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オタクと公務員 カマヤン氏のご意見に関連して&書記長向け新デモ案

 咳が止まらないわ頭は痛いわそれでも締切は来るわと、小生がじたばたと日々を送っております間、世間ではいろいろなことが話題に上っていたようであります。

 さて、論文とお仕事を一区切りして昨日今日と見ていたネットの記事で、大変興味深いものがありましたので以下にそれについて一筆。
 それは、マンガ家にして運動家のご存じカマヤン先生のブログの、ちょっと遡りますが19日付の記事です。

 「我々に足りないものは・・・」

 この記事は、いわゆる「児童ポルノ法」の改訂が、本来の趣旨である児童の人権保護から、関係の乏しいマンガなど実写でないものの表現規制へ逸脱することへの反対運動について、カマヤン先生がそのご経験について振り返ったもので、全部で12項目の箇条書きからなっています。
 そのうち前半の7までは、運動の経験について語られていますが、8以降はそれらの経験に徴して「オタクを官僚として官庁に送り込むべき」という主張をされています。幾つかの項目を引用します。強調は原文の通り。
8;官庁に入省入庁できる能力のあるオタクも一定数いる。だがオタクは、とくに有能優秀なオタクは自滅願望がたいがい強く、入省入庁の能力を持っていてもわざわざ権威のないライターなどになりたがる傾向がある。だから我々はここから先、「運動」を継続発展させるために、入省入庁能力のあるオタクをそそのかし、省庁へオタクを送り込むべきである。省庁内にオタク同志が一定数増えなくてはここから先のマンガ規制反対活動・表現規制反対活動は展開が難しい。たとえば文化庁、経済産業省などに同志を送り込みたいところだ。

9;有能優秀なオタクは自滅願望が強く、自滅願望が強いがゆえにオタクである。よって、我々は有能優秀なオタクを、「省庁に入省入庁し、オタク業界全体のために犠牲になってほしい」と、彼のマゾヒズムを最大限に煽るべきである。たとえば東大生であるオタクは一定数実在する。有名大学の法学部のオタクは一定数存在する。彼らに入省入庁を「オタク界全体の捨石となってくれ」と薦めるべきである。「内部から変えると言って成功した例はない、単に自分ひとりの生活の安定と栄誉のためにオタクを裏切りやがったんだ」という陰口悪口を彼らは必ず言われる、だがオタク界全体のためにそこをどうにか耐えてほしい、と、彼らのマゾヒズムを煽るべきである。また実際に我々の敵並びやっかみ以外の何もできないバカ野郎がそう誹謗するだろうが、誹謗した時には我らのために身を挺して入省入庁した同志を程よく擁護するべきである。同志のナルシシズムを刺激するために。

10;官庁においてオタクの数は少ない。よって入省入庁が無事できれば、オタク関係の行政はそのオタク同志がほぼ一手に扱うことができる。このオタク同志はオタク同志としてのアイデンティティが強く、「官僚なんかよりもライターに本当はなりたかった」という自滅願望を抱えている限り、官僚的出世よりもオタク界全体のための行政に身を粉にして奮闘してくださるはずである。ついでに言うと、日本においては、日本以外でもそうなのだが、官僚が同時にライターをなしている例は多く、歴史に名を残している文筆家の多くは官僚を兼業している。官僚であることはライターであることにプラスこそあれ、実は何の妨げにもならない。また文筆家として大成したいことがその願望の最たるところである場合、いつでも官僚を辞職し、文筆一本で立つこともできる。あからさまに言われることはほとんどないが、日本においては、官僚出身である文筆家と、非官僚出身文筆家との間には、出版業界ならびに社会からの扱いにおいて、物凄い開きがある。文筆家として後世名を残すために官僚となることは実はたいへんに有効有益だ。
 なるほど、なるほど。
 さて、このようなお題であれば当然発言を期待されるであろう、そしてカマヤン先生も期待していたであろうネット上の著名人といえば東大アニ研出身のオタク評論家・イラストレーターの有村悠氏に他ならないでしょうが、有村氏はご多忙なのかご関心があまりないのか、カマヤン先生の呼びかけに「はてなブックマーク」で短く答えられたのみですので、呼ばれてもいないのに小生が勝手に一筆。

 「オタク」の勢力を増したい時には数に算入され、そうでないときは無視される鉄道趣味者の世界では、鉄道が大好きで、運輸省に入って、文筆家としても名をなした、といえば私鉄史研究の大御所である和久田康雄氏のお名前が浮かぶわけで、「先例」がないわけではありません。しかし、官僚とは組織で仕事をすることが他の仕事に較べても重要ですから、官僚個人が政策に大きな影響を及ぼせるわけではないでしょう。
 和久田氏の場合でも、九州赴任時に西鉄の福岡市内線廃止と地下鉄建設が都市交通審議会で答申され、欧州のように折角の路面電車を改良して生かす方法(最近話題のLRTの先駆的手法)を取ればいいのに、と個人では思いつつも、市民集会で答申の内容を弁護することになってしまって「あまり楽しいことではなかった」(『私鉄史探訪60年』マイロネBOOKS p.178)ということもあったそうです。

 途中まで書いて数年間ほったらかしの「東京大学オタク物語」に記した如く、官僚を輩出するような学校は元々オタクが比較的多いところと思います。ですから既に、それなりの人数のオタクが各官庁に浸透しているものと思われます。今も活動されているのか存じませんが、90年代にはNHK狂育というサークルが『霞ヶ関グルグル』なんて官僚内幕同人誌なんぞ作っていたことがあったくらいで。※追記:検索したところ、今でも活動されているようです。
 小生の知っている範囲でも、官舎で「ふにふに抱き枕」の類と同衾している国家一種官僚が複数いましたし、またお役所からいただいたボーナスを、コミケで『マリみて』同人誌に大部分突っ込んでいた人とかも知っていますが、既にブックマークでも指摘されている通り、別段それが政策に結びつくわけではないですし、趣味をおおっぴらにしているよりも、仕事と趣味の区別はうまくつけているのだろうと思います。何より官僚組織とはチームプレイで仕事をするところでしょうし。

 「有能優秀なオタク」に自滅願望が強いのかどうかは小生には判断しかねますが、そうなのであればカマヤン先生の仰るような展開もある程度望めるかも知れません。しかし、むしろ逆に、オタクとして自分は抑圧されてきたという意識が強すぎる場合、反動として出世願望というか権威主義というか、そういうのに取り付かれて役所という権威を目指すという事例もあります。そのような場合は、有村氏の指摘されるが如く「ネット右翼」的というか、少なくとも表現規制反対といった考えとは距離のありそうな、そのような役人になってしまうかも知れません。
 急いで付言しておけば、お役所もさすがに、そのような抑圧の反動としての権威主義に取り付かれたような人物は、大概面接でふるいにかけているようです。小生の高校の同窓生で官僚になられた方々を思い浮かべても、やはり優秀な方が多いと思います。そりゃ中には、同窓生が集まると「あいつはまだ汚職で捕まってないのか」といわれる人もいますが。

 ですので、役所に人材を送り込んでも、直接的な効果を過大に見積もることは出来ません。しかし組織で仕事をする役所ですから、組織の一系統に浸透するほど、上から下までオタク文化に理解のある人が一通り配置されれば、組織として理解ある方向に動きうるかも知れません。
 そして、実はこれまで着実に、オタク的素養を持つ人材は送り込まれてきているのです。ですからいつかその日が・・・? でもそうなったらなったで、省庁間の縄張り争いになったりして。
 とまれ、そうなるとますます日本のオタクの未来は、官僚とオタクの揺籃の地としての灘と開成のアニ研・漫研などが握っていることになりそうな・・・大学は大きすぎて、同じ大学を同じ年に出た程度ではなかなか人的ネットワークになりづらいところがありますので(慶應は違うのか?)。

 さて、そんなカマヤン先生のブログの22日付の記事「「人権」対「表現の自由」という偽の図式」では、「革命的非モテ同盟」古澤克大書記長に対し以下のような呼びかけがされています。
古澤克大書記長にはそのスキルを恃み、「国会前コスプレなんちゃってデモ」開催を期待したいところであります。「オタク=犯罪者」という宣伝戦が規制派から議員に対し繰り返し行われています。この宣伝戦を腰砕けにするための示威活動はあってしかるべきだと私は考えます。議事堂前・議員会館前の歩道は、慣例的に政治主張する場として黙認されています。そこにおいて、20人程度の、もっと多くても当然かまいませんが、「笑える」「ユーモアを非オタクにも感じさせる」コスプレ集団が「表現規制反対」「アニメーターの生活向上を」と、数日、アニソンなどを歌いつつ(つまり存在として無害であることを暗に示しつつ)議員関係者の目に触れることは政治的にたいへん有意義であります。ぜひ検討を願いたいところであります。公安やらが発狂すること請け合いですが、これは意義があります。
 この呼びかけについて「月よお前が悪いから」のartane氏が同日付「一年早かったのかもしれない」「(無題)」「d:id:furukatsu氏への公開の呼びかけ」の一連の記事で共同の用意がある旨を発言しておられます。

