タグ:旅行記 ( 44 ) タグの人気記事

富岡製糸場見学記(3)

 昨日に引き続き製糸場内の見学についてです。今日は糸繰りを行っていた建物を中心に。

 2号館・3号館を見学した後、繭の倉庫と直角に立つ、糸繰りを行っていた建物の内部を見学させていただきます。
 まず、2号館の2階から繭倉庫と繰糸場とを同時に収めた写真がこちら。右手が倉庫、中央が繰糸場です。屋根が2段になっていますね。
f0030574_23243117.jpg
 この繰糸場も木骨煉瓦造りですが、中はこのようになっています。
f0030574_2355686.jpg
 立派な木材で組まれた屋根の小屋組みが見事です。
 この建物では繰糸が行われていました。もうちょっと厳密に言えば、富岡製糸場建設当時は、この建物で繭を煮てそこから糸を取り出すまで、工女さんが一貫して行っていました。その場面の絵なり写真なりは、皆さんも教科書などでご覧になったことがあるのではないでしょうか。その後製糸機械の進歩により、繭を煮る工程は別の建物で行い、煮た繭をロープウェイかモノレールみたいな機械でこの建物まで運んできて、糸を繰る工程のみするようになっていたそうです。上の写真の下の方に写っている黄色いバケットが、繭を運んでくる装置です。
 とまれ、この工場では長らく繭を煮ており、その後も煮た繭を扱っていたわけですから、建物の中は蒸気が立ち上り、相当に湿気っぽかったでしょう。にもかかわらず、木材で組んだ梁がびくともしていないのは立派なもので、この秘訣は丹念なペンキ塗りを行っていたことにあるようです。
 窓が大きく明るい建物ですが、これはもちろん電灯のない昔の建物だったからで、窓は直されている箇所も多いですが、昔を偲ばせます。最初は窓のガラスもフランスから持ち込んだものだそうで、一部現存しているようです。昔のガラスは平面性が悪いので、窓の向こうが少しゆがんで見えるのも、今となっては味わいのように感じられます。
 窓越しに一枚写真を撮ってみましたが、ガラスのゆがみがお分かりいただけるでしょうか。
f0030574_012242.jpg
 さて、これら煉瓦造りの建物は、模範工場として1872(明治5)年に創業した時に建てられたものですが、その後官営富岡製糸場は三井に払い下げられ、さらに原合名会社の手に移り、最後は片倉製糸(現片倉工業)の所有となります。こうして所有者が変わったのち、生産拡大のために工場を増設しています。そちらの中の写真を以下に示します。 
f0030574_0181236.jpg
 こちらは窓がふさがれたりして暗く、フラッシュを焚いて撮りましたがやや見難いのはご勘弁を。
 官営模範工場と比べると屋根も低く、万事安上がりになっている感じがしますね。しかし、昔の日本の工場としては、こちらの方がより「典型的」なものであったとは言えそうです。これら後から建てられた建物の外見を以下に示します。
f0030574_0232530.jpg
 さて、創業当時の煉瓦造りの建物は、これまで紹介したものの他にもあり、工場の南側に開業当初のお雇い外国人技術者が住んでいて、その名にちなんで「ブリューナ館」と呼ばれる建物が残されています。最後にこの工場を管理していた片倉製糸紡績会社は、この工場内に女工さん向けの教育施設である片倉富岡高等学園を設けましたが、ブリューナ館は改造されてその学校の建物として使われていたそうです。学校に転用するに当たって煉瓦の壁を何箇所か取り払って扉に付け替えたようで、昨日の記事に書いた、煉瓦の壁を食い込ませていた柱の溝を板でふさいだ箇所というのはこの建物に多く見られます。この話を聞いて、見学者一同は柱をぽこぽこ叩き「あ、ここは壁を撤去したんだ」などと喜んでおりました。
 なお、この学校の研究生が作ったという、当時の制服が展示されていたので早速写真に収めましたが、残念ながらガラスケースが映りこむという失敗をやってしまいました。何とか見えなくはないので、腕のなさを晒すことではありますが、以下にその写真を示します。
f0030574_1392650.jpg
f0030574_1393338.jpg
 特に二枚目が酷い写りで申し訳ありません。スカートはボックスプリーツみたいに見えますが・・・
 小生がこの写真を撮っていると、この一行の引率役である指導教官のS先生がニヤニヤしながら「やっぱ制服は撮るんだね」などと発言します。小生の制服趣味がゼミ中に知れ渡っているためですが、そも発覚のきっかけはS先生のゼミ中の発言にあったわけで・・・まあ、その話はいつか機会があれば。
 この次は、ブリューナ館の地下室を見学したのですが、もういい加減長いのでこれ以降の話は明日にします。次回で完結予定。
[PR]

by bokukoui | 2006-06-29 23:24 | 歴史雑談

富岡製糸場見学記(2)

