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「アキハバラ解放デモ」関連の現況雑感

 まだ今週一杯は忙しいので大したことは書けませんが、旬を逸する前に。
 当ブログの本件関連記事は以下の通り。
「6・30アキハバラ解放デモ」関連雑感
今日の秋葉原界隈~「6・30アキハバラ解放デモ」見学記
「6・30アキハバラ解放デモ」極私的総括 或いは「井ノ原春陽の憂鬱」
続「アキバ解放デモ」極私的総括 或いは「やらないか(ベルギーを)」

 で、例の「秋葉原解放デモ」、だいぶ話題としては沈静化したようですが、やはり余燼がくすぶっているという感じですかね。
 デモが叩かれている主たる理由は、主催者らしい「革命的非モテ同盟」の古澤書記長は中核派の関係者だ=オタクを政治に利用しおってケシカラン、というものがやはり大きいように思われます。この中核派問題については、既に上掲の拙記事で触れましたが、過剰反応にすぎないとこれまで半年に渡り「革非同」を観察してきた小生は断じます。
 ただまあ、「奴らはオタクなのか? 勝手にオタクの代表者ぶりやがって」という批判もありまして、まあ確かに共産趣味者というのはオタク界隈でもマイナー趣味ですし、そして古澤書記長も軍事の渋いところの濃いマニアだとは思いますが、これも「普通のオタク」からは分かりにくいですから、変に思われても無理からぬところだとは思います。
 「普通のオタク」って語義矛盾のような気もしますが(笑)、オタクの勢力分布図というのはコミケのサークル配置図がおおむね目安と思えばいいでしょう。共産趣味を含む評論系サークルは、個人的にはコミケの華と思いますが、まあ少数派なことは確かです。そこがいいんですけど。

 で、そんな中で、以前もご紹介した「世界の中心で左右をヲチするノケモノ」さんのその後の記事は、流石に単純な古澤書記長=中核派説にはまることなく、「デモ執行部」内の諸構造に目を向けておられました。ただ、plummet 氏もややこしさに若干戸惑われていたくらいで、確かに更なる誤解を呼ぶところもあったと思われます。
 plummet 氏の記事とそのコメント欄での指摘は小生もある程度同意するものです。今回のデモでは、要するにオーナー(古澤書記長)と支配人(Syuu-Chanさん)のごとく役割が分かれていて、しかもその中で統一をしっかり図ろうという考えはあまり無かったのだろうと考えます。当初小生が、それまでの「革非同」のイベントと今回のデモとの間にセンスの違いを感じ、些かの批判を述べたのもそこに起因すると今にして思います。

 ここでその「センスの違い」を考えるに当たっては、政治的なスタンスの違い以上に、「オタク」としての趣味嗜好が異なっていることが重要ではないかと小生は考えます。例えばSyuu-Chan氏がご自身ブログの記事で述べられているエロゲー論の世界と、以前の記事で小生が詳述した古澤書記長のプロイセン偏愛とは、結構実は「オタク」といえど齟齬はあるのではないかと思います。小生がデモ後書記長やSyuu-Chanさん他の方々と呑んでいた折、さる方が近代的組織(近世欧州の軍隊を発祥とし、官僚制・学校・企業など階層構造と責務の分担からなる今日の大規模な組織一般。ちなみに企業で最初にこのような近代的組織に発展したのは鉄道業で、鉄道発祥の地・19世紀英国の大規模鉄道の経営者は元軍人が少なからず見られました。そして鉄道業で経験を積んだ経営者が他の企業の組織の高度化に当たって活躍した事例もあります。例:米シアーズ社)にとことんこだわる書記長を「近代の子」と呼んだのが印象に残っておりますが、これはSyuu-Chanさんの説かれる「幸せな世界」とは違っているように感じられるのです。
 飲み会の時にSyuu-Chanさんとも色々話したのですが、どうも廻っていてしっかり覚えていません。申し訳ない。

 閑話休題、もちろん、齟齬があるが故に共同する価値があるのですが。
 そして、今回のデモにこれだけ尽力されたSyuu-Chanさんが、ご自分が前面に出ないで書記長を担ぐ側に廻った、ということは注目すべきことだろうと思います。やはり向き不向きといいますか、そういうのがあったのでしょう。
 ただ今回は、イベントが当初の予想を大きく上回って大規模になってしまったため、この事態にどう対応するのかというところで「執行部」でも結局まとまりがつかず、対策が後手後手に回って、非常にネット上での評判を落とすことになったと考えられます。

 話があっちこっちに飛んでしまって申し訳ないのですが、中核派だの政治がどうこうだののの陰で、今回のデモの最大の問題にして謎、政治云々も結局はこの事態さえ起きなければあんまり言われなかったんじゃないかと思う問題点があります。これが一番大事だと思うので、やはり蒸し返して(笑)おきます。
 それは、一体どこから450人もデモに集まったのか、ということです。これまでの「革非同」のデモは20人プラスマイナス数人の範囲でした。多少ネットで話題になったり、或いはmixiで『涼宮ハルヒ』ファンの方々が集まったところで、到底それだけで450人になるとも思えません。勿論中核派は一人も送り込んでおりません(苦笑)。大体女性陣はどこから来たのでしょう。レイヤーばかりではなかったと思います。
 空よりや降りけん、土よりや湧きけん。

 結局のところ問題はそこに行き着くと思われます。参加人数が少なければ騒動はここまで大きくはならなかったでしょう。
 主催者の予測を大きく上回った参加者のために、主催者側では混雑整理に手一杯で、どういった人々が参加してきたのか充分に把握できていなかったように思われます。このことがデモの性格をより一層混沌としたものに見せてしまい、爾後のネットの騒ぎをより一層煽ること担ったようにも思われます。
 このデモが政治的に利用されたのだ云々という意見もありますが、これだけ予想外の人数が集まってしまうと、もはやそんなことは何も出来ていませんでした。仮に何がしかの政治的アッピールを考えていた者がいたとしても、その政治的なものがむしろこの人並みに飲み込まれた、乗っ取られたという方が妥当と考えます。
 もっとも、その「乗っ取った」主体が存在しないのが厄介にも面白いところですが。

 この参加者の多さを、「今時デモでこんなに人が集まった! 成功だ」と捉えるのはあまりに楽天的であります。といって「政治的陰謀に乗せられた」とみるのも到底妥当ではありません。騒ぎたいだけの祭りというのは外れてはいないでしょうが、なぜ他の機会や手段ではなく今回の「デモ」に参加した人がこれだけ多かったという理由を全部説明できる訳ではありません。
 ただ一つ、おそらく参加者(含ネット上の発言者)の共通点は、自分がなんらかの形で「オタク」と通称される存在に関連がある、ということでしょう。で、その中でも様々な位相があったわけですしょうが、それはいろいろ参加者の意見を募って検討してみるだけの価値のあることだったと思います。といって、今更この騒ぎの後ではもはや調べようもないでしょうが。
 まあ、結局前に書いたことと同じですが、オタクといっても色々で、「オタク」がこれほど「一般的」になってしまった以上、その中での「中心-周縁」の構造が出来ているのもむべなるかな、という気もします。それに文句を言うつもりは別にないです。自分のやることを変えなければいいだけのこと。今回の教訓は、「共産趣味者はとことん少数派だった」ということで。「アキバ解放」って、「オタクからオタクを解放する」だったりして、なんて、最初に秋葉原に来た時の目的が「マハポ見学」だった者は、やくたいもないことを思うのでした。

 まとまらんついでに苦言を一つ。
 今次のデモの実務をSyuu-Chanさんが大部分されていても、看板が結局古澤書記長であったように、デモの事後の混乱収集が最終的に可能なのは書記長の力だろうと思います。であるのに、デモ公式サイトではご本人による総括はなされず、書記長ご自身のブログでも中核は疑惑について釈明されただけで(コメント欄に対しても現時点で特にレスポンスなし)、言論で後手に廻られてしまったのは宜しくないことだと思います。
 もちろん、通例からすれば古澤書記長はきちんとコメントをされる方だけに、ご多忙の折充分な時間も取れないのかとも思いますが、巧緻よりも拙速を尊ぶべき局面もあるかと。ただそれを言えば、mixi上の個人の記事のコメント欄で明らかに通じていないような議論に無駄な精力を費やしたり、「烏蛇ノート」さん掲示板にまぜっかえしのコメントをつけている暇があるなら、もっと他に古澤書記長の言葉に耳を傾けてくれる可能性の多そうな場所で、より通じる可能性の高い言論活動をなすべきであったと思います。
 まあ、この点に関しては、ヲチャ系ブログ記事の一つ「怒頭流のオッスオッス日記」さんの記事のコメント欄ではきちんとした対応を古澤書記長がされており、漸次改善されていくものと信じたいと思います。なお、上掲リンクの記事は、デモ批判ブログ記事へのリンクが充実していて便利です。またコメント欄にSyuu-Chanさんも登場されており、古澤書記長の対応とあわせ事態の展開を察する上で価値多かろうと思います。ここでかえって古澤書記長の一つの「芸」を見た気がします。

 ダラダラ長いばかりで内容が無いですね。
 でもまだ思うところはいろいろあって、次回に続きそうな気配。「デモ」との直接の関係は薄れますが。
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by bokukoui | 2007-07-09 23:58 | 思い付き | Trackback | Comments(2)

続「アキバ解放デモ」極私的総括 或いは「やらないか(ベルギーを)」

 昨日の記事の続きです。まさかこんなに長くなるとは・・・。
 関連記事は以下の通り。
「6・30アキハバラ解放デモ」関連雑感
今日の秋葉原界隈~「6・30アキハバラ解放デモ」見学記
「6・30アキハバラ解放デモ」極私的総括 或いは「井ノ原春陽の憂鬱」
「アキハバラ解放デモ」関連の現況雑感

 それでは、前回の続きを。

〇古澤書記長の思想的基盤
 デモが終わってから「革非同」古澤書記長と一部有志(山本夜羽音先生も駆けつけました)が、某所で打ち上げといいますか貧乏くさく(笑)呑みつつ、諸般の話題について議論が出ました。その中で、小生は漸く古澤書記長の思想的バックボーン、もっと言えば書記長が何オタクなのかということについてある程度認識をすることが出来、さらにその思想的背景が齎すこの「運動」の、とりあえず現時点における限界と問題点もある程度明らかになったと思います。
 では順を追って、まずデモの総括に関して如何なる議論があったかから書いていくのが分かりやすいでしょう。

