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筆不精者の雑彙

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百一年目に思う血の日曜日事件

 思いのほかオタク論でグダグダしてしまいましたが、今日書こうと思っていた本来の話題。

 今日は1月22日日曜日。百一年前の1905年1月22日も日曜日でした。ユリウス暦では1月6日、やはり日曜日です。
 その日、ロシア帝国の首都ペテルブルクでは、僧ガポンに率いられた民衆が、日露戦争の中止と憲法制定などの請願をなすべく宮廷へ行進しておりました。この行進に軍隊が発砲、数百とも数千とも言われる人々が斃れました。この結果、民衆の素朴な皇帝崇拝の念は消え去ってしまい、ロシア第一革命が発生、それは十年余後の大革命への道筋をつけることになるのでした。
 と、いうのは世界史の教科書にも出てくる話です。
 実はこの「血の日曜日事件」が日露戦争に意外な影響を与えていた、というのが本題のお話。この話を小生が聞いたのは、さる日本史のシンポジウムでのことでしたが、今その時のレジュメが見つからないので、その話をされた先生の名前を思い出すことができません(すみません・・・)し、事実関係もあやふやです。後日補足します。

 日露戦争で日本政府が戦費の調達に苦労した、というのは良く聞く話です。高橋是清がロンドンで奮闘したり、黒木第一軍が緒戦の鴨緑江会戦で勝利したため国債の売れ行きが良くなったとか、アメリカのユダヤ系の人々が反露感情から買ってくれたとか、そのような逸話はしばしば取り上げられます。
 では、ロシア帝国の戦費調達はどうだったんでしょうか? 大国ロシア、タマ代なんぞいくらでも・・・というわけには行きません。なにせロシアは専制国家で、経済の発展も決して早くはありませんでした。資本主義が発展していないんです。
 ではどこから資本を調達するか? ロシアはフランス資本を導入していました。これはご存知の方も多いと思いますが、シベリア鉄道はもっぱらフランス資本で建設されました。日英同盟が日本国債販売に役立ったのなら、露仏同盟だって同じような役割を果たすこともあるでしょう。まあ、この借金は革命の時にボリシェヴィキが踏み倒すんですけど。
 というわけで、日本政府がイギリスやアメリカで債券を売っていた頃、ロシア政府はフランスやドイツで債券を売って戦費を調達しておりました。1905年1月にも大規模な募債が予定されていたのです。しかし、その直前に血の日曜日事件発生。
 当然、誰もロシアの国債を買いませんでした。
 かくして、ロシア帝国は戦費不足で継戦能力を喪うことが確定したのでした。

 某有名架空戦記に、ポーツマスの講和会議が決裂して、陸戦が再開されてもはや継戦能力のなかった日本陸軍が敗北、その結果日本海軍の発言力が高まる、という設定のがあったように仄聞しておりますが、実はロシアもヘタっていたのです。
 それも、革命の危険による治安問題だけでなく、力では解決できないところに。

 さて、実は以上の話もさらに枕に過ぎません。
 この話に大変感銘を受けた小生、シンポジウムの後の懇親会にも参加し、その報告をされた先生にさらにお話を伺いました。なんでも毎年、パリに調査に行かれているそうです。しかし、調査はされても本という形でまだ発表されていないので(当時は)、まだこの話は一般に知られていないのです。そのあくなき探究心には襟を正させられました。
 そしてどう話が転んだのか、確か、パリでひたすら古文書を読んで日本に帰ってくると、その文書の世界と日本で語られる日露戦争の言説との落差に戸惑う、という話だったでしょうか。日本で語られるロシア像とパリの文書の中のロシア像。同じ時代の同じ国のはずなのに。
 大体そんな流れだったと思いますが、最後にその先生が言われたことが強く印象に残っています。
「よく我々は『ロシアが~』とか、『フランスが~』『日本が~』などという物言いをしてしまうが、果たしてそんな言い方をしていいのか?」
 言辞が全くこのままという自信はありませんが、こういった趣旨と記憶しています。
 そう、簡単にそんなこと言っていいんでしょうか。一国という複雑怪奇な複合体を、恰も一つの人格のように描いて、それで済ましてしまう。そんなノッペラボーに描いていいのでしょうか。日本の国内情勢を実に緻密に分析する人が、案外無造作に『アメリカが~』などと対照例を語ってしまう様なことは良くあり、聞く方も自然に聞いてしまいます。そのような話し方はついついしてしまうものですが、その手法の限界や危険性は、頭の隅においておくぐらいのことはしておいても決して無駄ではないように思います。

 堅い上に根っこのソースがあやふやで済みません。
 えらそうなこといいつつも、実行の難しさは承知しております(そもそも、この文章の前段だって怪しい)。
 まあ、『あふがにすタン』を無視する、といった辺りから、一歩一歩やっていきましょう。
 オチがそれかよ、と思われるでしょうが、しかし昨今のオタク(に象徴されるような世相)の思考パターンを鑑みるに、安易な擬人化に走るということが、単純で一面的な事実認識に偏りやすいことと、決して無縁では無いように思われるのです。

