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残酷な右翼のテーゼ 大行社とエヴァンゲリオン

 13時過ぎくらいだったと思います。所用で渋谷の郵便局に立ち寄りまして、用を済ませて宮益坂を下っておりましたところ、一台の街宣車が何も放送せずに坂を登ってくるのとすれ違いました。
 「大行社」という、よくハチ公前で街宣をしている右翼団体の車です。昔からいた、最近のネット右翼系とは異なる伝統的?な団体と思っていました。ちょっと検索したところでは、暴力団の稲川会系なんだとか。
 ところがその街宣車、小生がすれ違うかどうか、という場所にさしかかった時、突如スピーカーから耳をつんざくような大音量で音楽を流しはじめました。軍艦マーチ? 愛国行進曲? 君が代?
 いいや。

「残酷な天使のテーゼ」でした。


 いわずと知れた、高橋洋子の歌うアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌な訳ですが・・・街宣右翼も最近はこうなのでしょうか。それにしても音量の大きかったこと。宮益坂下の交差点から振り返ったら、もう坂を登り詰めたのか姿が見えませんでしたが、音は聞こえていました。あの調子で青山学院の前を通過したら、授業妨害もいいとこです。
 街宣車の写真を集めているサイトを参照するに、この三菱「ファイター」の改造車だったと思うのですが・・・「自主憲法制定 自国領土回復」と「残酷な天使のテーゼ」にはどのような関連があるのでしょうか。

 全くどうでもいい余談ですが、小生は「残酷な天使のテーゼ」の歌詞を聴くとどうしても笑ってしまいます。北杜夫『どくとるマンボウ青春記』を愛読した人ならば往々見られる現象ではないかと思います。「パトス」というドイツ語が笑いのツボを押してしまうのです。
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by bokukoui | 2009-11-30 23:59 | 出来事 | Trackback | Comments(5)

三木理史『塙選書108 局地鉄道』(塙書房)紹介

 諸事に追われている上に体調も例によって例の如く怪しげで、眠気や消化器の不具合につきまとわれている今日この頃ですが、ブログの更新がぼちぼちなは多忙とともに機械的事情というこれまた毎度の事情です。まあそんな愚痴を言っていてもしょうがないので、そんな諸事の一つの副産物をば。

 というわけで、表題の本を以下にご紹介します。

三木理史『塙選書108 局地鉄道』塙書房

 たまたま本書の新刊紹介をさるところに書くことになり、先日やっとこさ原稿を出してきたのですが、新刊紹介なので内容を紹介しただけで紙数が尽きてしまい、感想などを記すことが出来ず残念でしたので、はみ出した分をブログに転用してやろうというわけです。
 それはそれとして、まず順序として本書の内容紹介を。

 局地鉄道とは、延長30キロ(20マイル)程度以下の、地域内の輸送にもっぱら従事するような鉄道のことですが、三木先生は前世紀末に『近代日本の地域交通体系』(大明堂・同社は廃業したので古本で探して下さい)、『地域交通体系と局地鉄道―その史的展開―』(日本経済評論社)という二冊の研究書を発表され、局地鉄道研究についての権威(という言い方は仰々しいですが・・・)の方です。で、このたび局地鉄道についてコンパクトな一冊を出すこととなり、当初はこの二冊を一般向けに再構成する構想だったそうですが、著者ご自身が「二番煎じ的」内容に満足できず(「あとがき」p.214)、局地鉄道の通史という新たな形として編まれたものです。内容を以下に章ごとにおおざっぱに要約して紹介しますと、

 「序章 日本鉄道史と局地鉄道」で局地鉄道を「小規模な鉄道」の総称と定義し、そのような局地鉄道の研究意義として交通体系の変化、地域社会との関係、鉄道と前近代の連続を挙げ、鉄道史の研究史を整理します。
 「Ⅰ 馬力から蒸気機関へ」では、日本の鉄道創業から局地鉄道が誕生する明治中期までを概観し、馬車鉄道や人車鉄道、蒸気動力の軽便鉄道それぞれの発祥を紹介します。
 「Ⅱ 鉄道熱と法的規制」では企業勃興期の鉄道熱(鉄道会社設立ブーム)と地域社会への波及、全国に蒸気軌道を展開した雨宮敬次郎を扱います。
 「Ⅲ 軽便鉄道の叢生」では、1910年の軽便鉄道法をきっかけとした1920年代前半までの軽便鉄道ブームと、全国へのブーム普及に大きな役割を果たしたコンサルタント・才賀藤吉を紹介します。
 「Ⅳ 局地鉄道の様相」では、国鉄の軽便線や、改正鉄道敷設法・地方鉄道法の制定を背景にした地域と鉄道の関係、局地鉄道の鉱山や港湾と結びついた貨物輸送のほか、台湾や樺太、朝鮮、「満洲」の局地鉄道にまで話は及びます。
 「Ⅴ 地域統合と戦時体制」では、昭和初期の不況を背景にした交通調整、戦時期を背景とした交通統制により局地鉄道が地域統合へ向かう状況を描き、また戦後の石炭不足期に進められた動力の電化・内燃化にも触れます。
 「Ⅵ 高度経済成長から国鉄解体まで」では戦後の局地鉄道について、自動車の台頭による地方の局地鉄道の衰退と、国鉄のローカル線問題、第三セクターの登場を叙述します。
 「終章 二一世紀の局地鉄道」では、局地鉄道を取り巻く厳しい現状の中で、観光による新たな需要発掘の事例を紹介しています。

