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「ロフトA メディア時評~世界のアキバのいま」@阿佐ヶ谷ロフト 感想

 以前の記事でもちょっと触れましたが、先月8日の秋葉原通り魔事件について考えるトークイベントが阿佐ヶ谷ロフトでありました。で、そこに「革命的非モテ同盟」の古澤書記長が出演するということなので、色々繰り合わせて行ってきました。書記長と小生ともども秋葉原通り魔事件にその場で居合わせた、めかちゅーん氏とヨブ氏も足を運ばれていました。
 今回のイベントは「ロフトA メディア時評~世界のアキバのいま」と題し、パネラーは

  井上トシユキ(ジャーナリスト)
  鈴木邦男(一水会顧問)
  赤木智弘(作家 / フリーター)
  古澤克大(革命的非モテ同盟:書記長)
  ウェルダン穂積(芸人 / 自称革命家)
  スパルタ教育(過激芸人)
  中沢健(歩く雑誌)


 ということで、今回の事件の犯人の抱えていた問題に対応して、ネットに詳しい井上氏、ワーキングプア評論家(?)赤木氏、「非モテ」ということで書記長(事件に遭遇したということは今回の場合あまり関係なかったようです)、この事件に伴う秋葉原の歩行者天国中止ということで、パフォーマンス関係からウェルダン穂積・スパルタ教育・中沢健の芸人三氏、ということのようです。鈴木邦男さんは・・・テロルの専門家?
 というわけでこの7人に、後半は来場者の発言も交えて、4時間近くの議論が交わされました。その内容について、多少のメモも取ったので、以下にかいつまんで皆様にお届けしたいと思うのですが・・・。

 結論から言えば、今日のイベントはグダグダでした。
 いろいろな問題を検討しようといろいろな傾向の人を集めたのはいいのですが、その結果収拾が付かなくなってしまった嫌いがありました。まとめようにもまとめようがないほどなので、一緒に話を聞いていためかちゅーんさんが漏らされた感想を挙げて、まとめに代えておきます。

「この事件に解決なんて存在しない。事件について語ったイベントがグダグダになったということが本質で、グダグダになったということは対策がないということ」

 これは小生も首肯するご指摘です。しかし、グダグダを、つまり解決の付かない問題を、いわば気休めのおまじないを唱えるような解決策で済んだ気分になるのではなく、時々はそういったものが存在しているのだということを認識しておくことは、それほど無意味なことではないであろう、そうも同時に思います。

 これで終わりにしてしまっていいと正直思うのですが、それほどグダグダでメモを取ることも時として断念せざるを得なかったのですが、まあ折角採ったメモなので、グダグダの中で耳朶に残った幾つかの言葉と情景を、挙げておきたいと思います。文脈はさておき。あと発言はそのままではありません。結構まとめてメモしている(それでもメモしきれない)ので。

(グダグダと列記)
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by bokukoui | 2008-07-18 23:59 | 出来事 | Trackback | Comments(6)

続「アキバ解放デモ」一周年 ネットとの付き合い方に関してなど

 昨日の記事の続きです。いろいろあって遅くなりまして済みません(実質一日遅れですね)(追記:結局2日遅れになりました)。
 気力体力の衰退著しく、とても纏まったことは書けないので簡単に。

 「アキバ解放デモ」は、その参加者に対して総括を示せなかったということで、主催者側に多大な問題があったと思います。ネット上の批判(決して正当な証拠に基づいたとはいえぬ)に晒されたとはいえ、デモはネット上ではなく街頭で起こったことであるのに対し、ネット上の「世論」のごときものによって肝腎の街頭行動の意味を見失った、その不手際は批判されるべきです。
 おそらく主催者側も、このデモがネットの力と何か密接な関係があると考えたのかもしれません。しかし、前回の記事で書いたように、どうもこの驚くべき動員の裏には、ビラ撒きというグーテンベルク以来の? 古典的手段が少なからず奏功していたんじゃないかと思われる節があります。

 ネットといいますが、ネットでもうまく拾われない声というものがある、という点では既存のマスコミと同じような問題点はやはり孕んでいると思います。ネットもまた社会の一部をフォローしているだけであって、「世論」として完全なわけではありません。マスコミよりは優れているという見方もあるかも知れませんが、そして確かに場合によってはそのようなこともあるかもしれませんが、むしろかえってある狭い範囲で集中的にある話題が捏ねくり回され消費される、タコツボ的な現象を起こしやすいこともあろうかと思います。
 「秋葉原」的な、いわゆる「オタク」的な人々の声というものは、ネットによってそれまでのメディア状況より相対的に広い勢力を得たことは間違いないでしょう。しかし、メディアの中でその勢力が広がったからといって、「オタク」内部で拾われる声が、すべての声について同じように勢力を拡張したわけではないですね。

 ネット上のこのデモへの批判の中には、その後の秋葉原でもパフォーマンスを巡るごたごたなどまでこれと結びつける場合もあるようです。なるほど450人もいれば、その中にそのような手合いがいなかったとはいえないでしょうが、それだけでデモの性格を断ずるのも偏頗です。また、もし「アキバ解放デモ」とパフォーマーの過激化に関係があるのだとすれば、ネット上でこのデモを散々批難した彼らの言論は、結局秋葉原の事態改善の役には立たなかったわけです。
 まあ、推測に推測を重ねても仕方ないのでこの辺で止めますが、何か現実を変えようと思うのであれば、やはりいつかどこかで誰かが実際に行動しなければならないのだろうと思います。それをサポートするためには、ネットはもちろん大変有効なツールであることは論を俟ちません。

 先日、春日屋にしん氏など「アキバ解放デモ」に顔を出した方々にちょこっとお話を伺いましたが、皆さんネットの限界を踏まえつつ新たな活動を模索しておられました。それはまあ、小さいながらもデモとその後のゴタゴタが、多少は良い効果を一部の人には齎したのだろうと思います。
 で、デモ首謀者の一人であり、秋葉原の状況に重要な影響を与えた通り魔事件にもまさにその場で出くわした革非同・古澤書記長はといいますと、あれだけブログ大好きなのに先日ブログコメント欄を閉鎖しておりまして、これは秋葉原での経験を糧にして、ネット以外の活動にも力を注ぐのかと小生は期待を抱きました。正直、書記長の力が発揮できるのはしばしば論理的に破綻するネットの言論よりもむしろ街頭とかでの活動を行う妙な行動力、行動した結果の訳の分からない引きの強さにこそあると思っていたからです。
 そんな先日、古澤書記長から電話がありました。7月18日に阿佐ヶ谷ロフトで行われる秋葉原通り魔事件についての討論に出るので、ということでした。その時小生は、コメント欄閉鎖の英断を讃えましたところ、書記長はこう返答しました。

 「最近『はてな』では、コメント欄閉鎖が流行ってるようなので」

 ・・・。
 確かに書記長はこんな記事も書いてましたし、またちょいと検索してみたところこんなまとめ記事も見つかって、確かに個々のコメント欄に関する意見については頷けるところもありますけど、それはそれとして、書記長反省してねえ。
 まあ半年も前に書記長のネット狂いについては一筆しまして、特にそれに変更を加えるべき点もありませんが、それにしたって、一年経ってちっとは反省して欲しいというのが、率直な感想です。

 余談ですが、上掲まとめ記事中に出てくる先月の「はてな」村でのゴタゴタについて、kagami氏の名を久々に見出して多少の感慨無きにしも非ず。
 というのも、小生が革非同のイベントに出かけていって古澤書記長と知り合いになるきっかけをずうっと辿っていくと、小生が2年も前にkagami氏の書いた記事を読んで不満を感じ、というか猛烈な憤懣を感じ(ネットの記事を読んでそんなことを思ったことは滅多にありません)たことが実はそもそもの起こりだったことに思い至ったからでした。小生はそれ以後、美少女ゲームを題材に文学や哲学などの用語を鏤めて議論を展開する言説と論者すべてに対し、強烈な不信感を抱くに至ったほど頭に来たもので、このことはいつか記事にまとめたいと思っていましたが、なかなか大変な作業なので、今日に至っても実現してません。そんなわけで、正直、今回のkagami氏のブログ閉鎖騒動については、ブログやコメント欄を巡る諸状況より、氏自身のパーソナリティに起因するところが大きいと思っていますけど。
 ま、過去ログ自体は残ってるようなので、いつか書くことがあるかも。
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by bokukoui | 2008-07-01 23:54 | 思い付き | Trackback | Comments(6)