 デモの総括は、とにもかくにも人数が多かった、ということに尽きます。この整理は相当に大変なことで、幸いにも関係者の奔走と参加者の協力により無事に終わりました。人が集まったことは成功ですが、それに対応し切れていたかは確かに問題でした。そこまでは特に異論の無いところです。
 ではそれに対し、今後の活動をどうするのか、という時、書記長と他の有志との間でかなりはっきり意見の相違が見られました。以下議論を適当に要約しますが、大概皆酒が入っていた(含小生)のでその点は一応ご理解の程。あと「他の有志」の発言は複数人の発言を小生が記憶に頼って適当にまとめたものです。分かりやすくするためにちょいと戯画(ゲーム会社ではない)的に。

古澤書記長:
今回のデモでは統制が取れてなかった。この反省に鑑み、今後は組織を確立してしっかり統制が取れるようにしたい。
他の有志:それは違う。統制が無くて人が集まったことこそ今回の意義。行列の統制と主張の統制は全く別の話である。行列の統制なら組織作りなんかしなくていいし、それこそいっそガードマンを雇ったっていい。それだけのこと。
古澤書記長:しかし何事かの行動を起すのに、マックス・ヴェーバーも説くが如く、ビューロクラティックな組織というものはやはり作らざるを得ないのではないか。
他の有志:そんなことはない。"他の手段"をこそ検討すべき。今は19世紀ではなく21世紀である。
古澤書記長:そうなのかもしれないが、自分はそれ以外の手段を知らないのである。
他の有志:いや、他の手段が存在するはずである。

 以下、酔い潰れるまで無限ループ。

 ちょっとふざけすぎた纏めですが、しかしおおむねこのようなやり取りが数回繰り返された記憶があります。
 で、読者諸兄諸姉におかれましては、これを読んで「やはりフルカツは権力欲にまみれたオルグであったか! 中核派のスリーパーであったのかっ!!」とか早とちりをしないようにお願いします。オルグとは何らかの政治的目的のために組織を作ろうとする人。そうではありません。

 結局古澤書記長とは何者なのか。彼はクラウゼヴィッツとプロイセン軍事思想をこよなく愛する元自衛官で、現在は軍事思想研究を大学でしておられます。あんまり共産主義的じゃないですね。プロイセン軍事思想をよく研究されている、というかそれに惚れこんでいる(萌えている?)古澤書記長は、だから19世紀的発想にどうしても捉われてしまっているのであります。
 やや話が逸れますが、この夜小生が古澤書記長と話していて最も興味深かった経験を以下に述べさせていただきます。それは話題が鉄道に及び、書記長は自衛隊の兵站輸送において鉄道の意義をもっと重視すべきであると主張されたのですが、ただ自分は鉄道については知識が無いので鉄道趣味者である小生にこの自説についてどう思うか、と尋ねられたのでした。で、その説自体は現在の日本の鉄道の状況を考えれば無理すぎようと思われるものではあるのですが、同時にそれが1888年に当時の日本陸軍が軍事輸送のための鉄道改革案として提出した『鉄道論』(日本経済評論社明治期鉄道史資料第II期第21巻に復刻収録。興味のある人は読んでね)の内容と結構似ているなあ、ということに気がついて感心したのです。つまり、日本の鉄道の歴史のことをぜんぜん知らないという古澤書記長がプロイセン軍事思想を熱心に研究した結果、やはりプロイセンに学んだ旧陸軍参謀本部と同じ様な結論に自力で辿りついていたわけで、ああこの人のプロイセン軍愛はホンモノだと面白く思ったのでありました。

 このことは以前にも書いた覚えがあるのですが、「革非同」のデモが終わったあと打ち上げで飲みに行くと、いつもいつもこのような話でばかり盛り上がって、「非モテ」の話なんか碌にした覚えが無い、のであります。「萌え」的な話も碌にした覚えがありませんで、もっぱら軍事はじめ人文・社会科学系の話題が多く、まあだから小生もいつもいつも取材と称してついて行くわけですが(笑)、そういう点では興味関心の力点が所謂狭義の「アキバ系」な「オタク」の方々とずれているのかもしれません。もしかするとこのズレは、「社会運動」と「洒落」の差よりも意味を持っているのかもしれない、とすら思うのです。
 今までの「革非同」の活動という「芸」では、このような古澤書記長のパーソナリティーというのは見るものに良く分からなくなっていたと思います。例えば書記長がヴェーバーをパロディ化して「非モテ」を語ったことにしても、大事なことは「非モテ」について語ったことではなく、なぜそこでヴェーバーだったのか、ということなわけです。でもそれは多分ほとんどの人には見えてこなかったでしょう。そういったところに、何がしかの齟齬をきたす要因があったのかもしれないと思います。

〇爾後の戦略方針とは~比公はいずこ、比公は居ずや
 古澤書記長の思想的背景を解き明かしたところで、現在の問題と限界とに話題を移します。
 問題とはつまり、450人も人が集まってしまった(既存の労組などの組織の協力なくしてこれだけの人数を集めるデモが行われる、ということは最近では大変珍しいことです)結果に対し今後どうするのかということでした。賛助団体に名を連ねていた「我々団」主催・外山恒一氏の都知事選政見放送の文言を拝借すれば、デモに500人も集まったら「奴らはビビる! 私もビビる」という状態なわけで。
 それに対し、プロイセン軍事思想大好き古澤書記長が組織化を唱え、他の人々から批判されていたのは前節で述べたとおりです。書記長は侠気もお持ちなもので、「これだけの人に集まってもらったんだったら何かやらねばならぬのではないか」と思われたのではないかと察します。で、「何かやる」という時に、その思想的バックボーンから「組織化」という答えが出てきているわけですね。
 そも小生が以前何度か批判した(これとかこれとか)ように、「オタク」に政治的主張があるとすれば「余計な統制は御免蒙る」ということになるのに、統制をやめさせるために統制するというのも革命的な矛盾であります。組織化して何がしかの「政治勢力」となるよりも、書記長自らが鳥肌実的芸の境地に達するなり外山恒一的前衛を目指すなりして世間の人々の耳目を驚かせるような、ゲリラ的手法でもいいわけで(プロイセン的軍事思想はゲリラ戦に弱いんじゃないかと思います。確か)。

 で、前章で述べた無限ループに陥った古澤書記長に些かの疑念を覚えたインタビュアーの小生は、「組織化って何をするんですか」「組織化して何をするんですか」「組織化してどういう戦略があるんですか」と執拗に問い詰めました。まあこっちも呑んでたんで。
 そして結局古澤書記長は「自分に戦略はない」と口走ったのでありました。
 小生はこれでむしろすっきり納得しました。古澤書記長の「革非同」がネット上で結構話題になったり、今回のデモが空前というべき人を集めて空前の"カオスな祝祭"を作り出せたのも、むしろ戦略がないという党派的オルグと対極的なスタンスが齎したものだといえるからです。
 そして何より、戦力をどう活用し決勝点にいかに突っ込むかという作戦や戦術に熱心でも、戦略的にどう使うのかということにまるで無頓着なところが、まさにプロイセン軍事思想的であると思われます(笑)。第1次大戦に突っ込んで行くドイツ参謀本部さながらですね。そうそう、この夜の酒席で、古澤書記長は「シュリーフェンプランは美しいんです!!」と力説しておられました。

 ここである種危なさを覚えられた方もおられるやも知れません。
 戦略なきところにつけこんで、それこそ中核派なんかが手を伸ばしたらどうするんだよと。共産趣味を一時期嗜んでいた小生のイメージからすると、「オタク」「新左翼」といえば中核派より革マル派なので(かつて『新世紀エヴァンゲリオン』が一世を風靡していた頃、革マル派は機関誌の誌名を『新世紀』と改題し、「エヴァヲタかよ!」と全国の共産趣味者がひっくり返ったということがあります)、そっちからお誘いがあるかも?
 でもここで小生は断言するのでありまして、古澤書記長がそんなものに絡め取られるようなことは決してありえません。

 小生は前回の記事で述べた如く、中核派はそのオタクの構成員が勝手に古澤書記長と呑んでいるだけで、組織としての関係などないと述べました。一方、「革非同」に組織なんて無い、とも指摘してきました。
 では一体、これまで古澤書記長を支えてきたのは何だったのでしょうか。
 これまで観察してきた所からすれば、書記長を一番そばで、かつあまり表に出ずに陰ながら支えていたのは、自衛隊時代の戦友の方々であると考えます。そう、戦友愛というか、友情です。書記長は「非モテ」か何かかもしれませんけど、少なくとも友情に関しては大変に恵まれているように思います。やはりある種のカリスマ、という言葉は好きではないのですが、人徳があるのでしょう。
 もっとも「戦友」というのは時として自我をとろかした馴れ合いになってしまう危険性も帯びているわけですが、これまで半年に渡って小生が観察してきた限りでは(これが「戦友」としてどれほど一般的であるのかは全く分かりませんが)、そうではない、確乎とした個人の連帯となりえており、なかなか羨ましい関係だと思われます。そしてまたこの戦友諸氏が一騎当千のおもろい人々なのでありますが、とにかく、自我の境界をとろかしたイチャイチャを「恋愛」と勘違いしているようなこのご時世、結構なことであると思います。今更彼女が居ようと居まいとどうだっていいじゃんだからこれまでも言われてきたように、「古澤書記長がモテないなんてことはありえない」と周囲に言われるのであります。

 史上最悪のヌルオタ・ヴィルヘルム2世を戴いたドイツ帝国軍は、第1次大戦で戦術的に極めて優秀だったにもかかわらず敗北を喫しました。しかしまあ、古澤書記長の戦友はヌルいどころか充分にこゆいので、イデオロギー的な心配のようなことはしなくても大丈夫です。
 そうそう、で今後どうするのか、ですが・・・、そう、まあきっと何とかなるでしょう。

