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『COMICリュウ』9月号雑感・伊藤伸平先生、中原淳一をパクる?

 時代の先端の女子高生は軽音楽じゃなくて三味線、軽音部なんか廃部にして三味線部にとっとと改組すべし、と昨今の世相を慨嘆しておられる同志は、多分全国に百人くらいはいるんじゃないかな・・・と思う今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。小生は相変わらず不調の極みで、暑さ負けの上に睡眠も乱調で活動効率が著しく低下しております。コンピュータの方も暑さのせいか無線LANに胡乱な振る舞いが多く、こちらも活動効率が低下しております。先日憑かれた大学隠棲氏のご尽力で廉価に新たなノートパソコンを導入し、図書館での資料打ち込みの効率の向上を狙いましたが、そんなこんなでまだその真価を発揮するに至っていないのは遺憾です。更に、いかに世間の相場から見て廉価とはいえ、諸般の事情によりここしばらく資金繰りも苦しく、何事も思うに任せません。
 そんな小生の身辺状況はどうでもいいのですが、何か書く気力も落ちているので、今日のところは小ネタを一つ。

 ここ半年以上中絶していたこのコーナーですが、止めていた理由は一つにはナヲコ先生の「なずなのねいろ」がしばしば休載していたことで、全般的な気力の減退もありますが、最大の理由は面倒だったの一言に尽き、雑誌自体は毎月読んでおりました。『月刊COMICリュウ』はマイナーもいいところの雑誌ですが、最近は連載作品の一つでライトノベル(神楽坂淳著)からコミカライズされている「大正野球娘。」がアニメ化されていまして、そんなわけで今月発売号の本誌の表紙も「大正野球娘。」が飾っています。
 で、小生も専門からして大正時代を扱った本作を結構注視しておりますが、今月号の表紙を見ていてふとあることに気がつきました。本誌の表紙は公式サイトから見られますが、クリックしていただくのも手間なので、肝心な部分を以下にアップしておきます。
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『月刊COMICリュウ』2009年9月号表紙
「大正野球娘。」キャラクター(左:鈴川小梅、中:小笠原晶子、右:川島乃枝)

 ここでは、お嬢こと小笠原晶子の衣装に注目しておいて下さい。
 で、以下に示しますのは、大正時代から昭和初期にかけての女学生の文化や風俗をグラフィカルにまとめた弥生美術館・内田静枝編『女學生手帖 大正・昭和 乙女らいふ』(河出書房新社)に掲載されている、中原淳一が雑誌『少女の友』に描いた洋服のファッションガイドです。
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中原淳一「『少女の友』ファッション・ブック」より「シクラメン」
(『女學生手帖 大正・昭和 乙女らいふ』p.29より引用)

 中原が亡くなってからまだ四半世紀くらいしか経っていませんので、著作権法上問題が厳密にはあるかも知れませんが、批評上必要な範囲の引用ということでご諒解の程。

 で、これはきっと、コミック版を描かれている伊藤伸平先生が、ネタ本に『女學生手帖』を使ったんだろうなあ、と思った次第。
 もちろんパクリを云々なんてつもりは小生には全然ありませんで、むしろ「大正」「女学生」というのでネタ本を探せば、最初に突き当たるのは間違いなく本書なので、大正時代に野球をする話の筈なのに何故か扉絵でソ連戦車T-34/85が疾走している(しかも見開き)ような、原作蹂躙上等な本コミカライズといえど伊藤先生はちゃんと調べるところは調べておられるのだと納得した次第です。もっとも今月号の本誌連載でも、何故か戦闘ヘリアパッチが乱舞して終わってましたけど・・・。
 ただ、『女学生手帖』の記事によると、中原淳一が「女学生服装帖」を雑誌『少女の友』に連載していたのは1937年から1940年にかけてのことだそうで、ここに挙げた衣装は1937年8月号の附録なのだそうです。つまり昭和12年ですね。一方「大正野球娘。」の年代設定は大正14年=1925年・・・さすがお嬢、流行を十年以上も先取りしてる!?