「6・30アキハバラ解放デモ」一周年 秋葉原について思うことなど

 繰り返しになりますが、今月は通り魔地震で思いがけず大きな出来事が身近に迫り、またごく最近知ったのですが、詳細は避けますが自分の知っている人に思いがけないこともあり、まったくもって碌でもないひと月でした。
 今日でこの月も終わり、来月からはもっと平穏無事な日々であって欲しいとつくづく思います。

 その碌でもない6月の終わりの日、6月30日とは、思い返せばあの「6・30アキハバラ解放デモ」の一周年にあたるのだなあとふと思い至りました。
 あれから一年、ある意味今こそ「秋葉原解放」が求められるようにも思われますが、そして何でも「第2次アキハバラ解放デモ」を企画している人がいるとも仄聞しますが(前回のデモの中心人物の一人・「革非同」古澤書記長に聞いたら「何も聞いてない」とのことでしたが)、時の経つのの早さには愕然と致します。
 まあ、ここ一年ばかり、小生自身が大変な不調沈滞の時期でしたので、余計早くも感じられたのでしょうけれど。こっちの方も、今月限りでいい加減厄落としと思いますが、そう思い通りになれば苦労はしません。

 個人的なことはともかく。
 何しろあれから一年、秋葉原を巡る状況はかなり激動といってよかったと思われます。「オタク」の一般化による観光地化が進み、歩行者天国での種々のパフォーマンスが増加して、それらに伴って(かどうか、ここの因果関係は考えるべきことなのですが)種々のトラブルが増加しました。少なくとも、「増加した」という認識が広がりました。これは「地元」であるとか、警察当局、そして「オタク」と称される/自称する人々の間でも共通認識として広まっていたといえるかと思います。「オタク」(もはやこの呼称である集団を括ること自体あまり適切ではないのかもしれませんが)内部でも議論は分かれていたように思います。
 そして「露出パフォーマンス」とやらをしていた女性の逮捕などの事件が起こり、秋葉原の歩行者天国の廃止を求める声も出、地元と警察とがパトロールを行ってパフォーマンスの取締りを行うという状態になりました。そこに起きたのが6月8日の通り魔事件で、これによって歩行者天国は中止となりました。このことの是非についての小生の考えは前に書きましたが、とまれ、急激な変化の一年であったと改めて感じます。

 今一年前に自分が書いた記事を読み返してみましたが、特段当時と認識は変わりません。
 やはりあのデモの最大の謎は、いったいどこからどうやって450人も湧いてきたんだ、ということに尽きます。それが分からなかった故に、デモ主催者もどう対応していいのか分からず、ネットでの議論も迷走し、悲惨な末路を辿ったのだと、小生は今でもそう思っています。おまけにこれで、きちんとした総括(粛清にあらず)が行われる機を逸したわけですし。
 その後、このデモに関して多少の情報が小生の手許に集まりました。そこで分かったことは、このデモの告知に関しては8000枚ものビラが事前に配布されており、これが動員に少なからず功あったものと思われます。ビラで来た人数が450人中半分以下としても、ビラの反応率2%というのは広告屋さんが感涙に咽ぶ数字であろうと思います。
 また、これは当日のレポや感想記事でも書いたことですが、どうも『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品のファン層が集団で来ていたことが、直接的動員増につながったことは確かです。で、この中心人物と思われる「春日屋にしん」氏に先日ちょこっとお話を伺う機会があったのですが、この関係でアキバ解放デモに来た人は「40~50人はいたと思う」とのことでした。約一割ですね。

 ですが、やはりこの秋葉原に集まった450人の出自や思いというものは、今となっては分かりません。こういうときこそネット、と思っても、何せデモ主催者がゴタゴタで一般参加者の声を集約することをしなかった、またネット上の「叩き」「祭り」ということがそれを難しくしたので、結局具体的な思いは、ほとんど分からないのです(貴重な証言だった「さかぽよすの記」さんもサイト消えてる・・・どなたかキャッシュ持ってませんか?)。
 かろうじて言えそうなことは、今まで拾われてこなかった「何か」、例えばそれはマスコミなどに出ることもなく、ネット上の言論でも目立たず、多分秋葉原の再開発でも考慮はされなかった、そんな「何か」が存在したんだろうな、ということです。それは「何か」なので、当の参加者にだって具体的に原稿用紙10枚以内で記述せよ、と言われても出てこなかったことでしょう。デモ主催者は、デモを行って人を集めたからには、その「何か」をいくらかなりとも拾い上げる責任があったと思います。その点で、デモの主催者の失態の責任は重いと思うのです。まあ、ネット上でちょっかい出した連中も大勢いたことは確かですが。

 すみませんが、続きは別記事に。
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by bokukoui | 2008-06-30 23:58 | 思い付き | Trackback | Comments(2)

秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録

 既にマスコミ・ネットなどで広く報知されていることですが、本日秋葉原で通り魔事件がありました。今聞いたところでは、7名の方が亡くなられたとのこと。亡くなった方のご冥福と負傷された方のご快復を心よりお祈り申し上げます。

 さて、何の因果か小生、この現場に居合わせておりました。思うに死んだ人に対し生きている人が出来ることというのは、死んだ人のことを記憶にとどめ忘れない(そして後世に伝える)ことだけであろうと思います。そこでその場に居合わせた者として、そこで自分が見聞きして記憶に残っていることを以下に整理し、事件の記憶をとどめる一助としたく思います。なお、どうしてもこのようなものはマスコミによる報道が「印象」を(その場にいた者にさえ)刻み込んでしまうものですので、小生はまだマスコミ報道に敢えて目を通さず、自分と同行の友人諸氏とが経験したことに基づいて、記録をまとめようと思います。ですので報道と矛盾する部分があるかもしれませんが、ご諒承ください。

 本日正午過ぎ、小生は「革命的非モテ同盟」古澤書記長、めかちゅーん氏、ヨブ氏と秋葉原を散策しておりました。コンピュータの新調のため、とりあえずモノを見に来るついでに友人諸氏と歓談するつもりでした。4人で連れ立って、中央通りの歩行者天国をぶらぶらしておりました。
 以下に手書きの拙いものですが、現場と状況を図にまとめてみました。
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第1図

 現場の見取り図です。12時半ごろ、我々は中央通りを南の方へ向いて歩いていました。
 と、背後で「ドカン」と大きな音がしました。反射的に振り返ると、箱型の荷台の、ニッポンレンタカーのロゴをつけたトラックが猛スピードで西から東へと交差点を走り去っていきました。
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第2図

 第2図中(A)のあたりに、二人の人が倒れているのが見えました。(B)の辺り一帯に、傘や何か自動車のバンパーの破片? らしきものが散乱しており、交通事故だと思いました。「轢逃げだ」という声も上がったように思います。交差点の中には、南から東へ向けて濃紺のワゴン車が右折しようと止まっており(古澤書記長いわく、歩行者天国の範囲内に元々いたのが、ホコ天開始前に出損ねて、この時になってあわてて出ようとしていた様子だったとか)、最初はこのワゴンとトラックが事故を起こしたのかと思いましたが、ワゴンは関係なかったようです。トラックはその先の(C)のあたりに止まったようでした。

 我々は第2図中あたりの位置におりましたが、事故の発生に向きを変えて北側の交差点を見ました。元々人通りの多い場所だけにすぐ人垣が出来ましたが、事故現場は歩行者天国の範囲外の道路部分だったので、人垣はそこにははみ出さず、東西の道路に沿ってできました。負傷者にはそばにいた人が駆けつけ、歩行者天国の警備に当たっていたのでしょう、警察官もすぐ姿を現しました。
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第3図

 どのくらいこの状況が続いたのか、小生の記憶ははっきりしません。ヨブ氏は2分程度だと思う、と言ってましたが、そんな程度だったでしょうか。人垣越しなので状況も余りよく見えなかったのですが、人と人の間から、第3図(D)地点附近で警官がころり、と転倒するのが見えました。事故で倒れた人の姿勢を再現しているような感じでした。
 後で考えれば、その時犯人がトラックから降りてここまでやってきて、警官を刺したということだったのですが、犯人の姿を見た覚えは小生はありません。人垣越しでよく視野に入っていなかったのか、想像も出来ないことだったので認識できなかったのか。