 カマヤン先生に認められるとは、書記長も出世したなあと羨ましく思うことしきりですが、これらの呼びかけに対する書記長の返答はあまり明確ではありません。22日付「我々は断固として表現を守り抜く」は、時系列的には呼びかけへの直接の返答ではないでしょうが、具体性に欠けるといわざるを得ませんし、23日付「id:artane氏へ」の内容も共同に前向きとは思われません。もちろん、当ブログでも詳細に報じた「アキハバラ解放デモ」関係(「革非同・古澤克大(フルカツ=furukatsu)書記長観察記」のタグをクリックされたし)の事後処理問題は尚意味あることですが、それだけに簡単にはできないことかも知れませんが。
 ですが、コスプレ大好きなはずの古澤書記長(コスプレキャバクラに通い詰めて借金作ったほど)が、カマヤン先生の呼びかけに対し反応が鈍い最大の要因は、うまうまと地方公務員になりおおせた書記長自身の本質的に有する「小役人」根性だろうと思います。

 とはいえ、カマヤン先生のご提案された「国会前コスプレなんちゃってデモ」ですが、面白そうとは思いましたが、どんな形であれアニメやマンガのコスプレであった場合、公安や多くの議員の方にとっては理解不能な、訳が分からず気持ちの悪いものとしてスルーされてしまう懸念もまた大きいと思われます。うまくやれば一般人に「無害」をアピールすることは出来そうですが。
 で、ここで小生がハタと思いついた一案は、少なくとも公安や「お堅い」保守的な人に対して一定の効果が期待できそうな、そして書記長の人脈が生かせそうな、そんなコスプレ? 的なデモの方法です。

 それは、自衛官を集めてデモをするというものです。

 現職の場合は法的な問題が懸念されますが、元自衛官・予備自衛官であれば問題はないものと思われます。予備自とデモに関しては、「アキハバラ解放デモ」後に元自衛官である書記長がクリスマス粉砕デモを打った際、「予備自衛官がそんなことをするとはけしからん、自衛隊内の然るべき筋に通告する」と主張した、これは現職の自衛官の方がいたというような話があり、その際に書記長周辺が調べた範囲では法的な問題はないはずという結論になっていました。小生も今、法律の専門家に電話して聞いてみましたが、よほどのことがない限り問題にならないと思われる旨でした。ちなみにその現職自衛官の方々は書記長デモを監視に来たそうで、その監視姿を怪しんだ公安に職質されたとか何とか。
 公的セクターの中で、自衛隊はオタクの浸透率の高さでは恐らく最高ではないかと思います。元自衛官のさる方に聞いた話では、自衛隊員は体育会系・オタク・その他に分類されるくらい、オタクが目に付くです。このブログでも以前、隊内で美少女ゲームが流行した結果「うぐぅ小隊」なる渾名が付いた部隊があったという話を書きましたし、別な筋から聞いた話では、砲兵隊の演習時に観測将校が、弾着が大幅にずれている旨を砲兵に電話で連絡したら(註:用語が旧軍ですが、自衛隊用語はよく知らんので、そのようなものと解釈して下さい)、電話口の返事が

 「え~、ぶっちゃけありえな~い!」

 だったとか。これだけプリティでキュアキュアな自衛隊の関係者であれば、デモの趣旨に賛同してくれる人もいるでしょう。現職の場合は確かに政治的行動は困難ですが、元ならば問題はないでしょうし、うまいことに自衛隊は組織の性格上、年齢の若い「元」が大勢いるわけです。
 で、作業服を着て分列行進でもやればいいのではないでしょうか。「保守的」な人に対して、より大きな効果を上げるものと思われます。そして次の日には、全然違う格好で現れると、公安もますます混乱することでしょう。左寄りの人たちは困惑するかも知れませんが。

 ちなみに、日本の政治的街頭行動の歴史を振り返りますと、大正年間の確か川崎造船所の労働争議だったかと思いますが、鎮圧に憲兵隊が出動したところ、それに憤慨した労働者たちが軍服を着用し(戦前ですから徴兵経験者が大勢います)、憲兵隊に対し自分たちも国家の一員なのだと主張して立ち向かったという話があります。これは確か、竹村民郎『大正文化帝国のユートピア』に書いてあったと思いますが、現物を図書館に返却してしまったので細かいデータを確認できていません。
 とまれ、市民の運動を考える上では、案外この方法はオーソドックスともいえるのであります。

 読み返すと、我ながら例によってまとまりのない文ではありますが、一応まとめてみるとこんな感じでしょうか。
・カマヤン先生ご提案の、オタクの官僚化はある程度進んでおり、将来オタクへのシンパシーが生まれる可能性はあるが、過大な期待はすべきでない。
・現在の公的機関中、構成員に占めるオタクの比率が最も高いのは恐らく自衛隊であり、手っ取り早くアクションするなら「元」の人は誘えるかも知れない。

※追記(2009.6.25.):一つ書き忘れていましたが、もし(元)自衛隊員表現規制反対デモをするならば、そのスローガンとしては以下のようなものが考えられます。
「自衛隊は災害救助に際し、思想信条で区別などしないし、してはならない。万一の有事の際も同様である。脳内の思想嗜好がどうあれ、差別をしないことが我々の死守すべき原則である。それに反するような法制度には賛同しがたい」
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by bokukoui | 2009-06-24 23:15 | 思い付き | Trackback(1) | Comments(10)

ホワイトデー粉砕デモ@池袋の情報 附:小ネタ・「非モテ」の聖地?

 だいぶ日が経ってしまいましたが、去る14日の土曜日に、毎度お馴染み「革命的非モテ同盟」古澤書記長主催の「ホワイトデー粉砕デモ」が行われたようです。
 もっとも、先日の「バレンタイン粉砕デモ」や、更にその前の月の阿佐ヶ谷ロフトでのイベント同様、書記長の告知が今回も比較的遅かったもので、ネットでの事前盛り上がりが全く欠けておりました(バレンタインデモの時のような不評すらなかった)。おまけに当日は悪天候で、ますますデモに向いていない状況であったようです。

 で、小生も用事に追われておりまして、おまけにこの日は最終運行の「富士・はやぶさ」を見に行っていたりもしたものですから、デモについてはレポできない状況でした。ですが書記長がこの記事執筆現在でまだ自分のブログに総括を書いていないこともありますし、秘密工作員トダ氏から入手した画像のみ張っておきます(ので、今回はいつものような各種の写真はありません)。
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デモの横断幕

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デモ終了後、公園での記念撮影

 トダ氏の情報によると、書記長の悪運尽きずというか、この日大荒れだった午前中にもかかわらず、デモの時刻までに雨は上がったそうです。人の集まりも、当初はいつもと同じ面子が十数人程度、で、やはり書記長の準備不足が痛感された(横断幕もその場で布とガムテープで急造したのだとか)のですが、なんだかんだで最終的には新顔の方も見え、人数も二十人くらいにはなったそうです。バレンタインほどじゃないですが、まずまずですね。

 今回のデモについては以上。これ以上書く情報も画像もありません。

 ・・・これだけで記事が終わるのも寂しいので、以下どうでもいいおまけ小ネタをひとつ、「非モテ」関連で。

(あまりにくだらないネタなので続きは以下に)
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by bokukoui | 2009-03-18 23:59 | 出来事 | Trackback | Comments(0)

古澤書記長「火力の歴史的発展と現代のRMA」合評会 補遺と解説

 「古澤克大書記長『火力の歴史的発展と現代のRMA』合評会記録」の続きです。
 ここでは、合評会終了後寄せられた意見と、労働収容所組合氏による解説を収録します。

(続きは以下に)
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by bokukoui | 2009-02-15 22:28 | 出来事 | Trackback | Comments(0)

