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今日の東急デハ5001号の状況(58) 絶対領域vs.国民新党

 今日で4月も終わりですが、大体このところ月末の報告が定例化しているデハ5001の調査です。所用のついでに夕刻、渋谷駅に降り立ちました。

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by bokukoui | 2010-04-30 23:31 | [特設]東急デハ5001号問題

さよなら交通博物館 建物の解体状況(6)

 諸事情により更新の間が空いておりました。前回の記事「三木理史『都市交通の成立』紹介」も完成まで途中のままかなりの期間放置しておりましたが、昨日完成しておりましたので、交通や歴史に関心のある方はご一読いただければ幸いです。そんなこんなで本業もブログも手につかぬまま荏苒日を過ごしてしまいましたが、いつまでも布団にくるまって世界を呪い続ける訳にもいきませんので、何とか活動再開を志して、昨日頃から動き出しております。
 で、その一環としてブログの方では、まず今月の交通博物館の状況をお伝えします。今月は解体工事が相当に進展し、大きな変化がありましたので、ご注目下さい。
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交通博物館解体工事現場の鉄板の塀に張られた案内地図
未だに「交通博物館」の標示が健在(2010.4.21.撮影)


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by bokukoui | 2010-04-28 22:48 | [特設]さよなら交通博物館

三木理史『都市交通の成立』紹介

 ここしばらく諸事に追われて研究が進んでいないのですが(ずっとそればっか)、それはいかんとせめて本でも読もうと、最近出された表題の書物を入手し、読了しました。新年度最初の書物紹介として相応しい一冊と思います。

三木理史『都市交通の成立』(日本経済評論社)

 当ブログでも前にご著書を紹介したことのある、三木理史先生の新刊で、2月に出たそうです。本書の目次の概要を以下に掲げます。詳細な目次は上掲リンク先にありますので、ご関心のある向きはそちらを。
序 章 「都市交通」の概念的成立 
 
第一部 都市交通と領域性
 第1章 都市交通の萌芽と領域性  
 第2章 戦間期の都市膨脹と交通調整
 第3章 交通調整の戦前・戦後と都市交通審議会 

第二部 旅客輸送の大量化
 第4章 「通い」の成立 
  補 論 「通い」の再生産構造
 第5章 「都市鉄道」の成立 
 第6章 旅客輸送の高密度化と「都市鉄道」 
 第7章 戦時体制期と「都市鉄道」の展開 
 
第三部 都市交通における物流
 第8章 都市交通と社会資本の利用分担  
 第9章 戦前期の石炭消費と都市内輸送 
 第10章 生鮮食料品輸送と中央卸売市場の成立
 
終 章 「都市交通」の成立
 小生は先日本書を入手し一読しましたが、何分にも300頁を超えるボリュームでもあり、今のところ何か書評出来るほど読めてはいません。とりあえずその内容を雑駁に紹介するのみでご勘弁のほど。

 本書は大阪をフィールドに、「都市交通」というものが如何に形成されたかを様々な角度から検討しています。「都市交通」とは、「都市内交通」と同義ではなくもっと広い概念で、都市内および都市と周辺地域との交通を総称した概念です。ですので、都市と農村とが截然と分かれていた時代には、「都市内交通」はあっても「都市交通」は未成立であって、郊外とか、都市圏というものの成立に伴って、都市交通が形成される、ということなのだと思います。
 で、その都市交通を、本書では