 ここで叫び声があがったように思います。ここの経緯は4人の記憶が一致しないのですが、小生は誰かが「発砲だ!」と叫んで、皆が走って逃げ出したように思います。書記長は「キャー!」と叫び声が上がって逃げ出した、といいます。めかちゅーん氏は特に何か悲鳴や声を聞いた覚えは無く、群集が崩れて逃げ出したのを見て自分も走ったそうです。ヨブ氏は女性が「キャー!」と叫んだので交差点を注目したら、警官が倒れるところだった、といいます。ヨブ氏は警官が刺されるところを見た、と言っておられました。

 とまれ、ここで人垣が崩れて、第3図中赤矢印で示したように群集が一斉に逃げ出しました。人垣は左右に割れて、中央通りの真ん中を走った人は余り多くなかった気がしますが、小生も一緒になって走っていたので良く分かりません。なお我々の脱出経路は第3図中の黒点線の矢印の通りで、書記長とヨブ氏は中央通りをひたすら南に、めかちゅーんさんは途中で第1図中の免税店の中に(「店の中へ逃げろ」という声を聞かれたとか)、小生もその店の角を曲がりました。
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第4図

 曲がったところ(第4図附近)で小生は背後を振り返りましたが、その時第4図中(E)の路地で、警棒を構えた警官がじりじりと何かに向かって矢印方向に進んでいくのが見えました。

 同じく店内から振り返っためかちゅーん氏も、路地の入り口のサトームセン(閉店)側にいた男と、路地の入り口の反対側(南側)の警官が対峙しているのを見たそうです。男は後ずさりしながら路地の奥へ入っていったそうです。

 書記長はもっと南まで走ってから、追ってこない様子なので振り返ったところ、やはり(E)の路地入り口で警官と犯人がナイフと警棒で格闘しつつ、犯人は路地の西方へ移動していったとのことです。こわごわと、群集について書記長もその路地を覗いたところ、2人の方が刺されていたらしい、とのことでした。

 ヨブ氏のご記憶はちょっと異なります。やはり南へと中央通りを走ったヨブ氏、さらに前方の第4図(F)の辺り(ラムタラやアソビットの附近)でも刺されたのか倒れている方がいたので、こっちに犯人がいるのかと危険に思って元の方へ引き返したところ、声がしたのでやはり(E)の路地の方を見たそうです。すると、警官が路地から飛び出してきて「こっち来るな!」と言い、その警官は血が飛び散ったナイフ(ヨブ氏曰く、サバイバルナイフのような感じで、M9バヨネット〔銃剣〕に似た感じだったとのこと)を持っていたそうです。
 時系列と場所からすると、他の3人の記憶と矛盾するようにも思われますが、氏の証言のまま書いておきます。

 小生以外の3人の方は、凶器のナイフを持った「犯人」を目撃されたそうで、その服装はベージュ系の色だったそうです。小生はどうも、そのような人間を見た覚えがありません。事件の意味が分かっていないので、「犯人」と認識できなかったせいなのでしょうか。認識できないものは、たとえ網膜に映っていても、「見る」ことができないのかもしれません。
 ただ、(E)の路地で、警官が警棒を構えつつじりじり前進していく、その背中を確かに見たのですが、その先に、笑いながら手を叩いていた人間を見た気がしてなりません。場所と状況から言えば、これは犯人としか思えませんが、しかし服装は白っぽかった気がします。
 人の記憶とは、必ずしもあてにならないものです。

 犯人らしき人間が路地の奥へと去り、そして「捕まった」という情報が口伝に流れて、気が抜けた空気があたりに流れました。
 この間、およそ10分程だったかと思います。

 パトカーが次々とやってきて、警官が立入禁止のテープを張って中央通りの車道から人々を歩道へと誘導します。ややあって救急車やレスキューもやってきました。我々も無事に再合流を果たし、中央通りの西側の歩道(交差点から少し南)から呆然と状況を眺めていました。救急隊が駆け回り、警察や救急の増援がやってきて、そして報道陣も大勢やってきました。
 我々はそういった状況を見、そして遅れてきた友人たちと合流して起こったことを話したりしていました。それは大して長い時間には感じませんでしたが、気がついたら2時間ほど経っていました。時間の流れは、主観的には決して一様ではないようです。

 考えてみれば、逃げる時の路地が東西逆だったら死傷の可能性もあったわけですが、今思い返してみても特に「怖い」と実感したとか、そのようなことはありません。事態の全容がその近くに居過ぎてかえって分からず、変に生々しい断片を見ていると、ただひたすら「わけが分からない」ような、不条理な感覚がするばかりです。
 その不条理感を克服する為に、この記録を綴ったというわけでもあるのですが。

 現場では、さすが秋葉原というべきか少なからぬ人がカメラを持っていて、カメラが無くても今時カメラつき携帯電話くらい皆持っていて、大勢の人が写真を撮っていました。小生は今日はたまたまカメラを持ち合わせませんでしたし、また写真を撮るというのもあまり適切な行為とも思われず(不謹慎云々という小生らしからぬ殊勝な思いもありますが、そもそも下手に写真を撮っても何がどう起こったのかうまく伝えるのは難しそうで、かえって画像に印象を制約されてしまいそうで)、そこで何が起きたのか振り返ってまとめようと思いました。
 上の4枚の図は、この時現場で書記長・めかちゅーん氏・ヨブ氏の話を聞きつつ自分の見たことをまとめたものを、清書したものです。
 図を描いていたところ、入れ替わり立ち代り話を聞きにきたマスコミの方々が関心を示して(話をする側としても便利ですが)、中には図の写真を撮っていった方も居ました。小生の字は元々ド下手な上に、現場でのメモですから、他の人には読めなくて役に立たなかったでしょうけど・・・。

 うまくまとめられるような話ではありませんが、記録としてはひとまずこれで一区切りとします。
 何かあとで思ったことがあれば新記事を起こすかもしれません。思うことはそれなり以上にありそうですので。

追記(9日未明):今ちょっとネットを巡回したところ、マスコミ関係者が本事件取材中オタクバッシング的な言辞をしていた、という怒りの声が2ちゃん方面で上がっていたようです。小生は多くのテレビ局、幾つかの新聞、若干の雑誌の取材を受けましたが、また一緒に居た3人も取材を受けていましたが(特に古澤書記長とヨブ氏)、その範囲内では特段そういった偏向のある取材を受けた覚えはありません。
 この場に居た人々が、犯人逮捕などの画像をやり取りしていたことへも批判の声が上がっており、確かにその指摘ももっともなところがあるとは思いますが、マスコミの取材の方もひとしきり話を聞くとほぼ全員、「何か画像をお持ちではないですか?」と聞いてきました。しかしそれもまた考えるに、マスコミも視聴者・読者の要望に応える必要性があるゆえのことでしょう。
 有体に言って、必死になって逃げている時に振り向いて写真を撮る命知らずは、居るはずが無かったろうとは思います。

更に追記(20日夕刻):思ったことなど新記事を書きました。まとまっていませんが。
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by bokukoui | 2008-06-08 21:07 | 出来事 | Trackback(4) | Comments(46)

赤木氏の「戦争」~希望は、ガンダム? 附:『日中戦争下の日本』略感

 いろいろ忙しく、お陰で疲労も積もり、続きを書くのが遅くなりました。
 で、もうずいぶん前のお花見の時の件、「三十三年の孤独~革非同花見に「希望は戦争」赤木智弘氏来駕」の続きです。

 赤木智弘氏の所説が話題を呼んだのは、ひとえに「戦争」という言葉の使い方が刺激的だったからであろうと思います。で、近代史を学んでいる者として、というよりは戦史マニアの端くれとして、という方がいいのかも知れませんが、赤木氏の戦争観について是非とも伺ってみたかったのです。極端な例として、スペイン継承戦争時のフランスでヴィラール元帥が「われわれがおおぜいの新兵をみつけられるのは、諸州の民が困窮にあえいでいるおかげだからである。・・・民の苦難がわが王国を救う、といってさしつかえない」といったように、生活が苦しい時「希望は、戦争」というケースは歴史上まま見られました。生まれた社会に見切りを付け、傭兵として一旗揚げるという例は、近世のスイスや古代のギリシャなど枚挙に暇がありません。今だってフランスには外人部隊というものがありますし、更に最近横須賀市民を震撼させたタクシー運転手殺人事件の犯人であるアメリカ水兵はナイジェリア出身でした。これらの例が突飛とするならば、別な視点では満州事変後の日本も戦時体制強化に社会改革の希望を託していた事例とも言えますし、独伊のファシズムなども思い起こされます。

