されています。

 それによれば、この寄附金は貧しい山村にとっては大金で、仕方なく当座は村が銀行から借りて払い、その後分割払いで鉄道におさめることになったのですが、折からの世界恐慌に農村不況でどうにもならず、すると鉄道会社の支配人から「はよ払え」と督促状が届きます。その督促状には、「払わないと鉄道省とかうちの社長が怒るよ」という趣旨のことが書かれていました。飯山鉄道の社長は、最大株主の東京電灯=当時日本最大の電力会社、というか当時日本最大の株式会社、の社長が兼務していました。
 これが多摩あたりで同じことをやれば、住民が逆ギレして鉄道本社が火の手に包まれたと思いますが(笑)、山村の住民はそれだけの力もなく、泣く泣く払ったようです。さらに金を借りていた銀行からも返済を迫られ、こっちは何とか利子を負けてもらって解決したとか。
 
 東京電灯の威光まで使って金を要求するとは、なんだかやってることがヤクザじみてますね。東京電灯はアメリカから電灯技術を導入して創業しましたが、アメリカから余計なビジネスモデルも学んできたんでしょうか。
 アメリカといえば、世界鉄道史上最悪の雪害は、アメリカの大陸横断鉄道の一つであるグレート・ノーザン鉄道が、カスケード山脈で雪崩に巻き込まれて96名の死者を出した事故だと物の本にあります。「ラッセル車」というのも、アメリカのラッセル社から買った車輌が最初だったのでそういう名前になったらしいです。
 で、アメリカ大陸横断鉄道といえば、太平洋岸では人手が少なかったので、中国人労働者を連れてきて働かせたことがよく知られていますが、飯山線の建設工事では、人夫の約8割が朝鮮人労働者だったそうです。
 ある意味飯山線は、「アメリカン」な鉄道だったのかと・・・


 というわけで、2回にわたって鉄道と女性関係の話をお届けしましたが、どちらの記事も実は後半にこそ小生の書きたいことがあったわけで、「鉄道むすめ」というワードに引っかかってここまで読んできてくださった方には期待はずれだったかも知れませんが、当ブログの仕様なのでご海容の程。枕にしてしまったMATSUDA98さんや読者の方には失礼いたしました。
 最後に一応話を元に戻してくるならば、「鉄道むすめ」的な話をもっとふくらますのだったら、観光案内的なものから地域に根ざしたものになることで、鉄道全体への好感度がもっと上がれば、そして交通体系への関心が高まれば良いと思います。それは物語作りの上でも手がかりになろうかと。
 それにつけても、鉄道の労働組合が暴走した挙げ句住民が怒る、という話を作った速水螺旋人先生のセンスにはほとほと脱帽する次第です。荒唐無稽なお話でも、ツボを押さえているから読者を唸らせるわけで、車輌の絵同様、知識に裏打ちされた速水先生のディフォルメの上手さだろうと思います。作品数が増えることで、こういった知識やツボの抑え方も、マンガの世界で広まっていけばと願います。

 「鉄道+女の子」もので、世界で一番流行ったのは、おそらくアメリカのMGM映画『ハーヴェイ・ガールズ』(1946)だと思います。ハーヴェイ・ガールズの話は当ブログでも何回かしましたが、この映画は、なんてったってアカデミー賞を取っているのです(ジュディ・ガーランドの歌による音楽賞ですが)。
 というわけで、「鉄道むすめ」も目指せオスカー! として、本稿をひとまず締め括ります。
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by bokukoui | 2009-05-13 23:59 | 鉄道(歴史方面)

鉄道と漫画・MATSUDA98篇 19才の「鉄道むすめ」はなぜ死んだか

 当ブログでは前にも「鉄道とマンガの話」なるシリーズをやっておりましたが、久しぶりのその続き、みたいな話です。
 先日、書店で平積みになっていたのを何気なく見かけ、つい購入してしまったのがこの一冊。

MATSUDA98
『鉄道むすめ~Terminal Memory~

 左の書影はオンライン書店boopleから引用しましたが、実際の色調より濃いめな感じがしますので、(※追記:boopleがなくなったのでアマゾンに差し替えました)作者のMATSUDA98さんのサイトの画像を参照されるのが宜しいかと思います。サイズも大きいし。