 「大正野球娘。」関係はまだ色々ありますが、それはまたの機会にして、ちょこっと今月号を始め最近の『リュウ』について書いておきます。

 ここ半年あまりの『リュウ』における最大の収穫は、何といっても吉川良太郎 / 黒釜ナオ「解剖医ハンター」です。近代医学前夜の18世紀英国を舞台とした作品で、やはりこの時代はもっと扱われて然るべき面白さがあると思います。設定を抜きにしても、絵と話とがうまく波長が合っている感じ。連載希望。単行本化更に希望。

 速水螺旋人「螺子の囁き」は毎回楽しみ。特にこの半年で一番衝撃的だったのは、無火機関車が登場したこと。機関車と産業機械のあいのこみたいなものですが、よくまあこんなのをと感心。
 最近の「鉄道ブーム」的風潮で、鉄道を題材にしたマンガが幾つも出ているようで、小生も幾つか集めましたが(そして最近一つ記事を書きましたが)、そういうのを読むにつけ、何度でも言いますが、『速水螺旋人の馬車馬大作戦』所収「頭上の装甲列車」は鉄道マンガ(厳密にはマンガじゃないけど)の極北というべき傑作だなあと痛感しています。

 ナヲコ「なずなのねいろ」、秋には単行本2巻が出るそうで一安心。最近はリカコさんの活躍ぶりが目立ちますが、そんなこんなでみんなが動き出した分、全体のお話の進み具合はやはりゆっくりです。なかなか三味線部が始動しないのは、何かを「始める」ことに至る心の動きが現在のところはテーマになっているためであって、いつまで経ってもまともに野球をしない同誌の某野球マンガと理由は異なってるだろうと思います。

 他にも、『ルー=ガルー』の連載終わったけど樋口先生は再登場しないのかな(是非希望)とか、『エマノン』ちゃんと載ってるなあとか、下らないと思っていた見ル野栄司『敏腕!インコさん』が何ヶ月も読んでいると面白く感じられるようになって困ったなあとか、いろいろなくもないですが、取り敢えず今日のところはここまでで。
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by bokukoui | 2009-07-30 20:45 | 漫画 | Trackback | Comments(4)

「象の鼻パーク」の現況・転車台の保存状況を見る

 急速に夏めいて参りましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。小生は例年の如く暑さで倒れ、順調に論文も仕事も遅れ、友人との約束もキャンセルし、頭が痛いのでネットも碌に見ない、ひたすら横になっているという日々を送っております。当ブログも更新が停滞し、またどういう訳かここ十日ほどは来訪者もがくんと減少しております。そんなこんなでコメント返信も遅れて申し訳ありません。

 それはそれとして、少々前のことですが、横浜で開港150周年を期して整備された「象の鼻パーク」に行ってきましたので、一応その写真を以下に紹介しておきます。「象の鼻パーク」は横浜の港で最初に埠頭が設けられ、その形から「象の鼻」という名が付いたのですが、その後の港の拡張整備で使われなくなり、最近まで倉庫(その倉庫も霞ヶ浦で海軍の航空隊が使っていたというもので、それはそれで保存価値があったと思うのですが・・・)が建っていました。その倉庫を撤去して跡地を公園として整備しようとしたら、関東大震災以前の港の遺構が出てきて、急遽それを整備して公園の一部として保存することになった、という経緯があります。
 その遺構とは、貨物を運ぶためのトロッコの線路と転車台で、発掘されたその遺構の模様は、当ブログでも過去に以下の記事でお伝えしました。

 「象の鼻パーク」の転車台と軌道跡見学記
 「象の鼻パーク」の転車台と軌道跡について 補足情報・異説など

 で、これら遺構と公園の整備が終わって、去る6月2日の開港記念日に公開されていたようですが、なかなか尋ねる機会がなく、先日ようやく行って参りましたので、以下にご紹介。
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遊歩道(旧貨物線の高架)から見下ろす「象の花パーク」
(この写真はクリックすると拡大表示します)

 綺麗な公園になっています。周辺には遺構の歴史を伝える看板や、なにやら飾りの板のようなものが立っていますが、一部の板には側面に横浜の近代化に貢献した人の写真と略歴が表示されています。
 で、この公園の真ん中にある、ポールで囲まれたガラス張りになっているところが、転車台のあったところです。震災の瓦礫で嵩上げされる前の、低い水準にあった転車台はそのままにして、上にガラスを張って見せています。なかなか凝った試みで、近代遺跡保存の方法としてはなかなか意欲的なものと思います。
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同じく遊歩道から見下ろした転車台とカバーのガラス

 それでは、地面から様子を見てみましょう。
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「象の花パーク」の転車台とその覆いのガラス
(この写真はクリックすると拡大表示します)