 この日の宴席には、書記長以下元・予備自衛官が4人も出席されており、自衛隊は「非モテ」な組織だとの感を深くしましたが、それはそれとして、つまり戦争の(元)専門家が4人もいるわけですし、また小生の他にもこういった話題に興味のある方もおられ、戦争で一旗揚げる話題は大いに盛り上がりました。フランス外人部隊の入り方だの、ヴァレンシュタインの話だの、はてさてチベットの状況に至るまで、話は多岐に渡りました。
 が、赤木氏、この話にちっとも乗ってこないのです。唯一氏がこれら戦争の話題の中で口を差し挟んできたのは、どなたかが話の序でにネタとしてカテジナとかいうガンダムのキャラクターの名前を出したときでした。小生はガンダムのことを何も知らないので(小生が巨大ロボットに関心がなく実物の機会にしか関心がない理由は以前書きました)どういうキャラクターか存じません。フランスのカチナ元帥(上掲ヴィラール元帥と同時代の人)というのなら聞いたことがありますが。
 で、そこで赤木氏に対しこう思わずにはいられませんでした。

 「あなたの仰る『戦争』って、ガンダムですか!?」

 社会の閉塞状況を打破するために「戦争」に賭ける、というシチュエーションで、まず多くの日本人に思い浮かぶであろう歴史的先例としては、我が国の満州事変やそれに続く日中戦争での総動員体制が挙げられます。赤木氏の著書をざっと読んだ限りでは、氏がこれらの歴史的状況の参考文献とされているのは井上寿一『日中戦争下の日本』だけのようでした。
 そこで同書をざっと一瞥しますに、日中戦争に諸勢力がかけた社会改革の希望を描いた、なかなか面白い本で、結論にも共感するところがありました。しかし、いくつか疑問点も浮かびました。タイトル通り日中戦争から話が始まり、その後の太平洋戦争のことも触れてはいるのですが、その前の満州事変の事が殆ど出てきません(協和会関係で数カ所ちょこっと出てきた位でしょうか)。「日中戦争とは何か」が本書の主題であるからだとしても、「戦争から国家を改造する」というのであれば、満州事変はまさにその事例として日中戦争当時の日本人にも想起される存在であったと思うのでありました。

 小生が修論で扱ったのが電鉄業と電力業だったもので、戦時下の改革(統制)について日中戦争下のみ取り上げて論じられることには違和感を覚えてしまいます。どちらの業界も、1920年代末以降過当競争と不況の対策として統制が叫ばれ、業界が自主統制を進めるも、日中戦争~太平洋戦争によって強力な国家統制がかけられ(電力業に至っては国家管理されてしまいます)、戦後再び改革が行われてその後は安定期に至る、という展開を辿っています。戦後の再改革は、特に電力業の場合、戦時中の行き過ぎを是正して戦前の自主統制に近い線に戻るというものであったため、戦時下の統制については「長い回り道」という評価が現在の通説となっております。
 だからもうちょっと前から見ておかないといかんのではないか、そう思いました。井上氏の著作では帰還兵の役割を重視していて、それは興味深いのですが、彼らに敵視される資本家もまた戦時に自分たちの業界の統制(それは日中戦争以前からずっと問題だった)をうまく進めるため、戦争に賭けた面もあるのでして。戦争が起こってしまってやめられない以上、全ての勢力が戦争を所与の条件として、自分の有利に活用する方向を探らざるを得ないわけですが。

 あと、史料として新聞と『兵隊』という当時の雑誌が多く使われていますが、ちょっと新聞などが描いた構図をそのまんま受け取りすぎているのではないか、という気もしました。また「社会システムの不調」というワードもいまいち有効に使われていないような。

 ま、このように小生が本書にやたらいちゃもんをつけてしまうのは、一箇所あれれっ!?という間違いを見つけてしまったために、小生が本書に不信感を抱いてしまったこともあるかと思います。
 本書45ページで、1940年5月の新聞記事が紹介されています。前線から帰還した兵士が倫理的に振る舞おうと努力していたのに、軍需景気の銃後では毎月一日の「興亜奉公日(戦場の労苦を偲んで簡素な生活に徹しましょう、というキャンペーン日。太平洋戦争開戦後は毎月八日が「大詔奉戴日」となった)」であるにも関わらず物見遊山に繰り出す連中が多い、という話です。その物見遊山ぶりを報じる記事について、井上氏は「ところが実際には、この新聞記事によると、東京電車鉄道管内のこの日の乗客数は約115万人で・・・」と書いています。
 はて「東京電車鉄道管内」とはなんじゃいな、と画像が掲げられている元の記事をよーく見ると、「東鉄の調査によると・・・」と書かれていることが分かりました。

 これは、鉄道省の東京鉄道局のことですね。戦後の国鉄では東京鉄道管理局(のち三つに分割された)になります。
 東京電車鉄道とは、東京の路面電車の会社です。東京馬車鉄道が電化して電車になったんですね。同じ頃東京の路面電車には東京市街鉄道と東京電気鉄道というのがあり、当時の東京市民はそれぞれ「東鉄」「街鉄」「外濠線」と呼んでおりました。これらの会社は合併して東京鉄道となり、その後市有化されます。これは全部明治末年の話なので、日中戦争と時代が三十年ほど違っております。
 ことのついでに、ウィキペディアでは東京電車鉄道の略称を「東電」と書いていますがこれは間違い。当時東電といえば、電力会社の東京電灯に決まっております。嗚呼、最近の若い鉄ヲタは物を知らぬ。
 更に余談を付け加えれば、戦前に一時期存在した「東京電力」という会社は、東京電灯との混同を避けるために「東力」と略されていました。

 ま、鉄道史の認知度なんて業界内部でもこんなもんか、と凹んだ次第です。

 話を戻します。
 本書の巻末あとがきには、なんと赤木智弘氏の「『丸山真男』をひっぱたきたい」が取り上げられており、井上氏の本書の執筆に赤木氏の影響が多少あったもののようです(赤木氏の文章は2007年1月号の『論座』に載り、井上書は2007年7月10日発行。赤木氏の単著は同年11月1日発行)。赤木氏が著作の中でそのことに全く触れていないのは不親切ではないかと思います。マッチポンプというか。
 で、井上氏はあとがきでこう書いています。
 格差拡大社会の今日の日本において、戦争という手段に訴えてでも、下流階層から脱出し、平準化をめざす「31歳フリーター」は、昭和戦中期の日本国民の末裔に違いない。
 しかもインターネットの空間で、中国や韓国、北朝鮮などの隣国とバーチャルな戦争を戦っているこの人たちにとって、今はまさしく戦中期である。(p.216)
 ・・・そりゃないでしょ。
 井上氏は本書第II章で、中国の戦場に行った日本兵が実際の中国人を見ることで、中国への他者理解が芽生えていたと書かれています。日中韓のネトウヨ(的な連中)どもは、ネットに引き籠もって他者理解を拒んでいるのが問題じゃないでしょうか。ましてネットの罵倒合戦を日中戦争に例えられてもねえ・・・。

 話を赤木氏の所論にさらに戻しますと、結局氏の「戦争」イメージはかなり偏頗なものではないかと思います。『論座』でその後展開された様々な論客との応報がいまいち噛み合わないのも、多くはその論客諸氏が赤木氏の抱える問題への理解不足にあるのは否めないにせよ、「戦争」のイメージが隔たりすぎていたのもあるんじゃないかと。あと、戦争や戦争を介した社会改革となると、軍の果たす役割は極めて大きいわけですが、赤木氏の「軍」に関するイメージは「戦争」のそれ以上に稀薄に感じられます。
 ただ、だからといって赤木氏に歴史学の授業を受けてもらえば事態が改善するんじゃない、というところに問題があるのだと思います。