※追記:コメントへの返信はこちらの記事をご参照ください。

※さらに追記:関連しているかもしれない内容の記事→「『「在日企業」の産業経済史』の著者・韓載香さんのことばにつらつら思う」
# by bokukoui | 2006-01-22 23:55 | 歴史雑談 | Comments(2)

昨日の続きのようなこととか自己批判とか

「護衛艦で戦う女の子って嫌いですか?」
「前ド級艦で懲りました」

 いろいろと論点が自分の中で交錯してまとめきれず、といって纏めようとするとえらい大事になるのは必定で、とりあえず反応していただいた方々のご指摘に答えようと努力しつつ、次につなげる糸口を探っていければと思います。
 交錯しているのは、所謂「オタク」論と同時に、鉄道趣味者(あと軍事方面の人も)は「オタク」に入るのか入らないのか、まあそれは論者の立場と定義次第といってしまえばそれまでだけれども、ではその際の立場の違いは何に立脚すれば生まれるのか、という疑問点がややこしくこんぐらがってしまっているため、と自分では思っています。鉄研のY氏も読んでくださっているようなので、何か御意見がありましたらお聞かせいただければ幸いです。

>ラーゲリ緒方氏
「労働収容所」は長くて打つのが面倒なため、「ラーゲリ」と略させていただきます。あとKヶ原氏との区別もしやすいんで。
 それはともかく、中核部分は今の「オタク産業」ブームと関係なしというわけにも行かないだろうとは思う訳でして、そしていっそやるなら中核部分を目指して邁進したいと思うものですが(少なくともそのような意図を多少なりとも持っていた方がより長く楽しくやってられると思いますが)、浮動層の取り込みという動きが一部で図られる場合にどのような行動をとればよいのか、と考えるのです。それが、前掲日経記事の末尾のように、「カリスマ」的な存在として「一般消費者」を「指導」する、と想定されているとすれば、なんかそれに違和感を覚えずにはいられない。
 しかし結局、最善のビヘイヴィアは「雑音に惑わされず、おのが道を邁進すること」・・・ならこんなことうだうだ考えなくてもいいのか。
 うだうだ考えているようでは未熟者。自己批判します。

>酒井様
 『電波男』はそのうち読みたいと思っています。系譜上、『電波男』に先立つのかなと思って、小谷野敦『もてない男』(ちくま新書)が古本市で安く売られていたのを手に入れて読んでみましたが、・・・なんだかなあ、という感じでした。
 まあ、オタクなのに資本主義に踊らされるなというのはいいのですが、本田先生自身が既に「萌え」資本主義化推進の一翼を既に担ってしまっているような気もします。そういった適応力や柔軟性の高さが資本主義自体の「萌え」ポイントですが。

>憑かれた大学隠棲氏
 コメントどうもです。
 ご意見には同意いたしますが、より正確に言えば「オタク市場に狙いを定めている事業者の意に沿うように散財する」オタということでしょうね。
 定着の結果が、後者のようなオタが増えることなら結構だと思うのですが、あんまり産業としてもてはやされて「良いヲタ」が増えたりするとなんだかなあ、というとこですね。逆に、賢い消費者と手だれの企業が壮絶な化かし合いを繰り広げるようになれば、一番楽しくていいかも。

 またグダグダですみません。
 ちゃんとケーススタディーとか調べなきゃいけないんでしょうね。何かあるマニアックな趣味が急に着目されて拡大し、そして縮小していった、何かの事例が。いいのないかな。
 ・・・ウォーゲーム? いや、TRPGの方が適切か。ウォーゲームは拡大しなかった(苦笑)
# by bokukoui | 2006-01-22 16:44 | 思い付き | Comments(3)

雪の特異日

 大学入試センター試験の日というのは、どうしてまたこう雪が降るのでしょう。小生の受験の時もそうだったような記憶があります。
 さて、塾の教え子たちは無事に試験をくぐりぬけてくれたでしょうか。天然ボケめがねっこの彼女は、世界史を受験したはずなのに「地理」を受験科目にマークしたりしてないか心配です。インフルエンザという不穏な情報のあったギャル系(?)彼女は、本調子まで回復できたでしょうか。彼女のお蔭で小生は、世の毒男のように街を行く女子高生に勝手な敵意をぶつけて自分が道徳的に高い地位にいるという自己満足に浸る弊からいくらか免れることができました。その引き換えに小生は一体何を教えられたのだろうかと思うと胸が痛みます。

 昨日のくだくだしい書き込みにいろいろ反応してくださってありがとうございます。
 適当に纏めてみると、
・「オタク産業」は何も新しい特質があるわけではない。目新しさでもてはやされている。
・一般化して浮動層を取り込んでいる状況であり、中核層はあまり関係がない。
 ということでしょうか。おおむね同意します。

