タグ:旅行記 ( 44 ) タグの人気記事

「取手の鉄道交通展」と小池滋先生の講演の話

 何事も思うに任せず遅れがちなことばかりですが、この記事も遅ればせながら先週訪れた、展示と講演会のお話を簡単に。「取手市埋蔵文化財センターで鉄道交通展&小池滋先生講演会」の記事で紹介した、展示と講演会に行ってきた件です。

 この見学の企画は、小生のブログを読んで下さった友人2名が同道を申し出て下さいましたが、それは毎度お馴染み憑かれた大学隠棲氏と、先日の「統一協会が秋葉原でデモ行進 『児童ポルノ規制強化』を訴える」の記事に写真をご提供下さった、やm氏のお二方です。
 で、小生がぐずぐずしているうちに、憑かれた大学隠棲氏が先にレポートをアップされ、しかも取手駅前の商業施設事情まで触れておりますので、ご関心のある方は是非どうぞ。

 ・障害報告@webry「ここは酷い虫の息取手駅ですね」

 で、小生が取手まで出掛けようと思ったのは、この展示会に筑波高速度電気鉄道の資料もあるらしいと聞いたからで、個人的な事情ですが、今修正再投稿準備中の論文の中でこの鉄道の話もちょいと書いたので、いささか関心があったためです。
 この鉄道は、現在のつくばエクスプレスに似たコースで東京~筑波間を結ぶ構想でしたが、路線敷設の免許を得たものの、茨城県の柿岡にある地磁気観測所に悪影響を及ぼすという理由から直流電化が出来ず、また資金調達も出来ずに、建設が行き詰まっていました。そこで免許だけでもどこかの鉄道に売りつけようと、まず東武へ持ち込んだものの断られ、そこで京成へ話を持ちかけたところ、当時経営の中心だったという専務・後藤国彦の決断により同社が引き受けることになりました。後藤国彦については当ブログでもかつて、「京成電鉄創立百周年記念企画」(1)(2)(3)(4)と題して、知られざる後藤没後の京成のドタバタを史料から紹介しました。
 で、当時京成は、ターミナルが隅田川東岸の押上で、都心へのターミナル延伸を狙っていましたが、押上から隅田川を越えての浅草乗り入れを実現しようと東京市議会に金をばらまいて一大疑獄事件を引き起こしてしまい、結局東武に先を越され、実現には至りませんでした。そこで代わりに筑波高速度電気鉄道を買収し、その免許を利用して、上野への乗り入れを図ったのです。筑波高速度には松戸に至る支線も計画されており、それを利用して現在の京成上野~日暮里~青砥間が建設されました。

 てな話は今までにも鉄道史の記述で取り上げられています。ところで、この筑波高速度買収を決意したという後藤国彦はのち社長にもなり、自動車や不動産業など、電鉄お約束の多角化経営を京成で推進したといわれます。実際、1935年頃から京成の不動産事業の利益は急速に拡大し、バスをしのいで全利益の1割くらいを占めるに至ります(当時、京成の利益の約6割が電車で、25%前後が電力供給業でした)。
 ところが京成の不動産資産を営業報告書に見ると、妙なことに、財産項目の「土地」「建物」の他に、谷津遊園と埋立地関係の項目があるのは分かるのですが、更に「千住経営土地」という独立した項目があり、それが京成の不動産資産のおよそ6割を占めているものと推測されます。「千住土地経営」の項目は京成が筑波高速度を合併した時から登場していますが、京成の社史によると、筑波高速度が用地買収にかかったところ、千住で「某紡績工場所有の広大な土地」を一括して買わされる羽目になり、かくて同社の資金繰りも悪化した旨の記述があります。つまり、京成の不動産資産の過半は、筑波高速度合併のおまけだったのです。
 結局、後藤国彦の多角化に於いて、不動産業はあまり重視されておらず(当時の経済誌のインタビューにはそのような後藤の発言がある)、ただ上野乗り入れ免許のために買収したら千住の土地が6万2千坪ほどおまけでついてきたので、それは適宜売却した、ということなんじゃないか、と小生は考えるに至っております。

 話が逸れまくりなので戻します。
 両氏と常磐線車内で無事合流し、ボックスシートに並んで座り揃って土足のまま足を向かいのシートに投げ出して爆睡しているケバいねーちゃん達の姿に「はるけくも茨城に来つるものかな」と旅情を感じつつ、取手に着きます。講演会が始まる少し前に展示会場に着き、一通り見てから講演会を聞くつもりでした。
 で、展示会場の取手市埋蔵文化財センターが駅から離れており、バスもあるけど風が強くて待つのが寒く、3人いるし、とタクシーに乗り込みました。が、運転手氏に「埋文センター」と言っても知らぬ様子。最寄りのバス停の名前から見当を付けて行ってみるも見つからず、そろそろ附近だろうと車を止めて歩いているおばちゃんに声をかけて聞いてみれば、

 「わたしも講演会に行くんです」

 この展開に3人ともずっこけました。
 ようよう別の人に聞いて辿り着きましたが、ここで痛恨のミスが発覚。なんと講演会は市役所の隣のホールが会場で、埋文センターではなかったのです。ううう。さっきのおばちゃんはじめ、同様の誤認者数名。もう時間がない。
 仕方ないので、急ぎ展示を見て再度タクシーで市役所に向かうこととします。お目当ての筑波高速度の史料ですが、鉄道建設と同時に沿線での土地開発が目論まれていたらしく、その広告がありました。とはいえそれは千住ではなく、柏付近で計画されていたものでした。「郊外の土地は値上がりしているから将来有望!」みたいな煽り文句と地価のグラフが添えられていますが、戦前の住宅開発としては都心から遠すぎる感もあります。小田急の林間都市もちっとも売れなかったし。煽り文句と付き合わせると、居住より投機目的の開発計画かとも思われます。

 そんなこんなで慌ただしく見て、再度タクシーで市役所へ。今度は裏道を駆使して最短ルートで到着したらしく、幸い90分の講演の、最初の10分程を遅れただけで済みました。

 講演会場には6、70人くらい入っていたでしょうか、結構賑わっていた印象です。講演は「鉄道とミステリー小説」とのお題で、ミステリーのマニアにとっては周知のことなのかも知れませんが、なかなか面白く拝聴しました。鉄道はミステリー小説の舞台として多く用いられたそうですが、その理由には大きく二つあり、欧州では客車がコンパートメントになっていて走行中の移動が出来ず、いわば密室となっていたからで、もう一つは鉄道ダイヤを利用したアリバイ作りです。で、欧州のミステリーは前者の理由によるものが多い一方、日本では後者が有力なのは、日本ではコンパートメント式の客車は一般的にならず、また日本のようにダイヤが正確な国でないと鉄道によるアリバイ工作の真実味がないから、というわけでした。
 で、コンパートメントでない日本の鉄道で密室殺人をやろうと思ったら、トイレか乗務員室に閉じこもるしかない、という話をされ、トイレを舞台にした作品の例として小林信彦「<降りられんと急行>の殺人」(『神野推理氏の華麗な冒険』所収)を挙げられました(厳密にはトイレで密室殺人、って訳じゃないんですが)。本作(を含むシリーズ)は、タイトルからも分かるように、ミステリーのバーレスク(パロディ)作品集ですが、あんまり小説を読まない小生も珍しく読んだことのある作品で、結構気に入っているので何となく嬉しくなりました。
 余談ですが、小林信彦は「<降りられんと急行>の殺人」のトリックが気に入ったのか、続篇の『超人探偵』の中の一編でも使っています。今度はブルートレイン「はやぶさ」のA寝台個室で殺人未遂事件が起こるのですが、それはそれとして、個人的には『超人探偵』の中に収められている「ヨコハマ1958」が印象に残っており、小生の狭い読書の範囲中ではありますが、鉄道を絡めたミステリーとして出色の一編と思います。路面電車と根岸線が思いがけない使われ方をするのですが、ミステリーとして厳密に考えると怪しくもあるものの、横浜市民の端くれとしては何とも鮮烈な読後感を覚えた一編でした。