 二回に渡って小生、延々と赤木氏の所論およびお話を伺った結果思うところについて長々と述べてきましたが、それだけ現在の日本社会のある問題点について考える糸口には、事実関係の問題などあろうとも、赤木氏の所論はなったということです。氏の所論はそれなりに雑誌や単行本やネットを経て広まったと思われますので、より多くの人が赤木氏のような人たちの存在に気がつき、問題として捉えるようになれば、この問題の解決に世論が向かうことにもなるかもしれません。
 ただ、このような目的で赤木氏の所論を読むとなると、いわば一段高いところから赤木氏の所論を分析し、このようなことを言うに至ったのは何故か、と読み解くことになります。何しろその内容自体は如上述べたるように問題がありますので、こと「論壇」のような場ではそういった瑕疵を突かれるか、その瑕疵を認めつつも一段高いところから(メタレベルとでも言うんでしょうか)論評するという形になるしかないでしょう。この拙文もまたその例に漏れるものではありません。で、そうなると、前回の記事で想定したような赤木氏(のような人々)の抱えている問題の根幹、コミュニケーションと承認欲求の問題の解決には、実は繋がっていないんじゃないか、そのように思い至りました。メタレベルでの分析対象にされたところで、承認欲求が満たされるとは言えなさそうなので。

 ではどうすれば良いのか、という対策については、小生に確たる答えはありません。ただ、お花見の会での小生の振舞は、いささかピントがずれていたのかも知れない、そう今では思います。赤木氏とは「戦争」について議論をするよりも、ガンダムについてお喋りすることの方が重要だったのかも知れない、その方が、直接的に氏が求めていたものであったのかも知れない、と。なれば処方箋もまたおぼろげには見えてくるでしょう。

 まだいろいろと思うところはありますが、ひとまずこれにて。

※2008.4.25.追記:赤木氏の単行本の支援広報ブログで、鮭缶氏が『日中戦争下の日本』に触れておられます。見解を異にするところもありますが、しかし本稿の内容に手を入れるのも今更なので、とりあえず読者の方のご参考にリンクしておきます。
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by bokukoui | 2008-04-17 23:44 | 歴史雑談 | Trackback | Comments(9)

三十三年の孤独~革非同花見に「希望は戦争」赤木智弘氏来駕

 日曜日のお花見の話など。
 これが革命的非モテ同盟古澤書記長主催のお花見なのでした。今回のお花見にはビッグな(?)ゲストが。
 『若者を見殺しにする国』「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」で話題を集めた赤木智弘氏であります。そして、漫画家・山本夜羽音先生も来られていました。

 週明けから急に天気が悪くなりましたが、日曜日は好天で花も充分残っており、絶好のお花見日和になりました。お花見の情景を記念に撮影したので以下に一枚。
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 上の写真で、顔が出ているのがおなじみ古澤書記長、赤で目伏せしたのが赤木氏、黄色が夜羽音先生です。十数名が集まり、フランス人や女性の参加者もあるなど、なかなか盛況でした。書記長もビールをサーバーごと持ち込む気合いの入れようでしたが、流石に多すぎて始末に困っていたようです。小生も未だ体調本復せぬ故に、始末に協力できなかったのは残念でなりませんでした。

 さて、赤木氏が来られるということを聞いたので、小生は『若者を見殺しにする国』を持参してサインしていただきました。またサイン本コレクションが増えました。
 が、それは本題ではなく、折角の機会なので同書の内容について幾つか感じた疑問点を伺ってみました。同書の核心をなすのは、雑誌『論座』に掲載された「『丸山眞男』をひっぱたきたい」という文章ですが、内容はリンク先にそのままあるので読んでいただければよいので、ご関心のある方はご参照ください。バブル崩壊後の不況で、特に厳しい経済的困難に追いやられた団塊ジュニア世代、氷河期世代の主張を訴えたものです。企業が氷河期世代の若者を切り捨てたばかりでなく、既存の「弱者」保護政策(労働組合とか)も既得権益を持った層を保護するばかりで、またそれを正当化するために「近頃の若者はダメだ」という「俗流若者論」(これについては後藤和智氏のサイトをご参照ください)が流布するのだとしています。そして、ここから氷河期世代の若者が脱却するには戦争が起こることで皆が貧しくなればよい、とさえ思いたくもなるのだ、としています。
 小生は最初、これはわざと過激なことを主張して社会批判を行う、例えばスウィフトの「アイルランドの(中略)穏健なる提案」みたいなのかと思ったのですが、本を読んでみるとどうもそういう積もりでもないような感もあり、とすると鋭い着眼点からはじまっているのに、そして部分部分ではなるほどと思ったところがあるのに、議論が途中からやや迷走しているような印象を受けました。

 幾つか感じた疑問点の中で最大のものは、この本の中で赤木氏が既得権益を固守して若者を犠牲に追いやっているという層に対して厳しく批判を述べる一方、ご自身をはじめとする、肝腎の団塊ジュニアの就職氷河期世代についての記述が少ないということです。何より、赤木氏ご自身が「この本は、社会批判の書であると同時に、私の人生を世間にさらけ出す暴露本という側面を持っています(p.15)」と述べられているのに、実はほとんどそうではないのです。赤木氏自身の経験による氷河期世代の状況がほとんど述べられていないため、その人々の苦境を訴える力を損なってしまっているように思われます。その分、既得権益と非難される正社員などへの批難、「希望は戦争」という過激な言辞ばかりが目に付いてしまうのです。
 これは結局、赤木氏のような立場にある人への支援をするという方向へ世を動かす、という戦略的効果を損なうことになります。あんまり他人事でもないので、そういった戦略的方向自体は小生も首肯するところなのですが、それだけに読後の戸惑いもありました。

 この点について、赤木氏に直接お話を伺ってみました。氏はだいぶ飲んでいるので、と断りつつ、慎重に言葉を選びつつお答えしてくださいました。ありがとうございます。
 で、やはり小生が考える程度のことは既に指摘している方もおられたのか、赤木氏としては自分についての話は次回作で書く予定だ、とのことでした。
 ではなぜこの本で書かなかったのか、ということを伺ったのですが、小生の聞き方が悪かったのか、ちょっと話がかみ合わなかった覚えがあります。
 更に幾つかお伺いしてみたところでは、このまとめはあくまでも小生の印象に基づくものですが、赤木氏はご自分について語ること自体に積極的ではない印象を受けました。そもそも他人とそういったことについて語り合うというか、情報交換をするような機会が余りなかったようです。

 『若者を見殺しにする国』では、「俗流若者論」の一例として、オタクへの不当なバッシングについて取り上げています。その論旨自体は小生もまったく同意するところですが、ただ本書全体の中での位置づけが良く分からないという感想も持ちました。これもおそらく、赤木氏自身の状況の記述が少ないため、オタクであることと団塊ジュニアの生き辛さとの関係が良く分からなかったのでしょう。
 で、赤木氏はゲームやアニメが好きだと書かれていますが、こういった趣味的な話題についても、周囲の人と話したりすることが、どうも決して多くは無かったようです。

 この辺の印象から話をまとめるのは些か乱暴であるとは思いますが、小生が感じた印象を率直に述べれば、赤木氏の(様な人の)苦しみそして欲求の多くは、「自分のような人間の言うことには誰も耳を傾けてくれない」という思いに起因するのではないか、ということです。簡単に言えばコミュニケーションの問題ですね。
 団塊ジュニアといってもみんながみんなフリーターになったわけではない、ではどういう人が貧乏くじを引かされたのかと考えれば、社会の不利な状況を補いうるであろう人的なネットワーク(血縁、地域、友人、などなど)との結びつきが弱い人ほどなりやすいんじゃないかと。もちろん小生は、「俗流若者論」的な、最近の若い者は“人間力”が低いからだ、とかそんな話をしたいわけじゃないですよ。昔ならば「自己責任」で済ませても大した問題じゃなかったかもしれませんが、現在の(赤木氏の世代以降の)場合はそうはいかないでしょう。人的なネットワークの形が変化しているからです。
 更にコミュニケーションの問題は、承認欲求の問題にも直結しているでしょう。人とのコミュニケーションなくして承認もないからです。だから逆に、何かの拍子でこれが失敗すると、コミュニケーションできない→自己承認できない→もっとコミュニケーションできない・・・という悪循環に陥り、脱却が難しくなってしまうのではないかと思います。で、その「何かの拍子」というのが、特に最近は当人ではどうしようもない状況で強いられた物であることが多いのではないかと考えられます。