 と、本書は二百頁余りの決して大部とはいえない一冊の中で、時代を追って、局地鉄道の持つ様々な性格をあますところなく豊富な実例を以って紹介しています。交通史の入門者向けというのがまず目的の本と思いますが、普通の鉄道好きにも取っつきやすいと思います。コラムや数多くの写真(過半は著者ご自身の撮影というところが、三木先生の「鉄分」の濃さを示しているように思われます)が盛り込まれており、また前著から転載された地図やグラフが載っていて、読みやすさに配慮されています。
 ただグラフは、ちょっと見づらいかも知れません。版型の大きな前著からそのまま転載したので縮小されているところに加え、元々情報量が多くて解読に骨の折れる図も少なくないので、より一層目がチカチカするきらいが若干あります。もちろん、虫眼鏡で拡大して読むだけの価値があるのですが、それだけにもったいない気もします。
 それはともかく、著者の前著を読んだ小生のような読者にとっても、通史的な整理がされた本書の価値は大いにありますし、リファレンスとして便利です。そして通史的な整理をする過程で新たな見解も盛り込まれていまして、例えば局地鉄道研究ではJR・私鉄という区分が有効性を失っていること、私鉄も大手・中小という区分だけでなくローカル線を有する大規模事業者を「大私鉄」と見るべきなど、賛否はともかく刺激を受けることが出来ます。「前の本の焼き直し」なんて言わせることはなく、三木先生の目論見は達成されていると思います。

 とまあ、こんな感じの新刊紹介を書きました。内容を要約したら字数が尽きてしまったし、書評じゃないからこれでいいかと思いましたが、ブログではそっちで書けなかった疑問点なども以下に書いてみようかと。下書きの段階ではそこまで書いていたので、お蔵入りはもったいない、というわけで(笑)

 本書は上に書いたように、三木先生の前著2冊をベースに再編したものですが、そこに新たな観点も加わっているのです。それはよいことなのですが、同時に一つ問題もはらんでいると感じました。
 三木先生の前著では、「局地鉄道」とは、全国レベルの交通網(江戸時代~明治半ばまでは海運、その後鉄道が取って代わる)に接続する、地域内で完結した小規模な鉄道、具体的には軽便鉄道のような地域に根ざした小私鉄が取り上げられており、「局地鉄道」の定義がはっきりしていました。本書では、視野を戦後まで広げ、ローカル私鉄だけでは局地鉄道のみを語ることは出来ない、新幹線やごく一部の幹線以外のJRも地域的な輸送を中心に行っている局地鉄道であると指摘され、国鉄の地方交通線を取り上げています。
 確かにローカル私鉄だけでは、地域内で完結する小鉄道を論じるに不足というのはもっともと思います。ですが、そうやって話を広げていくと、はてではどこまで「局地鉄道」なんだろうかと、定義が変わってしまっているのではないかと思われるのです。

 本書では序章で、小規模の定義として20マイル(約30キロ)以下という数字が出てきますが、その後の論ではその距離に特にこだわっているということはなさそうです。それはむしろ、時代に合わせて柔軟に解釈する方が妥当だとは思いますが、であれば時代毎の交通体系の変化に合わせて、局地鉄道自体の定義づけももうちょっと明確に変遷を意義づけていってもいいのではないでしょうか。同様に「地域内で完結」の地域の様相も変化しているわけで、思いつきですが、交通機関の高速化・市町村の合併の進展によって、明治時代なら30キロで良かった「局地」が、今はもっと広範囲になってしまっているとも考えられないでしょうか。
 以前、三木先生の『水の都と都市交通』を読んだ時だったかと思いますが、三木先生は地域ごとの私鉄の統合について、不況を背景に昭和初期から進められていた「交通調整」と、戦時下の「交通統制」とを区別するべきことを強調されていました。それは全くもっともな、従来混同されやすかった問題点でした。しかし三木先生は同書の後ろで、「スルッとKANSAI」も交通調整だ、のようなことを書かれていたもので、その当時読書会のご指導を仰いでいた某先生が「これでは何でも交通調整になってしまう」と指摘されておりました。何となく類似した傾向を感じないでもありません。従来の定義づけでは見えてこないところを踏み出して興味深い指摘をして下さった反面、踏み出した原点が曖昧になってしまったと申しましょうか。

 とまあ、この点については疑問も感じましたが、おそらくこの点は今後検討せらるべきであって、本書の価値を大きく損なうものではないと思います。若輩者の放言と言うことでご海容の程。
 ちょっと検索してみたところでは、以下のような感想がネット上で見つかりました。