 (1)都市と郊外をめぐる領域性
 (2)その大量性をめぐる問題
 (3)都市における旅客と貨物の関係性

 の3つの論点から分析しています(p.2)。この3つの論点が、目次の第1部・第2部・第3部にそれぞれ対応しています。
 一読した感想を織り交ぜつつ各部を簡単に振り返ると、まず第1部は、「領域性」という言葉に馴染みがなくてちょっと戸惑いますが、本論で主に問題になっているのは、大阪市当局の領域認識ということのようです。大阪市が交通に関して、「市営モンロー主義」などと呼ばれる、市内の交通(昔なら市電、今なら地下鉄・バスなど)を市が独占的に運営すべきという発想を抱いていたことは割合知られているかと思いますが、その市営主義を運営する上で、大阪市がどのような空間認識を有していたか、とまとめられるでしょうか。大阪は数度に亘って周辺町村を合併し市域拡張を行いますが、そのため当初の領域性に基づいて組み立てられた市営主義の交通体系が、市域拡張によるその変化に伴って動揺し、やがて崩壊する過程を描いています。
 これは小生の理解ですが、大阪それ自体の成長や交通機関の発展に伴って大阪の郊外も発展し、当初は新市域としてそれを大阪市の内部に取り込めたのが、郊外が拡大しすぎて市の範囲を遙かに超えてしまい、それに伴って都市交通も大阪の市営主義では不合理になってしまったということでしょう。第3章では都市交通審議会の役割を取り上げていますが、そこで述べられている、かつての都市交通は内務省(→建設省)による都市計画の一部(大阪市のような地方自治体は内務省が監督)と捉えられてきたのが、戦後になって全国的な交通網の一つとして都市交通を捉える運輸省(←鉄道省)の見方が中心になってきたという変化もまた、都市交通が市のレベルで手に負えるものではなくなったことを反映しているわけでしょう。

 第2部は、都市交通を特徴付ける旅客輸送の大量化を扱いますが、まず第4章と補論では、旅客輸送大量化の前提となる、交通機関による通勤通学という習慣の発生を検討し、第5章では都市交通に相応しい鉄道の技術的発展を分析します。技術的発展とは即ち、当初明確に分かれていた鉄道と軌道の相違が、都市交通の発展(による大量・高速輸送の必要性)によって次第に平準化し、更に国鉄も都市部で客貨分離を行うなどして、私鉄の電鉄との間が平準化したことです。章末で三木先生は、このような平準化は戦後の新幹線にも及び、幹線の旅客輸送も大量輸送への対応から、都市交通の電鉄に近づいたことを示唆しておられますが、大変重要な指摘と小生も考えます。
 第6章では、都市交通を担う鉄道の特徴である高密度輸送(ラッシュ)の形成を軸に戦時下の電鉄を検討し、軍需工場への動員などで通勤者が激増したことは、旅客輸送の大量化という観点からすれば、戦前から戦後の高度成長期まで続くトレンドと位置づけます(本章は扱う論点が多岐に亘る分、やや纏めづらい印象があります)。第7章では、第5章の都市交通の技術的平準化と第6章の戦時期のラッシュ対策とを、技術的観点から纏め、戦時期の大量高密度輸送対策は技術の平準化を更に推し進め、戦後の高度成長への対応へつながったとしています。

 第3部は、これまでの都市交通研究で等閑視されがちな傾向にあった、都市の貨物輸送を取り上げます。第8章では都市と都市外との結節点に着目し、水運と陸運が近代以降どのように役割分担を行ってきたか(近世では陸上は旅客、水上は貨物と分かれていた)を検討します。以下の章では石炭と生鮮食料品をそれぞれ取り上げて、都市での貨物輸送の具体的様相を解明します。なかなか史料が少なくて分かりにくい分野ですが、様々な史料を巧みに組み合わせてその様相に迫っています。

 以上、要旨を紹介するだけでもなかなか大変なほど、様々な角度から都市交通を検討し、その画期を戦間期に置きつつも、戦争を挟んだ戦後への連続性を論じている一冊といえるかと思います。フィールドを大阪に絞っていますが、しかし例えば第一部の、都市が発展した結果、市では都市交通に対応できなくなる、などという指摘は、普遍性の高いものと思います。また、戦時期をただ統制に縛られ戦災を被っただけの時代ではなく、戦前と戦後とを繋ぐ役割があることを指摘したことは、大変意欲的で読者として刺激を受けます(三木先生は今までも同様の指摘をある程度されていましたが、本書は幅も厚みも広がっていると思います)。大阪に限らず(もちろん大阪の地域史としても大いに活用できますが)、都市と交通について関心を持つ方はご一読されればと思います。
 小生も一読したのみなので、それ以上のことはなかなか言えませんが、思い付きの範疇を出ないことを断った上で一二指摘をするならば、まずこれは多面的に都市交通を捉えようとされたが故のことと思いますが、部章ごとに交通を見るレベルがかなり異なっているので、総合的な「都市交通」像を思い浮かべるのが難しく感じられるということです。第一部では大阪市の手に負えないほど広がった範囲の都市交通を扱う一方、第三部の貨物輸送は比較的狭い都市内の貨物輸送の話が中心です。また、交通を見る視点が、大阪市当局だったり、郊外の住民だったり、貨物の運送業者だったり、さまざま章ごとに異なっているため、それらが大阪という一つのフィールドでどのように関係し合っていたかがなかなか想像しづらいところがあります。これは今後、研究の進展によって解決されるものだと思いますが。
 あと、個人的には第二部の戦時下の鉄道事業者の経営分析は大変興味深くも、やや手法に疑問を感じるところもないではありませんが、それをいまここで詳細に述べるのは大変だし準備もないので、今後自分でいろいろ調べてみたいと考えています。もう一つ今後に繋がる論点として思いつくのは、第一部での都市の発展により大阪市の交通は大阪市営では運営しきれなくなっていく、という大変興味深い指摘は、他のインフラにも通じるのかそうでないのか、というところで、地方分権だの道州制だの、或いは大阪市と大阪府の一体化だの東京特別区の改組だの、現在政治的なテーマとして浮上しているようなことにも繋がっていくのではないかと思います。