 こう纏めてみると、赤木氏が「非モテ」の花見に来る必然性は大いにあると納得できます。「非モテ」もまたコミュニケーションと承認欲求の問題に他ならないわけで。また赤木氏の言論が話題を一定呼んだとしても、間々ディスコミュニケーションに陥ったり、攻撃性の強さゆえに反感を招いてしまうことも説明できそうです。
 赤木氏は、自分の求めているのは衣食住の保障という「生理的欲求」「安全の欲求」であって、他者との係わり合いから得られる「親和の欲求」「自我の欲求」ほど高次なものではないと述べておられますが(第6章)、それでは戦争になって名誉の戦死の方がマシ、という言葉は出てこないでしょう。実際、それに続いて「本当なら、生きたまま十分な自尊心を得られる生活を送りたい(p.211)」と書かれていますし。或いは、酒を酌み交わしジンギスカンを突きながらの山本夜羽音先生との談話中で、夜羽音先生が「今ある行政サービスは使い倒すべきだ」と発言したのに対し、赤木氏は「プライドが・・・」云々と仰っていました。
 さすがに「生理的欲求」第一というのは難民レベルの、とりあえず救済みたいな話であって、日本のこの問題では、一定以上の生活の安定と精神的な安定とは、かなり密接に関わっているのではないかと思うのです。小生はマズローという心理学者の説について何も知らないので、ちょっと頓珍漢なことを書いているかもしれませんが。

 以上の拙文で、小生は赤木氏の所説の瑕疵をあげつらって一時の快を貪ろうとするものでは決してありません。むしろ、例えば氷河期世代に対し何らかの職業訓練的なものを施す際に、彼らを抑圧的に「教育」する(例:海兵隊のハートマン軍曹)という、巷間ありがちな発想の問題点を認識できますし、また彼らの悩みを社会全体の問題として受け入れる上でも何がしかの知見を導けそうだと考えます。論点はまだいくらでも広がりそうですが、これ以上は小生よりも適任な方々が大勢おられるので、話はこの辺にしておきます。
 ただ小生が残念に思うのは、赤木氏の書物からここに達するまで、えらく回り道する必要があったということであります。

 というわけで、「希望は、戦争」という言葉から、満州国→大陸浪人なんかを思い浮かべてしまっていたのですが、だいぶ違っていたなあ、という話でした。
 で、赤木氏の「戦争」については、とても重要な話がまだあるので、次の機会に。
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by bokukoui | 2008-04-10 23:45 | 出来事 | Trackback | Comments(9)

非モテを貫けばベンツを得ん~革非同・古澤書記長の公用車

 今日はガソリン・軽油の暫定税率期限切れ失効の日にふさわしい話題を、というわけでもないのですが。
 引きこもり生活が長すぎてネタが無いところ、近くお花見を開催するという毎度おなじみ革命的非モテ同盟・古澤書記長から、表題の件のごとき話題と画像をいただきましたので、有難く紹介させていただきます。バレンタインとホワイトデーの粉砕デモの時は、いろいろあったとはいえ記事書けなくて済みませんでした。

(続きを読む)
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by bokukoui | 2008-04-01 23:07 | 出来事 | Trackback | Comments(8)

今日の渋谷駅前~「クリスマス粉砕デモ」見学記

 いろいろ調子が振るわず機械も具合が悪い日々ですが、先日こんな大見得を切ってしまったからには、やはり行かねばならぬところであり、というか駒場の図書館まで延滞くらってはいかんともしがたいので、返却ポストに投げ込みついでに渋谷に行ってきました。
 「革命的非モテ同盟」古澤書記長主催の、クリスマス粉砕デモ@渋谷、です。
 以下にレポートを。

 もしかして本当に誰も来ないんじゃないかと危惧しましたが、予定時間をいくらか回った頃の宮下公園には、制服のおまわりさんと私服の公安と思しき方々の他に、ざっと十人かそこらの人々がおりまして、正直安心しました。以下の写真は、ものによってはクリックすると拡大表示します。
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デモの説明をする古澤書記長

 この画面にも写っているのですが、フランス人三名の取材班が今回来ておられました。事情は良く存じないのですが、そのうち日本語を流暢に話されていた一人の方は、東大の大学院に留学しておられる方だそうで。
 世界に広がる革非同。あと東大と非モテは縁の深いこと深いこと。ついでに今日の参加者には、元自衛官(書記長と、これまでのイベントに来ていた方とは別)の方もおられ、自衛隊も「非モテ」と縁の深いこと深いこと(公務員という点では有利という説もありますが・・・)。
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フランス取材陣の取材を受ける古澤書記長

 上の画像にちょこっと出ているところを拡大表示。
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今回新調された横断幕

 文字はガムテープなので、張り替えればバレンタインもホワイトデーも粉砕できます。

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 これは独創的。
 でも一瞬、天蓬元帥『ちょいあ!』のガス子さまを思い出してしまったのはここだけの秘密。

 さて、ころあいを見計らって書記長がトラメガを握り、一席の弁舌を。まずは何をおいても、問題の贈賄事件に関しお詫びの弁を述べる書記長なのでありました。
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贈賄事件に関し陳謝する古澤書記長

 書記長の陳謝の後、参加者の有志の方々が各々一席。かの外山恒一の「我々団」東京支部長の方、去年のクリスマス粉砕闘争以来のMarkWaterさん、更にGonzalezさん、たかおんさんといった方々がメガホンを。MarkWaterさんの「『メタボリック症候群』なる用語によってデブを差別する厚生労働省粉砕」演説は、デモ集合場所であった宮下公園でフットサルをしている方々にも好評だったとか!?

 そんなこんなでデモが始まります。
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デモ隊の出発

 昨日は雨でしたが、今日は寒いながら日差しの強い日でした。デモが雨だったら書記長に対する天譴だろうと思いましたが、この好天は書記長の悪運未だ尽きずということ、なのかどうなのか。

 今回のデモは前回の渋谷でのデモよりコースが長くなっていました。宮下公園から明治通りに一旦出てから山手線のガードをくぐるまでは同じですが、電力館の手前で右手に折れて、渋谷公会堂の前に出るコースでした。
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渋谷公会堂の前を行進するデモ隊

 渋谷公会堂も命名権売却により怪しい名前になってしまいました。「渋公」の名はそれ自体が既に充分な高い価値を持っていたはずなのですが・・・開港資料館の件もあり、なんともかんとも。今年はフルキャストとグッドウィルが命名権でかえって悪名を宣伝してしまうオチになりましたな。
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パルコの前を行進するデモ隊

 三連休でクリスマスイブとあって渋谷界隈は人で溢れています。その中、キリスト教系の宗教団体と思しき方々が、「イエス・キリストは人間の罪を贖われた」などと書いた立札を持って辻辻に立ち、スピーカーで信仰を呼びかけます。その中を行進するデモ隊。カオスです。これが日本のクリスマスです。
 で、その情景の写真があればまこと絵になったのですが、なにせ歩くのにも難渋するほど人出が多かったため、これ以後ハチ公前のスクランブル交差点附近では、碌に写真は撮れませんでした。体力的な限界もあって、撮影好適位置に先回りすることも出来ず。残念。

 というわけで、半時間ばかりでつつがなくデモは終わりました。今回配ったビラは片面が英文というものでしたが、沿道の人々にもそれなりに受取ってもらえていたようです。例の贈賄事件がらみで、ネット上での古澤書記長の観察者、いわゆる「ヲチャ」の方々も見に来られて、ついでに書記長に批判の野次でも飛ばしたり、いっそ生卵や腐ったキャベツや猫の死体なんぞを投げつけたりはしないかと多少期待せぬでもなかったのですが、そういうこともありませんでした。ヲチャらしい人がいた、と言っていた人もいましたが、小生は確認しておりません(plummet 氏のブログによると、皆さん見に来ておられたようです。お会いできず残念)。