 閑話休題、鉄道ミステリーの日本における祖は松本清張ではなく戦前の蒼井雄『船富家の惨劇』であって、紀勢本線直通の「黒潮号」が出てくるだとか、鮎川哲也の鉄道の考証はいい加減だったとか、豊富な話題の中でも、地元の取手の聴衆に配慮して、常磐線が舞台となった作品を紹介するなど、小池先生のサービス精神にも大いに感銘を受けました。鉄道もミステリーもマニアが繁殖しやすい分野ですが(笑)、その両分野に跨って、一般の聴衆も楽しめるように纏められたところに小池先生の真骨頂を感じました。何よりお元気に講演をされていたことに安心しました。
 講演終了後、ご挨拶して退出。利根川の渡し船を見に行く案もありましたが、遅いし風が強いしで今回は見送り、関東鉄道で取手に戻って遅い昼食とします。その食事をしたビルのさびれっぷりについては上掲憑かれた大学隠棲氏のブログ参照。いやあ、本当に閉鎖予定だったんですね・・・最上階の中華屋は、味に特筆するところはありませんが、架け替え工事中の常磐線の利根川橋梁を一望できるので、鉄道趣味者の食事にはいいかもと思います。
 なお食事の席上、この日初対面だった憑かれた大学隠棲氏とやm氏(小生の別方面の知己だったので)ですが、すっかり電波な話で盛り上がって意気投合してたのは有り難いことでした。あ、電波な話ってのは、地上デジタル放送時代にどう受信・視聴するべきかという話で、怪しい話ではありません(笑)

 以上、日帰りの見学でしたが、タクシーでかけずり回ってくたびれたことに鑑み(苦笑)、「旅行記」のタグを附しておきます。
[PR]

by bokukoui | 2010-04-03 23:59 | 鉄道(歴史方面)

「宇治電ビル」(近日解体予定)を見に大阪へ行く

 初手からなんですが、本記事の表題には誇張があります。小生は目下、某学会の大会で大阪に来ておりますが、そのついでに表題の宇治電ビルを見に行ったまでです。某学会も大変面白く、今後の研究にいろいろ参考になりましたが、それを詳細に書いている暇はありませんで、代わりに宇治電ビルのご紹介などをしてみようかと思います。
 ところで宇治電とは、戦前の日本の五大電力の一つ・宇治川電気のことで、社名のように宇治川の水力発電に端を発し、関西地区を地盤とした会社で、一時は現在の山陽電鉄を支配下に収めていたりもしました。もっとも関西では、大阪・京都・神戸は電気事業が市営化されており、郊外は電鉄会社が電力供給区域を有していて、関東の東京電灯・中部の東邦電力ほどの圧倒的支配力を発揮することは出来ませんでした。五大電力の三番手といったところです。
 そんな宇治電が1937年に建てた9階建ての本社ビルがこの宇治電ビルで、電力国家管理が行われて宇治電が解散に追い込まれてのち、関西電力が発足するとその所有になりました。現在は関電の関係の不動産会社が所有しているようです。宇治電が消えてもその名を現在に伝える存在でしたが、残念ながら取り壊して再開発することが決定したそうです。昭和初期の鉄筋コンクリート建築なんてまだまだ頑丈そうなのですが、今時地上9階では駄目ということでしょうか。

 というわけで、現在電鉄業から電力業に研究の手を広げつつある小生、開業した京阪中之島新線や阪神なんば線はいつでも乗れると無視して、学会開始前のひとときに急いで見に行って、写真を撮ってきました。以下にご紹介。今回の記事の写真は、基本的にクリックすると拡大表示します。
 ビルの所在地は上掲リンクにありますが、大阪駅から南東方向に徒歩15分くらいの所にあります。曽根先警察署の先を右に折れ、太融寺の前を通って南下すると、大通りの向こうに宇治電ビルが見えてきます。
f0030574_0431795.jpg
新御堂筋のランプの向こうに姿を見せる宇治電ビル

 正面の白っぽいタイル張りのビルが宇治電ビルです。この写真でも、宇治電ビルにはなにやらレリーフが取り付けられていることがお分かりいただけようかと思います。

(写真が多いので続きは以下に)
[PR]

by bokukoui | 2009-11-14 23:59 | 歴史雑談

くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 後篇

 くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 前篇
 くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 中篇

 の、続きです。今回は、くりでんの引き込み線があった細倉鉱山の精錬所改め細倉金属鉱業の見学内容です。今回で完結。

(写真が多いので続きはこちら)
[PR]

by bokukoui | 2009-07-15 23:59 | 鉄道(現況実見)

くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 中篇

 くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 前篇

 の、続きです。今回は栗駒駅とその周辺、及び倉庫や車庫の中身をご紹介します。

(写真が多いので続きはこちら)
[PR]

by bokukoui | 2009-07-13 21:57 | 鉄道(歴史方面)

くりでん(くりはら田園鉄道・栗原電鉄)の現況を見る 前篇

 2007年3月廃止になったくりはら田園鉄道、旧栗原電鉄、通称「くりでん」については、当ブログでも過去に廃止直前に訪れた旅行記を書きました(→こちらこちら)。そしてこの度、たまたまその廃線跡の現況を見る機会に恵まれましたので、その状況を写真付きで簡単に述べてみたいと思います。
 なぜ栗原に行ったかといいますと、さる4日、栗原市で以下のようなシンポジウムがあったからです。
シンポジウム 「くりはら田園鉄道の歴史と遺産」
主催: 鉄道史学会  協賛: 栗原市

1. くりでん資料を未来に―宮城資料ネットの保全活動―
 平川 新(東北大学)

2. 宮城県の鉄道発達史とくりでん
 高嶋修一(青山学院大学)

3. くりはら田園鉄道の諸建築について
―若柳駅舎(本屋・機関車庫など)及び沢辺駅舎―
 永井康雄(東北大学)

4. 大河原・村田・蔵王を走った仙南温泉軌道
 岡崎明典(白石高校)

5. パネルディス カッション「戦後のくりでんを語る」
 進行役 大平 聡(宮城学院女子大学)
 パネリスト 佐々木四男(くりでんOB)
        高橋 啓三(くりでんOB)
        石川 金悦(くりでんOB)
 これは鉄道史学会の例会として行われたものですが、同時に一般の方にも公開して、くりでんの遺産について広く知ってもらおうという企画でした。で、このシンポジウムの附属企画(巡検)で、廃線跡と細倉鉱山の見学がありまして、本記事は主にその模様をお伝えしようと思います。

(写真が多いので続きはこちら)
[PR]

by bokukoui | 2009-07-10 23:59 | 鉄道(歴史方面)

碓氷峠の鉄道文化財について思い出したこと

 前回の記事で、岩手・宮城内陸地震から一ヶ月ということで、この地震で亡くなった岸由一郎さんのことについてなど書きましたが、実は昨日、岸さんを偲ぶ会がありまして、小生も末席に連ねさせていただきました。改めて喪ったことの大きさを感じた一夜でした。
 いろいろと故人の業績に関係したお話をその場で伺ったのですが、一緒に仕事をしていた方々の無念の言葉はまだあまりに生々しく、このような場で書くことはまったくふさわしくありませんので、今は小生の心にとどめておくことにします。

 その代わり、といっては何ですが、最近世界遺産に落書した日本人観光客のことが世間を騒がせたこととも関係して、日本における遺跡と落書について。
 少し前のことですが、友人と一日出かけ、碓氷峠の信越本線廃線跡など見てきたときの写真です。
f0030574_2352772.jpg
碓氷峠の有名な煉瓦アーチ橋

 これは有名な橋なので、皆さんもご存知かと思います。
 で、この橋は観光地として整備され、横に道と階段があって橋に登れるようになっているのですが、その途中道が橋脚の横を通るところは・・・
f0030574_2374339.jpg
落書だらけの煉瓦の橋脚

 この写真はクリックすると拡大します。落書の状況が良く分かろうかと思います。 
 一枚目の写真の黒丸のところには、落書を戒めるこんな看板が立てられています。
f0030574_2311572.jpg
 しかし効果はどうなのでしょうか。
 落書といいつつ、実際にはこれは煉瓦を尖ったもので削ったり彫ったりしているため、消すことも出来ません。パテか何かで埋めることは出来るかもしれませんが、それは原状をかなり損なってしまうともいえます。壁で囲ってしまえば話は簡単ですが、このような構造物を身近に感じる機会を失ってしまいます。煉瓦は積み方や目地の工法なども見る点ですから、なるべく近くで、触ったりして観察できた方が望ましいんですよね(煉瓦の積み方の話とかはこのブログで前にやりましたな)。