 発掘状況公開時のレポに写真を載せておきましたが、発見された転車台は4基ありました。その4基すべての上にガラスが張られています。海側から順に、転車台に鉄のテーブルが載った状態・テーブルのハッチを開けてある状態・テーブルを半分に切断してある状態・テーブルをとりのけて滑車や軸、土台の煉瓦を見せている状態、ととりどりになっています。数が多いのを有効に活用してありますね。
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ガラス越しに見る転車台(1)

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ガラス越しに見る転車台(2)

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ガラス越しに見る転車台(2)

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ガラス越しに見る転車台(4)

 ガラス越しの様子が分かりにくいのは転向や機材の性能、撮影者の腕もありますが、そもそも硝子が厚いので良くは見えないのです。上を人が通る以上はやむを得ないことだとは思いますが。年に一度くらい、例えば開港記念日あたりに、ガラスの蓋を外して点検がてら一般公開、なんてことが出来れば尚望ましいとことと思います。
 ところで、外した鉄のターンテーブル(転車台の回転部分)はどうなったのかと言いますと、公園の一角に公開展示されていました。
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外に展示されているターンテーブル
(この写真はクリックすると拡大表示します)

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同上 土台や腕の様子もよく分かる
(この写真はクリックすると拡大表示します)

 屋外の野ざらし展示で大丈夫かとも思いますが、まあ瓦礫で埋められてしまうまで数十年間露天で使われていたターンテーブルですから、当分は大丈夫でしょう。
 ところで半分に切断した鉄の回転部分の残り半分はどこに行ったんでしょうか。まさか捨てた訳じゃないと思いますが・・・何かで読んだところでは、グラインダーで削ると火花の飛び方から材質が鋳物か錬鉄か判別できるそうで、その詳細も知りたいところです。折角切断までしたんだから。

 とまあ、なかなか費用も手間もかけたであろう意欲的な展示と思いますが、その肝心の転車台に関する案内板はこのようになっていました。
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「象の花パーク」の転車台に関する案内板
(この写真はクリックすると拡大表示します)

 細かいところですが、「鉄軌道の幅員は1.06m」というのはちょっと変かと。本来、これは3フィート6インチ=1067ミリのことなので、四捨五入したら1.07の方が近い・・・というか、最後の桁まで書けば(出来ればフィートポンド法の値もつけて)いいと思うのですが。また、「車軸幅」というのも意味が不明です。車軸の幅ではなく車輪相互の間隔とでもしないとおかしいでしょう。大正時代頃の長軸台車なら車軸が長い、なんてマニアにしか分からないツッコミはともかく、英語表記も"the width of general railroad axies in Japan"なんてしなくても、"Japanese standard gauge"とでもすれば良いと思いますが、いかがでしょうか。英語に詳しい方のご意見を乞う次第です。

 とまあ、多少の問題はなくもないですが、近代の遺産をこのような形で公園の中に取り込んで保存できたことは、近代遺産の保存活用の一例として大変重要で意義深いことと思います。今後の保存活動の良き先例となればと願ってやみません。
 今年の夏は開港150周年ということで、この周辺ではそれを記念したさまざまな展示やイベントなどが行われています。お時間のある方は一つ、手頃な夏のお出かけ先としていかがでしょうか。なおその会場では、開港150周年記念イベントのキャラクターとして賛否両論(「否」の方が多かったか・・・?)あった「たねまる」のグッズが大量に売られていますので、「ゆるキャラ」好きの方は是非。「ゆるキャラ」界の著名人(?)である彦根の「ひこにゃん」とのコラボレーショングッズもいっぱいあり、どういう関係かと思えば横浜開港の条約を結んだのは井伊直弼だからということのようです。納得できそうで何か変な気もしますが、これまた「ゆるキャラ」ファンには見逃せないでしょう。
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by bokukoui | 2009-07-26 20:27 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(4)

笹田昌宏『あの電車を救え! 親友・岸 由一郎とともに』紹介

 昨年の岩手・宮城内陸地震で亡くなられた、交通博物館学芸員の岸由一郎さんについては当ブログでも過去に何度か触れ、先日も岸さんが地震に巻き込まれる遠因となったくりはら田園鉄道の廃止後の現況と保存について紹介しましたが、その岸さんの活動をまとめた本が出版されました。
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 アマゾンによれば発売日は明日23日だそうで、そのためか現在のところ出版元のJTBパブリッシングのサイトにはまだ案内がありません(奥付では8月1日発行となっています)。しかし近日中には店頭に並ぶものと思います。小生はちょっとしたご縁がありまして、発売前に本書を一冊戴き、その帰途に読み切ってしまいました。それだけ引き込まれる内容で、ご関心のある方には是非お手元に置いていただきたい一冊と思い、ご紹介する次第です。