〇結語
 他にも面白い小ネタやヤバい写真もありますが(特に山本夜羽音先生のご発言色々)、書くことに疲れたので締めさせていただきます。
 今回のデモそのものについては、沿道で見ていた小生はデモ隊の群集に対し、ああはなりたくないしまた自分はなれないだろう(坂東α氏に「メットに何か書いて」と頼まれて、まず「反帝反スタ」と書こうとしていやフツーでツマランと思い、回りを見回して「ハルヒ厨粉砕」と書いたのは小生です)、なれないことを自分のオタクの憲法にしているのだから、そう感じました。
 かといって、ネット上での叩きを見ても何かその叩きぶりや叩き方に不快感しか覚えませんでした。それは小生が持っていた情報に基づくところもありますが、やはりこれまた群れて叩いているその有様が嫌だったのです。
 人と同じことを死んでも言いたがらないのがオタクの誇りじゃないのか。

 小生の前回の記事を引用してくださった「想像力はベッドルームと路上から」さんのデモ評論記事に、「「デモ」に関して語るとき、「デモを行う側」だけでなく、「それを眺める側」の政治的な態度も同時に問われているということを考えなければならない。」とあるのはまことにごもっともと思いますが、しかし多分政治的なだけじゃなく、「オタク」としての何かも問われているのではないかと思います。
 社会の同調圧力になじめないのが「オタク」なのに、群れてしまうその様相。群れることを全否定するわけではありませんが、せめてその中で自分の位置を見失わないようにしたいものです。群れたり叩いたり、社会の同調圧力からはみ出たように見えるオタクの行動もまた「社会」の一員なのであるということを可視化して見せた点で、今回のデモとそれに続く一連の騒動は意義付けられるのかな、と思います。

 では最後くらいは秋葉原らしい文化の書物から、このデモについて考えた時にふと小生の頭をよぎった言葉を引用して、やくたいもないこのレポと総括を終わらせていただきます。
 ナヲコ先生の作品「君の弱さ」(『DIFFERENT VIEW』コアマガジン 1999所収)から。


        海のまん中で
        星を見上げるような

        群衆の中の
        君の弱さよ

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by bokukoui | 2007-07-02 23:59 | 出来事 | Trackback | Comments(13)

「6・30アキハバラ解放デモ」極私的総括 或いは「井ノ原春陽の憂鬱」

 昨日の記事の続き、つまり「6・30アキハバラ解放デモ」に関する小生の個人的な感想、イベント後に関係者と談話したことがら、などについて述べたいと思います。思うんですけどどうもなんだかなあ、というのが現在の心境です。

※追記:関連記事一覧

「6・30アキハバラ解放デモ」関連雑感
今日の秋葉原界隈~「6・30アキハバラ解放デモ」見学記
続「アキバ解放デモ」極私的総括 或いは「やらないか(ベルギーを)」
「アキハバラ解放デモ」関連の現況雑感

〇はじめに
 今回のデモは、昨日の記事に述べたとおり、デモ発起人たちの予測を大きく上回った人々が集まったという点では、予想し得なかったほどの大成功でした。「革非同」主導のこれまでのデモは十数人程度しか実際には来ていないわけですから、2,30倍に増えたわけです。
 一方現在、ネット上の評価をざっと見ると、バレンタイン粉砕やホワイトデー粉剤のデモが、ネタとしてまずまずトータルして悪くない評価を得てきたのとは対照的に、まあ罵倒が殺到という感があります。「痛いニュース」が一番良くこの状況を表しているでしょうか。
 このデモに対する批判といえば、何より小生自身が数日前にこのブログで述べておりますが、どうも批判されている理由が単にそれだけ(デモの主張が不明確等)とも思われないような感があります。

〇涼宮だけがハルヒじゃない、青春だけが春じゃない
 最初は、書きやすい細かいこと、ということで小生自身がデモを見ていて感じた違和感などついて一筆。
 以前のデモの際に、「革非同」古澤書記長の情宣テクニックが「芸」として向上したので、デモのパフォーマンスとしてのクオリティが向上したと書いた覚えがありますが、その点では今回のデモは退化していたと思います。勿論サウンドデモで焦点がはっきりしないというデモ自体の性格もあるのだろうと思いますが、またメガホンを握っておられたのが古澤書記長ではなかったのかもしれませんが(詳細未確認)、やはり気になりました。殊に小生が最も気になったのは、『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品(小生は全く触れたことがありませんが)のキャラクター名を情宣で連呼していたことです。特定の作品についてこのような行動をするのが好ましいことだとは思いません。
 小説のキャラクターは一つの"商品"であるという性格も持っているわけですし、また様々な「オタク」がみんな適当に集まってくる、というデモの趣旨にも適合的とは思われません。そしてまた小生個人の感としても、鉄道趣味界の中で傍流的なものにばかり興味を持っていて「鉄オタ」同士で話を通じさせること自体に時として難を覚えた経験のある者としては、今業界で一番流行っている(ですよね?)何かがこのような振舞を招くというのは、流行の同調圧力を嫌うはずの「オタク」の性格と照らしてもどうかと思ってしまったのです。格好つけた物言いをすれば、カルチャーの力関係の中で周縁に追いやられている「オタク」ではあるけれど、その中でも実は「中心―周縁」という構造が存在してしまっているんだよ、ということです。
 で、「朝比奈」と叫ぶデモ隊に「泰朝」ですかと突っ込みたくなりつつ、デモ隊を見ていた小生の頭に突然あるビジネスモデルが浮かびました。アニメやゲームの製作会社と契約してデモ隊を組織し、キャラの名前などを連呼しつつ秋葉原を練り歩く(笑)、というものです。或いは、デモに参加すると初回特典をつけるとかでデモ人員を募ってもいいかもしれません。・・・逆効果?

 もっとも、恐らく今回のデモが参加者の点で大成功を収めた理由は、この「ハルヒ」関係者の大量参入にあったのではないかと思います。一方的にイチャモンばかりつけるのは確かに失礼。「ハルヒ」方向から参加された方のご意見としては、こちらの「さかぽよすの記」さんの記事が大変詳細です。そしてこの記事が、なぜ今回のデモにこれだけの参加者があったのかを考える上で最も有力な手がかりを与えてくださるものと思います。
 また同時に注目すべきことは、この「さかぽよす」さんがデモ参加を決意するまでには、「デモ」「政治活動」といったものに抱いていた既成概念との折り合いをどうつけるかで悩まれていた、ということです。多くの「オタク」の人々(「共産趣味者」は多数派とはとても思えぬ)がこのようなイメージを持っていて、なおかつこの「ハルヒ」関係の方々のように何らかの折り合いをつけることが出来なかった場合、現在ネット上で見られるような今回のデモに対する「オタク」からの罵倒が浴びせられる、ということなのではないかとも思われます。
 そして「さかぽよす」さんが、今回のデモについて「今回のデモで私が得たことは、主要3団体である「革命的オタク主義者同盟」・「革命的萌え主義者同盟」・「革命的非モテ同盟」の存在を知ったこと。」と書かれていることは、今回のデモの新規参加層が今までの「革非同」のデモとは方向性がかなり異なっているのだということを示唆しているのだと思います。

 デモの「表現」としての側面について、シュプレヒコールの他に気になったのは、鉄道趣味者と思しき人々が段ボールで急造したと思しきプラカードの内容でした。小生は撮影しませんでしたが、昨日の記事でご紹介した「ジャブローの風の噂」さんの記事に掲載されているのでご参照下さい。
 正直この"主張"はツマランなあ、という感を受けます。これでは「鉄ヲタのたわごと」と言われて仕舞です。もうちょっと多くの人に訴えかけられるような、マニアを唸らせ一般人をへぇと思わせるような、そんな表現は出来なかったのでしょうか(先述のキャラ名コールへの違和感も同じことを感じます)。例えば秋葉原はかつての交通博物館の所在地の側です。「『交通博物館』の後継と称する『鉄道博物館』のJR東日本による自社宣伝機関化を阻止せよ!」とか、どうでしょう。交博なら普通の人にも有名だったわけで。

 とはいえ、以上のようないわば「技術的」側面は、もし機会を重ねれば改善されていく性格の問題ですので、問題としては楽観視していいものなのかもしれません。

〇「革非同」と「中核派」について
 ・・・中核派の活動家が、健康のことを考えてジョギングを始めました。やっているうちにすっかりはまってしまい、マラソン大会なんかにも出るようになりました。
 そこで友人がこう言いました。
 「今度、クロスカントリーをやってみないかい?」
 活動家の返答。
 「クロカンだけは勘弁、勘弁」
 ヨタ話はともかく、この冗談(出典:確かマル共連のどっか)で笑える人が少ない今のご時世、この「中核派」問題が今回のデモのネット上での非難を呼ぶ原因となったのかもしれません。現場の参加者はこのことをそれほど気にしなかったから「成功」と思ったのに、ネットで叩かれまくっている理由となったわけです。
 しかしそれだけに書きにくい問題ではあります。恐らくは「中核派」のような存在にいまや多くの人々は馴染みがなく、どういう人たちなのか想像できなくなっているために(ある意味)過剰な反応が起こったのではないかと思うのです。
 もう段々面倒になってきたのでいちいちリンクを張る気力が失せていますが、今回のデモに「中核派」が関っているのだと主張するネット上の声は枚挙に暇が無いようです。しかしでは、具体的に中核派の誰それがその場に居た、であるとか、古澤書記長の活動のこのようなところに中核派の影響が見て取れる、といった指摘は管見の限りではないようです。結局「なんとなく」なんですね。

 小生はこれまでの古澤書記長が行ってきたイベントで、書記長が知り合いだという中核派の方のお姿を見かけたことがあります。しかしこれは結局、個人的な交友関係に過ぎず、「中核派」と「革非同」という「組織的な関係」というものがあったとは到底想像しがたいものと見受けられました。そもそも「革非同」に"組織"なんて存在しないし(笑)。最近のイベントでは実はその方をお見掛けすることも無く、むしろ関係は薄れているのではないかと察せられます。
 おそらく重要なことは、その中核派氏がオタクだった(らしい)、ってことなんだと思います。党派的な話よりもそっちが関係の基盤であったのではないかと。中核派がいくら「ニセ左翼暴力集団」(by代々木)だからといって、その構成員個人とこのような関係を結ぶという場合もありうると思います。それは「オタク」であることの面白さ・奥深さを表しているエピソードとも思われますが、あいにくと多くの「オタク」の方はそのような可能性に思い至らず、「危険」と思われてしまったのでしょう。上にも述べましたが、今こういった政治的存在が身近でないことを思えば、ある程度は致し方なきことなのでしょう。なんとなく「一般社会」と「オタク」の関係にも少し似ている気もしますけど。
 興味深いといえば興味深いのが、古澤書記長と中核派の関連について、以前のデモの話などを引っ張り出して云々する言説は多々あるのに、このデモに賛助団体として堂々名前を出している「我々団」、外山恒一氏についてはあんまり気にしていないみたいですね。まあ、外山氏が投獄中で表に出てこれなかったこともあるのかもしれませんけど・・・。

