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「マンガ論争勃発番外編-表現の自由と覚悟を問う」レポ(2)

 (1)に引き続き、「マンガ論争勃発番外編-表現の自由と覚悟を問う」のレポをお届けします。

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by bokukoui | 2008-05-01 23:56 | 漫画 | Trackback(1) | Comments(0)

「マンガ論争勃発番外編-表現の自由と覚悟を問う」レポ(1)

 連休中も所用で忙しそうなのですが、しかし一つ課題が終わったことは終わったので、今日は出かけたついでにこんなイベントに行ってきました。

 昼間たかしプロデュース
  ○出席者
  松浦大悟(参議院議員)
  荻上チキ(評論家)
  兼光ダニエル真(翻訳家/NGO-AMI代表)
  永山薫(批評家)
  増田俊樹(映画監督)
  昼間たかし(ジャーナリスト)

 以前小生は、永山薫氏プロデュースの「エロマンガ・スタディーズVol.1」というイベントに行って楽しい一時を過ごし、またその後「同人誌と表現を考えるシンポジウム」も聞きに行ったりしまして、カマヤン先生の愛読者としましてはこの方面の問題に一定の関心もあります。ここしばらく、諸般の事情でこういったイベントには行けなかったのですが、幸いここしばらくは調子がまずまずなので、今回行ってきました。
 会場は座席が一通り埋まり、立ち見も若干いる状況でした。60~70人、あるいはもうちょっとだったでしょうか? 会場中央前くらいのほど良い位置を確保した小生、さて前のテーブル、とは舞台正面最前列の席なのですが、そこに座っている方にどうも見覚えが。
 それはなんと、先月の革命的非モテ同盟・古澤書記長主催のお花見でお会いした、『若者を見殺しにする国』「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」の著者・赤木智弘氏でした。ご挨拶申し上げます。先日ブログでこの花見から赤木氏について延々と書いた(これこれ)後だったので内心びくびくものでしたが、氏は拙文を読んではおられなかったようです。残念な、しかしホッとしたような気も皆無だったわけではないところが・・・。

 で、例の如く会場で採ったメモを元に、イベントで話された内容を以下に挙げていきます。但し、議論の展開に筆記が追いついておりませんので、内容総てを網羅している訳ではありませんし、またまとめの文責は小生、墨東公安委員会にあります。

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by bokukoui | 2008-05-01 23:55 | 漫画 | Trackback(1) | Comments(3)

一途な想い 君のココロを傷つけている~古澤氏の記事に関し雑感

 さる19日の「同人誌と表現を考えるシンポジウム」に関して、レポ感想を当ブログに書きましたところ、予想外に多くの方にお読みいただけたようでありがたいかぎりです。ところが、ITmedia News でこのイベントについて詳細な(恐らくは録音から起していると思われる)レポートが現在掲載進行中で、うーむ拙レポートの意義は薄れてしまったかなと正直思わずにはいられません(感想については何がしかのオリジナリティがあるかなとは思いますが)。もっともそれだけこのシンポジウムに注目が集まっているのだとすれば、それは大変結構なことであると思います。

 さて、その「同人誌と表現を考えるシンポジウム」の拙レポートについて、「革命的非モテ同盟」の古澤書記長が、革非同の活動外の個人的ブログ「furukatsuの日記」にてご紹介くださいましたことはまことに光栄の至りであります。しかし、拙記事をご紹介下さった古澤書記長のブログ記事「同人誌と表現を考えるシンポジウム」に関しましては、小生はいささかの懸念を覚えます。すなわち古澤書記長が該記事で述べておられる「闘争方針」は、事態の改善に役立つのかという疑問です。

 端的に言えば、「我々」と「敵」とに世界を二分し、「非妥協的」な闘争をすることが目的達成の手段として適切だとは思えません。この世界は、同人者と規制当局(とその手先)だけで構成されているのではありません。そしてまた、闘争することが目的ではありません。表現を守ることが目的です。古澤書記長が該記事にて「三つの柱によって達成される」と示された方針は、如何にして規制当局と闘争するかの方針であって、表現を如何に守り豊かにするのかという視点は見出せません。それは目的と手段を取り違えていると言わざるを得ませんし、かつての革新勢力がやがて退潮していった理由にも通じるかと思います。
 規制推進派と同人関係者の間に、こんな問題があることを知らない圧倒的多数の人々がいます。運動の方針の一つとしては、この圧倒的多数の人々の支持――とまでいかなくても、規制当局が押し付けたがっている像ではない認知を獲得することが出来れば良いでしょう。その際に、オタ文化の経済的な影響が大きいとか、コミケの大規模さに見るように相当多くの人に浸透しているのであるとか、そういったことは利用できるでしょう。かくてそれだけ社会の一角を占めている存在であるということをアッピールできれば、それを弾圧しようという側にとっては話が面倒になってくるわけで。「利害の調整」に応じるしかなくなってくるわけです。
 ひとくちにいえば、拡散と浸透が大事なのではないかと。団結の美名の下に、強力な指導者による思想統一を図ることは、そもそもの豊かな表現の場を守り育てるという根本の目的に反します。少数の中核による非妥協的な闘争よりも、多様さを武器にここにもいる、あんなのもいる、と同人と表現によるネットワークが社会のあちこちに展開するように、そしてそのことをより広く認知させる、それが目的に適うと思います。最悪どこかが叩かれても、ネットワークのどこかが残れば、また表現を育てていくことが出来るはずです。
 答えはそう「一つ」だけ、ではありません。

