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神田須田町の都営地下鉄看板の年代推定

 残暑のきびしさにくたばりかかっている今日この頃です。といって、日がな冷房しながら作業をしていると、今度はくしゃみと鼻水が止まらなく・・・あうう。日がな冷房というと、節電はどうしたとお叱りを受けそうですが、むしろ下手にこまめに切ったり入れたりする方が、上がった室温をその度に下げるために冷房機がより稼働しなければならず、かえって電気消費量は増えてしまうということです。

 こんな話ばかりしてもしょうがないのですが、一方論文が暑さで煮溶けている現状、何かまとまった記事を書く余裕もないので、これまたストックの写真を適当に張っておきます。ストックといっても、今年度になってからの写真ですが。あと最近鉄道ネタを書いてなかったので、いちおう当ブログの中心テーマということで。
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神田須田町附近にある都営地下鉄の路線図・駅案内図
(この写真はクリックすると拡大表示します)


(続きは以下に)
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by bokukoui | 2012-08-24 23:59 | 鉄道(その他) | Trackback | Comments(2)

天地有用? な看板

 例によって順調に予定が遅れていっていますが、停滞していないだけマシなのかも知れません。
 で、だるさと眠さに鬱々としつつ、いろいろ作業をしているのですが、その関係でちょっとパソコンの古いデータを探っていた時、小ネタ画像を思い出したので、場所ふさぎに張っておきます。

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 といってもこの写真はそんなに古いものではありません。今も現地はこのままのはずです。
 で、見ての通りホテルの看板で、場所は言うまでもありませんが、ホテル名の下の使えるカード会社を示す看板が・・・? あれ?

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 このように、反対側はちゃんとした向きなんですけど、どうしてこんなことになったのか。この看板は別の所で作ってから取り付けたのだろうと思うのですが、その途中で気がつかなかったんでしょうか?
 歴史の資料集で見た御朱印船の絵で、取引相手のオランダ東インド会社のマークを染め抜いた旗を掲げているのがあるのですが、同社の頭文字 VOC をかたどったロゴが、アルファベットを知らない日本人が描いた絵のせいか、上下逆になっているというのがあります。でも今時、アルファベットのロゴの上下が分からないなんてことはないですよね・・・。
 そういえば逆の事例もあって、昔のことですが日本の鉄道会社がヨーロッパの製鉄会社にレールを発注した時、自社のマークを刻印するようにと図案を送ったら、上下逆に刻印されてきたというのを見た覚えがありますが、どこの会社の話だったっけ・・・今検索したら、九州鉄道(二代目)のドイツ製レールだったようです。二代目の九州鉄道とは現在の西日本鉄道大牟田線(初代は国有化されて国鉄→JR九州になった)で、この路線ができた頃は八幡製鉄所でレールの国産化が行われてはいましたが、量が十分ではなく(価格の点もあったのかも知れません)、輸入もまだあったようですね。
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by bokukoui | 2012-08-20 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(0)

旧軍砲台の隊長官舎@山口県・角島

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山口県の角島にあった沿岸砲台の、指揮官用と伝わる旧官舎
戦後は地元の公民館として活用されたが、2004年頃解体された(2004年2月撮影)

 今日は玉音放送の記念日ということなので、それらしい写真をハードディスクから引っ張り出してみました。

 これは山口県の角島という、日本海を望む島にあった、旧軍の遺物です。角島は対馬海峡の東出口にあたり、日本軍が海を行く敵艦(主に想定されていたのはソ連の潜水艦等だったようです)を防ぐために、太平洋戦争中砲台が設けられていました。この建物は、その砲兵部隊の隊長の官舎だったと伝わりますが、戦後改修されて公民館として長年活用されたものの、遂に老朽化で取り壊されたそうです。
 ここの砲台に装備されていた大砲はちょっと変わった大砲で、ドイツのラインメタル社製15センチ砲でした。同盟国から輸入した・・・のではありません。これは日中戦争の分捕品だったのです。ドイツから中国に売られ、それを日本軍が捕獲して日本の離島に据え付け、敗戦直前に本土決戦用としてさらに別の場所へ移されたそうですが、その途中で戦争は終わりました。
 角島ではその15センチ砲を4門、コンクリートの台座に砲塔のような形のカバーをつけて設置していました。ドイッチュラント級装甲艦の副砲と同じ大砲で、形も同じ、数もドイッチュラントの片舷と同じですね(設置の間隔はずっと広いですが)。砲座のうち一つは道路工事で潰され、残りも埋められましたが、工事の際の詳細な発掘報告書があります。

 角島は現在、すごく立派な橋で本土とつながれており、ドライブに行くには素晴らしい場所です。正直、立派すぎる橋のような気もしますが・・・。この官舎はなくなったと思いますが、砲台の遺跡は他にもありますし、さらに日露戦争中の海軍の望楼の遺跡もちょっとあったりします。ご関心のある方は観光がてら行かれればと思いますので、その詳細をご紹介・・・したいのは山々なのですが、このところ論文その他に追われて余裕がありません。続きはまた折を見て。
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官舎の姿・もう一枚(2004年2月撮影)

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by bokukoui | 2012-08-15 23:59 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(0)

ツイッターのアカウントがフィッシングで乗っ取られた顛末記

         \   ∩─ー、    ====
           \/ ● 、_ `ヽ   ======
           / \( ●  ● |つ
           |   X_入__ノ   ミ   そんな餌で俺様が釣られクマ――
            、 (_/   ノ /⌒l
            /\___ノ゙_/  /  =====
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                  \___)___)(´;;⌒  (´⌒;;  ズザザザ