 この近所(というほど近くも無いが)の富岡製糸場(ここも前に結構細かく見る機会がありました)は世界遺産登録を目指しており、その際関連する近代遺跡ということで、この信越線の煉瓦アーチ橋も入っているそうです。「世界遺産」になっても、いやここはなってませんけど(個人的には日本ローカル文化の平泉より、非西欧が西欧近代技術を取り入れて世界の産業に重きをなしたという点で、富岡の方が世界的普遍性を有すると思うのですが・・・)、観光地化するということはこのような問題を避けて通れないのでしょう。
 で、その対策は、・・・地道な教育しかないのでしょうか。でも通じない馬鹿者は一定数いるわけで・・・うーん。

(おまけ画像)
[PR]

by bokukoui | 2008-07-16 23:09 | 鉄道(歴史方面)

お気楽アメリカ紀行(12)~ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 当初の予想以上に時間がかかりましたが、漸くアメリカ旅行記も完結です。旅行記の他の記事は以下を参照。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2
 (4)パームスプリングスのロープウェイ
 (5)パットン将軍記念博物館
 (6)フェニックスからセドナを経て
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
 (11)デス・ヴァレー国立公園
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア(この記事です)

 遂に旅行も最終日となります。飛行機が飛び立つまでにいくらか時間がありますが、そう時間のかかるところを観光している余裕もありません。また当然のことながらレンタカーを返しに行く手間もあります。
 で、小生の希望により、場所的にも空港に近く好都合なヴェニス Venice を見に行くこととなりました。この街はその名の通り、イタリアのヴェネツィアを模して運河が掘られた街で、今から百年ばかり前にタバコ産業で財を成したアボット・キニー Abbot Kinney なる人物が開発したものだそうです。海岸には遊覧用の桟橋(19世紀にイギリスでブライトンはじめ各地に作られたというものと同類なのでしょう)も設けられ、運河にはゴンドラが浮かべられて観光客で賑わうと同時に、この地域の土地は住宅として販売されて人口が増加、発展してとうとう街の名前も正式に Venice になってしまったんだとか。
 以前も述べたとおり、かつてロサンゼルス一帯にはパシフィック・エレクトリックというアメリカ最大級(=世界最大級)の電鉄会社が存在しており、この会社の経営は日本の電鉄にも影響を与えたのではないかと思いますが、そのPEがロサンゼルスとこのヴェニスとを電車で結んでいました。その路線は「ヴェニス・ショートライン」といい、その名(「短絡線」)の通り速達運転も行っていたそうで、電鉄会社も結構力を入れていたようです。詳細は先日の記事でもご紹介しましたが、こちらのサイトをご参照下さい。
 小生は日本の電鉄業史をいろいろ漁っているうちに、技術のみならず経営全般にアメリカの影響が強いんじゃないか、沿線住宅開発もアメリカの影響であって、イギリスの田園都市(ガーデン・シティ)はほとんど名前しか関係してないんじゃないか、という疑問を抱くようになりました。カリフォルニアのヴェニスは、直接電鉄会社が開発した土地ではありませんが、アメリカで電鉄会社が活発な経営をしていた時代に電車によって大都市と結ばれた場所に観光地や住宅を作っていたという点では、何か参考になるかもしれない、ということで行ってみたかった次第です。海沿いに観光地を作るというのも、日本の電鉄にも例があることですし。まああと、以前もネタにした覚えがあるけど、「ネオ・ヴェネツィアは実在したんだよ」とオタク方面の方々を韜晦するネタにも使えそうだし、という下心も少しありました(笑)。
 かつて電鉄沿線に出来た住宅地はいろいろあったようですが、その後ロサンゼルスが自動車社会になって電鉄が滅亡してしまってからそういった住宅地はスラムと化してしまった例が多いそうです。しかしヴェニスは今でもガイドブックに載っているくらいで安全そうだし、場所も空港に近いし、というわけでH氏とK氏もご賛同くださいました。

 というわけで朝食を済ませ、高速道路を北上してヴェニスに至ります。ヴェニス附近の航空写真はこちら。碁盤目に巡らされた運河がお分かりいただけようかと思います。
 一方通行の道が多く、一旦巨大なヨットハーバーのあたりまで行ってから戻ってくる形になります。土曜日の午前中という時間でしたが、沿道には立派で綺麗な住宅(日本語のマンション的なものが多い)が立ち並び、ジョギングする人の姿も結構見え、比較的富裕で治安も良いのだろうと思われます。
 で、いよいよヴェニスの中心と見られる地域に到達したので、どこかに車を停めてあたりを散策してみようということになります。しかし余り幅の広くない道にはびっしりと自動車が停められており、なかなか停める場所が見つかりません。しかし一箇所、並んでいた車の途切れた場所があり、そこに停めて車を降りました。
 以下、ヴェニスの風景をご紹介します。写真はクリックすると拡大表示します。
f0030574_0235899.jpg
ヴェニス(@カリフォルニア)の風景 鴨もいて長閑

f0030574_0264165.jpg
同じく濠端の風景 綺麗な住宅地

f0030574_028746.jpg
運河に架かる人道橋

 写真で見て分かるとおりの綺麗な庭を整備するため、週末の午前中から庭いじりに精を出している住人の方も見受けられます。挨拶を交わしつつ運河沿いの歩道を歩きます。
 これまで通ってきた、例えば高級保養・住宅地であるパームスプリングスなんかのような自動車による住宅地は、道路が広く、道路に面した住宅の庭も広く、住宅相互の間隔も広かったものですが、ここは割と道も狭く区画も広くなく、日本の住宅地により似ている感じがします。ヴェニスをヴェニスたらしめている運河から離れて住宅地内部に入り込むと、よりそんな気がしました。運河沿い以外の住宅地の情景を以下に。
f0030574_049282.jpg
住宅の間の路地 路地を抜けた先が運河を渡る人道橋

f0030574_12753.jpg
道も狭く、住宅が櫛比している
手前のポールは運河に架けられた橋に自動車が進入するのを抑止するためのもの

f0030574_142054.jpg
電柱(木製)が立ち並び、電線が交錯

 というわけで、自動車による郊外と異なった住宅地の状況を楽しんできました。この住宅地は今でもそれなりに高級な住宅街なのか観光客も来るのか(停まっている車からすると中の中~上程度とはH氏の見立て)、環境維持を呼びかける看板が各地に立てられていました。ちょっとピンボケなのはご容赦を。
f0030574_24836.jpg
ヴェニス地域の看板

 車に戻って、空港(そばのレンタカー事務所)を目指しつつ、満タン返しのためガソリンスタンドを探します。その途中、幹線道路に沿って、妙に広い植え込みや駐車場になっている細長い道路沿いの空地などがあり、もしかしてPEの線路の跡だったのかもしれません。また、道路の舗装の下から昔の踏切(?)のレールが顔を出している箇所もあり、よく調べて探せば昔の鉄道の名残りは色々発見できたのかもしれません。又の機会には・・・。

 かくしてレンタカー会社に戻って車を返却します。ところがここでごたごたが。一つは料金計算が間違って多く請求されていたことですが、これはH氏の抗議により無事修正。
 それは片付きましたが、問題はもう一つ。ワイパーに挟まっていたという封筒を渡されます。それは駐車違反の罰金の支払命令書でした。さっきのヴェニスで駐車違反の切符を切られていたのです。読んでみれば、道路沿いで一箇所だけ車が停まっていなかったのも道理、そこはどうもバス停だったらしいのです。それらしい表示があったとは気がつかなかったのですが・・・。罰金270ドル。高くついた見学でした。時間を見ると駐車して10分経つか経たないかのうちに既に切符を切られています。なるほどこれだけまめに警察が巡回しているということは、ヴェニス地区の治安は良好なのでしょうね。
 もう飛行機の時間が迫っているので、罰金を現地で支払うことは諦め(電話でする方法があるとガイドブックにあったのですが、うまく行きませんでした)、飛行機に乗ることとします。結局、後日日本からインターネット経由で支払う方法をH氏が試し、無事支払うことができました。

 以上、たいへん充実した旅行でした。おまけ人員だったくせに、H氏やK氏を差し置いて一番満喫していた感がなくもありません(苦笑)。アメリカではレンタカーの威力は絶大で、企画発案者H氏のお蔭で効率よく様々なものを見て廻ることが出来ました。何はともあれご両人に感謝。いろいろ見聞して、趣味的のみならず研究がらみで考えていたことにもいい刺激になりました。