 今回のデモのレポートや、この「中核派」との関係について触れた文章の中で、管見の中ではもっとも冷静な分析で読んでいて首肯するところの多かったレポートは、「世界の中心で左右をヲチするノケモノ」さんの「6.30アキハバラ解放デモ観察記」であると思います。特に、このデモについて「gdgdのカオスであったからこそ、少なくとも参加者たちが作り出した空間だけは、狭くとも「祝祭的」であり、デモというよりはパレードであり、行進はフィエスタであった。」というご指摘は、まことに簡にして要を得た表現と感心した次第です。
 小生が思うには、このデモが焦点が無くて「gdgd」だったためにどう評価していいか元々意味不明気味だったところに、「中核派」の一言で天秤が一気に叩きへと傾き、後は叩きが"世論"になったからネット上の論調がそうなったんだろうと思います。
 話を戻しますと、この「左右を・・・」さんの記事ではこのデモの政治性、殊に「ぶっちゃければ「革非同」代表のid:furukatsu氏」のそれについて懸念が表明されております。こういった疑問を提示されるのは、古澤書記長の思想的なバックボーンや方向性というものが、実は「革非同」の活動ではあんまり見えてこなかったということがあるだろうと思います。で、今回小生はデモ後に古澤書記長を酒を飲みながら延々と問い詰めて一定の知見を得ましたので、それを以下に述べたいと思います。
 ただその前に少しお断りを。今回のデモは「三派連合」ということになっていますので、古澤書記長ばかりを以ってデモの代表と見做すことは公正ではありません。しかし小生はその他の方のことは良く存じ上げませんので、扱っている話柄に限界があるということをご承知下さい。
 ついでにそれと関連して。「左右を・・・」さんの記事の分析は納得できる面も多いですが、「主催者=マジ活動、参加者=洒落」と単純に二分できるものではないと思います。「主催者」内部の意見自体がそもそも何がしかの政治的方向性で一致を見ているわけでなし、そしてまた(上で紹介した「ハルヒ」関連の方のブログに伺われるように)参加者の側もみんながみんな洒落というわけでもなさそうだからです。

 済みませんが、気力体力の限界により続きは別記事に。
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by bokukoui | 2007-07-01 23:57 | 出来事 | Trackback | Comments(8)

今日の秋葉原界隈~「6・30アキハバラ解放デモ」見学記

 秋葉原へ機材とネタの仕入れに行ってまいりました。
 憑かれた大学隠棲氏のお蔭で安価に中古のスキャナを手に入れることが出来、これで今後資料とか図面類を取り込んでいろいろと作業を進めることが出来そうです。

 で、ネタの方。
 昨日一昨日と関連記事を書きましたが、「6・30アキハバラ解放デモ」ですね。
 「反白色テロル大連帯」観察が奇縁となり、「革命的非モテ同盟」クリスマスバレンタインデーホワイトデーの三大白色テロル粉砕街頭活動を覗いてきた者としては、やはり今回行かないというのもどうかと思いまして。
 ただ、今回のデモに関しては、あとでもうちょっと詳しく述べますが、参加者のみならず取材者や報道者の数も非常に増えており、既に画像の充実したレポートを挙げておられる方もおられますので、小生は別記事を立てる予定のデモ関係者への取材の方に重点を置き、この記事のデモそのものの写真やレポートはなるべく簡潔に済ませたいと思います。
 なお、迅速かつ詳細なレポートの例として、「アキバblog」で紹介されていた「ジャブローの風の噂」さんの記事にリンクを張っておきます。プラカードなどの詳細が掲載されており、大変よく出来ていると思います。

追記:当ブログの関連記事一覧
「6・30アキハバラ解放デモ」関連雑感
「6・30アキハバラ解放デモ」極私的総括 或いは「井ノ原春陽の憂鬱」
続「アキバ解放デモ」極私的総括 或いは「やらないか(ベルギーを)」
「アキハバラ解放デモ」関連の現況雑感

 スキャナ仕入れやさる友人とちょっと会ったりするために、昼ごろ既に小生は秋葉原に着いておりましたので、ちょっと足を伸ばしてデモのコースを確かめつつ起点の練成公園に行って見ました。
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正午前の練成公園 小さな公園で人影もない

 この時点では、数名のデモ関係者と思しき方々がおられただけでした。

 で、諸般の用事を済ませてデモ開始予定時刻より少し前、14時ごろに練成公園に着いてみますとこの状況。
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14時ごろの練成公園 もう既に人大杉

 この時点で200人前後が居たのではないかと思います。各種コスプレなども散見されました。
 この賑わいに驚きつつ、「革非同」の古澤書記長にご挨拶。そんな中でも続々と人が詰め掛けてきます。このデモ、参加者100人と予定して申請しており、関係者の見込みではもしかすると200人くらい来るかもしれない、300人ももし来たなら奇跡、ぐらいのつもりだったそうです。しかしあっさりとその見込みはオーバーされてしまい、最終的にはデモ参加者450人程度という動員数を記録することになります。デモ主催陣はこの人数をどう裁くのか大いに気を揉んだのでした。
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あまりの参加者の多さに急遽鳩首会議を開くデモ関係者
左の黒ヘルが「革非同」書記長、白ヘルが「革萌同」書記長

 渋谷のデモは十数人、池袋のデモも二十人かそこらでした。三人デモの高円寺ニート組合には及ばずとも、このデモらしからぬ少人数手作り感が愉快であった過去の事例とは大きく異なります。池袋の二十倍に増えたのだから、単に三派聯合になったから人が増えたというのでもないようで、今までの前宣伝が色々とあった(木曜日の読売新聞夕刊に、「オタク」として有名な記者が本件を報じたとか)にしても、一体どこからこんなに人が来たのか、主催者側も把握し切れていない状況のようでした。
 小生は「警護」の警察関係者の中に、渋谷と池袋でお馴染みになった公安? らしき方の姿を探しましたが、今回はこられなかったようで残念。

 この人数の多さにどう対応するかで色々と策を練る必要があったためでしょうか、デモは14時半の集合時刻を過ぎてもすぐには始まりませんでした。3列でデモをする予定が当初予想の倍の人数が集まったため、隊列が長くなってしまうことが問題だったと思われます。こういったことに警察が矢鱈と五月蝿いのは、デモとはお上に逆らう天をも恐れぬ犯罪行為、という発想を引きずっているのでしょう。そう、「お上の事には間違はございますまいから」。
 公園の外にデモ隊の先頭が出たのは14時45分頃だったかと思いますが、その後の行列の調整に手間取って、動き出したのは大体15時ごろだったのではないかと思います。以後の状況は写真でざっくりご紹介。
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デモ隊の先頭が表通りへ

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隊列は練成公園前の道を埋め尽くす

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隊列はなおも続く 水色の『ハルヒ』関連コスの多さに注目

 今回このデモが主催者の予想を大きく上回った参加者があったのは、どうも mixi による宣伝が大きかったのではないかということがデモ関係者から伺ったご意見でした。私見では、その中でもこの『涼宮ハルヒの憂鬱』なる作品シリーズのファンが大勢集合したことが、デモの人数がふくれあがった大きな要因なのではないかと思います。正直、特定の作品のファンばかりがそれを掲げて集まってくるという状況は、いろんな「オタク」がいろんな主張を、という今回のデモの公式目的からしても、そして小生の個人的「オタク」に対する信念からしても、いささか憂鬱な現象のように思われました。これについては後刻の記事でまた詳しく。
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メイド喫茶の前を通り過ぎるデモ隊と
思わず自転車を停めて見入るご老人

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中央通りを横断するデモ隊

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ペデストリアンデッキから見下ろすデモ隊の隊列
(ガラス越しのため人影が写り込んでいるのはご海容の程)

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デモ隊を撮影する人々も大勢(←小生もだけど)
画面中央の旗を立てている一行は「サウンドデモ」のための機材部隊と思われるが、
隊列が長すぎて効果は今ひとつ発揮できず

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線路を越えて行進するデモ隊
手前は「すっごっーい!! 何あれ!?」と携帯電話で撮影していたカップル

 デモは1時間の予定でしたが、行列整理に手間取ったこともあってか、目的地の和泉公園に到着した時には既に15時半をいくらか回っていたと思います。この公園もそれほど広いところではなく、到着したデモ隊によって埋め尽くされてしまいました。
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和泉公園に到着したデモ隊

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終了の挨拶をする古澤書記長

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気勢をあげるデモ参加者

 既に予定時間を超過しているため、迅速な解散が促されます。古澤書記長はこれまたお約束の、「家に帰るまでがデモです!」とトラメガで呼びかけて、参加者の解散を呼びかけていました。それでもやはり人数が多いので、解散には16時ごろまでかかったかと思います。

 デモの顛末は大体以上で、デモ当局としては事故がなく対処者や怪我人を出さずに済んだことで何より安心している様子でした。参加人数は約450人(プラス沿道で撮影していた野次馬も少なからず)、今までのデモに誰一人女性が居なかったのに女性率はかなり高く、また外国人の参加者も見受けられました。コスプレイヤーが何人居たのかは正確な数字は分かりかねますが、50人くらいはいたのではないか、というのが爾後に話し合った時の議論で出た数字でした。
 デモについての小生の感想、これに関連して色々と思ったこと、「中核派の陰謀」説の検証などは次の記事にて。
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by bokukoui | 2007-06-30 23:59 | 出来事 | Trackback | Comments(2)

「反白色テロル大連帯」に関する新情報?