 具体策としては、古澤書記長のお示しになられた道と結局類似してくるとは思います。政治的なロビイング活動を行うとか(落選運動を行えるかは正直疑問ですが)、経済的意義をアッピールするとか。
 その二つは良いんですが、古澤書記長の第三に軍事というのは、まあ冗談で仰っているのだと思いますが、何がやりたいんだかさっぱり分かりません。あまつさえ、なのはさんの例を紐解けば分かるようにというのは、冗談にしてもまったくもってケシカラン話であると思います。余人であればいざ知らず、いやしくも「革命的非モテ同盟」書記長にして、とは恋愛資本主義の粉砕の先頭に立つべきものがこは如何に。
 なんとなれば、『なのは』シリーズの原案者・都築真紀氏は、かつて自己の作品中で、恋愛資本主義にどっぷりはまった世界観を臆面もなく展開していたのです。

f0030574_254660.jpg ここで小生が押入れから引っ張り出してまいりました資料は晋遊社の『ポプリクラブ』1997年7月号。ちょうど十年前ですね(多分6月発売)。我ながら物持ちがいいなあ。なお小生の年齢についてのお問い合わせにはお答え致しかねます。
 で、この雑誌には、都築真紀氏の単行本未収録作品「幸せのリズム」が掲載されております。これが問題の作品であります(ついでに言えば、小生が読んだことのある唯一の都築作品)。
 全く本題と関係ありませんが、小生がこの雑誌で「エロマンガ」としてもっとも「印象に残った」のは嶋尾和氏の作品でした。この表紙に名前の上がっている作家で単行本持ってるのは嶋尾和氏のだけですね。比較的最近、嶋尾氏の某単行本を買って巻末のあとがき漫画を読むまで、男だとばっかり思ってました。絵や話から何となくそんな印象を受けていたのでして。

 それはともかく、本題の「幸せのリズム」です。
f0030574_3153583.jpg
 お話は至極シンプル。美雪先輩と八重樫君のらぶらぶ話です。特に八重樫君のコンタクトを美雪先輩が入れてあげるシーンはなかなか。
 そんな二人ですが、美雪先輩は最近八重樫君に対して「バイトバイトってちっとも遊びに連れてってくれないし!」「ムードもなんもなしにHばっかしたがるしさっ!!!」と些かご不満。それで二人の間にひと悶着(&ひと交接)あって、もちろん最後は丸く収まるんですが、そのときのシーンが↓これ。
f0030574_3361813.jpg
 で、指輪贈られた美雪先輩曰く、「やっぱり愛されてるって確認しちゃったわよ!!!」

 へーそうですか。愛はプレゼントで確認するもんなんですか? これを恋愛資本主義と呼ばずしてなんと呼ぶ!?
 ついでに最後のページのオチでは、美雪先輩がさらにえげつない恋愛資本主義的発言(笑)を発してくれます。(漫画としては面白いけど) 

 かかる漫画を公表して憚らぬ都築真紀の作品を、こともあろうに闘争の指針に持ち込もうとするとは、非モテの星たる古澤書記長でありながら、反革命的限界を露呈してしまっていると言わざるを得ません。強く自己批判を求めるものです。
 やはりここは『なのは』ではなく『Saint October』を視聴し、力による正義の裁きを下すことの危険さを悟った少女が、赦しということを身につける経緯をじっくと学ぶべきでありましょう(11話~13話あたり)。

 要するに今日の教訓は、古いものを取っておくと何かネタになるかもしれない、ということです。そして過去の蓄積なくして未来の生産なし。資本だって表現だって。
 ところで色々検索してみると、都築氏の単行本未収録作品を掲載している雑誌は、オークションにて結構な値段で取引されているようです。なんだか2万円という話も出てきたし。
 ・・・この『ポプリクラブ』を誰かが1万6800円以上で買ってくれれば、『MANOR HOUSE』が買える喃(苦笑)

 えー、例によって話が滅茶苦茶になってきたのでまとめます。

・表現の自由を守るには、非妥協的闘争よりも拡散と浸透を。
・古い遺産をきちんと継承していくことで、表現の豊かさも発展していく。
・でも『ポプリクラブ』については価格次第で・・・(?)

 以下余談。
 『ポプリクラブ』1997年7月号はリニューアル第1号なので読者投稿コーナーがありません。とは即ち、三峯徹画伯のイラストが拝めないということです。しかし翌8月号の新装開店読者投稿コーナーにはしっかりと・・・

 もいっこ。
 この絵はなんだか変な気がします。
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by bokukoui | 2007-05-31 23:59 | 漫画 | Trackback | Comments(6)

「同人誌と表現を考えるシンポジウム」見学記 感想篇

 「同人誌と表現を考えるシンポジウム」について、レポの第1部第2部の続きというか、話を聞いての個人的感想です。細かい、どうでもいいようなツッコミはレポート中に差し挟んだりもしましたが、多少なりとも纏まったものを。
f0030574_2352763.jpg
「同人誌と表現を考えるシンポジウム」会場前にて撮影
馳せ参じた「革命的非モテ同盟」の古澤書記長のお姿も

 まず最初の率直な感想としては、パネラーが多すぎて話が薄まってしまったというか、話をもっと聞きたいのに充分時間がなかったという感があります。そもそも3時間のシンポジウムで、司会含めて13人ものパネラーがおられたわけで、やはり人数が多すぎたのだと思わざるを得ません。あまり適切な比較ではないかもしれませんが、ロフトプラスワンのイベントは3人(もっともしばた氏と永山氏が語りまくったため、伊藤氏が割を食ってましたが)で2時間半でしたので、あの充実度と比べると薄いなあと思ってしまうのは仕方のないところです。
 ただ、シンポジウムの中で、「一般へのアピール」ということを強調していましたし、またマスコミ関係者も来ていたということからすれば、同人に関係する関係者や識者が一通り集まって、意見の集約を図りそれを一般に公開するということは、いわば戦略的な意味としては少なからずあったということで、それはそれで合目的的だったのかもしれません。
 もっともそうすると、本文中でもちょっと書きましたが、「やおい」に詳しい人、いわば「腐女子」代表とでもいうべき人がいなかったのは些か残念です。同人(と性表現)に関しては、やおいの地位は相当に大きいはずですが、パネラーが一人を除いて男ばかりで、さらにレポ中には書きませんでしたが、パネラーが「やおいは分からない」ともらす一幕もあり、やはりこれは望ましくなかったと思います。