(続きは以下に)
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by bokukoui | 2012-08-09 23:59 | 身辺些事 | Trackback | Comments(0)

猫よりもマラソンよりも大事なこと

 ロンドンオリンピックも中盤となり、陸上競技が始まったそうですが、テレビを見る余裕もない日々が続いております(まあ元から見る気もないですが)。
 で、ロンドンオリンピックの陸上競技に関連して? 思い出したことがあったので一つ。

 もう結構前なのですが、小生が大学の図書館で論文執筆に苦吟しておりました某日、ふと、隣の席の人がいろいろと机に広げてこっちにもはみ出しかかっていた、資料らしきコピーの一枚が目に留まりました。
 その人は白人男性で、おそらく留学生なのでしょうが、そのコピーも英字新聞の一ページをコピーしたもののように見て取れました。目に留まったのは、その新聞の記事の見出しに、「CSX」との文字があったからでした。CSX といえば、アメリカ東部でノーフォーク・サザン鉄道と勢力を二分する大鉄道会社です。さらに見出しを見ると、「Shares ・・・ Trading ・・・」なんて文字も見えます。さては、以前もあったCSXの株を巡る騒動がまた再燃したのでしょうか?

 と、一瞬思ったのですが、さらによく見ると事情が違っているようです。その新聞のタイトルは「The Cambodia Weekly」とあって、カンボジアの英字週刊誌? だったようです。そしてこの記事にあった「CSX」とは、Cambodian Securities EXchange のことだったのでした。つまり「カンボジア証券取引所」というわけです。
 で、帰宅後ぐぐってみたら、日本語でもこのような記事が見つかりました。

 ・熱いカンボジアを象徴する胡錦濤と証券市場 初のIPOに投資家が殺到、一時は大混乱も
 ・カンボジア証券取引所開設、殺到する投資家 市場に参加した日本人の成績はいかに・・・
 ・熱いぜカンボジア! 4月18日に株式市場がスタート
 ・“歴史的”なカンボジアのIPO第1号を体験してきた

 というわけで、カンボジアに証券取引所ができ、今年初上場企業が登場した、ということでした。
 内戦終結からざっと20年、カンボジアの経済は漸くここまで来たのだなあと思いましたが、それにしても今年日本でカンボジアが話題となったのは、日本人芸人がオリンピックのマラソンのカンボジア代表になろうとして却下された件くらいのようで、まあ世の中そんなもんだとも思えますが、もうちょっと前向きな話題で注目されても良かったのではないかという気もします。

 ところで、日本に株式取引所が開設されたのは1878年のことでしたから、戊辰戦争から10年余のことになります。戊辰戦争は内戦としてはさっさと片付いた方で、インフラへの重大な被害もあまりなく、もともと経済的な蓄積も一定あったわけで、もちろん最近のカンボジアと比較はできませんが、かなり早い段階で市場が設立されたようには思われます。
 実際、明治の開設当時には、「時期尚早」という反対の声も大きく、また株式の概念も十分には普及していなかったため、「公営の賭場を設けるのか」という批判もあったそうです。そのような声を押し切って株式取引所を設けたのは、主に渋沢栄一の働きによるといわれ、渋沢は日本の経済発展のために株式市場が必要だと強く主張して、自ら東京株式取引所の理事も務め、その定着にも貢献しました。
 もっとも、時期尚早という声も根拠がなかったわけではなく、当時はそもそも上場する企業自体がろくすっぽなく、国債・公債の類以外の株式といえば、東京株式取引所自体の株が圧倒的に多かった、というなんだか微妙な、やっぱり「公営の賭場」じゃないかという気もしてくる状況ではありました。まあ、一秒の何百分の一とかの間に売買を行う現在の株式市場も、賭場めいてる感もありますが・・・。
 ちなみに現在の日本で株式の指標といえば、東証株価指数や日経平均がありますが、昔は当然そんなものがなかったので、何が株式市場の指標になっていたかといえば、東京株式取引所(東株)の株価でした。確かに、最古参の株として相場の対象でしたから、これがもっとも妥当だったのでしょう。

 ロンドンオリンピックとあまり関係のない話でしたが、とにかく、経済発展のために先取りして株式市場というインフラをこしらえた渋沢栄一は偉大だった(でも少なからぬ連中は相場にふけった)、というわけで、カンボジアも今後順調な経済発展を遂げることを期待します。
 ところでその、記念すべきカンボジア証券取引所上場第1号は、国営の水道会社というインフラ企業で、今後の上場予定の大物企業も、やはり港湾や電話などのインフラ系企業だそうです。となるとここはやはり、鉄道も民営化して株式上場、と期待したいのですが、でも鉄道雑誌で時折読むカンボジアの鉄道の状況からすると、かなり難しそうで・・・相当資金を投入して整備しないと自動車に対抗できなさそうですが、それが費用対効果に見合うのか、上場しても誰が株を買うのか。
 19世紀の資本主義発展の牽引車、株式市場の花形は、イギリスでもアメリカでも日本でも鉄道株でしたが、21世紀はなかなかそうはいかなさそうですね。
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by bokukoui | 2012-08-04 22:30 | 時事漫言 | Trackback(1) | Comments(0)