古澤克大書記長「火力の歴史的発展と現代のRMA」合評会記録

 少し前に当ブログで、久保田正志『日本の軍事革命』(錦正社)の紹介と感想を述べた記事を書きました。詳細はそちらに書いてあるのでご参照いただければ幸いですが、軍事革命 military revolution というのは、近世初期における西欧での軍事技術の革新が、国家の様相や社会のあり方、世界情勢の変化をもたらしたという見方です。その全体像を伝えている書物として著名なのがジェフリー・パーカー(大久保桂子訳)『長篠合戦の世界史 ヨーロッパ軍事革命の衝撃1500~1800年』(同文舘)ですが、本書で戦国時代の日本に触れた箇所があるものの、その記述は疑問点が多く、そこで日本の戦国時代を西欧の軍事革命と比較して論じたのが『日本の軍事革命』というわけでした。
 さて、軍事革命と似て非なる概念に、「軍事における革命 Revolution in Military Affairs(RMA)」というものがあります(どうもこちらを「軍事革命」と呼ぶ場合もあるようです)。これは近年の情報技術の進歩が軍事に与えた影響を指す言葉で、イラク戦争などを通じて注目が高まっているそうです。

 で、昨日お伝えしたバレンタイン粉砕デモの主催者であるところの「革命的非モテ同盟」古澤克大書記長は、軍事に深い関心を持つ元自衛隊員であり、大学ではRMAを題材にした卒業論文を執筆されました。しかもその論文の前半は、パーカーの著書を大いに活用して書かれています。
 昨年末にそれはネット上に公開されて、それなりの反響を呼んだようです。以下にリンクを張っておきます。

 火力の歴史的発展と現代のRMA―間接アプローチを超えて―1
 火力の歴史的発展と現代のRMA―間接アプローチを超えて―2

 ネット上の反響については、それぞれの記事に付いた「はてなブックマーク」(1のブックマーク2のブックマーク)でも雰囲気は察せられますが、軍事系ブログの大手であるというところの以下の記事が、もっとも目立ったものと思われます。

 週刊オブイェクト「『81式』氏の卒業論文」

 古澤書記長の卒論は、元々2007年度末に提出されたものですが、書記長は提出後から間もなく、小生のような周囲の友人に、論文を読んで感想を聞かせて欲しい、ということをしばしば漏らされていました。そこで昨年4月頃、デモなどで付き合いのある書記長の友人でかつ軍事や戦史に興味を持っている有志を集め、書記長の卒論について合評会を行うこととなりました。
 合評会を行ったメンバーは、東大戦史研関係者が多いですが、その他にも自衛隊時代以来の氏の戦友、革非同の活動を通じて氏と知り合った東大生や予備自衛官(東大と自衛隊は「非モテ」という点でどうも共通点があるようで・・・)の方々が集まり、大変充実した会となりました。(もっともここに集まった戦史研員は4年生以上の連中なので、現在の会員に本件について問い合わせても「?」ですので、その旨ご諒承下さい)
 なお、古澤書記長の卒論ネット公開当時、この合評会において中心的役割を果たした労働収容所組合氏が、ご自分のブログで簡単な感想を記しておられますので、是非そちらもご参照下さい。

 よく食べ、よく部下を罷免し、あまり動じない「野砲の夢」

 この合評会の記録は、書記長の卒論本文と一緒に、東京大学戦史研究会会報第52号に「古澤書記長の『軍事における革命(RMA)』論」と題して収録され、昨年の五月祭・駒場祭並びに夏のコミケットにて一般に頒布されました。しかしその会報は品切れになってしまい、昨年末に書記長が卒論本文をネットにアップした後増刷も検討されたのですが、諸般の事情により中止のやむなきに至ったもので、このままお蔵入りにするのももったいないと、ここで公開するに至ったものです。なお、卒論本文公開から合評会記録公開まで2ヶ月も間が開いたのは、いろいろ事情もありますが、記録の最終原稿を収めたUSBメモリが行方不明になっていたからです(苦笑)。
 当初は、古澤書記長のブログにこの記事をアップすることも検討されましたが、記事そのもののまとめた文責は最終的に墨東公安委員会にあることなどから、当ブログに掲載することとなりました。

 それでは、前口上が長すぎるのも興ざめですので、合評会の記録本文に入ります。

(長文につき続きは以下に)
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by bokukoui | 2009-02-15 22:12 | 出来事 | Trackback | Comments(2)

今日の渋谷駅前~「バレンタイン粉砕闘争」見学記2009

 今年もバレンタインの季節がやって参りました。
 となりますと、今年で三回目になりました定例行事、「革命的非モテ同盟」の古澤克大書記長主催の「バレンタイン粉砕デモ」の季節でもあります。
 実のところ、さすがに3回目ともなりますとややマンネリの感は否めないところで、上のリンク先の書記長のイベント説明も簡素ですし、当日配布したビラは基本的に昨年の使い回しだったとのこと。そんなわけで事前のネットでの評判もさんざんだったのでした。小生もまた、相変わらず場所も渋谷だし、変わり映えしなさそうなので、適当に写真を貼り付けて「前回に同じ」とだけ書いておけばいいや、というつもりでした。
 それがどうなったかといいますと・・・

(写真が多いので続きはこちら)
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by bokukoui | 2009-02-14 22:03 | 出来事 | Trackback | Comments(15)

古澤克大プロデュース 「革命的非モテ同盟~プリン体増殖ドクトリン」

 このブログでは、表題を一行で収めるようにしているので(ブラウザによってははみ出ている場合もあるかも知れませんが)、これ以上表題を長くできませんが、もしきちんと記事の表題をつけるなら、「古澤克大プロデュース 『革命的非モテ同盟~プリン体増殖ドクトリン』見物雑記~両毛線が20分ヘッドだったら赤木智弘氏は幸せになれたか」あたりにしていたと思います。
 というわけで、本記事は Asagaya/Loft A で去る29日行われた、革命的非モテ同盟・古澤克大書記長によるイベントについての記録みたいな何かです。イベントの概要について、書記長のブログから引用しておきましょう。
古澤克大プロデュース
「革命的非モテ同盟~プリン体増殖ドクトリン」
出演
赤木智弘(フリーライター)
増山麗奈(画家)
昼間たかし(ジャーナリスト)
大塚麻恵(女優)
増田俊樹(映画監督)
古澤克大(プリン体27)

概要
あの革命的非モテ同盟による香ばしいニュース群のスピードメニュー化。
女優、言論人、映画人、アーティストが正月ボケに鉄槌を下す!!

非モテについてかなりガチでトークバトルをする予定です。すごい濃厚な時間にしたいと思いますのでぜひお越し下さい。!!
 読んでみても何だかよく分からないイベントではありますが、まあ訳の分からない、内容がありそうでないようなスローガンの作成は古澤書記長の得意とするところですので、奇異とするには当たらないかも知れません。小生は書記長に前々日、急遽電話で呼び出され、ものすごく用事が立て込んでいたのですが、やむなく駆けつけました。なにせ書記長、このイベントについて、友人に対しても前々日にしか連絡せず、あまつさえ自分のブログに記事を立てたのも同じ日で・・・この不手際の理由は、この記事の最後で明らかにします。

 とまれ、木曜日の阿佐ヶ谷ロフトAには、このような看板が立っておりました。
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阿佐ヶ谷ロフトAのこの日の看板

 ところで「プリン体増殖ドクトリン」とは何ぞやと書記長に問うたところ、「飲みながら打ち合わせていていて、『プリン体』って何か怪しい響きだよね~、と決まり、その後話が逸れて『ロシア軍のドクトリンは・・・』とミリタリー話を始めたら、ドクトリンというのがかっこよさげと言われて決めた」らしいです。大体書記長が碌でもないことをやらかすのは、飲み会の勢いで決めたことが多いような気がしますが・・・一昨年の「アキバ解放デモ」とか。まあ書記長は確かにビールがお好きですし、それを評してラーゲリ緒方氏(革非同機関誌『KAMPANIA Vol.1』の Cauchy緒方氏)曰く「書記長は重ビール主義者だ」と言っていたくらいなので、それはそれでいいのかも知れませんが、「非モテ」とは関係ないし、大体この日の話にも関係がなかったような。