・久安つれづれ日誌さん「『局地鉄道』(三木理史著 塙選書)を読みました。」

 拝読する限りでは、鉄道にある程度関心をお持ちでも、マニアや専門というわけでもない、そのような読者の方のようで、そのような方に面白く読まれたということは、本書の目的は充分達成されているものと思います。
 ただそれだけに、本書に固有名詞の間違いが散見されたのは、初めてそのような情報を得る方にとってちょっと問題と思います。小生が気がついた範囲で以下に指摘しておきます。

・10頁:中国鉄道は現JR因美線ではなく津山線・吉備線
・185頁:瀬棚線は新潟県ではなく北海道
・186頁:臼ノ原→臼ノ浦、石狩炭田→石狩沼田
・189頁:明和線→明知線(多分)

 三木先生ほどの方が斯様な間違いをするとは、上手の手から水が漏れるということもあるのだなと思いますが、どっちかというと編集部の問題かも知れません。

 以上、長々と書いてまいりましたが、ローカルな鉄道の歴史や、地域と鉄道の関係に興味のある方は是非どうぞ。

※追記:三木先生の『都市交通の成立』の紹介はこちらへどうぞ
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by bokukoui | 2009-11-28 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback | Comments(2)

今日の東急デハ5001号の状況(54) 「渋谷芸術祭」と青ガエル

 前回からおよそ一月と、何とか間を開けすぎずにこの調査を行うことが出来ました(※取材日基準で記事の更新日を設定しておりますので、実際の更新日とは異なります)。
 今回は、何やらイベントがデハ5001号の周辺で行われていました。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2009-11-23 23:59 | [特設]東急デハ5001号問題 | Trackback | Comments(0)

夢の砂川ディズニーランド? 某学会で見た阪和電鉄のパンフなど

 いろいろと所用に追われ多忙きわまりなく、なかなか思い通りに物事が片付かぬ日々を送っております。近日中に書かねばならぬ論文や原稿類の数を指折り数えれば片手で足りず、腹が痛くなる思いです。
 まあそんな話をしていてもしょうがないので、最近の面白かった話を一つ。

 先週末小生は某学会で大阪にでかけ、そのついでに宇治電ビルを見てきたのは先日の記事の通りですが、その学会で見たものについてです。その学会では関西の私鉄の歴史を大会のお題として掲げ、いくつもの興味深い報告が行われましたが、それらをレジュメとメモから書き起こす余裕がないのが残念です。小ネタを一つだけあげれば、かの宮本又郎先生の謦咳に接することが出来たのは嬉しいことでしたが、その宮本先生が、

『民都』大阪というのなら、ちゃんと史料を見んとアカンですね」

 と原武史氏の『「民都」大阪と「帝都」東京 思想としての関西私鉄』を洒落のめし、なるほど関西ともなると大学の先生も駄洒落のセンスが問われるのかと感心しました。というのはともかく、原氏が史料をきちんと読んでいないという批判は政治史の分野で伊藤之雄先生がされていたかと思いますが、経営史でもやはり同様の評価のようでした。
 宮本先生は、自分は鉄道は専門ではないので、細かいところではこの道を長年やってきた人に敵わない、だからこのような時は“資本集約的”な話をすればよい(労働集約性=積み重ねた細かい知識では専門家が優位だから)、と前置きされて、鉄道統計を駆使した戦後私鉄の経営比較を発表されていました。確かに鉄道のように公式の統計が充実しているような分野の歴史は、勿論細かい史料の発掘は大事にしても、既にある資史料をしっかり読みこなし分析することから得られることもかなり多い、ということがよく分かったご報告でした。内容もさりながら、得るところが多かったです。

 さて、このように報告を総て紹介するとおおごとなので、わかりやすいものを一つご紹介。
 この学会では、創設以来の大御所の某先生が今回、記念講演をされたと同時に、秘蔵のコレクションを展示されていました。長年の鉄道史の専門家(≒マニア)の面々も、こんなの初めて見たと口々に嘆声をあげる逸品ぞろいで、例えばごく初期の箕面有馬電軌(現阪急)の案内パンフなど、一般的な阪急のイメージとは異なった、花柳界のセンスに傾いたものだったり、分析すれば面白そうですし、細かいこと抜きにしても目を楽しませるものばかりでした。
 そのなかでも、小生が度肝を抜かれたものを一つご紹介。
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阪和電鉄のパンフ「天恵の楽園 砂川 御案内」
ミッキーマウスがでかでかと描かれている

