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【告知】講演会「極東の一次大戦 青島戦を中心として」@東大五月祭

 先日ちょっとご案内しましたが、5月28日(土)に東京大学の五月祭で開催される講演会、「極東の一次大戦~青島戦を中心として~」について、改めて告知を。
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(詳細は以下に)
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by bokukoui | 2011-05-28 12:30 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(1)

アメリカ軍のディーゼル機関車に関する覚書

 先日、ツイッター上で伺ったお話が、図らずも当ブログの以前の記事と関わっていたことが判明したため、以下に備忘として記録しておきます。

 まず発端のツイートを。
@Kojimamo 名鉄へ行ったアメリカ軍のディーゼル電気機関車の詳細が載っているHPがありました。 US ARMY 8500の来た頃 http://bit.ly/moRc9m 伊勢湾台風の復旧列車を引く8589の画像とかよく残っていたなぁ・・・。すごい。(5月24日)
 ここで紹介されているリンク先の記事は

 ・白井昭「US ARMY 8500の来た頃」

 です。占領期にアメリカ軍が持ち込み、その後国鉄や名鉄に払い下げられた電気式ディーゼル機関車についての記事です。国鉄ではDD12形、名鉄では8500形として活躍した、GE製の機関車でした。筆者の白井氏は、鉄道好きなら周知の、大井川鉄道の蒸機復活などで活躍された方で、名鉄に長く勤められた方ですので、その昔話は大変興味深いものがあります。
 特に一読して小生が唸ったのは、本形式に対する白井氏の高い評価です。
■8500形の評価

 実際に8500形を使ってみた結果は、大いなる成功であった。故障だらけの国産DLに対して丈夫、キャタピラエンジンなどのパーツも完備。荒い使い方でラジエータの半壊やギアケースの欠油ミスなども続発したが、よく使用に耐えた。また、GEの低圧トラクションモーター(重ね巻き)は優秀で、とにかく丈夫なことに感心した。
 軸重が小さいことも線路状態のよくない外地や臨港線などの使用に向いており、軸重が大きいことから入線できる線区が制限された国鉄DD13形に比べ、万能型の設計であった。
 補修の面でも、大井川鐵道井川線の国産35tDLなどとは対極にあった。設計面ではエンジン、発電機、トラクションモーターと3重装備にも関わらず、限られたスペースと重量内にコンパクトに納めているが、国産では今の技術でも困難だと思う。その原点は、キャタピラエンジンをはじめ、パーツの優秀さにあった。
 8500形は、日本のDL技術史上で一紀元を画したが、結局日本でGM、GEの技術が普及することはなく、現在まで高価で国際性の低いDLで終わってしまった。
 小生は内燃機関系の鉄道車輌には正直とんと疎いのですが、以前坂上茂樹『鉄道車輌工業と自動車工業』(日本経済評論社)を読み、「国鉄一家」方式という一元的な開発体制が、結果的には日本のディーゼル機関鉄道車輌の技術的停滞をもたらした、という厳しい評価を読んで蒙を啓かれたこともあり(考えてみれば、JR化した途端にカミンズのエンジンがあれほど買われたのは・・・)、それに相通じる所を感じ、ついつい国産化の達成ということで高く評価してしまいがちな日本の技術史(勿論それ自体は大きな成果ではありますが)についてより冷静な国際的比較を踏まえた評価が必要なことを痛感しました。蒸気機関車についても同様のことが言えるわけですが。

 で、これが当ブログの過去の記事とどう関係するのかといいますと、小生が先年アメリカに行って、オレンジエンパイア鉄道博物館で何の気なしに撮影した機関車が、実はこの8500形の仲間だということに、この白井氏の記事を読んで初めて気がついたという体たらくでして。
 これは当ブログの「お気楽アメリカ紀行(3)~オレンジエンパイア鉄道博物館・その2」中の、アメリカ空軍の機関車です。写真を以下に再掲しておきます。この写真はクリックすると拡大表示します。
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 で、小生が憮然とせざるを得なかったのは、折角アメリカまで見に行ったくせに、見たものの意味をちっとも理解していなかったと云うことで、これは馬鹿馬鹿しい限りと反省しました。電車にもっぱらかまけていて、内燃ものにまで事前にも後でも調べなかったので・・・。いやはや。
 日本に持ち込まれた類似の機関車は、アメリカ陸軍の所有だったようですが、オレンジエンパイア鉄道博物館で保存されているのは、ペイントを見る限りアメリカ空軍の保有機だったようです。陸軍以外にも軍用で使われていたものと見えますが、もっとも日本が戦争に負けた時点では、アメリカに「空軍」はまだ無いはずですので、もと陸軍機が空軍独立に伴って所属を替えたのかも知れません(アメリカ空軍は陸軍航空隊が前身だったはず)。いろいろ追及することはありそうですね。