 シンポ中、「修正」の話が相当の時間をかけて議論されましたが、コミケ基準の性器への修正などの話を聞いていたとき、小生の脳裏をよぎっていたのは、18世紀英国で書かれた近代小説史上初のエロ小説『ファニー・ヒル』の訳本の巻末解説でした。今部屋がカオスなので本の本を引っ張り出すことが出来ないので記憶に頼って書きますが、この本を書いたことで投獄された著者のジョン・クレランドは、一緒に捕まった印刷業者の釈放を訴えてこう述べたそうです。
「印刷業者に罪はありません。彼らは原稿を見て、卑猥な四文字語がなかったのでそのまま印刷しただけなのです」
 で、クレランドは『ファニー・ヒル』を書くにあたって、性器を直接表記することを避けて、思いつく限りの比喩表現を使い、訳本の解説者(英文学者の海保真夫教授)曰くはそれは五十種類にも及んだそうで、ここまでやるとかえってコミカルな感すらするけれど、それはやはり摘発対策だっただろう、というようなことだったかと思います。
 いやまあ、何が言いたいのかというと、「修正」というのは今も昔も形式的でどこか滑稽な感じもするなあ、という外野の勝手な印象です。

 もちろん、運動方針としては、同人誌業界が「自主規制」にきちんと取組んできたということをより広くアピールすることは重要であろうと思います。それが正攻法でしょう。
 その方針はそれとして、ただ、ではシンポジウムで明らかになった「修正」の基準というのはどうかといえば、市川氏が世の中の「流れ」ということを口にされたことに象徴されるかと思いますが、それは相当に曖昧なもののようです。なので、規制派にそこを突かれる危険性がないとはいえないし、また果たして自主規制がどれほど効果があるのかと、言い換えれば自主規制しているという言い訳をするためにやっているのではないかという、そのような実も蓋もない言い方も出来てしまいます。
 もちろん最後に坂田氏が指摘されたように、このような基準はあまりに明確で動かしがたいようなものにするよりも、曖昧であった方がむしろ便利であることは、間違いないだろうと思いますが。表現の場に法が介入することによって縛りを固めることによって、伊藤氏の言葉を借りれば「表現が痩せる」という事態は、まったく容認できるものではありません。

 今回のシンポジウム中でもっとも小生の印象に残った言葉は、伊藤剛氏の「利害の調整」という言葉でした。規制問題を倫理や道徳の問題ではなく、あくまでも利害の調整と捉える合理性を重視した視点は、泥沼の倫理論争にならずに成果を挙げることができるのではないか、そう思ったのです。
 更に、それに国策としてのコンテンツ産業振興を絡めることで、経済的合理性の観点も持ち込めば、規制推進派に対する同人側の説得をより合理的なものにすることが出来るのではないか、そのようにも思います。正直、コンテンツ産業の振興という方針に何がしかの違和感を感じないでもないのですが、話としてはもっとも筋が通しやすく説得の可能性も大きいのではないでしょうか。つまり、この問題にあまり深い関心やこだわりを持っていない(規制反対推進問わず)ような人々に対しても、充分説得的足りえるからです。
 このように、合理性を根拠に、同人というものの存在を世間に認めさせ受容させるという方法が、今後の宣伝活動の方向として良いのではないか、それが小生の思ったことです。元々の伊藤氏の発言の意図とだいぶ離れてしまったかもしれませんが・・・。

 ただ、「合理性」の旗印を掲げて利害調整の手法のみで解決できるのか、それについては、このように書いておきながら些かの不安もまた小生は同時に持っています。
 そもそも今回の研究会の報告書に出てきたような表現規制に関する動き自体が、例えばシンポ会場でも指摘されていた児ポ法の年齢基準のように、およそ合理性とはほど遠い状況がまま生じているということです。合理性(特に経済的合理性)が規制推進派に対する説得の根拠にならない、或いは「合理性」を図る基準がハナからずれている可能性もあります。
 一方、これはかなり勝手な物言いで申し訳ありませんが、そもそも同人誌のような、表現に強い意欲を持ってコミケのような場を形成するに至ったエネルギーの源泉自体が、そもそも合理性によって生まれたものではないのではないか、ということです。だとすれば合理的な利害の調整という手法が、同人の側からも受容されないかもしれない、なんてことをふと思ったのでした。

 というわけで、色々と文句をつける割には、この問題に関する何かしら明快な解決案を小生は示すことが出来ていないのですが、しかし恐らく何か決定的な解決法によって「最終的解決」を図るというのではなく、好ましからざる事態を避けつつ常に変化し続けるという、いわば「永久革命論」的な方向ということになるのであろう、と、会場の前で「革命的非モテ同盟」の古澤書記長に出会ったのも何かの縁ですし、左翼チックな用語でひとまず結びとしたいと思います。同人も最後は個人の思いによって支えられており、その日々の実戦が積み重なっていくものだと自戒の念を込めて。

 蛇足ですが、このシンポを見に行ったりレポを長々と書いたりした直接のきっかけは、コミケで出店したり見て廻るのがメカミリ・評論・歴史・非電源系ゲーム・創作(少年)のメイド島限定(しかも資料本しか売らない/買わない)、と、同人の中心であるとされる漫画に碌に縁がなかった小生が、所謂18禁指定の同人誌を買わせていただいた数少ない書き手であるカマヤン氏、その氏がブログにてこのイベントに「当日私は所用で参加できませんので、参加された同志はレポートヨロですと書かれていたからであります。この記事が小生よりも深く創作や同人に関心を持たれる方のお役に立てば幸いです。
 以上、絵も小説も書けない鉄道趣味者がご報告申し上げました。
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by bokukoui | 2007-05-20 23:59 | 漫画 | Trackback(1) | Comments(2)