 阪和電鉄というのは現在のJR阪和線を作った会社ですが、戦前の日本で最高速の電車を走らせていた(世界の1067ミリゲージ中でも最速と言われ、また過剰に速度が喧伝されている満鉄「あじあ」とほぼ同じ速さだった)というその筋では有名な鉄道です。ウィキペディアの記述も詳しいのでそちらをご参照下さい。
 電車のスピードの偉大さとは対照的に、いまいち兼業分野に成果の乏しかった阪和でしたが、沿線の砂川に遊園地を開いていました。これはその砂川の宣伝パンフですが、堂々とミッキーマウスが描かれています。ちゃんと版権を取ったのでしょうか? 阪和はじめ戦前の日本の、というか戦後かなりまで、日本の電車はアメリカの技術に追随しており、経営手法などでも影響が見られますが、ここまでとは思いませんでした。
 ちなみにざっと検索してみたところ、これまたウィキペディアの「ミッキーマウス」の項目にこのパンフは紹介されており、ディズニーマニアの間では知られているようです。もっとも検索した範囲では、このパンフの画像は出てきませんでしたから、ここにご紹介する意義もあろうかと思います。

 ところで、阪和電鉄は並行する南海鉄道(現・南海電鉄)と激しい競争を繰り広げましたが、これは弊害の方が多いと、統制経済や交通調整の時流によって経営の苦しかった阪和は南海に合併させられ、更にその後国有化されます。戦後になって、戦時中に強引に統制された事業を復旧させようとする動きが出、特に公営の電力(戦前は、大阪・京都・神戸各市をはじめ、東京市の一部や富山県・高知県などで公営の電気事業が行われていました)の復旧運動が激しかったことが知られていますが、阪和電鉄も再民営化の動きが出ます。それを物語る貴重なビラも展示されていましたのでご紹介。
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南海電鉄による「阪和線還元払下」ビラ
(この写真はクリックすると拡大表示します)

 描かれているのが如何にも63形電車なのが時代を感じさせます。この運動は、阪和線沿線では一定支持があったようですが、紀勢線沿線では「国鉄で大阪まで直通できなくなる」とむしろ反発を受け、結局失敗しました。どちらせよ、戦時中かなり強引に国有化された私鉄が、戦後民営に戻った例はないわけですが。

 この他にも興味深い報告内容や昔の資料はいくらもありましたが、とりあえず今回はこの辺でおしまい。
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by bokukoui | 2009-11-20 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback(1) | Comments(2)

永田町でみたび「外国人参政権反対」な「草莽」に出くわす

 例によって永田町の国会図書館に通っておりますと、またぞろ「外国人参政権・夫婦別姓反対デモに出くわす」「またも「外国人参政権・夫婦別姓反対デモ」的な何かに出くわす」のような状況に出くわしてしまいました。別にここはネット右翼観察ブログではないんですけどね・・・

 時はちょうど午前11時頃、小生はこの日夕刻まで国会図書館に籠もるつもりでおりましたので、早めの昼食と思って、永田町の駅から地上に出たところにあるマクドナルドに入ったところでした。ちょうどランチタイムに入ったところで店はビジネスマン風の方々で雑踏しており、自動ドアも開きっぱなし状態でしたから、外の街宣車ががなり立てている声は店内にいてもよく耳に入りました。
 「外国人参政権が実現すれば、押し寄せる数百万のチャイニーズに日本を乗っ取られます」「小沢民主党の陰謀(暴走だったっけかな?)を阻止しましょう」「常識ある国民の皆様に訴えます」とかなんとか、連呼していたように思います。写真は以下の通り。例によって携帯電話の付属機能なので画質は大したことはありません。
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 平日の午前中にこのような活動をしているとは、どのような宣伝主体なのかと思いましたが、なにやら「日本を守る草莽全国地方議員の会」という団体のようです。「草莽」という文字は先日の街頭行動でも目にした覚えがありますので、内容からしても同系統の活動なのでしょう。
 小生がこの街宣に関しいささか心中複雑にならざるを得なかったのは、その時マクドナルドのカウンターにいた女性店員の一人が、ネームカードから察するに中国系と思われたことで、さて彼らの連呼する「中国人の脅威」と、いまここに目の前にいる人とはどのようにつながるのだろう、ということでした。
 外国人参政権問題について小生は関心も知識も乏しいことは以前の記事に書いたとおりですが、少なくとも今現にいる在日朝鮮人を問題とするのならば、問題とすること自体は否定すべきではないのだろうとは思えます(どれほど問題があるのか、実際のところ大してないのかは別にして)。しかし、現在日本所在の集団として政治的な勢力をなしているとは言い難い中国人を、「何百万人」(「何千万」とかも言っていたような気がする)も押し寄せるというのは、いくら何でも飛躍しすぎではないかと思います。それは現実に存する問題ではない、彼らの心中の中のなにがしかの情念の噴出という面が強いのではないか、そう思えます。
 むしろ中国本国を居づらいと思っている人材のうち優秀な人材を招く方が、本当に「中国の脅威」に対抗し、しかも日本の発展にかなうと思うのですが、というのは小生が昔第2外国語の中国語を趙宏偉先生に習っていたからですが。趙先生は「中国は共産党でなかったらもっと発展した」などと力説されるので、学生一同てっきり台湾人だと思っていたら、あとで訳書の翻訳者紹介をみて「遼寧省出身、吉林大学卒」などとあり、驚くとともに趙先生国に帰る気ないんだなあと思った次第でした。確か日本人の女性と結婚されてお子さんもいたんだったっけかな。頭脳流出の一例と申せましょう。しかし趙先生、鼎談本の相手は選んでほしかったなあ・・・
 まあこれは極端な例ですが、むしろ中国人の海外への視線に日本があんまり上がってこない方を心配すべきじゃないかと思う次第です。あと日本側の要因もあると思いますが、話が長くなるし面倒なのでこの辺で終わり。