 「鉄道むすめ」という、鉄道の現業従業員の制服姿の美少女フィギュアのシリーズがあるということは知っていましたが、フィギュアには関心がないので特に注意を払ってはいなかったところ、マンガになっていたのには驚きました。というか、どうやらフィギュアから小説やらゲームやら実写ドラマ(!?)やらにメディア展開し、これはゲームを漫画化したものらしいです。うーん・・・
 小生はそれだけいろいろ展開しているらしい「鉄道むすめ」業界については全く疎いので、これから自分が書く感想がとんでもなく頓珍漢ではないかという恐怖に襲われましたので、まずは斯界に通じておられる先達の方々の感想を、検索して発見した範囲でご紹介したいと思います。

・「こばぴょんのブログ」さん
・「アーリオ オーリオ」さん
・「mujinの日記」さん
・「Planetary Diary」さん
・「それは舞い散るマッチのように(ただいま受験生!!)」さん
・「日々に暮らす」さん
・「マンガ肉が足りないっ!」さん
・「睦月堂工房」さん
・「みきろぐ♪」さん
・「青い留置線・改」さん
・「犀の目ぶろっぐ」さん
・「ゆな日記」さん
・「3日坊主のメイドさん」さん
・「びぜんやのみたものよんだもの」さん
・「side=2」さん

 数多く見つかりました。なかなか人気のようですね。感想を書かれている方は、どちらかと言えばマンガや「萌え」方面にご関心の方が多いようで、鉄道も好きそうな方も見受けられますが、そういう人以外にも浸透することに成功しているようです。しかしこうなると、がっつり鉄道のことを書くつもりの小生はやっぱ頓珍漢なのかと・・・
 本書は3部構成で、それぞれが前後編に別れています。前篇は雑誌記者(男)が各々の鉄道を取材に行って「鉄道むすめ」に案内してもらい、後篇が彼女たちのエピソードになっています。取り上げられているのは順に、銚子電鉄・三陸鉄道・広島電鉄です。個人的には以前どれも乗ったことがあるもので(三陸鉄道は全線乗ってないと思いますが。確か小本から岩泉にバスで抜けたので)、その折のことを思い出しつつ読みました。昔行った時はまだ「己斐」駅だったなあ・・・

 小生の感想ですが、女の子の絵はとても可愛いし、お話もラブコメ的なのではなくて、鉄道を舞台とした職業意識とキャラクターの成長がテーマとなっている真面目なもので、それに観光案内というか地域振興的な要素も盛り込まれています。鉄道会社も随分協力的なようで、このマンガとタイアップしたスタンプラリーをやっているそうです。
 このような、「美少女」+他の何か、的なものについて、当ブログでは以前『おしおき娘大全集』を酷評したことがありましたが、このマンガ版『鉄道むすめ』はそのような問題はありません。絵師のMATSUDA98さんは、鉄道なんか知識もないし描いたこともない旨を書かれていますが、やはり現地取材の成果か、情報もいろいろ盛りだくさんで、面白く読めます。もしかすると「鉄道むすめ」抜きの番外編取材マンガが一番面白かったり? かはともかく、他の「萌え」+ネタ的なものと違い、見に行って乗って感じることができるものだけに、ちゃんと取材すれば、他のその手のものが陥りがちな弊を免れた、地に足の付いたものになるのだろうと思います。
 このような媒体を通じて、直接観光収入に結びつくという形でなくても、鉄道への認知度と好感度が上がることは、現今の社会情勢に照らしても結構なことと思います。否、むしろ直接的な収益よりも、無形の好感度の方が重要かも知れません。結局、銚子や三陸のような鉄道の存続は、地元の支持にかかっているわけですから。また広島も、路面電車が存続できたのは、警察が軌道内自動車乗入禁止に理解があったことが一因と聞きますが、これも地元の理解なくしてはできないことです。