「同人誌と表現を考えるシンポジウム」見学記 つづき

 第1部の続きです。
 長いので一記事に入りきりませんでしたので、第2部以降は別記事として以下に述べます。

〇第2部 どうすべきなのか ~有識者討論~
 第2部のパネラーは以下の通り。(順不同・敬称略)
 坂田文彦 (ガタケット事務局・第2部司会)、斎藤環 (精神科医)、望月克也 (弁護士・松文館裁判弁護人)、伊藤剛 (マンガ評論家/武蔵野美術大学芸術文化学科講師)、藤本由香里 (編集者/評論家)、三崎尚人 (ライター/同人誌生活文化総合研究所主宰)、永山薫 (マンガ評論家)

 斎藤氏は本業の都合で少し遅刻。
 司会の坂田氏のネタ振りによって進む。

・坂田氏:コミケはその長い歴史にもかかわらず未だにアングラ視されているのか。
 第1部で説明されたように自主規制を同人界は行っているが、このことを一歩離れたところからどう見るか。
・永山氏:何重にもフィルターをかけ頑張っている、というのが率直な印象。それが外部に伝わっていないのが問題ではないか。成年コミックややおいも外部からはほとんど見えていない世界。
 同人誌関係者は、自分たちが文化を担っているということを意識して発信すべきではないか。コミケは決して野放しの場ではない、ということを伝える。徒に規制側に対し対決姿勢を強めることは意味がない。

・伊藤氏:印刷所などの細かい対応について、同人やっている知り合いからコミケの基準が厳しいという程度のことは聞いていたが、具体的に知ったのは今回が初めて。永山氏の意見に同じく、この場(マスコミ取材も来ている)で議論する意味は、一つは外部に自分たちの意味を発信すること。もう一つは内部に対して、同人に対し物陰でこっそりやっている的な意識や幻想を抱いていることがあるが、しかし我々もまた世間や社会の一部である。だから徒に規制したがる側を罵倒するのではなく、彼らもまた社会の一部として説得すべき相手である。
 今回のシンポの大枠は、規制当局の報告書の中に同人誌が登場したということ。これが前提。規制が行われる裏には、自分たちが見たくないものを社会から排除したいという意識があるのでは(これは規制に対する糾弾ではない)。
 第1部で示されたように、同人界には自主規制するだけのマナーや意識もある。となれば、規制をする側にもそれはあるだろう。この研究会も、結局は法規制には入らなかった。

・坂田氏:「児童」の定義について。児童ポルノ法は18歳以下、一般のイメージにそぐわないし、学校教育法では「児童」は6~12歳。このあたりについて専門家のご意見を。
・望月氏:初手から話は逸れるが、先程の永山氏の意見に賛成で、松文館事件に関係するまでは同人にアングラなイメージを持っていたが、実際関ってみると皆いろいろと考えており、細かく対応している。外部に分かってもらう活動は大事。
 法律に関して。一度は法律に目を通して欲しい。一度読んだだけでは分からないかもしれないが、そこから疑問を発展させることは大事。
 刑法175条にいう「わいせつ」の基準については、具体的にはチャタレイ事件の判例など。

・坂田氏:表現の自由に関して。
・藤本氏:その前にまず、事の起こりについて。91年の有害コミック問題から表現の問題を考えている。この時書店員が同人誌を売っていて逮捕されたのが、表現の自由について議論が盛り上がったきっかけであったが、それがどの程度浸透したかは未知数。現在ではむしろ後退している懸念もある。今回法規制まで行かなかったことにはホッとしているが、今後は分からない。同人誌はこれまで商業でないから何をやってもいいと見られていたが、書店流通の普及やネット頒布によって状況は変化している。
 表現の自由とは、公権力からの自由。しかしそれは何を表現してもいいということではなく、表現者の責任がある。
 第1部で、BLが女性が考えがちという指摘があったが、刑法175条は男女の性交に限ると明文化されているわけではなく、慣例でそうなっているだけ。また青少年保護条例には引っ掛かる。
 漫画や同人誌にネガティヴなイメージを持っている人が多い。こういう人に対し我々に出来ることは責任感を示すこと。何でも勝手にやっているのではない、という責任感を示すことでイメージを守り、長期的には表現の自由を守ることに繋がる。
・望月氏:175条について。チャタレイ事件の判例(いたずらに性欲を興奮等させ正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反するもの)が生きている。性交場面の量は決定ファクターになっているが、それだけが基準ではない。将来基準が変化してやおいも対象となる可能性はある。
・三崎氏:91年の件について補足。当時は有害コミック運動が盛んだった。しかし同人界は規模が今よりずっと小さかったので、性的描写に無頓着で無修正のものがあった。それが書店に委託されていた(書店も同人に無頓着だった)ために店員が逮捕され、作家や印刷所などの関係者が書類送検された。当時コミケは幕張メッセで開かれていたが、「善意の一市民」が千葉県警に無修正の同人誌を送りつけ、警察がメッセに事情を聞きに来る事態となり、コミケは幕張メッセを追われた。
 コミケットアピールはこれをきっかけとして作られた。会場を借りる上で必要な措置。即売会のかける規制は、なるべくサークルが表現をしやすくするため。