 もう一点、「草莽」という言葉をこのように使われることにも違和感を感じざるを得ません。やはり「草莽」という言葉を掲げるならば、色川大吉先生の本は読んでおくべきところではないかと思うのですが、おそらくあの「草莽」の旗を今掲げている人たちにそう言っても、色川大吉って阿佐田哲也の別ペンネーム? とでも思われそうな気がしております(←このネタは種村季弘が『書物漫遊記』でやったののパクリです)。豪農層は一応地方議員層につながらなくもなさそうなんですが・・・彼らの「草莽」イメージは『竜馬がゆく』の域をどれだけ出ているのか、出ているにしても司馬遼太郎の下にしか出てないでしょう。
 「草莽」でちょいと検索をかけたら、以下のようなブログが見つかりました。

 遠方からの手紙(別館)さん「草莽とは」

 「草莽」という言葉を外国持参政権反対のような文脈で使いたがる原因を、手短に論じており、小生の無駄に長い文章を読むより遙かに有意義と思いますのでご紹介する次第です。
 よくまとまっているので今更小生が付け加えることもありませんので、以下は勝手な思いつきというか余談。遠方からの手紙(別館)さんの記事にこのような一節があります。
草莽とはほんらい無位無官の在野の人間のことを意味するのだから、いくら地方議会であるとはいえ、税金で養われている議員らが 「草莽」 などと称することじたい奇妙な気はするが、それはまあおいておこう。
 この箇所を読んで、小生はこれとよく似た表現を最近読んだ記憶がよみがえりました。それは、戦前期に政党の退潮と軍部の台頭の間隙で勢力を拡大し、戦時統制経済体制をこしらえた革新官僚・新官僚について、彼らが世間に知られるようになった1936年に書かれた文章です。
さて新官僚と称する役人の一団は、新時代のために新政治をもたらすべく、革新の道に邁進しているということである。彼らの志は常に政権の側に立って改革を行うということにあるから(略)生活の苦労なくして志士たるべくんば、天下の何人が志士たるを欲しないであろうか。かくのごとくして新官僚は、実に猛烈なる志士の一団なのである。(阿部真之助「奥村喜和男」、『現代世相読本』(1936)所収)
 この引用部は、橋川文三「革新官僚」(神島二郎編『現代日本思想体系10・権力の思想』筑摩書房(1965)所収)の孫引きです。最近革新官僚のことにいろいろはまっているので。
 ところで、以前の記事で、この手の「草莽」団体の活動に対し、安倍晋三元首相がビデオでコメントを寄せていたことを記しましたが、この「志士」たることを称して戦時体制の強化に奔走した新官僚・革新官僚の大親分こそ岸信介に他なりませんから、その点ではそれなりに「志士」の系譜がつながっているのでしょうか。
 ただその場合、看板は「保守」ではなく「革新」にすべきと思いますが。

※更新した時刻は下の時刻よりずっと後ですが、出会った日の日付にしたかったのでこうなりました。ご諒承ください。
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by bokukoui | 2009-11-19 23:59 | 出来事 | Trackback | Comments(2)

自省するひととき

 先日の「またも「外国人参政権・夫婦別姓反対デモ」的な何かに出くわす」の記事ですが、この日は日頃の鬱積を誤った方法で晴らそうとした結果、紹興酒を一人で一本(それ以外もいろいろ)飲んだ勢いで書いたため、あとで読み返して日本語としておかしいところや不適切な表現が多々見受けられましたので、多少修正しました。それでも問題点は残っておりますが、全面的に書き直す暇も価値もないのでやむを得ません。
 そのような記事の「日本語としておかしいところ」を端的に言えば、文章が「馬から落ちて落馬した」状態になっている、言い換えれば丁寧に説明しようとしすぎて冗長になりすぎ余計訳が分からない、ということですね。普段から陥りがちな弊ではありますが、アルコールが入ると覿面で、一文で同じ説明を二回繰り返したりしておりました。大変失礼致しました。