 という感想を抱きましたが、一方で多少改良して欲しい点も感じたので、絵とお話とでそれぞれ一点づつ。

 絵については、女の子はそらもう可愛いんですけど、鉄道車輌がいまいち可愛くないのです。鉄道の絵に間違いがあるとあら探しをしたいのではありません、むしろ本作の車輌の絵は正確です。写真資料を活用しているのでしょう。でも、その正確な車輌の絵と、「萌え」な美少女の絵を並べると、どうもしっくり来ない感じを受けてしまいます。お互いに浮いてしまうというか。
 では「可愛い」鉄道車輌の絵は、といって小生が即座に思い浮かべられる実例は、『速水螺旋人の馬車馬大作戦』巻頭を飾る「頭上の装甲列車」しか思いつかないのですが、「メカ」全般となれば宮崎駿『雑想ノート』も挙げられるでしょう。これらの作品では、美少女とメカとが一つの世界に馴染んでおり、しかもデフォルメされたメカの描写が、写実性と両立しているのです。
 もっともそれは、マンガの歴史において、女の子を漫画的にデフォルメして描く技法が長年にわたって発達してきたのに、メカものの中でも特に鉄道車輌については発達してこなかったせいもあるんじゃないかなと思います。それは昔、『アドルフに告ぐ』を読んでいて、手塚治虫以来の理由があるんじゃないかと思ったことがありますが、話が逸れるのでその話はここまで。

 お話については、銚子電鉄の章でせっかく、取材に来た記者が「鉄道むすめ」さんに「今日つくしさんがするべきことは観光案内なんかじゃなかったんじゃないですか?」という台詞があったのに、地域の乗客の影が薄かったのは残念だなあという気がちょっとしました。結局、外から来る人の視点にとどまっていて。
 どこで読んだか聞いたか忘れましたが、ローカル私鉄の経営について印象に残っている言葉に、「観光客100人が乗った売上は、沿線の高校生一人が自転車通学に切り替えることで吹き飛んでしまう」というのがあります。「ローカル線研究をするなら先ず沿線の高校に行け」とは、地方鉄道研究第一人者の方から聞いた言葉でした。黒部峡谷鉄道のような例もありますが、やはり鉄道の多くは、沿線の顧客あってこその存在でしょう。そしてローカル線の場合、その中心は高校生と老人である場合が大半です。
 というわけで、制服の女子高生をいっぱい出して、「鉄道むすめ」との間で「百合」風味も交えれば売上がさらに2割増し・・・になるかな?(笑)
 もっとも、では日常を支える安全や安心、を中心に据えたら、「鉄道むすめ」より「鉄道おばさん」の方が適切な気もしてきます。ロシアの電車みたいな。

 てなわけで、今まで敬遠していた「鉄道むすめ」ものでしたが、このマンガはなかなかと思います。改良を加えて続きを・・・と思ったら、どうも連載終了したみたいですね。残念。
 フィギュアからの展開なら、小説や実写ドラマと較べても、マンガというのはもっとも素直そうな選択なのに、案外扱いが軽いですね。これもやはり、マンガの文法で鉄道車輌を「可愛く」書く手法が確立されていないから、なんでしょうか。

 さて、既に充分長いですが、本書では安全を守るという鉄道員の責務が一つのテーマになっており、また広島電鉄のところで戦時中の女子職員の話が出てきたので、ふと思い出したことがあり、この機会に書いておきます。
 お話の前に、文字ばかりでも何なので一枚。
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新潟電鉄(のち新潟交通)の戦時中の女性車掌
『新潟市史 通史編4 近代(下)』(新潟市)p.427より