 勝手な思い付きばかりですが、なにがしかピンと来るところのあった方は是非どうぞ。必ずどこかで参考になる本ですので。
 はなはだ雑駁な記事にもかかわらず、毎度ながら完成が遅れ、まことにすみません。
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by bokukoui | 2010-04-21 23:59 | 鉄道(歴史方面)

坂本龍馬ブーム? にふと浮かぶ妄念「せんたくいたし申候」

 一昨日は四月も半ば過ぎというに降雪を見、一体どうなっているのかと寒さに震え上がっておりましたが、昨日の午後から今日にかけては漸く天候も春らしくなってきたようです。寒さもあってか、或いは花粉デビューによる目の疲れなのか? 何事も能率が上がらず片付かずブログも間が空く状況が続いておりますが、これから気候が良くなりそうなので、それに合わせて物事を済ませていきたいと思っております。

 ところで、最近NHKの大河ドラマで坂本龍馬を取り上げているせいか、龍馬関係の話題が何だか矢鱈と目に付き、先日の鳩山邦夫離党の際にも自分を龍馬に準えたとかで、しかしそれを批判した前原国交相も龍馬の「ファン」だとかで、小生は基本的にはどんな形であれ多くの人が歴史に関心を持つことは結構と思いますが、歴史上の人物に勝手に自分の願望を託して悦に入らないで欲しいとつくづく思うわけです。以前にも西尾先生トバしすぎの一件とか、割と最近では「愛国心」がらみでそんなことを当ブログで書いた覚えがあります。
 しかし大河ドラマ効果か、書店の店頭などを見ても、もちろんネット上でも、龍馬関係の言説はあふれかえっており、特に個人的に目について気になるのは、坂本龍馬の書簡の一節だという、「日本を今一度せんたく(洗濯)いたし申候」というフレーズで、これを振り回して改革を待望する的な心情があっちこっちで見られ、あまつさえこのフレーズが幸福実現党のポスターにまで書いてあったので、ますます以てげんなりしました。

 で、げんなりした小生の、寒さや何やでくたびれきった脳裏に、突然次のような電波が降りてきました。




「ユーゴを今一度せんたくいたし申候」

by ミロシェヴィッチ大統領



 "cleansing"の訳として「せんたく」は、許容の範囲だと思います。

 流石に原史料が気になって、「日本を今一度せんたくいたし申候」でぐぐってみると、有り難いことに元の書簡をアップしてくれている方がおられました。・・・をを、前後にのばしても行けそうだな。「右アルバニアの邪教徒を一事に軍(いくさ)いたし打殺、コソボを今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候」てなとこで。他にもいろいろ応用が利きますな。「ルワンダを今一度せんたくいたし申候」とか。

 一応念のために、かかる軽口を不謹慎と思われるような方のために蛇足を承知で一筆添えておきますと、史料をその文脈から切り離して、更に史料内の文脈からも切り離したフレーズだけ振り回しても、それは如上の電波の如きものであろうということです。
 小生は維新史には全く疎いですが、しかしこの書簡を一瞥しても、例えばその後の大政奉還や船中八策に通じる観点から見れば、この「せんたく」云々の一節と比して、より意義のありそうな箇所を見つけ出すことは出来そうです。それでもなお多くの人が「せんたく」を引っ張りたがるのは、社会改革は「姦吏」のごとき悪者を一掃すれば足ると考えがちだからなのでしょうか。しかし、それこそエスニック・クレンジングへと繋がる道のようにも思われるのです。そして、エスニックをクレンジングしてしまうような時には、文脈から切り離された歴史上のフレーズが使われることもまた、ままあるようにも思われます。
 ・・・てな風に真面目ぶってみたけど、案外、元の書簡で一番わかりやすいフレーズが「せんたくいたし申候」だったから目に付いた、だけかも知れませんね。玉音放送の「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」みたいなもんで。
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by bokukoui | 2010-04-18 20:33 | 歴史雑談