 ところで、何でまた妙に冗長になりがちなのかと自省しますと、昔から小生には、「自分の話す(書く)ことに他人が興味を持ってくれることなどない」というような被害妄想というか諦念というか、そのようなものがあるからなのだろうと思います。なので、時としてむやみやたらと丁寧な説明を、特に文章ではしてしまう(口頭であればその場の状況に合わせてある程度調整できますが)のだろうと思います。
 で、このような人間はそれなりに社会にいるだろうと思いますが、当然このような人はコミュニケーション能力に関してなにがしかの苦手意識や悩みなどを抱えることになるでしょう。小生は人に電話したりメールしたりするのが苦手、というか恐怖心のようなものを抱いています。企業の窓口とかの電話ですら。こういうのは普通に考えれば、余程のトンデモクレーマーでもない限り、かけてもらった方がむしろ嬉しい筈なんですが・・・
 一方そのような人は、自分の話していることに他人が関心を抱いてくれているように感じられると大変喜びます。そして往々、喜んで調子に乗って話しすぎ、やっぱり相手に引かれてしまったりするわけですが。

 いうまでもなくこのようなコミュニケーションが苦手な人は、「オタク」的傾向を帯びやすいものでして、そのような例は皆様も身近に経験しておられることと思います(え、自分がそうだって?)。で、先日の記事にひきつけて言えば、オタクな方々が時として排外的な考えに囚われることがあるのは、世界を話を聞いてくれる味方と聞いてくれる敵とに分けてしまうからなのかなあ、と思います。「138億年と48億年前から『友愛』してたんですかぁ!?」の台詞にしても、あれが鳩山首相はじめ民主党の議員に通じることを期待してというよりも、味方である示威行為参加者向けの台詞でしょう。デモの効果として、自派の結束を固めるということは無視できないことですから、いちがいにそのような言説を批判するわけではありませんが、政治的な公論というものではないことは確かです。
 以上余談。

 話を戻して、小生は幸いにして周囲の環境に恵まれ、人とこととを選べば話が通じないことはない、という感触をやがて得ることが出来、世間は総て敵なのだと被害妄想を敵愾心にまでこじらせることなく、今日に至ります。もっとも被害妄想を完全に払拭できたわけでもないところがなんですが。だから小生の書くものは未だになお時として冗長の弊をさらけ出すものと思います。
 もっとも、以上のような人間にとってはコミュニケーション自体の手間が普通の人よりもかかるので、それを負担と感じて面倒になり、コミュニケーションの絶対量を絞ってしまう傾向もまたあります。その表現形態は大きく二つあって、まずそもそもコミュニケーションの機会自体を減らしてしまうというのが一つ、もう一つは上の記述と矛盾するようですが、発言や記述を過剰にはしょってしまうというものです。後者はつまり、「分かってくれる人は分かってくれるだろうし説明しても分かってくれない人は分かってくれないだろうから、まあいいや」というはなはだ虫のよい発想ですね。
 かくて、冗長と説明不足が同居する次第に陥るのですが、言い訳にもなりませんけど、コミュニケーションが苦手だとか「非モテ」だとかの、一つのパターンではあろうかと思います。

 冗長さを自省する文章が冗長になっていたら世話はないのでここらで止めますが、最後に何でこんな文章を書いたかというと、先日書き上げた論文が本来絞ったテーマで短めのものを書く予定が、気がつけば大長編になっていて我ながらまずいと思い、案の定「全体として冗長」「各所に説明不足」と指導教官に指摘され、投稿先にあわせて圧縮するように、という前作とあまり進歩のない結果に陥ったもので、いささか自省した次第です。
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by bokukoui | 2009-11-17 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(1)

「宇治電ビル」(近日解体予定)を見に大阪へ行く

 初手からなんですが、本記事の表題には誇張があります。小生は目下、某学会の大会で大阪に来ておりますが、そのついでに表題の宇治電ビルを見に行ったまでです。某学会も大変面白く、今後の研究にいろいろ参考になりましたが、それを詳細に書いている暇はありませんで、代わりに宇治電ビルのご紹介などをしてみようかと思います。
 ところで宇治電とは、戦前の日本の五大電力の一つ・宇治川電気のことで、社名のように宇治川の水力発電に端を発し、関西地区を地盤とした会社で、一時は現在の山陽電鉄を支配下に収めていたりもしました。もっとも関西では、大阪・京都・神戸は電気事業が市営化されており、郊外は電鉄会社が電力供給区域を有していて、関東の東京電灯・中部の東邦電力ほどの圧倒的支配力を発揮することは出来ませんでした。五大電力の三番手といったところです。
 そんな宇治電が1937年に建てた9階建ての本社ビルがこの宇治電ビルで、電力国家管理が行われて宇治電が解散に追い込まれてのち、関西電力が発足するとその所有になりました。現在は関電の関係の不動産会社が所有しているようです。宇治電が消えてもその名を現在に伝える存在でしたが、残念ながら取り壊して再開発することが決定したそうです。昭和初期の鉄筋コンクリート建築なんてまだまだ頑丈そうなのですが、今時地上9階では駄目ということでしょうか。

 というわけで、現在電鉄業から電力業に研究の手を広げつつある小生、開業した京阪中之島新線や阪神なんば線はいつでも乗れると無視して、学会開始前のひとときに急いで見に行って、写真を撮ってきました。以下にご紹介。今回の記事の写真は、基本的にクリックすると拡大表示します。
 ビルの所在地は上掲リンクにありますが、大阪駅から南東方向に徒歩15分くらいの所にあります。曽根先警察署の先を右に折れ、太融寺の前を通って南下すると、大通りの向こうに宇治電ビルが見えてきます。
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新御堂筋のランプの向こうに姿を見せる宇治電ビル