 『日本民鉄電車特集集成 第2分冊』という、『鉄道ピクトリアル』誌の過去の記事から私鉄電車に関するものを集めた本(この本自体発行以来30年経ってますが)が小生の蔵書中にありまして、当時東武鉄道の杉戸教習所長であった早川平左衛門という人の書いた「今にして思う」という文章が気になっています。以前読んでいたのですが、最近調べ物で本書をまた繙き、思い出したのでこの機会に。
 この記事が何年に書かれたかが記載されていないのですが、三河島鶴見の事故からさほど経っていない時のようです。昭和40年前後でしょうか。
 この記事は、戦時中東武で起こった「社有史上最大」の事故について、直接は書いたものです。1945年4月11日、東武伊勢崎線剛志~新伊勢崎間で、タブレット扱いの間違いから下り貨物列車(蒸気機関車牽引)と上り電車が正面衝突し、死者58名、負傷者240名に及んだという大事故でした。早川氏はこの事故を回想し、原因について以下のように述べます。
 今にして思う、応召者は日を追って増加し、男子従業員は極端に減少したので、これが補充のため職場に働く女子従業員を運転士に養成する方針を樹て、直ちに実施されたのである。養成期間は電車構造と機器の取り扱いにつき2~3週間、電車運転見習約1カ月を目途に15人が養成され、単独作業についたのであった。なお内1名は単独仕業いくばくもなくして、当社佐野線渡瀬駅構内において正面衝突事故を惹起し、19才を一期に女子運転士初の犠牲者として惜しくも鉄路に散華したものである。本件(註:伊勢崎線の正面衝突)運転士もまたこれに準ずる短期養成者であって、今にしてこれを思えば教育の徹底と指導の充実によって、よくこれを防ぎ得たものとして惜しまれてならない。
 小生が知る限り、空襲に巻き込まれて亡くなったのは別として、女性の運転士が事故で殉職したケースはこれしか聞いたことがありません。しかし、本件は詳細が分からず、東武の社史にも東武労組が作った三十年史にも記載がなく、日時も状況も分からないのは悲しいことです。どなたか詳細をご存じの方がおられましたら、是非ご教示下さい。

 この事故(伊勢崎線も佐野線渡瀬駅も)の原因について、早川氏は要するに、戦時中のこととはいえ訓練が不十分だったことに帰していますが、どうなのでしょうか。確かに戦争中に事故が多かったことは事実ですが、他の会社も同様だったのでしょうか。
 戦時中の男手不足を補った女性運転士については、『鉄道ピクトリアル』2007年3月臨時増刊号(通刊787号)の京成特集号に、白土貞夫「京成の女性運転士第一号 髙石喜美子さんに空襲下の運転の想い出を聞く」という興味深い記事があり、元女性運転士の方にインタビューをしています。その中で、髙石さんが受けた講習について、「講習は津田沼教習所二階で行われ、最初の1ヵ月間は運転法規、続いて車庫での実習が1ヵ月、最後の1ヶ月が私達がお師匠さんと呼んでいた指導運転士が付き添っての見習い運転でした」と語っておられます。
 これを東武と比較すると、京成が教育に3ヵ月かけたのに対し、東武は1ヵ月半に過ぎません。戦時中とはいえ、やはりあまりに焦りすぎて時間をかけなかったことが、東武で19才の女性運転士が殉職してしまった原因の一つなのかも知れません。せめて京成くらいかけていれば・・・髙石さんの回想に事故で死者が出た話はありませんので、京成ではそのような事態はなかったようです。
 髙石さんの回想には、床下のラインブレーカーが火を噴いたので、火事になっては大変と感電の危険も顧みず「夢中で屋根に駆け登ってパンタグラフを下ろした」という、職業意識を感じさせる話もあります。当時の電車は車内からパンタグラフの操作ができなかったんですね。また、妹さんも京成で車掌を車掌をされていたんだとか。

 女性と鉄道の仕事の関係については、まだ書きたいこともあるのですが、最初のお題から外れまくってるし(いつものことですが)、充分長いのでこの記事はここら辺でいったん打ち切ります。
 次回の続篇「もっとも過酷な仕事に従事した「鉄道むすめ」たち~8メートルの雪を除雪せよ」(仮題)をご期待下さい。

※追記:続篇が完成しました。こちらへ→「もっとも過酷な「鉄道むすめ」の仕事 8メートルの雪を除雪せよ 附:飯山鉄道の隠しておきたい歴史」
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by bokukoui | 2009-05-12 23:52 | 鉄道(その他)

鉄道と衛生の話・補足

 前回の記事「アメリカ本土にシャクティ・パット~野依秀市雑彙」を書くに至ったきっかけは、そちらに書いたように「虚構の皇国blog」を久しぶりにまとめて読んだことも一つでしたが、そこでもう一つ、過去に「鉄道の話題」 / 「鉄道の話(主として衛生に関する話)続き」という、鉄道社内のマナーについて記事を書いた者として、興味深い写真が紹介されていましたので、メモがてらリンク。

 戦前の列車の中はすっごく汚ないっ!