鍋焼うどんの探求(10) 浅野屋@猿楽町(神保町)

 (9)に引き続き、神保町界隈を巡ります。といって、今度の店もやはり住所は猿楽町のようです。
 今回は浅野屋「なべ焼」(1000円)です。写真がちと呆け気味ですみません。
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by bokukoui | 2010-04-14 23:59 | [特設]鍋焼うどん探求

鍋焼うどんの探求(9) 冨多葉@猿楽町(神保町)

 相変わらず天候不順が続き、春まだ遠き感・・・とかいってるうちに4月も半ばですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。小生も例によって例の如くいまいちな体調ではありますが、寒いということは鍋焼うどんの旨い時期がしばらく続くということでもあります。というわけで、鍋焼うどんの構成要素を探るフィールドワーク(?)企画、あんまり反響がないけど(このブログの他の記事と毛色が違うからかな?)、まだしばらく続けてみます・・・というか、載せてないだけでネタはまだ先月来の仕込みがありますので。
 で、(3)~(8)とひたすら本郷界隈のお店を巡ってきまして、特に(4)~(8)は本郷通りを東大の正門前から順番に南下してきたわけですが、今回は場所を変え、小生が研究と趣味と用事を兼ねて折々うろつく神保町周辺のお店を取り上げます。といっても、住所としては猿楽町になるようで、書店街からぶらぶらと北へ、日大の方へ歩いて行って見つけたお店、冨多葉「なべ焼うどん」(1500円)です。ちなみに壁に貼ってあるメニューでは、「なべ焼」の「な」の字が変体仮名になってました。
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by bokukoui | 2010-04-14 23:58 | [特設]鍋焼うどん探求

京王資料館の一般公開などを見る

 既に一週間近く前のことですが、先月の取手に引き続き、鉄道関係の展示の見学に出掛けました。今週は憑かれた大学隠棲氏のお誘いで、府中の京王資料館を訪ねました。この資料館は、その名の通り京王電鉄の資料館ですが、本来は部内の研修用施設で一般には公開していないそうで、年に一度、地元のお祭りに合わせて一般公開しているのだそうです。

(写真が多いので続きは以下に)
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by bokukoui | 2010-04-10 23:59 | 鉄道(歴史方面)

新年度に当たり塾講師を廃業す

 新年度と言いながらもう一週間が過ぎてしまいましたが、4月とは思えぬ寒さに縮こまっていることの少なくない今日この頃です。
 そんな有様ですが、引き籠もって半年以上を棒に振った過去の先例に鑑みて、家に閉じこもることのないよう無理にでも出掛けつつ、論文を書き進める所存で、今のところは大学図書館に日参して何とかやっております。先月もくたばっていた日々が多かったのですが、ここしばらくはまあそれなりに。半日ぐらいひっくり返っていることはままありますが。

 で、今年度は博士論文完成を目標として、それに専念すべく、先週末を以てアルバイトの塾講師業を退職しました。もっと早く辞めるつもりだったのですが、後任の国語の講師の都合がつかないとかで、春期講習期間まで講座を担当する羽目になり、やや中途半端な時期の廃業となりました。そもそもは昨年度自体、勤務先の予備校が縮小均衡状態だったので自然仕事がなくなりそうだと思っていたところ、意外と持ち直し、おまけに秋以降は思いがけず受験生向け講座までやる羽目になりました。引退の花道といったところで。
 思えば結構長く勤めたもので、思い返せば多少の述懐なきにしもあらずですが、あまりいろいろ書いている余裕もありません。ただ、小生は当初勤めていた校舎が閉鎖になって別の校舎に転属したのですが、最初にいた所ほどのちにいた所では上手く出来なかったような、そんな感があります。それは生徒への対応というより、教室のスタッフとの関係において特に感じたことですが。別段そのことを悔やんでいるということもありませんが、何となくそのあたりの関係がよそよそしかったことが、多少自分の業務の能率にも良からぬ影響を受けたのかも知れません(結局はその関係を改善しようという努力を全く払うつもりがなかった小生の方に責任がありますが)。
 のちにいた教室は、小生転属当時の室長が途中で何の説明もなくいなくなり(他の講師には説明があったのかも知れませんが、小生は全く聞いた覚えがない)、その後しばらく室長不在で、誰が中心なのかよく分からない時代がありました。何だかその頃は、誰が偉いのかよく分からず、何となくやりにくかったおぼろげな記憶があります。しばらくしてやっと室長が登場し、それで事態は改善され、やはり何事も指揮官はいるものですな。

