長らくブログを更新していませんでしたが、重要なお知らせがありますので、こちらを更新しておきます。
かねてから続いている、日本学術会議の会員任命拒否問題と、一方的に不適切な措置をしておきながらその理由を説明せず、逆ギレしたかのように学術会議をいじくりまわして、政財界が介入しようとしている制度の「改悪」問題ですが、ひとまず今国会では見送りされました。
しかし、政府による「改悪」が諦められたわけではありません。目先の金になる研究ばかり優遇する、政治が介入して軍事研究ばかりをやらせることが、過去の反省に学ばない、結果的には経済成長にも安全保障にも貢献しない愚策であることは確かだと思うのですが、権威主義的傾向を強める日本の政治は権威から自立した存在を嫌悪しています。根本的には政権を変えるしかないのですが、権威主義的な国へ雪崩落ちていくのをひとまず食い止めるためにも、日本学術会議問題については反対の声をあげ続けていくことが必要です。
というわけで、新たな日本学術会議法「改悪」反対署名が立ち上がりましたので、一人でも多くの方のご協力をお願いします。
前回と同じく、日本大学の古川隆久先生が呼びかけられた運動です。
古川先生の声明文の一節を引用します。
「学術会議は、これまでの人類の叡智をふまえた学問的な立場から社会や政府に助言をする組織です。その学術会議までも政府に服従すれば、社会にとって貴重な(時には耳が痛い)「セカンドオピニオン」を発し得る重要な仕組みがなくなってしまいます」
まったくその通りなのですが、耳に痛いことは聞きたくない、というご都合主義が、近年日本に瀰漫したように思われてなりません。理想を掲げることを偉そうだとけなし、正論を冷笑し、権力にすり寄ることを現実主義とはき違えてはいないでしょうか。問題を指摘する声を抑圧して、問題までなかった気になってはいないでしょうか。
問題を指摘する声を押しつぶしても、問題がなくなるわけではありません。そうやって地道な課題解決から逃げてきた結果が、停滞かつ閉塞する日本を作ってきたのではないか、そんなふうに思われてなりません。いわば考えることから逃げ、それを精神的合理化であるかのように正当化しているのです。「タイパ」だの「コスパ」だの最優先に考えるのなら、理想を掲げて営々と努力するよりも、答えの出ない問いを考え続けるよりも、目前の現実にとにかく適応した方が合理的かもしれません。でもそれは、大局的には不合理なのです。考えることから逃げる姿勢が、学術への敵愾心を生んでいるのです。
しかし、苦言を忌んで反省しない姿勢は、この国の政治では一層あらわになっています。原発事故がなかったかのように原発推進を図り、過去の歴史を忘れて軍拡に走り、新型コロナ対策への反省もなく規制をなくし、数え上がればきりがありません。それに反発するどころか、忖度して反省の声を押しつぶす連中の多さには危機感を感じますし、そういった連中が学問の世界にすら見られるのは、自殺行為としか思えません。人文社会系研究の核心を突いた、この学術会議問題の記者会見で東京大学の鈴木淳先生が述べられた言葉を、締めくくりに代えて引用しておきます。
「人文社会系の学問とは100%現状を肯定しているということはないと思う。どこかやはり問題を感じるところがある。それが今の政権に対してどうかとかそういうことはもちろん人によってさまざまだが、ないところにも問題を探すようなのが人文社会の本質というか、あるいは問題がなさすぎるのがおかしいと言ってみるくらいまで、人の心とか社会のあり方に対して敏感に感じ取る、課題を探す学問」
この言葉の出典は以下の記事です。
※本記事は2023年4月21日のツイートをもとに作成しました。