 帰りの飛行機も当然大韓航空で、ロサンゼルス空港を飛び立った飛行機からはロサンゼルスの海沿いの景色がよく見えます。ヴェニスはすぐそばにヨットハーバーがあるお蔭で、上空からでも場所がすぐに特定できました。我々が「あそこで駐車違反したんだなあ」と感慨に耽っているうちに飛行機は高度を上げ、日本へと向かっていったのでした。

 おしまい。
[PR]

by bokukoui | 2007-06-19 23:58 | 出来事

お気楽アメリカ紀行(11)~デス・ヴァレー国立公園

 長期連載企画のアメリカ旅行記も佳境にさしかかりました。旅行記の他の記事は以下を参照。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2
 (4)パームスプリングスのロープウェイ
 (5)パットン将軍記念博物館
 (6)フェニックスからセドナを経て
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
 (11)デス・ヴァレー国立公園(この記事です)
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 旅行も4日目です。今日はラスヴェガスを出てデス・ヴァレーを観光し、ロサンゼルスに戻るという予定です。今日の行程についてはこちらの地図をご参照下さい。

 昨晩の就寝は決して早くはありませんでしたが、今日の行程も長いので朝食も摂らず早めに出発します。昨夜のフランス料理ビュッフェのお蔭で一夜明けてもまだ満腹だったもので(笑)。やっぱりあのこってりぶりは、フランス料理と銘打っていても結局はアメリカだったということなのでしょうか?
 K氏の運転で国道95号線を北西へとひた走ります。遠くに山並みが見えますが、あたりは一面の乾燥した草原で、勾配もカーヴもあまりなく走りやすい道が続きます。とはいえデス・ヴァレーの入口であるビーティ Beatty の街までは200キロぐらいあり、それなりに時間を要しました。途中、小腹が空いたので軽く朝食。といっても街など碌にないところでどうしたのかといえば、昨日ウォルマート(キングマン店)でH氏が購入したもののお蔵入りになっていたサンドイッチを3人で分けて食したのでした。やはり1人前というのは無理があるぞあのサイズ。
 飲み物については、これまた昨日ウォルマートで買い込んだ2ガロン半入りポリタンクを持参していますが、うち一つ(ブランド?なのか他のより少し高かった)を昨夜泊まったホテルの立派な冷蔵庫の冷凍室に放り込んでおいたところ、一夜明けたら芯まで凍り付いていて、お蔭でこの日はほとんど一日中冷たい水が飲めました。それにしても恐るべきはアメリカの家電のパワー。ちなみにこの凍結ポリタンク、車内に持ち込んでも気候が乾燥しているせいかほとんど結露しませんでした。
f0030574_23303322.jpg
ネヴァダ州の草原の道端で小休止

 さらに国道を進みます。途中、沿道に「刑務所あり ヒッチハイカー乗せるべからず」という看板が立っていて、なるほど道路からだいぶ隔たったところに柵で囲まれて監視塔らしきものを備えた施設が見えます。こんな場所、仮に刑務所から脱走できても、車に乗れなかったら渇きで死んでしまいそうです。
 途中のごく小さな集落で給油します。1ガロン3.2ドル。1リットル百円ちょっと、とは昔と比べると日本との較差はだいぶ縮まったという感があります。
 この小集落、ガソリンスタンドの他碌に建物も見当たらなかったのですが、ただこんな気になる看板がスタンドと一緒の敷地に建っている建物についていました。
f0030574_23402187.jpg
 で、この矢印の先の建物がまたけばけばしいピンク色で、「アダルト」だけにある種の妄想を書き立てられずにはおられなかったのですが(笑)、実際のところは24時間営業の酒も出す飲食店にスロットマシーンが設置してある、という以上のものではないようです。

 閑話休題、右手にネヴァダの軍の施設があるはずで、軍の施設に行く道が分岐して若干の建物もありましたが、特に何か目を惹くものはありませんでした。山の陰には何かあるのかもしれませんが(核実験のクレーターとか?)。
 そんなこんなでビーティの街に着きます。ここで左に曲がり、州道374号線に入って、いよいよデス・ヴァレー国立公園に向かいます。それなりに山道ですが、大陸だけあって峠を一つ超えたら道が一直線。しかも地平線の果てまで他の車が一台も見えないという風景になりました。些か感興を催した我々は車を停めて記念撮影。
f0030574_2348547.jpg
 この絵だけならポスターにでもなりそうで、「道は未来へと果てしなく続く」などとかっこよさげなキャッチコピーでも入れると宣伝に使えそうです。
 まあ実際には、この道が通じているのは「死の谷」なんですけど。

 デス・ヴァレー国立公園に入る前に、廃墟マニアだというK氏のご発案で、ライオライト Rhyolite というゴーストタウンになった街の跡に立ち寄ります。かつては鉱山があって鉄道も敷設されていたそうですが、廃坑となるとともにゴーストタウンに化してしまったのでした。もっとも今はその廃墟が観光地になって、多少は人が来るようになったのが皮肉といえば皮肉ですが。
 この旅行初の未舗装路に車が突入し、少し山道を登るとライオライトの街の跡です。下の写真はクリックすると拡大します。以下も基本的に同じ。
f0030574_013732.jpg
ライオライトの廃村

f0030574_0141148.jpg
旧ライオライト駅の駅舎

 一渡り見て元の道に戻り、また一つ峠を越えて、デス・ヴァレー国立公園の区域内に入ります。公園の入口に当たるところに東屋とトイレを備えた休憩所があり、そこに国立公園入場料の自動支払機があります。グランドキャニオンでは入口に有人料金所がありましたが、デス・ヴァレーは自販機で払って領収証を車に掲示しておく方式です(おそらくはグランドキャニオンの方が特異なのでしょうが)。
 トイレは、便器の蓋を開けると中が深い穴になっていて、土がむき出しになっています。まあ水洗トイレをこんなところに作るはずも無いでしょうが、かといって汲み取り式でもなさそうな。デス・ヴァレーのトイレは大体みなこの方式でしたが、どのような構造なのかはよく分かりません。

 峠を越えて、どんどんと道は下っていきます。デス・ヴァレーは皆様ご存知の通り、アメリカ大陸で一番標高の低い地域で、最も低いところでは海面下86メートルに達します。また極めて乾燥した土地で気温も高く、最高気温56.7℃を記録しています。そのような特異な地形と気候の土地だけに、他の地では見られないような珍しい景物に接することが出来ます。
 まず我々が向かったのは、「砂丘 Sand Dunes」と呼ばれる白い丘陵が連なる地域。ここは観光名所らしく、時間帯のせいなのかどうなのか、同じ様な観光客に随分と出くわしました。
f0030574_032397.jpg
「砂丘」の展望台からの風景 人も生物の姿も無い「死の谷」という感じだが・・・

f0030574_0335059.jpg
「砂丘」の展望台自体の風景 結構人は多かった(この写真は拡大表示しません)

 砂丘から元来た道を少し戻り、多少道に迷いつつも次なるポイントに向かいます。「死の谷」にも水の出る場所もあるようで、多少木の生えているところもあります。そんなところにデス・ヴァレー国立公園の中心というべき事務所(ファーニス・クリーク・ビジターセンター)があり、立ち寄ります。中は案内所兼展示室兼お土産コーナーとなっています。パンフレット(簡単なものながら日本語版あり)を貰ったり、土産物を求めたりします。例によってH氏は書物を漁り、K氏もゴーストタウンに関する文献を見つけたので早速購入されていました。小生は、「デス・ヴァレーの天然塩」が売っていたら是非買いたいと思いましたが、そんなものはありませんでした(笑)。考えてみれば国立公園の動植物や鉱物を商売のために採集していいはずがありませんね。
 この時ちょうど昼頃で、観光バスでやってきていた団体観光客もおりました。ロサンゼルスまで先は長いので、我々は先を急ぎます。ここで小生が運転を代わり、次なるポイントに向かいます。

 ビジターセンターから南下すると、道路沿いに塩湖が見えてきました。死海で泳いだ(?)こともあるらしいK氏などとは異なり、小生にとってははじめて見る存在です。塩湖が完全に干上がって、結晶した塩の塊がぼこぼこと連なっている場所に差し掛かります。その地形から「悪魔のゴルフコース」と呼ばれている場所です。その干上がった塩湖跡の中に、見学のため道がつけられています。早速そのダートの道に入り込んでみました。塩を均した道だったら車が錆びたりしないかなどとちょっと思いましたが、これはちゃんとどこからか土を持ってきて作った道のようです。塩湖の真ん中の駐車スペースに車を止め、周囲を見学。
f0030574_115744.jpg
「悪魔のゴルフコース」 手前の白っぽい場所は塩