 それはさておき、その他本件に関する @Kojimamo さんのツイートを以下にご紹介させていただきます。
@Kojimamo @akatsuki3rd @bokukoui @harima1330057 国鉄DD12形スキーの皆さんなら高確率で釣られる画像集ウィキメディア・コモンズにあるゼネラル社の44トンDLの画像集です http://bit.ly/iYZKfB みんなDD12形の兄弟です。(5月25日)
@Kojimamo 国鉄DD12形スキーに捧ぐHP http://bit.ly/lvtbyn 大陸で産まれた軍育ちの機関車がフィリピン経由で極東の島国へやって来た。やがて国鉄色を纏い、東海道線の保土ヶ谷駅での入換に精を出し、一日の仕事が終わるとやれやれと一人で茅ヶ崎の機関庫へ帰って行くのである。(5月25日)
@Kojimamo 大陸で産まれた軍育ちの機関車が戸塚付近でEF60?とすれ違う画  これ何気にすごい画像ですよw分かる人向けw http://bit.ly/lt0CTB(5月25日)
@Kojimamo 国鉄DD12形に燃える男なら神棚に飾るべき本レイルNo.70 ■DD12ものがたり http://bit.ly/knZ7RD これがあればあなたの凸形DLへの愛が深まる事間違いなし!(5月25日)
 なお、DD12形で検索してみたところ、「国鉄DD12形はGE44tonnerではない!」(☆ワン・トエンティー☆1/120ワールドへ☆さん)という記事が見つかり、DD12形は44トン機でなく類型の47トン機なのだということです。『レイル』本誌の記事を一読したいですね。神保町で探してみるか。
 また、GE製である8500形への白井氏の高い評価についてはこのようなご指摘を、同じくツイッター上で磯部祥行さんからいただきました。
@tenereisobe 面白い指摘だけれど、8500を作ったGEは、当時、GM-EMDのような大型機関車を作ることはできなかったんだよね。1930~1940年代の最先端はGM-EMD。アルコもがんばった。(5月26日)
@tenereisobe 個人的には対向ピストンエンジンのフェアバンクス・モースが興味深い。意外なところでマイクロエースが随分前に模型化している。(5月26日)
@tenereisobe GEはUボートでようやく陽の目を見たけれど、結局はそのコンセプトをパクったEMDに凌駕されてる。GEは1990年代になってようやくEMDに追いつきはじめ、追い越せたのはつい最近のこと。(5月26日)
 なるほど、確かにアメリカのディーゼル機はEMDの方がメジャーですね。アメリカの鉄道マニアの中には、EMDを愛するあまりGMの自動車しか乗らないという人がいる、という話を昔どこぞで読んだ覚えが。もっとも電車マニアの間では、GMが電車買収→廃業→バス化でアメリカの電車を滅ぼしたんじゃないかという陰謀論があったりします(こちらなどご参照下さい)。

 とまあ、目で見ていても頭で分かっていないと意味がない、という教訓でした。まあ、あとで気がついただけ良かったということで、内燃ものの方も今後はもうちょっと目配りしていきたいと思います。ご教示いただいた皆様に感謝します。
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by bokukoui | 2011-05-26 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback(1) | Comments(0)

今日の東急デハ5001号の状況(65)

 月刊とは行かないけれど隔月よりは多めのペース、なこの企画です。用事の途中にふと思い出して立ち寄ってみました。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2011-05-21 23:59 | [特設]東急デハ5001号問題 | Trackback | Comments(0)