・坂田氏:当時に比しゾーニングは強化されているが、青少年への影響とはどのようなものなのか、精神医学的な知見を伺いたい。
・斎藤氏:精神医学の中でこの問題に関する知見の蓄積はない。メディア論の影響の研究も思想についてはあっても、性的なものはない。クラッパーの限定効果論を当てはめて考えている(注:限定効果論とは、メディアの影響は元々その要素がある者の引き金を引くだけの効果に限定されるというもの)。それによって、表現によって人格に影響がある、という説はほぼ否定されている。
 性的な表現のゾーニングはインターネットによって大きく変わったが、性犯罪の件数は減っている。松文館の高裁判決で裁判官は判決においてこのことを指摘したにもかかわらず、アクロバティックな論理を作り上げて有罪にした。しかしこれを見ても、青少年に対する影響は限られていると考えられる。
 「萌え」カルチャーについて自分の珍説を展開すれば、性的な問題はその世界の中で完結していることが多い。臨床で若者を見た経験ではむしろ、性的な欲望が「萌え」の空間のエコノミーの中で完結しており、現実に出てこなくなる。本田透のように二次元で充分と。(会場笑)これが「バーチャル~研究会」のナイーヴな所。ヴァーチャルなものは現実に直接の影響はないのではないか(元々持っているものを延長することはあり得る)。むしろ現実と乖離する方向では。ラカンの弟子のジジェクが言うには、性交は不純なマスターベーションであり、純度が低いという。
 規制に倫理や価値判断を持ち込むべきではないと考える。
・坂田氏:内的な世界を表現することは創作行為として認められるべきではないかと思う。

・永山氏:仮にヴァーチャルなものに規制をどんどんかけ続けていってしまうと、どうなるんですかね。
・斎藤氏:「健全な性犯罪」が増えるのではないかと思う。
・永山氏:だとすると、少子高齢化の対策にはその方がいいのかも。
※この辺のやり取りはロフトプラスワン的なノリ(笑)で、今日のシンポジウムの中では異色。こういったある種の余裕が大事なのかもしれないとも思う。
・望月氏:なぜ表現の自由が憲法で定められたかというと、一旦表現に制約がはじまるときりがなくなり、規制が強化されることで表現者を萎縮させ、強い表現を使えば表現を殺すことになる。規制が進むと、引っ掛かることを恐れて自主規制するように、表現者個人が萎縮してしまう。
・伊藤氏:永山氏と同じ問いは、自分も新聞記者に取材された時に受けたことがある。その時にどう答えたかというと、「表現が痩せる」。表現が痩せてしまうことは結局のところ誰の得にもならない。表現の制約ははじめるときりがなくなる。
 漫画のような表現については、直接の被害者がいない。なので(被害者がいるから規制すべきだ、という話ではなく)、利害の調整をすることが大事。
 良い/悪い文化と区別はつけられない。ゾーニングは広い意味としては利害の調整
 (良い/悪い文化の区別が出来ない以上は)同人の側にも悪ぶる者がいるのは問題。同人について「こんなのは知らない方がいい」なんて言ったりするような。この言葉は実際、コミケで CUT A DUSH!! の列に並んでいたら隣の人に言われた。(会場笑)いや、友人に頼まれて。
※悪ぶるのは良くない、と言いながら Cut A Dush に並んだ理由を友人に頼まれてと言い訳するところが微笑ましくも面白い。

・藤本氏:児ポ法の改訂について、対象に絵を入れることについて、今回の改訂ではあまりそのような動きはない。しかしこのような動きには強く反対すべきである。絵を入れるという改訂の噂で、『ベルセルク』が書店の店頭から引っ込められたことがあったように、文脈を判断しないこのような規制では、例えば悲惨さを訴えるために児童虐待を描写することもできない。

・三崎氏:これだけ多くの人が漫画の表現を行っている、コミケのような場は世界的にも他にない。そのために海外からも注目されている。(具体的な話はメモし損ねました)
 現在、国が日本の国際競争力強化の一環として、漫画のようなコンテンツ産業について検討しているが、同人のような裾野の広さがあってこそ高みもあり、競争力をもたらしているのだということを、経産省の中堅のような現場の人は理解しているようである。

・坂田氏:まとめに入りたい。児ポ法のような「大人」「児童」「子供」の定義について問題がある。猥褻の基準も春画のように時代によって変わるものである。漫画の創作は実際の児童虐待とは全く違うものであるということを認識すべきである。

 これにて第2部は終わり、以後質疑応答に移ります。

〇質疑応答
 第1部・第2部のパネラーが全員集合。
 質問の内容は、最初の入場時に資料と一緒に配られた質問用紙を第1部終了時に回収し、第2部の間に市川氏らが目を通したとのこと。全部で160通程度が寄せられ、全部にはとても答えられないので、大きく3つに分類して答えるとのことでした。

 質問1:現在の修正はこのままで良いのか、修正に地域差などはあるのか

・市川氏:91年以降自分はコミケの修正を見ているが、近年は薄くなっている。それは様々な要素が関った、世の中の流れというものがあるため。明確な基準はなく、商業誌などを参考にして、今までやってきたことを本にして決めている。
・望月氏:松文館事件の時は、40%網掛けとカラーは白抜きという修正をしていたが、範囲が少ないなどの理由によりアウトとなった。
・市川氏:その基準で行くと今の商業誌はすべてアウトになってしまう。
・鮎澤氏と川島氏、苦笑。規制については同人誌の方が厳しいと指摘。

・市川氏:即売会というのは後がない。商業誌は休刊して別雑誌にするなど方法がある(やりすぎると取次ぎに怒られるが)が、即売会は当日一発勝負。(注:この辺、複数の方が以上の趣旨を補足されていましたが詳細失念)コミケの修正に関して、故米澤氏は自分より厳しかったが、その理由はこの後がないということであった。修正としては、専門書店で売られているものとコンビニ売りのものとの中間ぐらいを狙わざるを得ない。
 修正の基準は社会の流れに従うので、事件が起きれば厳しくなる。例えば夏コミの前、8月前半ごろに、今回の会津若松のような事件があったりすれば。
 ただしこれはコミケ基準。個々の即売会は自分の基準で判断して欲しい。
・坂田氏:刑法175条の基準は時代によって変わるものなのか。
・望月氏:そうですね。・・・その一言だけで済ますのもなんなので付け加えれば、時代の変化というものをよく見ておく必要がある。