 本書の著者の笹田昌宏さんは、岸さんの長年のご友人で、『全国トロッコ列車』を岸さんと共著で、本書と同じ版元から出されています。
 本書では、岸さんの関わったさまざまな鉄道の保存活動、具体的には都電や京福電鉄、蒲原鉄道、新潟交通などのエピソードを中心に、交通博物館や鉄道博物館のことも触れられています。日本の各地の保存活動に、いわばそのハブ的役割を果たしていた岸さんの存在の大きさが、改めて痛感されます。
 鉄道の歴史に興味のある方に是非読んでいただきたいのはもちろんですが、扱われている保存活動の対象が全て鉄道であるとはいえ、単にその世界にとどまらない価値があると思います。それは、歴史と現在の人間とをどうつなぐかという大きく普遍的な課題に対し、ものを残すという活動を通じて、一つの偉大な活動の先例を示していると小生は思います。
 あとはこの先例そのものを、歴史的な事項にしてしまわないのが、肝要なことです。

 個人的に知っている方々やエピソードなども出て来るので、あんまり客観的な感想をうまく記すことが出来ませんが、多分小生のそのような感情を抜きにしてもなお、鉄道や近代史や博物館に興味を持たれる方にとっては、手許に置く価値のあろう一冊と思います。
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by bokukoui | 2009-07-22 23:39 | 鉄道(その他) | Trackback(1) | Comments(2)

酒井翁土用に立つ

 メイド趣味業界の長老(?)酒井翁主催の毎年のイベント「新春メイドさん放談」が、実は今年も開催されていました。それが昨日、酒井翁のサイト「旦那様と呼んでくれ」にて、いよいよ公開の運びとなりました。昨年度の放談の公開が遅れた要因の少なからぬ部分は小生に責任がありましたが、今年はそうではありません。多分。もっとも、口語に通常使わないような語彙を早口且つ低音で話すので、テープ起こし作業の妨げになったこと夥しいとは自己批判します。

 閑話休題、こちらからどうぞ。

 新春メイドさん放談2009

 今年は昨年までのメンバーに加え、驚きの豪華新メンバーが加わっております。是非。

 とはいえ最近そっち方面(メイドとか制服とか)の活動は全くしておりません。ただ、以前貨車用の転車台が発掘されたのを見に行った、そしてその後公園として整備された象の鼻パークに、最近ようやく時間を作って整備と保存の状況を見てきました。その写真も近いうちにアップしたいと思いますが(追記:アップしました。こちらへどうぞ)、その調査の帰途、みなとみらい駅から電車に乗ろうとした時に、ふと思いついてランドマークタワー地下のアンナミラーズを尋ねたら、盛業中で思わず入店してしまいました。アンミラで眼鏡のウェイトレスさんを(しかも二人)見たのはあんまり記憶にありませんで、印象に残っています。
 アンミラも調べてみると高輪とみなとみらいしかもはや残っておりませんが、ここみなとみらいは時間と曜日もあったでしょうがかなり流行っているようで、一安心でした。赤坂店が閉まっていたのは衝撃でしたが・・・。
 閉店といえば、明治大正の女学生をイメージしたという袴な制服のウェイトレスさんが居るファミレス・馬車道の、霞ヶ関の合同庁舎にあった支店は昨年閉店していたそうです(上掲放談の脚注参照)。
 ところで袴な女学生といえば、当ブログで長いこと記事を書くのをさぼっていた『月刊COMICリュウ』にコミカライズ作品が連載の「大正野球娘。」がアニメ化されて現在放映中だそうです。と人ごとのように書いてますが、まあ実は見てたりします。その話も余裕があれば書きたいですが、なかなかなさそうです。

 話がとっちらかったので締めに、これまでの話と関係ないけど爽やかな写真を一枚。
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 昨日、自宅付近で撮影した虹。これだけ立派なのは、長らく見た覚えがありませんでした。
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by bokukoui | 2009-07-20 23:59 | 制服・メイド | Trackback | Comments(4)

くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 後篇

 くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 前篇
 くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 中篇