 というわけでデモも終わり、小生は所用に追われる身ゆえ程々に切り上げて帰りましたが、それまでに多少聞いた話など。
 今回のデモを見に来られた方の一人が、かの外山恒一氏や「素人の乱」などを取材して、ドキュメンタリー『革命☆前夜』を撮影された葛西峰雄さんで、続篇(?)の取材に訪れておられました。今回のデモの取材がどのような映像作品に結実するのか、楽しみです。
 外山恒一といえば、今回「我々団」の方が参加されていたのですが、自称ファシストの外山氏の仲間と、それとは毛色の違ってそうなアナキストっぽい様々なセクトとがなぜ一緒なのかと、上掲写真のフランス人取材班に「散々聞かれた」とは古澤書記長の弁でした。

 更に「はてな」の「非モテ」論壇的話題としては興味深いトピックであるのが、「はてな」の「非モテ」論者としてその方面では有名な「烏蛇ノート」の烏蛇さんが、今回のデモを見に来られていたことでした。なんでも所用で関西方面から来られたので、ついでに見に来られた由。ここ二月半、「烏蛇ノート」の更新が止まっているので気にかかっていましたが、お元気な様子で何よりでした。
 ここで「はてな」の「非モテ」論壇きっての理論家と行動家が対面し、さぞかし議論もあったかと思いますが、小生はそれを詳しく聞いている暇がありませんでした。ですが一部メモっておいたので以下にご紹介(メモと纏めの文責は小生にあります)。

烏蛇:古澤書記長は恋愛をどう捉えているのか
古澤:自分は元木柾長や草実スサの恋愛論、恋愛=幻想という論にコミットしている。論理として美しい
烏蛇:理論ではなく、あなた個人としてどう思っているのか

 烏蛇さんの問に対する書記長の答えは書きません。どうもずれていて答えになっていない気がするので。むしろ、ここんとこのずれが大事な気がします。書記長が自分の言葉で語れば、他の人も語りだし、より人がついてくることになるだろうと指摘された方がおられましたが、まさに現在の書記長の問題点を、烏蛇さんが鋭く突かれたというように思うのです。

 細かい話はまだ多少ありますが、こんなところで。
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by bokukoui | 2007-12-24 23:13 | 出来事 | Trackback | Comments(17)

フルカツノミライ~「革非同」ヲチって一周年

 思い起こせば一年前の12月15日、初めて拙ブログにて「革命的非モテ同盟」およびその古澤書記長を話題に取り扱ったわけで、あれからもう一年、そして一年経って最近の書記長の振舞を見るにつけ、些か思うところもありますので、多分最古参の「革非同」見学者として、以下に一筆。

 まず、ことの経緯に関しては書記長のブログのここ何日か分をご参照下さい(12/912/1012/11)。ついでにそこにトラックバックしているであろう「ヲチャ」の方々のブログ記事も。
 簡単に記せば、クリスマス粉砕デモを計画した古澤書記長が、今度は6月の「アキハバラ解放デモ」の轍を踏むまいとする余り、アキバデモの際の「ヲチャ」の代表的存在であった plummet 氏をデモ計画のために設けた wiki に招待し、そこまではともかく、折角 wiki を作ってそこで議論して方針を決めるというはずだったのに、書記長は他のメンバーに何一つ示唆することも無く突如 plummet 氏に「はてなポイント」一万ポイントを送りつけ(賄賂云々は勿論、デモの予算配分を勝手に決めたという問題もあるわけで)て懐柔を図り、plummet 氏が怒って突っ返した、ということのようです。その後、アキバデモの際の「ヲチャ」の方々が再登場し、古澤書記長はひたすらブログ上で謝罪、さらにはコメント欄でひと騒動あって現状に至る、ようです。

 で、小生つらつら思うに、まさに古澤書記長は「非モテ」の鑑というか、「非モテ」の中の「非モテ」というか、そういう人なのだなあと深く感じ入ったのであります。
 「非モテ」という言葉と概念そのものは、やはり近年のネットの中で生まれ育っていった概念であったと思います。で、「非モテ」を標榜するネット上の発言者に対し、しばしば投げつけられる言葉は、「そんな御託並べてないで、モテるように努力すればいいじゃないか」というものでした。実際に恋人の一人もできればそんなこと思わなくなるだろう、というわけですね。確かに、そういう場合はありそうです。
 然るに書記長において恐らくそんなことはないだろう、なぜならば書記長は、耳元で恋人が囁く愛の言葉より、ネット上の「ヲチャ」のエントリの方により強く動かされる蓋然性が高い、からです。

 「ヲチャ」と申しましたが、この場合の「ヲチャ」の方々は、6月のアキハバラ解放デモ以来古澤書記長をネット上で観察・コメントしてこられた方々であって、昨年12月のクリスマス粉砕ビラ撒き闘争@秋葉原今年2月のバレンタインデー粉砕デモ@渋谷3月のホワイトデー粉砕デモ@池袋、ここら辺から追っかけてネット上に何がしか報告している暇な徒輩は小生ぐらいなもののようです。しかも6月以降の「ヲチャ」の方々が、もっぱら活動のフィールドをネット上に構えていた(ネットの「ヲチャ」としてはそれが普通だと思います)のに対し、小生は現場取材がメインでした。そして取材を重ねるうちに、書記長を介してその周辺の方々とも出会い、まあ「ヲチャ」というよりリアルの(この言い方はあまり好みませんが)交友関係を持つようになり、書記長を囲んで皆で中国茶など飲みつつ話をする機会もありました。

 その時の古澤書記長の口癖が、「ネットがリアル(現実)を包囲する」でした。

 「リアル」で書記長に会っていた面々は、書記長はてっきり「リアル」での「非モテ」解放なり何なりの目的を持って、その手段としてネット上で活動しているものとばかり思っていたのです。ところが実はそうではなくて、書記長はネットでの自分の活動の発展のために、リアルに出てきたつもりだったのでした。まさかそんなこと、と思わなかったので、そのことに気がつくまで随分時間がかかりました。
 その視点で見直せば、今回の騒動のような極めて不可解な事態が生じた理由もある程度説明できようかと思います。古澤書記長がネットでの「集合知」というものにとことんこだわり、そのためにwikiまで拵えたこと、しまいには自分の出処進退までネットでの意見で決めようとしたことも、書記長の果てしなきネットへの情熱からすれば説明できます。会ったり電話で忠告したりする人びとの話を重視せず、「ヲチャ」の人たちの取り込みに焦ったことも理解できます。

 しかし、古澤書記長の言う「ネット」というのは、実は巨大な集合知というよりも、ネット上で書記長が特に嗜好する、ある決して広いとは言いかねる分野でのことに過ぎなかったのではないか、そう思わざるを得ません。具体的には「はてな」です。書記長は会うたびに「はてな」の魅力を説き、しかし他の面々(含小生)はネットの宣伝もいいけどリアルの活動こそ重要ではないかと指摘し、その齟齬はいつも存在していました。それがここまで決定的とは、流石に思い至りませんでしたが・・・。書記長がなぜそこまで「はてな」が大好きなのか、実は未だに良く分かりません。小生は今、もしかすると「非モテ」を最も搾取している企業は、「はてな」なのではないかと思っています。
 というわけで、「はてな」の「空気」を「ネットの集合知」と見做していた節のある書記長が、その「空気」を操作すればいいのだと最も短絡的に考えた結果、この賄賂事件がおきたのでしょう。ネット上のポイントサービスを賄賂に使うというのは、もしかすると史上初かも知れず、その意味で画期的かもしれません(外山恒一が動画アップサイトと選挙運動の間に新境地を開いたように)。ですが同時に、この賄賂の送り方自体、書記長の「ネットがリアルを包囲する」信仰を良く表していたと言えるかもしれません。