 他の観光客が立ち去って我々だけがこの場所に取り残されると、強烈な日光の下で静けさがひとしお身に沁みます。あまりにも静か過ぎて耳がかえって痛くなってくるような、不思議な気分です。人気の少ない場所は他にも行きましたが、こんな奇妙な感覚にとらわれたのはデス・ヴァレーだけでした。まさに「死の谷」たる所以のようにも思われました。
 あたりのぼこぼこはすべて塩。多分ここに来た人間の大部分はやっているでしょうが、ひとつまみ舐めてみると確かに塩味です。
 塩味で思い出しましたが、この日の車内で運転していない時、小生は昨日ウォルマートで買い込んだポテトチップスを食していました。普通の塩味のものを買いましたが、日本のそれより塩がきついように思われました。一口食べるとパンチが効いて旨い気がしますが、大量に食べるのはつらいです。しかし量がまた洒落にならんくらいあるわけで・・・。

 ロサンゼルスに至る高速道路の方向へ、段々と南下しながらスポットを廻ってきた我々ですが、次はこのデス・ヴァレーの中でも最低標高地点に近い、バッドウォーターなどと呼ばれる(確か)塩湖のほとりに車を停めます。ここには桟橋のような設備があって、塩湖を間近に眺めることができます。
f0030574_128267.jpg
塩湖の風景

 塩湖といっても干上がって塩の平原になっている箇所も広く、水の部分も食塩の飽和水溶液状態だろうと思われます。しかし上の写真に写っている通り水辺には草が生えており、目を凝らして塩湖の水を見るとなにやら小さな虫が数種類、蠢いているのが観察されます。こんなところでも生きていける生物がおり、決して「死の谷」では無いということがわかります。
 塩湖に突き出した桟橋状の設備の側から湖と反対側を見上げると、湖の側まで迫った崖がそびえています。その中腹に、海面の位置を示す看板が立っていました。
f0030574_1395438.jpg
塩湖から見上げる海抜0mの高さを示す看板

 デス・ヴァレー国立公園は、アラスカ以外ではアメリカで最も広い国立公園だそうで、見て廻るポイントはまだまだ幾らでもあります。しかし先の行程を考えるとそう長居は出来ません。我々は観光をこの辺にして、ロサンゼルスに向かいます。州道178号線でデス・ヴァレーの谷を東へ向いて抜け、Shoshone という街から州道127号をひたすら南下して、州際高速道路15号に出るというルートです。
 このルートは小生が運転しましたが、峠越えあり平原あり、沙漠あり草原ありと風景も良く、なによりほとんど他の車を見ることがない(パトカーも)という交通量の少なさもあって、実に快適なドライブを楽しむことが出来ました。アメリカで運転して楽しかったなとつくづく思い出される区間でした。

 その少ない他のクルマで、印象に残っているのが2台あります。
 それはまだデス・ヴァレーを抜ける前のことだったかと思いますが、カーヴの続く塩湖の湖畔を快適に運転していた時のこと、ふとバックミラーを見るとアメ車スポーツカーの代表選手・ムスタングが後ろにくっついています。スポーツカーだから飛ばしたいのかな、どこかで道を譲ろうかなと小生が考えているうちに、ムスタングは強引に我々の車を抜き去っていきました。
 ムスタングの後ろをしばらくくっついて走りますが、見ていると直線区間では思いっきり加速するくせにカーヴの手前になると急ブレーキをかけて減速するという、はっきりいってヘタな運転。君、エコドライブって言葉知ってる? 小生はちゃんと前方のコースを見て速度を加減し、急な加減速をしない運転を心がけていました。ガイドブックに「デス・ヴァレーで怖いのはオーバーヒート。アクセルを踏みすぎたり車に負担をかける運転は禁物」と書いてあったのにねえ・・・。
 そのうちムスタングは一旦視界から消えましたが、すると今度はバックミラーにカローラの姿が。このカローラも飛ばします。こともあろうに我らがリンカーンを追い抜いていきました。むむむ。しかしここは慣れない異国の地。無理は禁物と安全運転を心がけてカローラを追跡することは控えます。
 しかし間もなく、道が峠越えの区間に差し掛かると、件のムスタングとカローラが前後に並んで走っているのに追いつきました。やはり運転がヘタだったらしいムスタング、カーヴの続く峠越え区間ではスピードが出せずカローラに追いつかれてしまったようです。ぴったりとムスタングの後ろをつけて走るカローラ。遂に振り切ることが不可能と悟ったのか、ムスタングはカローラに道を譲ってしまいます。なんと情けなやムスタング。まさに「トヨタに抜かれるGM」を象徴する光景に、後続の我々は大笑いしたのでした。
 H氏の見立てでは、このムスタングはレンタカーだったのではないか、だから運転がヘタだったのではということです。ムスタングは人気があり、レンタカーでは数が多いけれど、かといって実際に個人で買う人はそこまで多くはないのだとか。

 そんなこんなで平均時速60マイル程度(だったと思う)の快適なドライブを続け、時には沿道に幾つも立ち上る小さな竜巻に目を奪われたりしつつも、約200キロを一度も停車せず走ってインターステート15号線に入ります。高速道路のPAで運転を再びK氏に交代、流石に少々草臥れたので小生は後部座席でくつろぎつつ、インターステートと併走する貨物列車を観察したりしていました。コンテナを2段に積んだ列車が行き交います。前部座席ではK氏とH氏がどこで給油しようかと相談していますが、小生は線路ばかり見ていました。
 あ、また列車だ。貨車は長物車で、停まっているみたい。積荷は茶色の車輌が・・・どう見ても軍用車です。目が点になりました。ちょうど給油のために高速道路を降りる相談をしていた二人に、小生はあれが何か見に行くことを懇請。で、ガソリンの都合もあって結局高速道路を降りることとなりました。その場所の航空写真はこちら。Yermo という街でした。
 高速道路を降りたらすぐガソリンスタンドがありましたが、小生はちょこっと車から降ろしてもらって、フェンス越しに写真を撮りました。軍用車輌を積んだ貨車が、何編成も引込線に留置されています。別に見張りもいなかったので、道路から写真は撮り放題でした。小生は現用兵器には詳しくないので、現用米軍兵器マニア諸氏の教えを乞う次第です。写真は従前同様クリックすると拡大しますので。
f0030574_226584.jpg
引込線に軍用車を載せた貨車がいっぱい

f0030574_228479.jpg
装甲車? 自走砲から砲身を撤去したような車輌

f0030574_2301736.jpg
工兵用車輌?

f0030574_2341599.jpg
トラック、装輪装甲車などなど

f0030574_2342661.jpg
これは間違いなくM1エイブラムス戦車

f0030574_2353872.jpg
戦車が見えるだけで1ダース

 この施設の看板を見たりするに、ここは海兵隊の補給基地(正確にはバーストー海兵隊補給廠ヤーモ分廠 Barstow Marine Corps Logistics Base Yermo Annex)なのでした。
 オレンジエンパイア鉄道博物館で陸海空三軍の鉄道車両を見た話を書いたとき、海兵隊について思わせぶりなことを書きましたが、つまりこうして現用の海兵隊の貨車と戦車・装甲車の類を見ることが出来たというわけです。
 ところで、M1戦車はいくつかヴァリエーションがあるとはいえ、現用のなら重量60トンは下らないはずです。で、写真を見ると貨車に戦車を2両づつ積んでいます。貨車が履いている台車は、どう見ても2軸ボギー台車のようです。60トンの戦車2両を積む貨車はそれなりの強度が必要なはずで、少なくとも自重20トンくらいはあるのではないかと思います。となると、戦車×2+貨車で計140トンはあろうかという重量を、たった4軸で支えていることになります。1軸あたり35トン。うーんアメリカ、軌道の負担力が大きいなあ。
注:JRでは1軸あたりの重量=軸重は最大16.8トン。機関車牽引の列車の場合、牽引力は機関車の動輪にかかる軸重の合計によって規定される。つまり1軸あたりにかかる重量の許容度が大きいほど、長大な貨物列車を運転するのに有利な強力で重い機関車を使用できる。日本はかつて「建主改従」政策を採り、幹線の改良よりローカル線建設に重点を置いたため、軌道の負担できる重量が低いままにとどまって大型強力な機関車が発達せず、そこで1軸あたりの重量が少なくても高速運転容易な電車やディーゼルカーが発達した、という指摘がある。つまり日本の鉄道のゲージがアメリカなどの国際標準軌より狭かったことよりも、軌道負担力の弱さがむしろ問題だったのではないか、という説である。
f0030574_329337.jpg
Yermo 補給分廠の様子 この写真だけでも百近い数の車輌が写っていると思われる