 昨日の記事のおまけというか、派生みたいな内容。

 「6・30アキハバラ解放デモ」に関連してネットをちょいとうろうろしていたら、こんなブログの記事を発見しました。

 誰から解放するのか
 (Je n’avais pas l’intention d’aller à la mer.-en manière de Haruphilie)

 で、この記事の本文はひとまず措くとして、末尾の一節を読んでびっくり。
・・・革命的非モテ同盟のid:furukatsu氏はたしか反白色テロル大連帯の加藤龍男氏と関係があったはず。彼は本物の左翼である。指導してもらえばよかったのになあ。ああ、でも共産党員だから新左翼ではないのか……ややっこしいな。
 何にびっくりしたかというと、

 1.「反白色」と「革非同」は関係がないと古澤書記長からじかに聞いていた。
 2.「加藤龍男氏」って誰?

 1.に関しては、上掲リンク記事のコメント欄に古澤書記長ご自身がコメントをされているので、そこのやり取りを引用しておきます。(一部関係ない箇所は省略してあります)
furukatsu 『いや、私、反白色の知りあいはいませんよー』
y_arim 『>furukatsuさん
む?ヴァレンタイン粉砕の折に加藤氏が応援に駆けつけたと伺っておりますが。まあその一点を以って「関係がある」とは言えませぬか…』
 はて、バレンタイン粉砕デモのときにそんな人いたかな? 東大関係者が結構いたことは事実ですが。
 なお、2.について、小生が記した「反白色テロル大連帯」の記事中に登場する首謀者で民青(共産党系)のK氏のフルネームは、「加藤龍男」ではなかったと記憶しています(似てるけど)。或いは「再建」とか「新」とかの「反白色」の人なのかな?
 上掲リンク先ブログを執筆されている方は「新月お茶の会」の関係の方のようなので、また何かそちら方面の情報をお持ちなのかもしれません。小生はそっちには伝手がないので分かりかねます。また、現在の自治会系(共産党系)の動向もよく存じませんが、これは現在自治会をこよなく愛することで右に出る者も左に出る者も居ないラーゲリ氏がきっとご存知だろうと思いますので、是非氏のコメントをいただきたく存じます。

 なお、「誰から解放するのか」本文の、「現状ですでにオタクカルチェラタンと化している秋葉原を、この上誰の手から解放しようというのか。」という言葉には首肯することしばし。不動産業資本からか? 再開発を強行するファシスト石原都政からか?
 何より、自分の好きなことは自分ですればいいのであって、「みんな」でする必要は別にない(一番大事なことではない)のであります。
 その辺も含め、明日はちょいと見物と買出しに。
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by bokukoui | 2007-06-29 23:58 | 出来事 | Trackback | Comments(6)

「6・30アキハバラ解放デモ」関連雑感

 資料類の整理もだいぶ進んで、この分なら土曜日の「6・30アキハバラ解放デモ」は見に行けるかな、というか、どっちにせよ自分も秋葉原方面に用事があるので行ってこようかなという感じです。
 しかしまあ、ちょっとその前に思うところをチラシの裏的に若干。

・関連リンク
 「6・30アキハバラ解放デモ」公式サイト
 「6・30アキハバラ解放デモを企画した経緯」公式ブログ記事
 「アキハバラを占拠せよ!」オーマイニュース(古澤書記長のご尊顔が)
 「第二の『花オフ』となるのか、それとも」世界の中心で左右をヲチするノケモノ

 そもそも小生は民青系団体・反白色テロル大連帯元ヲチャ(笑)として、その精神を受け継いだ?「革命的非モテ同盟」の活動をそれなりに楽しく見学してきていたわけですが、「ホワイトデー爆砕デモ」を3ヶ月ばかり前に見に行ってレポートを書いたの後、この方面の話題をあんまり書いてきていませんでした。それは、「非モテ」というお題に関して、ネット上で議論が活発な方面と小生がそれについて関心を持った角度とのずれを感じたからです。敢えて言えば「非モテ」というお題の議論はその議論をすること自体に内容よりも意味があるのではないかという感を抱いたため、関心が低下したというところがあります。
 また、「ホワイトデー爆砕デモ」のレポートの末尾に「革非同」で起きた出来事について些か個人的に思うところを述べたところ、若干のゴタゴタが発生し、それ自体は結果的に大したことにはならなかったのですが、当ブログに苦情をつけてこられた方のその後のご様子を伺うに、非常に複雑な思いを抱かずにはいられなかったのです(情報があやふやで、また個人の微妙な問題に関るので、奥歯に物の挟まったような表現であることをご寛恕ください)。
 抱いた思いを簡単に述べれば、「オタク」「二次元」趣味では救われなかったんだなあということです。「オタク」的な生き方というのは、ある種の人々にとって気の世の中を生き易くするための方策であると考えられますが、この方策で「生き易く」なる状況を安定継続させるのにはそれはそれで方向は違えど努力は必要で、メリットも多々ありますがリスクや失われるものも当然あるわけです。万能の解決策じゃありません(というか、むしろかなり特異な方法です)。その辺の付き合い方が難しいのだろうと思います。
 で、以下に小生が思う「オタク」的生き方の安定継続に資する方向性を述べつつ、今回の「6・30アキハバラ解放デモ」について現時点で思うことを簡単に。

 まず最初に、公式サイトの惹句、
あらゆるアキバ系のオタク諸君!エロゲーマーもアニメファンも、鉄オタも軍事ヲタも、VIPPERも共産趣味者も、日本人も外国人も宇宙人もみんな集まれ!もはや時代は好きに生きるか、それとも縛られて生きるかを選択する時だ!
 を一読して、「鉄道趣味者や軍事マニアを安易に『アキバ系のオタク』と並べないで欲しい」と思わずにはいられなかったわけで、「オタク」という名のもとに「秋葉原的なもの」による帝国主義的言動を批判したいとまずは思います(笑)。
 でまあ、もうちょっと真面目に思うところを述べますと、阿呆なことを堂々とやって楽しむというパフォーマンスがこれまでの「革非同」の面白さだったと小生は思うのですが、どうもなんだか今までよりも「真面目」的な印象を文面から受けてしまいます。これは「ホワイトデー粉砕デモ」レポの末尾に敢えて書いたこととも共通するのですが、あくまで政治的要求を掲げること自体が遊びなわけで、あんまり真剣になられてもそれは返って逆効果になってしまうんではないかと。
 で、今までの「革非同」のイベントは、クリスマスとかヴァレンタインデートかホワイトデーとか、普通デモやって批判するなんてことをしないものを対象に敢えてデモをやるということで、パフォーマンスとして面白く芸になっているわけで、しかも可笑しがらせることで(うまく行けば)より多くの人に何がしかの印象を残すことが可能だったと思います。
 それが、今回のデモはその点パフォーマンスの芸としての焦点が(「クリスマス」みたいな具体的な目標がない分)ボケてしまっているというか、「内向き」度が高いというか、そういうところがちょっと心配です。「サウンドデモ」という形式にしても。

 このような点が、上の関連リンクに挙げた「世界の中心で左右をヲチするノケモノ」さんの記事「第二の『花オフ』となるのか、それとも」で、いろいろと政治的背景(中核派との繫がりなど)について勘繰られる原因ともなっているのだろうと思います。面白イベントと見做すにはちょっと、と引っ掛かる点を生んでしまっていると。
 小生の個人的見解では、これが過激派が関与していると見做すのは勘繰りすぎだろうと思います。関係者について中核派との関わりよりももっと重要なファクターがあるというのが今まで見てきた小生の印象です。ただ、小生は「革非同」はともかく他の2団体についてはよく存じませんし、三派聯合となったことで今までと違った傾向が生まれるのかもしれません。
 まあ、「6・30アキハバラ解放デモ」公式ブログの「6・30アキハバラ解放デモを企画した経緯」を読む限りでは、そういった心配は杞憂だろうと思いますが。ただ今までのこのデモの宣伝手法が、こういった印象を与えやすいのは否めません(この公式ブログは複数の筆者によって書かれており、その間で「遊び」なのか「政治活動」なのか、多少スタンスの違いがあるように見受けられます)。

 で、最後に勝手な感想を一つ述べさせていただきます。
 「オタク」が集まって何がしかのイベントを開催すること自体は一向に構わないと思いますが、「オタク」だの「マニア」だのは、まず何よりも個人的な活動ではないかと思います。人と交流することよりも何かを追求することを選んでいるわけで。人と話題を合わせるよりも、自分の世界を築き上げてこそ、と思います。
 例えば鉄道趣味者や軍事マニアのように、実態ある物についての情報集積がメインの場合は、比較的「オタク」相互の話はしやすかろうと思います。「アキバ系」でも、評論活動とかならばまだ話はしやすいでしょう。ですが、そういった情報や表現物に刺激されて自分の中に築き上げてきた妄想のセカイとなりますと、自分以外の人間にとって面白いかどうか、そもそも理解できるのかということさえ埒外になってくるのではないかと思います。自分にとってかけがえなく耽溺した妄想だからこそ、他人に話せるものでもなくなってくるというわけで。
 もちろん、そういった妄想を作品として結晶させて世に問うということもあろうかとは思いますが、その際には世に通じるように表現を推敲することが必要なのではないかと思うのです。
 つまり、「オタク」「マニア」は個人的な活動が根底にあるから、時には集まって盛り上がるのもいいけれど、まず何よりも日々の個人的活動があってこそ、しかもそれは人に話せるようなものでないのではないか、ということです。小生が「萌え」という表現をあまり好まぬのは、そういった他者に通じさせることが困難な自分の妄想を、「萌え」のテンプレートに当てはめることで簡単に他人と共有化したような気分になって盛り上がってしまうからです。共有化できないようなものだから自分にとって価値が大きいのではないかと。ある話題を共有して共感を得るというコミュニケーションがしたいのなら、それこそ「モテる」努力とかした方が合理的ではないかと思ってしまいます。
 そう思いますので、以前にも「団結」より「拡散と浸透」がいいんじゃないかと書いた次第でして。

 てなわけで、デモのついでにここに行ってみるのもいいのではないかと思います。ちょうど今やっているというのも何かの縁でしょう。

原美術館「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語―夢の楽園」

 ヘンリー・ダーガーについてはタマ兄ぃの『戦闘美少女の精神分析』でもお読み下さい(文庫化したそうで)。小生も今仕掛けている論文作業が終わったら見に行きたいと思います。
 展示期間は7月16日(海の日・月)まで。

追記:デモ後の関連記事は以下の通り。
今日の秋葉原界隈~「6・30アキハバラ解放デモ」見学記
「6・30アキハバラ解放デモ」極私的総括 或いは「井ノ原春陽の憂鬱」
続「アキバ解放デモ」極私的総括 或いは「やらないか(ベルギーを)」
「アキハバラ解放デモ」関連の現況雑感
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by bokukoui | 2007-06-28 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(6)

まだしばらく(あと備忘一件)

 ゴタゴタしているので書く余裕がありません。

 『6・30アキハバラ解放デモ』の公式サイトが出来ていたようです(このイベントの計画自体は、19日に古澤書記長にお会いした折に伺いましたが)。なんか段々話が大きくなっていくようで、感嘆あたわざるものがあります。かの外山恒一氏も来るのかな?