 これはいい写真ですね。弁当殻が車内の床に積み上がっています。
 早川氏が、このような状況の理由として、ゴミ掃除は身分ある者のすべきではないという階級的道徳の存在を示唆しておられるのは鋭いと思います。鉄道職員自体が官吏なので厳密な身分制度があり、弁当殻掃除は正規の官吏ではない、傭員クラスの仕事だったでしょう。もっとも、こういった仕事が衰退したのは、価値観の変遷云々以上に、結局他にもっと有利な賃仕事が普及した(戦時中は軍需産業があり、戦後は高度成長で工場などが増えた)ことによるものだとは思いますが。人件費が安く賃仕事の少ない時代、弁当殻掃除のような雑業は、特に地方では農業と掛け持ちできるお手頃仕事として、掃除する側にも一定のメリットがあったはずです。そもそも鉄道職員に「半農半鉄」という人は戦後も結構いたし。

 で、このような車内の風習が変わったのは、やはり1960年代のことで、国鉄側も意識的にそう誘導したのではないかと思います。
 以前の記事で、ネタ本に使った星晃・米山淳一『星さんの鉄道昔ばなし』に、新幹線をきっかけに車内のゴミを片付けるようになっていったという話があることを紹介しましたが、実はゴミ掃除についてはもうちょっと前の車輌にも記述があったことに気がつきました。
 それは、1959年に登場した、修学旅行用電車155系の話です。ちょいと引用。
・・・それから、ゴミ箱があるし、掃除の道具が付いてるでしょ。躾のためですよ。自分たちが使ったら、ちゃんと掃除をしてから降りる。そういう躾をちゃんとやるように、と。(p.98)
 というわけで、国鉄側が車内マナーを子供に躾けようと考えていた節があったようです。この当時の大人は、まだ戦前の「座席の下」マナーの世代だったでしょうが、大人は駄目でも子供なら、これからは電車を綺麗に使ってくれる、という思いがあったのでしょう。
 その背景を考えれば、やはり高度成長期で人手不足であり、車内清掃要員も戦前ほどは確保できないから、掃除自体をなるべく合理化することで乗り切ろうと考えたのでしょう。本書巻頭10頁に、星晃氏の設計理念が箇条書きで列挙されていますが、その中に「清掃に便利な構造的配慮」というのがありますし。或いは、星氏が車輌設計を学んできた、スイスの影響もいくらかあったのでしょうか。
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by bokukoui | 2009-05-10 23:59 | 鉄道(歴史方面)

アメリカ本土にシャクティ・パット~野依秀市雑彙

 しばらく前に、当ブログで「高橋竹山『津軽三味線ひとり旅』を読んで余計なことばかり考える」なる記事を書きまして、その中でインチキ薬売りから有田ドラッグのことにまで話が脱線していきました。で、戦前の誇大広告の帝王にして詐欺的フランチャイズの元祖・有田音松については谷川健一・鶴見俊輔・村上一郎責任編集『ドキュメント日本人9 虚人列伝』(学芸書林1969)が詳しく、これをネタ本にしつつも古書市で発掘した有田ドラッグのビラを紹介している「兵器生活」のサイトがネット上では詳しいということを紹介しておきました。
 さて、その「兵器生活」さんのところにも書かれていますが、誇大広告を吹きまくって儲けていた有田ドラッグのインチキを激しく糾弾し、その商売に打撃を与えた雑誌があります。『実業之世界』という経済雑誌で、同誌を出していた雑誌社の社長にして主筆であったのが、野依秀市(1885~1968)という人物でした。
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野依秀市像
野依秀市『戦争と選挙』秀文閣書房(1942)の表紙より引用

 『虚人列伝』でおかしいのは、有田音松の章では誇大広告の「虚人」有田音松を討つ役の野依本人が、『虚人列伝』の末尾を飾る「虚人」の一人として登場していることです。この野依なる人物も、一筋縄ではいかない怪しい人物なのです。
 彼は、一般には「右翼ジャーナリスト」と見られていたようですが、同時に堺枯川や荒畑寒村のような社会主義者とも付き合いがあったり、渋沢栄一の名を冠した神社を拵えたり、浄土真宗に帰依して仏教雑誌を出したり、大横綱・双葉山のパトロンだったり、戦後は紀元節復活運動やったり、とにかくものすごいパワーを持った人物――『虚人列伝』の野依の章を執筆した、野依の部下であったこともある梅原正紀の表現によれば、「モウレツ人間」だったのでした。著書は200冊を超えていたようです。その大部分は、日々雑誌や新聞の論説として口述筆記させたものを集めたもののようですが。