 質問2:ゾーニングに関して、もっと厳しくするべきではないのか、即売会ではどうするのか

・鮎澤氏:ゾーニングについては商業・同人区別なしに、条例に従って判断している。必要に応じて身分証の提示を求めたり、ポップなどで18禁であることを案内している。
・川島氏:基本的に虎の穴と同じ。18禁については商業のにはシュリンクをかけ、同人誌は袋に入れて立ち読みできなくしている。専門的な書店として、普通の店より厳しくしているつもりである。
※シンポジウムの帰途、豊島公会堂すぐそばの「とらのあな」池袋店へ確認に立ち寄ったが、同店はフロアを分けて18禁モノを置いているというゾーニングをしているものの、その中では試し読み用の見本を大量に置いていた。メロンブックスの発言は皮肉? 但しとらでも、氏賀Y太氏の作品については「上級者向けにつき試し読みお断り」と見本がなかった。これもゾーニングか。
・中村氏:コミティアでは、島別ではなく列沿いで分けている。ある列では両側に18禁が並ぶようにしているわけで、そこに入らなければ18禁は目に触れない。

 質問3:自主規制のアピールが足りないのではないか、どうするのか

三崎氏:このイベントの報告は、参加者の方もネット上にブログなどで上げてくれるであろうが(ここにも実例が一人)、夏コミのカタログで行う予定で調整中。
坂田氏:主催側でもサイトでアップするなどの対応を考えている。

 最後に、時間の都合上1名だけでしたが、会場に挙手による質問を求めました。筆問したのは毎日新聞の記者の方でした。他にもマスコミは来ていた模様です。

・質問:国や自治体の規制対象に同人誌が入ってきたことの危機感について、即売会の関係者の方からお伺いしたい。
・市川氏:91年の時から対策を考えている。手を緩めればまたそのようなことは起き得る。ただ、そういった自主規制をしていることのアピールは、足りなかったかもしれないと反省している。
・坂田氏:自主的な努力は行ってきたので、自分たちの努力を周知させることが大事だと改めて感じた。今回のことを改めて考える契機としたい。
 最後に、曖昧であることの良さ、ということを故米澤氏が指摘しており、日本文化の特徴は曖昧さにあるといえるが(※ちょっと単純すぎる見方のような気も・・・)、これが失われつつあるのではないかと懸念している。条例や児ポ法が出来ていくことで、曖昧であった(ために時代によって移り変わる可能性があった)刑法175条に、輪郭を与えてしまっているのではないか。

 以上でイベントは終了しました。
 で、例によって随分長くなってしまったので、細かい(どうでもいい)ツッコミは多少本文中に書きはしましたが、全般的な感想はまた稿を改めて。
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by bokukoui | 2007-05-19 23:58 | 漫画 | Trackback(1) | Comments(4)

「同人誌と表現を考えるシンポジウム」見学記

 今年3月末にロフトプラスワンのイベント「エロマンガ・スタディーズVol.1」に行った話を書きましたが、その際最後に告知された「同人誌と表現を考えるシンポジウム」に、当初予定していた所用が流れたりして時間が空いたもので行ってきました。
 このイベントの趣旨が如何なるものか、上掲リンク先より引用しておきます。
 昨年4月警察庁生活安全局の諮問機関として「バーチャル社会のもたらす弊害からこどもを守る研究会」が作られ、携帯電話のフィルタリング、ゲーム・まんがの「有害性」について、様々な議論が行われました。そして、昨年12月に公表された、本研究会の最終報告書においては、様々なメディアと共に同人誌及び同人誌即売会が取り上げられるということになりました。このような公的機関の報告書に「同人誌」が取り上げられるのは、極めて異例のことです。

 こうした状況の背景には、近年、書店販売やネット通販の普及により、これまで即売会会場まで足を運ばなければ目に触れることのなかった同人誌が一般社会に浸透しつつある事が挙げられます。それにより、これまで「同人誌」ということで許容されてきた表現が外部の目に触れることで、様々なトラブルを生じかねない事態も懸念されるようになっています。

 このような状況にどのように対応していくべきなのか、もう一度同人誌の現状を見直し、表現の有り方を問い直すとともに、同人誌での自由な表現を守っていくためには、どのような理論と実践を進めていくべきなのかを議論する場として、標記のシンポジウムを開催することといたしました。(以下略)
 この「ヴァーチャル~研究会」については、報告書が出た当時拙ブログに一文を物した覚えもあり、些かの興味関心を持った次第です。さらに、時折拙ブログにもコメントくださるLenazo氏が本シンポジウムにご参加されるつもりであるとお伝えくださったので、それも何かの縁であると思って出かけたのでした。

 で、13時過ぎに豊島公会堂に行ってみたところ、なんと革命的非モテ同盟の古澤書記長とばったり出くわしたのでした(ご無沙汰してて済みません)。何でも革非同は、「革命的萌え主義者同盟」「革命的オタク主義者同盟」と合同で、6月30日に「秋葉原解放デモ」を行う由。ビラを戴きましたが、まだ公式サイトはない模様。
 会場内に入ってみると、結構な賑わいです。1階席が満員になって2階席にも最後は来場者を誘導していたようですから、500人からの来場者があったものと思います。
 その会場の入口で、またも知人に偶然出会いました。大学の学部(教養前期課程)時代の同じクラスだった人です。「東京大学オタク物語」にて小生が「コミケ会場の机を挟んで再会した」と書いた方です、ええ。
 さらに話が先走りますが、終了後にこれまた偶然に出会ったのが、MaIDERiAのイベント参加時に小生がいつもお会いすることを楽しみにしているサークル・初芝電産の方でした。先日の帝国メイド倶楽部を欠席したのでその時にはお会いできなかったのですが、こんなところで出会おうとは。
 ところで、小生はLenazo氏にはお会いできませんでした。考えてみれば氏にお会いしたことがないので、探しようがないのでした(阿呆)