 昨日の続きです。いよいよ製糸場本体の話に入ります。

 製糸場の正門から入ると、真正面に大きな煉瓦造りの建物があって、左右に長く伸びています。これと同じような規模の建物がコの字型に三つ並んでおり、これがもっとも目立つ産業遺産となっています。このうち門からすぐ見える建物と、それと敷地を挟んで向かい合っているのがかつての繭倉庫で、倉庫と直角方向にあるのが糸を繰る作業場です。これらの建物はみな木材を柱に、煉瓦で壁を作っています。倉庫には扉がつけられ、作業場には採光のため大きく窓が開けられています。倉庫の写真を以下に示します(手前の木造の建物は後年作られた変電所)。
f0030574_049673.jpg
 元々フランスの技術に学んだだけあって、この壁の煉瓦の積み方はフランス積みです(正確にはフランドル積み。詳細はこちらの記事をご参照下さい)。看板や幟旗までその意匠が徹底しているのは結構なことですね。
 以下に壁の拡大写真を示します。
f0030574_0515135.jpg
 明治初期に建てられた富岡の煉瓦建築物は、基本的に皆木骨煉瓦のようです。倉庫の写真に写っている木の柱や梁はどれも一尺角クラスの立派な木材で、特に柱は屋根まで一本の木で造られているのが目を惹きます。
 この建物を見学に来た法隆寺(だったか、とにかく有名な古刹)の管長は、建築以来百年経っているのに木が曲がっていない、これはよく乾燥した木を使ったのですね、と感想を述べたそうです。ところが史料を調べると、どうも切り出してそんなに時間も経たずに建設工事に使ったようなのです。木は十分に乾燥させてから使わないと後で曲がってくると言われていますが、では何故富岡の木は曲がっていなかったのでしょうか。それは、柱にコの字型の断面の溝を彫って、そこに煉瓦の壁を食い込ませているため、煉瓦の壁の重みで木の曲がりを抑えているのだそうです。実に行き届いた作事ですね。
 なお、後に建物の用途が変わって、煉瓦の壁を一部撤去した場合は、溝が残るとかえって不便だったり邪魔だったりするのか、上から板をあてて溝をふさいでいます。そういった箇所は、叩くとポコポコ音がするので分かります。

 さて、倉庫そのものには現在立ち入れないようで、まず見学させていただいたのは倉庫の脇に立つ二棟の煉瓦の建物(2号館と3号館という由)です。これは技術指導に来たフランス人一行の宿泊のため当初立てられ、後には食堂などに転用されたそうで、いろいろ手が加えられていますが、木骨煉瓦の原形の雰囲気もよくとどめています。
 正門脇に立つ3号館はこちら。
f0030574_2122736.jpg
 中には、後にいろいろと手を加えられたようではありますが、シャワーつきの浴室なども残されていて興味深いところです。一方で全く改造されて和室になっている一角があったり、一度煉瓦の壁を壊して作り直したのか、煉瓦の積み方が異なっている(タイルのような長手積み)箇所があったり、長年にわたって使い込まれていた建物だったということを感じさせます。浴室はこんな様子です。
f0030574_217433.jpg


 2号館の2階の廊下はこんな感じでした(写真がピンボケで済みません)。
f0030574_219791.jpg

 ついで作業場の建物の方を見学したのですが、長くなるのでまた続きは明日
[PR]

by bokukoui | 2006-06-28 23:49 | 歴史雑談

富岡製糸場見学記(1)の2

 (1)の続きです。看板に偽りあって、まだ製糸場に着いておりませんが、もうちょっと富岡の町歩きにお付き合いください。

 既述のように富岡市には古い建物が結構ありますので、折角だからといろいろ見て回りました。一端をご紹介します。
 まずは市役所の真ん前、線路沿い駅のそばにある倉庫。
f0030574_21362529.jpg
 正面の倉庫は煉瓦造りで、左手には石造のこれも立派な倉庫があります。駅のそばなので、昔は鉄道で積み出す富岡の産物を保管していたのかもしれませんね。ここの煉瓦の積み方は、一般的なイギリス積みでした。

 ついで、工女のお墓がある寺の門の向かい辺りにある金物屋。一応今でも現役らしくあるのがなかなかすごいところです。
f0030574_21364874.jpg

 そんなふうに街を歩き回っているうちに、本日の見学会一行の引率者であるS先生と遭遇(見学会は現地集合・現地解散)。お互い昨日11時前まで呑んでいたものの無事に現地に到着できて何よりです。

 富岡製糸場の正門からまっすぐ伸びる通りの附近にも、古い建築物がいくつか見出されます。
f0030574_22563427.jpg


 例えばこの医院など。昭和20年代ごろのものだそうですが、中々の風格です。
f0030574_2305536.jpg


 興味深いという点では、この時計店の一角なども味わいがあります。
f0030574_2342545.jpg
 なにより屋根の上から突き出している塔が面白いですが、これは消防用の火の見櫓だったのではないかというのがS先生の見立てでした。角の建物とあわせ一角を補修しつつ保存できたら望ましいのですが。

 だいぶ崩壊しかかっているという点では、製糸場から程近いこの建物なんかはかなり危険そうでした。
f0030574_237589.jpg
 屋根が垂れ下がっていますが、写真ではあまりその様子が分かりません。歴史的云々以前に、やはり全体として街が沈滞気味であることは(富岡も例に漏れず線路の向こうにバイパスが通っています)否めない事実であろうかと思います。それだけに、富岡製糸場による町おこしにも期待がかかっているのかもしれません。