「安全・安心」とは? 秋田内陸縦貫鉄道殺人事件

 JR東日本が復興支援の一環として「JR東日本パス」なる切符を発売しているそうです。一日一万円で新幹線も含め乗り放題というのはなかなか太っ腹な価格設定ではありますが、ただ使用期限が結構厳しいので、使いどころが多少難しそうです。
 さて、「復興支援」とは銘打っていますが、観光旅行には使いづらい時期でもあることですし、おそらくこの切符のユーザーは、新青森まで延伸した東北新幹線の初乗りを図る鉄道マニアが多いのではないでしょうか。「はやぶさ」本格運転開始まで待とうと思っているうちに震災で乗れなくなってしまった、そこで今回この切符で、なんて鉄道趣味者は小生の周囲だけでも複数おります。

 で、それはまず時宜に適った用途だとは思うのですが、折角の乗り放題切符ですし、行きも帰りも同じ経路というのも芸がありません。そこで小生がお勧めしたいコース案が、行きか帰りに秋田内陸縦貫鉄道を経由してみる、というものです。時刻表調べてないけど(苦笑)、「はやぶさ」と「こまち」を組み合わせれば一日で廻ってこられるはず。
 地方鉄道の現況に多少関心のある方でしたら、現在経営が振るわず廃止される恐れのある鉄道として、秋田内陸縦貫鉄道がそのランキング上位候補に挙がっていることはご存じでしょう(「とれいん工房の汽車旅12ヵ月」さんのこちらこちらなどご参照下さい)。秋田内陸縦貫鉄道は、旧国鉄の阿仁合線と角館線を第3セクター化し、中間の工事中だった区間を完成させて1989年に全通させたものですが、距離が長い一方沿線が深い山で元々人口が乏しく、観光地としても沿線の森吉山は、どうも一般の知名度が低く、経営は振るいませんでした。

 で、長い枕でしたがこれから本題。
 今世紀に入ってから、沿線の人口減はますます進み、経営不振は深刻な問題となって、しばしば存廃が議論されるようになります(前秋田県知事はどうも廃止の意向が強かったらしい)。2002年から「頑張る3年間」と銘打って沿線自治体との連繋の元、イベント列車運行や各種企画切符、サポーター制度の導入などの施策を打ちますが、効果は限定的でした。正直、開業後十数年もイベント列車の運行がなかったというのも驚きですが・・・やや引っ込み思案な経営姿勢だったのでしょうか。
 そんなわけで2002~04年度の3年間の経営改善が限定的だったことから、またぞろ存廃問題が起こりますが、2004年度末(つまり2005年3月)に一応存続は決定します。ただし、毎年沿線自治体の補助金を削減し、最終的に半額とすることとされました。
 かくてしばらくは持つかと思われたのも束の間、2006年には県議会で知事が補修費用を理由として、またも存廃検討を口に出します。そこで沿線自治体も、なお一層の利用の促進を図ることとし、観光の掘り起こしとともに通学利用の増加も検討されます。ローカル線事情に多少なりとも通じておられる方でしたら、高校生の通学がローカル線にとって重要な顧客ということはご存じと思います。前にも当ブログの記事で紹介しましたが、地域交通の専門家曰く「観光客百人の運賃収入は、沿線の高校生一人が自転車通学に切り替えることで吹き飛んでしまう」のです。

 ところが。
 そんな秋田内陸線にとって重要な2007年度、沿線の小中学校が通学を全面的にスクールバスに切替え、ざっと定期客100人が減少してしまいます。この経緯について、秋田内陸線のサポーターとして長年活躍されている方のサイト「クマさんの鉄道と環境の民俗学」を引用させていただきます。「秋田内陸線Photo Album 2007」の2007年3月8日付け記事からです。
北秋田市教委の信じられない対応!