 そうそう、本来の目的である給油もしました。最後の写真はガソリンスタンドから撮ったものです。
 で、このガソリンスタンドは給油機にクレジットカードの読取機がなく、店まで払いに行くタイプだったのですが、この店の店員(経営者?)はインド人あたりと思しき様子の人々でした。こんなカリフォルニアの奥にもインド系がいるとは、と印象に残っています。

 こんなところに補給基地がある理由は、おそらくはヤーモ近隣のバーストー Barstow という街が鉄道の一大ジャンクションであることと密接な関係があるものと思われます。バーストーはソルトレークシティで大陸横断鉄道本線と分岐しラスヴェガスを経て南下してきたユニオンパシフィックの路線と、東からやってきたサンタフェ鉄道の本線とが合流する地点で、また線路は南下してサンバナディーノ方面へ至る路線と、西進してモハヴェ砂漠を横断しベーカーズフィールド方面へ至る路線とに分岐します。
 給油後インターステートに戻って走るとすぐにバーストーの街ですが、高速道路からも鉄道の様子は伺うことが出来、しかも高速道路はこの鉄道の本線の下をくぐり抜けています。その時見上げる鉄道の施設の屋根には、でっかく "Barstow" と記されており、この街が鉄道の要衝であることを知らしめているようでした。

 その後は州際高速道路15号線をロサンゼルスに向かいますが、金曜日の夕方という時間のせいか交通量がかなり多く渋滞するようになります。今日の宿はロングビーチなので、助手席でH氏が色々と地図をめくって、なるべく空いていそうな道路を選んでロングビーチへと向かいます。その車窓から一枚。
f0030574_3571847.jpg
ロサンゼルス郊外に林立する送電鉄塔いろいろ

 個人的にはやはり、アメリカで見たいと思ったり見て面白かったものは、人間が作り出した近代の巨大なシステムにありました。送電網もまたその一つといえましょう。・・・そこ、「カリフォルニアは近年大停電して世界の笑いものになったじゃん」とか正しいツッコミは今はしないでね。
 交通やダム・送電線などインフラ物に見ものが多く、広大な大陸にこれだけのものを作り上げた技術者の創意工夫や経営者・政策当事者の決断、営々たる労働の積み重ねには、やはりなんといってもまず敬服の念を抱かずにはいられないのです。小生は別に「親米」ではありませんけど、近代史に関心を持っている結果としてそういう念を抱くに至ったというわけです。
 ただ、それだけの創意工夫が、食卓にのぼる料理の味覚面での向上には少しも向けられて来なかったように見受けられるのは、決して小生の偏見ではないと信じるものです。

 日が傾いた頃、ロングビーチのヒルトンに着きました。部屋からは博物館になっている豪華客船クイーン・メリーがちょこっと見えます。あれも見学できれば陸海空すべてのスポットを制覇したことになりますが、行ったことのあるH氏曰く一日がかりだそうで、またの機会とせざるを得ません。
 夕食はH氏が「日本で見なくなったシズラーをロングビーチで見た」という話を繰り返すので、それじゃとそのシズラーに行きます。その途中でロサンゼルスの路面電車と遭遇。考えてみれば今回の旅行、自動車ばかりで軌道系公共交通機関はパームスプリングスのロープウェイくらいしか乗らなかったような・・・これもまたいつか、ということで。
 シズラーは日本とシステムが異なっていて戸惑いますが、まあ何とか。デニーズよりはましだったような記憶がありますが、大局的には同じ様なものです。そうそう、サラダバーのソフトクリーム製造器の調整がいい加減で、氷の粒がいっぱい出来てしまって食べるとざらざらしたことを覚えています。

 というわけで、旅行も最終日を残すのみとなりました。
 次回はいよいよ最終回、ヴェニス篇をお届けします。
[PR]

by bokukoui | 2007-06-18 23:57 | 出来事

お気楽アメリカ紀行(10)~フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ

 もう随分と長くなっていますが、アメリカ旅行記の続きです。旅行記の他の記事は以下を参照。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2
 (4)パームスプリングスのロープウェイ
 (5)パットン将軍記念博物館
 (6)フェニックスからセドナを経て
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ(この記事です)
 (11)デス・ヴァレー国立公園
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 プレーンズ・オブ・フェイムを出た我々は(確か運転をここで小生が代わったような気が)、一路州道64号線を南下し、ウィリアムズからは州際高速道路40号線を西へ進みます。キングマン Kingman で高速道路を降りて国道93号線を北西へ進み、フーヴァーダムを経由してネヴァダ州に入り、今日の目的地ラスヴェガスに達するという予定です。ここらへんの地理はこちらの地図をご参照下さい。
 朝フラッグスタッフを出発する時に給油はしたのですが、既にだいぶ長距離を走って燃料が減ってきているし、また明日はデス・ヴァレーを訪れる予定ですが、同地は酷暑で知られるだけに水などを買い整えておきたい、ということでどこかで給油と買物に立ち寄ろうということになりました。しかしこの附近のインターステートハイウェイ40号沿いの集落はガソリンスタンドと若干の民家がある程度の小規模なところしかなく、結局キングマンの街まで行くこととなりました。
 キングマンはそこそこの規模の街でした。高速道路を降りて旧ルート66号に当たる地道に入り、横手にサンタフェ鉄道の線路を眺めつつガソリンスタンドを探します。給油を済ませて(確か運転をK氏に代わって)、この程度の街なら何か買物をするところぐらいあるだろうと、街中をうろうろします。と、お誂え向きに、アメリカに来たのならできれば行ってみたいと思っていたスポットが見つかりました。
f0030574_231738.jpg
 かの世界最大の小売業者・ウォルマートでございます。ウォルマートといえば "EveryDay LowPrice"(従業員の給料も)のディスカウントで有名ですが、店の正面にも "Always Low Price" と大書されていました。
 広大な駐車場に車を停めて店内に入ります。最近は日本にもこのようなロードサイド大型スーパーが増えましたが、本場のそれは(この程度の地方都市でも)流石に大きく、なかなか面白い見ものでした。広い店内を身障者や老人でも廻りやすいように電動カートが備え付けられており、これで駐車場から行き来できるようになっています。これはなかなかバリアフリーで結構。

 目的の水を探しに飲料売場と思しきあたりをうろうろします。でかいのは何も店ばかりではなく、商品も皆でかく、我々は色々検討した結果2.5ガロン(約9.5リットル)入りの水をふたパック購入しました。万が一の車のラジエーター用も考えたためです。
 それにしても、アメリカは日本と基準が違うのか、飲料売場のはずなのに絵の具売場かと思わせる色とりどりの清涼飲料水の巨大なペットボトルが並んでおり、なんだかなあと思わざるを得ませんでした。さらに、恐ろしく太って身動きも億劫なのか電動カートに乗ったおばちゃんが、のっそりとその前で品定めをしている光景は、まさに「病めるアメリカ」という言葉が即座に脳裏に浮かび、写真を撮ってピュリッツァー賞に挑んでみようかなどとやくたいもないことを考えてしまいました。嗚呼肥満大国亜米利加。
 その他に菓子やアルコール飲料の類も買い込みます。小生は本場のジャンクなスナック菓子を試食せんとポテトチップスを一袋誂えます。一番小さい袋を探したつもりですが、日本のスーパーで普通置いている一番でかいサイズよりもさらにでかいものしかありませんでした。また、体調の思わしくないH氏は、夕食に出かけることができないかもしれないと考えて、長いパンにハムや野菜の類を挟んだサンドイッチを買い求めていました。一番小さい一人前のを氏が求めたのですが、パンの大きさが日本でいえばバゲットぐらいありました。ましてファミリーサイズとなると・・・。こういうサブウェイで売っているみたいなサンドイッチのことを、確かサブマリンサンドといったかと思いますが、日本のとアメリカのとでは甲標的と戦略原潜くらいの迫力の違いがありました。