 話を本筋に戻します。
 豊島公会堂をほぼ埋め尽くす中で行われた「同人誌と表現を考えるシンポジウム」は2部構成で、第1部は来し方及び現状を、第2部は将来の方向について討議を行うということでした。
 以下に会場で取ったメモを元に、シンポジウムの内容を略述します。あくまで小生がメモに基づいてまとめたもので、会場での発言そのものではないということをご諒承下さい。文字の大きさが小さく、灰色で書いている箇所は聞いていた小生の勝手な感想です。

〇はじめに
 ガタケット事務局の坂田文彦氏が挨拶。
・警察庁の報告書を受けてこの進歩を企画したが、今まで自分たち即売会側では性表現について厳しく対応して来たつもりだが、世間一般へのアピールが足りなかったかもしれない。
・来場者がどのような人々か知りたい、と来場者に挙手を求める。その結果、サークル参加者が約5割、一般参加者が約3~4割(坂田氏は「2~3割くらいですね」と仰っていたような気がするが、小生が見た印象ではこのくらいだったと思う)、即売会関係者が約1割、その他印刷出版関係者などが約1割、という程度の構成比であった。
※小生は一応「サークル」に手を上げておいたが、なるほどコミケ以下各種イベントにサークル参加したとはいえ、やってきたことはメカミリ・歴史・評論・非電源系ゲーム・・・実は同人誌の漫画はあんまり(ほとんど)買わないし、自分は場違いな存在ではないかと少し悩んだ瞬間。
・続いて同人誌生活文化総合研究所の三崎尚人氏が「バーチャル社会のもたらす弊害からこどもを守る研究会」とその中心人物である警察庁の竹花豊氏について解説。要点を述べれば、もっぱら携帯電話コンテンツのゾーニングなどを中心に話が進んでいたのに、第7回の会合のしかも後半になって突如漫画の話になり、しかも出来上がった報告書では、会議における漫画の扱いと不相応に漫画についてのページが多い。
・竹花氏の会議での発言からは、氏が「よく分からん連中が何かやってる」的な印象を漫画や同人誌に抱いてることが伺われる。ただし研究会としては法的規制の提言までには踏み込まなかった。

〇第1部 今、どうなっているのか? ~現場からの発言~
 第1部のパネラーは以下の通り。(順不同・敬称略)
 中村公彦 (コミティア実行委員会、第1部司会)、武川優 (日本同人誌印刷業組合)、鮎澤慎二郎 ((株)虎の穴)、川島国喜 ((株)メロンブックス)、市川孝一 (コミックマーケット準備会/COMIC1準備会)、武田圭史 (赤ブーブー通信社)

 まずは各人から現状に関しコメント。

・武川氏
 同人誌印刷業組合には29社が加盟し、オフセット印刷の同人誌の80~85%程度はこの加盟印刷所が刷っている。オフセ本は印刷所の基準をクリアしなければ世に出ない。
 印刷所の性的な修正基準はコミケの基準を踏襲しており、このことhが浸透しており遵守されていると認識している。印刷所相互でもすりあわせを行っている。
 この基準を外れる原稿に対して、猥褻を理由に印刷を拒否することはなるべくせず、相談して修正するようにしている。基準を知らない印刷所に持ち込まれる事態を防ぐため。
 印刷所によって基準が違うこともあり、相互に融通することもある。

・鮎澤氏
 虎の穴では同人誌を扱いながら次第に基準を作ってきたが、曖昧なところも多い。
 まず作品を見て内容をチェックし、判断している。サークル、印刷所、即売会などと連繋するようにしている。同人誌の性描写の基準は書店単独で決めるものではない。
※あくまでも小生の印象ですが、鮎澤氏は明確に断言することを避けておられたような感があります。

・川島氏
 メロンでは一定の基準を定めており、性器描写に消し・ボカシがあれば良しとしている。ガイドラインを設けて18禁と一般とを区別。同人誌を扱う書店にはこのように既に対応されたものが並んでおり、大きなトラブルは記憶にない。

・市川氏
 コミケの性描写に関する基準はコミケットアピールで述べている通り。
 即売会は対面販売を基本にしており、それによって18歳以下への頒布は防ぎうる。
 この二点は会場であるビックサイトや警察にも伝達している。

・武田氏
 赤ブーブー通信社のイベントは女性向け同人誌が多いが、女性向けの世界では男性向けの性描写の問題を「対岸の火事」のように思っているところがある。男性向けでは同人誌の表紙に「18禁」を明記するところが多いが、女性向けではそのような意識が薄いというよりない。
 コミックシティでは表紙に「18禁」を入れようというアピールを昨年末頃からはじめている。具体的には3月のイベントから。いろいろ模索中。

・中村氏
 コミティアはアダルトの比率が少なく、男性向けが5%、女性向けが2、3%くらいで全体で1割以下。あまり性描写に関し神経質になることはなかった。
 ここ1、2年修正することがポツポツあるが、印刷所の修正が甘くなっているのか。新規の印刷所もあってこれまでのコンセンサスがずれてきているのか。

 以下司会者中村氏を中心に意見交換。

・中村氏:コミケの基準について説明を。
・市川氏:性器の露骨な描写が修正を要する。当日の見本誌をスタッフがチェックし、その中で問題になったものを自分が最終チェックしている。具体的には男性器のカリ、女性器のクリトリスは修正が入っていることが望ましく、その修正はベタなどで全く見えないようになっていることが望ましい。
 本全体を見て最終的な判断を下す。18禁をはっきりうたって本のゾーニングをしている場合、奥付がしっかりしている場合は甘めに判断している。商業誌でもコンビニ売りと専門書店向けとで基準が異なるようなものである。
※ゾーニングの基準は納得。しかし剥けてないショタのモノは修正が要らないのでしょうか!?