 塾講師を廃業するといえば、漫画家にして表現規制反対運動の一翼を担っておられるカマヤン先生も、奇しくも小生と同じ先週限りで塾講師業を廃業されたそうです。
 で、カマヤン先生が廃業直前に、「塾講師業、残り4日。『子供は純粋でいてほしい』」と題して、同僚のカマヤン先生から見て困った講師の話を書かれています。なかなか感じさせるところのある記事ですので、ご関心のある方はご一読下さい。「子供は純粋でいてほしい」という発想自体の持つ危険性、むしろそれが児童虐待に繋がりかねない、「地獄への道は善意で敷き詰められている」状況を招きかねないということについては、いつか一筆物したいところですが、今はその余裕がありません。
 それは措いて、小生がカマヤン先生の如上の記事を紹介したいのは、小学生向けの塾と高校生向け受験予備校という極めて大きな相違があるにしても、子供に対し「純粋でいてほしい」という危険性をはらんだ発言をしてしまう問題講師(眼前の子供を直視できず、自分の「純粋」という勝手な像を押しつける)についてカマヤン先生が評した「子供の気持ちを想像する能力・共感能力が乏しい」という所に結構ドキリとしたものだからです。その講師の「一人っ子で、地方の名門女子校を卒業し、東京の大学に入学した」という経歴も似てるような(小生は東京の名門中高一貫男子校ですが)。

 そこで思い返せば、小生は基本的に「受験予備校とは受験のための知識やテクニックを教えることが第一の業務である」と割り切って、その注入にもっぱら意を注ぎました。面白く、多様な角度から注入することについては一定の成果を挙げたつもりですが、共感どうこうということはあまり意に介さなかった、というか、小生自身もともと「共感」ということがどうにも苦手で、他人に「共感」を期待しないという習性を身につけていた以上、そのようなこと自体出来るわけがなかったのです。
 で、その結果、生徒が予備校に「様々な知識を面白く教えてほしい」というような期待を抱いている場合、小生は比較的受けが良かったと思います。しかし、よりメンタルなところにコミットしたサポートを求めていた場合は、その期待に応えられなかったことでしょう。
 以下のようなまとめはあまりに乱暴ですが、如上のことからして小生の指導は、概して男子生徒に受けが良く、女子にはいまいちだっただろうなあ、と思う次第です。なついた生徒も男ばっかりだった気がするし(笑)。世の中には、女子生徒のメンタルなところに求めているサポートを巧みに提供し、或いは提供されているのだと女子生徒に思わせることによって、放課後も深い関係になった塾講師もままいるということを小生は身近に聞き及んでいますが、そんなことは当然のことながら小生には一度だってありはしませんでした。別にそれが残念だとも思いませんが。人には向き不向きがあるので。

 まあそれでも、高校生ぐらいになれば知識重点型でもある程度やっていけると思いますが、これが小学生だったりすると話は全く異なってくるでしょう。中学生ですとその中間で、やはり高校生以上の配慮は求められただろうと思います。で、小生がバイトしていた予備校は近年業務を拡張して、中学生も広く受け入れを図っているのですが、そうなると小生にとってはなかなか難しいこともありました。
 うっかりやらかしてしまった最後の例として思い出されるのは、フィリピン人とハーフの女子中学生がいて(見た目も名前も言語も日本人としか見えませんでしたが)、なるほど日本の国際化もこんな形でも進んでいるのだなあという感銘をいささか受けたもので、その生徒が授業とは別に何かの時、自分はハーフだと思っていたが実はフィリピン側の親(確か母)の先祖は更にややこしく、もっといろいろ混じっているらしい、ということを言い出しました。ちなみにその時、彼女の同級生の女子中学生が真顔で「ハーフとニューハーフってどう違うの?」と言い出したので、その場の一同崩れ落ちました。
 それはともかく、そこから話がどう及んだのか、国籍の話になりまして、「よく分かんないけど将来国籍を選ばないといけないらしい」と彼女が言ったので、そこで小生は感銘の続きでついうっかり、延々と国籍における血統主義と出生地主義の違いを説明してしまいました(笑)。オランダのマーガレット王女の逸話まで織り込んで。
 考えてみれば彼女がそのような話題で求めているであろう反応からすれば、右ななめ上なことをしてしまったわけで、彼女はニコニコ小生の話を聞いて「なんかややこしくてよく分かんないけど、熱心にしゃべってる先生の様子が面白い」とのたまいました。優しい子で良かったですね(苦笑)。ニューハーフの解説はしなかっただけ抑えたつもりだったのですが。