 日付が変わりそうなのでとりあえずここまで書き込み。
# by bokukoui | 2006-01-21 23:59 | 思い付き | Comments(3)

極私的オタク論その2

 そろそろ表題の件「その1」の続きを書こうと思うのですが、当初自分が考えていたことよりも、スペード16氏のコメントが面白いので、そこから辿って書いて見ることにします。
 さておき、経済出身の割には経済を理解せず、そのわりにこの野村総研のコメントには発表当時から疑問を抱かざるを得ないものでして。
言ってしまえば、オタク市場は確かに高額かもしれないが作り手と買い手が近く、狭い市場で循環している点、また、オタクは「他のことに使う金を趣味に回している」という点。この2点を総合すれば「広く浅く循環するべきものを狭く深く循環させている」オタクは経済にとってマイナス以外の何者でもないんじゃいないかと思われるのですがどうでしょう。
 この問いに、経済理論をまるで解さぬ自称経済史学徒が挑もうというのですから無謀もいいところですが、きっと数学に強い緒方氏がフォローしてくれることを期待して一筆。

 結局経済を活性化するには、経済活動のパイ全体を大きくして、お金の循環を良くすることが基本原則なのでしょうが、この点ではオタク的消費は不適切なものといって間違いないと思います。購入されたオタク的財は極めて限られた換金性しか持たず、一見実用品を装っていてもそれが実用されることによって使用価値を生み出すという事態もあまり考えられません。要するに大部分は箪笥の肥やしとして塩漬けにされてしまうわけです。
 だから、オタク産業が経済を引っ張れるかというと、疑問といわざるを得ません。設備投資みたいに、消費が消費を呼ぶような循環にならない、むしろ社会全体で見れば循環にブレーキをかけてしまう可能性の方が高い、のではないでしょうか。他の娯楽への消費と比べても、塩漬け不良資産(ガラクタ)化してしまう可能性が高い、つまり消費を誘う効果に乏しいといえるのではないか、そういうことです。

 オタク産業がなにやら云々されるのは、上手く成功すれば比較的高利潤が相対的に安定して得られるというところにあるのだろうと思います。が、それは経済の牽引車として他の業種にも影響を及ぼすという公算は低く、むしろ他の業種とは(比較的)縁が薄いまま、自分の業界だけ消費者を囲い込んでそこから安定的に売上を獲得する、いわばブロック経済みたいな形のように思われます。 
 一旦ある層を囲い込むのに成功してしまえば、あとは忠誠心と執着心の強いオタク層は安定して消費をしてくれます。他の業界のようにすぐ飽きられて去られてしまう、ということが起きにくいわけです。
 ですが、そのような「ブロック経済」の成立は、必ずしも提供されるコンテンツの質の向上に繋がるとはいえません。良し悪しを判断する以前にまず消費してしまうので、むしろ粗製濫造や焼き直しの多発を招く可能性すらあるように思われます。しかも「囲い込み」の世界ができてしまっていると、その世界にいるものは「この世界はこんなもんなんだ」と観念して、向上心を失ってしまうのではないかと。かくて「らいむいろ」にも懲りず「たくろあ」も出てくる訳でさあ(笑)
 もちろん、ある日夢が覚めてその業界が弾けて消える、そんなことも間々あったりしますが。

 ネコ・パブリッシングはそういった「囲い込み」に長けている企業といえるのではないかと、個人的に思います。勿論ネコP社が提供するコンテンツ自体がよくないとか、魅力的でないというつもりは全然ありません(いわゆるアキハバラ系オタク業界のそれと比べたら極めて高度にして良心的である、と言い切ってしまうくらいには筆者もアキハバラ的なそれへ偏見を持っています)が、少なくともかの企業をして「オタクに鍛えられた」と称するのは、些か腑に落ちません。

 最後に。別に筆者は経済的有用性を以ってオタク趣味を有害無益な存在であるとかいうつもりは毛頭ありません。むしろ社会全体が資本主義の論理に覆われることに抵抗する、文化的橋頭堡として高く評価したいくらいです。
 だからこそ、日経新聞のような財界御用メディアのこのような提灯記事に乗っかって、まるで自分たちが何か偉大でファッショナブルな存在であるかのように思い上がることの愚かさを戒めたい、それだけです。そうなってしまったら、そこにいるのは畸形的に資本主義に取り込まれた消費者がいるだけで、オタクの持っていた良さは、もうそこにはないでしょう。

 まだ雑駁ですが、とりあえず時間もないのでここでアップ。
 まだいろいろ考える予定。オタクから「カリスマ的リーダー」が登場して「一般消費者」を引っ張る、という辺りが突っ込みどころになりそうな。
# by bokukoui | 2006-01-20 23:55 | 思い付き | Comments(5)

漸く

 回復してまいりました。
 明日には何か書きます。
 ご心配いただいた皆様に多謝。
# by bokukoui | 2006-01-19 22:40 | 身辺些事 | Comments(0)