 で、今日の本題の話ですが、この集まった面々がどういう繋がりかといいますと、元々去年増田監督がプロデューサーを務めた映画「窓辺のほんきーとーく」のトークショー「ロスジェネ世代の愛と性を探る」に、昼間氏の司会のもと赤木・増山両氏が呼ばれ、そこでの議論が白熱して到底時間内に収まらず、その続きをやろうという企画が元々あったそうです。
 ここに書記長がどう関係するかという話ですが、元々いろいろ知り合いだったにせよ、確か映画にエキストラで出てたんだったけ? 昨年末にコミケで、革非同のブースにて女優の大塚麻恵さんが、「メイド服」(絶対領域有)で売り子をして下さったのも、この縁だったかと思います。ちなみにその時、ブースで売り子をする大塚さんと書記長の様子を、携帯電話で撮影している胡乱な中年男がおり、さては「ヲチャ」かと思ったら増田監督だった、なんてことがあったとか。
 というわけで、今日の企画は、まず赤木←→増山の対立軸があって、赤木側に古澤書記長、増山側に昼間氏が加わって議論を進め、第2部からは増田監督と大塚さんも加わるという展開の予定だったようです。赤木・増山両氏のこの席へ臨む意図は、それぞれのブログにありますのでそちらをご参照ください・・・と思いましたが、そんなに長くもないので引用させていただきます。
○赤木氏
 以前にのトークショーで不完全燃焼に終わった増山さんとの対談が再び。
 私がどんなことを言うかといえば、多分「お金がなければ恋愛はできない」ということを言います。結論だけを言ってしまうと、資本主義社会においては「お金=社会性」だからです。
 まぁ、そんな感じで。
(引用註:原文ママ)
○増山さん
赤木智弘さんとマジバトルをする予定です。
モタざるものモテるものも助け合える世界をつくれんもんかなー。
というかみんなメディアのモテル モテない報道にだまされ過ぎ!
良いじゃないか,モテなくて!というある種の覚悟は素晴らしいのだが、
別に女に持てる為にあの手この手を尽くして行く必要もないのだが、
正社員や家族の居る人を憎むっていうのは、どうかと。
確かに正社員の連合が御手洗なんかとつるんで「ワークシェアリングは安易な賃下げでは・・」と言ってるのを聞くと、確かに赤木さんの言う事も納得するけれど。
あー論理的に攻撃されそうだから、もう少しいろいろ調べて明日闘えるようにしておこう。
私は赤木さんのエッセイとか鋭くて好きな部分もあるけど、
未だに「希望は戦争(男が重宝されるから)」なんて
容認できないよね。イヤだよ戦争は!
 今回は、上でも書きましたが、書記長自身によるネット上の宣伝が行き届いていたとは言えず、開演時に集まっていた聴衆は20人かそこらだったでしょうか。聴衆の中には書記長のデモでもお馴染みの Gonzalezさんが開演前に駆けつけておられ、面白い画像を見せていただきました。youtubeにでもアップされればまた取り上げたいと思います。結局、延べ人数で来場者は四十数人程度だったようです。結構顔見知りが多かったような気がします。

 さてさて、では議論の中身本体はどうなったのでしょうか。
 先に結論を書けば、議論はあっちこっちに拡散しまくってまとめるのがなかなか困難(特に第2部が)でした。しかしそれは必ずしも悪いことではなく、「モテない僻み」で一蹴されがちな「非モテ」が、話の持って行き方次第では僻み以上の話にはなるということでもあります(革非同の同人誌『KAMPANIA』に赤木氏が寄稿された内容も、それに通じることでした)。ただ、そこをどう話を延ばしていくか、というところで、そこはあらかじめ決めていなかったのか、やはり責任は書記長に帰せられるところがあるんじゃないかと思います。
 というわけで、今回のレポは従来のような逐語的なものではなく、大雑把に議論の構図のうち思い出せることのみを略述するという形にとどめさせていただきます。第1部の一部トピックについては、比較的議論の筋が明確(論者が事前に準備していたのでしょう)なので、そこはある程度細かく書きますが、全部をその調子で書けるほど記録もないし、土台手間もかかるので、その辺ご諒承下さい。
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出演者一同(第2部開始時の様子)
左から古澤、増山、赤木、大塚、増田、昼間の諸氏(敬称略)

 まずは第1部、最初は「モテと貧乏」という流れで、自動車の話が。これは以前のトークショーで、赤木氏が「車がないとモテない」という発言をしたのがきっかけだったそうです。

赤木氏「車がないとモテないというのは、高級車とかではなく、車がないと人間としての生活が出来ないという地方の問題。自分は実家暮らしの時自転車に乗っていたが、それでは知り合いと会うことも出来ないし、ロードサードの店舗に買い物に行くのも不便」
 ここで客席から Gonzalezさんが手を挙げて発言、「自分は赤木さんの住んでいた佐野の隣の足利出身だが、あの辺では車がなくて平日の昼間に男が自転車に乗っていると、まず不審者かキチガイ扱いされる」

 「モテ」の象徴になるように、夢やあこがれの対象だった性格と、すっかり普及してそれが前提となってしまった性格(特に地方で)と、今の自動車はその二面性を持っています。前車を運転することは快楽ですが、後者を運転することは苦役でしかありません。「非モテ」を論じるのに往々空論的な話になってしまいがちな傾向がありますので、こういう物的な話はそれより意味がありますし、話が広く発展していくきっかけにもなります。小生も車と「モテ非モテ」の関係については、ブログで書いたりしたこともありました。

 ですが、その後壇上の議論は以下のような経緯を辿りました。
増山さん「車がないといけない、金がかかるというけど、いくらいる?」
赤木氏「車持ったことないから知らない」
 ここで書記長が「買うのに百何十万、維持費が年間数十万」と発言し、いや中古の軽ならそんなにかからん、書記長は何の話をしているのだと突っ込まれ(どうも5ナンバーの新車くらいのつもりらしい)、しまいに革非同公用車のベンツ話に逸れていきました。
「(北関東のような所では)車がないと社会に入れない。自分のように一度上京してしまうと、地域との縁が切れてしまう」
 という、赤木氏の重要な指摘もあったのですが。

 話を戻そうと昼間氏、「『非モテ』といって女の子の注目を集めたいのか?」と、質問を振り、赤木氏「古澤氏は知らんが自分はそんなことはない」と切り返します。
増山さん「赤木氏は地元で学校に通っていた頃、モテたいとは思わなかったのか」
赤木氏「そんな余裕はない、家で悩んでいるので精一杯」
昼間氏「でも東京に出たら変わりませんか」
赤木氏「変わる。自分も一時は彼女がいた」
 赤木氏の彼女についてはこれ以上追求はされませんでしたが、
「自分は『非モテ』とは一度も言ったことことはない。車云々は一般論」
 つまり、自分は「非モテ」ではないと言いたかったようです。で、赤木氏のこの自己認識のお陰か、このイベントの当初の構図自体があとでひっくりかえってしまうのですが・・・

 この後増山さんが、赤木氏が唱える承認の問題について問い、赤木氏は現在の地位を得て、最近東京にも出てきて、人とコミュニケーションできるようになった、佐野にいてはダメだったと語ります。
昼間氏「では丸山真男をひっぱたくより、地方の男に『東京に出ろ』と言うことではないか」
 これに対し増山さんが、東京一極集中がこれ以上進むのも問題だし、これからは地方で農業なんてことも、という意見を述べたところに、古澤書記長が地方の保守性を指摘したり、なんて一幕も。

 次いで、赤木氏の「恋愛も経済問題だと思う」という発言から増山さんと議論が。
 それに対し増山さんが「生活にお金はいるが、恋愛で大事なのは心を開くこと。赤木さんは、あれで恋愛できない、これで恋愛できないと言ってばかり。仮性包茎みたい。ムケないと」
 そして、二人で暮らした方が生活費は安上がりだから貧乏人こそ恋愛すべきである、と語る増山さんに対し、赤木氏は別れた時のリスクが高い、ネットで人を探して契約してルームシェアする方が安全であると主張、増山さんに「考えすぎ」と突っ込まれていました。
増山さん「赤木さんはどれくらいなら恋愛できるのか」
赤木氏「普通の生活をしていること。車を持って貧困ではない、年収200万以上くらい。子供が出来ることも考えると、先の見通しがないと。だからセーフティネットが必要」

 この辺から話は「非モテ」に戻ってきます。
増山さん「非モテの、恋愛の土俵から降りる、というのは賛成。芸能人のニュース的な『レンアイ』より、ダイレクトに生きたい。そこは賛成するが、その後の目標は?」
赤木氏「自分も非モテが何を目指すのか分からない」
 赤木←→増山が対立軸の筈だったのに、両氏が一致して古澤書記長に向かいます。
書記長「独身寮と共済組合」
 会場、ややがっくり感が。

 それから増山さんが書記長に「モテのルールに囚われすぎている」とお説教し、「見た目ばかりで判断するのはダメ」と反論する書記長に、「それは常識的な身だしなみで、人を外見で云々以前の問題」とぴしゃり。(小生のメモに「鼻毛の話」という謎の言葉が記されているのですが、はて何だったっけか?)
 更に赤木氏も書記長に対し、「何故非モテの人は、モテたいのかどうかと聞くと『モテたくはないけど・・・』と言いよどむのか」と迫ります。言い淀む書記長。
 かくて、当初の古澤=赤木vs.増山=昼間の構図は、古澤vs.赤木=増山=昼間になってしまい、書記長は集中砲火を浴びるのでした。
 昼間氏これを評し「赤木氏は男にモテるが、古澤氏は・・・?」と発言。
 私見では、書記長もやはり「モテ」ていると思います。突っ込みを入れずにはいられなくなるという形で。