 カマヤン先生の挙げた問題講師氏と比べると、小生はその問題講師氏と全く逆方向に間違っていることになります。問題講師氏は「子供=純粋無垢」というルソー的近代の構図にずっぽり嵌りこんでいるのに対し、小生は「子供=小さな大人」という近世(以前)的な対応をしてしまっているのであります(苦笑)。「小さな大人」というのは、前近代に於いては大人と対立する「子供」という概念は存在しなかったというフィリップ・アリエスの『<子供>の誕生』の所論で、今はいろいろ批判もあるようですが、みすず書房の邦訳は値段が高いのでまだ買ってませんね。昔から買おうと思ってはいるのですが。
 そんなわけで別段嫌われてもいなかったと思うけど、生徒受け(特に女子)からの受けが良かったわけではない、というのが正直な反省です。カマヤン先生のようにはなれません。

 それはともかく、仕事も辞めて今年度は「働いたら負けだと思っている」くらいの勢いで論文に専念したく、テーマも方向もだいたい見えているのですが、例によって例の如く、段取りの悪さで片付いていない仕事がわんさと残っているのが現状です。大体このブログからして、新年度になってからも昨年度の情報のアップを先日までやっていたくらいです。ここしばらく、自分の研究をろくすっぽした覚えがありません。
 で、研究と別に引き受けた仕事が何かの具合で躓いて、それで心身共にドツボに嵌ってしまって、そのまま半年あまり引き籠もり状態になったこともあり、その先例に続かぬよう、残った仕事を急ぎ片付けようとして、寒さに縮こまって動けなくなったりしている今日この頃なのであります。そんなわけでブログの更新頻度も低下するやもと思われます(と、書いた途端に三日続けて更新したりするかも知れません)。もっとも本当どうしようもなくなっていると、ネットに繋ぐことすらなくなりますので、それはそれで碌でもない状況ではあります。
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by bokukoui | 2010-04-08 23:57 | 身辺些事

さよなら交通博物館 建物の解体状況(5)

 先月下旬の交通博物館解体の状況をお伝えします。なかなか諸事に追われたりくたばっていたりして、見に行けてないのですが。
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万世橋から交通博物館の倉庫として使われていた中央線の煉瓦積み高架橋を望む
(2010.3.20.撮影)


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by bokukoui | 2010-04-06 22:24 | [特設]さよなら交通博物館

「取手の鉄道交通展」と小池滋先生の講演の話

 何事も思うに任せず遅れがちなことばかりですが、この記事も遅ればせながら先週訪れた、展示と講演会のお話を簡単に。「取手市埋蔵文化財センターで鉄道交通展&小池滋先生講演会」の記事で紹介した、展示と講演会に行ってきた件です。

 この見学の企画は、小生のブログを読んで下さった友人2名が同道を申し出て下さいましたが、それは毎度お馴染み憑かれた大学隠棲氏と、先日の「統一協会が秋葉原でデモ行進 『児童ポルノ規制強化』を訴える」の記事に写真をご提供下さった、やm氏のお二方です。
 で、小生がぐずぐずしているうちに、憑かれた大学隠棲氏が先にレポートをアップされ、しかも取手駅前の商業施設事情まで触れておりますので、ご関心のある方は是非どうぞ。