 ところで『6・30アキハバラ解放デモ』、何で6月30日なのかな。それと、公式サイトには「ろくてんさんぜろ」と読みを振っているけれど、これは「ろくさんまる」の方がかっこいいと思います。確か上海の在華紡のデモにイギリス警官隊が発砲した1925年の「5.30事件」は「ご・さんまる」と読んだ筈。1950年には皇居前広場でも5.30事件が発生しております。
 で、6月30日の方は歴史上何があった日かなとちょっと調べてみると、多分一番有名なのは・・・長いナイフの夜ですか。うーん。なんだかなあ。外山恒一氏が他の人と大喧嘩するような事態になりゃせんでしょうかね・・・。

※参考:6月30日いろいろ
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by bokukoui | 2007-06-03 23:59 | 思い付き | Trackback | Comments(3)

一途な想い 君のココロを傷つけている~古澤氏の記事に関し雑感

 さる19日の「同人誌と表現を考えるシンポジウム」に関して、レポ感想を当ブログに書きましたところ、予想外に多くの方にお読みいただけたようでありがたいかぎりです。ところが、ITmedia News でこのイベントについて詳細な(恐らくは録音から起していると思われる)レポートが現在掲載進行中で、うーむ拙レポートの意義は薄れてしまったかなと正直思わずにはいられません(感想については何がしかのオリジナリティがあるかなとは思いますが)。もっともそれだけこのシンポジウムに注目が集まっているのだとすれば、それは大変結構なことであると思います。

 さて、その「同人誌と表現を考えるシンポジウム」の拙レポートについて、「革命的非モテ同盟」の古澤書記長が、革非同の活動外の個人的ブログ「furukatsuの日記」にてご紹介くださいましたことはまことに光栄の至りであります。しかし、拙記事をご紹介下さった古澤書記長のブログ記事「同人誌と表現を考えるシンポジウム」に関しましては、小生はいささかの懸念を覚えます。すなわち古澤書記長が該記事で述べておられる「闘争方針」は、事態の改善に役立つのかという疑問です。

 端的に言えば、「我々」と「敵」とに世界を二分し、「非妥協的」な闘争をすることが目的達成の手段として適切だとは思えません。この世界は、同人者と規制当局(とその手先)だけで構成されているのではありません。そしてまた、闘争することが目的ではありません。表現を守ることが目的です。古澤書記長が該記事にて「三つの柱によって達成される」と示された方針は、如何にして規制当局と闘争するかの方針であって、表現を如何に守り豊かにするのかという視点は見出せません。それは目的と手段を取り違えていると言わざるを得ませんし、かつての革新勢力がやがて退潮していった理由にも通じるかと思います。
 規制推進派と同人関係者の間に、こんな問題があることを知らない圧倒的多数の人々がいます。運動の方針の一つとしては、この圧倒的多数の人々の支持――とまでいかなくても、規制当局が押し付けたがっている像ではない認知を獲得することが出来れば良いでしょう。その際に、オタ文化の経済的な影響が大きいとか、コミケの大規模さに見るように相当多くの人に浸透しているのであるとか、そういったことは利用できるでしょう。かくてそれだけ社会の一角を占めている存在であるということをアッピールできれば、それを弾圧しようという側にとっては話が面倒になってくるわけで。「利害の調整」に応じるしかなくなってくるわけです。
 ひとくちにいえば、拡散と浸透が大事なのではないかと。団結の美名の下に、強力な指導者による思想統一を図ることは、そもそもの豊かな表現の場を守り育てるという根本の目的に反します。少数の中核による非妥協的な闘争よりも、多様さを武器にここにもいる、あんなのもいる、と同人と表現によるネットワークが社会のあちこちに展開するように、そしてそのことをより広く認知させる、それが目的に適うと思います。最悪どこかが叩かれても、ネットワークのどこかが残れば、また表現を育てていくことが出来るはずです。
 答えはそう「一つ」だけ、ではありません。

 具体策としては、古澤書記長のお示しになられた道と結局類似してくるとは思います。政治的なロビイング活動を行うとか(落選運動を行えるかは正直疑問ですが)、経済的意義をアッピールするとか。
 その二つは良いんですが、古澤書記長の第三に軍事というのは、まあ冗談で仰っているのだと思いますが、何がやりたいんだかさっぱり分かりません。あまつさえ、なのはさんの例を紐解けば分かるようにというのは、冗談にしてもまったくもってケシカラン話であると思います。余人であればいざ知らず、いやしくも「革命的非モテ同盟」書記長にして、とは恋愛資本主義の粉砕の先頭に立つべきものがこは如何に。
 なんとなれば、『なのは』シリーズの原案者・都築真紀氏は、かつて自己の作品中で、恋愛資本主義にどっぷりはまった世界観を臆面もなく展開していたのです。

f0030574_254660.jpg ここで小生が押入れから引っ張り出してまいりました資料は晋遊社の『ポプリクラブ』1997年7月号。ちょうど十年前ですね(多分6月発売)。我ながら物持ちがいいなあ。なお小生の年齢についてのお問い合わせにはお答え致しかねます。
 で、この雑誌には、都築真紀氏の単行本未収録作品「幸せのリズム」が掲載されております。これが問題の作品であります(ついでに言えば、小生が読んだことのある唯一の都築作品)。
 全く本題と関係ありませんが、小生がこの雑誌で「エロマンガ」としてもっとも「印象に残った」のは嶋尾和氏の作品でした。この表紙に名前の上がっている作家で単行本持ってるのは嶋尾和氏のだけですね。比較的最近、嶋尾氏の某単行本を買って巻末のあとがき漫画を読むまで、男だとばっかり思ってました。絵や話から何となくそんな印象を受けていたのでして。

 それはともかく、本題の「幸せのリズム」です。
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 お話は至極シンプル。美雪先輩と八重樫君のらぶらぶ話です。特に八重樫君のコンタクトを美雪先輩が入れてあげるシーンはなかなか。
 そんな二人ですが、美雪先輩は最近八重樫君に対して「バイトバイトってちっとも遊びに連れてってくれないし!」「ムードもなんもなしにHばっかしたがるしさっ!!!」と些かご不満。それで二人の間にひと悶着(&ひと交接)あって、もちろん最後は丸く収まるんですが、そのときのシーンが↓これ。
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 で、指輪贈られた美雪先輩曰く、「やっぱり愛されてるって確認しちゃったわよ!!!」

 へーそうですか。愛はプレゼントで確認するもんなんですか? これを恋愛資本主義と呼ばずしてなんと呼ぶ!?
 ついでに最後のページのオチでは、美雪先輩がさらにえげつない恋愛資本主義的発言(笑)を発してくれます。(漫画としては面白いけど) 

 かかる漫画を公表して憚らぬ都築真紀の作品を、こともあろうに闘争の指針に持ち込もうとするとは、非モテの星たる古澤書記長でありながら、反革命的限界を露呈してしまっていると言わざるを得ません。強く自己批判を求めるものです。
 やはりここは『なのは』ではなく『Saint October』を視聴し、力による正義の裁きを下すことの危険さを悟った少女が、赦しということを身につける経緯をじっくと学ぶべきでありましょう(11話~13話あたり)。

 要するに今日の教訓は、古いものを取っておくと何かネタになるかもしれない、ということです。そして過去の蓄積なくして未来の生産なし。資本だって表現だって。
 ところで色々検索してみると、都築氏の単行本未収録作品を掲載している雑誌は、オークションにて結構な値段で取引されているようです。なんだか2万円という話も出てきたし。
 ・・・この『ポプリクラブ』を誰かが1万6800円以上で買ってくれれば、『MANOR HOUSE』が買える喃(苦笑)

 えー、例によって話が滅茶苦茶になってきたのでまとめます。

・表現の自由を守るには、非妥協的闘争よりも拡散と浸透を。
・古い遺産をきちんと継承していくことで、表現の豊かさも発展していく。
・でも『ポプリクラブ』については価格次第で・・・(?)

 以下余談。
 『ポプリクラブ』1997年7月号はリニューアル第1号なので読者投稿コーナーがありません。とは即ち、三峯徹画伯のイラストが拝めないということです。しかし翌8月号の新装開店読者投稿コーナーにはしっかりと・・・

 もいっこ。
 この絵はなんだか変な気がします。
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by bokukoui | 2007-05-31 23:59 | 漫画 | Trackback | Comments(6)

「同人誌と表現を考えるシンポジウム」見学記 感想篇

 「同人誌と表現を考えるシンポジウム」について、レポの第1部第2部の続きというか、話を聞いての個人的感想です。細かい、どうでもいいようなツッコミはレポート中に差し挟んだりもしましたが、多少なりとも纏まったものを。
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「同人誌と表現を考えるシンポジウム」会場前にて撮影
馳せ参じた「革命的非モテ同盟」の古澤書記長のお姿も

 まず最初の率直な感想としては、パネラーが多すぎて話が薄まってしまったというか、話をもっと聞きたいのに充分時間がなかったという感があります。そもそも3時間のシンポジウムで、司会含めて13人ものパネラーがおられたわけで、やはり人数が多すぎたのだと思わざるを得ません。あまり適切な比較ではないかもしれませんが、ロフトプラスワンのイベントは3人(もっともしばた氏と永山氏が語りまくったため、伊藤氏が割を食ってましたが)で2時間半でしたので、あの充実度と比べると薄いなあと思ってしまうのは仕方のないところです。
 ただ、シンポジウムの中で、「一般へのアピール」ということを強調していましたし、またマスコミ関係者も来ていたということからすれば、同人に関係する関係者や識者が一通り集まって、意見の集約を図りそれを一般に公開するということは、いわば戦略的な意味としては少なからずあったということで、それはそれで合目的的だったのかもしれません。
 もっともそうすると、本文中でもちょっと書きましたが、「やおい」に詳しい人、いわば「腐女子」代表とでもいうべき人がいなかったのは些か残念です。同人(と性表現)に関しては、やおいの地位は相当に大きいはずですが、パネラーが一人を除いて男ばかりで、さらにレポ中には書きませんでしたが、パネラーが「やおいは分からない」ともらす一幕もあり、やはりこれは望ましくなかったと思います。