 食品売り場のほか、雑貨類も数多く扱っており、またアメリカらしくタイヤなど自動車用品も広く扱っていて、スーパーとホームセンターが一体になったようなところが日本との違いでしょうか。玩具類で日本の友人の眼鏡にかなうものはないかと探してみましたが良く分からず。ボードゲームが棚の一角を占めてかなり売られていたのにはちょっと驚きましたが、やはり家庭向けのものばかりで小生の食指が動くものはありません。ただ、その巨大さゆえの独占的性格がしばしば批判されるウォルマートの玩具売場に『モノポリー』が山積みになっていたのは、ちょっと皮肉で面白い気もしました。
 他にも、家庭用組立式プールで一番でかいのが直径10メートル以上深さ1メートル以上あって、日本なら保育園の施設になりそうだと感心したり、色々と印象に残ったウォルマートのひと時でした。

 寄り道が長くなりました。車は国道93号線をひた走り、フーヴァーダムへと向かいます。
 この国道93号線、地図をご覧いただければお分かりになるかと思いますが、なんと約50キロにわたって全くの一直線なのです。ただし全くの平原ではなく、ゆるやかに上下にうねって道は伸びています。あまりの素晴らしい条件に、K氏のアクセルを踏む足にも力が・・・と思ったら、反対車線でパトカーがネズミ捕りをやっているのを発見。傾斜の陰に隠れて見えないところで待ち伏せしていたのです。これは危ないと注意するように。
 敵から見えない斜面の陰で待ち伏せする、というのは陸軍戦術の一つですが、警察もその辺抜かりないようです。

 そんな道もフーヴァーダムのあるコロラド川の谷に差し掛かって次第に険しくなり、カーブや勾配の多い道になります。沿道は荒涼として植物も少なく、ただ送電線が目に付きます。その送電線も丸太を2本立てて横木を渡し、電線を3本下げているだけの簡単なものです。電気工学科卒のK氏にお伺いしたところ、日本ではもう木の電柱は作っておらず、また古いものも17年で取り替える定めなので姿を消しつつある、という話でした。一方アメリカでは結構木の電柱を見かけたのですが、これは乾燥した気候なので木でも充分長持ちするからなのでしょうか。
 いよいよ道が狭くなり、カーヴも勾配もきつくなり、さらに検問所みたいなのがあって大型車の通行を規制しています。どうも現在フーヴァーダムを大型車が通るのを禁止しているようで、代わりにダム周辺の急勾配と急カーヴの区間をすべてバイパスして高架橋で超える新道を作っています。その工事現場を横目に峠を越え、ヘアピンカーヴで急勾配を降ると、そこがフーヴァーダムでした。国道93号線はダムの堤体の上を走ってネヴァダ州に至ります。
 見学用に駐車場が何箇所にも作られています。車を停めてちょいと撮影。時刻は夕暮れごろでした。以下の写真はクリックすると拡大します。
f0030574_0113340.jpg
フーヴァーダムをアリゾナ州側から望む 湖に4つ立つのは取水塔

 フーヴァーダムは1931年着工1936年完成、これ一つで日本のダムを全部あわせたよりも多い貯水量を誇りますが、そんなダムを5年で完成させた当時のアメリカの技術力は驚嘆に値します。以前読んだコンクリートの本にフーヴァーダムの話が載っていましたが、当時の最新の技術が投入され高度な品質で作られていたそうで、完成から70年、補修はしているのでしょうが、コンクリート建築物はとても綺麗で70年も経っているとは信じがたいほどです。
 時刻は18時ごろだったかと思いますが、ダムのネヴァダ側にある見学者用施設は既に閉まっていました。まあ時間的余裕から開いていても寄るのは難しかったと思いますが、少しでも見て廻ろうと体調不良のH氏が車内で休憩している間にK氏と小生は慌しくダムを見て廻ります。
f0030574_1311942.jpg
フーヴァーダムの洪水吐き

f0030574_144488.jpg
洪水吐きの排水口とその上を越える国道93号線のコンクリートアーチ橋

 洪水吐きとは万が一ダムが溢れた時に水を下流に逃がす設備です。ぽっかりと底知れぬ真っ暗な口をあけている排水口が印象的でした。
 で、そこからコンクリートアーチ橋を渡って、高さ200メートルを超えるダム堤体に行ったのですが、既にここまでグランドキャニオンやプレーンズ・オブ・フェイムで酷使を重ねてきたデジカメの電池が遂に消耗し尽くしてしまいました。ダムの絶景と、さらにダムに付随した水力発電所、そこから伸びるほとんど芸術的な送電線、といったものは残念ながら撮影できませんでした。しかし幸い同行のK氏が撮影されてましたので、氏のご好意を得て写真を頂戴しております。以下、K氏撮影のお写真をご紹介させていただきます。
f0030574_1551651.jpg
ダム堤体から下流を望む(K氏撮影)

f0030574_1565433.jpg
アリゾナ州側の送電線群 左手の白い部分がダム堤体(K氏撮影)

f0030574_159973.jpg
ネヴァダ州側の風景(K氏撮影)
手前の建物はダムの見学施設、後景のコンクリート柱は建設中のバイパスのもの

 ダムのはるか下を覗き込むと、水力発電所の設備がアリゾナ側とネヴァダ側に同数ずつ並んでいるのが見えます。取水口で取水され、ダムの高さ分落ちてきた水はそこで発電しますが、こうしてダムの底で発電した電気を送電線で真上に立上げ(三相交流なので、発電ユニットごとに3本一組で上へ上がってくる)、それを受け止めるために川へ向かって斜めに突き出した鉄塔が設置されているようです。
 傾斜鉄塔が受け止めた送電線は、両岸の崖の上に設けられた開閉所につながり、更に各地へと送られているようです。両岸で発送電設備が同じような構造になっているのは水利権の関係ではないかというのがK氏の見立てでした。両岸にはこのように様々な鉄塔が立ち並び、またダムの底の発電施設に貨物を下すため? の索道(上の3枚の写真で、両岸を水平に近く結んでいる太いケーブル。ネヴァダ側は鉄塔で、アリゾナ側は崖に掘られた穴の中に繋がっている)、トロッコらしきものもあって、鉄塔マニアやインフラ好きはアメリカまで見に来る価値があります。
 電気に詳しいK氏と同道したお蔭で、設備の意味をよく理解することが出来、時間は短いながらも充実した見学だったと思います。感謝。出来ればまた時間をかけて見学したいものです。その時は河川土木工学に詳しい人と一緒に来るとまた勉強になりそう。

 あまりH氏を待たせるのも悪いので手短に見学して車に戻り、ラスヴェガスに向かいます。国道93号線は道なりに走ると高速道路につながり、いよいよラスヴェガスの町が見えてきました。ちょうど日没頃だったので、けばけばしいカジノホテルのネオンサインが点燈しているのが見え、しかしまだ日があるので巨大なホテルのスカイラインもはっきり見て取ることが出来ました。砂漠の真ん中に巨大な街が出現したのも先程のフーヴァーダムの賜物です。しかし第一印象は何となく、日本のパチンコ屋とラブホテルをくっつけて百倍派手にしたみたいだなあ、という感じでした。まあカジノはいうに及ばず、ラスヴェガスは結婚や離婚も簡単な街らしいので、それほど見当違いな見立てでもないか・・・。
 高速道路を走って市街地に入り、日も暮れた頃に今日の宿泊地 Hilton Grand Vacations Club に到着。ヒルトンといいつつ普通のヒルトンホテルではなく、本来は滞在型リゾートみたいなもので、空いている部屋はホテルみたいに貸してくれるというもののようです。なので部屋もかなり立派な台所(コンロや流し、でかい冷蔵庫などが完備)や、バスと別に独立したシャワールームがあるなどかなり広いものでした。