 第1部の最後に、赤木氏が再度恋愛と経済の関係を提起します。増山さんの生活もお金があるから成り立っていると発言。
増山さん「すべて金に換算するのは(赤木氏の)悪い癖。一番大事なのは人間関係。年越し派遣村の人にも何人か取材したが、やはり人間関係が切れて落ち込んでいっている。
 だらしない人というのは一定数いる。そういう人を受け入れるキャパシティがコミュニティにあったが、それが失われた」
 繋がりを重視する増山さんに対し、「非モテ」(非コミュに近い)側から反発が。
古澤書記長「コミュニケーション能力がないからハブられて死ね、というのは新自由主義と同じ」
赤木氏「だからセーフティネットが必要。増山さんは『自己責任』側寄り」

 ここの対立こそ、赤木←→増山の最大のポイントであろうかと思います。
 貧困や格差などの問題に、繋がりを求めてやってきた(そして今も行っている)増山さんの活動自体を赤木氏は評価しつつ、そういった活動で救われるじゃないか、と困っている人に向かって言うことの問題を指摘します。それでは、困っている人は活動で救われるべきで社会の問題がそのままに覆い隠されてしまうという謂と思います。困っていない多くの人々は、活動で救われればいいと問題を片付けた気になってしまい、活動で救われない人はこぼれ落ちます。だからこそ、国が面倒を見なければならない、そういった趣旨かと思います。
 一方増山さんは、繋がりを作っていく活動の意義を見いだされているわけですが、議論がやや噛み合わないような感もあり、なかなかこの両者の溝は埋まりそうにありませんでした。増山さんは赤木氏の回答に満足せず、やや苛立ったのか、「赤木さんは幸せになりたくないのか」などと発言されていました。

 以上の話を理解する上では、このブログで以前お伝えした、新宿ロフトプラスワンで行われた、宮台真司・東浩紀・切通理作・雨宮処凛らの諸氏が出演したイベント「秋葉原通り魔事件──絶望する社会に希望はあるか」及び、過去の赤木氏が登場した阿佐ヶ谷ロフトのイベント「ロフトA メディア時評~世界のアキバのいま」で指摘されたことが参考になると思われます。
 ロフトプラスワンのイベントでは、「包摂」が解決の処方箋として示され、貧しくとも楽しく生きる生き方が大事(増山さんの活動もその路線に繋がるものでしょう)とされる一方、「包摂が大事、気楽に生きればよいといっても、それによって格差などの問題をそのままにしてしまって良いのか。包摂と同時にそういった問題の解決も図る、二方面作戦が必要ではないか」(切通理作氏)という指摘もされていました。

 で、以下私見ですが、赤木氏は所謂「自己責任論」を強く否定するため、国が責任を持って社会政策により生活を保障し格差を是正する(団塊世代から氷河期世代に所得移転する)べきであると主張しておられます。つまり、自分は何も悪いことはしていないのに苦しい目に遭っているのはおかしい、という思いが背後にあるのでしょう。それが、増山さんのような意見を否定することに繋がるのでしょう。
 もちろん小生も所謂「自己責任」論に与するものでは全くありません。しかし、だからといってそれは自分で行動を起こす可能性を否定することと同値ではないと思います。赤木氏は大変峻厳なものの考え方をされるように思われ、そしてそれゆえに氏の意見が鋭く人の心を打ち、今日氏の名を高からしめたのだと思いますが、その峻厳さが、罪なくして困窮した者は天に救われるべきという思いになり、自己責任論の肯定に繋がりかねない実践活動への冷淡な見方(そして増山さんと乖離)を招いたのではないかと、勝手ながら考えた次第です。
 これは、以前の阿佐ヶ谷ロフトのイベントで、ご自身の意見を「諦めの論理」「他の状況が変わることで変わるしかない」と述べておられたことにも通じます。同イベントの質問コーナーでもやはりこれに繋がる指摘がありました。
 このような、天が誤っているから天が変わるべきであって、自分の行動に意義はないという考え方が、周囲の状況がどうあっても、自己の幸福追求を周囲と共同して行うべきである、という増山さんのような立場からは、苛立ちを引き起こされるものだったとは容易に想像が出来ます。だから、「赤木さんは幸せになりたくないのか」という発言が出て来るのでしょう。

 さて、以上が第1部で出た話で、以後増田監督と大塚さんを壇上に迎えて、更に混沌と第2部に突き進むのですが、残念ながら第2部はろくすっぽメモを取っておりません。ただ、議論の大きな枠は、第1部で大体の所は出てきていたと思います。
 ですので、もう既に充分にこの記事は長すぎますし、以下はごく簡単に、記憶にあるいくつかのことを書きますと・・・

・大塚さんの、貧乏だけど明るく生きてきた、という話に会場感動。特に増田監督が。
・映画の話がいろいろと。
・小向美奈子逮捕に関連して、芸能界の売春はあるのか、ということについて。増田監督が衝撃的内容を延々語られましたが、ここに記すのは控えておきます。

・赤木←→増山論争のもう一つの大きな軸として、戦争について。
 旦那さんがガザで取材中の増山さん、「希望は、戦争」と戦争を持ち出すことを厳しく批判。赤木氏、戦争は最後のゴールであって、その手前でとどまれば良い、といった趣旨の返答。一応それでその場はまとまってしまった感じ(個人的には以前、赤木氏に戦争についてお伺いした際の印象、赤木氏の"戦争"はスウィフト的レトリックのように見えるがそうとも言い切れない、というのは払拭されませんでしたが・・・)
・元自衛官の書記長が横で茶々を入れる。
・ちなみに、赤木氏の見たことのあるガンダムは、ゼータとダブルオーだけだそうです。

・会場からの声を拾うコーナーで、聞き覚えのある声の人が長々と質問(意見開陳)。昼間氏、「夜羽音先生、話長いから最後にして下さい」とあしらう――山本夜羽音先生が来ていたんですね。
・その夜羽音先生、赤木氏には初代ガンダムを見るべきと唱え、書記長には山本直樹作品(題名失念)で「美人は頼めばやらせてくれる」という一節があることを強調。この含意を汲み取るべきだと主張。
・そこで増田監督が書記長をそそのかして大塚さんに「お願い」させようとするも、書記長の頼み方がなっておらず一蹴される。
・グダグダ展開の中、書記長がキャバクラ話や「女は金で買える」的暴言を吐いたためか、壇上で書記長を見る大塚さんの目つきが怖い。「汚いものを見るような」という修辞が現実であることを実感。いやー女優さんはすごいな(演技でなく本気だったら・・・)。後で伺ったら、赤木さんの発言を書記長がしばしば制止したのが良くないと思われたそうです。

 とまあ、グダグダなりにいろいろ話題が出て盛り上がりました。
 そうそう、運営費の足しにと、出演者がものを持ち寄って福袋を作ったりもしました。それは書いた本などを入れたり、増山さんは似顔絵色紙を描いて下さったり、というものだったのですが、赤木氏の持ってきたものが・・・
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赤木氏、美少女ゲーム『AIR』を寄贈
(この写真はクリックすると拡大します)

 古本の場合、著名人の蔵書だったものは「手沢本」などと呼ばれて価値がついたりしますが、「手沢エロゲー」という概念はまだ存在しなさそうです。 
 赤木氏曰く、話題作なのでやってみたそうですが、ケータイ小説同様感動のガジェットをばらまいておけば感動させられるという感想を抱かれ、以後ケータイ小説を許せるようになったそうです。

 イベント自体は、人数はさほど多くなかったとはいえ、参加者の満足度はそれなりにあったと思います。「非モテ」からの話の広げ方もいろいろできたわけで、ただ話しきれる時間がなかったからまた、という感もあり、またやればという感を抱かれた方もいたようです。出演者の方もそう思われたのであれば、結構成功だったといえるでしょう。
 もっとも、書記長自身は終了後失敗だったと頭を抱えていて、つまり入りがあまり多くなくて赤字が出たら次はしにくい、ということだったようです(正式な決算は聞いていませんが、大体トントンだった模様)。多少の赤字は宣伝費と考えれば必ずしも不合理ではないと思うのですが。
 増田監督曰く、書記長は「百人は動員します」と事前に豪語していたそうですが、ブログの記事アップがイベント前々日で、友人に電話を回したのも同じ頃というのでは・・・
 で、議論の途中で書記長が集中砲火を受けたり、動員が予想より振るわなかった、最大の要因は書記長の準備不足にあったと思うのですが、その最も有力な原因と推測されるのは、現在書記長が Hearts of Iron 2 に嵌っているからだろうな、やっぱり。
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by bokukoui | 2009-01-31 23:47 | 出来事 | Trackback | Comments(19)