(前略)
 さてさて、ショッキングなニュース。北秋田市教育委員会が、すでにスクールバスに転換を決めている森吉中、合川の小学校の通学に加えて、阿仁地区の小中学校の通学も、内陸線からスクールバスに替えるというのです。もう、何を考えているのでしょうか。「スクールバスにしたら部活ができない」という保護者の声も。
 今年度、小中学生は合わせて98人が内陸線を利用していました。これは、輸送人員に表すと、年間7万人に当たります。50万人のうちの7万人、ですよ! 
 割引率が高く、区間が短いために、収入の減少は600万円程度だそうですが、来年は「43万人」という輸送人員が保証されてしまったようなものです。これが与える影響は、単なる減収にとどまりません。去年の今頃は、森吉中のスクールバス通学の生徒を内陸線に替えようとしていた同じ市教委なんです。しかも北秋田市の市長は内陸線の社長!
 開いた口がふさがらないとはこのことですが、黙っているわけにはいきません。インタビューでは「地元の通勤・通学定期の利用者を増やしてほしい」とさりげなく話しただけですが、出るところに出て、言わせてもらうつもりです。
 
 観光客は、私の「意見文書」にも書きましたが、大幅に増えています。旅行会社のツアー客は3年間で5倍増なのです。観光シーズンの休日は、車両と人員を総動員して輸送している状況。でも、ベースになる定期客が増えなければ、足腰が弱まります。

 これに負けてはいられないので、春の活動を考えています。
 確かに、これは奇妙な対応です。沿線で色々利用促進団体を作って運動中なのに(もっとも、ちょっと調べてみるとあっちこっちで同じような団体があるようで、横の連繋とか全体像がちょっと分かりにくいのですが)、そして観光客についてはなかなか効果もあったようなのに、真逆のことをやっています。これって社長=市長の背任行為? かはともかく、ローカル線に与える通学生の重要性がよく分かる数字ではあります。
 で、このバス切替が経営に具体的にはどんな影響を与えたか、秋田県庁のサイトに県の関与した第3セクターの経営の概要についてまとめたページがありますので、そこにある各年次の報告書を元に近年の利用客数の推移を見てみると、こんな感じです。
 ・2005年度: 512,507人
 ・2006年度: 500,194人
 ・2007年度: 443,170人
 ・2008年度: 470,541人
 ・2009年度: 482,068人
 というわけで、2007年度はサポーターの方の予想にもあったように、7万人近い急激な減少を見せました。上に挙げた経営概要の平成19年度のを見ますと、
・・・定期外利用は・・・前年比107%と伸びましたが、定期利用は通学定期において小・中学生のスクールバス転換による大幅な減少により71.8%となり減少に歯止めがかからなかった。・・・
と、何と3割も定期客が減っています。もとより秋田内陸線は少子化や沿線の過疎化で定期客は毎年1割近いペースで減っていましたが、それにしたって3割減はとんでもない話です。翌年度以降は、どうも児童に利用が多少戻った節があり、また北秋田市役所が市役所職員に通勤利用をさせるようにした(12名→84名に増加したとか)こともあってそこそこ回復基調にあるのは幸いですが。

 さて、では一体、何で秋田内陸線にとどめを刺しかねない、小中学生のスクールバスへの転換という事態が2007年度に起きたのでしょうか。
 これは『鉄道ジャーナル』誌の2008年8月号の、鈴木文彦氏執筆の記事にさらりと書いてあったのですが、2006年の4月から5月にかけて秋田県藤里町で発生した、小学生連続殺人事件によって、PTAが強くバス通学を望んだ、そのためなのだそうです。
 あの事件は当時、様々な角度から広く話題にされましたが、何とこんな所まで影響を及ぼしていたのでした。