 さて小生、今書いている論文の史料として、野依が出していた(彼が最初に出した雑誌でもある)『実業之世界』をそれなりの年代にわたって読みました。もっぱら昭和初期のを読んでいたので、残念ながら有田ドラッグ糾弾記事は読んでいませんが、小生が目にした範囲でも、『実業之世界』では製薬会社とその経営者の糾弾をやっておりました。それは塩原又策という人物で、三共製薬(現・第一三共)の創業者でした。
 となると、何だか野依は薬屋と見ると噛みついていたように見えますが、彼は決してただの総会屋的人物ではありません。逆に誉めている記事を載せた製薬会社もありました。それは星製薬――つまり、SF作家星新一の父・星一の興した会社ですね。
 星新一といえばショートショートですが、毛色の異なった作品に、星一を描いた『人民は弱し 官吏は強し』があります。その中で、官僚と結びついて星一を陥れる敵役として登場するのが塩原(作品中では名前は変えてありますが)だったりするわけで、野依の評価基準は興味が湧くところですね。
 もっとも『実業之世界』、別な号では経営が傾いた星製薬の再建に疑問を呈し、次の号に星製薬の重役が反論をよこしたのを掲載したりとかしていましたが・・・

 では野依の主催する『実業之世界』は、医業という人の命を預かる大事な事業(製薬業は広告の一番の顧客という面もあります)に厳しい目を向け、その効用や広告の誇大さを厳しく検証していた・・・のかというとそうでもないようです。
 『実業之世界』昭和8年7月号では、「健康の泉・山下紅療法」なる記事を数ページにわたって掲載し、安部磯雄藤山雷太小汀利得などの著名人が「これで治りました」的体験談を寄せています。これはいかにも怪しい(笑)。検索してみたら、紅療法というのは今でもあるようで、植物から採った紅を患部に塗り、上から棒で叩いたりこすったりするような民間療法のようです。でも『実業之世界』に紹介記事を載せていた頃、この紅療法は大審院で「医療行為に該当しない」という判決を下されていたようで。
 しかし、野依はそんなこと気にしなかったようで、彼自身その後も紅療法にはまっていたようです。野依が主宰した雑誌に記事が載っていたからといって、野依自身がはまっていたことにはならんだろうというご指摘もあろうと思いますが、実際に野依が紅療法に「帰依」していたという史料があるのです。これも小生、論文執筆中にたまたま見つけたのですが、折角なので(論文中で使い道がなさそうなのが悔しいので)以下に紹介しましょう。

 その史料とは、大和田悌二(1888~1987)という逓信官僚から日本曹達の社長に転じた人物の日記です。大和田はいわゆる「革新官僚」の一員として第1次電力国家管理に活躍した人物ですが、彼が日本曹達に転じてのちの1944年8月、故郷の大分県(ちなみに野依も大分県出身)に行った帰途、船中で野依に出会った際のものです。引用文中、漢字は新字体に直し、下線は原文のままです。色づけは引用者。
三時半紫丸乗船。
野依秀市君同船、松山へ講演行途中とのこと。東条、後藤文夫、徳富蘇峯諸氏を貶し、五島慶太の如きは論外にて、九月八日の大詔奉戴日に、共立講堂にて彼の急所を衡く講演予定なり。奥村、石渡、岸、後藤国彦の諸氏を賞賛す。人を評して好悪の感情に囚わるる傾向あり、直情径行を念とするも、時に心を欺くことあり、念仏に帰依するも、到底極楽には行けぬと自嘲する所案外正直なり。四谷に紅療法を営む人同伴せり、紅を棒に着け、頭部を軽打して難病を治すと、野依氏は帰依者なりとぞ。
 ところで、野依は戦争中の旅行も不便な時期に、紅療法の人まで連れて、何を講演して廻ったのでしょうか。
 当ブログでも過去に何度かネタ元に使わせていただいた、戦時体制の面白い史料を発掘している、早川タダノリさんの「虚構の皇国」というサイトがあります。論文に一区切りついた先日、「虚構の皇国blog」をまとめ読みしていたら、何とここでも野依秀市の名前に偶然出くわしてびっくり。