冬コミ:『KAMPANIA Vol.1』並びにMaIDERiA出版局の状況

 前回の記事でデモの様子をお伝えした「革命的非モテ同盟」古澤書記長が、来る冬のコミケット75で同人誌『KAMPANIA Vol.1』を発行するそうです。
 ついては、サイトやらブログやらを持っている徒輩はそれを宣伝すべし、というメールが書記長から関係者一同に送られてきました。無視するつもりだった小生も諸般の事情により協力やむなしということになり、ここに書記長が送りつけてきたコードを貼り付けておく次第です。

kampania

 関係者というのはその同人誌に寄稿した人々のようで、とは即ち小生も書記長から原稿を依頼されたのでありますが、さて書記長のブログに掲載された『KAMPANIA Vol.1』の表紙の画像を見ると、「墨田東公安委員会」なる名前が印刷されているのはこは如何に。
 文句を言った所、書記長は「締切ぎりぎりだったじゃないですか」とか何とか言い返してきましたが、原稿を最後に出したのは実は小生ではなかったりします。大体、論文作業で忙しい上に、「非モテは社会問題か?」なんてお題では、筆も滑らぬというものです。折角「京成電気軌道における後藤国彦~大和田悌二との関係を中心に」という、歴史学的に新たな発見を寄稿してあげようと申し出たのに却下したのは書記長だし(そら却下するわな)。

 というわけで、自分が担当した原稿の内容については正直自信を持ってお勧めするわけにはいかないのですが、しかし労働収容所組合氏が「数学と非モテ」「宗教と非モテ」というテーマで原稿を寄せておられるそうなので、そこは(そこだけは)お金を払って読む価値があるだろうと思います。
 なお、リンク先のラーゲリ氏の記事中で、クリスマス粉砕デモ記事中でも触れた書記長の卒論に関して、氏が評論をしておられますので、ご興味のある方は是非ご一読ください。

 さて、人様の宣伝ばかりするのも何なので、一応自分の話も。

 久しぶりに、三日目(30日・火)西2ホール 「す」09b で参加することと相成りましたが(書記長のとことも近所ですな)、学会報告で忙しかった関係上、オフセット印刷の本を拵えるわけにはいきませんでした。しかしなにもないのも寂しいので、溜まっている資料のコピーを綴り合わせたコピー本を、一日で拵える予定です。つまり、前に構想を示した英国諷刺雑誌『パンチ』の記事集成の第1次大戦版『「戦時下」のメイド』の、そのまた試作版というか、そんなものです。完全版は出る・・・日が来るのかな?
 ちなみに戦時中の『パンチ』の漫画とは、以下のようなものです(これはメイドさんが出てこないので、同人誌に収録することはしません)。この画像はクリックすると拡大します。
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王立ロンドン動物砲兵隊

 これは1917年新年号の漫画です。ドイツに空襲されるので、ロンドンは動物園でも武装、というわけですが、このブログでも以前取り上げた『速水螺旋人の馬車馬大作戦』に出てくる、ディプルカプル王国の戦象部隊と同じような発想ですな。
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by bokukoui | 2008-12-26 23:41 | 制服・メイド | Trackback | Comments(3)

昨夜の渋谷界隈~「12・23クリスマス粉砕デモ」観察記録

 今日はクリスマスイブですが、クリスマスといえばヴァレンタインデー・ホワイトデーともども毎度お馴染み古澤克大書記長の「革命的非モテ同盟」のデモの季節です。
 今年は書記長のデモの件がヤフーのニュースでも報じられ、ついでに「昨年の様子」ということでヤフーから当ブログの昨年の「クリスマス粉砕デモ」の記事にもリンクが張られ、アクセス数がどえらい数になっておりました。二日で元に戻りましたが。
 ちなみに小生がそのことを知ったのは、突然書記長が小生に電話してきて「ヤフー見てみ」と嬉しそうにご注進してくれたからであり、別にアクセス解析で気がついたわけではありません。しかしあの当ブログの記事、書記長が去年やらかした plummet 先生への贈賄騒動についても報じていたから、大概の人が忘れた不祥事を発掘する効果もあったんじゃないかと・・・

 というわけで、クリスマス関係の暇ネタを探している一部マスコミにとって、実は結構報道価値を認められるに至ったらしい(これは考えてみれば大したことです)書記長のデモが23日に行われましたが、小生は翌日ゼミ報告を控えており、多忙に付きブログ記事執筆は困難と思われました。が、秘密工作員トダ氏からのタレコミ等により、今年もデモに関する情報をまとめてお届けします。

 今年のデモは、場所こそお馴染みの渋谷でしたが、時間が夜19時という、そもそもデモなんかあまりしなさそうな時間帯でした。書記長曰く、昼間は右方向の方々が街宣活動をしているため、警察との調整の結果こうなったのだそうです。
 かくて日もとっぷり暮れた夜19時過ぎ、宮下公園には30人に近い人が集まっておりました(「主催者発表」は60人)。更に数名のお巡りさんと、取材陣も何人かいたそうで。
 今回はヤフーの宣伝が効いたのか? 人数もこれまでになく多めで、新顔の方も何人もいたのは慶賀の至り。去年はフランス人取材班が来ていましたが、今年もその際に来ておられたフランス人留学生の方が今年も来ておられました。更に、古澤書記長ともども革非同デモに当初から参加されていたGonzalezさんが今回も横断幕を用意しておられましたが、そのGonzalezさんが同志(?)のポーランド人の方を伴われておりました。国際色豊か。
 去年のデモでサンタにガスマスクの格好だった方は、(※追記:別の方だったそうです。訂正します)今年は着ぐるみで登場され、また外に女装ハルヒコスがいたりパンクファッションがいたり、彩り様々だったようです。まあ、女性はいなかったわけですが(身内の見物人にはいた由)。
 また、以前から何度か参加されていた、ファシスト団体「黒い旅団」(都知事選で名を馳せた外山恒一のファシスト団体「我々団」と東京支部が、外山氏の九州への拠点移動に伴い独立した団体)の山田惣氏も参加。元自衛隊員というのは、「ファシスト」としては筋がいいですね。

 自衛隊といえば、書記長の自衛隊時代以来の友人の方が持参された、差し入れの日本酒を開け、デモ隊は気勢を上げます。
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乾杯の音頭を取る書記長

 そんなこんなでそろそろ人も集まってきた所で、トラメガを取って書記長がアジ演説を行い、場を盛り上げます。
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アジ演説をする古澤書記長 トラメガを支えるのはGonzalez氏

 アジ演説は格好が大事で中身はどうでもいいので、内容の紹介は省略。というか情報なし。
 更にデモ開始まで時間が多少あったため、数名の有志がマイクで一口演説を。Gonzalezさんは秋葉原通り魔事件で今年は「非モテ」が注目を浴びた年であった旨を語られ、また山田旅団長も一席語られたかと思いますが、そこでGonzalezさんが「ポーランド人が来ている場でファシストは如何なものか」と突っ込むと、山田旅団長「ピウスツキー将軍万歳!」なんてネタをやって更に突っ込まれておったとか何とか。

 そうこうするうちに時間となり、デモ隊は宮下公園を出発します。
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宮下公園を出発するデモ隊

 今回、秘密情報員の扱ったカメラの性能の限界上、写真の出来があまり宜しくないことはご諒承下さい。一応以下の写真はクリックすると拡大表示します。
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渋谷公園通りを堂々下るデモ隊

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同じく渋谷公園通り 店の照明とイルミネーションの中を行進

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丸井の前を進むデモ隊、祝日で繰り出している群衆の注目を浴びる
(写真が暗いのはご容赦下さい)

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109前にて、群衆(カップル多し)の注目を浴びる
携帯電話でデモ隊の写真を撮る人も続出
(この写真は拡大表示しません)