 率直に小生の印象を言えば、そもそもあの事件は家庭内およびその近辺で起こったものであり、通学手段と何らかの関係があるとは思われません。どう考えても、同種の事件の発生を防ぐためにスクールバスを導入する意味があるようには考えにくいところです。まして事件の実態が不明な直後ならばともかく、一通りは捜査が行われた翌年になってわざわざ切り替える意味は、ますます見いだせそうにありません。
 反面、藤里町は秋田内陸線の沿線ではありませんが北秋田市の隣接自治体ではあり、それだけ周辺に与えた精神的動揺が大きかったのであろうとは推察されますが、それへの対処としても正直、合理性はあるのでしょうか。屁理屈を捏ねれば、家庭→スクールバス→学校という空間の中を行き来するだけより、社会的に開かれた鉄道を経由した方が、まだ家庭内のトラブルで子供が孤立している状況を周囲に知られる機会が増えるんじゃないか、とすら思われます。
 これはまあ強引とは書いた当人も思いますが、しかしある問題に対し合理性をいささか懸念される手段を採ることを求められてしまうような、このような例は枚挙に暇がないわけで、それだけ「安全・安心」というものの難しさを感じます。特にこのように、1年近く経ってなおこのような手段が採られるということには、考え込まされるところがあります。リテラシー云々しても多分、解決の手段にはならないのでしょう。
 別な角度からこれを考えてみますと、一般に鉄道という交通機関は、他の交通手段と比べ、「安全」であるという通念は、日本で概ね共有されているものと思います。子供の「安全」を気遣う保護者に、鉄道が「安全」というメッセージを送れなかったとすれば、これは秋田内陸線の存続についても、懸念される材料といえそうです。もっとも、そのような「安全」と、なにがしかの事件が起きた際の周辺の「安心」とは、別なものではあるのでしょうが・・・

 と、まさに「風評被害」を被ってしまった秋田内陸縦貫鉄道でしたが、近年は沿線で韓国の人気ドラマの撮影が行われたとかで、韓国はじめ台湾などからの海外観光客も結構増えていたそうです。考えようによっては、東京駅から乗換一回で乗れる路線なのですから、売り込む余地はまだありそうです。ただ、森吉山の知名度が、白神山地や岩手山に比べ悲しい程低いのですが。
 ですが、「風評被害」といえば、今次の震災と原発事故により、秋田内陸縦貫鉄道で近年増えていた海外観光客は、今年度は望めそうにありません。西日本ならまだしも、東北地方ですし。そんなわけで、来月か再来月に一日をJR東日本パスに費やそうと考えておられる同好の士の方々におかれましては、一つこの巡り合わせの悪いこと夥しい秋田内陸線の乗車をご検討いただけましたら幸いです。
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by bokukoui | 2011-05-20 23:06 | 鉄道(時事関係) | Trackback(1) | Comments(10)

今年もやります講演・極東の一次大戦~青島戦を中心として@五月祭

 当ブログでは2008年11月に東大本郷キャンパスで行われた講演会「巡洋戦艦「金剛」 技術的視点による再考」、昨年5月に本郷の五月祭で行われた講演会「第一次世界大戦における海軍と外交」のご案内をして参りましたが、今年もこの系統の講演会が行われます。
 日時は二週間ほど後の5月28日(土)、題目は「極東の一次大戦~青島戦を中心として」 です。東大戦史研究会主催で、前2回の講演会を行った金剛会の方々のご協力により、三度目の講演会を行います。ご関心のある方はぜひお越し下さい。
 講演の概要を以下にご紹介します。
極東の一次大戦~青島戦を中心として

開催日:2011年5月28日(土)
場所 :東京大学第84回五月祭にて
     本郷キャンパス・工学部1号館1階の工11教室(席数調査中)
時 間:12:30~16:00 (開 場:12:00)

(1)藤田 昌雄
   「青島の陸軍航空戦」
   12:40~13:40
    『陸軍航空隊の初陣である青島の戦闘について、
     部隊編成や装備を交えつつ解説する』

(2)小高 正稔
   「日本陸軍の舟艇開発
     ~一次大戦の戦訓とその成果~」
   13:50~14:50
    『明治以降から昭和初期までの日本陸軍の舟艇開発を概観し、
     一次大戦の戦訓がその発展にどのような影響を与えたのか
     について簡単な検証を試みる』

(3)服部 浩洋
   「帝国陸軍にとっての一次大戦
     ~青島攻略戦に見る受容と対応~」
   15:00~16:00
    『日露戦争を経て帝国陸軍が目指した理想と現実を
     青島攻略戦より考察する』
 以上の記述は講演会についての mixi コミュニティより転載したものです。アカウントをお持ちの方は是非ご参照下さい。
 『丸』などの戦史記事でお馴染みの方々による濃いテーマの講演会、もちろん入場無料です。ご関心のある方は是非お運び下さい。