 シンポ中、「修正」の話が相当の時間をかけて議論されましたが、コミケ基準の性器への修正などの話を聞いていたとき、小生の脳裏をよぎっていたのは、18世紀英国で書かれた近代小説史上初のエロ小説『ファニー・ヒル』の訳本の巻末解説でした。今部屋がカオスなので本の本を引っ張り出すことが出来ないので記憶に頼って書きますが、この本を書いたことで投獄された著者のジョン・クレランドは、一緒に捕まった印刷業者の釈放を訴えてこう述べたそうです。
「印刷業者に罪はありません。彼らは原稿を見て、卑猥な四文字語がなかったのでそのまま印刷しただけなのです」
 で、クレランドは『ファニー・ヒル』を書くにあたって、性器を直接表記することを避けて、思いつく限りの比喩表現を使い、訳本の解説者(英文学者の海保真夫教授)曰くはそれは五十種類にも及んだそうで、ここまでやるとかえってコミカルな感すらするけれど、それはやはり摘発対策だっただろう、というようなことだったかと思います。
 いやまあ、何が言いたいのかというと、「修正」というのは今も昔も形式的でどこか滑稽な感じもするなあ、という外野の勝手な印象です。

 もちろん、運動方針としては、同人誌業界が「自主規制」にきちんと取組んできたということをより広くアピールすることは重要であろうと思います。それが正攻法でしょう。
 その方針はそれとして、ただ、ではシンポジウムで明らかになった「修正」の基準というのはどうかといえば、市川氏が世の中の「流れ」ということを口にされたことに象徴されるかと思いますが、それは相当に曖昧なもののようです。なので、規制派にそこを突かれる危険性がないとはいえないし、また果たして自主規制がどれほど効果があるのかと、言い換えれば自主規制しているという言い訳をするためにやっているのではないかという、そのような実も蓋もない言い方も出来てしまいます。
 もちろん最後に坂田氏が指摘されたように、このような基準はあまりに明確で動かしがたいようなものにするよりも、曖昧であった方がむしろ便利であることは、間違いないだろうと思いますが。表現の場に法が介入することによって縛りを固めることによって、伊藤氏の言葉を借りれば「表現が痩せる」という事態は、まったく容認できるものではありません。

 今回のシンポジウム中でもっとも小生の印象に残った言葉は、伊藤剛氏の「利害の調整」という言葉でした。規制問題を倫理や道徳の問題ではなく、あくまでも利害の調整と捉える合理性を重視した視点は、泥沼の倫理論争にならずに成果を挙げることができるのではないか、そう思ったのです。
 更に、それに国策としてのコンテンツ産業振興を絡めることで、経済的合理性の観点も持ち込めば、規制推進派に対する同人側の説得をより合理的なものにすることが出来るのではないか、そのようにも思います。正直、コンテンツ産業の振興という方針に何がしかの違和感を感じないでもないのですが、話としてはもっとも筋が通しやすく説得の可能性も大きいのではないでしょうか。つまり、この問題にあまり深い関心やこだわりを持っていない(規制反対推進問わず)ような人々に対しても、充分説得的足りえるからです。
 このように、合理性を根拠に、同人というものの存在を世間に認めさせ受容させるという方法が、今後の宣伝活動の方向として良いのではないか、それが小生の思ったことです。元々の伊藤氏の発言の意図とだいぶ離れてしまったかもしれませんが・・・。

 ただ、「合理性」の旗印を掲げて利害調整の手法のみで解決できるのか、それについては、このように書いておきながら些かの不安もまた小生は同時に持っています。
 そもそも今回の研究会の報告書に出てきたような表現規制に関する動き自体が、例えばシンポ会場でも指摘されていた児ポ法の年齢基準のように、およそ合理性とはほど遠い状況がまま生じているということです。合理性(特に経済的合理性)が規制推進派に対する説得の根拠にならない、或いは「合理性」を図る基準がハナからずれている可能性もあります。
 一方、これはかなり勝手な物言いで申し訳ありませんが、そもそも同人誌のような、表現に強い意欲を持ってコミケのような場を形成するに至ったエネルギーの源泉自体が、そもそも合理性によって生まれたものではないのではないか、ということです。だとすれば合理的な利害の調整という手法が、同人の側からも受容されないかもしれない、なんてことをふと思ったのでした。

 というわけで、色々と文句をつける割には、この問題に関する何かしら明快な解決案を小生は示すことが出来ていないのですが、しかし恐らく何か決定的な解決法によって「最終的解決」を図るというのではなく、好ましからざる事態を避けつつ常に変化し続けるという、いわば「永久革命論」的な方向ということになるのであろう、と、会場の前で「革命的非モテ同盟」の古澤書記長に出会ったのも何かの縁ですし、左翼チックな用語でひとまず結びとしたいと思います。同人も最後は個人の思いによって支えられており、その日々の実戦が積み重なっていくものだと自戒の念を込めて。

 蛇足ですが、このシンポを見に行ったりレポを長々と書いたりした直接のきっかけは、コミケで出店したり見て廻るのがメカミリ・評論・歴史・非電源系ゲーム・創作(少年)のメイド島限定(しかも資料本しか売らない/買わない)、と、同人の中心であるとされる漫画に碌に縁がなかった小生が、所謂18禁指定の同人誌を買わせていただいた数少ない書き手であるカマヤン氏、その氏がブログにてこのイベントに「当日私は所用で参加できませんので、参加された同志はレポートヨロですと書かれていたからであります。この記事が小生よりも深く創作や同人に関心を持たれる方のお役に立てば幸いです。
 以上、絵も小説も書けない鉄道趣味者がご報告申し上げました。
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by bokukoui | 2007-05-20 23:59 | 漫画 | Trackback(1) | Comments(2)

「同人誌と表現を考えるシンポジウム」見学記

 今年3月末にロフトプラスワンのイベント「エロマンガ・スタディーズVol.1」に行った話を書きましたが、その際最後に告知された「同人誌と表現を考えるシンポジウム」に、当初予定していた所用が流れたりして時間が空いたもので行ってきました。
 このイベントの趣旨が如何なるものか、上掲リンク先より引用しておきます。
 昨年4月警察庁生活安全局の諮問機関として「バーチャル社会のもたらす弊害からこどもを守る研究会」が作られ、携帯電話のフィルタリング、ゲーム・まんがの「有害性」について、様々な議論が行われました。そして、昨年12月に公表された、本研究会の最終報告書においては、様々なメディアと共に同人誌及び同人誌即売会が取り上げられるということになりました。このような公的機関の報告書に「同人誌」が取り上げられるのは、極めて異例のことです。

 こうした状況の背景には、近年、書店販売やネット通販の普及により、これまで即売会会場まで足を運ばなければ目に触れることのなかった同人誌が一般社会に浸透しつつある事が挙げられます。それにより、これまで「同人誌」ということで許容されてきた表現が外部の目に触れることで、様々なトラブルを生じかねない事態も懸念されるようになっています。

 このような状況にどのように対応していくべきなのか、もう一度同人誌の現状を見直し、表現の有り方を問い直すとともに、同人誌での自由な表現を守っていくためには、どのような理論と実践を進めていくべきなのかを議論する場として、標記のシンポジウムを開催することといたしました。(以下略)
 この「ヴァーチャル~研究会」については、報告書が出た当時拙ブログに一文を物した覚えもあり、些かの興味関心を持った次第です。さらに、時折拙ブログにもコメントくださるLenazo氏が本シンポジウムにご参加されるつもりであるとお伝えくださったので、それも何かの縁であると思って出かけたのでした。

 で、13時過ぎに豊島公会堂に行ってみたところ、なんと革命的非モテ同盟の古澤書記長とばったり出くわしたのでした(ご無沙汰してて済みません)。何でも革非同は、「革命的萌え主義者同盟」「革命的オタク主義者同盟」と合同で、6月30日に「秋葉原解放デモ」を行う由。ビラを戴きましたが、まだ公式サイトはない模様。
 会場内に入ってみると、結構な賑わいです。1階席が満員になって2階席にも最後は来場者を誘導していたようですから、500人からの来場者があったものと思います。
 その会場の入口で、またも知人に偶然出会いました。大学の学部(教養前期課程)時代の同じクラスだった人です。「東京大学オタク物語」にて小生が「コミケ会場の机を挟んで再会した」と書いた方です、ええ。
 さらに話が先走りますが、終了後にこれまた偶然に出会ったのが、MaIDERiAのイベント参加時に小生がいつもお会いすることを楽しみにしているサークル・初芝電産の方でした。先日の帝国メイド倶楽部を欠席したのでその時にはお会いできなかったのですが、こんなところで出会おうとは。
 ところで、小生はLenazo氏にはお会いできませんでした。考えてみれば氏にお会いしたことがないので、探しようがないのでした(阿呆)

 話を本筋に戻します。
 豊島公会堂をほぼ埋め尽くす中で行われた「同人誌と表現を考えるシンポジウム」は2部構成で、第1部は来し方及び現状を、第2部は将来の方向について討議を行うということでした。
 以下に会場で取ったメモを元に、シンポジウムの内容を略述します。あくまで小生がメモに基づいてまとめたもので、会場での発言そのものではないということをご諒承下さい。文字の大きさが小さく、灰色で書いている箇所は聞いていた小生の勝手な感想です。