 テポドン発射記念 米本土空襲

 野依が太平洋戦争中、国民が献納したお金で飛行機を作ってアメリカ本土を爆撃しよう、という講演会を全国で行っていたという話です。野依が大和田と出会った時の講演というのも、この「米本土爆撃」関係のものでしょう。で、野依は精力的にアメリカ本土爆撃講演をして廻る疲れを「紅を棒に着け、頭部を軽打して」癒していたんでしょうね。
 ・・・本日のブログの意味不明なタイトルは、そういう次第でつけました。いや、棒で頭を打って病気を治すって、一読即「ライフスペース」高橋グルの顔が浮かんでしまって。

 話を戻しますと、大和田の日記中の野依の言葉はなかなか興味深いものです。野依のこの時点の人物観(本人が「人を評して好悪の感情に囚わるる傾向あり」と言ってますが・・・)が伺えるわけで。
 東条、後藤文夫、徳富蘇峯、五島慶太に対して奥村喜和男、石渡荘太郎、岸信介、後藤国彦という対比軸が意味するものは、一考の価値があると思います。操觚界の重鎮であった蘇峯に対し、野依が噛みつくのは何となく分かるのですが、あとのいわゆる革新官僚・新官僚を分類する軸は何なのか。小生が一番唸ったのは、東急を作った五島慶太と京成を切り盛りしていた後藤国彦を並べているところですが、これも議論し始めると長くなりますので、今は控えておきます。

 野依秀市についての先行研究は乏しく、ネット上で取り上げている記事も、上の「兵器生活」や「虚構の皇国」を別にすれば、ざっと目についたところでは以下のようなものです。

・書物史片々「經濟誌に出版史料あり――『實業之世界』から」
・四宮正貴「この頃出した手紙・この頃思ったこと」
・天国太平の愛書連<全国愛書家連盟>「国民の敵・容共朝日新聞を衝く」

 さらに他には、どういう訳か「ネット右翼」("ヘタレ保守")の親玉・瀬戸弘幸氏のブログのコメント欄に出てきたり、野依が日中戦争で日本軍が占領した直後の南京に入って書いた記事を取り上げて「南京大虐殺はなかった!」と主張する人々(どこかにネタ元があるのか、似たような記事が複数あります)がいたり、といった状況です。

 野依秀市の活動は、相当に複雑で単純には割り切れません。しかし、ここに挙げたネットの記事のうち、「書物史片々」以外の記事は、野依のそういった複雑さを捨象し、ありきたりな「保守ジャーナリズム」の枠に押し込めてしまうきらいがあります。野依をそのように割り切ってしまうことこそ、おそらくは「ネット右翼」的な人々が憎んでやまない、マスコミ主流派が野依に対して取ってきた態度に他ならないのですが。
 野依はもっと面白いはずだ、というのが、『実業之世界』を一山読み通した小生の感想です。はっきり言って、「ネット右翼」の朝日新聞への罵詈雑言を正当化する根拠如きに使うのは、もったいないにも程があります。とはいえ、口述筆記で積み上げた二百冊の本の山を見ては、自分でどうこうするのはやはり二の足を踏むわけで。
 とりあえず、野依ワールドの雰囲気を比較的簡単に感じていただくため、上の野依の漫画の出典元である『戦争と選挙』の巻末広告3ページと、附録(野依の新聞で募集した、時事に取材した歌の入選作)の扉との、4ページを以下にご紹介します。クリックすると拡大しますので、ごゆるりとお楽しみ下さい。
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野依秀市『戦争と選挙』秀文閣書房(1942)巻末より