 講演会について、演目や会場、打ち上げなどについての詳細が決定し次第、再度案内記事を起こして報告致します。また、もしかすると演目などの変更が多少あるかも知れません。まあとにかく、詳細は今週末を目処に再度告知しますので、ご関心のある方はご記憶にとどめておいて下さいますよう、お願い申し上げます。
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by bokukoui | 2011-05-15 22:25 | 歴史雑談 | Trackback(1) | Comments(2)

鍋焼うどんの探求(27) 巴屋@本郷(二丁目)

 これまで3回に亘って台東区池之端方面の蕎麦屋さんを巡った当企画、前回は「巴屋」という蕎麦屋さんを探訪しましたが、この屋号の蕎麦屋さん自体は本郷周辺に数多くありまして、前回の記事にも書いた通り、(7)で本郷五丁目、(8)で本郷三丁目のお店を探訪しました。で、本郷界隈にはまだ更に「巴屋」という屋号の蕎麦屋さんがありまして、そこで店名つながりということで今回からは再度大学東方から南方の探索へと転進し、本郷二丁目の交差点にある巴屋「鍋焼きうどん」(950円)をいただきます。
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(続きは以下に)
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by bokukoui | 2011-05-14 23:59 | [特設]鍋焼うどん探求 | Trackback | Comments(0)

鍋焼うどんの探求(26) 巴屋@池之端

 5月も半ばとなりつつありますが、いまだ涼しめの日々が多く、さてこそこの企画を続けて・・・というわけでもなく、ネタが溜まっているからですが、そんなわけで前回・前々回に続き、東大の東側、台東区池之端界隈の蕎麦屋さんを廻ることにします。
 今回は、これまで探求(7)(8)で同名の本郷通りのお店を巡りましたが、その3軒目の巴屋で、「鍋焼うどん」(1000円)をいただきます。
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(続きは以下に)
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by bokukoui | 2011-05-14 23:58 | [特設]鍋焼うどん探求 | Trackback | Comments(0)

半世紀前の新築駅舎の平面図~『秋田鉄道管理局史』より

 前回の記事「半世紀前の国鉄官舎(宿舎)の間取図~『秋田鉄道管理局史』より」に入れるはずだったのが、分量が多くなりすぎる等の事情で先送りにしたものの補足です。1959年7月に建てられた新庄駅と、同年9月に建てられた大曲駅の駅舎の図面です。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2011-05-10 23:59 | 鉄道(歴史方面) | Trackback(1) | Comments(0)

半世紀前の国鉄官舎(宿舎)の間取図~『秋田鉄道管理局史』より

 連休とはあまり関係なく、所用に追われたりして更新が滞っておりますが、天候が今ひとつの今年の連休、皆様如何お過ごしでしょうか。
 さて、小生は元々地図を見るのが好きで、それと関係あるのかどうか、間取図を見るのも結構好きです。同様の趣味の方は結構おられるようですし、また資料としても間取図から歴史的・社会的・地理的な諸状況を読み取るということは結構有効な手法だろうと思います。で、当ブログでは以前にも「戦前の夢のマイホーム? 平尾善保『最新 住宅読本』(1938)を見る」と題しまして、昔の住宅解説本を紹介しましたが、それに類似した企画をば。
 今日のお題は、先日所用で図書館から借りだした『秋田鉄道管理局史』(1961)に収められていた、半世紀前の国鉄の官舎(厳密には国鉄は「官」でないということか、管理局史では「宿舎」となっています)の間取図です。時代柄、戦前に建てられたとおぼしき木造平屋の家があれば、当時最新鋭の公団住宅のような鉄筋コンクリートのアパート形式のもあり、まさに日本の建築が大きく移り変わる時代だったのだなあと思わされます。団地は最近注目されることが多く、「団地マニア」な方々が相当調べまくっておられるようで、もしかすると国鉄の団地仕様宿舎についても何か先行研究があるのかも知れません。そういうところで紹介されていたネタだったらあれですが、まあお気軽に眺めて楽しんでみましょう。

(引用画像が多いので続きは以下に)
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by bokukoui | 2011-05-07 23:35 | 鉄道(歴史方面) | Trackback(1) | Comments(6)