〇はじめに
 ガタケット事務局の坂田文彦氏が挨拶。
・警察庁の報告書を受けてこの進歩を企画したが、今まで自分たち即売会側では性表現について厳しく対応して来たつもりだが、世間一般へのアピールが足りなかったかもしれない。
・来場者がどのような人々か知りたい、と来場者に挙手を求める。その結果、サークル参加者が約5割、一般参加者が約3~4割(坂田氏は「2~3割くらいですね」と仰っていたような気がするが、小生が見た印象ではこのくらいだったと思う)、即売会関係者が約1割、その他印刷出版関係者などが約1割、という程度の構成比であった。
※小生は一応「サークル」に手を上げておいたが、なるほどコミケ以下各種イベントにサークル参加したとはいえ、やってきたことはメカミリ・歴史・評論・非電源系ゲーム・・・実は同人誌の漫画はあんまり(ほとんど)買わないし、自分は場違いな存在ではないかと少し悩んだ瞬間。
・続いて同人誌生活文化総合研究所の三崎尚人氏が「バーチャル社会のもたらす弊害からこどもを守る研究会」とその中心人物である警察庁の竹花豊氏について解説。要点を述べれば、もっぱら携帯電話コンテンツのゾーニングなどを中心に話が進んでいたのに、第7回の会合のしかも後半になって突如漫画の話になり、しかも出来上がった報告書では、会議における漫画の扱いと不相応に漫画についてのページが多い。
・竹花氏の会議での発言からは、氏が「よく分からん連中が何かやってる」的な印象を漫画や同人誌に抱いてることが伺われる。ただし研究会としては法的規制の提言までには踏み込まなかった。

〇第1部 今、どうなっているのか? ~現場からの発言~
 第1部のパネラーは以下の通り。(順不同・敬称略)
 中村公彦 (コミティア実行委員会、第1部司会)、武川優 (日本同人誌印刷業組合)、鮎澤慎二郎 ((株)虎の穴)、川島国喜 ((株)メロンブックス)、市川孝一 (コミックマーケット準備会/COMIC1準備会)、武田圭史 (赤ブーブー通信社)

 まずは各人から現状に関しコメント。

・武川氏
 同人誌印刷業組合には29社が加盟し、オフセット印刷の同人誌の80~85%程度はこの加盟印刷所が刷っている。オフセ本は印刷所の基準をクリアしなければ世に出ない。
 印刷所の性的な修正基準はコミケの基準を踏襲しており、このことhが浸透しており遵守されていると認識している。印刷所相互でもすりあわせを行っている。
 この基準を外れる原稿に対して、猥褻を理由に印刷を拒否することはなるべくせず、相談して修正するようにしている。基準を知らない印刷所に持ち込まれる事態を防ぐため。
 印刷所によって基準が違うこともあり、相互に融通することもある。

・鮎澤氏
 虎の穴では同人誌を扱いながら次第に基準を作ってきたが、曖昧なところも多い。
 まず作品を見て内容をチェックし、判断している。サークル、印刷所、即売会などと連繋するようにしている。同人誌の性描写の基準は書店単独で決めるものではない。
※あくまでも小生の印象ですが、鮎澤氏は明確に断言することを避けておられたような感があります。

・川島氏
 メロンでは一定の基準を定めており、性器描写に消し・ボカシがあれば良しとしている。ガイドラインを設けて18禁と一般とを区別。同人誌を扱う書店にはこのように既に対応されたものが並んでおり、大きなトラブルは記憶にない。

・市川氏
 コミケの性描写に関する基準はコミケットアピールで述べている通り。
 即売会は対面販売を基本にしており、それによって18歳以下への頒布は防ぎうる。
 この二点は会場であるビックサイトや警察にも伝達している。

・武田氏
 赤ブーブー通信社のイベントは女性向け同人誌が多いが、女性向けの世界では男性向けの性描写の問題を「対岸の火事」のように思っているところがある。男性向けでは同人誌の表紙に「18禁」を明記するところが多いが、女性向けではそのような意識が薄いというよりない。
 コミックシティでは表紙に「18禁」を入れようというアピールを昨年末頃からはじめている。具体的には3月のイベントから。いろいろ模索中。

・中村氏
 コミティアはアダルトの比率が少なく、男性向けが5%、女性向けが2、3%くらいで全体で1割以下。あまり性描写に関し神経質になることはなかった。
 ここ1、2年修正することがポツポツあるが、印刷所の修正が甘くなっているのか。新規の印刷所もあってこれまでのコンセンサスがずれてきているのか。

 以下司会者中村氏を中心に意見交換。

・中村氏:コミケの基準について説明を。
・市川氏:性器の露骨な描写が修正を要する。当日の見本誌をスタッフがチェックし、その中で問題になったものを自分が最終チェックしている。具体的には男性器のカリ、女性器のクリトリスは修正が入っていることが望ましく、その修正はベタなどで全く見えないようになっていることが望ましい。
 本全体を見て最終的な判断を下す。18禁をはっきりうたって本のゾーニングをしている場合、奥付がしっかりしている場合は甘めに判断している。商業誌でもコンビニ売りと専門書店向けとで基準が異なるようなものである。
※ゾーニングの基準は納得。しかし剥けてないショタのモノは修正が要らないのでしょうか!?

・中村氏:コミックシティでは3月から取り組みはじめて、参加者に変化は見られたか。
・武田氏:18禁を扱うサークルには、その旨を公示するためのカードを用意して配っているが、サークル自身で表示を用意する場合が多く、予想したよりもカードを配る枚数は少なかった。カードについてはデザイン面での苦情があったりして、一定程度の浸透はしているかと思う。

・中村氏:印刷は甘くなった印象があるか。
・武川氏:最近はカラーが増えたが、カラー原稿の修正はモザイク加工が多く、白や黒のベタに比し「修正」という意識は薄いかもしれない。そのあたりで基準は揺れている。
 組合に入っていない印刷所であっても、同人誌印刷でよく知られている印刷所とは交流もあり、修正の基準は分かっている筈。そのようなところも含めると、同人誌を扱う印刷所の97%くらいは入るだろう。データ入稿の普及でどこでも刷れるようになり、新規参入が増えたというが、新規参入したといっても全く聞いたことのない印刷所であることは少ない。

・中村氏:データ入稿によってチェックが行き届かなくなったり、カラー原稿が増えてモザイク修正というような甘さがあるのでは。
・武川氏:問題のあるものがそんなに沢山出てきているという認識はない。問題のありそうなものはコミケ準備会に送って見てもらっている。
・市川氏:時間があれば送られたものは見ているが、サークルは往々にして入稿がギリギリであるため(会場笑)、時間的に間に合わないことが多い。即売会のその場で指摘して修正してもらっている。印刷所と即売会と同人誌取扱書店の連繋は取れており、どこかで止めるようになっている。

・中村氏:書店では同人誌と商業作品と両方あるが、両者の基準は異なっている(二重基準)のかどうか。
・川島氏:商業と同人は別に扱っている。性描写の基準は同人誌の方が厳しいくらい。同人誌の基準は先程述べたとおりだが、メロンの基準はコミケより緩いかもしれない。ただし作品の文脈上、展開上の意味を踏まえて柔軟に判断している。『フランダースの犬』の最後で、舞い降りてくる天使の股間にボカシがあったら興ざめである(会場笑)。問題のあるものは世に出していない、サークルはどこでも相談してほしい。
 商業については入荷したものを売るだけ。
・鮎澤氏:すべてチェックし切れているわけではない。販売してから問題が分かることもある。
 サークルとの関係については、サークルをクリエイターとして尊重することが基本である。それでもどうしても調整がつかないときは販売をやめることもある。チェックを何重にもして漏れのないようにしているし、基準について広報運動も行っている。

・中村氏:同人誌の基準は他を見ながら横並びでやっていることが多いので、商業誌とは異なるかもしれない。商業誌の場合は確信犯的な場合もあったりする。
 修正に関しトラブルが起こったことはあるか。
・市川氏:「何で塗るんだ」というトラブルは、コミケ2回につき1回くらいある。最近は女性向けに修正が多くなりつつあり、前回のコミケでは遂に男性向けより多くなった。やおい・ジュネ系が過激化しているが、女性は男性器に修正を入れるという意識が薄い。
・武田氏:女性向けでは性描写の問題を、先程述べたように「対岸の火事」とみている。2~3年前のことだが、サークルで18禁と猥褻物との区別がついていないところが多かった。18禁は年齢を過ぎればいいが、猥褻物は何歳になっても同じことである。
・川島氏:女性向け専門の同人誌書店もやっているが、女性向けの同人誌は過激なものと、いわば「官能的」なものとに二分される傾向がある。
・市川氏:女性向け同人誌にはロマン(笑)なのと、ガチなエロのとがある。ガチなのは商業やおいの男性器には修正がないのを見て、同じ様に作ってしまう。コミケ基準と商業とは違う。最近は女性向けの方が修正で揉めることが多い。さらに、同人誌に奥付がないところも。
※やおいの話題はこの後も出て、同人に占めるウエイトを考えれば重要なテーマ。にもかかわらず今回のパネラーにはやおいのエキスパートといえる人がいなかったのではないかと思う。女性のパネラー自体一人しかいなかったし。

・中村氏:奥付のないことが近年多い。自分のような古い人間にとっては住所を書くのが当たり前だったが、最近は個人情報保護やストーカーの問題などで住所は書かなくなった。しかし、何らかの連絡手段を示して責任の所在を示す必要があるのでは。
・市川氏:サークル名、メールアドレス、発行年月日は最低入れて欲しい。印刷所では奥付についてサークルに指導したりはしないのか。
・武川氏:徹底していないかも。URLとかだけ入れればいいような。
 最近は奥付に印刷所を入れないことが多い。メアドやURLは英文字ばかりなので、漢字名の印刷所が入るとデザイン上不似合いという理由もあって。
・市川氏:印刷所の名前を英語に変えては(笑)
・中村氏:印刷所としては自分の仕事なので入れて欲しいところだろう。

・中村氏:コミケ誕生以来、同人誌に30年以上の歴史はあるが、参入や退出が多く、爆発的に拡大したこともあって、過去の経験が必ずしも伝わっていない。それがこのシンポ開催の理由の一つでもある。
 警察庁の研究会の報告が今回のシンポの直接のきっかけで、警察当局は自主規制などをさせたがるが、個人の活動が基本である同人の世界に、なるべく自主規制的なものは作りたくない。

 以上、およそ一時間で第1部は終了し、休憩を挟んで第2部へ。
 で、長すぎて一つの記事に入らないので、続きは別の記事に。

※追記:古澤書記長のTB記事に対する更なる返信記事はこちら
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by bokukoui | 2007-05-19 23:57 | 漫画 | Trackback(2) | Comments(0)