 ・障害報告@webry「ここは酷い虫の息取手駅ですね」

 で、小生が取手まで出掛けようと思ったのは、この展示会に筑波高速度電気鉄道の資料もあるらしいと聞いたからで、個人的な事情ですが、今修正再投稿準備中の論文の中でこの鉄道の話もちょいと書いたので、いささか関心があったためです。
 この鉄道は、現在のつくばエクスプレスに似たコースで東京~筑波間を結ぶ構想でしたが、路線敷設の免許を得たものの、茨城県の柿岡にある地磁気観測所に悪影響を及ぼすという理由から直流電化が出来ず、また資金調達も出来ずに、建設が行き詰まっていました。そこで免許だけでもどこかの鉄道に売りつけようと、まず東武へ持ち込んだものの断られ、そこで京成へ話を持ちかけたところ、当時経営の中心だったという専務・後藤国彦の決断により同社が引き受けることになりました。後藤国彦については当ブログでもかつて、「京成電鉄創立百周年記念企画」(1)(2)(3)(4)と題して、知られざる後藤没後の京成のドタバタを史料から紹介しました。
 で、当時京成は、ターミナルが隅田川東岸の押上で、都心へのターミナル延伸を狙っていましたが、押上から隅田川を越えての浅草乗り入れを実現しようと東京市議会に金をばらまいて一大疑獄事件を引き起こしてしまい、結局東武に先を越され、実現には至りませんでした。そこで代わりに筑波高速度電気鉄道を買収し、その免許を利用して、上野への乗り入れを図ったのです。筑波高速度には松戸に至る支線も計画されており、それを利用して現在の京成上野~日暮里~青砥間が建設されました。

 てな話は今までにも鉄道史の記述で取り上げられています。ところで、この筑波高速度買収を決意したという後藤国彦はのち社長にもなり、自動車や不動産業など、電鉄お約束の多角化経営を京成で推進したといわれます。実際、1935年頃から京成の不動産事業の利益は急速に拡大し、バスをしのいで全利益の1割くらいを占めるに至ります(当時、京成の利益の約6割が電車で、25%前後が電力供給業でした)。
 ところが京成の不動産資産を営業報告書に見ると、妙なことに、財産項目の「土地」「建物」の他に、谷津遊園と埋立地関係の項目があるのは分かるのですが、更に「千住経営土地」という独立した項目があり、それが京成の不動産資産のおよそ6割を占めているものと推測されます。「千住土地経営」の項目は京成が筑波高速度を合併した時から登場していますが、京成の社史によると、筑波高速度が用地買収にかかったところ、千住で「某紡績工場所有の広大な土地」を一括して買わされる羽目になり、かくて同社の資金繰りも悪化した旨の記述があります。つまり、京成の不動産資産の過半は、筑波高速度合併のおまけだったのです。
 結局、後藤国彦の多角化に於いて、不動産業はあまり重視されておらず(当時の経済誌のインタビューにはそのような後藤の発言がある)、ただ上野乗り入れ免許のために買収したら千住の土地が6万2千坪ほどおまけでついてきたので、それは適宜売却した、ということなんじゃないか、と小生は考えるに至っております。

 話が逸れまくりなので戻します。
 両氏と常磐線車内で無事合流し、ボックスシートに並んで座り揃って土足のまま足を向かいのシートに投げ出して爆睡しているケバいねーちゃん達の姿に「はるけくも茨城に来つるものかな」と旅情を感じつつ、取手に着きます。講演会が始まる少し前に展示会場に着き、一通り見てから講演会を聞くつもりでした。
 で、展示会場の取手市埋蔵文化財センターが駅から離れており、バスもあるけど風が強くて待つのが寒く、3人いるし、とタクシーに乗り込みました。が、運転手氏に「埋文センター」と言っても知らぬ様子。最寄りのバス停の名前から見当を付けて行ってみるも見つからず、そろそろ附近だろうと車を止めて歩いているおばちゃんに声をかけて聞いてみれば、

 「わたしも講演会に行くんです」

 この展開に3人ともずっこけました。
 ようよう別の人に聞いて辿り着きましたが、ここで痛恨のミスが発覚。なんと講演会は市役所の隣のホールが会場で、埋文センターではなかったのです。ううう。さっきのおばちゃんはじめ、同様の誤認者数名。もう時間がない。
 仕方ないので、急ぎ展示を見て再度タクシーで市役所に向かうこととします。お目当ての筑波高速度の史料ですが、鉄道建設と同時に沿線での土地開発が目論まれていたらしく、その広告がありました。とはいえそれは千住ではなく、柏付近で計画されていたものでした。「郊外の土地は値上がりしているから将来有望!」みたいな煽り文句と地価のグラフが添えられていますが、戦前の住宅開発としては都心から遠すぎる感もあります。小田急の林間都市もちっとも売れなかったし。煽り文句と付き合わせると、居住より投機目的の開発計画かとも思われます。