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野依秀市『戦争と選挙』秀文閣書房(1942)巻末より

 ちなみに、本書の野依の著作目録は13ページあります。上の画像は、その最後の3ページと附録の扉を取り込んだに過ぎません。

 というわけで、最近野依秀市に興味を持っていたものの、自分で研究するわけには行かない状況だったのですが、いよいよ野依にも研究の手が及びそうです。
 季刊『考える人』という雑誌に、『八月十五日の神話』や『「キング」の時代』で著名なメディア史研究者・佐藤卓己氏が、「天下無敵 戦後ジャーナリズム史が消した奇才・野依秀市という連載を、この4月発売の号から始めたのです。いよいよ野依もメディア史の研究の俎上に上がったようで、連載の続きが楽しみです。

 小生、大学の図書館で早速第1回「野依秀市という「メディア」」を読んできました。
 記事冒頭のリード文で「昭和初期から戦後まで、『実業之世界』や『帝都日々新聞』を経営し言論活動を続けた野依秀市」とあり、『実業之世界』創刊は明治末(1905年)だぞとちょっとびっくりしましたが、本文は大変興味深いものでした。
 佐藤氏は、まさにこのような「混沌」とした野依の言論、しかもその多くを、口述筆記で自分で手を入れたとはいえ、他人に書かせていた、そのような野依は、オーソドックスな思想史のアプローチでは分かりにくいと指摘されています。佐藤氏は、野依は言論人(「何を言ったか」が大事)というよりもむしろタレント、メディア(「誰が言ったか」が大事)ではないかと指摘されます。野依自身が、メディア=広告媒体的な存在であったというのです。「メディア人間」とは、その発言内容が発言者自身の知名度(=メディアとしての価値)を高めるかどうかで、その発言の価値を決めます。つまり内容は二の次で、知名度が上がるかどうかが大事というわけ。
 なるほどと思いますが、しかしそれって、世論に反対する国士的論説(普通選挙反対とか)を部下に書かせて売薬広告にしていた、有田音松のやり方と本質的に同じことになるわけですね。あ、そうか、だから野依は有田のやり口を見抜いて攻撃できたのか。
 それはともかく、上に挙げたイラスト化された野依像なんかも、メディアとして読者に印象づける一手法(キャラクター化)だったのかも知れませんね。

 佐藤氏は「一流雑誌、全国誌の視点で書かれてきたメディアの歴史を、これまで「総会屋雑誌」「二流新聞」と目されてきた野依の『実業之世界』、『帝都日々新聞』などから逆照することで相対化したいと考えている。それは結局のところ、近代日本における「負け組」メディアの歴史を書く作業になるだろう。歴史の教訓は勝者よりも敗者から多く学ぶべきだと私は考えている」と記事を結ばれています。「負け組」という言い方を使っていいのか、何が「負け組」なのか、そこがちょっと引っかかりますが(『実業之世界』は現存しないのに、同誌立ち上げの際野依と協力してのち袂を分かった石山賢吉創刊の『ダイヤモンド』は今でもビジネス誌一の売上げを誇っているという点では「負け組」ですが)、野依を通じての方がその時代の風景は、確かによく見えそうです。
 同じ経済雑誌で言えば、『東洋経済新報』の石橋湛山の評論は今日読んでも通じる自由主義の筋が通っていますが、それだけ普遍性を持っているということは、言い換えれば時代を超えてしまっている面があるわけです。評論としては、時代を超えるというのは最大の賞賛の言葉ですが、歴史の史料としてはむしろ、時代の波に揉まれ載っかっていた、だから波が引いたら忘れられてしまった野依の方が、価値があるといえるかも知れません。

 『実業之世界』では他にも面白い誌面がいろいろありましたが、いい加減長いので、ひとまずここでおしまいにします。例によって纏まらない記事ですが、野依について語ってうまくまとめるのが難しいということはお分かりいただけようかと思います。
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by bokukoui | 2009-05-08 23:33 | 歴史雑談

今日の東急デハ5001号の状況(51)

 しばらく間が開きましたのが、この追跡調査です。
 本日、所用の帰りに、久しぶりに見てきました。本来は、もっとシステマティックに観察できるようなフォーマットを整えなければならない(それを整えれば誰でも同じように観察できるように)と思うんですけど、なかなかそんなことをやっている余裕がなく・・・せめて過去の観察データだけでも、もそっと体系的にまとめるべきと思っていますが、とりあえず観察だけは何とか続けるつもりです。

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by bokukoui | 2009-05-02 23:59 | [特設]東急デハ5001号問題