 しかしながらやはり小生が思うに、古澤書記長の行動がこれまでそれなりに話題になり、多少なりとも支持を集められてのは、ひとえに「リアル」で行動したことにあったと思います。書記長本人だけが、リアルの関係を深めることよりも、「はてなスター」の獲得に躍起になっていたのですが。「星の数よりメンコの数」って、軍隊で習わなかったのかい?
 で、ネット上での対戦となれば、そっちを根城にしている「ヲチャ」の人たちの方にイニシアチヴを取られてしまうのは、致し方なかったのかもしれません。書記長自身、リアルで何事かいわれるよりも、書記長が主戦場と定めていた(でも書記長に向いた戦場ではなかった)ネットでの言論、特に「ヲチャ」の人びとへのある種のシンパシーを抱いていたのではないかと思われる節もあります。本件の謝罪文など斜め読みしても、あれだけ叩かれても(まあ、叩かれるだけのことはしてしまったわけですが…)尚、ネット上の集合知≒「ヲチャ」の言論への信頼はなくしていないのですから。で、本件に関する「ヲチャ」、この場合特に plummet 氏やJSF氏などが思い浮かぶのですが、徹底的に古澤書記長を叩き潰すというわけでもないところがおありのようで、好意的に見ればこれもまたネット住人としての「ある種の」シンパシーなのか、と思います(悪意に見れば当分突っついてネタに出来る、ということになりますが、そうではないと思いたいです)。

 というわけで、古澤書記長はネットで生まれた「非モテ」の前衛(ピオニール)であり、ネットからリアルに飛び出してみせたことで評価を獲得し、雨宮かりん氏・香山リカ氏や赤木智弘氏と対談する機会まで得ました。しかし書記長は、そこでリアルに植えた苗を育てることよりも、その成果を元にネットでの更なる勢力拡大を図ったのです。
 でもやはり、ネットはリアルの活動をとても便利にする道具ではあっても、リアルに取って代わるものではないと思います――少なくとも現時点では。書記長は目的と手段とをはきちがえていたのだ、そう小生は思います。
 以前小生は、書記長の特質を「プロイセン的」と評したことがありましたが、まさにプロイセン的な破局が今回の事態だったと思います。目的と手段をはきちがえた結果、ドイツ軍がベルギーの中立を侵犯して世界各国を敵に回してしまったように、書記長は「はてなポイント」で plummet 氏を激怒させてしまったのでしょう。シュリーフェンプランは主観的には美しくても、国際世論の眼には不埒な侵略にしか映らなかったわけで、「やらないか(ベルギーを)」と冗談で書いておいたのに、冗談になりませんでしたね。

 今後どうなるか、ですが、クリスマスのデモは決行するのでしょうか。決行するとすれば、最悪の場合、これまで書記長をリアルの場で支えていた友人は事の次第に呆れて(異界洋香奈氏の激怒と決別は、小生読んでいてなんとも悲しくなりました。そうなってしまうのもやむなしとも思いますが、いつかまた復縁されんことを)来ず、本来書記長が「お客」とすべき層は賄賂事件の醜態で愛想を尽かし、「ヲチャ」は「ヲチャ」で警戒して来ず、誰も来ないかもしれません。リアルの活動で支持を得たのに、リアルをないがしろにしてしっぺ返しを喰うことになる可能性は多分にあると思います。
 しかし、そこから再出発するしかないだろうとも思うのです。

 というわけで、手元に転がっているきづきあきら『ヨイコノミライ』4巻の帯の言葉をもじって、本件のまとめとします。

女の子に、愛されなかった。
ネットに、愛されたかった。

 色々手厳しいことを書いてきましたが、しかし別に小生は書記長と絶交するつもりではありません。小生は異界洋氏ほどは書記長と深く付き合っては居らず、むしろこの一年、書記長のお蔭でリアルでの新しい友人も得、楽しい経験が出来、別段損はしていません。クリスマスのデモを決行するなら勿論最古参ヲチャとして見に行きます。書記長がそういう主義なのだと知っていれば、それはそれでいいのです。齟齬に気付かなかった側にも、責任なしとはいえませんし。
 んー、でもクリスマスデモやったとして、本当に誰も来なかったらどうしよう? その時は小生もトラメガ握って、桑原区政の糾弾演説をする羽目になりそうな(苦笑)

 最後に全く別題ですが、本件に巻き込まれてしまった plummet 氏におかれては大変お疲れ様でした、としか申し上げようがないのですが、拙ブログにリンクしてくださっている記事「コミックマーケット73でも注意が必要か【冬コミ】」に関しましては苦情を一つ。
 小生のブログにカマヤン氏がコメントされ、また異界洋氏もコメントされたことを以ってして、何か陰謀のように指摘されるのは全くの空論です。失礼ながら、ネット上のヲチばかりされていて、「リアル」での人間関係の構築について疎くなられているのではないでしょうか(書記長よか大分マシだとは思いますが)。
 これはただ小生が、十年以上前からのカマヤン作品の愛読者で、コミケに行くたびに氏のサークルに行って新刊を買い、それが重なるにつれてありがたくもカマヤン氏が小生のブログの存在を認知してくださったというだけのことです。その小生が大学で「反白色テロル大連帯」を見つけて面白さに背後関係をちょいと調べ、そして奇しくも古澤書記長に出会ったというわけで、まあ世界は狭い、特にネットの「オタク」界隈なんて本当に狭いタコツボ、村に過ぎない。そういう教訓ではないでしょうか。狭い村でのことを大仰に騒ぐことは、感心しません。

※訂正:タイトル打ち間違えてた。間抜け。
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by bokukoui | 2007-12-15 12:01 | 思い付き | Trackback | Comments(7)

人の噂も百箇日~「アキハバラ解放デモ」を写真と共に振り返る

 ここ二月ばかり体調不良で悶々と寝床の中で大部分の時間を過ごしたものですが、今のところ、ぼちぼち改善に向かっておると思っています。この症状について、さる方から「慢性疲労症候群」ではないかというご指摘を受けたりもし、なるほど思い当たる節もいくらかありますが、ただ対処法はどうもはっきりしないので、結局はできる範囲でなるべく従来どおりやるように戻して行こうと思います。

 さて、そんなこんなで溜まった作業に追われつつ、久しぶりにネットを見た折に山本夜羽音先生のブログを拝見すると、めがねっこファン一同で鯖江に行かれたという記事にぶつかり、表題の「アキハバラ解放デモ」の終了後の夜の飲み会がまざまざと記憶に蘇ってきました。ので、折もちょうどデモから百日の間をおいた今宵に、これまで公開の機会を逸していたデモの夜の写真をアップしてみようかと。
 ・・・と思ったら、ちょうど「アキハバラ解放デモ」の執行委員会が解散とのこと、ちょうどいい折でしたね。七十五日どころか百日経ってしまって、その間色々とあったようですが、これで一区切りというところでしょうか。

 というわけでお蔵出し写真を幾つか。
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「アキハバラ解放デモ」後、法政大学前の濠端の公園で打ち上げ

 デモ後の打ち上げ(一次会)の様子です。後ろの工事中の建物は法政大学です。古澤書記長の根城なのでここまで来て打ち上げをした次第。実際はこの三倍くらいの人がいましたが、たまたま写真のフレームに入ったのがこの面子でした。
 主だった方の名を挙げれば、一番左が山本夜羽音先生です。デモの際に使った旗竿は、実は夜羽音先生が持ってきたものだったのだとか。
 一人飛んで右手に缶を持った白いシャツの人物が革萌同の八木書記長、二人飛んで手前のベージュの上着を着た人物が革非同の古澤書記長、一番右がinumushさんです。(他の人についてもどなたか把握はしておりますが、一連の騒動で余り名前の出てこなかった方々ですのでお名前を挙げるのは当面控えておきます)
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神楽坂の飲み屋にてデモ後の打ち上げの二次会

 夜も更けて場所を移し、更に呑みます。ここの面子は、左手の後ろを向いているのが古澤書記長、手前の縞のシャツを着ているのが柳橋曹長さん、その奥の妖しげな萌えグッズ(?)の側に座っているのがしゅうちゃ(Syuu-Chan)さん、そして一番右が夜羽音先生です。他の人については一枚目同様の事情です。
 考えてみればデモ主催の「三派」の首脳が一堂に会したのって、これが最後だったのかもしれませんね。
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戦い済んで夜が明けて 疲労困憊して眠る古澤書記長

 徹宵呑んだ後、夜が明けてからの情景。見ての通りです。デモの準備に走り回っていた書記長、流石に徹夜呑みはきつかったようです。
 なお、股間の思わせぶりな白紙は、Syuu-Chanさんが載っけたものです(笑)

 さて、これら写真を手がかりに、思い出したことと今の感慨とを引き続き述べるべきところですが、写真アップだけで充分疲れたので今宵はここでおしまい。続きは明日にでも。
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by bokukoui | 2007-10-09 23:52 | 思い付き | Trackback | Comments(4)