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ハチ公前を行くデモ隊

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渋谷駅東口交差点を行くデモ隊

 かくてデモは無事に終わり、宮下公園にデモ隊は戻ってきました。
 今回のデモでは、書記長が風邪気味で不調との由で、Gonzalezさんがメガホンを握ることが多かったと仄聞しますが、また他にも交代でシュプレヒコールを上げていた方もおられたそうですが、全体としてシュプレヒコールに勢いがあり、なかなかいい感じのデモというのが終了後の声でした。沿道の反応も悪くはなかったようで、無視されることは一番辛いわけですから、カップルの話の種にでもなっていれば上出来でしょう。携帯電話などで写真を撮っていた人は相当数いました。
 夜にデモをするというのもあまり例のないことではないかと思いますが、これもむしろ人出が多い時間帯に当たって良かったとも。また、声は夜の方が通るのかも知れません。今後も夜にデモをやるとすれば、電飾でも導入できれば更に宜しいでしょう(笑)
 というわけで、デモ終了後の情景。
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デモ終了後の模様
左から山田旅団長、Gonzalez氏、古澤書記長

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報道陣から取材を受ける書記長

 今回は報道陣も何人か来ており、また、遠巻きにデモを観察している連中も数名いたとのことです。何でも東スポにこのデモの記事が翌日掲載されていたそうで、また某テレビ局関係で何かの材料に、ということで撮影に来ていた人がいたそうです(「非モテ」よりは、秋葉原事件関係か労働問題にむしろ軸足があったようです)。
 ネット上のこのデモに関する記事としては、現在発見できた所では

・うらたん「渋谷でクリスマス粉砕デモ!非モテ同盟」
・ムキンポのはてな日記「12・23クリスマス粉砕デモ&忘年会」
・chez sugi「The First of the Three Spirits」
・Wild Flowers「クリスマス粉砕デモ」


 があります。
 またこの翌日、24日に高円寺で、「素人の乱」主催のクリスマス粉砕デモがあったそうで、Gonzalezさんほかそちらに参加された方もおられたようです。

 その後の忘年会では、種々の話題が議論されたものの、例によって例の如く、「非モテ」の話はほとんどされなかったとか何とか。秘密工作員の情報では、「中世から近代に至る多摩の歴史」などが論じられていたということです。更にはこの居酒屋にいたデモ関係者中、カップルが二組いたという反革命的な情報も寄せられております。
 また、書記長が先日ネット上で発表し、一部で絶賛?された卒業論文(前半後半)も話題に上りました。もっとも、この論文については本年4月に書記長周囲で輪読&討論会をやった(ここでいう「査問会」)ため、論文そのものよりはネット上の意外な反響についてのものが多かったようですが。
 書記長が論文をネットに載せたので、4月の討論会の内容についても、近日中に何らかの形でご興味を抱いた方が読めるような環境を整える予定です。詳細はそのうち。

※追記:討論会(合評会)の内容をアップしました。こちらへ→合評会本篇補遺と解説
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by bokukoui | 2008-12-24 23:38 | 出来事 | Trackback | Comments(6)

秋葉原事件と「包摂」につき雑感 或は東浩紀氏に聞きそびれたこと

 グダグダだった「『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』感想」記事の続き(まとめ)、というか、これに関連した諸記事、阿佐ヶ谷ロフトのイベント新宿ロフトプラスワンでのイベントの感想をも含めた一応のまとめとして、最近多少思ったことなど書きたいと思います。

 ところで、いきなり話は逸れるのですが、このブログのアクセス解析を某日ふと辿ってみたところ、ロフトの経営者・平野悠氏のページ掲示板からアクセスがあることが分かり、そして今月1日のロフトプラスワンのイベント「秋葉原通り魔事件 絶望する社会に希望はあるか」について、平野氏の感想が記されていることに気づきました。これが中々興味深い内容で、掲示板の記述というのはリンクもしにくければ消えることも多いので、以下にその大部分を引用紹介させていただきます。同じ文章はこちらの8月5日付け記事にもあります(が、5日付けの記事がえらくいっぱい・・・)。改行は一部改めましたが、その他は原文のままです。
ロフトプラスワン「秋葉原通り魔事件──絶望する社会に希望はあるか」
投稿者:平野悠 投稿日:2008/08/04(Mon) 10:48


一聴衆としての意見を書かして貰います。

・・イライラするだけのライブだったと思ったのは私だけか?

社会学者のおしゃべりになにも持ち帰ることが出来なかったのは私一人か?。

<イベント宣伝コピー>
秋葉原通り魔事件は単なる半狂人による特殊な犯行ではない。宮崎勤幼女殺人事件、オウム事件、酒鬼薔薇事件と続くこの20年の社会の闇の部分── 若者達の不満や怒りを見据えないと、事件の真相は見えてこない。『現実でも一人。ネットでも一人』という絶望的な状況で人は脱社会化するしかないのか?

【出演】宮台真司(社会学者)、東浩紀(哲学者/批評家)、切通理作(評論家)、雨宮処凛(作家)、月乃光司(こわれ者の祭典)、タダフジカ(ギタリスト)、他
【司会】藤井良樹(ルポライター)

一昨日プラスワンに久しぶりに行ってきた。な、なんと場内はソールドアウト。店長の話では200人近い人が入っていると言っていた。

社会問題系、それも夏休みで東京にはドンドン人がいなくなっている、さらには、月初めというのは案外客が入らないのだが・・・テレビの取材が入っていた。

当日私は血圧の調子も悪く、イライラしていたのかも知れないが途中から入って、あまりにもつまらなかったと言うよりひどかったので、途中(休憩中)で帰った。

話は秋葉事件の加藤容疑者の話が中心だった。

宮台慎司、東浩紀と言ったいわゆる社会学者が訳のわからんことしか言っていなかった様に見えた。満員の聴衆の中で私は切れまくっていた。

所詮両学者の自慢話のステージだったなって思った。

なにも私らを説得できていない。学者って私たち頭の悪いものにもちゃんと解るように喋らなければいけないって言うことを解っていないな。

所詮社会学者?なんて、人の個々の弱さとか、苦しさとかはは理解できないらしい。

やたら訳のわからん語彙を使いまくって、さらには「誰々の学説では・・・」と言ってしまう。

秋葉事件を単なるよくある社会現象としてとらえてしまっていた。

やっと社会的に弱い立場の人たちが団結して立ち上がろうとしているのにこの彼らは全くそこに近寄ろうとしない。理解しようとしない。G8の話題すら出てこない。

基本的に現代のグローバリズムな世界を肯定しているのだ。

だから、「ニート問題は解決しません」とか「運動自体は否定しませんが意味がない」「運動では社会は変わらない」と言った発言が出てくることに、私は一人?怒っていた。

赤木論文(希望は戦争)にも「それで赤木君はライターの仕事が成立して良かったじゃないの」には絶句。

東浩紀はなぜかはしゃぎまくっていて実にかっこ悪かった。

まともなのは切通理作さんぐらいだ。

藤井良樹は「この問題は面白いのでもっと続けよう」と場内の空気も読めていないと思った。

さらには憲法改正論者宮台さんの「石原慎太郎のブレーンをやっている。それが私のロビー活動」と言った発言には、もう「こりゃ~ダメだ」と思った。

確かに奴らは学者だから論理ではかなわない。論争を仕掛ける度胸はない。

しかし、彼らが社会学者?の領域に安住しているのを私は見ていた。


だから学者ってダメなんだって35年前の私たちが教授を追求したした事が思い出された。

これならまだ、田原総一朗とか久米宏の方が人間的だ。

ちゃんと両氏を批判するには、当日のテープを聴き直さなければいけないのだが、とにかく私は感情的についていけなかった。

月乃さんが、雨宮さんがどういう反論をするか見ていきたかったが、私はもうこれ以上聞きたくないと思って帰りを急いだ。

せっかくロフトプラスワンに出演していただいたのに、こんな事書くオーナーでした。すみません。出演者のかたがた。
(以下略)
 これを読んで、既に書いたようにこの日のパネルディスカッションを面白いと思っていた小生、当初一読してウムムと唸りましたが(小生もまた、東氏の言う「難しい言葉で救われる人」なのでしょう)、ややあって考えるに、案外これらの発言は繋がっている面もあるのではないかと思うに至りました。