 H氏の体調もほぼ回復したようなので、夕食を食べに出かけます。凱旋門やエッフェル塔などパリの建築物を模したテーマホテル Hotel Paris に行ってみます。フランス料理のビュッフェレストランがあるというので。ガイドブックには15ドルとあったけど、実際に行ってみると確か24ドルかなんかになっていて、ラスヴェガスがカジノ中心から総合的観光地(だからカジノの上がりでレストランの経費を賄わないで独立採算的になる)に移行しつつあるのだなあという感を抱きました。料理はなかなか旨かったように感じましたが、ここ数日の食生活があれだった反動なのかもしれません。思い返せばがぶがぶアイスティーを飲んでいた記憶があるので、味付けはかなり濃かったんじゃないかと思います。
 バクチはしませんでしたが、カジノの中を通ってちょこっと周辺観光。カジノで飲み物を運ぶお姉さんの衣裳がバニーガール的露出度でした。イタリアや古典古代をテーマにしたという周辺のホテルをちょこっと覗き、噴水のショーを(タダなので)見ます。フーヴァーダムの水と電気はこんな風に使われているのだなあと感慨些か。あとどっかのカジノに日本料理店が併設されていましたが、その店名が「しんたろう」だったのでラスヴェガスまで来てこれかよ、となんとなくぐったりしましたが、これはしんたろうはしんたろうでも勝新の方じゃないかとはH氏の言。
 しかしまあなんですね、ラスヴェガスでこういった「〇〇風」のアミューズメントを大金を投じてやっているその規模はやはり目を見張るもので、日本の「メイド喫茶」も誰か物好きな資産家がマナーハウス一軒秋葉原におったてるくらいのことをして欲しいですね。もっとも小生が100億ドルくらいカネの余っている資産家だったら、ラスヴェガスに「北朝鮮」を題材にしたテーマホテルを建てます。つまり史上最大の廃墟と化した柳京ホテルをそのまんま実現させてやろうというわけで。 Hotel Paris の凱旋門のごとく金日成の銅像や主体思想塔も完全再現。名物は喜び組ショー。
 ・・・流石にだいぶ草臥れていたのか、ラスヴェガスまで来てやくたいも無いことしか思いつきません。夜の10時を廻っても、大通りは人でごった返しています。遅いのでホテルに戻ろうとしますが、ストリップと呼ばれるラスヴェガスの目抜き通りはこの時間でも大渋滞で埒があきません。そこで高速道路を迂回していったところ、すぐにホテルに戻ることが出来ました。無料の高速道路はこういう時に便利ですね。

 以下、デス・ヴァレー篇に続く。
[PR]

by bokukoui | 2007-06-17 23:53 | 出来事

お気楽アメリカ紀行(9)~プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II

 昨日に引き続き、アメリカ旅行記の続きで、プレーンズ・オブ・フェイムの展示物を紹介します。旅行記の他の記事は以下を参照。

 (1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
 (2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
 (3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2
 (4)パームスプリングスのロープウェイ
 (5)パットン将軍記念博物館
 (6)フェニックスからセドナを経て
 (7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
 (8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
 (9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II(この記事です)
 (10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
 (11)デス・ヴァレー国立公園
 (12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア

 プレーンズ・オブ・フェイム・アリゾナ分館の最大の売りであろう展示物、とはやはりドイツの戦闘機Bf109であろうと思われます。入場料徴収のおばさん曰く、「プロペラ以外は全部オリジナルパーツ」だそうで。Bf109は第2次大戦ドイツ空軍の主力機で、世界史上最も大量生産された戦闘機としても知られています。ちなみにこの戦闘機が装備していた液冷エンジンは、前回の記事に出てきた彗星艦爆のエンジンと同系統のものです。ドイツではこのエンジンを大量生産していたわけで・・・。
 以下、写真はクリックすると拡大表示します。
f0030574_1858346.jpg
メッサーシュミットBf109 G-10/U-4

 これは大戦後期のドイツ空軍主力機であったBf109のG型の、さらにだいぶ後期のものです。G型はG-6が最多生産型として著名ですが、それを改良した(G-6の特徴であるエンジン上面のコブが無くなったのが外見上の識別点)のがG-10なんだとか。この機体も1944年に生産され、東部戦線に投入されていたのが最後米軍に降伏し、アメリカでテストされた後博物館に引き取られたそうです。配属されていた部隊は、第52戦闘航空団の第II飛行隊・・・って、これはかの史上最高撃墜スコア(352機)を持つエーリッヒ・ハルトマンが率いていた部隊ですね。といっても彼が第II飛行隊長だったのは1945年1月の半月だけだそうですが(その後第I飛行隊長に)、しかし時期的にはこの機体もハルトマンの下で戦ったことがあったのではないかと思われます。
 他のアングルからも色々と。
f0030574_20503365.jpg
右側から 車輪格納部を収めるため主翼上面が盛り上がっている

f0030574_2053618.jpg
機首下面から
各種の空気取り入れ口やBf109の特徴(弱点)であったハの字型の脚部に注目

f0030574_20561278.jpg
後部から全体像

 他の機体も紹介しましょう。
f0030574_20582132.jpg
グラマンG32A(F3F-2の複座仕様)

 これはアメリカ海軍最後の複葉艦上戦闘機F3Fの一種、のようです。星型空冷エンジンを樽の如き胴体にくっつけた形がなんともユーモラスで、1930年代半ばの風情を漂わせています。第1次大戦的な複葉布張りor木製固定脚吹き曝し操縦席と、第2次大戦的な(さっきのBf109に代表されるような)単葉金属製引込脚風防付操縦席との、ちょうどあいのこの姿をしています。
f0030574_2173577.jpg
グラマンJ2F-6 ダック

 これまたグラマンで複葉で引込脚で、やはり1930年代に開発された水陸両用機です。もっともF3Fが第2次大戦には参戦しなかったのに対し、対潜哨戒なんかがお仕事の本機は第2次大戦で働いています。ダックという愛称は、水鳥だから当然といえば当然ですが、着水用の大きなフロートがアヒルの水かきみたい、という気も見ているとします。

 ちなみに館内には、飛行機以外に車輌類もいろいろとありましたが、一つだけここにご紹介。
f0030574_232648.jpg
装甲車

 さて、展示物は建物の中だけではなく、屋外にもありました。前回紹介した航空写真にも写っていますが、建物の西側に古いジェット機が何機か置かれています(確か小生たちが見に行った時はもっとあったような)。幾つかご紹介しましょう。
f0030574_0385353.jpg
MiG-15 右手に一部見えるのはF-84B(多分)

 皆様お馴染みのミグですね。機体後部のエアブレーキが少し開いています。機首の機銃などはすっかり錆び付いていました。もう一機、赤い星をつけた単発ジェット機がありましたが、詳細不明。
f0030574_0543936.jpg
デ・ハビラント・ヴァンパイア

 イギリス軍(辛うじて蛇の目のマークが・・・)の初期のジェット戦闘機ですね。単発双胴という特徴ある機体です。

 そしてその隣には、なんと日の丸のついた飛行機が。
f0030574_142023.jpg
ロッキードT-33シューティングスター練習機

 米軍最初の実用ジェット機であったP-80(のちF-80)の練習機仕様で、空自でも長く使っていた飛行機でしたが、まさかこんなところで空自の飛行機に出会うとは(わざわざ他のT-33を空自カラーに塗るということはちょっと考えにくいので)。

 この他にも数多くの飛行機やパーツ、各種展示や自動車などがあり、またお土産物コーナー(それほど大した規模ではない)などもあって、小生は大変楽しく時間を過ごせました。もっとも同行いただいたH氏とK氏にはどこまで楽しんでいただけたかは未知数ですが・・・。小生は何時間居ても構わないのですが(笑)、やはり行程上あまり長居をするわけには行かず、H氏の体調もかんばしくないので、適当なところで切って先を急ぐこととしました。
 ただ出発前に、併設されている自動車の資料館?(T-33の後ろに見えている建物)を駈足で見てきました。ここには古いオートバイや自動車が展示されていましたが、小生が面白いと思ったのは、有名なT型フォードのシャーシを利用して作られたトラックやタクシーのような車輌が幾つかあったことでした。ちょっとだけ紹介。
f0030574_14133849.jpg
T型フォードベースのタクシー(Depot Hack)
後ろは同じくT型フォードベースの配送トラック(Delivery Truck)

 そういえばアメリカの電車にとって最初の自動車による攻勢は、1914年に登場したT型フォードによる「ジットニー」と呼ばれるバスのような乗り物(フィリピンのジープニーみたいなもんでしょうか?)だったそうで、T型フォードの衝撃はかなり広いものだったんだなと思った次第でした。

 とまれ、充実した見学を終えて、今日の宿のラスヴェガスを目指します。プレーンズ・オブフェイム立ち寄りに賛同してくださったH氏とK氏に多謝。
 以下、フーヴァーダム篇に続く。
[PR]

by bokukoui | 2007-06-15 23:45 | 出来事