 正面の白っぽいタイル張りのビルが宇治電ビルです。この写真でも、宇治電ビルにはなにやらレリーフが取り付けられていることがお分かりいただけようかと思います。

(写真が多いので続きは以下に)
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by bokukoui | 2009-11-14 23:59 | 歴史雑談 | Trackback(1) | Comments(8)

またも「外国人参政権・夫婦別姓反対デモ」的な何かに出くわす

 今日も今日とて所用にて国会図書館に赴き、流石に疲れ昼食に出掛けようと一旦出て戻りかけた、午後1時ごろでしたでしょうか。永田町駅のあたりから歩いて戻ってきた時、以下のような光景を目にして、きわめてげんなりする羽目になりました。
 とりあえず以下に画像を紹介します。まあ、携帯電話のカメラによるものなので、画質は全く論じるに値しませんが、気分は伝わるかと。
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 道路を歩いていたらこんな情景が眼についてしまったわけで。
 先日の「外国人参政権・夫婦別姓反対デモ」に出くわした時と同じような方々のようですな。

 てなわけで、デジカメを持っていなかったのですが、携帯電話のカメラ機能で撮影したのが以上と以下の写真です。
 かくて、横断歩道を渡って、ずずずずっと彼らに近づいて、以下の写真を撮りました。
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 なにやら幟を掲げてますな。雨が降っているのにご苦労様なことです。
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  ご苦労なのはお巡りさんのことです。
 立っている幟には「日本女性の会『そよ風』」と書かれていたかと思います。
 平日の真昼間(午後1時)から何を演説しているのかと思いきや、小生が通りかかった時にはもはや外国人参政権反対ですらなく、民主党の首脳に対して何ぞ批難の言辞を並べていました。内容は覚えていませんが、「ココ山岡国会対策委員長」とか「宦(菅)官副総理」とかなんか言ってたかなあ。
 で、鳩山総理がどこぞで、宇宙が138億年(?)前からあって、地球が48億年(?)前からあったと発言したらしいのですが、その言葉尻を捉えて、上掲写真のメガホンを持っている人物は以下のように街宣しておりました。

「138億年と48億年前から『友愛』してたんですかぁ!?」

 とりあえず、この人物がオタクであることは確信して宜しいかと思われます。明らかに『創世のアクエリオン』の主題歌ですなこの発言の元ネタは。オタクと排外主義の共通性が高いということはありそうなことですが、残念なことでもあります。

 以上、「在日鉄オタブログ」がお伝えしました。

※更に追記
 国会図書館に通ってたら、彼らにまた出会ってしまいました。
永田町でみたび「外国人参政権反対」な「草莽」に出くわす
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by bokukoui | 2009-11-11 23:34 | 出来事 | Trackback | Comments(8)

「三峯徹20周年トークライブ」が開かれていたそうな

 この週末、当ブログへのアクセス数が比較的多く、はて久しぶりに更新したから見に来て下さった方が多かったのかと思いきや、前回の記事を更新するより前からアクセス数が増えているようで、何事やあらんと少々調べてみました。
 するとどうも、「三峯徹」画伯のお名前で検索をかけてきた人が多かったのではないか、という結論に達しました。それで、例によって当ブログの旧稿「エロマンガ界に激震走る~遂にあの論争に終止符」にアクセスされた方が多かった模様です。大した記事じゃないんだけど(苦笑)、それなりに認識されているのは有り難いことです。あ、三峯画伯が何者かご存じない方は、↑のリンク先の記事をご覧下さい。エロ漫画業界の座敷童というか、アウトサイダーアーティストというか、とにかく、余人を以て決して代え得ない異人なのです。
 ではなぜ三峯画伯のお名前で検索する人がこの週末多かったのだろう? 小生は当然の疑問を抱いて自分も検索を試みたところ、表題の如く、この週末に「三峯徹20周年トークライブ」というとんでもないイベントが開かれていたのでした。
 なるほど、だから検索した人が多かったのか。

 このイベントの発起人は、エロ漫画家の浦嶋嶺至氏でした。なるほど、小生も昨年、浦嶋嶺至(礼仁) 先生の画業20周年記念トークイベント「全身エロ漫画家宣言!!」に、ゲストに三峯画伯が出演されると聞いて出かけ、レポを当ブログにアップしました。その際に三峯画伯と浦嶋氏の間で
浦嶋氏「ところで、投稿歴は?」
三峯画伯「19年。来年で20年になる」
浦嶋氏「では来年イベントを(笑)」
てなやりとりがありましたが、本当に開かれたんですね。
 浦嶋氏のブログのイベント紹介記事にリンク。小生が参加したイベントでもそうでしたが、おみやげをわざわざ制作するとは、浦嶋先生はまったくいつもサービス精神旺盛だと感心させられます。