 の、続きです。今回は、くりでんの引き込み線があった細倉鉱山の精錬所改め細倉金属鉱業の見学内容です。今回で完結。

(写真が多いので続きはこちら)
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by bokukoui | 2009-07-15 23:59 | 鉄道(現況実見) | Trackback | Comments(2)

くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 中篇

 くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 前篇

 の、続きです。今回は栗駒駅とその周辺、及び倉庫や車庫の中身をご紹介します。

(写真が多いので続きはこちら)
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by bokukoui | 2009-07-13 21:57 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(0)

東急大井町線溝の口延伸(田園都市線複々線化)開業

 これまで昨年6月本年2月6月と記事を書き、昨日にも短信をはさんだ東急大井町線溝の口延伸ですが、本日無事開業しました。
 というわけで、所用で出かける際に一本早く電車に乗って、ちょこっと写真を撮ってきました(始発から本格的に撮る体力がなく・・・)。まあ、お祝いを兼ねた縁起物ということで一つご紹介。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2009-07-11 23:59 | 鉄道(現況実見) | Trackback | Comments(0)

くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 前篇

 2007年3月廃止になったくりはら田園鉄道、旧栗原電鉄、通称「くりでん」については、当ブログでも過去に廃止直前に訪れた旅行記を書きました(→こちらこちら)。そしてこの度、たまたまその廃線跡の現況を見る機会に恵まれましたので、その状況を写真付きで簡単に述べてみたいと思います。
 なぜ栗原に行ったかといいますと、さる4日、栗原市で以下のようなシンポジウムがあったからです。
シンポジウム 「くりはら田園鉄道の歴史と遺産」
主催: 鉄道史学会  協賛: 栗原市

1. くりでん資料を未来に―宮城資料ネットの保全活動―
 平川 新(東北大学)

2. 宮城県の鉄道発達史とくりでん
 高嶋修一(青山学院大学)

3. くりはら田園鉄道の諸建築について
―若柳駅舎(本屋・機関車庫など)及び沢辺駅舎―
 永井康雄(東北大学)

4. 大河原・村田・蔵王を走った仙南温泉軌道
 岡崎明典(白石高校)

5. パネルディス カッション「戦後のくりでんを語る」
 進行役 大平 聡(宮城学院女子大学)
 パネリスト 佐々木四男(くりでんOB)
        高橋 啓三(くりでんOB)
        石川 金悦(くりでんOB)
 これは鉄道史学会の例会として行われたものですが、同時に一般の方にも公開して、くりでんの遺産について広く知ってもらおうという企画でした。で、このシンポジウムの附属企画(巡検)で、廃線跡と細倉鉱山の見学がありまして、本記事は主にその模様をお伝えしようと思います。

(写真が多いので続きはこちら)
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by bokukoui | 2009-07-10 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(0)

東急大井町線溝の口延伸 いよいよ明日

 先日工事の仕上げ状況を伝えた東急大井町線の溝の口延伸(田園都市線複々線化)ですが、いよいよ明日に迫ってきました。さすがにここ数日は試運転もしているようで、大井町線の延長区間のレールもだいぶ磨かれて光っていました。
 というわけで、たまたま出くわした試運転電車の写真を・・・といってもカメラが手許になくて携帯電話による撮影で、画質はどうしようもありませんが、まあ気分というか縁起物といいますか。
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溝の口駅3番線に停まる大井町線電車 表示は「回送」

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同上 降車確認モニターを見る車掌や作業員の方々

 いよいよ明日開業ですが、早速初日に当ブログも取材・・・するかは今のところ未定です(苦笑)。むしろ本番は13日月曜日の平日ダイヤ、朝ラッシュがどうなるかでしょうね。少しでも改善すればと願ってやみません。

※追記:延伸開業初日の模様はこちらをご参照下さい。
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by bokukoui | 2009-07-10 18:32 | 鉄道(現況実見) | Trackback | Comments(0)

京成電鉄創立百周年記念企画(4) さまよえる京成

 京成電鉄創立百周年記念企画(1) 幻の京成第3代社長・河野通
 京成電鉄創立百周年記念企画(2) 「両ゴトー」と渡り合った男
 ・京成電鉄創立百周年記念企画(3) 「当分」は長かった