 そんなこんなで慌ただしく見て、再度タクシーで市役所へ。今度は裏道を駆使して最短ルートで到着したらしく、幸い90分の講演の、最初の10分程を遅れただけで済みました。

 講演会場には6、70人くらい入っていたでしょうか、結構賑わっていた印象です。講演は「鉄道とミステリー小説」とのお題で、ミステリーのマニアにとっては周知のことなのかも知れませんが、なかなか面白く拝聴しました。鉄道はミステリー小説の舞台として多く用いられたそうですが、その理由には大きく二つあり、欧州では客車がコンパートメントになっていて走行中の移動が出来ず、いわば密室となっていたからで、もう一つは鉄道ダイヤを利用したアリバイ作りです。で、欧州のミステリーは前者の理由によるものが多い一方、日本では後者が有力なのは、日本ではコンパートメント式の客車は一般的にならず、また日本のようにダイヤが正確な国でないと鉄道によるアリバイ工作の真実味がないから、というわけでした。
 で、コンパートメントでない日本の鉄道で密室殺人をやろうと思ったら、トイレか乗務員室に閉じこもるしかない、という話をされ、トイレを舞台にした作品の例として小林信彦「<降りられんと急行>の殺人」(『神野推理氏の華麗な冒険』所収)を挙げられました(厳密にはトイレで密室殺人、って訳じゃないんですが)。本作(を含むシリーズ)は、タイトルからも分かるように、ミステリーのバーレスク(パロディ)作品集ですが、あんまり小説を読まない小生も珍しく読んだことのある作品で、結構気に入っているので何となく嬉しくなりました。
 余談ですが、小林信彦は「<降りられんと急行>の殺人」のトリックが気に入ったのか、続篇の『超人探偵』の中の一編でも使っています。今度はブルートレイン「はやぶさ」のA寝台個室で殺人未遂事件が起こるのですが、それはそれとして、個人的には『超人探偵』の中に収められている「ヨコハマ1958」が印象に残っており、小生の狭い読書の範囲中ではありますが、鉄道を絡めたミステリーとして出色の一編と思います。路面電車と根岸線が思いがけない使われ方をするのですが、ミステリーとして厳密に考えると怪しくもあるものの、横浜市民の端くれとしては何とも鮮烈な読後感を覚えた一編でした。

 閑話休題、鉄道ミステリーの日本における祖は松本清張ではなく戦前の蒼井雄『船富家の惨劇』であって、紀勢本線直通の「黒潮号」が出てくるだとか、鮎川哲也の鉄道の考証はいい加減だったとか、豊富な話題の中でも、地元の取手の聴衆に配慮して、常磐線が舞台となった作品を紹介するなど、小池先生のサービス精神にも大いに感銘を受けました。鉄道もミステリーもマニアが繁殖しやすい分野ですが(笑)、その両分野に跨って、一般の聴衆も楽しめるように纏められたところに小池先生の真骨頂を感じました。何よりお元気に講演をされていたことに安心しました。
 講演終了後、ご挨拶して退出。利根川の渡し船を見に行く案もありましたが、遅いし風が強いしで今回は見送り、関東鉄道で取手に戻って遅い昼食とします。その食事をしたビルのさびれっぷりについては上掲憑かれた大学隠棲氏のブログ参照。いやあ、本当に閉鎖予定だったんですね・・・最上階の中華屋は、味に特筆するところはありませんが、架け替え工事中の常磐線の利根川橋梁を一望できるので、鉄道趣味者の食事にはいいかもと思います。
 なお食事の席上、この日初対面だった憑かれた大学隠棲氏とやm氏(小生の別方面の知己だったので)ですが、すっかり電波な話で盛り上がって意気投合してたのは有り難いことでした。あ、電波な話ってのは、地上デジタル放送時代にどう受信・視聴するべきかという話で、怪しい話ではありません(笑)

 以上、日帰りの見学でしたが、タクシーでかけずり回ってくたびれたことに鑑み(苦笑)、「旅行記」のタグを附しておきます。
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by bokukoui | 2010-04-03 23:59 | 鉄道(歴史方面)