・中村氏:コミックシティでは3月から取り組みはじめて、参加者に変化は見られたか。
・武田氏:18禁を扱うサークルには、その旨を公示するためのカードを用意して配っているが、サークル自身で表示を用意する場合が多く、予想したよりもカードを配る枚数は少なかった。カードについてはデザイン面での苦情があったりして、一定程度の浸透はしているかと思う。

・中村氏:印刷は甘くなった印象があるか。
・武川氏:最近はカラーが増えたが、カラー原稿の修正はモザイク加工が多く、白や黒のベタに比し「修正」という意識は薄いかもしれない。そのあたりで基準は揺れている。
 組合に入っていない印刷所であっても、同人誌印刷でよく知られている印刷所とは交流もあり、修正の基準は分かっている筈。そのようなところも含めると、同人誌を扱う印刷所の97%くらいは入るだろう。データ入稿の普及でどこでも刷れるようになり、新規参入が増えたというが、新規参入したといっても全く聞いたことのない印刷所であることは少ない。

・中村氏:データ入稿によってチェックが行き届かなくなったり、カラー原稿が増えてモザイク修正というような甘さがあるのでは。
・武川氏:問題のあるものがそんなに沢山出てきているという認識はない。問題のありそうなものはコミケ準備会に送って見てもらっている。
・市川氏:時間があれば送られたものは見ているが、サークルは往々にして入稿がギリギリであるため(会場笑)、時間的に間に合わないことが多い。即売会のその場で指摘して修正してもらっている。印刷所と即売会と同人誌取扱書店の連繋は取れており、どこかで止めるようになっている。

・中村氏:書店では同人誌と商業作品と両方あるが、両者の基準は異なっている(二重基準)のかどうか。
・川島氏:商業と同人は別に扱っている。性描写の基準は同人誌の方が厳しいくらい。同人誌の基準は先程述べたとおりだが、メロンの基準はコミケより緩いかもしれない。ただし作品の文脈上、展開上の意味を踏まえて柔軟に判断している。『フランダースの犬』の最後で、舞い降りてくる天使の股間にボカシがあったら興ざめである(会場笑)。問題のあるものは世に出していない、サークルはどこでも相談してほしい。
 商業については入荷したものを売るだけ。
・鮎澤氏:すべてチェックし切れているわけではない。販売してから問題が分かることもある。
 サークルとの関係については、サークルをクリエイターとして尊重することが基本である。それでもどうしても調整がつかないときは販売をやめることもある。チェックを何重にもして漏れのないようにしているし、基準について広報運動も行っている。

・中村氏:同人誌の基準は他を見ながら横並びでやっていることが多いので、商業誌とは異なるかもしれない。商業誌の場合は確信犯的な場合もあったりする。
 修正に関しトラブルが起こったことはあるか。
・市川氏:「何で塗るんだ」というトラブルは、コミケ2回につき1回くらいある。最近は女性向けに修正が多くなりつつあり、前回のコミケでは遂に男性向けより多くなった。やおい・ジュネ系が過激化しているが、女性は男性器に修正を入れるという意識が薄い。
・武田氏:女性向けでは性描写の問題を、先程述べたように「対岸の火事」とみている。2~3年前のことだが、サークルで18禁と猥褻物との区別がついていないところが多かった。18禁は年齢を過ぎればいいが、猥褻物は何歳になっても同じことである。
・川島氏:女性向け専門の同人誌書店もやっているが、女性向けの同人誌は過激なものと、いわば「官能的」なものとに二分される傾向がある。
・市川氏:女性向け同人誌にはロマン(笑)なのと、ガチなエロのとがある。ガチなのは商業やおいの男性器には修正がないのを見て、同じ様に作ってしまう。コミケ基準と商業とは違う。最近は女性向けの方が修正で揉めることが多い。さらに、同人誌に奥付がないところも。
※やおいの話題はこの後も出て、同人に占めるウエイトを考えれば重要なテーマ。にもかかわらず今回のパネラーにはやおいのエキスパートといえる人がいなかったのではないかと思う。女性のパネラー自体一人しかいなかったし。

・中村氏:奥付のないことが近年多い。自分のような古い人間にとっては住所を書くのが当たり前だったが、最近は個人情報保護やストーカーの問題などで住所は書かなくなった。しかし、何らかの連絡手段を示して責任の所在を示す必要があるのでは。
・市川氏:サークル名、メールアドレス、発行年月日は最低入れて欲しい。印刷所では奥付についてサークルに指導したりはしないのか。
・武川氏:徹底していないかも。URLとかだけ入れればいいような。
 最近は奥付に印刷所を入れないことが多い。メアドやURLは英文字ばかりなので、漢字名の印刷所が入るとデザイン上不似合いという理由もあって。
・市川氏:印刷所の名前を英語に変えては(笑)
・中村氏:印刷所としては自分の仕事なので入れて欲しいところだろう。

・中村氏:コミケ誕生以来、同人誌に30年以上の歴史はあるが、参入や退出が多く、爆発的に拡大したこともあって、過去の経験が必ずしも伝わっていない。それがこのシンポ開催の理由の一つでもある。
 警察庁の研究会の報告が今回のシンポの直接のきっかけで、警察当局は自主規制などをさせたがるが、個人の活動が基本である同人の世界に、なるべく自主規制的なものは作りたくない。

 以上、およそ一時間で第1部は終了し、休憩を挟んで第2部へ。
 で、長すぎて一つの記事に入らないので、続きは別の記事に。

※追記:古澤書記長のTB記事に対する更なる返信記事はこちら
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by bokukoui | 2007-05-19 23:57 | 漫画 | Trackback(2) | Comments(0)