 の、続きです。今回こそ完結。

 ここまでのあらすじを繰り返すと、田園都市会社を追われた後、京成子会社の成田鉄道に入った河野通は、1945年10月の京成社長・後藤国彦の急死後、後藤の遺志と称して後任社長の座を狙いますが、運輸省の意向とそれを受けた京成取締役・大和田悌二らの運動によって阻止され、鉄道省から京成に入った大山秀雄が「当分」専務をつとめた後社長に昇格することとなりました。ところが実際に、1946年1月に社長に就任したのは吉田秀彌で、大山の社長就任は「当分」先どころか1955年になりました。
 今回は締めくくりとして、河野の社長就任却下後の動きを見てみましょう。

 まずは、河野の社長就任却下と大山の社長昇格(「当分」は専務)が決まった1945年12月3日の重役懇談会翌日の大和田の日記を読んでみましょう。
12月4日
(前略)
○河野通氏来り、大山社長では本社は兎も角、傍系社長は自分でないと納まらず(小湊鉄道の坂西社長を指す如し)、佐原に引込むから後はよろしくと捨台詞を残し去る。
 傍系の成田鉄道(現・千葉交通)の社長の地位は確保していた河野、そちらに引っ込むようです。なお、「小湊鉄道の坂西社長」とは、京成から小湊鉄道に入った坂齋梅三郎のことと思われます(京成関係の人名のこのような誤りは、大和田の日記にまま見られます)。
 かくて社長の座を伺った河野が去り、京成は落ち着いたかといえばそうではなく、この12月には労働組合が結成され、給料五倍増などの要求を掲げて激しい争議を始めます。もっともこのような労働攻勢自体は、当時どこの電鉄会社でも起こっていたことですから、京成特有の事態というわけではありません。
 ところが、その労使紛争中の京成で、なおも河野は何らかの策謀を巡らしていた可能性があるようです。年末の大和田の日記を見てみましょう。
12月30日
京成大山君来訪。
二十八日、二十九日、津田沼にて団体交渉の処、組合の暴行を受け、眼鏡を破壊せられしが、昨夜妥結せり。
次の如し、暴力に屈せる如し。
 一、団体協約締結
 一、本給五倍賃上
 一、経営協議会設置
 一、八時間労働
 一、争議費会社支給
河野に使嗾されし吉田本人の社長色気等、重役間に統一を欠く所禍根たり。断乎、引締めの要ありと警告す。阿爺(をやじ)を失い迷える羊の姿の如く、京成の現状聊か心配なり。
 赤での強調は引用者によるものです。
 残念ながら、これ以降の大和田の日記は公開されておりませんので、1946年1月の吉田社長就任の経緯は分かりません。ですが、12月3日に決まったように大山社長就任、とはならずに、吉田が社長に就任した背景には、やはり河野の「使嗾」がなにがしかの影響を与えているのであろうと思われます。
 
 さて、強力なリーダーシップと多角化路線を執っていたといわれる第2代社長・後藤国彦の急死がこのような騒動を引き起こしたとは間違いなさそうで、後藤国彦は実は「両ゴトー」の五島慶太より年下でしたから、五島慶太と同じ年まで生きれば、後藤国彦体制は1960年代後半まで続いていたことになります。
 ちなみに、『京成電鉄五十五年史』は1967年に発行されましたが、社史の通例に則って巻頭には歴代の社長・会長や主要役員、現役の重役の肖像写真が載っています。今回の一連の騒動で名前が出てきた人たちの多くはこの社史の頃まで生きていて、当時会長が大山、社長が川崎、そして河野通は顧問として掲載されていました。今現物が手許にないのでうろ覚えですが、当時の京成には顧問がもう一人いて、それが高梨博司でした。河野と高梨の写真は並べて掲載されていますが、「恫喝」したとかされたという二人が並んでいるのもなにかの因縁でしょうか。ちなみに大和田は監査役として掲載されていました。
 この一連の騒動が京成の経営に如何なる影響を及ぼしたかについては、今のところ小生にはそれを語るだけの知識がありません。戦後の京成は、電鉄経営の常道とされる兼業部門がオリエンタルランドという極めて特異な例外を除いてあまり振るわず、第5代社長・川崎千春の長期にわたる経営の結果、1980年代には経営危機に陥っています。その分、東急や西武のようにバブルに踊らずに済んだという見方もできますが・・・。空港新線を作ってみたら空港開業が延期したり、概して何となく間の悪いことが多かったような印象があります。
 もしかすると、内紛の反動として川崎千春長期政権が生まれ、またそれが経営の間の悪さに関連しているのかもしれませんが、その辺は今後の課題ということで、皆様のご意見もいただければと思います。
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by bokukoui | 2009-07-06 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(4)