 浦嶋嶺至のAREA41「11/8 三峯徹20周年トークライブ」

 今更知っても手遅れですが、どっちにせよ日曜日は小生、「軍事史研究の新潮流」という某学会のシンポジウムに行っておりましたので、見には行けなかったわけですが。なおそのシンポジウムは非常に密度の濃い報告ばかりでしたが、濃いために手元にレジュメもメモもありますが、とてもじゃないけど起こしてブログに載せるわけにはいきません。多分丸一日かけても終わらなさそう。

 とはいえ多少残念でなくもないので、このイベントに行かれた方のレポがないかちょっと探してみたところ、一つ発見したのでご紹介。

 ぜろじげん開発者ブログ「三峯徹20周年トークライブに行きました」

 これは面白い。一部引用させていただきます。
途中のトークで印象に残ったことをいくつか

・当初は女の子以外の男キャラなども描かれていたこと
・今の三峯風のスタイルになるまで、数多くの試行錯誤があったこと
・途中金髪が連続した時代があったこと
・ショタやBL雑誌などにも数多く出していたこと
・引っ越しを数多くしていたせいで、PNの住所がバラバラだったこと
・投稿する雑誌の中にはアンチがいて、ハガキが一切載らなかったこと
 あと、ここでもWikipediaの「三峯徹」の項目が削除されたことを問題視する声が上がっていたそうですが、削除されたWikipedia「三峯徹」の項目のコピーは、小生の書いた昨年のイベントレポの頁に張ってありますので、ご興味のある方はどうぞ(笑)

※追記:三峯画伯がなんと「タモリ倶楽部」に登場。その番組を見た感想などはこちらへ



 さて、以下は上の記事を書くために検索をしていて気がついた小ネタ。分類としては「身辺些事」ですが、まあ記事を立てるほどでもないのでついでに。

 なんと、当ブログが2ちゃんねらーによって、「在日認定」されておりました(笑)

 ・ニートな2ちゃんねら~日記
「筆不精者の雑彙←在日鉄オタブログ」

 ほとんど(T/O)みたいな記事です。よく分かんないけど、2ちゃんに書き込んだ記事の集成みたいなブログなんでしょうか? このブログの筆者が注目する書き手の書き込みを集めた、みたいな。
 多分日付からいって「外国人参政権・夫婦別姓反対デモに出くわす その他沈鬱な近況」のためだろうと思いますが、当ブログが「鉄オタ」と判断できるくらいは目を通してもらえたのなら幸いです。どうも該記事に寄せられたデモ側の方のコメントを読む限りでは、該記事の全体を把握した上で寄せられたとは考えにくい面があっただけに。

 ところでずいぶん前のことですが、亡くなった小生の祖母が、小生の母と国際結婚について話をしていて、母が息子(つまり小生)が国際結婚しても構わない的なことを言ったら、大正9年生まれの祖母は難色を示したそうで、最後にこう言ったとか。

 「朝鮮人だけは嫌」

 さて、このような大正生まれの関西人の対朝鮮人感情と、現在のねらーなどの「嫌韓」とは、なにがしか連続性があるのか、はたまた断絶があるのでしょうか。
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by bokukoui | 2009-11-10 23:59 | 漫画 | Trackback | Comments(6)

さよなら交通博物館 建物の解体状況(1)

 ここしばらく、論文はじめ山積する所用に追われ、追われていると心身共に碌でもない状況になり、すると所用がますます片付かないという悪循環にはまっておりましたが、つまりよくあることというわけです。そうこうしているうちに月も変わって寒くなってきました。
 で、居並ぶ所用に無理矢理区切りをつけて、以下に話題を一つ。

 もう三年半も経ってしまったのですが、2006年5月に神田にあった交通博物館が閉館しました。閉館後、南側に建っていた別館は比較的早くに撤去されましたが、本館は入口には閉館を告げる看板を掲げたまま、あまり変わらぬまま建っておりました。小生はふとしたご縁で、閉館二年余後の交通博物館の中に入れていただいたことがありますが、なにせヘリコプターがまだ釣ってあったくらいでした。
 しかし鉄道博物館も開館して早2年、とうとう交通博物館本館の解体が始まりました。小生は時折秋葉原に足を運びますが(最近は史料撮影用にデジカメの新調を検討中)、その際の曖昧な記憶では、先月頃まではあまり変化がなかったのが、先月後半頃だったかに建物の一部に仮囲いが施され、解体工事が本格化したようです。
 やや手遅れの感もありますが、交通博物館の最後の姿を記録しておきたいと思います。
f0030574_2375223.jpg
交通博物館本館をお茶の水方から望む かすかに「交通博物館」のロゴの跡が残る
(この写真はクリックすると拡大表示します)


(写真が多いので続きは以下に)
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by bokukoui | 2009-11-08 23:59 | [特設]さよなら交通博物館 | Trackback(1) | Comments(4)