 それは「包摂」と「場」ということです。

 事件について様々な言説があり、更には様々な言説を生んでしまう構造自体を批判するという言説もあったことは、『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』にも明らかな通りです。小生は、元々ある意見を持っている人が、たまたま起こった事件にひきつけて自己の意見を語ることが悪いとは思いません。それを悉く批判しては、何も言えなくなってしまいますので。勿論目に余る場合もあるとは思いますが・・・(上掲書で言えば、リバタリアン蔵氏の書いたものは、アキバの事件がどうあろうと自分の「正論」が正しい、誰が逆らえるのか、などと書いており、いったい誰にどういうつもりで書いているのでしょうか)。
 そう断った上で、このような事件のより少ない世の中になるように、おまじないではない対策としては、やはり宮台真司氏の指摘する「社会的包摂」のある世の中に近づけていく、ということが最も現実的な方法なのだろうと思います。国と個人との間の中間団体というものが、20世紀の日本では解体されていきました。その代わりになるかと思われた企業もバブル崩壊後はそういった余裕をなくしています。そこで、包摂の場を作り直すことが求められるのです。
 と、そこまで考えたときに、小生は阿佐ヶ谷ロフトでの鈴木邦男氏の発言を思い起こしました。宮台氏の示す戦略は有効としても、今すぐ包摂を求める人にとっては十分具体的というわけではありません(他の論者よりは、おおむね具体的ですが。ナイフ規制などおまじない的対策はもちろん除きます)。然るに鈴木氏は、抽象学説抜きで、しかし同じ方向の、極めて具体的な解決策を示しておられました。

 「一水会に入ればいい」

 「包摂」の場を作るということであれば、雨宮処凛氏の運動も、はたまたロフトをこしらえた平野氏も、それほど隔絶したことをやっているわけでもないのではないか、そう感じた次第です。そして戦後日本でのこの最大成功例が、多分創価学会でしょう。
 とまあ、小生とりとめもなく考えているうちに、新宿ロフトプラスワンでのパネルディスカッションの際、最後の質問の時間に言い出そうとしてうまくまとまらなかった、イベント自体は興味深かったけれど引っかかっていた、そんなことがらの全体ではないにせよ切れっぱしを、ようやく掴まえることが出来ました。

 それは、「包摂の場を作るに当たって、ネットの役割果たして如何」ということです。

 新宿ロフトプラスワンの「秋葉原通り魔事件 絶望する社会に希望はあるか」の中で、包摂の場を設けることの重要性については、論者の間で一致が見られています(包摂して「楽しく生きる」事が最重要か、それと社会改革運動とを二正面作戦で行うべきかの点については意見が割れていますが)。ですが、包摂の場とネットの関係については意見が分かれていて、しかも東氏と切通氏との議論が全くかみ合わなかったように思います(レポ(1)末尾参照)。図式的に切り分ければ、ネットで加藤容疑者に救われる可能性があったことを強調するのが東氏、それに疑問を呈するのが切通氏、という構図でしょうか。
 更に図式的なことを続ければ、小生はここでの議論については切通氏の側に近いので、さてこそ表題のように、東氏に包摂の場を作ることとネットとの関係について、より深く聞いてみたいと思うに至った次第です。

 ネットはもっぱら言語によるコミュニケーションツールなので、ただ漠然と「包摂する場」を設けるという点、参加者が「ああ自分はこの場に包摂されているんだなあ」と直接感じるためには、面倒な手段なのではないでしょうか。ネットの場では、ある程度相手を想定して、そちらに繋がる言葉を発しなければなりません。そして発言しなければ場にいると相互に認識できないのですが、これは結構面倒なことです。mixiのコミュニティのように、ただ入るだけで一員になるネットの場もありますが、その程度の場や加入具合で、果たしてどれほどの包摂の効果が生まれるのでしょうか。
 あまりに古典的かもしれませんが、やはり直接会って同じ場所と時間を共有することの方が、場を育てる上では有効だと思います。特に、雨宮氏の活動の中にも「公園呑み」がありましたが、飲み食いを共にするということが一番効果があるんではないかと。なんだか民俗学や人類学みたいな発想ですが。

 話が逸れますが、この点では呑みニュケーション大好きな、「革命的非モテ同盟」の古澤書記長は正しいかも、と思います。何せネット上で書記長が書くことは、しばしば格好つけて理論づけようとしてずっこけているにもかかわらず、書記長が多少の「場」を維持できているのは、デモや呑みなどリアル活動のお蔭に他なりません(このことを本人が一番分かっていそうにないのが笑いのポイントなのですが。書記長は内容証明郵便で探偵事務所に文句をつけたら「はてなブックマーク」がたくさんついたことを未だに自分の活動の最大成果と勘違いしている節があります。テレビにも新聞にもロフトにも出たのに、それよりも! そのことをいくら批判されても全く懲りていないのは、最近になっても「内容証明万歳」などと書いていることからも伺われます。まさに「はてな脳の恐怖」と題して森先生に分析していただく価値があると考えざるを得ません)。場を盛り上げて維持することが大事(「面白くなければ続かない」とは書記長の弁)で、言論の精緻さを上げることは必ずしもそれに優先するものではないのかもしれません。実際、「言論は仲間の結束を高める効果はあっても、反対者を説得する効果は少ない」と、ロフトプラスワンのイベントで論じられていますし。
 ただし、あまりにいい加減では、仲間の団結すら出来なくなってしまいますので、全くどうでもいいというわけではないのは勿論です(ウェルダン穂積氏のデモの失敗は、身内かためすら出来なかったことにあるでしょう)。

 その、イデオロギー闘争は不毛、といった指摘に対し、おそらくこの記事の先頭で引用した文章から察せられるように平野氏は不満と怒りを持っておられるようです。平野氏が政治の季節を乗り越えてこられた方であることを思えばそれもさもありなん、と思いますが、しかし実際のところ、政治運動を起こした諸団体にしたところで、理論ありきで行動していたわけではないのではないかと思います。簡単に言えば、メットかぶってゲバ棒振り回していた人々が、皆マルクス・レーニン思想に通暁していたわけではないだろう、ということです。言論は場を作るための道具として、その効力を発揮するのです(多分、「やまざき」氏が古澤書記長を「ガチ左翼」と勘違いしたのも、言論と場の関係を前者が優先と思っていたからでしょう)。
 結局場を作って人を包摂することが、政治運動においても基本ではないでしょうか。人が集まれば人脈も広がるでしょうし、うまく行けばカネ・モノも集まることもあるでしょう。そうすればロビイングも有効に行えることでしょう。

 例によって長すぎて書いているほうも草臥れてきたのでいいかげん締めにします(いつものことだけど)。折々友人に話していることを文字に起こそうとしただけなのに、何でこんなに面倒なのか。3秒で考えたことを書くのに3時間かかっても終わらないので。質問のある方は電話してください(笑)
 だから、ネットという文字ばかりのメディアによる場の建設は面倒で、多くの人を包摂する場を作るには不適ではないかと、嫌というほど感じたのでした。

 纏めると、場を作って包摂することが大事で、そのアプローチ方法は左右いろいろあるけれど、その際にネットの力は過信しない方がいい(地理的事情などで会いにくい人をフォローする、など使途を明確にすれば便利で有効でしょう)のでは、そんなところです。
 そして付け加えるならば、包摂の際に気をつけるべきことは、何かを排除することによる包摂、ネガティヴ・キャンペーンによる包摂に陥らないようにすることでしょう(言論という面倒な手段に頼らざるを得ないネットでは、最も手軽な言論作成方法であるネガティヴ・キャンペーンがより起こりやすいでしょう)。包摂の境界線はあいまいにしておくに越したことはありません。その方が流動性の高い包摂が可能になります。
 排除やネガティヴ・キャンペーンに陥らない為には、批判よりも自分が幸福になる方法を掲げるべきでしょうが、これはこれで難しいものです。何が幸福かなんて、分かったら苦労しません。それこそ人生かけて考えねばならぬことです。最初から明快なロードマップを示して「幸福」に至る道を示すことはかえって出来ません。だからこそ、先ず場を作ることを重視するべきなのです。
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by bokukoui | 2008-08-25 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(11)

ウェルダン穂積氏主催アキバデモ見物記 及び「やまざき」氏との邂逅

 昨年とかく話題を呼んだ(『さよなら絶望先生』でもネタにされた)「秋葉原解放デモ」の続篇(もっとも聞いたところでは前回のデモの主催者側に話は通していないようですが)的な位置づけで、前回のデモ参加者であり先日の阿佐ヶ谷ロフトのイベントでもご活躍だったウェルダン穂積氏が、去る27日に秋葉原でデモを行いました。またこのデモに際し、当ブログコメント欄でもおなじみ・労働収容所組合氏が中心になって、前回デモのネット上での「ヲチャ」の一人としてご活躍だった「やまざき」氏(neodada 氏)を、今回のデモ視察と前回デモ主催の一人である革命的非モテ同盟・古澤克大書記長との会談(宴会)のために北海道から招いておりました。そんな関係で、小生も多少の見聞をしましたので、以下に簡単に写真など挙げて感想を述べたいと思います。

(写真などあって長いので以下はこちら)
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by bokukoui | 2008-07-30 23:57 | 出来事 | Trackback | Comments(3)