 これも随分長くなったので、肝心の製糸場本体についての解説は次回以降ということでご勘弁を。やっと次回から本題です。
[PR]

by bokukoui | 2006-06-27 23:09 | 歴史雑談

富岡製糸場見学記(1)

 先日書いたように、富岡製糸場の見学に行ってきました。久方ぶりに電車に乗って、多少なりとも遠方に(東京山手線内~高崎はぎりぎりで学割が効くくらいの遠さ)。

 上信電鉄は随分前に乗って以来。その時は確か西武の中古車に乗ったような記憶がありましたが、今日出会った電車はなにやら独自車輌(250形らしい)でした。なんとなくディーゼルカーっぽい印象を受けましたが、今は亡き新潟鐵工所の産であればそれもまた納得。
 それはともかく、上信電鉄の高崎駅で早くも「富岡製糸場を世界遺産に」の看板が出迎えてくれました。
f0030574_232472.jpg
 それなりに運動をしているようですが、効果の方はどうでしょう。看板の煉瓦のパターンがちゃんとフランス積みになっているのは結構なことであります。

 電車に揺られて富岡へ。40分近くかかり、結構距離があります。駅前の公衆トイレが上信電鉄名物の小型電気機関車デキ1型(ドイツのジーメンス社製)を模した形になっているのが面白いところです。屋上のパンタグラフは廃車派生品でも載っけたのでしょうか。
f0030574_23202028.jpg
 富岡といえば「官営富岡製糸所と、馬鹿げた防災無線で全国的に有名」と成年漫画編集者の塩山芳明氏が述べておられますが(我がヰタ・セクスアリスは『キャンディクラブ』だったっけか・・・十年以上前の話。ついでにその頃から三峰徹氏は投稿に精を出しておられた)、「馬鹿げた防災無線」の方は塩山氏のサイトをご参照いただくとして(DONKEY氏のイラストには感慨しばし)、富岡には他にも一応名物と言えるものはあり、明治~戦前の古い建物が幾つも残っているのです。そこで小生は少し早めに着いて、製糸場見学までにしばし町並みを見て回ろうと思ったのでした。
 但しその前に腹ごしらえを。駅から南下して国道に出たところにある「飯島屋」という食堂でラーメンを食べました。全く余談ですが、線路のそばに「東苑」という味噌ラーメン屋があり、ここが結構有名らしいのですが、日曜定休のため行けず。群馬で味噌というのも変なようですが、実は群馬のラーメンの主力は味噌だそうです。更にどうでもいい話ですが、インスタントラーメンの定番「サッポロ一番」(味噌ラーメンを全国に広めた)を作っているサンヨー食品はもともと群馬は前橋で創業した会社で、今でも本社工場は前橋にあるとか。
 そうそう、飯島屋のラーメンですが、ごく普通の醤油ラーメンでした。特に凄いインパクトのある味というわけではありませんが、元来醤油ラーメンがそんなに好きではない小生でも素直に食べられた、万人向きの安心な味だと思います。あと安いのもよし。写真を撮るのを忘れたので、行った人の写真つきブログをご紹介。
 このお店で注文取りや配膳をしてくれたお婆さんは、随分腰が曲がっていて、その点が心配です。末永くご健康で。
f0030574_23431973.jpg

 国道を下仁田方向へ暫く進むと、右手に竜光寺という寺があります。ここに富岡製糸場の工女の墓があるというので参詣。寺は幼稚園を併設していて、本堂は随分と綺麗な感じでした。その裏手の墓地に工女の墓があり、解説の看板や位置を示す標柱も立っていますが、肝心の工女の墓石はささやかなもので(三井時代の合葬したのを除く)、苔むして名前も没年も判読しがたくなっています。世界遺産をめざすなら、墓石も綺麗にしてはどうかと思わないでもありません(名前くらいは読めるように・・・)。
 そんな思いを抱きつつ墓地に佇んでいると、曇天を貫いてでかいチャイムの音声が鳴り響きました。正午です。日曜日に学校がやっているわけはありませんから、これが塩山氏が怒りを表して止まぬ、製糸場と並ぶ富岡名物・防災無線なのでしょう。チャイムならまだしも、この音量で朝の7時半から「節水のお願い」やら、夜の九時半に「防火のお願い」やらをやられたら、そりゃうるさいだろうな、と思ったのでした。世界遺産に富岡製糸場が指定されたら、この防災無線で市じゅうに伝達するのかもしれません。

 世界遺産といえば、この寺の境内にもあり、その後町の数箇所でも見かけましたが、こんなのぼりを立てて世界遺産指定運動をしています。
f0030574_23493152.jpg
 こののぼりもちゃんと煉瓦のパターンがフランス積みになっているところが感心させられますが、運動の方は順調に進展しているのでしょうか。

 長くなりそうなので明日に続きます。
[PR]

by bokukoui | 2006-06-26 23:55 | 歴史雑談